ジナコさんinカルデア 作:クリシュナ実装はよ
ジークフリートに会った瞬間の反応がおかしかったので修正しました。
初めて自分の選択によって、人を殺した。そんな選択をしてしまった自分が、酷く恐ろしい。自分の命のためなら、他人を犠牲にしても惜しくない。そんな醜い心を暴かれた気がして、吐き気がした。それでも、また勝たねばならない。
私はいよいよ覚悟を決めた。自分のために他人の命を踏みにじることに決めた。我ながら、馬鹿だと思う。人の命は還らないことを知っているはずの自分が、これから大きな罪を犯すのだ。そのことを、私のサーヴァントは否定はしない。それが少しだけ、救いだった。
私の実力では、正々堂々勝つなんて不可能だ。だから、私は計算ずくの行動を始めた。悪意で以て誘導し、悪意を持って罠に嵌める。卑怯と罵られても構わない。私にはもう、そうするしかないのだから。
ヒタ、ヒタと湿った足音が聞こえてくる。ジナコは何故そんな音がするのだろうと内心首を傾げた。そもそも、今自分は何をしている。そう考え、半覚醒状態のジナコの意識は激情を思い出した。
かきむしるような苦しみのまま、ジナコは飛び起きる。自分は何てことをしでかしてしまったのだろう。ジナコは周囲を見渡し、そこがどうやら監獄であることに思い至った。
周囲はほとんど石造りの壁によって覆われ、鉄の柵の向こうも石の壁だ。ジナコは鉄の柵へと駆け寄り、それをガタガタと揺らす。当然、壊れる気配はない。ならばと柵の向こうの廊下を見回すが、一定間隔で火が灯されていることくらいしか目立ったことはない。
「っ……」
ジナコは鉄の柵を力なく殴り付ける。壊すつもりではなく、現状への八つ当たりだった。アーチャーはジナコを殺さずここに捕らえた。そう考えるべきだろう。どんな意図でそんなことをしたのかは、皆目見当がつかないが。
ジナコは諦めたように床へと仰向けに倒れ込む。これは言うまでもなく、ジナコにはどうしようもない事態だ。サーヴァントもいない。碌な魔術も使えない。果たして今、何が出来るだろうか。絶望がジナコの心を覆い尽くす。
しかしそんな絶望も、深みに至ることは出来なかった。ジナコを苛む呪いが、それを許さない。
「……通信機」
ジナコはふとロマニに連絡が取れないかどうか試そうとして、その計画はあっさり御破算となった。ジナコの持っていた通信機も、荷物も、全て剥ぎ取られていたからだ。カルデアの制服を脱がされていないだけ、幸運だろう。
「いたいけな少女に、酷いなぁ……」
ジナコはそんな、他人事のようなことをか細い声で口にする。このような事態に、ジナコは少し混乱していた。ジナコはするべきことを見失いながら、床に座り直す。
そうしていると、先程聞いたヒタ、ヒタ、という足音が近づいていることに気づいた。不気味な足音に、ジナコは心臓が縮むような感覚を覚える。ジナコは幽霊とかいう類いの話が苦手なのだ。何を今更、なことではあるが。
ジナコは恐る恐る鉄の柵に近づき、廊下の奥を睨む。人影は見えない。
「まさか、本物……」
「大丈夫ですか?」
「うひゃあうお!」
ジナコは女性の声に肩を縮こませながら振り返る。ジナコは右の廊下の奥を見ていたが、どうやら足音は反対から来ていたらしい。ジナコの目に入ったのは、赤毛の美しい女性だった。
「あ、あ……」
「驚かせてしまってごめんなさい。そんなつもりはなかったの」
言葉にならない声を漏らすジナコに、女性は申し訳なさそうに告げる。この美しい女性は、ジナコの味方なのだろうか。
「アンタは……」
「名乗るのが遅れてごめんなさい。私はシータ。アーチャーのサーヴァントです」
ジナコは瞠目する。この美しい女性はサーヴァントなのか。そのたおやかな様子は、とてもアーチャーのサーヴァントには見えない。そしてシータという名前に、ジナコは心当たりがあった。
「ハラダヌの弓の……」
