ジナコさんinカルデア   作:クリシュナ実装はよ

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5.6 六度目の天秤

 ムーンセルが用意した電子世界。その虚構の一つである校舎からは、随分と人の姿が減っていた。それも当然のこと。残るは後二戦。伽藍堂の校舎には、サーヴァントを含め八人の人間しかいないのだ。そんなことを言えば、保健室のAIに人間扱いしていないことを不満がられてしまったが。

 

 私に立ちはだかったのは、年若いマスターだった。特に何か感じた訳でもない。これまで通り、確実に勝利を掴む。それだけのことだ。それだけに思う。私の願いは果たして、一二七人の命に釣り合うのだろうか。

 

 既に私は、五人の命を消費している。ならば、今更立ち止まることなど許されないだろう。それはこれまでの五人を蔑ろにすることに他ならない。それに、万能の願望器なのだ。たかたが百人の命なんて、安いものだろう。

 私は今回も、その命を摘み取った。

 

 

 

 

 

 

 夢を見ていたような、気がする。ジナコは記憶を思い出そうとしたが、思い出すことは出来なかった。起き上がろうと体に力を入れたところで、その体を押さえ付けられる。

 

「ジナコ」

「はい」

 

 何故か立香が睨み付けてくる。はて、何か立香に粗相をしただろうか。いや、思い当たるところなら腐るほどあるにはあるが。

 

「過労で倒れるくらいならちゃんと休んで」

「……はい?」

 

 過労と言われても、ジナコは健康的な睡眠時間を──摂っていたとは言えないかもしれないが、倒れるほどではないはずだ。とそこまで考えて、漸く事情を理解した。恐らくロビン・フッドとのいざこざを隠すために、カルナが立香にはそう伝えたのだろう。

 

 ならば痛みのない背中の傷を治療したのはエレナだろうか。立香とマシュには伝えずとも、エレナならそういった事情にも理解を示して協力してくれる気がする。お礼を言いたいが、近くにはいないようだ。

 

「わかった?」

「はいはい」

「ほんとにござるか?」

Ja.(ヤー)

 

 立香は「駄目だこりゃ」と言いたげな様子で頭を抱える。小気味良い会話に、ジナコは心が穏やかになった。特異点の中にあっても、心安らげるのは幸運なことだ。

 

『楽しそうなところ申し訳ないけど、ジナコ、落ち着いて聞いてほしい』

 

 ダ・ヴィンチがそう告げた途端、立香たちの空気が変わったのを自覚した。その緊張を孕んだ空気は、何か良くないことがあったのだろうと理解させる。ジナコは覚悟を決め、静かに頷いた。

 

『キャスター、エレナ・P・ブラヴァツキーが消滅した。ワシントンに行っている間に敵襲があったらしい』

 

 

 

 

 ジナコたちがワシントンD.C.に向かっている間、エジソンたちは襲撃を受けたらしい。相手は『ラーマーヤナ』の主人公にしてコサラの王、ラーマだ。ラーマはエジソンたちに全く悟らせることなく近づき、そして堂々と姿を現した。

 

 エジソンを守ろうと前に出たエレナに対して、ラーマは迷うことなく矢を向けたという。エレナは自壊を覚悟し宝具を使ったが、ラーマはしぶとく生き残った。三騎士特有の、高ランクの対魔力に依るものだろう。

 

 ラーマはエレナの捨て身に感銘を受けたのか、エジソンたちに自らの拠点を告げた。ワシントン州のシアトル。それがラーマの、そしてカリギリの拠点らしい。罠としか思えないが、カルナは嘘を見破ることが出来る。拠点がそこにあるのは事実なのだろう。

 

 ジナコはエレナの死にショックを受けた。エレナとは仲良くしたいと思っていたところだったのだ。ガトーの死のことも思い出し、口の中が苦く感じる。

 しかしジナコは表面上は冷静に受け止めた。これ以上立香やマシュにも、ロマニにも心配はかけられない。

 

