ジナコさんinカルデア 作:クリシュナ実装はよ
四度の死線を潜り抜け、聖杯戦争というものにも漸く慣れてきた。対戦カードを確認すると、今回の相手は少女のマスターらしい。それに付き従うは美しい獣の少女。弓を使い、獅子へと転じた女性は限られる。真名、アタランテこそが彼女の正体だった。
私はたとえ相手が幼げな少女であったとしても、手抜かりをするつもりはない。下手に加減をすれば、死ぬのは私だ。お世辞にも強くはない私は、相手の事情を慮る余裕がない。それに、相手もここまで勝ち抜いているのだ。覚悟は出来ているだろう。
私は無垢な少女に優しく接し、まるで友人のように過ごした。子どもというのは好きな人には甘く、嫌いなものにはとことん残酷になれる。こうすることが、勝利への道筋だった。それに伴う胸の痛みは、寂しさと共に飲み込んだ。
ジークフリートの上段斬りは、アーチャーの弓によって容易く防がれる。かのバルムンクすら容易にいなす弓に、ジナコは恐ろしさを覚えた。それからシータも矢を放ち、争いは激化していく。戦闘はジナコの目には追えなくなっていった。
辛うじて何とか使える魔術で援護をするものの、治癒くらいしか効果的に働かない。攻撃的な魔術は三騎士の対魔力によって無効化されてしまうからだ。同士討ちになることはないのは幸運かもしれないが、カルデアのマスターとしては複雑である。
「埒が明かないですね」
「宝具を開帳するしかあるまい」
疲れを見せ始めるシータにジークフリートは坦々と答える。目立たないようにするためか、アーチャーはシータたちを宝具を使わず仕留めようとしていた。しかしそれもいつまで続くか分からない。ジナコは彼らのマスターではないが、宝具を今すぐにでも使ってほしいと思っていた。ヘラクレスを殺し尽くせる宝具を持ち出されれば、いかにジークフリートといえど相殺すら厳しく思える。
「頼んでも?」
「了解した」
シータの宝具は強力だろうが、弓の腕を思うと命中率には確証がない。必然、その役目はジークフリートへと回った。シータの矢がアーチャーの腕を切り裂いた隙を狙い、ジークフリートは後退する。
「邪悪なる竜は失墜し、世界は今落陽に至る──」
「宝具!」
ジークフリートが剣を構え、魔力を高めているのを見てアーチャーも悟ったのだろう。しかし気づくのが遅かった。アーチャーに身を守る宝具はなく、今から宝具で相殺しようにも間に合わない。
「撃ち落とす──」
剣の柄に嵌め込まれた宝玉が、魔力に同調して青く光り輝く。ジークフリートはそれに合わせ、剣を高く掲げた。竜を滅ぼした聖剣は、その美しさでジナコを魅せる。
「
その魔力に指向性が与えられようとしたとき、それは意外な形で無に帰した。
「止めなさい、ジークフリート」
そんな声が聞こえてきて、ジナコは自分の耳を疑った。ジークフリートも呆気に取られたのか、宝具のために高められた魔力は霧散する。朝焼けの木々の隙間から、地面を踏み締める音が聞こえてきた。
「予想通りの展開だけれど、流石に度が過ぎるわね」
「マスター、隠れていなさいと言ったでしょう」
「な……」
ジナコは今度は己の目を疑った。そんなことがあるはずがない。だってジナコはここにいる。だからこんなことはあり得て良いはずがないのだ。
「アンタ……」
「おはようございます、
明るい語調とは裏腹に、ジナコの目の前に立つ女性の顔色は陰鬱だった。眠れていないのか隈は酷いし、顔の赤みも酷く薄い。いや、青白いと言っても間違いではないだろう。そしてその体つきはジナコの知るものより、随分と痩せ細っていた。食べ物も喉を通らないのだろうかと聞きたくなる有り様だ。
しかしそのような相違点がありながらも、彼女は間違いなくジナコだった。どのパーツをとっても、ジナコとの共通点が多すぎるのだ。
そうしてもうひとつ、ジナコには聞き逃せない言葉があった。
「アーチャーは、アルジュナだったんすね」
「──ええ」
「そっか……」
アルジュナ。それはジナコのよく知る彼の、カルナのライバルであり、カルナを殺した相手だ。その名前を聞いて、ジナコの中に芽生えたのはアルジュナへの怒りだった。カルナの最後を思うと、それを成した相手のことを好意的には見られない。カルナは決して憎んではいないだろうけれど、ジナコにとってカルナはそれだけ重い相手なのだ。
それでもジナコにとってアルジュナは、長い間信頼を置いていた相手でもある。怒りは終息し、ジナコでも言葉に表せないような、複雑な気持ちがジナコの中にぐるぐると渦巻いた。
「む。そう言えば、真名については黙っとくように言ってたわね。ほら、ジークフリートさんの対策で」
「目立ちすぎるから、と上着を着るようにさせても真名は知られてしまったようですが」
「ふん。不可抗力よ」
アルジュナが己の名を明かさなかった理由。それはマスターからの命令によるものだったらしい。アルジュナには特にそういったものはないが、ジークフリートには明確な弱点がある。一人名を隠すよりも、全員隠してしまえば弱点が判明しにくいと考えたのだろう。その策は実に効果的だった。ジナコが最初から真名を知っていれば、アルジュナに対して邪険な態度をとってしまっただろう。
ジナコは無意識のうちに、手を固く握る。突然現れたもう一人のジナコに、アーチャーがアルジュナだったという事実。そんなことをジナコは容易に飲み込めそうにない。全てこの二人の手のひらの上だったなんて、とてもではないが信じられない。
「アンタ、本当にアルジュナのマスターなんすか」
「そうよ? アタシこそが本当の聖杯の持ち主。……安全のために穴熊決め込むのはもう止めることにしたの」
