ジナコさんinカルデア 作:クリシュナ実装はよ
燃える。燃える。燃える。
中央管制室も、Aチームのマスターたちも、マシュも、オルガマリーも、ジナコも。
熱い。熱い。熱い。
全てが燃え尽きていく。カルデアスに、真っ赤な火が灯る。人理も燃え尽きて──。
「マシュ!」
声がした。誰かの命を尊ぶ人の声がした。ジナコの頭は急速に冷えていく。冷静になった頭は、今の状況を把握しようと必死に回転し始めた。
中央管制室は何者かによる爆破によって、破壊され尽くしていた。ジナコは当たり所が良かったのか、未だ意識があるが、ほとんどの人間は亡くなっているだろう。オルガマリーなんて、崩落した天井の真下にいたのだ。生き残っているはずがない。
──それでも、諦められない。
諦めの悪いどこかの誰かさんのように、戦いたいと思った。全てが燃え尽きても、私はこの世界を終わらせたくない。
動かない体に力を入れる。
激しい痛みに呻き声すら出ない。
必死に前に手を伸ばす。
その手は虚空を掴んだ。
今にも閉じそうな瞼を持ち上げる。
涙が止まらない。
──もう、諦めようか。
そんな悪魔の囁きが聞こえてきて、私は弱いから、そんな言葉に流されてしまう。
体から力が抜ける。
もう感覚すらない。
手が地面へと落ちる。
その手は瓦礫に引っ掛かった。
瞼をゆっくりと閉じる。
涙は枯れ尽くした。
──それでも魂が叫ぶ。私はまだ終われない!
そんな魂の叫びに応えてだろうか。魔術回路が活発に動き始めた。回路は細い糸を手繰り、どこかへと繋がっていく。そしてそれは突然、別の何かへと変容した。
『その叫び──が応えよう』
電流が流れるようなそれに、ジナコは呻き声を漏らす。全身の魔術回路が悲鳴を上げた。
これ以上は死ぬ。これ以上は死ぬ。これ以上は死ぬ。
でも、戦わなくちゃ。
『サーヴァント──召喚に応じ、参上した』
だんだん魔術回路が安定していく。というよりこれは、魔術回路がその質を上げているかのようだ。そんなことはあり得ない。魔術回路は生まれ持って変わらない才能なのだから。けれど、それならこの現象にどうやって説明をつければ良い?
『──が──のマスターか』
紅蓮の炎に飲まれ、少女は跡形もなく姿を消した。
マスター候補四十九人が揃い、ファーストオーダーが実行されるまでは、実に順調だった。最後のマスターが粗相をしでかし、オルガマリーを怒らせたくらいは何の問題にもならない。この日のために、十年以上が費やされた。その時間は、些細なミスを帳消しにして余りある。
だが、相手も時間をかけてそれを潰そうと用意していたのなら話は別だ。それは周到だった。魔術は過去へと向かう学問であるからか、魔術師は近代兵器を忌避する傾向にある。それでもカルデアには先端技術がふんだんに用いられているのだが、そこが弱味であることに変わりはない。
そんな隙をついて、敵はカルデアを爆破させた。回避することなど不可能だと思えるほどの周到さだ。
コフィンに入っていたはずのジナコは運が良かったのか悪かったのか、コフィンごと破壊されて管制室の床に叩きつけられる羽目になった。そこが運命の分かれ目だったのだろう。辛うじて息のあったジナコは、レイシフトの資格があるマスターだと判断されてしまった。
ジナコを救う神はいない。ジナコを捨てる神はいない。そもそも神様なんて、誰かを裁くために誰かが作った幻想だ。
ならばこの旅はいったい、誰が仕組んだのだろう。
コフィンの外でレイシフトすれば、人間はその意味消失に耐えられない。魂を分解して再構成するなど、正気の沙汰ではない。
ジナコの肉体もその奔流に巻き込まれ、しかしジナコはその賭けに勝利した。
意識が浮上する。ジナコが始めに感じたのは、炎の熱さだった。管制室で感じていた熱さの再来に、ジナコの脳は急速に活性化していく。匂いを感じ、音を感じ、触感を感じた。