「知っていたのですね。そう、私はラーマの妻、ジャナカ王の娘のシータです」
いつかアーチャーの真名はラーマではないか、という話をしたが、もしかしたらこれはもしかするのではないだろうか。アーチャーは嘘吐き男だと判明してしまったことだ。ラーマではないというのも嘘かもしれない。
「あの、ボクをここに連れてきたであろう人の奥さんだったりします?」
「ああ。違います。彼には妻が四人もいるのですから」
爆ぜて、アーチャー。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。リア充だとは予想していたものの、これはジナコの予想の数段上だった。ジナコはハーレムを作って喜ぶ石油王をイメージする。真面目な性格だと思っていたが、案外素質がありそうだった。
「そういや、ラーマさんは凄い愛妻家っすもんね。後妻もつくらなかったし」
「ええ。本当に、素敵な人なの」
シータは夫のことを思い出してか、切なげな表情をする。彼女は夫との間に離別の呪いをかけられた上に、その純潔を証明するために命を燃やした。その在り方を美しいと見るかは人それぞれだろうが、ジナコには典型的な悲劇の物語にしか見えなかった。報われない人生は、カルナのことを思い出させる。
「こんなに思ってもらえて、ラーマさんが羨ましいっす」
「あなたもいつか、素敵な人に会えるわ」
「うーん……」
何気なくジナコが言った言葉に、何気なくシータは答える。ジナコはその言葉に答えあぐねた。ジナコが素敵だと思った人は一人いる。しかしその人とはもう永遠に会えない。あの金ぴかが慢心していなければ、今もどこかの世界で上手くやっているのかもしれないが、それはジナコにとってもう過ぎたことだった。
「無神経だったかしら……」
「いや、大したことじゃないんで大丈夫っす」
そもそもの話をすれば、ジナコとあの人では釣り合わないだろう。年齢も、性別も、何もかもだ。それに、ときめくことと恋愛するのとはやっぱり別物だろう。ジナコは画面の中のショタさえいれば大抵はやっていけるので大丈夫だ。いや、リア充は羨ましいとは思うが。
「それで、ここってどこっすか? というか、何で話しかけてくれてるんすか?」
「そうでした。ジナコさん、ここはアルカトラズ監獄島です」
「は?」
ジナコは余りのことに口をポカンと開く。ホワイトハウスならまだ良い。少なくとも着工の時期は十八世紀だ。しかしアルカトラズの監獄は二十世紀のもの。あの有名な脱獄犯が生きていてもおかしくないと言われているくらいなのだ。
「正確に言えば、その前身となったものですね。インディアンが恐れて人が来ないので、潜伏には丁度良くて」
「監獄を隠れ蓑にするって不思議な感じっすね……」
シータが言うことには、先住民であるインディアンにとってこの島は呪われた島、とされているらしい。それを利用して人が近づかないよう、インディアンたちの恐怖を煽っているのだとか。インディアンたちはそれに乗せられ、誰も近づかないよう監視しているらしい。宝具やら加護やらでやりたい放題のサーヴァントだけがここに辿り着けるというわけだ。
この監獄もジナコの知るアルカトラズ監獄ではなく、島の地下を削り出して牢獄にしているのだとか。そんな土木作業員じみたことをさせられたであろうサーヴァントたちが憐れに思えた。メイヴはきっと傲慢という服を着た女王であるに違いない。
「で、シータさんはメイヴの手下っすよね?」
「手下、というよりメイヴの陣営といったところですが。心情的にはジナコさん、あなたの味方です」
ジナコを閉じ込めている建物に難なくいる以上、メイヴの手下だとは思っていたが本意ではないらしい。アーチャーのせいで疑心暗鬼気味ではあるが、何も教えてもらえないよりはましだ。ジナコはシータの言葉に耳を傾ける。
「故あってあなたの完全な味方につくことは出来ないのですが……」