そう告げたカリギリに、アルジュナがチラリと視線を送る。それはいかにも咎めている様子で、彼らの計画とは外れた行動だったらしい。彼女はそんなアルジュナの視線など気にかけず、呟くように言葉を漏らした。
「……逃げられるなら、殺しておいた方が良かったかしら」
「どういう意味っすか……」
「そのままの意味よ? あなたの存在は無価値。こうして人質にしておいたのも、無駄な努力だったわ」
カリギリはつまらなそうに告げる。その言葉に、ジナコは怒りを覚えた。
ジナコの命の価値を決めるのは彼女ではない。ジナコがいつ死ぬのか決めるのも、彼女ではない。他人の命をそんな風に見下す相手が、ジナコには許せなかった。
──いや、本当はそんなことじゃない。ジナコは彼女を見ているだけで、無性に苛々してくるのだ。
「っ……歯ぁ食いしばれ!」
ジナコは弾かれたようにジナコと名乗った女性へと飛び掛かる。ジークフリートが「待て!」と叫んだが、そんな言葉は耳をすり抜けて行った。振りかぶった拳は彼女へと真っ直ぐに向かっていく。それを彼女はどこか薄ぼんやりとした表情でただ見つめるのみだ。
そして瞬間、視界がチカリと白く染まった。
ジナコの目の前に、地面へと膝を着く男のイメージが浮かぶ。ジナコはその男のことを知っていた。彼の名はガトー、臥藤門司だ。その男の目には、敗北への悔しさが滲んでいる。
でもこれはおかしい。だってジナコはそんなものを見たはずがないのだ。ジナコは月の聖杯戦争で勝利したことなんてない。ジナコはずっと用務員室に籠っていたのだから。
しかしそのイメージはこの一瞬で終わってしまう。
気づいたときには、先ほどと同じようにジナコの目の前には彼女がいた。そしてその拳は当然のように、アルジュナによって止められる。アルジュナはジナコの拳を掴むと、シータの方へ投げ飛ばした。そのまま地面へと打ち付けられたジナコは、自分の体が良くない音を出したことを自覚する。何本か骨折したに違いない。
「っ……」
痛みに歯を食い縛りながら、先程のイメージのことを思い出す。あれは一体何だったのだろうか。少なくとも、ジナコの記憶ではない。
そうして悩んでいると、側にいたシータがジナコの容態を確認し始める。それを横目に、ジークフリートとアルジュナは睨み合いを始めた。
ジークフリートはきっと、聖杯の加護あるアルジュナには勝てないだろう。ジナコはどうやって逃げるか、という風に思考をシフトさせ始めた自分を自嘲した。どこまで行ってもジナコは、自分本意の最低な奴だ。
鎧があったところでやはりジナコは今、怖くてたまらない。骨折だって、場合によっては死因になり得る。頭だってパンクしそうなくらい混乱していた。死ぬのは怖い。誰かが死ぬのも怖い。何かを失うのが怖くて怖くて仕方ない。
「アルジュナさん」
「分かっています」
カリギリがアルジュナにかけた言葉の意味が、ジナコには分かってしまった。彼女はアルジュナに、ジナコを殺せと言っている。喩え仮初めの契約を結んでいたとしても、無慈悲に矢を突き立てろと命じているのだ。
もう良いのではないか、とジナコの中に諦めが生まれた。果たして苦しんでまで生きる必要があるのだろうか。サーヴァントからの信頼を得ることも出来ずにこうして裏切られているのだ。今回は諦めて、リセットしてしまえば──。
「飲まれてはいけません!」
「シータ、さん……」
ビリリ、と耳に響くような声で、シータはジナコへと言葉を放った。その言葉に、ジナコははっとする。
あの人に憧れて諦めるのを止めたのに、リセットしようなんて馬鹿げている。死の先で再び安寧を掴もうとしたところで、この世界には、この今には何の影響もないのだ。ジナコにはまだするべきことも、今しか出来ないこともたくさん残っている。
「ありがとう、シータさん」
「無理に起き上がっては……」
「ううん。ボク、そう言えばまだ聞いてないってことを思い出したんすよ」
ジナコはシータに支えてもらいながら立ち上がると、アルジュナへと視線を向ける。ジナコは知らねばならない。それが彼のマスターとしての、正しい行いであるはずだ。ジナコはゆっくりと口を開く。
「アーチャー、アルジュナ。ボクの質問に答えて」
「……」
「アンタが聖杯にかける願い、それは何なんすか?」
清廉潔白で、正しいことを思い、行える人間。それがジナコの思っていたアルジュナという人物だ。しかし実際のアルジュナはきっと、それだけではない。
アルジュナは暫く沈黙を保っていたが、黙って見返すジナコに根負けしたのか、感情の見えない表情で答える。
「私の願いは何もかも終わらせることです。私自身も含め、全てを殺し尽くす。それを叶えられるのはきっと、マスターだけでしょう」
「それって……」
ジナコはその解答の余りの虚しさに、息が詰まるような感覚を覚えた。自ら諸とも破滅してしまいたい。世界を終わらせてしまいたい。そんな願いは確かに、人理焼却という目的と一致する。けれど、その願いには諦めしかない。あらゆる希望というものが完全に欠落しているのだ。
「アルジュナ、あなたの願いは本当にそのようなものなのですか?」
「そうです。それこそが私たちに必要なことだと確信しています」
シータが問い直すが、今度はきっぱりと言葉を返される。その言葉から感じられるのは、願いよりも義務感だ。ジナコはそれを分かっていながら、問い詰めることができなかった。アルジュナからの拒絶に近い言葉に、ジナコは臆してしまったのだ。
「問答は終わりですね。……では、我が矢を受け──」
「クー・フーリン!」
「あいよ、マスター!」
アルジュナの言葉を遮ったのは、ジナコのよく知る少女の声だった。木々の合間から飛び出てきた少女たちに、ジナコは体の力が抜けていきそうな感覚を覚える。
「焼き尽くせ木々の巨人!
