ジナコさんinカルデア   作:クリシュナ実装はよ

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5.7 七度目の空白 

 

 最後に相対したのは、老練な戦士だった。一目見れば分かる。彼は高潔で、誠実な騎士だ。女王の命令なれど、彼はこの戦いを個人のものだと認識していた。その真っ直ぐな姿勢が、私には羨ましく見える。

 

 そうだ。私は羨ましかった。彼は、勝つために外道になる必要がない。そのことが堪らなく悔しかった。私のサーヴァントは行動の善悪を問わない。けれどそれは、私に罪がないということではないのだ。私は多くの罪や間違いを重ねてここにいる。

 

 老練な騎士は問うた。私がどのような心持ちで勝負に挑むのか。私に戦いに挑む覚悟があるのか。勿論、口にした訳ではない。けれど、そんな問いが行動の端々から読み取れた。覚悟はある。私は願いのためなら、あらゆる手段で勝利を勝ち取ろう。  

 

 そうして彼に仕える、皮肉屋の癖に正義感のある騎士を陥れた。彼の最後の叫びを、私は忘れないだろう。私は罪人だ。私はこれまでの十五年の全ての人間の生涯を、蔑ろにしようとしているに等しい。

 そうして苦しみの中で抱き続けた願望を、私は──。  

 

 

 

 

 

 

 

 シャドウサーヴァントたちのいた場所から暫く歩いたが、新たなサーヴァントの気配は見つからない。カルデアのAIによる自動探索機能を使っても、何も反応はなかった。少し自分のハッカーとしての自信をなくす。

 

「ジナコ」

 

 カルナの言葉に、ジナコはカルナを見遣る。その視線は一点を見ていた。ジナコもその視線の方を見ると、そこにはエレベーターがある。

 

「もしかして、一周してきたってこと?」

「そのようだな」

 

 随分と長く歩いたような気がしたが、一周回っていたらしい。何もなかったからこれで終わり、とはジナコには思えない。思うに、ここまでは他のサーヴァントを振り落とすための行程だったのではないだろうか。カリギリはそれだけ、カルナを自分の元へ連れていきたいらしい。

 

 ここにエレベーターがあるのも、そういうことだろう。これに乗って次に止まった階が、カリギリたちのいる階層だと推測できる。

 ジナコはカルナに視線を向ける。カルナはジナコを信頼するように頷いた。

 

「よし、行こう」

「ああ」

 

 

 それから妨害を受けることもなく、ジナコたちは塔の中枢、最上階へと辿り着いた。塔の大きさからは考えられないほど広い室内は豪華絢爛で、悪趣味にすら思える。

 そんな部屋の奥に、奇妙なことにも玉座があった。しかしその席は空白だ。

 

「来たのね……」 

 

 玉座の側に立っていた彼女がどこか寂しげに呟く。ジナコはゴクリと唾を飲んだ。

 

「うん。来ると思ってたわ。このときのためにこうしているわけだし」

「アルジュナさんは?」

「ここよ」 

 

 ジナコの問いに、彼女は何もない玉座に視線を向ける。するとそこにアルジュナが現れた。霊体化していたらしい。

 

「アルジュナさん、止めてくれるつもりはないんすね」

「ええ。私にも、望みがありますから。それに……」

 

 アルジュナは敢えて言葉を区切ると、カルナの方に視線を向ける。その目に映るのは、敵意、だろうか。

 

「どうやらあなたはカルナのマスターとして、正式に契約したようですね」

 

 カルナの万全な調子を見て、カルデアからの魔力供給に思い至ったのだろう。アルジュナはそんなことを口にする。ジナコは無意識に、手の令呪を撫でた。

 

「うん。カルナはボクのサーヴァントだし、ボクはカルナのマスターっす」

「そうですか……それは、残念です。あなたがカルナのマスターである以上、私とあなたの道が交わることはない」

 

 アルジュナは落ち着いた調子で言葉を返す。ジナコもそんな答えは分かっていた。アルジュナを止めるにはきっと、もう刃を交えるしかない。これ以上の言葉は頑なになるだけだろう。

 

「ジナコ、もう一人問うべき相手がいるだろう」

 

 カルナが何気なく告げる。失念していたが、確かに彼女のことも忘れてはおけない。彼女が本物のジナコであれ、そうでない者であれ、彼女の立ちはだかる理由も知らないままではならないだろう。

 

「うん、それじゃあジナコ=カリギリ。アンタはどうして、こんなことをしてるんすか?」

「そうね。あなたにはそれを知る資格がある。だってあなたはアタシだもの」 

 

 彼女はジナコと彼女が同一人物だと告げる。その言葉に違和感はなかった。ジナコも感じている。彼女はジナコそのものだ。魂の形が同じなのだ。

 

量子記録固定帯(クウォンタム・タイムロック)というものがあるわ」

「……聞いたことないっす」

「まあ、そうでしょうね。そもそも、ただの世界の一要素でしかない人間がそれを観測し、理解するというのが不可能に等しいことだもの。……平行世界という概念なら知っているかしら」

 

 耳覚えのない言葉に、彼女は丁寧に言葉を選んで説明しようとする。彼女が親身になって教える理由がジナコには分からなかった。もしかしたら、共感してもらおうとしているのだろうか。