「ちょっと協力してもらえるだけめっけもんなんで大丈夫っす」
「寛大なのですね。では、私の立場から。私はここ、アルカトラズ監獄島の看守です」
とまあ、半ば予想していた答えがやってくる。今はジナコの監視をしている、といったところか。
「ここは幾つかあるメイヴ陣営の潜伏場所の一つであり、人質、要注意人物を閉じ込めています。あなたには早急に、ここから逃げていただかなくてはなりません」
「ボクは人質ってことっすね」
「そういうことです」
ジナコと引き換えに世界を救うという選択を迫られたとき、立香は迷ってしまうだろう。立香は普通の少女だ。あの人とは違う。自分のために誰かを切り捨てられるほど、割りきることはできない。ジナコが立香とあの人を重ねて見ることは度々あったが、今はとてもそうは思えなくなっていた。
ジナコは長く思案することなく、シータに答えを告げる。
「分かった。策を教えてもらえるっすか?」
「勿論です」
牢獄に囚われ、目が覚めてから凡そ三時間。ジナコはじっと鎖に繋がれたまま、檻の中で過ごしていた。尤も、時計はないので三時間というのはあのアーチャー、シータが告げた時間ではあるが。
シータはこの牢獄について、手短に説明をしてくれた。曰く、この牢獄には今、二人の看守がいる。一人はジナコと契約していたアーチャー、もう一人は言わずもがなシータだ。シータはジナコの管理を任されており、そのおかげでジナコはこうしてシータの恩恵に与ることが出来ているのだった。
アーチャーはジナコに興味がないのか、ジナコのところにはやってこない。やってこられたところで腹が立つどころではないので、冷静に考える時間があって嬉しくはある。しかしアーチャーの存在は当然、捨て置けるようなものではない。アーチャーは今、明確にジナコの敵なのだから。
「というわけで、看守の交代を待ちましょう」
そう告げたシータに、ジナコはあっさりと頷いた。どちらにせよ、このままでは何も出来ないのだ。なら、命懸けの脱出をすることに否はない。シータは常駐だが、アーチャーはメイヴに重用されているらしく、他のサーヴァントと持ち回りでここにいるらしい。ならば大英雄であるアーチャーでないときを狙った方が良いだろう。
「計画が上手くいきそうなときはパンを持っていきますから、安心してくださいね」
そう告げてジナコの前を去ったシータだったが、時々時間を教えに来るものの、パンを持ってくることはない。日の光が差し込んでこないこともあって、時間感覚が狂いそうだ。カルデアでの生活のおかげで、野宿に慣れているため牢獄に対するストレスが少ないのだけが幸いか。
ジナコは牢獄で暇をもて余している間に、清姫のことを思い出した。ジナコのために命を張り、そして死なせてしまったサーヴァント。サーヴァントはそもそも死者だ。そんなことは分かっている。
けれど、その姿にジナコはガトーや慎二を重ねてしまった。彼らも死者であったけれど、己の目的、謂わば信念のために命を擲った。それを悼まなかったと言えば、嘘になるだろう。
人間にとっての死は肉体が死んだときか、精神が死んだときか、魂が消滅したときか。そんなものはジナコには分からない。サーヴァントだって、生前の現し身であるだけで本人そのものとは言いがたいだろう。
ジナコにとってイメージしやすいのは、迷宮の核であった
しかしあのときあそこにいた清姫もやはり、一人の少女、人間だ。そしてあそこにいた清姫と、いつか新たに召喚されるかもしれない清姫はきっと、別物だと思う。ならばアーチャーが清姫を殺したことは、憎むべきことなのだろうか。分からない。
分からないけれどあの人は、ジナコを許してくれた。ガトーを殺してしまったジナコを、見放さないでいてくれた。ガトーに感謝することで初めて、彼への報いになると、悼むことになるということを教えてくれた。
「っ…………」