クー・フーリンの朗々とした声が響く。すると巨大な藁人形のようなものが現れ、アルジュナの方へと迫った。逃れようにもこの大きさだ。マスターを守り抜くことを思えば、簡単には避けられないだろう。故に誰もが勝利を確信していた。
「
柄の部分に嵌め込まれた青い宝玉が光り輝く。ニーベルンゲン族を滅ぼして奪い取ったという恐ろしい経緯を持つ剣は、膨大な魔力を纏ってクー・フーリンの宝具と打ち合った。クー・フーリンは苦しげな表情をする。最高ランクの呪いの聖剣に、ドルイドの呪いは余りにも無力だ。
不意打ちぎみに放たれたクー・フーリンの宝具はあっさりと相殺され、ジナコの目の前には傷ひとつないアルジュナとそのマスターがあった。ジークフリートは追撃がないことを確認してか、剣を下ろす。
「マスター、怪我は?」
「ん。助かったわ」
ジークフリートがカリギリに確認する。その姿は正しく信頼し合うマスターとサーヴァントの姿で、ジナコは目を瞬かせた。
「ジークフリート、あなたは……」
「俺はマスターのサーヴァントだ。それに、お前の願いは叶った。カルデアのマスターとの再会が望みだろう?」
シータの言葉に、ジークフリートは当然のように返す。あらゆる望みに応えてきたサーヴァントであるジークフリートは、その呪縛から逃れることを選ばなかったらしい。
「ジークフリートさんは融通利かないわね。……だからこそこうしてこっちについてくれるんでしょうけど」
ジナコは何故か、そんなカリギリのジークフリートへの言葉に驚きを覚えた。彼女らしくないのに、彼女らしく感じたのだ。いくら外見が相似形を描いているとはいえ、ジナコに彼女のことが分かるはずはないのだが。
そうしていると、痺れを切らしたようにクー・フーリンが口を開く。
「事情は分かった。で? 続きはやんのかよ」
「そうね。確かに、あなたたち程度に手間取ることはないわ」
彼女は冷たい表情を浮かべる。緊張感とはまた違うような、何か恐ろしい雰囲気にジナコは肩をぶるりと震わせた。しかしその感覚も、すぐに霧散する。
「でも、今は見逃してあげる。どちらにせよ、遅かれ早かれこの世界は終わり。それはもう決まってるのだから」
彼女はそう告げると、アルジュナとジークフリートに視線を向ける。意を得たように二人が立ち去ろうとしたとき、彼女は思い出したように告げた。
「あ、シータさん、あなたもついてきて」
「……」
「まあ、神話と同じ最期を選ぶのもあなたらしいかもしれないけどね、大切な人に最後に会うくらいはしなさいよ。
二度と会えないとかいう話、アタシ大っ嫌いなのよね」
「……分かりました」
シータは先ほどまでの様子とは異なり、ことのほかあっさりと彼女についていこうとする。ジナコはシータに思わず声をかけた。
「待ってください、シータさん!」
「ジナコさん、これにて約定は満了です」
「ボクたちに協力したりとか……」
「ごめんなさい。敵対はしませんが、私にも願いがあります。喩えそれが刹那の瞬間であったとしても……」
立香に会えたからもう契約は終わり。そう告げるシータの理屈は分かるが、協力してもらえないのはやはりもどかしい。カリギリはシータに対して落ち着いた態度だが、それでも心配に思う。そんなことくらい、シータもわかっているのだろうが。
それほどに求めているシータの願い。それを否定することも、ジナコには出来ない。
「そんじゃ、そゆことで。精々頑張ってくれたまえ」
そう告げて彼女は去っていく。ジナコを心配した立香やマシュが駆け寄ってくれるが、ジナコの心は晴れないままだった。
アーチャー、アルジュナたちが去ってから、ジナコは立香とエジソンたちの元へ戻ることとなった。それまでの道中、情報を共有していたのだが、立香とエジソンたちは今、驚くべきことに野宿をしているらしい。その原因が、メイヴの宝具と思われるものだった。
「ワシントンには戻るなって言われてて……」
「メイヴの宝具……戦車以外にも宝具はあるんだと思うんすけど……」
メイヴは一流の戦車乗りではあるが、それがアメリカを窮地に陥れた宝具だとは思えない。かといって、どんな宝具か、どうすれば解決できるのか、なんて分からないのだが。
ジナコが考えていると、通信機越しにロマニが声をかけてくる。
『それにしても、通信機の電源を入れ忘れてたなんてね。危機感がないなぁ』
「今までまともに繋がったことがなかったからなぁ」
『それ僕のせいじゃないよね!?』
ロマニが自信なさげに突っ込む。ジナコはそれにくすくすと笑みを溢した。これまでも、そして今回も通信機に関してロマニに責任はない。
というよりジナコがわざとそうしていたのだったが、その事実は黙っておく。通信の傍受を警戒する十一歳。ちょっと怖い。
