ジナコさんinカルデア 作:クリシュナ実装はよ
第一特異点が見つかった、という報告は、ジナコの予想より案外早いものだった。時間軸から外れた歴史のターニングポイント、特異点。それは冬木と同じく、やはり不安定なものらしい。ジナコたちは招集されると、あっという間に準備を進めることになった。
「それにしても、ジナコさんがサーヴァントを呼べなかったのは誤算でしたね」
「ほんとそれっす……」
レイシフト用のスーツを身に付けながら、マシュとジナコは語り合う。ジナコの表情には、がっかりとしたものが隠せない。マシュは何と慰めれば良いのか分からないのか、困惑したような表情をする。
溜め息を吐きながら、ジナコは数日前のことを思い返した。
英霊召喚システム・フェイト。それはカルデアの魔力供給によってサーヴァントを維持する、擬似的なサーヴァント召喚システムだ。聖杯や世界によって維持されるサーヴァントの力からすれば格落ちも甚だしいが、兎に角沢山の英雄と契約できることがその利点。ジナコも例に漏れず、アーチャー以外の新たなサーヴァントを召喚しようとした。
「まさか、ボクのサーヴァントはカルデアのサーヴァントと召喚形式が違うとは……」
「レイシフトと同時に召喚してしまったせいだろう、とドクターが言っていました」
結論から言えば、ジナコはサーヴァントを呼ぶことが出来なかった。聖晶石というものを依り代にして呼び出そうとしたのだが、それは形を変えることなく、コトリと据え置かれたままだったのだ。もしかしたら彼に会えるかもしれない、と期待したジナコは、そこそこショックを受けたものだ。
アーチャーの見解によると、アーチャーには一人のマスターにつき一人のサーヴァント、というルールが適用されているらしい。通常の聖杯戦争のルールが適用されてしまっているというのなら、あり得ないことではないとジナコも考える。もしかしたら非はこちらにあるかもしれないのだ。ジナコの月の聖杯戦争でのルールが、ジナコの体に刻まれているのかもしれない。
幸い、魔力のパスは問題なくカルデアと繋がっており、無茶をしなければアーチャーが魔力不足で実力を発揮できなかったり、ジナコが身を削ることにはならないだろう。アーチャーの霊格の高さもあり、寧ろジナコに関してはこの方が良いのかもしれなかった。トップサーヴァントが厄介だというのは、ジナコの中の常識である。
「それに……」
ジナコは言葉を続けようとして、その口を噤んだ。マシュに聞いたところで、それは意味のないことだろう。マシュには聞こえなかったようで、マシュは着替えを続ける。ジナコはそれを確認すると、再び思案し始めた。
アーチャーが真名を教えてくれない。それが目下のジナコの悩みだった。
褐色の肌。黒い髪。こういう要素を鑑みれば、欧州や東アジアらしくはないと感じる。弓を使う、というだけでは中々思い当たるところはない。冬木のサーヴァントがなんとかの弓と言っていたが、ジナコはそれが何の弓と言っていたのか、思い出せなかった。重大なヒントを聞き逃してしまった気がする。
かといって、アーチャーがジナコに性格が似ているとはとても思えない。品行方正。公明正大。少々不遜なところはあるが、完璧な美男子だ。おとぎ話の王子様もかくや、といった有り様で、マスターとの相性から考えてみるのはどうにも難しい。
「絶対リア充っすよね……」
ジナコはボソリと呟く。ジナコの属性にだって需要はあると言ってくれたあの人を見習ってほしい。いや、結構あの人も酷いこと言ってなかったか。散々扱き下ろした後に褒めるのは完全に詐欺師のやり口ではないだろうか。
「いや、だらしないジナコさんにも需要はある……需要はあるんすよ……」