思い出しているうちに、嗚咽が止まらなくなっていた。もう随分と前のことなのに、あのときのことはよく思い出せる。ジナコが過去を精算し、前に進もうと思ったのはガトーの言葉が心に残っていたからだろう。
ジナコはいつだって間が悪かった。けれど、ジナコを助けてくれる神様はいない。ならジナコは、前に進むしかないのだ。
間の悪さを直せなくても、努力することは出来る。何かを選ぶ自由はある。誰かがきっと、何も出来ないジナコを待ってくれている。
ジナコはそれをこのカルデアに来て、より深く実感していた。これはジナコの選んできた人生だ。たとえ過程が平凡でも、結果が伴わなくても、それだけは間違いじゃない。
「幸福な自分こそが、自分が好きになれる自分、か……」
アーチャーの言っていた言葉をふと思い出した。その言葉は今となっては、納得し難いものに思える。アーチャーが言ったというのもそうだが、自分の憧れる人たちは皆、幸福だとはジナコには思えなかったからだ。
それでも、誰もが己の死に納得していた。己で選んだ選択だった。本当はあのとき、彼らは幸福だと思っていたのだろうか。
「そう言えば、アーチャーに願い、訊いてなかったなぁ」
アンデルセンからのアドバイスを、結局ジナコは訊けずじまいだった。白と黒しか知らない、きっちりした性格のアーチャー。そんな彼が世界を滅亡させる方に加担している。そこには何か、願いがあるのだろうか。
「もう一度、話さなきゃ」
ジナコは己の中に、アーチャーへの関心が湧き上がって来るのを自覚する。アーチャーのことは信用できないが、何も知らないまま終わるのは違うと思うのだ。
シータが来なくなってから、一眠りするほどの時間が経った。というか、実際に一眠りした。不摂生な生活を是正したジナコは、適切な睡眠時間らしい体の調子に胸を撫で下ろす。そんなジナコの元に、ペタペタと足音が聞こえてきた。
「ジナコさん!」
「シータさん、どうしたんすか?」
シータの顔は焦っていたのか、紅潮している。ジナコは不安になりつつも、シータの手元に視線を向けた。そこには意外にも、綺麗に箱に詰められたサンドイッチがある。卵と
「ということは……」
「はい。新しい看守の方がいらっしゃいました」
シータはそう言って微笑む。その顔はとても愛らしく、深窓の姫君とは彼女のことを言うのだろう、と感じた。
「それじゃあ、これから脱出っすか?」
「はい。あ、慌てていて鍵を忘れてしまいました! 取ってきますね」
「はーい」
シータは余程嬉しかったのか、慌ただしく来た道を戻っていく。ようやく脱出のときが来たことにジナコは気を引き締めると、体を解した。そうしているうちにシータが再びやってくる。
「今開けますね」
シータが南京錠に鍵を差し込むと、開錠されて扉が開く。ジナコはその重々しい檻から外へと慎重に出た。
「これは、ついでに持ってきたジナコさんの荷物です」
「お。良かった。通信機も壊れてないっすね」
ジナコは通信機を手に握り、鞄を身に付ける。馴染みの重さに、少し安心感を覚えた。ジナコは通信機のチェックをしたが、カルデアには繋げない。
脱出の情報は、味方にも告げないくらいで丁度良いだろう。第二次大戦中、ドイツは情報戦で敗北し、カレーではなくノルマンディーに上陸された。
ジナコはシータを信用することに全てを賭けることに決めたのだ。元々カルデアは人理修復なんて大博打をしている。これくらい今更だろう。ジナコはナチスの総統のように、自刃するつもりは毛頭なかった。
「それで、具体的にはどうやって脱出するんすか?」
「大陸まで二キロあります。ジナコさんの年齢、体格を考慮すると、とても泳ぐことは出来ません。ですので、船を使います」
かの映画では筏だったようだが、今回もそれに倣うのだろうか。筏で二キロはまあ、不可能ではないだろう。サンフランシスコ湾は内海で、余り荒れていることもないはずだ。