 ワシントンでの疲れもあり、これからのことは明日に相談することになった。立香たちの去った木陰で、ジナコは一人横になる。体はもう治癒しているようなのに、どこか体が重い。

 空を見上げると、満天の星、そして空に浮かぶ大きな環が目に映った。ソロモンの七十二の悪魔はあの環からやって来たのだろうか。ソロモンの悪魔は、天使にも準えられる。もしもそうだったらとてもロマンチックだ。

 

 そうしてだらだらと考えごとをしているうちに、いよいよ眠れなくなってきた。ジナコは礼装のボタンをつけ直すと、起き上がり夜の森から抜け出す。暫く歩き、小高い丘の上に辿り着くとジナコは腰を下ろした。

 

「眠れないのか」

 

 ジナコは突然聞こえてきた声に肩を跳ねさせる。ジナコははたと思い至った。喩えここが特異点であろうとなかろうと、野宿で見張りを立てないのは危険に過ぎる。

 

「ちょっと、目が冴えちゃって……」

「ロビン・フッドのことか」

 

 カルナはそう告げると、ジナコの隣に腰を下ろした。その肩は座っているにも関わらず、とても大きく見える。背丈だけではない何かが、そこにはあるように思えた。

 

「あの男にはあの男なりに思うところがあった。ジナコには関係のないことだ」

「相変わらず、一言足りてないっす」

 

 ジナコは売り言葉に買い言葉で、文句を口にした。頬を膨らませると、首を傾げられる。ジナコは思わず「なんでさ」と言いたくなった。

 

「お前はオレの言葉を理解していると思ったが」

「そうであったとしても、理解してもらおうと努力するべきだと思うっすけど? うん。まあ、理解はしてるのはそうっすけど」

 

 そう告げると、カルナが僅かに微笑んだような気がした。尤もジナコの視界に映ったのはただの鉄面皮だったが。

 この会話の調子は、あの月の裏側でのことを思い出させた。暢気に日々を消費していたあのときとは違って、ジナコは今、確かに戦っているけれど。

 

「……ジナコ、お前はあの月でのことを覚えているな?」

「カルナさんこそ」

 

 カルナも同じことを考えていたらしい。会話は自然と、月でのことへと話題が切り替わっていく。

 

「英雄王の言葉通り、お前は戦っている。しかしジナコ、お前は戦うことには向いていない」

「知ってるっすよ。だってボク、誰かが死ぬのは怖いっす。白野さんみたいにはなれない」

「そうだろうな」

 

 誰かが死ぬのは怖い。自分も、仲間も、誰でも死ぬことは恐ろしい。ワシントンで見た光景も、ジナコには苦しくて仕方なかった。あの光景に、自分も死んでしまいたくなった。けれどやはり、自分で死を選ぶことも恐ろしいのだ。

 

「立香さんは白野さんとは違うっす。正義感に溢れてて、結構怖がりで、あんまりものを知らなくて、無駄としか思えないことをいっぱいしてる」

「岸波白野は読みが深く、物静かに見えて豪胆な性格だったな。恐れを知らないと思えるほどの在り方に、お前も怯えていた」

「一言余計っす。……立香さんと白野さんは全然違うのに、同じように世界を救おうとしてる。何か、不思議っすよね……」

 

 もし、どちらの方が難しいかと訊かれれば、ジナコも返答に困る。立香の戦いは旅する戦いだ。その旅路は困難を極めるだろう。比べて、白野の戦いは心の戦いだ。心を変えることは、銃の引き金を引くよりも難しい。

 

「立香さんはピンチになってから凄いっていうか、それから仲間を増やすのも上手いしなぁ。迂闊な発言をする割りにはサーヴァントの扱いが上手いし」

「ジナコはカルデアのマスターのことが好きなんだな」

「む……まあ、そういえなくも、ないかも?」

 

 カルナの率直な言葉に、ジナコは言葉を詰まらせる。ジナコはカルデアの者たちのことを、存外快く思っている。今は眠っている残りのマスターたちのことも、今は亡きオルガマリーのことも。当然立香やマシュ、ロマニやダ・ヴィンチのことも。