自己暗示をすると、ジナコは眼鏡を掛け直す。着替えを終えたジナコは、既に着替えを終えていたマシュと共に、立香の待つ中央管制室へと向かうのだった。
フランスのオルレアンといえば、百年戦争においてフランスに幾つもの勝利をもたらした少女、ジャンヌ・ダルクのことを想起する。
曰く、神の声を聞いた。使用人に紛れていた当時のシャルル王太子を見抜いた。フランスの敗戦を予知した。などの優れた見抜く力を備えている、といった話もあれば、文盲で、戦争のルールへの理解が浅く、型破りなやり方で勝利を収めた。戦闘能力は低く、敵の弓に当たって泣きわめいた。などという小娘らしい説もある。
キリスト教のカトリックの規定では、殉教した者、奇跡を起こした者は列聖、つまり聖人に認定される。最近の例で言えば、マザー・テレサもその奇跡を認められて久しい。
ジャンヌ・ダルクが聖人に認定されたのは、その死後から長い時をおいて、殉教した者としてだった。この通り、聖人なんてものは後世の人間による後付けだ。
それもあって、ジナコはジャンヌ・ダルクの精神性は聖人のものではなく、小娘のものだと思っていた。そもそもジャンヌ・ダルクがその価値を認められたのだって、あのナポレオンがその偉大さに更なる根拠を得ようとしたためだ。ジャンヌ・ダルクからしてみれば、良い迷惑だろう。虎の威を借る狐とは正にこのことだ。
そんなことをこの十五世紀のフランスに来てから、ジナコは考えていた。立香は案の定ジャンヌ・ダルクのことなど、甲冑を着た、神の声を聞いた人、くらいにしか知らず、マシュがそんな立香にジャンヌ・ダルクについて解説を始める。尤も、その最も有名なジャンヌ・ダルクの絵画にしても、後世の創作で当時の鎧とは違うのだというが。
マシュはこういった過去の偉人の伝説には興味津々のようで、それは立香よりも付き合いの長いジナコにも意外だった。マシュは俗世離れした雰囲気を纏っているのもあって、何事にも関心の少ない少女だと思っていたのだ。
考えてみれば魔術は過去へと向かう学問。カルデアは少し特殊だが、魔術師としては当たり前の関心なのかもしれない。
色々と無駄に前置きしてみたが、ジャンヌ・ダルクのことを頭の隅から引っ張り出しておいたのは、結果として間違いではなかった。それもそのはず、特異点での交戦中、ジナコたちは本物のジャンヌ・ダルクと出会うことになったのだから。
本物、といっても、それは生者という意味ではない。この時代のフランスは百年戦争の休戦期間。ジャンヌ・ダルクは既に火炙りにされ、没している。多くのイングランド人を手にかけた報い、因果応報というやつだろう。人を殺せば恨まれる。当たり前の道理だ。
今ジナコの前にいるのは、そんな火炙り後のジャンヌ・ダルク。サーヴァント・ルーラーとしての彼女だった。
ジナコはそんなジャンヌ・ダルクを目の前にして、心がささくれ立つのを抑えきれなかった。ジャンヌ・ダルクはただの小娘。そんな幻想は
ジャンヌ・ダルクは聖女と呼ばれた通りに清らかで、聖性を感じる人物だった。この人なら神の声を聞いていてもおかしくないと思わされるそれに、ジナコはつい自己嫌悪を始めてしまう。
だが、ジャンヌ・ダルクは完全なサーヴァントではない。サーヴァントというのは始めから完全なる者だ。しかし、ジャンヌ・ダルクはルーラーとしての権限を剥奪され、聖杯からの知識も足りず、マシュのように己の力を己のものとして扱えない、サーヴァントの初心者のような状態であった。これではジナコの複雑な気持ちをとてもぶつけようとは思えない。
「あの、私、ジナコさんに何かしてしまいましたか?」
「してない……してないけど……ぐぬぬ」
げに恐ろしきはその鈍感さか。彼女が自分のサーヴァントということがあれば、ジナコは今以上に煮え湯を飲まされていたに違いない。アーチャーは基本何もしなればほぼ無害だが、ジャンヌ・ダルクは傍にいるだけで恥じ入りたくなる。