そんな中でも存在証明はどうにかなっていたようなので、そこは安心だ。素晴らしきかなジナコの幸運値。これまでのことを思えばマイナスかもしれないが。
「でも、通信機を使わなかったのは却って良かったかもしれないっす。おかげで、アーチャーの言葉が聞けた」
『アーチャーはやはりメイヴの、いや、ジナコを名乗る何者かの尖兵だったか。カリギリとかいう子から、聖杯の反応も感知できたしね』
「…………」
ダ・ヴィンチの言葉に、ジナコはただ沈黙する。カリギリは確かに、ジナコと同じだった。ジナコだからこそ分かる。あれは間違いなく自分自身だ。
故に、そこには疑問が残る。彼女がジナコだというのなら、どうしてソロモン王に加担するのか。聖杯を用いて、どんな願いを叶えようと言うのか。
「ジナコ。ジナコはあの人が誰か分からない?」
「あれはボクっす。けど……」
立香の問いにジナコは言葉を濁す。ジナコには彼女が何者なのか、全く見当がついていないわけではない。今まで節々で聞いてきたキーワード。それを思えば、カリギリがジナコでありながらもう一人存在することに理屈はつけられる。
けれど彼女がジナコなら、彼女の願いは叶えられない。何故ならこの世界のジナコはジナコだ。願いを叶えても、カリギリには何の意味も成さない。
『ジナコちゃん、悩んでるなら僕に相談してくれても……』
「いや、ロマンさんに相談するとめんどくさそうなんで遠慮しとくっす」
『酷くない!? 僕は悪いドクターじゃないよ!?』
「ドクター、その発言は却って怪しいかと……」
ロマニに相談すれば、ロマニが抱え込むことが増えてしまう。ロマニは天才だが、上手く心を切り替えることが出来ない質だ。ジナコはロマニに余計な負担をさせるつもりはない。ジナコにはいざとなれば鎧がある訳だし、多少のことなら問題ないのだ。
『話は変わるけどジナコちゃん、君、清姫がどうなったか知らないかい?』
と、ダ・ヴィンチが予め用意していたかのように質問する。ジナコはそれに、喉がヒュ、と鳴ったのを自覚した。ジナコは目を伏せると、悼むように告げる。
「清姫さんは亡くなったっす。ボクを守ろうとして、ボクが軽率なことをしたから。…………ごめん、なさい」
「……」
「そう、でしたか……」
立香は余りにショックだったのか、何も口にしない。マシュも辛そうな表情だ。カルデア一行の誰もが予想していたことではあったが、実際に聞くと実感が湧いてくる。ジナコが一番辛そうな表情なのも、それを助長していた。そんなジナコを慰めるように、ブーディカが口を開く。
「何があったかは聞かないけど、それは多分あなたのせいじゃないよ、ジナコちゃん」
「ブーディカさん……」
「何が最適な選択肢だったかなんて、結局分からないんだからさ。そのときに出来る精一杯をした。それで良いんじゃないかな」
ブーディカの言葉は、オケアノスでアキレウスに告げられた言葉に似ていた。正しいと信じてやったことが、大変な結末を招いてしまうこともある。それが戦場というものだ。
だがそれでも、ジナコは胸の罪悪感をなくすことは出来ない。清姫の最期の姿が目から焼き付いて離れないのだ。
あのときの混乱を思い出そうとしたジナコの感情の高まりは、鎧によって抑制されていく。ジナコはすぅ、と深呼吸した。この鎧はつくづく呪いじみて役に立つ。
「心配かけてごめん」
『今はジナコちゃんの無事を喜ぶことにしよう。聖杯戦争を生き抜いた優秀なマスターが一人、生きていることをね』
ロマニがそんなことを告げる。それはジナコへと言うより、立香たちに向けた言葉のように聞こえた。なるほど、言い得て妙ではある。ジナコは聖杯戦争で勝ち残ってはいないが、生き残ってはいるのだから。それが優秀さを示すかはまた、別の話ではあるけれど。
それから暫くして、「そろそろ到着するね」と立香が思い出したように告げた。確かに、景色が拓けてきている。それからジナコたちが更に暫く歩くと、エジソンの姿が視界に入った。どうやら、無事に合流することができたらしい。
立香たちの姿にエジソンは安心したように微笑むと、立香と再会を喜び合った。立香の人徳だろうか。立香はエジソンと、いつのまにか何のわだかまりもなく仲直りしていた。
それからエジソンの声かけによって、それぞれ野宿のために動いていたカウンターサーヴァントたちが集められる。ジナコはその中のメンバーに、僅かに目を見開いた。
「無事だったようで何より」
そこにいたのは緑衣のアーチャー。サーヴァント、彼はロビン・フッドだった。
マリオンという恋人と羊飼いのカップルだったという伝承もあるロビン・フッドだが、ジナコの知る彼は違う。ジナコもあの人伝てに聞いた話ではあるが、彼はシャーウッドの森の義賊としての伝承が元になったサーヴァントらしい。恐らくジョン欠地王に反抗した義賊の一人であると思われる。