そうして、瞼を開く。
真っ黒い空に、ポッカリと黒い穴が空いている。淀んだ空気に、ジナコは思わず鼻を摘まみたくなった。
「生きてる……」
始めに出てきたのは、そんな陳腐な言葉だった。炎と瓦礫によってボロボロになったはずの体には傷ひとつない。少なくとも、体の表面からの痛みは一切なかった。肉体の再構成の時に補修されたのかもしれない。
「ここは……」
自分の体のことが分かれば、次に気になるのは周囲のことだった。燃え盛る街、というのは尋常ではない。かといって、戦時中にしては余りにも静かだ。そこまで考えて、ジナコは少し前のことを思い出す。
人理焼却。それが現実に起こったのであれば、この光景も納得がいく。この特異点はとっくにボロボロなのだ。もう、人っこ一人いないくらいには。それは、酷く寒気のする事実だ。
「──マスター、体調に問題はありませんか?」
「うん。大丈夫。ほんと、お節介っす……ねぇ……?」
とそこまで答えて、おかしいことに気づいた。つい彼に応えるようなノリで答えてしまったが、今のジナコは、少なくとも今は、彼と契約していないはずだ。ならば、この声の主は誰なのだろうか。
「……」
視線を少しばかり上方に向け、絶句した。色味の濃い褐色の肌に少し癖のある黒い髪、白い服を纏った青年が、手に強力な神秘を感じさせる弓を持っていた。ジナコには分かってしまう。彼はサーヴァントだ。人を超越した者だ。
「マスター?」
「……えーと、アーチャー、で良いんすかね?」
「はい。私はアーチャーのクラスで召喚されたサーヴァントです」
ジナコのぎこちない質問に、青年、アーチャーは穏やかに答える。弓を使わないアーチャーが主流(らしい)アーチャークラスにしては、随分まともそうなサーヴァントだ。気性も穏やかなように見える。
「えっと、なんでボクと契約を……」
「はい。マスターの呼び掛けに応じ、参上しましたが、起きる様子もなく、強引に契約させていただきました」
話を聞くと、アーチャーは中々目覚めないジナコを護衛してくれていたらしい。その善人ぶりに、ジナコの中で好感度が上昇していくのを自覚した。
「それで、マスター、これからどうしますか?」
「あ、そうっすね。ここでじっとしてるわけにもいかないっすもんね」
とは言うものの、ここがどこかすら分からない現状にあっては、どうしようもない。レイシフトが成功しているならば、ここは特異点F、冬木ということになるのだろう。
頑丈な礼装や、何故か治癒している体はともかく、精密機器である通信機は壊れていた。カルデアとの連絡を取りようがないのは明らかだ。恐らく意味消失を防ぐ存在証明のための観測はされているのだろうが、コンタクト出来ないのならそれも無意味である。
「えーと、もしかしたらボク以外にも誰かいるかもしれないし、周囲の散策とかどうっすか?」
「それが良いでしょう。私もアーチャーとして、自分の眼には自信があります」
ジナコはレイシフト直前のことを思い返しながら、他の人がいる可能性は低いだろうと見ていた。しかしジナコはへっぽこ魔術師。単独で行動するのは無茶が過ぎる。アーチャーがいるだけでも幸運というものだろう。ジナコはアーチャーの言葉に、祈るように頷いた。
そんなこんなで、ジナコとアーチャーは周囲の散策を始めた。そして早々に辟易していた。
湧いてくる竜牙兵、魔物は一体一体は大したことがないが、とにかく数が多くて面倒だ。そもそも、ジナコはそんなものが存在するなど初耳である。久々の戦闘に焦りを感じながらも、ジナコはなんとか指示を出す。
「アーチャー! こんな数相手にしてたら時間がどんだけあっても足りないっす! 進行方向にいるこいつらを一掃した後、そこを通り抜けるとか出来るっすか?」