「あ、一応ちゃんとしたボートですからご安心を。ヴィマーナでも用意できたら良かったのですが……」
「いや、ヴィマーナって絶対目立つ感じっすよね!」
空飛ぶ戦車ヴィマーナなんて、目立ってしょうがないだろう。『マハーバーラタ』では四つの車輪の戦車だが、七階建ての空飛ぶ宮殿という説もある。つまりUFOだ。ジナコはシータのインドらしさを垣間見た。派手さにかけてはあの英雄王と良い勝負になるだろう。
「AUOとUFOって字面が似てる……つまりシュメール人はエイリアンだった……?」
「えーゆーおー?」
「他人を雑種呼ばわりする金ぴかっす。おまいう」
ジナコがドイツと日本の
他人に理想を解き、自分は堕落に励む。正に悪人のやり口だ。それも、質の悪いタイプの。彼の持つカリスマもあって、呪いのように人を蝕むに違いない。カルナを見習えとまでは言わないが、足して二で割れば真人間になるのではないだろうか。
勿論ジナコは小心者なので、逆立ちしても本人に向かってこんなことは言えないのだが。
「それより、続きを話してもらえるっすか?」
「はい。脱出までにはもう少し、時間を置くつもりです」
シータによると、余りに早く出てアーチャーに追い付く、ないし視認されるのは成功率が下がるので避けたいらしい。しかし余り遅くなると、人の目が気になってくる。
ジナコは牢獄の階段を上りながら、日の光が差し込んでいるのを見た。今は早朝であるためか、然程明るいわけでもない。しかし時間が経てば、話は変わってくる。
「じゃあ、あと一時間後くらいってことっすね」
「そうなります」
一時間が長いと思うか短いと思うかは人それぞれだが、今のジナコには酷くもどかしく思えた。今すぐ立香やマシュたちの力になりたいのに、待たねばならない。その歯痒さを噛み締めながら、ジナコはシータについていく。
「ん? そう言えば、一時間も前から牢獄を空にして大丈夫なんすか?」
「ああ。そう言えば話していませんでしたね」
シータはそう告げると、屋外にまでジナコを引っ張り出す。そして、ある方向に手を差し出した。
「あちらにいる方が、私たちに協力してくれるそうです」
ジナコはそちらに視線を向ける。フードを被った男がそこにはいた。外套からちらちらと覗く手足は、銀の鎧で包まれている。フード、と言われると緑衣のアーチャーを思い出すが、彼の手に持つ武装がそれを否定する。その手にある剣はジナコにも分かるほど、強力な魔力を帯びていた。さぞ名のあるセイバーなのだろう。
「ジナコ、で合っているな?」
「えーと、あなたは……」
「ジークフリート。クラスはセイバーだ」
「じじじジークフリートぉ!?」
予想以上に大物だった。ジナコは思わず腰を抜かしかける。そう言えば、立香たちがフランスで会ったとか何とか言っていたような。それを思い出して納得するものの、やはり実際に目にした衝撃は抜けない。
ジークフリートといえば、『ニーベルンゲンの歌』に登場する不死身の英雄だ。妻、クリームヒルト共々悲劇に終わった英雄だが、その勇猛さは誰もが知るところだ。少々ストーリーに違いはあるものの、ワーグナーの手によって、その生涯は楽劇『ニーベルングの指環』としても名を轟かせている。
ジナコも、幼い頃から寝物語にその生涯を聞かされていた。ジークフリートは邪竜ファヴニールを打倒し、王位を手に入れ、義兄の嫁の不興を買い、その一族のハーゲンに殺される。その後、クリームヒルトによる壮大な復讐劇が始まった。しかし彼女も、最後にはフン族の客将ヒルデブラントによって殺されてしまう。分かりやすい悲劇だ。
『ニーベルングの指環』のジークフリートも大概だ。途中まではほとんど変わりないが、記憶喪失になったジークフリートを恨んだ妻、ブリュンヒルデによって殺されてしまう。
さて、このジークフリートはどちらのジークフリートだろうか。見分けるのは簡単だ。その宝具がノートゥングか、バルムンクか。妻の名前はどちらか。小鳥と話せるか。どれか一つでも分かれば特定できる。