 

「うん。アンタは、平行世界のボクっすね?」

 

 ジナコがそう告げると、カリギリは目を見開いた。どうやら、ジナコの推測は的中していたらしい。最初の特異点であのサーヴァントが言っていたように、彼女もまた、平行世界の同一人物というわけだ。

 

「驚いたわ。その通りよ。アタシはあなたのあったかもしれない可能性の一つ。終わる世界から来た漂流者。だから、よく聞きなさい」

 

 カリギリはそう告げると、少しゆっくりと呼吸をする。ジナコは目を細めた。

 

「この世界には無数の平行世界があるわ。けれどね、世界の存続には莫大なエネルギーが必要なの。この人理焼却も、それを利用しようとしているみたいね。馬鹿馬鹿しいことに」

 

 カリギリは吐き捨てるように告げる。彼女はこの事件の主犯、ソロモン王のことを良くは思っていないらしい。 

 

「無数の平行世界の中でも、可能性の少ない世界。選べる選択肢の狭められた世界はね、剪定される運命にあるわ」

「剪定……」

 

 恐らく額面通りの意味なのだろう。話が抽象的で理解しにくいがこれは恐らく、世界の在り方に、神と呼ぶべき視点に近しい話だ。人間が知るべきではないことだ。

 

「そうならないよう、人の歴史っていうものにはセーブポイントがある。それこそが量子記録固定帯。可能性の固定された地点よ。そしてその地点の過去は改変できない」

「過去の、改変……」 

「そのときを生きる者だけが選択できる。当たり前だけど、憎らしいわね」

「……待って、それじゃあ──」

 

 ジナコがその事に思い当たるのは直ぐだった。過去へと介入できない。それが意味するのは、ジナコがかつて抱いていた願いは、叶うことはないということだ。それが決められた、歴史の流れだと言うのなら。

 

「もう手遅れだけれど、悔いのない生き方をおすすめするわ、アタシ。経験からのありがたい忠告よ」

「……いや、おかしいっす。何でそんなことを知ってるのか以前に、そもそも過去への介入なんて魔法の領域っすよ。アンタがボクなら、そんなことは出来るはずはない」

 

 ジナコ=カリギリは魔術を碌に使えない。それは純然たる事実だ。性格的なものも大きいだろうが、魔術に向いていないのは一定の事実だった。それが時間遡行、或いはそれに近しいことを成せるなど、笑えない冗談だ。

 

「自分の成長とか、考えないのかしら……まあ、その通りなんだけど。アタシ()()その力はない。けれど、あなただってよく知っているはずよ?」

「…………」

 

 ジナコは沈黙を返す。それはジナコにとって、当然の反応だった。何故なら仮にジナコの推測通りだったとしても、それもまた不可能だからだ。ジナコでは聖杯戦争に参加することは出来ない。それは確かな事実なのだ。

 

「……アタシは分かってなかった。自分が死ぬことは知っていても、誰かを殺すことになるのを分かってなかった」

「アンタ……」

「多くの犠牲を出して、百人以上の人間を贄にして、私は願いのために勝ち続けた。けれどその願いは──」

 

 理屈を抜きにして仮に、もしも仮にジナコが聖杯を手に入れることができたとして──その願いが決して叶うことのない夢物語だと悟ったとき、果たしてどれ程の絶望を味わうことになるのだろう。固く握り締められたカリギリの手が、ジナコには痛々しく映った。

 

「あの苦しみも、道半ばで亡くなった誰かの命も全てが無為に終わった。アタシはそれが……!」

「マスター、もう良いでしょう。それ以上はあなたのためにならない」

 

 アルジュナが気遣うように彼女に告げる。その言動には確かに、彼女への信頼が見えた。そしてカリギリもまた、アルジュナを信頼しているのだろう。それ故の、聖杯戦争での勝利だったのかもしれない。そんなジナコの思考など構うことなく、アルジュナは再び口を開いた。

 

「問答はここまでです。カルナ、お前とも決着をつけよう」

「アルジュナさん、戦わないって選択肢はないんすか」

 

 ジナコは再びアルジュナに問う。彼女の話が事実なら、ジナコと彼女は戦う必要はない。この世界と彼女の事情は全くの無関係だ。であるなら、交渉の余地はある。

 

「マスター、どうしますか」

「勿論、止めるつもりなんてないわ。八つ当たりだって言うのは分かってる。けど、アタシはこの世界が、希望を持って戦い続けるカルデアのことが憎くて憎くて仕方ない。だから、あなたたちは私が殺す」

 

 どうしようもなく行き場のない感情を吐き出すように、彼女は告げる。彼女はかつてのジナコと似ていた。もう後がないから何でも出来てしまう。そんな破滅的な思考回路を持っている。その姿がこれほど痛ましく見えるなど、ジナコは知りたくなかった。

 

「ジナコ」

「うん。ボクも覚悟を決めたっす。カルナさん、力を貸して」

「オレもこの戦いには思うところがある。全霊を以てこの槍を振るおう」

 