彼もカウンターサーヴァントとして召喚されていたのか、とジナコは不思議な気持ちになる。アンデルセン、カルナ、とこうして月の聖杯戦争でのサーヴァントを見かけるのは三度目だ。エリザベートは除外するものとする。
「それで、オタクがジナコ=カリギリか?」
「はい。ボクがそうっす」
ロビン・フッドが確認するようにジナコに尋ねてくる。こうして話してみるのは初めてたが、近くで見れば中々の美男子だ。後十歳若ければ、思わず愛でてしまったに違いない。
それにしても、やはりジナコのことを覚えているのはカルナだけのようだ。嬉しいような、嬉しくないような微妙な気持ちにさせられる。
「まさかこんなガキンチョが、ねぇ」
「むぅ」
明らかに馬鹿にされているような、舐められているような視線に口を尖らせる。外見のせいだとは理解しているものの、腹が立つものは仕方ない。
ジナコはロビン・フッドに苦手意識を覚え、彼から視線を外そうとした。
「ぁ……」
とそのとき、ジナコの視界が暗くなる。一面が黒く滲んでいった。ジナコは訳も分からないまま、地面へと倒れ込む。ドサリという音がした。
「っ……何が……」
『今すぐ生体データのスキャンを……ジナコちゃん、肋骨が折れてるじゃないか!?』
ロマニが慌てた様子で叫ぶ。これくらいの痛みなら大丈夫かと思ったが、やはり大丈夫ではないらしい。ずっと前から痛みは自覚していたのだが、痛みで気が狂いそうになる前に鎧が働いてしまうせいか、余り重症だとは思えなかった。
『無意識かもしれないけど、呼吸が浅くなってたんだろうね。一部が無気肺に、えっと、肺から取り入れられる酸素が少なくなってる。肝臓の方は問題ないけど、所々罅が入ってるね』
「ドクターロマンだったかしら。私に診せて」
診断をつけていくロマニに、エレナが口を挟む。彼女が医者だったという話は聞かないが、大丈夫だろうか。そろそろ本気で、医神アスクレーピオスを召喚すべきかもしれない。エレナはジナコに近づくと、その体を抱き起こす。
「ちょっと押すわね」
「っ……」
「うん。確かに折れてる。専門じゃないけど、これくらいなら治せそうね」
エレナは普通の医者のように診断しながら、魔術書を取り出す。魔術的なアプローチで治療するつもりなのだろう。エレナ・ブラヴァツキーは魔術の天才。専門分野でなくとも、あらゆる魔術を解してみせる。
「我が手にドジアンの書」
それが魔術発動のキーなのだろう。エレナが詠唱を口にすると、その手が白く発光した。それと同時に、ジナコの胸部の痛みが薄れていく。
「よし、骨は修復できたみたいね。無気肺の方は複雑だから急拵えの魔術だと治せないけど」
『いや、肋骨がどうにかなったなら呼吸もちゃんと出来るだろうし、今は息苦しくても心配はいらないよ』
ロマニが安心したように告げる。普段カルデアの所長代理をしているせいか、こうして医者らしいことをしているのは珍しく思えた。ロマニはゆるふわしているせいか、医者らしく見えないのだ。
そんなことを考えていると、立香が近寄ってジナコの肩を掴む。ジナコは突然のことに、ゴホゴホと咳込んでしまった。
「ジナコ」
「ゴホ……立香さん?」
「私、言ったよね。無茶はしないでって」
その声は地を這うようなトーンで、ジナコは思わず生唾をごくりと飲んだ。立香が肩を掴む手が震えていることにジナコは気づいた。
「これくらいなら大丈夫っすよ」
「大丈夫じゃなかったじゃない! 大丈夫じゃないんだよ。ジナコ、もっと自分を大切にして」
「……」
言い聞かせるような言葉に、ジナコは閉口する。本当に大丈夫だと思ったのだ。それに、今はやるべきことがある。ジナコ自身のことは、それが済んでからでも問題ない。これくらいの痛みをあの人は抱えたまま戦っていた。ならばジナコもきっとやれるはずなのだ。
「ジナコ、さん……」
「フォウ……」
「マシュさんもフォウさんも、大丈夫だから安心して欲しいっす」
マシュは苦しげに目を伏せる。ジナコは寧ろ、マシュに無理をしてほしくなかった。マシュの経歴を考えれば、今がどれ程辛い状況なのか、ジナコには理解できている。
「ジナコ……」
立香がまだ言い足りないと言いたげに言葉を漏らす。ジナコはそれに、居心地悪そうに苦笑した。
人々がお互いを貶め合う。僅かな食糧を元に奪い合う。それは正に、暴動と言って良い光景だった。
力のない子どもたちや老人は、真っ先に追いやられる。しかしそれを誰も咎めようとしなかった。態々口減らしをするよりも、こうして自然に淘汰されていく方が誰にとっても受け入れやすい。
誰かの叫び声が聞こえてくる。しかしそれは雑踏によって、或いは何者かの悪意によって掻き消される。混乱する街の中では、誰を救うべきかも判然としない。
「酷い……」