「つかぬことを訊くんすけど、その宝具、ノートゥングっすか?」
「いや、バルムンクだ」
「そっかそっか」
このジークフリートは、ジナコが幼い頃憧れた方のジークフリートらしい。そしてきっとドイツ人。ドイツ人だと信じる。『ドイツ人、それがどこにいるのか私にはわからない』なんて言わせない。
ジナコは心から感動した。シェークスピアと握手をした現代イギリス人、牛若丸の演奏を聴いた現代日本人のような気持ちだ。
「あの、取り敢えず握手してもらえないでしょうか!」
「ああ。構わない」
ジナコはジークフリートと握手を交わす。シータからの微笑ましげな視線が突き刺さった。
「えーと、こほん。それで、ジークフリートさんとシータさんはこれからどうするんすか」
らしくないことをしてしまった自覚のあるジナコは、咳払いで誤魔化しながら訊ねる。ジークフリートの表情は読めないが、シータはにこにこと微笑みっぱなしだ。正直に言えばとても恥ずかしい。
「勿論、あなたについていきます。メイヴの尖兵もいるかもしれないし、最低限護衛は必要です」
「幸い、俺たちはアーチャーとセイバーだ。前衛と後衛でバランスが良い」
そんなジークフリートとシータの言葉に、ジナコは承服しがたい、といった表情をする。
「いや、でもこの流れからして、ジークフリートさんも看守なんすよね? ここを留守にしたらまずくないっすか」
「他に誰がいるでもなし。空の監獄に看守は要るまい」
ジークフリートの言葉も尤もだ。ここは拠点ではあるが、結局のところ監獄のための拠点である。霊脈や防衛、土地の掌握といった意味でも重要とは思えないし、ここを手薄にしたところでメイヴたちもエジソンたちも被害を被る訳でもない。
それはつまり、メイヴたちがわざわざこの監獄を重視してやってくることがないだろうことを意味する。興味があるのなら、これまでの間にジナコのことを訪問しているだろう。しかし、そんな様子もない。念話が通じさえすれば、違和感は限りなくなくせるはずなのだ。
「ジナコさんのことは必ず、エジソンたちの方へと返してみせます」
「あーっと、エジソンさんじゃなくて立香さんたちの方で。エジソンさんは味方ってわけでもないんすよね……」
ジナコはおずおずと告げる。立香たちが加勢したことで態度が和らいでいるか、より頑なになっているかは予想できない。いざというときに信用できる方でなくては、ジナコは安心できなかった。
「お互い、一枚岩とはいかないのですね」
「そりゃそうっすよ。世界が終わるのと自分が終わるの。どっちが怖いかなんて選択は重たすぎる」
ジナコはあの、月の古びた校舎を思い出した。
「それでも、閉じた世界で生きていくってことは本当に、生きてるって言えるのか。ボクは臆病だから選べなかった。けど、今度は選ばなきゃいけない」
今回もあのときも、ジナコは選べていない。選ぶことから逃げて、閉じ籠って、耳を塞いだ。いつか災難は去ってくれる。誰かがどうにかしてくれる。そうやって逃避するしか出来なかった。
けれど今のジナコは考えることを選んだ。逃げて、諦めることを止めた。その結果エジソンを説得することになっても、立香と敵対することになっても、ジナコは答えを出さなくてはならない。
「信念と身命。どちらに重きを置くかは難しい問題です。そして多くの英霊は、信念に殉じた者たちでしょう」
「いや、多分だけど、どっちも信念なんだと思う。善とか悪とか、永続とか停滞とか、生とか死とか。そういうことだけじゃなくてさ」
そんな話を、いつかアーチャーとしたことがある気がする。善や悪は問題ではない。正しさだけが救いではないのだ。間違えても進んで良いし、安寧を見つけたなら止まっても良い。