「可能です。──マスター、少し魔力をいただきます」
アーチャーがそう告げると、魔術回路がミシミシと悲鳴を上げ、魔力が吸い上げられていくのを感じた。その懐かしい感覚に、少し寂しくなる。
アーチャーが矢を放つと、目の前の骸骨たちが霧散する。ジナコがそれに目を見開いていると、アーチャーはジナコを抱えた。そしてそのまま風のように、俊敏に駆けていく。
ほどなくしてアーチャーは立ち止まり、ジナコを地面へと降ろした。辺りに魔物の気配はない。
「ここまで来れば一先ず安心でしょう。連戦続きでしたし、少し休みませんか?」
「お願いするっす。アーチャーも、怪我はないっすか?」
「はい」
ジナコはアーチャーの提案に乗り、適当な廃墟に入ると腰を降ろした。座り心地は良くないが、またすぐに発つことを思えば然程問題ではない。
ジナコは思い出したかのようにアーチャーを見ると、尊敬の眼差しを向けた。
「それにしても、アーチャーって凄いんすね。宝具じゃないのにあの威力、びっくりしたっす」
「ありがとうございます」
ありがとうございます、とは言ったものの、アーチャーは余り嬉しそうではない。もしかしたら燃費の悪いサーヴァントで、それを恥じているのだろうか。
「魔力、大丈夫そうっすか?」
「……正直に言えば、今のマスターの魔力では、宝具は使えません」
アーチャーの宝具は火力が高い代わりに、魔力の消費が馬鹿にならないらしい。それは仕方のないことだろう。ジナコの相棒だった彼も、普段はまともに宝具の実体化すらできない有り様だった。
ジナコの魔術回路はお世辞にも質が良いとは言えない。彼のときよりサーヴァントの維持が楽な気はするが、ほぼ誤差の範囲内である。
「じゃあ、怪しい魔術師とか、まあないと思うっすけど幻想種とかに会ったら逃げ一択っすね」
「負けるつもりはありませんが……マスター、必ず守ります」
「なにこの人。イケメン過ぎ……」
少々無愛想ではあるが、そのくらいの方が却って真実味がある。アーチャーはきっと、言葉通り自分を守ってくれるだろう。ジナコは、そう信じたいと思った。
「アーチャー、魔力の回復も兼ねて、これから一時間くらい仮眠するっす。後で起こしてもらえるっすか?」
「思えば、マスターは私を召喚したばかりですしね。護衛はお任せを」
「ん。ありがと」
そう告げると、なんだか眠気が強くなってくる。ジナコはその眠気に逆らうことなく、ゆっくりと目を閉じた。
丁度一時間後、アーチャーに起こしてもらったジナコは、アーチャーから報告を受けていた。
「人の姿を見かけたって、どこで?」
「五分ほど前に、ここから川を越えた向こうにある山を登っているのを見かけました」
ここが冬木であると仮定すれば、川とは未遠川のことだろう。となると、ジナコが今いるところは新都の建物のひとつとなる。川を越えた向こうとなれば、そこそこ距離がある。
「千里眼、ってやつで分かったんすか?」
「はい。この程度ならば視認は容易です」
アーチャーの持つCランクの千里眼。ランクは高くもないし低くもないが、あれば便利なのは間違いない。ジナコのサーヴァント運は悪くなかったようだ。ジナコは少し頬を緩める。
「あ、その人がサーヴァントって可能性はないっすか?」
アーチャーと同じように、誰かに召喚されたサーヴァントならまずい。敵か味方か見分けがつかず、敵だったときは命に関わる。ジナコは先程とは一転して、不安そうにアーチャーに訊ねる。
「うち一人が、マスターと同じ服装でした。マスターと同じように、ここに飛ばされてきたと見て間違いないでしょう」
「確かに、サーヴァントがこの格好をしてるとは思えないっすね」