 

「お前にも信頼できる友がいることを喜ばしく思う」

「もうぼっちじゃないっていうか、もともとぼっちじゃないっていうか! 兎に角お父さんみたいな発言はなしで!」

 

 ジナコはカルナに叫んだ。カルナはその鉄面皮で毒を吐き返す。

 お互いに、どうしてあの月でのことを覚えているのか、なんことは訊かない。そんなことよりもこうして下らないことを口にする時間が楽しくて。いつかは終わると分かっている時間をそのために消費する。

 一方的な言い合いは、それから暫く続いた。白く明るい月が、その空に浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 翌朝、ジナコたちはエジソンたちから覚悟の言葉を聞いた。ラーマの言っていた、ワシントン州のシアトルを目指す。そして聖杯を獲得し、特異点の修復をする。

 エジソンたちは立香たちのこれからを信頼すると誓ってくれたのだ。

 

 勿論、問題は山積みだ。敵の拠点にどんな罠が仕掛けられているかと思うと気が重いし、エレナを失っていることでカウンターサーヴァントのバランスは崩れている。勝算は微妙なところだろう。

 

 そして、ジナコはサーヴァントを連れていない。それは特異点攻略において、大きなハンディキャップだ。本来ならば、安全なところで隠れているべきなのだろうが、戦いたいというジナコの意志を尊重してもらっている。 

 

 かといって新たにサーヴァントを召喚する気にもなれなかった。アルジュナとの契約が解除されてから、サーヴァントを召喚できない訳ではなくなった。

 けれど正直に言うならば、ジナコはサーヴァントからの裏切りが怖い。アーチャーに裏切られ、ジークフリートの真意を見抜けなかった。そのことがジナコに、サーヴァント召喚を避けさせている。

 

「とにかく、ジナコは無茶しないこと」

「分かってるっす。ボクはボクに出来ることをするっすよ」

「それならよろしい。ジナコはまだ子どもなんだから、おねーさんに任せときなさい」

 

 立香はそう言って胸を張る。しかしジナコからしてみれば、立香も十分に子どもだ。立香はこの第五特異点の間にも、着々と経験を積んで成長している。それでも彼女は決して、恐怖心がないわけではない。

 この人理修復という難題が少女一人の肩にかかっていると言っても過言ではない状況を、彼女はどう捉えているのだろうか。ジナコは立香に視線を向ける。

 

「ジナコ、どうかした?」

「いや、何でもないっす」

 

 立香の表情を見て、ジナコは理解した。こんな状況でも、立香は今に楽しみを見出だしている。痩せ我慢ではなく、生きている喜びを噛み締めているのだ。

 死んだガトーがまた笑った。ジナコはそんな言葉をふと思い出した。

 

 

 

 あれから昼前に森を出発し、凡そ五時間に及ぶ行軍でジナコたちはワシントン州へと辿り着いた。ジナコたちは拠点を攻める前に、一度休憩を取る。とは言っても、ワシントン州に人は残っていない。それがサーヴァントの戦闘による被害に気を遣ったものなのか、単に邪魔で排除されたのかは分からないが。

 

 サーヴァントの脚力を以てすれば、シアトルまではさほど時間はかからない。ここがジナコたちにとって、最後に休めるところだろう。と、ジナコはここまで来て、覚悟が決まりきらない自分がいることに気づいた。

 

 どうにも、ふわふわしているのだ。やるべきことは分かっている。カリギリから聖杯を奪取し、特異点の修復をすること。しかし、ジナコは自分でもカリギリやアルジュナに対して、どうやって立ち向かえば良いのか分からない。

 

 アルジュナの願いを知った。しかしそれは、果たして本当の願いなのだろうか。どうにも、ジナコの知るアルジュナの印象と異なる。ジナコの思うアルジュナは、もっと自信に満ち溢れていて、真面目な人間だ。わざわざ命を投げ捨てるようなことはしない。

 

 そんなことをつらつらと考え込んでいるうちに、最後の休憩の時間が終わる。地に足のつかない感覚を覚えながら、ジナコたちは再びシアトルへと向かった。

 