それを他人がどう言おうが、それはその人の信念だ。変わりたくなれば変われば良い。変われないのなら変わらなくても良い。選ぶのは結局、自分でしかないのだ。たとえ弾圧されても、脅されても、選ぶ自由だけは残っている。
「寛容なのですね」
「そんなことはないっすよ。だってボクの言うことは結局、責任を自分で負わなくちゃいけないってことっすから。凄く厳しいっす」
「だからこそお前は、自分に対して否定的なのか?」
ジークフリートに核心を突かれ、ジナコは一瞬息を止めた。その通りだと気づいてしまったのだ。自分は、自分の選択の責任を忘れられるほど恥知らずではない。しょうがないだなんて思えないのだ。
「凄いっすね……」
「俺とお前は正反対だ。俺は自分の選択を、全て他人に委ねてきた」
「な……」
シータが驚いたように声を漏らす。それがジークフリートの言葉に対する驚きなのか、それを告げたことへの驚きなのか、ジナコには分からなかった。ジークフリートはしかし、尚も言葉を続ける。
「俺はなにかをする前にまず、他人の願いを求めた。そのことで誰かを恨んだことはない。だが、何か満たされないものがある」
「そっか……」
「俺とお前は正反対だが、根本が似ているようだ」
その言葉で、ジナコは彼を思い出した。ジークフリートとカルナは、一見すればよく似ている。誰かの願いに、求めに応じて生きてきた英雄だ。しかし、その性根が酷く異なっている。
カルナはそんな己に疑問など持たない。何故なら彼にとって、誰であっても人間は皆特別だからだ。その選択に、いや、選択だとすら思ってないそれに疑問など持つはずもないだろう。
ジークフリートは違う。ジークフリートは他人に重きを置いてなどいない。他人を重視しているつもりでいて、その他人の願いに疑問を抱いている。ジークフリートの中にある信念と、周囲の願いが解離しているのだ。ただ己の信念を知らないから従っているだけで、己を知ればそれに頑なになることもあり得る。
しかし何よりも怖いのは、ジークフリートはこういう人間だ、と誰かに決めつけられてしまうことだ。もしそんなことをされれば、それが本当の自分だと思い込んでしまいかねない。
「いや、考えすぎ……だよね」
「どうかしたのか?」
「いや、何でもないっす。答えが見つかると良いっすね」
ジナコはそんな、心にもないことを告げる。ジナコは一瞬だけ、ジークフリートに自分が答えを告げれば良いのではないかと思った。このカルデアの理念を信念だとすり替えれば良い。そんな考えを、ジナコは即座に振り払った。それは洗脳だ。そんな他人の人格の根幹に関わる選択を出来るほど、ジナコは大物ではない。
「ありがとう」
「そうですね。私も、応援します」
ジナコは心中に苦いものを感じながらも、ジークフリートの言葉に頷いた。
船旅、というほどではないが、二キロの距離を船で渡るのに、特に問題はなかった。湾内は特に荒れてもいなかったし、船にも故障はない。鎧の重そうなジークフリートが乗っても、船はびくともしなかった。
岸へと辿り着いた頃には日が昇り始めていたが、周りに人影はない。シータの立てた計画は一分の隙もなく完遂されたようだ。
「まだ気を抜くときではありませんよ。リツカさんでしたか。彼女の元へと辿り着くまでは、油断できません」
「遠足みたいっすね」
家に帰るまでが遠足とは言うが、とてもアメリカの地を楽しむ余裕はない。生活水準が違いすぎるのが特異点の良くないところだろう。特異点でのストレスは過ごす時間に比例していく。やはりタイムトラベルをするなら現地に慣れるための下準備がもっと必要だ。
「言語に関しては護符があるし、サーヴァントがいるから無問題っすけど、服装とかボディランゲージとかを思うとボクらってほんと無茶してるっすね……」
「そうですね。私たちもこの土地のインディアンにはあからさまに警戒されています」