 カルナがジナコの心を鼓舞するように宣言する。ジナコはそんなカルナの期待に応えたかった。ジナコがマスターとして出来ること。その明確な答えがひとつある。

 ジナコは左手を掲げた。

 

「第一画の令呪を以て命ず──カルナさんはこの戦いで、如何なる呪いの影響も受けないで」 

「なるほど。その心遣いを受け取ろう」

 

 カルナは心なしか気分が晴れやかになったように見えた。ジナコが意識したのは、カルナにかけられた呪いの一つだ。それは、窮地において真言を使えなくなる呪い。カルナの死因でもあるその呪縛から、カルナを解き放つ。

 そしてジナコは更に、赤い刻印に魔力を籠めた。

 

「第二画の令呪を以て命ず──カルナさん、その全力をここで見せて!」

「ジナコ、それはお前を苦しめるだけになる。無駄な命令だ」

「もう、そんなこと知らないっす! 良いこと言ったのに! とにかく何も考えずにボクの魔力──持ってけ!」

 

 カルデアからの魔力供給もあるはずだが、流石大英雄。ジナコの貧弱な魔術回路からもぐんぐんと魔力が吸われていく。これできっと、カルナは全力を発揮できるだろう。

 三画目の令呪は手元に残す。カルデアの契約なら使いきっても死にはしないだろうが、もしものためにも残しておきたい。

 

「たかが令呪二画。そんなもので聖杯のバックアップを受けるアルジュナさんに勝てるとは思わないことね」

「ジナコ、いや、アルジュナのマスターよ。ならば何故お前はこうして、正々堂々とオレたちの相手をする」 

 

 ジナコを忌々しげに睨んでいた彼女に、カルナがそんなことを告げる。確かにカルナの言う通りではある。こんな風に回りくどくカルナだけを誘導しようとしなくても、落とし穴にでも落としてしまえば良かったのだ。実際、立香たちは似たような状況になっている。

 

「それはあなたたちが取るに足らない相手だからよ。アルジュナさんなら何の問題もないわ」

「嘘だな。虚飾で取り繕っても、お前は己のサーヴァントに対して甘いところがある」

「…………まさか、知ってたの。知っているのにカルナ、あなたは私の敵になるの」 

 

 カルナと彼女の言葉の意味がジナコには分からなかった。しかし何かをカルナが知っていたことはきっと、彼女にとって許せないことだったのだろう。

 

「そういう契約だ。それに、オレのマスターはお前がかつて捨ててしまったものを持っている。それこそがお前にとって必要なものだった」

「何それ……訳がわからないわ。それとも、アタシに何も知らないお子様でいろっていうわけ?」

「お前が捨てたものはそんなものではない。立ち止まり、時に逃げ、思い悩むこと。結論が同じであっても、その時間こそが意味を持つ」

 

 何故カルナがそんなことを告げるのかはジナコには分からなかったが、要するに彼女はジナコと違い、戦うことを選んだ。一心不乱に、思い悩む暇さえなく、ただ願いのための結末を目指した。そんな選択が、そんな生き方こそが彼女を苦しめることになるとは知らないで。

 

「アタシは、私は何も間違ってない! アルジュナ! カルナを殺しなさい! あなたの矢でアレを射抜いて!」

「分かりました。マスター、あなたに勝利を」

 

 彼女の言葉を皮切りに、アルジュナは弓を構えた。その弓から一本矢が放たれると、それから矢継ぎ早に矢がカルナへと降り注ぐ。しかしそれを甘んじて受けるカルナではない。カルナも槍を構えると、矢を次々と切り払っていった。

 

 その光景は正しく神話の再演だ。ジナコはそれに思わず身を震わせる。ジナコはカルナを信じているが、『マハーバーラタ』の再演となると話は違う。神話通りであるならば、アルジュナがカルナに勝利するのは当然の流れなのだから。

 

「ねぇ、あなた」

「なんすか」

 

 余裕があるのか、ジナコに彼女が話しかけてくる。ジナコはカルナたちへの視線を外さないまま、耳を傾けた。

 

「本気でカルナさんがアルジュナさんに勝てると思ってるの?」

「ボクはカルナさんを信じるっすよ」

 

 ジナコの言葉に、彼女は明らかに機嫌を悪くした。舌打ちをすると、カリギリは言葉を続ける。

 

「そう。じゃあ、あなたのお仲間たちは? 本気であのラーマさんに、メイヴさんに、ジークフリートさんに勝てると思ってる?」

「多分、全員が生き残ることは出来ないっす。でも、戦わなきゃどっちにしろおしまいだから」

 

 ジナコは分かっていた。孤独な戦いを強いられているロビン・フッドは、消耗戦の後に消滅するだろう。キャスターのクー・フーリンではメイヴの戦車は崩せないだろう。ラーマ相手にダビデでは、機を逃しかねないだろう。エリザベートがジークフリートと相討ちになっても尚、勝てるかは怪しい。

 

 それでも、ジナコたちは戦いから逃げたりはしない。ジナコは逃げることを悪だと思っている訳ではなかった。それでもジナコの後ろには、助けられるかもしれない人たちがいる。このアメリカで今、一人一人と亡くなっている人たちだ。

 