この妙に胸部を強調しようとしている節がある礼装は、現代ですらかなり攻めたデザインだ。古の英雄が着ているなど、違和感も甚だしい。同時に、真っ白のすっきりとしたデザインは自分には似合わないな、とも感じる。とはいえカルデアでジーパンが認められるはずもないが。
ジナコと同じ服装であれば、少なくとも敵ではないだろう。あのとき、マスターは皆レイシフト予定だった。マスターが犯人なら、巻き込まれて爆破されるかもしれないあのタイミングには決してしない。
「あんまりもたもたしてこれ以上遠くに行かれちゃっても困るし、アーチャー、追うっすよ!」
「はい、マスター」
ジナコの言葉にアーチャーは頷くと、ジナコをひょい、と抱えた。ジナコはまだ幼いお陰か、すっぽりとアーチャーの腕の中に収まる。
「アーチャー……?」
ジナコが驚きを口にするのも聞かず、アーチャーはそのまま建物を飛び出し走り出した。そしてビルのひとつを駆け上がったかと思うと、ビルとビルの間を飛び跳ねる。
「ぎゃあああああーー!!」
その高度に怯えるジナコを特に気にかけることもなく、アーチャーは夜の街を駆けるのだった。
そうして円蔵山の中腹、鍾乳洞らしき洞窟に、ジナコとアーチャーは足を踏み入れた。そしてその瞬間、アーチャーは身を強ばらせる。ジナコにはその理由は理解できなかったが、その緊張感に閉口する。すると静かな洞窟に、微かに誰かの呻き声が聞こえた。
「アーチャー! 人が!」
「いえ、違います」
思わず叫んだジナコに、アーチャーは訂正する。暫くすると夜目にも、黒い影が蠢くのが見えた。魔物を人と勘違いしてしまった自分に、ジナコは恥じ入る。
「その、通りだ。全く、我ながら、悪運が強い」
「ここのサーヴァントか」
「そういう君は、先程の者たちの、連れかね?」
ジナコはアーチャーの言葉に瞠目した。この冬木市には元からサーヴァントがいるというのか。ジナコたちは運良く今まで遭遇しなかっただけで本当は他にも沢山いるのだとしたら、想像するだに恐ろしい。サーヴァントに囲まれるようなことになれば、ジナコは容易にパニックに陥るだろう。
怯えながらも魔物だと思っていたサーヴァントを見ると、その体はボロボロで生きているのが不思議なくらいだった。よく考えれば、呻き声を漏らしたり、息も絶え絶えだったりととてもアーチャーとやりあえるとは思えない。安心してか、ジナコの体の震えが治まる。
このサーヴァントは恐らく、少し前にアーチャーが視認したカルデアの誰かに倒された後なのだろう。戦闘続行か、気配遮断か。どうにかして命だけは助かった、というところで間違いない。
「──は」
アーチャーが答える前に、サーヴァントは自嘲するような笑いを溢した。突然のことにジナコもアーチャーも押し黙る。それにサーヴァントはジナコを見ながら、ニヒルな笑みを浮かべた。
「まさか、君はジナコ=カリギリか?」
「え──」
そのサーヴァントは余りにも予想外な言葉を発した。ジナコは彼を知らない。知るはずがないのだ。なぜならジナコはずっと、用務員室に籠っていた。ジナコが知るのは月の裏側での淡い記憶に残る者だけ。その中に彼はいなかった。
「な、んで」
「君のことを、知っているか、かね? ならば、ひとつ教授しよう。君は、平行世界という概念を、知っているか?」
アーチャーがサーヴァントに厳しい視線を向けたが、ジナコは首を振ってそれを収める。そして改めてサーヴァントの方に向き直ると、コクリと頷いた。
「そこで君は、聖杯戦争に参加し──そして、戦いを放棄していた」
「……そっか」
「驚かない、のだな。ああ、私のマスターが、君、だったわけではないよ。色々、あってね。君は事件に、巻き込まれて、私はそこで、君に会った」
「そのときの君は、もう少し歳を重ねていたがね」とサーヴァントは続けると、ジナコを見定めるような視線を向けた。ジナコはサーヴァントの言葉で、それが平行世界の月の裏側でのことだと理解する。そういう可能性も、なくはないだろう。少なくとも、ジナコが幸せだと言えるような人生を送っている、というよりは現実的だ。