シータは苦笑する。本物のインド人がインディアンについて語るのも妙な話ではあるが。そんなシータに比べ、ジークフリートはとても寡黙だ。話好きの竜殺しなんて確かにおかしくはあるが、思ったより言葉少なな憧れの英雄にジナコは密かに肩を落とす。
「なので、早くここを抜けてしまいましょう。東に向かえばより安全です」
「近くにいればルーンで見つけてもらえるし、ホワイトハウスに行けばどうにかなるから賛成っす」
ジナコはシータの提案に頷き、歩みを進める。身の隠しやすさと食糧の調達を考え、ジナコたちは森に沿って歩いた。正確には、ジークフリートに俵扱いされながら運ばれていく。シータもジークフリートもサーヴァントなだけはあって、荷物があっても身の丈が小さくても疲れた様子はない。
そんなことにジナコが密かに感動していると、シータの顔つきが変わった。その口元は固く引き結ばれ、何かあったのだろうことは一目瞭然だ。ジークフリートの手にも、僅かに力が籠る。
「誰か追ってきているな」
「はい。まさかこんなにも早く対応されるなんて……」
二人は走る速度を上げる。この事態はシータには予想外だったらしい。シータの表情は口惜しそうだ。二人の様子からして、追ってきているのはメイヴ側のサーヴァントだろう。
「私が足止めしている間に逃げ切ることは出来ますか?」
「足止めするならお前ではなく俺の方が良い。お前では歯が立たないだろう。それに……」
「相手が彼ならば私は何も出来ずに終わるでしょうね」
シータは悲しそうに目を細める。彼というのが誰なのか、ジナコは分からなかった。ジナコが『ラーマーヤナ』をきちんと知っていれば、ジナコは彼女に同情しただろう。その強固な呪いが死後も二人を蝕むなど、悲劇でしかない。
そうして言葉を交わす二人に向けて、その終わりを告げる言葉が放たれた。
「足止めの必要はありませんよ」
「……アーチャー」
いつの間に追い付いたのか、ジナコのよく知る、いや、まだよく知らないアーチャーが、ジナコのすぐ側にいた。ジナコはそれを見留めると、その仮初めの名を口にする。その声は思ったよりも、低い声となって響いた。
「どちらが相手でも、私はすぐに追い付きます。大人しく従うなら咎めない、とマスターは言っていますが」
「そのような言葉で従うと思っているのなら、甘く見られたものです。私にもジャナカ王の娘としての矜持があります。約定は違えません」
シータはアーチャーを厳しく睨みながら答える。しかしシータは戦闘に長けたサーヴァントではない。担い手としてハラダヌの弓を扱えるはずではあるが、武人でない彼女にはそれが精々だろう。
「ジークフリートさん」
「分かっている。近接戦に持ち込めば充分に勝ちの目はあるだろう」
思わず声をかけたジナコに、ジークフリートは承知したとばかりに答える。その鋭い眼差しには覚えがあった。この目は今相対している相手、アーチャーによく似ている。戦いに赴く、一人の英雄の目だ。
「ジナコ、あなたは一人で逃げてください」
「いや、ボクもここに残るっす」
シータの言葉にそう答えると、シータは目を見開いた。そしてすぐに咎めるような視線に変わる。ジナコもシータの言葉がジナコを思ってのことだということには気づいていた。しかしジナコは清姫のように、シータたちを見捨てるようなことはしたくなかったし、何よりひとつ、目的があった。
「ボク、アーチャーには聞きたいことがあるんすよ」
「それは、命を懸けるようなことなのですか」
「死ぬつもりなんてないっすけど、それだけの価値はあるって信じてる」
あのアンデルセンの有り難いお言葉だ。問うことにはきっと、価千金の価値があるだろう。それに、ジナコはアーチャーのことを知らなすぎた。踏み込んで関係が壊れることを恐れすぎたのだ。ならば今から知るしかない。そうしてやっとジナコは、アーチャーを厭うことが、或いは信じることができる。
ジナコとの問答に嘆息したシータが弓を構えると、ジークフリートがアーチャーの懐に飛び込んだ。