 

 

「良し、この怪しげな建物の奥がメイヴの居場所みてぇだ」

 

 クー・フーリンがルーンの刻まれた石を片手に告げる。シアトルに来てから、拠点を探すためにルーンを使ってもらったのだ。ラーマの言葉とも矛盾しないので、十中八九ここで間違いないだろう。

 

 とはいえ、この光景にはジナコも唖然とした。空を仰ぐと、そこにそびえ立つのは一本の高い塔だ。それは一九六二年、万国博覧会のために建設された塔、スペースニードルに他ならない。この時代には明らかに、あり得ない建物だ。

 

 しかし、神秘の気配は感じられない。となれば、この時代に建設された純粋な建物ということになる。というのは流石にあり得ないので、聖杯によるものだろう。万能の願望器というが、こんなことに使うのもいかがなものかと思ってしまう。

 

「そんじゃ、進むぞマスター」

「うん、お願い」

 

 立香はクー・フーリンの言葉に頷く。クー・フーリンが先導しようと一歩進んだとき、銀色の刃が彼の前に迫った。それをクー・フーリンは己の杖で反らしながら、一歩後ろへと後退する。

 

「ご挨拶じゃねぇか、おい」

「お前たちを待っていた。だが、ここより先に進むのは待ってもらおう」

 

 塔の入り口で剣を片手に、ジークフリートが告げる。やはり、ただでカリギリの元まで辿り着けるような都合の良いことはないらしい。ジークフリートは忠臣らしく、迷いない視線でジナコたちを見遣る。

 

「マスターからはランサー、カルナは見逃すように、と命じられている。カルナ、お前だけは先に行け」

「そうか。お前とは改めて格付けをしたかった。それだけが残念でならない」

 

 どういうわけか、カルナだけは見逃されるらしい。カルナはジークフリートと因縁があるのか、無念そうに目を細める。こういったところはカルナの悪癖かもしれない。バトルジャンキーというか、ウォーモンガーというか。強い相手を見ると刃を交えたがるのだ。

 

「ああ。俺も、お前と剣を交えるのは心が踊った。また相見えるときがあれば……」

「ああ」

 

 戦士同士の再戦の約束が果たされる可能性は極小だろう。それでもその光景は、ジナコには眩しく見える。

 

「それじゃ、この場は私たち、チームアイドルが受け持つわ。別に、誰も通すなとは言われてないんでしょ?」

「ああ。俺を止められるならな」

 

 エリザベートとエジソンという、現地のカウンターサーヴァント二人がジークフリートの相手を受け持つつもりらしい。チームのネーミングセンスはともかく、戦力的に不安が残る。弱点が明白とはいえ、相手は一級のサーヴァントだ。

 

「大丈夫さ。この筋肉を見たまえ。直流こそ至高だと証明してしんぜよう」

「マッスルとか美しくないからノーサンキューだけど、舐められたまま終わるつもりはないわ。搾取してこその貴族でしょう?」

 

 エリザベートがそう言って微笑む。強がりにしか聞こえないが、今はエリザベートたちを信じるしかない。

 

「エリちゃん、お願い!」

「任せなさい!」

 

 立香の激励にエリザベートは自信に満ちた回答をする。ジナコたちは頷くと、先に進むことにした。そうしないうちに、金属音が聞こえてくる。戦闘が始まったらしい。後ろ髪を引かれる思いをしながらも、ジナコたちは塔へと進入した。

 

 

 

 塔の中を進んでいくと、そこは伽藍堂だった。前の世界ではアメリカは無法地帯と化していたため、ジナコは本来のスペースニードルに入ったことはなかった。しかし、ここまで何もないのはあり得ないだろう。

 違和感を感じながら進むと、広間へと出た。そこはやはり殺風景で、あるものと言えば中央のエレベーターだけだ。

 

 そして、そこにはサーヴァントがいた。

 

「待っていたぞ、カルデア。よし、始めに言っておこうか。カルナとマスターそっくりの小娘は先に進め」

 