「分かってるの? 今あなたたちが放置しているせいで死んだアメリカの人々は助からない。ただ辻褄が合うだけなのよ」

「何をそんな当たり前のことを……」

 

 ジナコはそう問い返そうとして、はたと思い当たる。

 

「辻褄が合う? ……ああ、だから」

 

 ジナコはカリギリの言葉に、漸く納得と共に頷いた。時代と歴史とのズレの正体。それはジナコたちが特異点で歴史を修正したからのようだ。

 ギルガメッシュも言っていた。人理とは、大きな人の歴史の流れだ。つまり、大筋は変わらなくとも小さな変化はもたらされる。死者が還らないように、ジナコたち自身が何かを変えうる劇物だったのだ。

 

「カルデアは暢気な奴らばかりだって思ってたけど、あなたは違うのね。あなただけは分かっていながらも戦っている」

「はぁ……? よく分かんないっすけど、ボクは別に大したことは」

 

 そうして彼女の言葉に返答していると、爆風がジナコへと襲いかかった。部屋の壁へと転がっていくが、鎧のおかげか怪我はない。

 

「いっつ……」

「ただの魔力弾で簡単に吹っ飛ぶほど弱いのに、よくやるわね」

 

 みっともない様子のジナコに対し、彼女は余裕があるらしい。ジナコは彼女に見下ろされながらも体勢を立て直す。

 

「馬鹿みたいね。良い? メイヴさんの宝具を放置している時点でもう、特異点は崩壊しているに等しいわ。あの宝具はもう、メイヴさんがいなくなっても効果を発揮し続ける」

 

 彼女は諭すように言葉を紡ぐ。

 

「あなたたちはもう、終わった特異点のために戦っているのよ。そしてあなたたちでは、聖杯は獲れない。だってカウンターサーヴァントと聖杯に呼ばれたサーヴァント。そのバランスは最初から崩れてるんだもの」

「まさか、何か召喚にズルをしたんすか」

 

 そう、ジナコにアルジュナを契約させたように、聖杯戦争に参加していたという彼女も何か召喚の抜け道を知っているのだろうか。

 

「ズルはしてないわ。私はただ頼んだだけ。あなたの聖剣を私たちに貸してほしいってね」

「……ジークフリートさんは、カウンターサーヴァントだったんすか」

「そうよ」

 

 明らかにおかしいとは思っていた。エジソン、エレナ、ロビン・フッド、エリザベート、カルナ。この五人では到底、メイヴたちに対抗する戦力として釣り合っていない。ならば、彼女の言葉は真実ということだろう。

 

「裏技をしようかとも考えていたけれど、こっちの方が無理がない。無理がない策は成功しやすいわ。人理側でクリームヒルトが召喚されていなくて幸運だったわ」

 

 無理がない策は成功する。当然のことだ。第一特異点の記録がないらしいジークフリートは、裏切る可能性も低い。何故なら彼は、頼まれたら断らないという性質を持っている。彼に信念を与えない限り、強力な剣となるだろう。

 

「なら、カルナさんにも声は掛けたんすか」  

 

 ジナコはふと浮かんだ疑問を口にする。カルナもまた、ジークフリートと似た性質の持ち主だ。しかも彼は最初に声をかければ絶対に裏切らない。そんな優良物件でもあるのだ。声を掛けない理由がない。

 

「……かけるわけないでしょう」

「え……な、なんで?」

「うるさいわね。カルナのことなんてどうだって良いでしょう!」

 

 驚いてつい問い詰めてしまったジナコに、彼女は激昂する。

 

「聖杯よ。我、ジナコ=カリギリが乞い願う。そこの女を拘束して」

「っ……」

 

 彼女が聖杯に願った途端、ジナコは指一本動かすことが出来なくなる。過程を省略して願いを叶える願望器、聖杯。それはジナコと同じく魔術に長けていないだろう彼女でも、死と再生の女神の名を持つキュベレイの魔眼じみたことを可能にする。

 

 

 

 そのとき、世界がズレた。

 

 地面に倒れ伏すカルナ。その向こうには見たことのない男が立っている。男の周囲には烏が飛び交い、不気味な様子だ。そんな男が手に持つのは莫大な魔力の塊。そう、あれは聖杯だ。それをジナコは手にして──。

 

 

 

 チカリと視界が切り替わり、元の景色へと戻る。二度目にしてジナコは悟った。何者かに聖杯を渡されていたということは、これは彼女の記憶だ。

 

 鎧をつけているのに影響を受けてしまう。それは当然のことだろう。同じ人間の記憶だ。それが存在することは、なんら異常なことではない。精神干渉ではなく精神同化であるならば、この鎧は防ぐことはないようだ。

 

 しかしそのことを口にすることも出来ない。聖杯は正しく機能を成し、ジナコは一言も話すことは出来ないのだ。そんなジナコを尻目に、彼女は高らかに告げる。

 

「そうして大人しく最後の時を受け入れなさい。アルジュナ、第二宝具の開帳を許可するわ。──カルナから、勝利を勝ち取りなさい!」

「マスター、あなたに感謝を」

 

