ジナコさんinカルデア   作:クリシュナ実装はよ

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本編開始前、カリギリの月の聖杯戦争の顛末。



幕間──0.0 終わりの始まり

 ムーンセル・オートマトン。それは聖杯にして、記録の怪物の名だ。あらゆる人間がその門戸を叩き、地獄への道をひた走っていく。それが月の聖杯戦争。

 

 ある者は、そもそも月の聖杯戦争に参加した時点で、その参加者は死んでいるも同然だと言った。魂を霊子に変換し、虚構世界へと足を踏み入れた時点で、生きて帰るには優勝するしかない。敗北の先にあるのは、魂を分解される苦しみだけだ。

 

 命懸けのトーナメント。それが月の聖杯戦争における絶対的なルールだ。故に、この聖杯戦争においては、どんなサーヴァントを引くかが最大の鍵となる。

 ステータスが優れたサーヴァント。搦め手に長けたサーヴァント。親しみやすいサーヴァント。

 多種多様なサーヴァントがいるが、この戦争は個人戦。決定力のあるサーヴァントこそが堅いのは、絶対不変の真理だろう。

 

 その点において、彼女は最高峰のサーヴァントを引き当てた。

 

 『マハーバーラタ』における、倒される側の英雄。悲劇の英雄カルナだ。

 最も名を馳せたアーチャーとしてではなく、インドラの槍を持つランサーとしての召喚だったのは少しばかり難儀かもしれなかったが。

 

 カリギリにとって、ランサー、カルナは最高のサーヴァントだった。魔力という点で問題はあったが、それも他の部分を思えば目を瞑れる。

 厳しいやり口の健康管理AIに茶々を入れられながらもカリギリはカルナと研鑽し、この月の聖杯戦争を勝ち抜いていった。

 

 尤もそれは、苦痛と悲哀に満ちたものではあったが。

 

 カリギリは弱かった。戦闘においてだけでなく、精神面においてだ。カリギリは勝利する度に、心が磨り減るような思いを覚えた。何故なら勝利するということは、願いのために誰かを犠牲にするということだ。

 カリギリは、自分の死は覚悟していた。しかし、他人を殺すことは理解していなかったのだ。

 そのことに気づいたときにはもう、カリギリは後戻り出来なくなっていた。

 

 殺した。殺して殺して殺して──そして願いに辿り着いた。

 

 優勝したカリギリを邪魔する者はどこにもいなかった。向かうはムーンセル中枢。そこにカリギリの求めるものがある。そこに辿り着きさえすれば、全てが丸く収まるのだ。そんな身勝手な思いを抱いて。

 

 ムーンセル中枢に辿り着く直前に、カリギリは奇妙なバグがあるのを見つけた。何の気もなしにそれを確認すると、奇妙なメッセージが残っている。

 

──この戦いに意味などない。私がここにいる意味もなくなった。

 

 それは、ダイイングメッセージだったのかもしれない。しかしその言葉の意味も、カリギリには分からなかった。ただ祈るようにして辿り着いたムーンセルで、カリギリは己の命運を理解した。

 

 

 

 情報の海に沈みながら、カリギリは聖杯に願いを入力する。十五年前のあの日、アイスバーンで亡くなった両親に涙したときから心に秘めていた願い。その願いが漸く、成就されようとしているのだ。

 この願いのためなら、どんな犠牲も厭わない。それほどの強い思いを抱いて、カリギリはここにいる。どちらにせよ、十五年前からの歴史を改変するのだ。全ての人間の人生を踏みにじるのと何が違うだろう。今を生きる誰を殺すも同然だ。

 

「ボクは、やり直したい」

 

 己の悲願を打ち込みながら、思わず言葉が漏れた。口にすれば、だんだんと喜びが湧き上がってくる。願いはもう、目の前にあるのだ。

 

「十五年前のあの日、パパとママが死ぬことはなく──」

 

 カリギリはまた、大好きな家族に会えるのだ。優しくて綺麗だった母親と、不器用でも愛情を注いでくれた父親。もう朧気な記憶になりつつあるそれを、ゆっくりと溶かすように再生する。

 