 そこにいたのはアーチャー、ラーマと思しき青年だった。その手に持つ弓から感じられる神秘もさることながら、本人の魔力も膨大だ。うかうかしていると、気絶しそうになる。ヴィシュヌの化身は伊達ではない。

 ジナコには分かる。このサーヴァントは、一級の英霊であるカルナよりも強大な力を秘めている。

 

 そうして圧倒されているうちに、ふと先程の発言にジナコは違和感を覚えた。カルナが先に進むのは、目的は分からないが理由は分かる。しかし、明らかに不要な単語が足されていた。

 

「ボクもっすか!?」

「マスターと同じ顔なのに殺すのは興が乗らぬわ。さっさと行け」

 

 ラーマはしっしと手を振る。羽虫でも相手にするような扱いだ。確かに、少年にして完成された能力を持ち、成長後は魔王を相手取った理想王ラーマからすればジナコは虫のような存在ではあるだろうが、少しばかり切ない。

 ぼうっと馬鹿なことを考えていると、二人のサーヴァントがジナコたちの前に出た。

 

「なら、ここは僕とジキルにお任せあれ」

「ほう? サーヴァントたった二騎とは、余も舐められたものだな?」

 

 ダビデの言葉が気に入らなかったのか、ラーマの表情が険しくなる。ダビデも大英雄には違いないが、生まれ以ての武人ではない。そこがラーマにとっては難点なのかもしれなかった。そんなラーマに、ダビデは飄々とした笑みを浮かべる。

 

「試してみなきゃ分からないだろう?」

「ほう?」

 

 ラーマが腹立たしげに、或いは興味深そうに目を細める。両者がいよいよ武器を構えたとき、ジナコはふと思い出したように尋ねた。

 

「待ってください。ラーマさん、シータさんは!」

「……シータは先に帰った。ほんの一瞬であったが、最後に見えたのだ。余はその分力を振るおう。マスターの心意気には応えねばな」

 

 ラーマの言葉は独り言のようだった。それにジナコは首を傾げる。ジナコには分からなかったが、それはラーマとシータに働いている離別の呪いが正しく機能したということだ。であるなら、結果は明白。

 

 ジナコはそれに特に口を挟むことなく、ダビデたちに頷いた。ダビデたちも安心させるように頷きを返す。ジナコたちは信じて、先に進むことにした。

 

 

 

 それからエレベーターに乗り、カリギリたちがいるであろう頂上を目指す。何とかと煙は高いところが好きというやつだ。エレベーターはとんでもないスピードで上昇し、窓から見える景色は瞬く間に変わっていった。

 ところがその景色が突然、ブラックアウトする。

 

「っ……何が……」

 

 突然真っ暗になったエレベーターから、移動しているときの重力が感じられなくなる。どうやら停止してしまったらしい。咄嗟にドアを開くボタンを押すと、そこには本来あるはずのない階層があった。まだ頂上へは辿り着いていないはずだが、これはどういうことだろうか。

 

「ここ、頂上じゃないよね?」

 

 立香がそう告げてその階で降りるのを追うように、マシュたちがエレベーターから出ていく。ジナコもそれを追おうとしたとき、扉が突然に動き始めた。

 

「あ──」

「ジナコ!」

 

 ドアに挟まれかけたジナコの手を、カルナが咄嗟に引く。間一髪で挟まれずに済んだが、その代わり立香と引き離されてしまった。立香は無事だろうか。

 ジナコは通信機のスイッチを押して、立香に連絡を取ろうとする。しかし、反応はなかった。ジナコは方針を変え、カルデアへと通信を繋ぐ。

 

「ドクター、ドクターロマン。聞こえてるっすか?」

『じ、ジナコちゃんは無事か! ごめん、悪いけど今立香ちゃんの反応が完全に消失してて……』

 

 そこまで告げると、ロマニとの通信が切れてしまった。どうやら、立香は今危険な状況にいるらしい。ジナコはつい、溜め息を吐きそうになる。よく立香とはぐれてしまう呪いでもかかっているのだろうか。