「そのときの君を、知っている、からか。私には、君が彼女ではない、かのように思えるよ」
「マスターへの侮辱と取りますが」
「アグニの弓を持つ大英雄。君は少し、焦りすぎだな。彼女が偽者とは、言っていないだろう。……ああ、同族嫌悪、だというのなら、分からなくもないが」
ジナコには、そう告げるこのサーヴァントの言葉が理解できなかった。実直で誠実なのがこの短い間にも見て取れるアーチャーと、皮肉屋で粗野なこのサーヴァントは似ても似つかない。
「それより、君だ」
思考に潜りかけたジナコの意識は、サーヴァントの一言によって呼び戻される。サーヴァントに指名されるということに、ジナコの喉がごくりと鳴った。
「今の君は、戦う者の目をしている。恐れも、怯えも、見て取れる。君は、弱い者だ。なにより、その精神が。しかし、弱さを抱えたまま戦おうとしている」
そう告げると、サーヴァントはフッと笑みを溢す。
「何故か聞いても、良いかね?」
ジナコは頷くと、アーチャーの一歩前に進み出た。深呼吸をひとつして、考えを纏める。覚悟が決まると、ジナコは口を開いた。
「一つは、パパとママを、助けたいから。ボクは馬鹿だから、世界のためには戦えない。ボクは弱いから、世界なんて背負えない」
それはどうしようもない事実だ。ジナコに世界は重い。それを背負えばその重さに潰れてしまうのは必定だろう。ジナコは自分の無力さを誰よりも理解していた。
「でも、もしかしたら、ボクのことを待ってる人がいるのかもしれない。なら、ボクは助けたい。目の前の小さなものに手を差し伸べたい。たとえそれが何かを大きく変える訳じゃなくても、そうすればきっと、ボクはようやく私を好きになれるから」
だから戦うのだ。本当は、冬木に来てからちっとも恐怖が抑えきれていない。アーチャーの見ていない隙に、なんとか覚えた効力の弱い暗示の魔術で自分を誤魔化しているくらいだ。
けれど、ジナコは戦うと決めた。なら、もう逃げるようなことはしない。せめて、自分の選んだ未来くらいには向き合いたいのだ。
「愚かだ。だがしかし──」
サーヴァントは何か、美しいものを見たような目をした。そしてアーチャーを見遣ると、言葉を放つ。
「大英雄。君のマスターはどうやら、君に似合いのマスター、のようだな」
「言われずとも」
「……」
サーヴァントの言葉に答えるアーチャーの顔を見ていなかったからか、ジナコはサーヴァントの浮かべた変なものを見るような表情を理解することが出来なかった。しかしそれを考察している暇もなく、サーヴァントはだんだんその存在感を薄めていく。アーチャーはサーヴァントに最早消滅は不可避と悟ってか、ずっと実体化させていた弓を霊体化させた。
「単独行動と気力で持たせていたが、流石に限界らしい。最後にひとつ、言わせてくれ」
「何っすか?」
「君たちの旅は続くが、ここだけは、違うものだ。それを、頭の片隅にでも、留めておいてくれ」
サーヴァントはそう言い残すと、光の粒子となって大気に溶けていった。そこにはもう、何も残っていない。美しくも生々しいサーヴァントの消滅を実際に目にするのは、これが初めてだった。モニター越しでは分からない寂寥感が胸を占める。
「ここだけは、違う?」
ジナコは寂寥感を抑え込むように、サーヴァントの言葉を反芻する。旅は続く。それはジナコが予想していた悪い可能性が実現しただけで、意味は分かる。しかし、この特異点だけが特別だなんてことは、ジナコには納得できない。
「アーチャーには、分かるっすか?」
「……いえ」