立香が顔を顰めながら声を漏らす。その顔色は蒼白で、立香がどれほどの悲しみを覚えているのか、ありありと示していた。その横で盾を構えたままのマシュも、唇を噛み締める。二人にとって、こんな光景は初めてと言って良いものだった。
「っ……」
そしてジナコもまた、この光景にやるせなさを覚えていた。ジナコはこんな光景を知っている。前の世界で、そしていつか繋がるかもしれない未来において、この光景は不思議なものではない。管理社会とは即ち、人間の選別でもある。溢れた者たち、異を唱える者たちは中東に集まり、小競り合いを繰り返していたことを思い出した。
フランスの兵士たちも、ローマの軍隊も、ロンドンの市民たちもそうであったように、ここでもまた、人の命が失われている。
『確認のためとはいえ、やっぱりここに来るべきじゃなかったね。立香ちゃん、今すぐ戻ろう』
「…………うん」
ロマニの言葉に、納得しきれない様子で立香が答える。ジナコたちは、ワシントンの様子の調査のために、エジソンたちとは別行動をしていた。エジソンたちによってもたらされたワシントンの情報は有力だったが、メイヴの宝具を知るためにも、情報の精度を上げるためにも、直接調査をする必要があったのだ。
もしかしたら救える命があるのかもしれない。そんな後悔が、立香の中に渦巻いているのだろう。彼女の表情は悔しさに満ちている。しかしそれが不要な感傷であることも、立香は自覚していた。世界を救えるのが立香とジナコしかいないのなら、耐えねばならないこともある。
鎧がジナコの感情をリセットする。そうして、精神的に比較的余裕のあるジナコが立香を先導しながらワシントンを後にした。
三時間ほど経ったが、ジナコたちの言葉数は少なかった。人間の中の悪意に対して無知なマシュには特に辛かったらしく、沈痛な表情が変わることはない。
そんなワシントンからの帰還中、もうすぐ帰り着くということころで、ジナコは声をかけられた。緑衣のアーチャーこと、ロビン・フッドだ。
「ミドチャさん」
「な、何かその呼び方ぞわっとするんで止めてもらえます?」
ロビン・フッドは鳥肌が立ったらしい様子で腕をさする。BB辺りに何かされたのを体が覚えているのだろうか。記録がないのにこの様子は少し可哀想だ。
「えー、ジナコ=カリギリ、お前に用があるんだが……」
「ん、ジナコ、行っておいで」
こちらのことを配慮するように告げるロビン・フッドに、立香はジナコを促す。美男子に呼び立てられることに不信感を覚えたジナコは周囲をきょろきょろと見て全員の顔を確認した。全員特に何もなさそうな表情で、誰も助けてくれそうにない。
「むむむ。……はーい」
そんなジナコの返事にロビン・フッドはひきつった顔をする。しかし諦めたのか、溜め息を吐くと歩き始めた。ジナコは置いていかれないよう、慌ててその後を追う。
ロビン・フッドの歩幅は、ジナコの歩みより少しばかり速かった。ロビン・フッドはエジソンたちとの拠点からは少しずれた方向へ、真っ直ぐジナコを先導していく。進めば進むほど、森の奥まった方へと進んでいった。ジナコは首を傾げる。
「あ、あの、ロビン・フッドさん?」
「なんだ?」
「どこに向かってるんすか?」
この先に何か特別なものがあるようにはジナコには思えない。はっきり言えば、ジナコはロビン・フッドを疑っていた。いざというときは通信機で連絡をとれるよう、問いかけながら用意をする。
「人気のないところだ」
「なら、もうこれくらいで良いっすよね」
そう告げたジナコの言葉にロビン・フッドは足を止める。尤もだと思ったのだろうか。いや、そんなはずはない。ただ、これ以上進んでもジナコがついては来ないと判断したからだろう。ロビン・フッドは振り返り、ジナコの顔を見遣った。
「何かしようと思ってんなら止めとけ。警戒心がバレバレなんだよ」
「……警戒されるようなことをしてる自覚はあるんすか」
警戒心を指摘されたことに少し動揺しながらも、ジナコは言葉を返す。ジナコはロビン・フッドの企みに心当たりはない。少しでも情報を聞き出したかった。
「警戒なんて今更なんでね。俺は別に、正義の味方ってわけじゃないんすわ。オタクとおんなじでね」
「何の話っすか……?」
ジナコがロビン・フッドのことに詳しくないように、ロビン・フッドもジナコのことには詳しくないはずだ。だがロビン・フッドの発言はまるでジナコの内面をよく知っているかのように聞こえる。
ジナコが呆けていると、ロビン・フッドが顔を顰めた。そしてその姿が視界から消える。
「これは、
「ふーん。やっぱり知ってたか」
ジナコもあの人伝てに聞いただけの話だが、ロビン・フッドの宝具には姿隠しのマントがあるらしい。何度かメルトリリスから逃げたうち、一度目に助かった理由の一つでもある。しかしこうして敵に回ると、厄介なことこの上ない。