 

 何はともあれ、いよいよジナコとカルナの二人きりになってしまった。こうなってしまえば諦めもつく。或いは、これこそがカリギリたちの狙い通りなのかもしれない。カリギリたちにジナコとカルナが相対する。そんな状況を求めているのだろうか。

 

 ブラックアウトしたエレベーターは、尚も動き続ける。そうして暫く動いたところで停止した。最早、ここがどこなのか検討もつかない。

 ジナコは誘導されるまま、エレベーターの外へと足を踏み入れる。喩え罠だったとしても、何もしないよりマシだ。

 

「カルナさん、取り敢えず進もう」

「そうだな」

 

 ジナコの言葉に賛同し、カルナはジナコの後をついてエレベーターの外に出た。外はやはりブラックアウトしており、展望テラスも僅かな灯りで照らされている程度だ。ここには一体どんな意味があるというのだろう。 

 

 歩き回る二人の間に会話はない。元々口数の少ないカルナはともかく、ジナコには会話をする余裕すらなかった。暗闇は本能的に、ジナコの中の恐怖心を呼び起こす。ジナコは鳥肌が立つのを自覚しながらも、慎重に足を進めた。

 

 

 

 そうして歩き続けるうちに、ジナコたちはいつの間にか拓けた場所へと迷い出た。灯りも光量が多くなっており、周囲の様子が多少はよく見える。しかしこの建物は見れば見るほど妙だ。ここに辿り着くのにそこそこ歩くことになったことから分かるように、実際の大きさと体感した広さが異なっている。

 

「メイヴもアルジュナもいないっすね……」

「ジナコ、オレの後ろに下がれ」

 

 そのまま前に進もうとしたジナコをカルナが制する。すると暗がりから足音が聞こえてきた。全く気配を隠す気がないらしい。

 

「メイヴっすか?」

「いや、これは……」

 

 カルナが何かを告げようとするのを遮って、暗がりから人影が飛び出す。

 

「──」

「シャドウサーヴァント!」

 

 微少特異点でよく見掛けるその存在は、ジナコにはよく見慣れたものだ。しかし、今回だけは相手が悪かった。

 

「清姫、さん……」 

「──」

 

 その姿は紛れもなくバーサーカー、清姫だった。シャドウサーヴァントになっているからか、常は饒舌な口は咆哮しか発しない。当然、ジナコの事情も分かってくれるはずはなかった。

 

「清姫さん、ボクは……」

「待て、ジナコ!」

 

 ジナコが飛び出してしまったのをカルナは止めようとしたが、邪魔が入る。シャドウサーヴァントは清姫一人ではなかった。カルナはそれを払い除けながらも、唇を噛んだ。

 

「やっぱり、怒ってるっすよね……でも、ボクは」

「──」

 

 清姫の咆哮が、広間中に響いた。体中に、ピリピリと痺れたような感覚が広がる。それでも、後悔に満ちたジナコは歩み寄るのを止めない。ここにいる清姫が別人であることもすっかり忘れ、贖罪という自己満足に浸ろうとする。

 

「清姫さ──」

 

 しかし、そこまでだった。突然飛びかかった清姫が、ジナコの腹部を殴り付ける。それだけで、ジナコは意識が遠くなっていくのを自覚した。体が宙に舞うと、地面へと叩きつけられる。血だけではない。内臓まで零れ墜ちていくような感覚に、ジナコは漸く恐怖を思い出した。

 

 ここまでされて、生きていける人間はいない。ジナコは再び死んでしまうのだ。何も成せないまま、死んでしまう。それがとても辛くて、ジナコは目を固く閉じた。

 しかし、来るべき死が訪れない。ゆっくりと開いた目で腹部を見遣ると、そこは何もなかったかのように傷が癒えていた。

 

 夢、ではない。傷はないが、血に塗れ、穴の空いた礼装がそれを証明している。となれば、答えは限られた。

 

「カルナさん……」 

「安易に自己満足に走るな」

 