考えるアーチャーの姿は真剣そのもので、大英雄と呼ばれる威厳を感じさせた。ジナコは彼が自分のサーヴァントであることに、心の中で感謝する。
暫くお互いに沈黙していたからか、洞窟の奥から轟音が響いてくるのがはっきりと聞こえてきた。同時に感知できる、膨大な魔力の奔流。言われずとも、アーチャーもジナコも理解した。これは、誰かが宝具を放っている。
ジナコとアーチャーは顔を見合わせると、洞窟の奥へと走り出した。
冬木市の中でも一際高い山のひとつであり、一級の霊地でもある円蔵山、その中にある洞窟で、一般人のマスター藤丸立香、デミサーヴァントマシュ・キリエライト、カルデアの所長オルガマリー・アニムスフィアの三人は、キャスターの消滅を見届けた。
冬木市にレイシフトし、シャドウサーヴァントの撃退、反転した騎士王との戦闘など、苦難はあったがそのどれもみんなで勝利を掴んだ。キャスターとの別れは少し慌ただしいものになってしまったが、彼がいなければこのレイシフトは碌なものにならなかっただろう。
全てが終わり、後は聖杯を回収して全てが終わり。そう思っていた三人の前に現れたのは、レフ・ライノールだった。時計塔の優秀な魔術師であるはずの彼は、しかしその裏切りを口にした。カルデアに火を放ったのは自分だと、そう告げたのだ。
そして駄目押しと言わんばかりに告げられたオルガマリーの死は、オルガマリーを酷く混乱に陥れた。どう足掻こうとも、これから先の自分には死の運命しか待っていない。それは果てしない絶望だった。
楽しそうに笑いながら、レフはオルガマリーの近くへと一歩一歩近づいていく。レフがこれから何かをしようとしていることは、立香にもマシュにも分かった。理解できていないのはオルガマリーだけだろう。しかし、理解している二人は動けなかった。元々戦う者でない二人には、咄嗟の判断は不可能だったのだ。
絶対絶命。そんな言葉が立香たちの脳裏を過ったとき、救いの手は差し伸べられた。
「ガッ──」
突然レフが十メートル近く吹っ飛ぶ。その余りの素速さに、立香は言葉を失った。視界に収めることも、脳が理解することも出来ないほどの速さ。これこそが英雄。そんな言葉が立香の脳裏を過る。
「オルガさん、大丈夫っすか!」
「あ、あ、あなた! 大丈夫なわけないでしょ!」
突然現れオルガマリーの手を引くジナコに、オルガマリーは見当違いな罵倒をする。それにジナコが懐かしそうに微笑んだ。それにオルガマリーは怒りの形相を見せる。
「な、何暢気にしてるのよ! 何でレフを!」
「オルガさん、レフはもう、人間じゃないっすよ」
「──」
ジナコは至極真面目に、諭すようにオルガマリーに告げる。オルガマリーは反論しようとして、何も言えない自分に気づいた。あのままでは自分はレフに殺されていただろう。それを助けてくれたのは、目の前のジナコなのだ。オルガマリーはヒヤリとした汗が流れるのを自覚する。
「……私の命を救ったことに関しては感謝します。けれど、そこのサーヴァントは何?」
「オルガさん、悪いけど今は下がるのが先っす」
ジナコは、サーヴァントの戦闘が起こす余波を知っている。ジナコを庇った状態では、まともに戦闘は出来ないだろう。ジナコはオルガマリーの手を再び引く。そんなジナコの気遣いは杞憂に終わった。
「ジナコ=カリギリ……死にぞこなったか……」
地面に叩きつけられたためだろう。今にも朽ちそうな体でレフが告げるのを後ろに、ジナコは沈黙を返す。その言葉には、僅かな怒りが籠っていた。アーチャーは警戒しながらも、情報を引き出すことを優先したのか攻撃を止める。
「しかも、この大英雄とはな! まあ良い。どちらにせよ貴様に残された道は無様な死だけだ。は、はは、ははは──」
レフの悪意に満ちた哄笑は、アーチャーの矢によって終わりを告げる。事切れたかに見えたレフの体は、この特異点から姿を消していた。ギリギリで逃げることに成功したらしい。ジナコは歯噛みする。アーチャーの表情も険しかった。