「ほらー、ジナコってゲーオタだから、本物のジャンヌに会えて照れてるんだよ」
「照れてないっすよ!?」
『そういやよくソシャゲプレイしながらギルガメッシュはそういうキャラじゃないっす! もっと性格屑っす! とか叫んでたもんね! うんうん!』
立香がどこかでゲーオタだと知ったらしいジナコのことをフォローし、ロマニが妙に感慨深く頷く。そういうロマニはマーリン討伐クエストで実に嬉しそうにころころしているのをジナコは知っている。ゲームの中のこととはいえ、後々ロマニを強請る良いネタになるだろう。ジナコは密かに復讐を決意する。
「はぁ……ジャンヌさんみたいな人が知り合いにいるんすけど、その人を思い出してちょっと苦手に思ってるだけっすよ」
「なんだそりゃ。この嬢ちゃんみたいなのなら良い奴じゃねぇか」
そう告げたのはクー・フーリンだ。冬木での戦いの後に立香が召喚したサーヴァントで、冬木での縁があってか、キャスターのクラスで召喚されている。
アーチャー、キャスター、シールダー、ルーラーとは酷くアンバランスなチームになったものだ。ジナコは前衛に相棒だった彼がいたらな、とないものねだりをする。いや、彼には会いたいが、今いればジャンヌと共に攻撃力二倍になってジナコの精神力がゴリゴリ削られていくかもしれない。
「そんなことより今は今後の計画を立てることっすよ! ジャンヌさんが味方についたのは良いっすけど、竜の魔女とやらを探さないといけないっすよね?」
「ジナコ、強引に話を変えたね」
「まだ可愛いとこあんじゃねぇか、嬢ちゃん」
立香とクー・フーリンの茶々を尻目に、ジナコは話を続ける。この特異点でのフランスは、竜の魔女を名乗るジャンヌ・ダルクによって、めちゃくちゃにされていた。彼女はワイバーンを使役できるらしく、こちらのジャンヌと会ったのも、ワイバーンに襲われていたときだ。どうやらよく似た偽者らしく、助けた都市の兵士たちにジャンヌごと追いやられて今に至る。
「前回はキャスターが道案内してくれたらしいっすけど、今回はまだ情報も少ないっすからね……う~ん、敵が聖杯を持ってるなら、戦力拡充する前に叩いてしまうのも手だと思うっすけど」
「もう少し現地に詳しいサーヴァントを探してみるっていうのは? ジャンヌみたいなはぐれサーヴァントがいるかも」
ジナコは立香のその言葉で、自分の勘違いに気づく。冬木でそんなサーヴァントを見かけなかったから思い当たらなかったが、何も此方のサーヴァントがジャンヌだけとは限らない。この聖杯戦争は一般的な聖杯戦争とも、月の聖杯戦争とも全く違うものなのだから。
あのときの冬木のサーヴァントの言葉はこういう意味だったのか、とふと納得する。あの冬木の聖杯には恐らく、人数制限というルールが存在していた。でなければあのクー・フーリンといえどもやり過ごせるはずがない。あの冬木の聖杯はサーヴァントを完全に汚染する力を持っていたのだから。しかし、ここの聖杯もそうとは限らない。
少なくともここの聖杯で、竜の魔女はワイバーンを召喚している。ジャンヌ・ダルクに竜に関する逸話はないため、それは確実だろう。ならば、先述の通り人数制限はなく、聖杯による戦力拡充は可能で、はぐれサーヴァントも呼応して召喚されている、と考えられなくもない。どれだけ抑止力が働いているかは知らないが、明らかにサーヴァント初心者一人に対処できる事態ではないのだ。期待しても良いだろう。
「各個撃破しても新たに召喚されるなら、戦備を整えて竜の魔女に突撃した方が安全っすかね」
「こちらにアサシンがいればそれも良いでしょうが、竜の魔女もそう次々と召喚できないでしょう」