 カルナは極めて厳しい口調で告げる。いや、当人としては厳しく言ったつもりはないのだろうが、そう言われても仕方ない言動だったことをジナコは自覚していた。

 そうしていると、清姫と同じように誰かも分からないシャドウサーヴァントたちが次から次へと現れる。

 

「あ、そうか……今召喚すればカウンターサーヴァントの対応が遅れるから……」

 

 なぜこのタイミングで多くのサーヴァントが現れるのか。それは抑止力を警戒してのことに間違いない。カリギリは、ここで決めるつもりなのだ。

 

「一体一体は弱いが、数が多いな」

「カルナさん、真……いや、何でもないっす」

 

 ジナコはカルナに真言、ブラフマーストラの使用を命じようとしてそれを止める。ジナコはカルナのマスターではない。それはジナコの役目ではないのだ。

 しかしこうしていても無駄に時間を消費するだけだろう。何とか封じ込める策はないものか。

 

 そのとき、突然霧がジナコたちを覆った。害はないだろう目眩ましの霧。このやり方に、ジナコは覚えがある。

 

「カルナさん!」

「ああ。間違いなくあの男のものだろう。ジナコ、この隙に行くぞ」

 

 カルナはジナコを担ぎ上げると、霧に紛れながらシャドウサーヴァントたちの間をすり抜けて行く。そうしてジナコたちは無事、人気のない場所へと抜け出ることに成功した。ジナコは安堵に胸を撫で下ろす。

 

「良かった……」

「ジナコ、怪我はないか」

「うん、あの霧に上手く紛れられたみたいっす」

 

 ジナコはカルナから床へと降りると、腕を広げながら告げる。確認するまでもない。今のジナコを傷付け、殺し尽くすのは容易なことではないだろう。

 

「カルナさん」

「なんだ」

「あのときっすか」

 

 ジナコはカルナに目を合わせながら告げる。それはあらゆる虚偽を許さない、鋼の意志の顕れだった。

 

「ロビン・フッドさんに刺されたとき、ボクを治したのはカルナさんっすね」

「その通りだ」

 

 ジナコの目は節穴だった。いや、ジナコだからこそ見逃してしまったのだ。カルナの体を覆っていた黄金の鎧。それは今、ジナコの中へと納められている。それを証明するように、カルナの姿はあの、月の裏側でのものに変わっていた。

 

「カルナさんの不死身の鎧があれば、助かるのも頷けるっす」

「ああ。父から授かった鎧だ。それは保証しよう」

 

 カルナは何でもないように答える。それが、ジナコには酷く痛ましく見えた。この鎧は、そんな程度のものではないはずだ。ジナコはバラモン僧ではないし、カルナも沐浴中ではない。そして何より、ジナコ=カリギリは施しの英雄、カルナのマスターではないのだから。

 

「こういうの、止めてほしいっす」

「……」

「ボクは、アンタの主じゃ──」

「待て。その前に、頼みがある」

 

 話を遮って告げられた言葉に、ジナコはポカンと口を開く。どう考えても今告げるような言葉ではないのだが、カルナの表情は真剣そのものだ。ジナコは訝しみながらも、続きを促すように黙り込む。カルナはそれを分かってか、戸惑いなく口を開いた。

 

「オレと再び、契約してほしい」

「────は?」

 

 ジナコは己の耳を疑った。嬉しいような、もやもやするような、ジナコにも把握できない感情が生まれてくる。いや、それ以前にカルナとは契約しない。それがジナコに協力する条件だったはずだ。 

 

「一言、足りないっす」

「そうだな。ジナコ、これはオレの我欲だ。オレは再び、お前と契約を結びたいと思っている」

 

 我欲、というものを口にするのは珍しい。カルナはマスターの槍に徹するようなサーヴァントだ。強敵との戦いへの熱意はあれど、どこか自己が薄いところがある。故に、そんなことを告げるとは思っていなかった。

 

「どういう、ことっすか」

「この先に進めばオレはきっと、アルジュナと相対することになるだろう」

 