「アタシも学校を辞めずに、友だちを沢山作って──」

 

 輝かしい未来が脳裏に浮かぶ。それが今、現実になるのだ。心が踊らないはずがない。

 

「幸せな私に、なるんだ!」

 

 その言葉と入力が完了したのは同時だった。その願いはムーンセル中枢へと到達し、冷徹なコンピュータは願いを実行する。無機質な機械がその願いを叶える瞬間を、カリギリは今か今かと待った。

 しかしその期待は、呆気なく裏切られる。暗闇に飲まれるかのように、ムーンセルの示した答えはカリギリを痛め付けた。

 

「な、何よ、それ……」

 

 ムーンセルから送られてきたデータに、カリギリは唖然とした。それもそのはずだ。そんなことは、本来人間が知るべきことではない。おぞましき神の視点だ。それを知ったところで、ただの人間には何も出来ないのだから。

 

「剪定事象……量子記録固定帯……」

 

 ムーンセルからのデータを一つ一つ読み解いていく。その度に、カリギリの顔は蒼白になっていった。神の視点への怯え。そしてそれ以上に、そんな流れを認めてしまった人理への恐怖が刻み込まれていく。

 

「ふざけんなよ! パパとママの死が平均的で可能性のある世界を生み出すことになってるっていうの! …………いや、違う」

 

 よく読み解いてみれば、カリギリの予想は外れていた。しかし、それがカリギリにとって救いとなったわけではない。

 

「パパとママの死は切っ掛け。でも、条件に当てはまるのがパパとママしかいないから……」

 

 それは結局、喩えどれ程手を出そうと両親の死は必要不可欠だということになる。両親のクローンを作ってもダメだ。それでは全ての条件に当てはまらない。代用は出来ない。身を隠させるのも出来ない。どれかをすれば、条件が欠ける。まるで呪われているかのように、運命はただただ理不尽だ。

 しかしカリギリの悲劇は、それだけではなかった。

 

「剪定事象……剪定。アタシがムーンセルに辿り着いた時点で、この世界は閉じる運命だった……?」

 

 カリギリは混乱の中で、ポツポツと言葉を紡ぐ。それは逆に、恐ろしい事実をあっさり認めさせた。ジナコ=カリギリが月の聖杯戦争で優勝すること。それが剪定事象へと変化する分岐点だという現実だ。

 

 カリギリが月の聖杯戦争に勝利した結果、カリギリの世界は剪定事象になる。正確には、この月の王になれるのはたった一人。そしてその一人は既に、カリギリが踏みにじってきた誰かの一人として分解されていた。

 

 もしここでカリギリが彼が月の王になるように歴史を修正したとしても、何にもならない。この世界はカリギリによって、終わることを定められている。世界を継続するための余分なエネルギーなど、この世界には残されていない。ここは始めから、そういう風に作られた世界なのだ。

 ならばカリギリのしてきたことは一体、何だったのだろう。カリギリは唇を噛む。しかしそうしたところで、何が変わるだろう。

 

「かといって、ここにいるアタシの同一性を保ったまま世界を修正するのも出来ない」

 

 たとえ同一性を保てたとしても、行動は何も知らないカリギリと同じものにしなくてはならない。そうしなくては、世界に修正されるからだ。それもまた、カリギリの望むところではない。なぞるだけの人生に、カリギリは価値を見出だせなかった。

 

「世界を修正した後も残される場所があれば良いけど、ムーンセルもそこまで完全じゃない。そうなると、アタシがダブることになって、今度は特異点化しちゃうし……」

 

 カリギリは未だ知らないが、それこそがカルデアだった。世界が焼却されても、修復されてもその同一性を保つ。それがカルデアの特異さの一つでもある。

 そもそもカリギリの世界は剪定事象という結果があり、それを元に過程を算出する。予め剪定が決まっている以上、余分なエネルギーは残されない。態々剪定される世界のために割くエネルギーはどこにもないのだ。たとえ歴史を改変したとしても、碌な結果になりはしないだろう。

 

「今の自分を過去の自分の中に送り込む? けど、そうしたところで量子記録固定帯に変化はないし……」

 