「なんで?」
魔力を気遣って霊体化していたアーチャーが口を挟むが、ジナコにはその意味が理解出来ない。ジナコの想像する聖杯は、汲めども汲めども尽きぬ万能の釜だ。敢えて人数制限を設置するとは考えにくい。
「あー、嬢ちゃん。英霊ってそんなに簡単に扱えるものじゃねーんだよ」
クー・フーリンはアーチャーの言葉を理解したのか、ジナコにヒントを与えてくる。それでジナコはアーチャーの言いたいことを理解する。未だ首を傾げる立香とマシュに、アーチャーは説明した。
「英霊は皆、他人に従うような気質とは限りません。たった一人の主君に忠誠を誓う者、誰にも従わない王や皇帝、そもそも反逆を旨とする者。そのような者たちを万が一召喚してしまえば、説得するか殺すくらいしか選択肢はない」
要するに、マスターがサーヴァントを扱いきれないのだ。自分に利さないサーヴァントを複数呼んでしまえば、その瞬間に殺されてしまうかもしれない。余りにもリスキーだ。令呪に従わないサーヴァントもいないわけではないのだし。
「彼女はサーヴァントを一人一人説得し、仲間に引き入れなくてはならないのです。一人の人間から世界を滅ぼすことに加担するような信頼を受けるのと、我々が敵を倒していくこと。どちらが速いかは火を見るよりも明らかです」
「ジナコのアーチャーは、凄いね……」
「これだからイケメンは……」
ジナコがそう呟くと、ロマニが『イケメン関係あるの!?』と突っ込んだ。ジナコの好みはかわいいショタなので、無駄に育ったイケメンはお呼びでないのである。自己肯定感がチクチクされて精神的によろしくない。イケメンは遠くにありて愛でるもの、と相場が決まっている。
立香がマシュといちゃいちゃしているのを見てジナコは羨ましくなった。ジナコも献身的で、可愛らしくて、時にかっこ良い美少女のサーヴァントを召喚したかったものだ。何も当てはまってない。
「あと懸念があるとすれば、その竜の魔女がルーラーかもしれないってとこか」
「そうですね。私は不完全なサーヴァントですが、向こうの私もそうだとは限りません」
クー・フーリンの指摘に、ジャンヌは青い顔で答える。ルーラーによるサーヴァントの探知は油断ならない。それはそもそも奇襲が出来ない、ということを意味しているのだから。
しかしジナコには、ジャンヌの顔色の悪さは、ルーラーの能力とは別のところにあるような気がした。しかし、ジャンヌの憂いを無駄に指摘しても特に良いことはないだろう。何もかも明け透けにすることが良いことだとはジナコには思えない。
そうしているうちに日も落ちてきたこともあって、生身である立香とジナコは眠ることになった。竜の魔女に見つかったときはそのときだ。休めるときに休むのも必要なことである。ジナコたちは慣れない野宿の中、眠りに就くのだった。
翌日、ジナコたちは竜の魔女にあっさりエンカウントした。ジナコが見る限り、その自称ジャンヌ・ダルクは、此方のジャンヌとは似ても似つかない性格だ。復讐心とその能力はいっぱしのものだが、頭に血が昇りやすく、他人に不信感を抱いている。
戦力で圧倒的に勝っているはずなのにその余裕のなさは、嘗てのジナコを思い起こさせた。我が身を省みることになり、ジナコは自分の不甲斐なさ、馬鹿らしさに乾いた笑いを漏らす。
竜の魔女はジナコたちの予想通り、サーヴァントを配下に置いていた。予想外だったのは、サーヴァントを従える方法が狂化の付与だったことだろう。完全に悪属性に汚染してしまえば話が早いはずなのにそんな手抜かりをする辺り、この聖杯にはそれほどの力がないと予測される。完全に冬木の聖杯とは別物だ。
とはいえ、狂化を付与しているだけ、と楽観は出来ない。一人一人説得するより余程楽であることに違いはないのだ。戦力の拡充はそれなりのペースになるだろう。