 ずっと撃ち合い、斬り合いの小競り合いを続けていたアルジュナとカルナの空気が変わる。それは重々しく、ひりつくような感覚だ。殺意ともまた違うこの感覚は、戦闘への高揚がもたらすものだろうか。

 

「カルナ、私は全力のお前を打ち倒す」

「ああ。お前を相手に手を抜くことなどない。ジナコ、宝具を使うぞ!」

 

 カルナの手元に槍が現れる。しかしそれはどこか物足りないものだった。理由は明白だ。槍の一部であるはずの鎧を、今ジナコが所持している。それがカルナの槍を中途半端にしているのだ。

 

 なら、ここが使い時だろう。

 

『第三画の令呪を以て命ず──カルナ、この鎧の力、一度だけ受け取って!』

 

 ジナコは心の中で念じながら魔力を左手に流す。令呪というのは、マスターの強い意思によって発動する。そしてこの命令は問題なく発揮された。

 

 カルナの手に輝く槍が厳めしく、強力な魔力を放つ。実のところ、ジナコもこうして目にするのは初めてだった。カルナの本気。全身全霊の姿。これこそがあるべきカルナの姿に違いない。

 

「我が槍の暴威を以って、お前を焼き尽くす。

お前の内にある暗き炎が、お前自身を燃やし尽くすまで消えぬと云うなら、オレはそれを焼き尽くすのみ。

 行くぞ。時は来た。ここが貴様の死地と知れ!」

「今だけは余計なことは忘れよう。カルナ、私は確かに清廉潔白ではない。だが、ここで倒れるような真似はしない! それが私の、決めたことだ!」

 

 カルナの槍に魔力が満ちていくのと同時に、アルジュナの手から弓が消失する。その代わり、その手にはカルナに引けを取らない魔力が充満していた。

 

 神話に曰く、アルジュナはシヴァ神からパーシュパタという弓を賜っている。普段持っている弓がアグニのガーンディヴァだとすれば、アルジュナのもう一つの宝具はパーシュパタで間違いない。 

 

 パーシュパタ。それはシヴァ神が宇宙を破壊するために持つ、多様な形に変化する武器だ。それはつまり、形なき弓。かつてラーマも所持していたという、三界を、世界を七度破壊する概念。

 

「神性領域拡大、空間固定!  我が怒りと祈りを捧げ、カルナ、貴様に勝利しよう!──行くぞ! 破壊神の手翳(パーシュパタ)!」

 

 莫大なエネルギーが爆発する感覚。視界を覆う一面の光。これこそが『マハーバーラタ』最高の弓か、とジナコは感動してしまいそうになった。しかしこのまま終わらせるほど、ジナコのサーヴァントは甘くない。

 

 アルジュナの父でもあるインドラから賜った、カルナの誠実さの証。インドラの持つ最高の槍であり、神をも殺すたった一度の最高の一撃。

 

「神々の王の慈悲を知れ。インドラよ、刮目しろ。絶滅とは是、この一刺。

 灼き尽くせ、日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)!」

 

 強大な魔力がぶつかり合う。彼らの生前には実現しなかった全力の弓と槍の一撃。その熱量に焼かれながら、ジナコはその顛末を見守る。決して目を反らしたりはしない。それがカルナのマスターとしての、責務だ。

 

『ジナコ』

 

 光に飲まれ行く中、カルナからの念話が聞こえてくる。それはとても穏やかな声音だった。

 

『お前は確かに、お前を待つ者に手を貸すことが出来た。オレがそうであり、アメリカの者たちがそうであり、これまでのお前の全ての旅路がそうだ』

 

 誰でもない誰かが、誰でもないジナコを待っている。そう言ったカルナの言葉をカルナもまた、よく覚えていたのだろう。ジナコは懐かしさに目を細める。

 

『そのことを誇れ。お前はもう、何かを成せた』

 

 まだ何も成していない。そう嘆いていた時のことを思い出す。何も成せないまま終わった少女のことが、脳裏に浮かんだ。

 

『だからこれから何を選ぼうとも、お前は誰にも恥じることはない。例え誰が何と言おうと、オレはその選択を認めよう』

 

 ああ。彼も分かっていたのか、なんて奇妙なことを考える。虫の知らせというか、ジナコ自身も分かっていた。ジナコはきっとそれを選んでしまう。

 ジナコの命はきっと、このときのためにあったのだ。

 

『くれぐれも、あの約束のことは忘れるな』 

 

『うん。絶対に、必ず果たすよ』

 

 ジナコが微笑んでそう告げると、光が段々小さくなっていく。カルナの声も、もう聞こえなくなった。これで終わりなのだとジナコは理解する。不思議と、悲しさはない。

 ここから先はジナコの戦いなのだと教えられた。だから光に焼かれながらも、ジナコは立ち上がる。ジナコにかけられた拘束は、いつの間にか解けていた。

 

 光が止んで、そこには空洞が生まれていた。ジナコのサーヴァントとの繋がりも、今は感じられない。最後の言葉は本当に聞こえていたのか、なんて下らないことを考えた。どちらでも変わらない。結果は明白。カルナの敗北だった。

 

「勝った、の……?」 

 