 そうやって頭を捻るうちに、いよいよ焦燥感を感じ始めた。ムーンセルを掌握したにも関わらず、願いは叶えられない。しかしこのために戦ってきたジナコには、他に願いがないのだ。けれど手放すには、余りにもムーンセルは魅力的だった。

 

「どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう」

 

 多くの人を犠牲にして叶えた願い。それが陳腐な願いであって良いはずがない。もっと尊い願いを抱いていた人間も、カリギリは殺してきた。果してこの結末は、その命に釣り合うものだろうか。

 

 そんなわけがない。

 

 カリギリは胸を刺し抜かれたかのような痛みを自覚した。そんな事実に、カリギリは耐えられない。本来心優しい少女だった彼女は、自分の犯してしまった罪に漸く気づいた。全てを蔑ろにし、蔑ろにされる覚悟がないのなら、月の聖杯戦争になど参加するべきでなかったのだ。

 

 カリギリはそのまま、蹲って涙を流す。辛くて、胸が痛くて仕方ない。しかしそれをどうにかする方法は思い付かないのだ。頭を捻り、ムーンセルから情報を引き出し、しかしその先は空虚な結論ばかり。

 そうして涙を流し続け、随分と時間が経った。

 

「ジナコ、不味い!」

 

 データの海の中で、この月にいる間ずっと連れ添った相棒の声が響いた。中枢の外に置いてきたはずの彼がどうしてここにいるのか。そんな疑問を浮かべる暇もなく、状況は一変する。

 

「そのようなものは、無駄だ」

 

 まるで聞いたことのない男の声が響くとともに、データの海が開けた。その様子はさながらモーセのようで、その男が尋常のものではないことは明らかだ。それと同時にカン、という音が響き、地表へと黄金の槍が突き刺さる。 

 

「カルナさん!」

「グ…………」

 

 カルナの宝具である槍が、その手元にはない。恐るべきことに、この男は一級のサーヴァントであるカルナの槍を弾き飛ばしてしまったようだ。自然と、カリギリは警戒体制に入る。月の聖杯戦争で、随分と窮地に慣れてしまったらしい。

 

「ムーンセルに介入するなんて、どこぞの外なる神とでも言うつもり? つまらない冗談ね」 

「神はただ一人。そのようなものなどただの悪魔だろう」

 

 神はただ一人。どうやら敬虔な一神教の信者のようだが、そんな信仰は腐るほどある。ムーンセルを使っても、当然特定には至らない。いや、外見を検索してみれば、一柱該当者があった。

 

「悪魔はそちらね、ラウム。『レメゲドン』もソロモンの悪霊の伝説も、真実だったとは」

「ムーンセルか。我が名すら知るとはな」

 

 カリギリの言葉に特に驚くでもなく、ラウムは答えてみせる。ソロモンが従えていたという七十二の悪魔。その一柱こそがラウムというこの男らしい。

 

「ムーンセルを甘く見ていたようね。悪魔らしく、さっさと逃げたらどう?」 

「虚勢だな。私への対策が見出せないのだろう?」

 

 ラウムの言葉は真実だった。カリギリは、勝てない相手に態々手を出すほど愚かでも無知でもない。がむしゃらだった聖杯戦争中とも違う。これは避けられる戦いのはずなのだ。

 

「そんなことを居丈高に宣言しに来たわけ?」 

「いいや。剪定されゆくこの世界で朽ち果てるだけのお前に、良い話を持ってきた」

 

 ラウムは至極真面目にそんなことを告げる。カリギリはその不審さに眉を顰めた。ムーンセルを掌握しているということは、万能にも等しい所業なのだ。ラウムの話に態々応える必要はない。

 

「簡単なことだ。お前に聖杯を渡す。それで何をやっても良いが、その代わりに世界を滅ぼせ」

「世界を滅ぼす、ですって?」

 

 滅ぼすまでもなく、この瞬間に世界の滅びは確定している。しかもつまらないことに、カリギリがその原因なのだ。それをこのムーンセルに割って入るほどの男が理解していないとでも言うつもりなのだろうか。

 