そんな風に冷静に分析していられたのはそこまでだった。敵側にいるバーサーク・ランサーがジナコを見た瞬間、頭を捻ったことにはジナコも気づいていた。自軍のサーヴァントに狂化を付与することによってサーヴァントを制御していていた竜の魔女だったが、彼女にとってもそれは予想外のことだったろう。
「そうか……ジナコ=カリギリ……」
ボソリとバーサーク・ランサーからそんな声が漏れたかと思うと、彼はジナコの方に向かって突撃してきた。辛うじて目に捉えられる速度だが、それは見えていないのと変わらない。となれば当然、その心臓を突き貫こうとしていた槍にジナコは何も反応できない。そうでなくともバーサーク・ランサーから向けられた殺気は恐ろしく、ジナコは自分にかけた暗示が解けていくのを自覚した。
「いや……」
「マスター!」
その槍はすんでのところでアーチャーによって遮られる。アーチャーはその弓で槍を弾くと、バーサーク・ランサーに向かって蹴りを叩き込んだ。アーチャーの方が格の高い英霊なのだろう。バーサーク・ランサーは為す術もなく吹っ飛んでいく。
「バーサーク・ランサー……これは一体……」
思わず、といった調子で竜の魔女が言葉を漏らす。その声は不審感と動揺で満ちており、特に手を貸そうともしない。
その隙に追撃するのかと思いきや、アーチャーはジナコを庇うように背中に追いやった。ジナコがアーチャーの視線の先を追うと、その先にはバーサーク・アサシンがいる。アーチャー一人突出して挟撃されると厄介な事態に陥るだろう。
となれば、次にジナコがするべきことは立香たちとの連携だ。立香の方もジナコの方に視線を向けてくる。
「……ボクとアーチャーがバーサーク・ランサーを惹き付けるっす。立香さんたちは他の人たちを抑えてくれるっすか?」
「任せて! ジナコの方には絶対に行かせない!」
立香は強い語調で返事をする。ジナコは立香の言葉に頷くと、バーサーク・アサシンたちのいる方とは正反対の方向に駆け出した。吹っ飛ばされたバーサーク・ランサーの殺気がジナコの方へ向いてくる。狂化されているおかげか、罠だとは欠片も考えていないようだ。そしてやはり、バーサーク・ランサーの狙いはジナコで間違いないらしい。
「っ……アーチャー! 抱えて!」
「了解しました、マスター!」
ただの人間であるジナコの足では充分な誘導など不可能だ。アーチャーはいつぞやと同じようにジナコを抱え、森の中へと縦横無尽に走り回る。バーサーク・ランサーはそんなジナコたちを迷うことなく真っ直ぐ追いかけてきた。
ジナコの体の震えはアーチャーには伝わってしまっているだろう。理由の分からない殺意を向けられ、気の抜けない現状がジナコには恐ろしくて仕方ない。自己暗示をかけ直している暇がない以上、ジナコは冷静さを取り戻しつつ策を練らねばならないのだ。ジナコには明らかに高すぎるハードルだった。
バーサーク・ランサーは言葉を口にできるというのは、先程の言動で確認している。しかし森の中で響く声は、最早獣のものとしか思えない。ジナコの恐怖は更に煽られ、何をすれば良いのかも頭の中からポロポロと溢れていく。
ジナコには、少なくとも本人が自覚する限り、バーサーク・ランサーに面識はない。ランサーのサーヴァントであれば二人知っているが、どちらも彼とは似ても似つかない見目だ。
「何で……何でこんな目に……」
「……」
思わず、いつもなら言わない本音が飛び出す。小さな声だったが、アーチャーに聞こえていないはずがない。突発性難聴が都合良く起こってくれるのは主人公だけと相場が決まっている。そうしていると、アーチャーはジナコの心中を理解してか、バーサーク・ランサーから逃げながら口を開いた。