「何とか、しないと……」
ジナコは通信機に手をかける。通話しようとした途端に壊される可能性もあるが、何もしないよりずっとマシだ。そうしてジナコがスイッチを入れようとしたとき、ジナコの命運は尽きた。
「グ……」
「安心しろ。毒は塗ってない」
ジナコの背中から、激しい痛みを感じる。銀の刃が、ジナコの背を貫いていた。ロビン・フッドの手には、特に神秘を感じないナイフが収まっている。ロビン・フッドは毒は塗ってないと告げたが、どちらにしても何かが変わりそうにはなかった。ジナコは明らかに、致命傷を負っている。
「ジナコ=カリギリと聞いて、やはりと思った。あのときも、あの女はこうしてこちらの油断を誘ってきたからな」
あの女、それはジナコのことなのだろうか。思考を絶やさないまま、ジナコはロビン・フッドの独白を聞く。
「旦那の誇りを踏みにじった奴なら、平気でこんなことをするだろうさ」
「──」
鎧のせいか、痛みで意識を失うことはない。けれど、ジナコの体は何かを告げることはできなかった。旦那とはマスターのことなのか。誇りを踏みにじったとは何の話なのか。疑問が降り積もっていく。
「何も知らないふりして紛れ込みやがって。テメェだけは……」
「──」
許さない。そんな言葉が掠れて聞こえてくる。違う、という言葉はやはり口にできない。ロビン・フッドがナイフを抜いたせいか、血がどくどくと流れ出し始めた。このままでは、鎧の力を以てしても気絶するだろう。体が急速に冷え込んでいく感覚を覚えた。
何とか立っていたジナコが地面に倒れ込もうとしたとき、その体を誰かが支えてくれる。立香たちが来てくれたのだろうか。
「ナイフを下ろせ」
「オタクは……」
ロビン・フッドの驚愕の声が、静かな森に響き渡った。
「まるで子どもの癇癪のようだな」
「……言い訳はしない」
その声で理解した。何故か、カルナが助けに来てくれたらしい。カルナが自分のサーヴァントではないことは分かっているが、どこか安心してしまう。
「言い訳は不要だ。先ほどのことで気が立っているのは分かるが、彼女は無関係だ」
「何?」
カルナに対して後ろめたげだったロビン・フッドの態度がガラリと変わったのを、ジナコは理解した。二人の間に、冷たい空気が漂う。
「オタク、まさか……」
「考えている通りだろう。彼女が無関係なことはオレが保証する」
カルナの告げた言葉に、ロビン・フッドは疑念を隠さない。ロビン・フッドは案外、忠義を解する英霊だ。カルナのしていることは余りにも奇妙に映る。
「今回のことはオレの責でもある。ならば余計な混乱を収めるのも、当然のことだ」
「チッ……よく分からねぇが、マスターを思ってのことなんだな?」
ロビン・フッドはカルナに確認するように告げる。ロビン・フッドの中で、何か疑問が氷解したらしい。場に満ちていた緊張感は解けていく。
「そう見えることもあるだろう。オレの中に後ろめたさがあるのは否定できんがな」
「そうかい」
ジナコはどうにか和解しつつある二人を見守る。カルナのマスター。そういった言い回しはどうにも奇妙に思えるが、問いただすことは出来ない。理由は分からない──全く予想がついてないわけではない──が、ロビン・フッドに敵意を持たれている以上、火に油を注ぐつもりはない。
「だが俺は、オタクと仲良しこよしするつもりはないんでね」
「その方がお互いに良いだろう」
カルナの言葉を皮切りに、ロビン・フッドは逃げるように姿を消す。それを見守ってから、カルナはジナコを見遣った。ジナコは未だ出血したままで、まともに動けはしない。カルナは出来るだけ優しくジナコを持ち上げた。
「ジナコ、動かず寝るが良い。事情は目覚めてからだ」
「ぅ……」
動くと体力を消費するから、眠って温存しておいた方が良い。カルナが口にした、先ほどのこと、の事情については目が覚めてから説明する、といったところだろうか。ジナコはカルナの言葉を解釈し直す。
そうして寝るように言われたからだろうか。ジナコの瞼は重くなっていき、その微睡みに身を委ねた。
ジナコ=カリギリの死因は飛行機事故だった。膠着装置の故障か、エンジンの故障だったのか、混乱の中でジナコの記憶には残っていない。しかし確実な死因は分かる。胴体着水の失敗だ。
胴体着水は、海面と平行に着水すれば衝撃は交通事故程度のものに収めることが出来る。しかしその成功率は兎に角低い。旅客機ならば尚更だ。パイロットのテクニックと時の運が合わさって、漸く可能になる。そしてジナコは、その運に愛されていなかった。
最後に感じたのは、体がぐしゃりと潰れる感覚だ。着水に失敗すれば、その機体はコンクリートの壁にぶつかるような衝撃を受ける。人間の肉体はその重圧に耐えられるようには出来ていない。