ジナコが改めてオルガマリーの方に向き直ろうとすると、オルガマリーの手からジナコの手が叩き落とされた。ジナコはそれに、思わず目を丸くする。
「私、もう死ぬの? いえ、私はもう死んでる、あなたは救ってくれたけど、結局助けてはくれなかった、私にはもう、未来はないんだわ──」
レフが消えたためか、オルガマリーは自分の状況を思い出し、再び不安定になる。トランス状態になったオルガマリーに立香が近づこうとしたが、言うべき言葉が見つからないのか、その足は自然と止まった。マシュも、悔しそうに口を噤むばかりだ。
そうなれば、何か言えるのはジナコだけだと、そうジナコは自覚した。ジナコはオルガマリーに向かって、口を開く。
「オルガさんがいてくれたから助かったこと、幾つもあるっす。さっきはレフの意識を向けてくれてたからアーチャーの奇襲が楽になったし、ここに来るまでにマシュたちも随分助けてもらったはずっす」
「何が言いたいの? 私はもう死んでるんだから! そんなの関係ないじゃない!」
ジナコの脈絡のない言葉に、オルガマリーはその気持ちを叩きつける。それはジナコにとってとても馴染み深い苦しみだった。ジナコは運良く助かったが、オルガマリーにそんなことは起こらないだろう。それでも、少しだけその気持ちを楽にしてあげることは出来るはずだ。
「ありがとう、オルガ」
「っ!」
「ボクは、キミにそれを言えたから、死んだはずのオルガさんがここにいてくれたこと、とても嬉しく思うっす」
オルガマリーは信じられないようなものを見る目でジナコを見た。オルガマリーはその高飛車とも思える態度に反し、案外自己評価は低い。そんな自分を認めてくれる人がいる。そんな自分に価値を与えてくれる人がいる。ただ救ってくれるのではなく、自分の努力を無駄にしないでくれる人がいた。
そんなことに気づけなかった自分が、酷く滑稽に思えた。
「それでは救い過ぎ、ですね」
アーチャーがポツリと呟いた言葉は、誰の耳にも届かず消えていく。それと同時に、地面が揺れ始めた。これは地震ではなく、特異点の崩壊の兆しだ。そう、ロマニが叫ぶ。オルガマリーには最早、一刻の猶予も許されていなかった。ロマニは着々とレイシフトの用意を進める。
その最中、ジナコは再び言葉を放った。
「で、もしかして、恥ずかしいとか思っちゃった?」
「な、な、何を!」
「もう、照れない照れない。──なら最後にもういっちょ、恥ずかしいこと言っても問題ないっすよね!」
いや、問題あるだろう、とオルガマリーは内心突っ込んだ。しかしジナコは有無を言わせない様子で微笑みかけてくる。立香たちも異様な雰囲気に言葉を失った。
それなのに、オルガマリーは何故か、ジナコの言葉を実行しようとしていた。動揺しながらも、必死に答えを探す。もう時間がない。最後にひとつだけ残す言葉を選ぶなら──。
「……託します」
決意を秘めた瞳で、オルガマリーは告げる。ジナコたちの体が徐々に霊子に変換されていく中、オルガマリーは最後の勅命を下した。
「人理の救済の使命を、あなたたちに引き継ぎます」
オルガマリーは毅然とした態度を見せる。しかしその声音からは、この先に何も出来ないことへの悲しみが隠せていなかった。それでも尚、オルガマリーは凛とした姿を見せようと気を張り続ける。
オルガマリーの最後の言葉を聞き、ジナコも、立香も、マシュもその意志を固くする。それからレイシフトの波に巻き込まれるまでに、然程時間はかからなかった。オルガマリーはこのまま、崩壊に巻き込まれて跡形もなく消え去るのだろう。