 疑わしげに言葉を放ったのはカリギリだった。信じられないような表情で虚空を見つめる。

 

「やった……勝った……勝ったわよ! アルジュナさん! ……私たち……ようやく!」

 

 煤煙にまみれながら、彼女は嬉しそうに跳び跳ねる。アルジュナが正々堂々とカルナを打倒した。この事実はカリギリにとって、とても意味のあることだったのだろう。

 

「ええ、そう、ですね」 

「アルジュナさん、アンタ……」

 

 ジナコはぎょっとしたように声を漏らす。考えてみれば当然のことだ。あれほどの宝具の余波を受けて、普通無事でいられるはずはない。聖杯に守られ、安全な位置にいた彼女。ギリギリで鎧を戻されたジナコだけが安全なところにいたというわけだ。

 

「流石父の宝具……これほどまでに壊されるなど……」

「アルジュナさん! 聖杯よ、我が願いを聞き届けよ。アルジュナさんを治して!」

 

 落ち着いたアルジュナに対し、彼女は慌てたように治療を施す。しかしこれほどの傷だ。そう簡単には治らないだろう。

 アルジュナの右腕はダラリと垂れ下がり、全く機能していないように見える。左腕も右腕ほどではないが、充分酷い傷だ。片目もおびただしい血が出ている。足だってどうして立てているのか分からない。

 

「っ……すぐには治らないか……」 

 

 カリギリは苦渋に満ちた声で呟く。そして目を閉じると、覚悟を決めたように瞼を開いた。

 

「……ならアルジュナ。最後にジナコ=カリギリを殺してみせなさい」

「アンタ!」

 

 ジナコは反射的に声を上げる。殺されそうなことに憤っているのではない。彼女の選んだ、残酷な命令に憤っているのだ。

 

「分かりました」

「……」

「ジナコ=カリギリ。せめて一撃で殺して差し上げましょう」

 

 アルジュナは震える手で弓を持つと、矢と弦を口に加える。片手が動かない以上、彼にはそうするしかなかった。でもそれはやはり、良くない。ふわふわとしていた何かが今、カチリと嵌まったような気がした。

 

「ねぇ、アルジュナさん。アンタはなんで戸惑わないんすか」

「は?」

 

 ジナコの問いに呆気に取られたのか、アルジュナの口元から矢が落ちていく。ジナコはそれに気を向けることなく言葉を続けた。

 

「アルジュナ、アンタは何で何も考えずに行動してるんすか?」

「何の、ことですか。何も考えていないなど……」

「ボクの知ってるアルジュナは──」

 

 ジナコはクリシュナと語り合うアルジュナを脳裏に浮かべる。

 

「沢山思い悩んで、誰かの言葉に耳を傾けて、答えを探し続けてる人っす。アルジュナさん、アンタは何で彼女に従ってるんすか?」

「……死は救いです。死だけが救いだ。だから思考なんて不要です。私はただ成すべきことを……」

「思ってもないことを、言わないでよ」 

 

 ジナコはアルジュナの言葉を否定する。アルジュナの言葉には真実の重みがない。それは与えられた言葉だ。アルジュナが納得しただけの物真似に過ぎない。

 

「自分が死ぬのは良い。だって、救われたいって思うのは仕方がないから。それはその人の選択。咎めることではないっす」

「なら……」

「でも、死を望んでない人を、他人を殺すのは救いじゃないっすよ」

 

 死の先に救いがある。全ての人は神の国に招かれ、あらゆる幸福を享受する。そんな救いがあることをジナコは否定しない。けれど、それを他人に押し付けるのは間違っている。

 

「アルジュナさんだって間違ってるのは分かってたはずっす。でも悩むことを止めた。自分は大丈夫だって言い聞かせて。そんなの違うっすよ」 

 

 だって人間は、迷って当然だ。迷って、立ち止まって、正しさを探して、けれど失敗して。そんな歩みにこそ、重みが生まれる。一つ一つに意味などなくとも、無駄ではない。

 

「アルジュナさん、彼女の言葉を聞くことはないわ。あなたは間違ってない。あなたがどんなに悪人だろうと、私はあなたが間違ってないって信じる」

 

 アルジュナを庇うように、カリギリが一歩前に出る。アルジュナはそんな彼女に、不可解そうに目を見開いた。そのことに不思議と、ジナコは嬉しい気持ちになる。

 

「そっか。カリギリ(ボク)、アンタ良いマスターっすね」 

「っ……何が言いたいのよ! あなたの綺麗事なんてアタシは知らない! 私はそんなもの捨てたのよ……なのに……」

 

 悲痛な声が彼女から漏れる。その一言一言はジナコの心に痛いほど刺さった。彼女はジナコだ。であるからこそ、ジナコは彼女に共感しすぎてしまう。

 

「アタシの勝利に意味はなかった。アタシには最初から、やり直しなんて認められてなかった……。こんなの、酷すぎる……! どんなに努力したって無駄だっていうなら、皆にも教えてあげようと思ったのよ……。この世界にはもう終わりしかないって! どう足掻いたってどうにもならないって!」

 

 彼女の言葉からは、挫折の絶望がひしひしと伝わってきた。あらゆる全てを擲った結果、何も手に入らなかった。その事実はどれだけ人の心を苦しめるのか。その答えがここにはあった。