 カルナの言葉には、妙に説得力があった。この先にいるのはメイヴではなくアルジュナ。言われてみれば、そんな気もする。メイヴならきっと、クー・フーリンと相対することを望むだろう。

 

「ならばジナコ、お前はオレのマスターとして奴と対峙して欲しい」

「何が言いたいのか、分かんないっす」

 

 そんなことを告げられても、ジナコはカルナの言葉を受け入れられない。ジナコはどうあがいても路傍の石に過ぎないのだ。全てに対して等価値だと世界を見るカルナが、そんな道理に合わない選択をするのが理解できない。

 

「…………オレも巧くは言えないが、オレはお前がマスターであって欲しいと思っている。ならばきっと──」

 

 カルナが独り言のように何かを呟いた。その声がどこか、後悔に満ちているような気がして、不謹慎にもジナコは嬉しく思ってしまった。カルナも、自分の後悔を省みることが出来る。その事実が、ジナコの心を軽くした。

 

 結局、ジナコにはカルナの言いたいことは分からない。けれど、何だか問い詰めるのも馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 

「良いっすよ」

「……そうか」

「それじゃ、えーと……」

 

 どこか呆気に取られた様子のカルナを尻目に、ジナコは再契約の呪文を頭の中から探し出す。月の聖杯戦争では必要のない知識だったので、直ぐには思い出せなかったのだ。ジナコは頭の中で文言を一通り確認すると、そっと口を開く。

 

「──告げる。

 汝の身は我の下に、我が命運は汝の槍に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら──」

 

 魔力が体の中で暴れ出し、身を裂くような痛みを感じる。魔術を使用する代償としての痛みが、ジナコにこれが現実だと否応なく見せつけた。

 

「我に従え。ならばこの命運、汝が槍に預けよう──」

 

 もう痕すら残っていない令呪のあった左手が熱を持つ。月の聖杯戦争での、初めての契約のことをジナコは思い出した。ジナコのことを守ってくれた、あの頼もしい背中を。

 

「我が父、スーリヤの名に懸け誓いを受ける──ジナコ、これよりオレはお前の槍だ」

 

 カルナはそう告げ、ジナコの手に己の手を重ねる。瞬間、手にジクリとした痛みが走った。左手を見てみると、そこには三画の令呪が刻まれている。

 

「これはカルデアの魔力か? 霊基の調子が随分と良い」

「良し、カルデア式の契約がちゃんと出来てるみたいっすね。ボクの貧弱な魔力だけってことにならなくて良かった」

 

 ジナコはへらりと笑う。カルナに全力を出させてあげられなかった。それが月の裏側での心残りだったのだ。とそこまで考えて、重要なことを思い出す。

 

「カルナさん、そう言えば鎧、どうすれば……」

「持っておけ」

 

 カルナは何でもないように告げる。ジナコは頭を抱えた。このサーヴァントはこういうところがある。頭を抱えつつも、口は止まらない。

 

「いや、待ってよ! ボク取り出し方分かんないし!」 

「そうか。なら、後で返してくれれば良い」

「え──」

 

 ジナコはカルナの言葉に絶句した。断言するが、カルナは人に施したものを取り返そうとすることは決してない。実際、取り返そうとしなかったからジナコはこうしてここにある。そのカルナが今、何と言った。

 

「この鎧はいざというときの保険に過ぎないが……そうだな。こうして与えたものを返してもらうというのも良いかもしれない」

「…………」

 

 ジナコは何も口にしないまま、悲しげに目を細める。それに生前のうちに思い当たっていれば、カルナがあんな末路を迎えることもなかったかもしれない。

 『マハーバーラタ』の登場人物は皆、因果応報な結末を迎える。しかしカルナだけは違った。カルナだけは苦しんだ先に、幸福が与えられることはなかったのだから。

 

「それじゃ、約束する」

「ああ」 

 

 ジナコはカルナの手を握る。カルナもジナコの手を握り返した。

 

「必ず返すから」

「承知した」

 

 カルナが微笑むのに合わせて、ジナコも微笑む。この誓いだけは破るまい。そんな思いの籠った笑みだった。

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