その死に様がアイスバーンで亡くなった両親と酷似しているなんて、酷い皮肉だ。
少し時間を遡って、ジナコが月から帰ってきたときの話をしよう。ジナコは月でのことで今までの人生を思い直し、家に閉じ籠るのを止めることにした。
勿論、容易ではなかった。月でのことで多少改善されたとは言え、ジナコのPTSDは完治した訳ではない。通院しながら、ジナコはこれからのことを考えた。
まずは、旅に出よう。最初にカルナの故郷へ。次に、荒廃したママの故郷に。そして最後に係争地、かつてはウルクだった地で、あのギルガメッシュの言葉を嘲笑ってやろう。ジナコが何をするでもなく、人の歴史は途切れることはなかった。ジナコはこれから、凡庸な人生を歩めるようになるのだ、と。
ジナコは計画通り、とはいかなかったが旅をして、世界を見た。そうしてジナコが辿り着いた結論は、この世界は間違いなく、ここで行き止まりだろうという確信だ。西欧財閥が進めている計画は知っていた。誰もが平等な社会。誰もが不安を感じることのない世界。しかしそれが徹底した身分社会だということを、理解してはいなかった。
誰もが人生のレールを敷かれている。特権階級でさえ管理されている。その部分だけを見れば、確かに平等だろう。しかしその平等のからくりは、少数の犠牲によって成り立っている。
生まれつき死ぬことを定められている人々がいた。生まれつき与えられないことを定められている人々がいた。彼らは人生に、一体何を見出すのだろう。
ジナコの故郷も学生の時点である程度人生の歩み方は決まるが、その気になればその歩み方を放棄することも不可能ではなかった。だから死ぬことを定められた命に、悲しさを感じた。
人間には誰であれ価値がある。ジナコは彼の言葉を思い出した。であるならば、ジナコは彼に倣って与える人間になろう。ジナコはそのために、再び故郷から飛び出すことにした。武器や魔術がなくても、ジナコにも何か出来るはずだ。きっとジナコを待つ人はそこにいる。
しかしそんな誓いは、ジナコ自身の死によって無為に終わった。誓った側から死んでしまうなんて馬鹿な話だ。馬鹿な話だけれど、こうしてギルガメッシュの言葉通りになってジナコは思うのだ。
ジナコには今、
ジナコには世界は変えられないし、救えない。ジナコはそんな器ではない。それでも苦しんでいる人を見捨てることは出来ないのだ。ジナコはやはり小物だ。一番救いたいのは家族だけれど、そのために他人を踏みにじることは出来ない。
「世界を救うのは家族のついで、と言ったわね」
「うん。ボクにはそれくらいしか出来ない」
「でもそれは、嘘よ」
あのときと同じ会話なのに、彼女は全く違う言葉を返した。いや、夢とはそういうものなのだろうけれど。
「あなたが世界を救おうとするのは自己愛よ。あなたはただ、自分が楽になりたいだけ。あなたは誰もが幸福な世界、誰も切り捨てられない世界に安堵するというだけの話」
「うん。そういうこと、なんだろうな」
彼女の言葉はチクリと胸に刺さる。分かっている。ジナコは聖人ではない。ジナコはジナコの欲望で以て、世界を救おうとしている。
「どうして……嘘よ。私にだって分かるわ。あなたは本当は優しいだけ。あなたは優しすぎるわ。だからあなたは苦しんでしまうの」
「優しくなんてないっすよ。ボクはただ、我が儘なだけ」
白銀が揺れる。ジナコはそれに薄く笑んだ。
ジナコはとんでもなく我が儘で傲慢だ。世界を救う理由に、家族を言い訳にしている。けれどそれが違うことを、ジナコはもう自覚していた。だってジナコはもうずっと前から、誰かが死ぬのを許せなかったのだ。
それは、あの聖杯戦争で本選に参加出来なかった理由にも繋がってくる。ジナコは確かに、目の前に迫る死が怖かった。死ぬのが怖いのは、誰にでも当たり前のことである。
けれどそれよりも怖かったのは、ジナコが聖杯戦争で勝てば、誰かを殺してしまうということだ。ジナコは本当は、他人に刃を向けることが怖かった。これほど聖杯戦争に向いていないマスターも中々いないだろう。
「あなたはもう分かってるのかもしれないけれど、もし彼女が
「うん。きっと、そうすることになると思う」
彼女は口を噤む。これは夢なのだから自問自答に等しいのだが、知られているというのは格好がつかないな、とジナコは思った。
「っ……お願いだから、それは止めて」
「でも、私がそうしたいと思うから」
届かない星があった。ジナコにはどうにも出来ないものがあった。けれど、これには手が届くかもしれない。誰もが信念を抱えている。ならばそれも、許されて良いだろう。ジナコがかつて、許されたように。
彼女は苦笑するジナコの胸元にすがり付く。泣き崩れる彼女の背を擦りながら、ジナコはゆっくりと光に飲まれた。