ジナコはオルガマリーの言葉に後押しされるように、覚悟を決めた。自分で煽っておきながら、自分がその恩恵を受けているなどどうしようもないが、それもまた、自分のあり方なのだろう。あの人のように図太くはなれないが、今はこの気持ちを抱えたまま進むしかない。いつか自分のことをきちんと好きになるために。
霊子の粒子はやがて肉体に再構成されていく。ジナコはそれを感じながら、意識を落としていくのだった。
冬木へのレイシフトの次の日、ジナコたちは中央管制室に集まっていた。一同の面持ちは悲壮でこそないが、一様にどこか剣呑な光を帯びている。それもそのはずだ。カルデアの襲撃に、組織を纏めるべき所長の不在。誰も発狂していないことが奇跡といって良い。
ロマニはそんな中、自ら苦しい役目を買って出た。立香に人類史を背負うことが出来るか、その覚悟を問う。立香は神妙な面持ちで頷いた。それにロマニは朗らかな表情をすると、今度はジナコの方へと向き直る。
「ジナコちゃん、僕は君に、現地での立香ちゃんのサポートをしてもらいたいと思ってる。君みたいな子どもを戦地に送り込もうとするボクのことを罵ってくれて良い。受けてくれるかい?」
「ボクは始めから、そのためにここにいるんす。だからそんなこと、気にしなくて良いんすよ」
ジナコは微笑みながらも、真摯な瞳をロマニに向ける。ロマニはその目を見て悟った。ジナコの中にはこれまでにない強い覚悟が宿っている。苦境は人を成長させるのだということを、ロマニは思い知った。
「それに、戦ってくれる人はボクだけじゃない」
「うん、私もジナコのことを支える」
立香はそう告げながら、ジナコの頭を撫でた。ジナコはそんな立香を羨ましく思う。他に戦ってくれる人がいるのだから、巻き込まれただけと言って良い彼女が無理に戦う必要はない。
だというのに、立香は既に決意してしまっている。あの人のように、マシュやロマニのために立ち上がっているのだ。ジナコがこうして戦う決意を決めるまでの苦労が、まるで馬鹿らしく見えてくるほどだった。
ジナコの答えに満足したロマニたちは、グランドオーダーの発動を宣言する。ジナコたちはそれを聞き、それぞれに思い思いの今後を夢想した。それから簡単に今後の予定をロマニが話すと、その場を全員が解散する。冬木での疲労を取るため、今日はそれぞれ英気を養うこととなった。
「──う……やっぱ、ダメだなぁ」
ジナコは口元を拭いながら呟く。トイレの個室に籠ってから、凡そ一時間が経とうとしていた。ジナコの胃の中身はもう空っぽで、出てくるのは胃酸ばかり。しかし、未だせり上がってくる吐き気を止められない。
目の前で一人の少女を見捨ててしまったことに、ジナコは心苦しさを感じていた。助けられるはずがなかったと、そう割りきられれば良かっただろう。
ガトーの時のように、誰かに気持ちを吐き出せれば良かったかもしれない。けれど、職員の誰かに気持ちを吐き出せばその人が思い悩むことになる。かといってサーヴァントに弱みを見せるのは、ジナコには承服し難いことだった。
ジナコは弱い。救えなかった人のことを無視することも、その後悔に自分を奮い立たせることも出来ない。全く、こういったところは魔術師に向いていない、と自覚する。死の受容なんて、ジナコからは一番遠いものだ。
オルガマリーが最後に本当に言いたいことを言えたのかすら、自信が持てなかった。オルガマリーは彼やあの人と出会わなかったジナコだ。ジナコはオルガマリーに、嘗ての自分を幻視していた。
「はぁ……しょうがない」
ジナコは諦めたように溜め息を吐くと、自身に暗示をかける。余り多用するのは良くないことだろうとは分かっているが、このままでは日常生活に支障を来しかねない。
ジナコは個室を出て手早く口を濯くと、自室へと戻る。この旅がこれからどれだけジナコの心を苛むことになるのか、ジナコにはまだ、想像すら出来なかった。