 

「それは違うっす。何も無駄じゃなかったし、まだ何も終わってない」

 

 それをジナコは、あっさりと否定してみせる。

 

「だから、それを意味のあるものに変えよう」

「──え?」

「ボクはそれを、意味あるものに変えることができるっす」

 

 そんな耳あたりの良い言葉をジナコは紡ぐ。それに彼女は信じられないとばかりに首を振った。それはそうだ。奇跡というのは代償なしには起こせない。彼女が聖杯に辿り着くために、多くの人を犠牲にしてきたように。

 

「戯言を……」

 

「そうだな。どうやら汝らの計画は戯言に終わるらしい」

 

 怒りに満ちた言葉に水を差したのは、意外な人物の声だった。

 

「ラーマさん……」

「ん? 裏切ったか、とでも問うつもりか? 余は最初に言ったはずだがな。余は汝らの友ではない。余は余がしたいことをする、と」

 

 赤い装束を身に纏ったサーヴァント、アーチャー、ラーマが柱の影から姿を見せる。その姿はアルジュナに負けず劣らずボロボロだ。そんな体を押してここに現れた理由。それはジナコには、思い当たるところがあった。

 

「アタシを殺しにきたの?」

「当たらずとも遠からず、か。余はな、妻の頼みを聞き入れただけよ。汝らの命運が尽きるとき、憂いを残さぬようにせよ、とな」

 

 シータは最後の言葉を夫、ラーマに託した。それは実のところラーマではなく、彼女を思いやってのものだ。シータは己のマスターを快くは思っていなかったが、その不幸を望んではいなかった。

 

「ジナコ!」

「マスター、ジナコさんはあちらです!」

 

 立香やマシュたちが玉座の間にやって来る。ラーマの命運が尽きる、という言葉は、彼女たちの敗北を意味していたようだ。

 

「まさか、メイヴさんたちが負けるなんて……」

「そうだ。そして──」

 

 ラーマは言葉を区切ると、カリギリに向かって突進する。アルジュナがそれを庇おうとするが、ボロボロの肉体では間に合わなかった。ラーマは彼女の手にあったものを力尽くで奪い取る。

 

「聖杯はここにある。……ほら、カルデアのマスター、受け取れ」

「わっ!」

 

 立香はラーマから聖杯を受け取る。それを切欠にしてか、ラーマの体は光に包まれ始めた。光の粒子になっていく様子は、紛れもなくサーヴァントの消滅だ。

 

「定礎復元による強制退去……ってことは……」

『立香ちゃん、ジナコちゃん、直ぐにレイシフトするから!』

 

 慌てた様子のロマニの声が響く。それについ、とでも言うように、立香とマシュは鑪を踏んだ。そしてジナコはそんなロマニの声を聞いた瞬間、密かにそのスイッチを入れる。

 そうしてレイシフトにそれぞれ動揺を見せる室内に、一際大きな声が響いた。

 

「そんな、私、ここまでやったのにまた!」

 

 その慟哭が広がった途端に、玉座の間に静寂が満ちる。カルデアの面々も、呆気に取られたようだ。誰も微動だにしない。 

 それを破ったのは、彼女のサーヴァントだった。

 

「マスター、どうやら、私たちの敗北のようです」

「え……?」 

「あなたも分かっているはずです。私たちにはもう、勝ち目はありません」

 

 アルジュナは残酷な真実を告げる。彼女はそれに首を振りながら、何も言えずに黙りこくった。アルジュナはそんなカリギリの頭に、がさつに手を置く。

 

「最後に聞いてください」

「アルジュナ、さん……?」

 

 彼女は突然のことに動揺する。何故なら彼女のサーヴァント、アルジュナは、自分から意見を滅多に言わない。そんな彼が末期の言葉を、そうだと自覚しながら紡ごうとしているのだ。しかしそんな彼女の反応を待っていられないとばかりに、アルジュナは息も絶え絶えに告げる。

 

「マスター、あなたは優しすぎた。サーヴァントのことなどただの兵器として扱うのが最善と知りながら、サーヴァントの心を重んじた。それこそがあなたの美点であり、敗因でしょう」

 

 ジナコはアルジュナの事情など知らない。しかし彼の言葉には理解できるところがあった。だって彼女はいつも、己のサーヴァントをどこか気にしていたから。

 

「マスター、私はあなたに感謝しています。あなたは私を認めて、そして機会を与えてくれた。私はとうに、この手を汚す覚悟をしていたというのに」

 

 アルジュナの覚悟、それはもしや、カルナを謀殺することだったのだろうか。生前と同じ顛末を迎える。そういった覚悟を持っていながらも、彼女は彼にカルナとの一騎討ちをさせた。

 ジナコには彼女のそんな気持ちが分かる。だってカルナにチャンスが与えられなかったように、アルジュナにだってチャンスがなかったのだ。それは機会を与えたくなる。

 

「だから私はもう、充分です」

「なに、それ。アタシは、私は私のことしか考えてなかったのに! まだ終わってない! そんな──」

 

「うん。まだ、終わってない」

 