「ああ。お前はこことは()()世界を一つ滅ぼすだけで良い」

「……そういうこと。でもね、聖杯なんてひとつあれば十分よ」

 

 カリギリは既にムーンセルを掌握している。更に言えば、カリギリの願いは最早ないも同然だ。ならば聖杯など、一つと言わず無用の長物に過ぎない。

 

「呆れた無欲だな。ならば一つ教えてやろう。あちらの世界は剪定されない。分かるか? あちらの世界にはまだ、何かを選ぶ選択肢がある」

「…………」 

 

 選択肢がある。その言葉だけは、カリギリには聞き逃せなかった。カリギリはその怠惰さによって、自ら選択肢を狭めていた。しかし、カリギリのせいで世界が終わるという事実だけは違う。カリギリには死んで世界を続けるか、生きて世界を終わらせるかしかなかった。そんなもの、選択肢がないも同じだ。

 

「あなたが、終わらせようとしてるじゃない」

「ああ。そして、お前もそれを選べる」 

 

 世界を終わらせる。その選択肢を自分で選べるのだと暗にラウムは告げた。そのことに、カリギリの心は揺れる。どうせ滅ぶのなら、何かを選んで滅びたい。そんな気持ちがカリギリの中には確かにある。それと同時に、まだ未来があると信じているその世界が恨めしかった。

 

「カルナさん、ごめんね」

 

 カリギリはポツリと呟く。それに気づかないカルナではない。力を振り絞り、槍を手に取ろうとする。しかしそれは、当然のごとく失敗した。

 

「英雄カルナ。お前の忠義は些か行き過ぎだ」

「待って。カルナさんはアタシが還す。だから、手を出さないで」

 

 カルナに殺意を向けるラウムをカリギリは制止する。そしてラウムに近づくと、手を差し出した。それにラウムはほくそ笑む。ジナコ=カリギリが存在するというだけで、彼女は特異点足りうる。計画には有用な人材だろう。

 

「良いだろう。聖杯はお前のものだ」

「ええ」

 

 「ジナコ──」などという制止の声が聞こえたような気がしたが、カリギリはそれを受け取ることは止めなかった。カリギリにとってこれは、初めての選択でもある。自分で初めて選んだ、自分の選択だ。それを、後戻りするつもりはない。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 カルナという英雄の霊基を触媒にして、カリギリはサーヴァントの召喚の呪文を唱える。それが意味するのは、カルナという霊基の崩壊だった。そもそも、ムーンセルのサーヴァントはただの記録に過ぎない。ならば彼の死は通常の死とはまた、異なるものだろう。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 カルナは霊基の崩壊の最中にあっても、決して苦悶の声を漏らすことはなかった。高潔な聖者そのものの様子に、カリギリは歯噛みする。つくづくカリギリに似合わないサーヴァントだった。こんなサーヴァントといても、自尊心が削られるだけだ。

 

「────告げる。

汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」

 

 とうとうカルナの霊基は完全に崩壊した。粒子と化した霊基の最中に、新しいサーヴァントの反応が現れる。彼こそ『マハーバーラタ』の大英雄。破壊神の弓を持つ戦士。

 

「サーヴァント、アーチャー。アルジュナと申します。あなたが私のマスターですね?」

「アルジュナ……ええ。その通りよ」

 

 カリギリは動揺を噛み殺す。カルナを触媒にして召喚したサーヴァントは、カルナを殺した人間だった。なんて矛盾と皮肉だろう。正にカリギリらしい召喚で、自嘲の笑みが漏れる。そんなカリギリに、ラウムが言葉をかけた。

 

「縁は結んでおいた。後は聖杯、或いはムーンセルに願えば直ぐに移動できるだろう」

「そう。なら、さっさと消えてくれる?」

 

 ラウムはこちらを見もしないカリギリを笑うと、溶けるように消えていった。その様子は間違いなく悪魔で、カリギリは嫌悪感を覚える。そんな不機嫌そうなカリギリに、特に抵抗もなくアルジュナは声をかけた。

 

「あれは一体? 敵ではないようですが」

「いいえ。敵みたいなものよ。アレには気を許さない方が良いわ」

 