 ジナコがそう告げた瞬間、全ての歯車が噛み合った。

 

『レイシフト対象、変更。スキャン、完了。霊子パターン、同一であることを確認しました。ジナコ=カリギリのレイシフトを開始します』

 

 そんな無機質なアルトボイスが響くと共に、彼女の体が光の粒子に包まれる。彼女の体は今、レイシフトしようとしていた。

 

『え? な、何これ!? 始めからレイシフトしているのは偽ジナコだったことになってるだって!?』

『っ……これはトロイの木馬か! この天才に気づかせないなんて!』

 

 ロマニとダ・ヴィンチの慌てたような声が聞こえてくる。そう、ジナコの開発した特異点観測用AIには、こんなコンピューターウイルスが仕込まれていた。レイシフトに関する権限を全て奪い取り、レイシフト対象すら変更させる機能だ。こんなこともあろうかと、こっそり仕込んでいたというわけである。

 

「待って、待ってよジナコ! それってジナコはどうなるの!?」

『レイシフトという行為には幾つか制限がある。その一つが、カルデアに帰還する人間は増やせないってこと。つまり……』

「まさか、ジナコさん!」

 

 ダ・ヴィンチの言葉に、マシュが苦しげに声を漏らす。つまり、そういうことだ。カリギリがレイシフトするなら、ジナコは必然的にこの特異点に残らねばならない。

 

『っ……どうするにせよ時間が足りない! ジナコちゃん!』

「うん。だけどボク、分かっちゃったんすよね」

 

 ロマニの悲痛さを含んだ声に、ジナコは微笑みを返す。

 実のところジナコは既に、一度死んでいる。故にジナコは今、何となくサーヴァントの気持ちが分かっていた。サーヴァントは生者に仕え、生者を優先する。それは生者にはまだ、その先があるからだ。

 

 一度死んでしまったあのときから、ジナコの物語はとうの昔に完結していた。ここにあるジナコはその残滓に過ぎない。けれど彼女の物語はまだ、これからだ。頑張っても幸福になれなかったカリギリには、もう少しくらいチャンスがあっても良い。

 

「何それ……」

「あ、そうだ。これから未来あるジナコさんに、言っておかなきゃいけないことがあった」

 

 ジナコは手を叩くと、思い出したように口を開いた。

 

「ジナコ=カリギリ! 誰でもない誰かが、誰でもないアンタのことを待ってる。だから──生きて!」

 

 ジナコはいつか、カルナに告げられた言葉を告げた。カリギリの表情が驚愕に染まる。

 その瞬間、立香たちは光の粒子になり、カルデアへと帰還していった。ジナコはそれをじっと見守ると、床に腰を降ろす。

 

 そしてそんな中、しぶとく残った者がいた。

 

「ジナコ=カリギリ……」

 

 ボロボロの体は最早、見るに耐えない。しかし、ジナコに一矢報いるくらいは不可能ではないだろう。ジナコはアルジュナに抵抗することなく、ただ座り込む。

 

「ボクを、殺しに来たんすね」

「……」

「ごめん。アルジュナはカルデアに呼ばれたサーヴァントじゃないから、カルデアには連れていけないんす。だから、またあの子に呼び出されたときに、応えてあげて」

 

 今にも朽ち果てそうなのを意志の力で耐えているアルジュナに、ジナコは微笑みかける。それにアルジュナは、力尽きたように笑った。

 

「あなたを、殺すことなんてしませんよ。私も、友のことを思い出しました。無用な争いを、彼は望まないでしょう」

「そっか」

 

 友人のことを回顧するアルジュナの表情は、尊敬に満ちていた。ジナコはそれに微笑ましくなる。

 彼の友人はきっと、ジナコにとってのあの人に似た存在なのだろう。ジナコもあの人に顔向け出来ないようなことをしようとは思わないから、気持ちはよく分かる。あの人はジナコの選択を、どう思うだろう。

 

 それが最後だった。ジナコたちは特異点の修正に巻き込まれていく。アルジュナの姿も、いつしか掻き消えていた。ジナコもそれを受け入れるように目を閉じる。

 

 あの懐かしくて、どこか苦しかった日々を思い出した。何もかも嫌で恐ろしかったけれど、あの人と話している間、少なからずジナコは救われていた。

 カルデアで過ごした日々もそうだった。戦うのは恐ろしくて、死ぬのもやっぱり怖くて。でも、それ以上に誰かと前に進むのは楽しかった。

 

 その楽しかった日常が終わるのは、心に穴が開くようで辛い。やりたいこと、力になりたい未来もあった。なのに、ジナコはこうして選んでしまった。それが少し恐ろしくて、少し誇らしい。

 

 今も、自分のことが好きだなんて、胸を張って言うことは出来ない。それでも、この選択は悪くなかった。後悔はあるけれど、それでも今このときを、ジナコは心から良かったと思える。ジナコはジナコを待つ人を、少なくとも一人、救うことが出来たのだから。

 

「……」

 

 視界が白く染まっていく。ジナコという存在が、この世界から修正されていくのを感じた。その喪失感に身を委ねる。

 ジナコは自分の人生に満足しながら、この世界から消え去った。

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