 アルジュナはカリギリの言葉に納得した風に頷く。真面目で堅物なのは伝承通りらしい。カリギリとしては、従ってくれるのならそれで良い。扱い辛いサーヴァントは厄介なのは身を以て知っている。

 

「そう言えば、名乗ってなかったわね。アタシはジナコ=カリギリ。ジナコ……いえ、カリギリとでも、マスターとでも呼びなさい」

「では、マスターと。誰かを主と仰ぐのは新鮮です」

 

 ジナコという呼び方は、カルナを想起してしまう。カリギリはカルナを手にかけた。そんなカリギリが、今更カルナの面影を求めるのは違うだろう。それを疑問に思うでもなく、アルジュナは物珍しげに告げる。王族らしい余裕か、ただの間抜けか。

 

「ブリハンナラだったとき、王宮で仕えてなかったかしら?」

「もしや、マスターは美しい女性の方が好みですか?」

「話を露骨にそらしたわね。そりゃ、可愛い女の子の方が好きよ」

 

 カリギリの目の前にいるアルジュナは中々の美丈夫ではあるが、美姫になれるとは思えない。体は線が細いなりにしっかりと鍛えられており、顔立ちも精悍だ。ほんの少しだけ、カルナにも似ているかもしれない。そんな風に共通点を探そうとしている自分が嫌になる。

 

「マスターはもう少し食べた方が良さそうですね」

「う……女の子の外見にケチつけるとか止めなさいよ。今は貴方の生きた時代より三千年も未来なのよ? そんなこと言ったらこれよこれ」 

 

 そう告げながら、カリギリは首元で手を左右に動かす。首を切られる仕草に、アルジュナは首を傾げた。どうやらさしもの聖杯も、仕草の意味まではカバーしてくれないらしい。人を指差すのはマナー違反だが、人を指差して本気で呪ってくる魔術師もいるので仕草のデータに意味はないのかもしれないが。

 

「こほん。無駄話が過ぎたわね。アタシはこれからムーンセル中枢の修復をするわ。ここで待っていてもらえる?」

「分かりました」

 

 アルジュナは従順に頷く。カリギリはそれを特に気に留めることもなく、ムーンセル中枢の修復を始めた。

 

 

 

 ムーンセルの修復が粗方完了し、カリギリはアルジュナの元へと戻ってきた。アルジュナは生真面目なことに、じっとここで待ち続けていたらしい。なるほど、伝承らしいサーヴァントだ。

 

「随分と待たせることになってしまったけれど」

「問題ありません。それよりマスター、此度の召喚はどういったことでしょうか」

 

 カリギリはアルジュナの言葉に目を細める。どうやらラウムの渡した聖杯は、知識面のカバーが不十分だったらしい。

 

「そうね。アタシは、あなたに悪いことをさせるために召喚したわ」

「悪行を……?」

 

 カリギリの言葉がアルジュナの何かに触れたのか、アルジュナから強い殺意を感じる。カリギリは逃げ出したくなるのを抑えながら、再び口を開いた。

 

「……そうね、これは八つ当たりよ。アタシは、未来があると信じて生きていける人間が恨めしい。だから決めたの」

 

 世界を滅ぼす、と。そう告げた瞬間、アルジュナの瞳にどこか安堵に似たものが映った。カリギリはそれに、言い知れないおぞましさを覚える。それでも言葉を止めることはない。

 

「あなたには、それに手を貸してほしい。その代わり、何でも願いを叶えてみせましょう」

「私の願い……いえ、そんなものは必要ありません」

 

 願いという言葉に飛び付きかけたかと思うと、途端にアルジュナは遠慮した。カリギリはそれに首を傾げる。アルジュナの願いとは何だろうか。死に別れた友との再会か、これ以上ない弓の腕前か。

 

「ムーンセルとこの聖杯を使えば、大抵のことは叶えられるわ」

「いえ……マスターの護衛がサーヴァントの役目でしょう。それ以上は過分なものです」

「……」

 

 アルジュナは至極真面目に答える。その答えがカリギリには気に入らなかった。その言葉がカルナに似ていたからではなく、願いを押し込もうとしているのが自分と似ていて腹が立つ。これではまるで、願うこと自体が悪であるかのようだ。

 

「あなたはアタシのサーヴァントだけれど、真に下僕という訳ではないわ。願いを口にするくらい、神も咎めないでしょう」

「ならば、私のことを知ろうとはしないでください」

 

 意外な答えにカリギリは訝しむ。自分のことを知られたがらないというのは、『マハーバーラタ』の中にあっただろうか。エピソードが地方によって百八十度異なる叙事詩だ。そんな民間伝承があってもおかしくはないが。

 

「ふーん。それは願いの本質じゃないように聞こえるけど、まあ良いわ。聞いてあげる」

「何故、そんなにも私の願いを……?」

「背中を預ける相手の願いくらい、聖杯に関わるなら知るべきじゃないかしら?」

 

 カリギリの告げた言葉に思うところがあったのか、アルジュナは納得したように頷く。心なしか、先程よりもその視線が柔らかくなったように感じた。

 

「あなたは、私に背中を預けるつもりなのですか」

「あなたのマスターなんだから、当然でしょう?」

 

 カリギリは当たり前のように言葉を返す。それがアルジュナにとって、とても愚かしく見えていることには全く気づいていなかった。だが、それこそがアルジュナが信を於けると思った理由でもあった。

 

「そうですね。では、一つだけ願いを」 

「やっと言う気になったってわけね。どうぞ?」

「会えば必ず、矢を向ける命運を負った者がいます。もしその男に会うことになれば──」

 

 アルジュナの瞳に映るのが一体どんな感情だったのか、カリギリには分からなかった。そこにあったのはカリギリは持ち得ない情熱だ。

 それを向ける相手など、一人しかいない。彼の兄にして、太陽の落とし子。悲劇の英雄、カルナのみ。

 

「それを殺すのは、私に任せてください」

「……ええ。そうね」

 

 カリギリには分かっていた。アルジュナが敵意を向けているのは彼の血を分けた家族である。だが彼と遭遇する可能性は低いだろうし、たとえ会ったとしても、それはカリギリの知る彼とは別物だ。

 

 それに何より、アルジュナに機会を与えたかった。カリギリは自分を愚か者だと思う。それでもアルジュナのマスターとして、彼には願いを叶えてほしかった。それも、生前には叶わなかった万全の状態で。

 

「そのときはお願い」

「ありがとうございます、マスター」

 

 アルジュナは胸を撫で下ろしたような顔をする。それに満足してしまうカリギリは、自分の卑しさに唇を噛んだ。今更人の幸せを願うなんて、偽善だと分かっているのに。

 

「マスター、一つ聞いても良いですか?」

「何かしら?」

 

 唐突なアルジュナの言葉に、カリギリは何の疑問もなく言葉を返す。

 

「あなたは、私が正しいと思いますか?」

「ええ。私はあなたを正しいと思うわ。たとえそれがどんな間違いを孕んでいても、あなたが信じて選んだのなら」

 

 カリギリの言葉は、アルジュナへの真っ直ぐな信頼だった。それに内心絶句しながらも、アルジュナは頷く。無条件の肯定とは違う、アルジュナの全てへの信頼の籠められた言葉は、アルジュナの何かを動かした。

 

「ではマスター、これからどうしますか?」

「そう長くは持たないと思うけれど、この聖杯をムーンセルと繋げてみるわ。平行世界への移動、部分的な第二魔法はその後ね……肉体を再構成する必要もあるか」

 

 カリギリの計画を聞きながら、アルジュナはカリギリ自身を観察する。疲れきったその顔色が、いつか明るくなる日が来るだろうか。カリギリはそんなアルジュナの考えなど思い当たりもしていない。

 

「それじゃあ、これからよろしくね。アルジュナさん」

「ええ」

 

 儚げに微笑むカリギリに、アルジュナは不器用な様子で頷く。それはまるで正しき主従の形のようだった。しかしそれが幻であることを、カリギリも理解している。

 

 破滅的な願いを抱く二人に幸福が訪れるなんて、ただの夢に過ぎないのだから。

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