「マスター、私はあの程度のサーヴァントに負けたりはしません」
「…………でもボク……どうせダメだから」
ジナコはそれが良いことだとは思っていないにも関わらず、悲観的なことを口にしてしまう。ジナコはアーチャーからの失望を予感した。心が折れかけたマスターなんて、お荷物以外の何者でもない。
冬木のときは常に恐怖に襲われることはなかったから表出しなかったが、ジナコは結局芯の部分が弱い。絶対優位とは思えないこの状況では、強く見せることすら出来そうになかった。
「その程度の事実はハンデにもなりません。たかが狂戦士のなり損ない、宝具を使うことすら過ぎたるものです」
「……そうなの?」
「当然です」
失望どころか、マスターの能力など関係ないと言わんばかりの冷めた対応だ。実際、興味などないのだろう。アーチャーが高潔な精神の持ち主であったがため、呼ばれた相手に応えただけで、誰であってもその弓の腕を捧げることに否はないのだ。
それはジナコにとって、酷く悔しく思えた。
アーチャーは誰でも認めているのではない。誰でも踏み込もうとせず、また、踏み込まれる気もないのだ。視界にすら入っていない。マスターへの敬意がないわけではないが、それはマスターの存在が彼の中で問題になっていないだけだ。
そのことを理解した途端、ジナコは恐怖を噛み殺した。全てを諦めていたら決して手に入らなかった感情を籠めて、ジナコは言葉を放つ。
「そんなの、絶対ダメっす」
「マスター?」
「ボクはここにいるんすから、いないことになんてしないで」
「……」
アーチャーは何も言葉を返さない。それがどういうことなのか、ジナコには分からなかった。けれど、この悔しさを告げずにはいられない。
「戦えなくても、頭が悪くても、ボクはアーチャーのマスターだから、ここにいることだけは止めたくない」
「……」
アーチャーはやはり何も口にしない。ジナコはこれ以上は無駄口と悟った。踏み入り過ぎれば取り返しのつかないことになるような気がしたのだ。
タイミング良くと言うべきか、ジナコが黙って直ぐにバーサーク・ランサーはアーチャーに追い付いた。弓は片手で放てない。アーチャーはジナコを地面に下ろすと、バーサーク・ランサーに向けて弓を構える。それにバーサーク・ランサーはニヤリと笑みを浮かべた。
「
それは宝具の真名解放だった。莫大な魔力がバーサーク・ランサーの体から溢れるのはジナコ程度でも知覚できた。ビリビリとした魔力の膨らんでいく様に、ジナコは対処法を見いだせない。
極刑王。それはかのワラキア公、ヴラド三世の渾名だ。メフメト二世も恐れた、槍による串刺しという残酷な光景。それを再現しようとでも言うのだろうか。ジナコはヴラド三世の手に持つ槍を警戒する。しかしそれはどうしようもなく悪手だった。
「まさか──!」
アーチャーが何かに気づいたように振り返る。けれどそれはもまた手遅れだ。地面から。或いは中空から。或いは枝葉から。あらゆるところから杭がジナコを縫い止めようと迫り来る。赤黒いその杭は濃密な魔力を放ち、それだけでジナコは気をやってしまいそうだ。明確に迫り来る死の予感に、ジナコはどうにか逃れまいかと活路を探す。
極刑王の真髄は刺し貫く物体そのものにない。そこに宿る概念こそが、この宝具の真髄だ。今はこうして刺し貫くプロセスを必要とするが、一度貫いてしまえば貫いたという概念を与えることが可能になる。それをかのヴラド三世が手抜かりするはずがない。
ジナコは完全に追い詰められたと自覚した。アーチャーの弓は間に合わない。どこかを切り払えばその向こうで刺し貫かれる。
「さらばだ、ジナコ=カリギリ」
重々しいその声は、死刑宣告だった。逆賊に罰を与える領主の裁きの前には、ジナコはただの小娘に過ぎない。ジナコという存在が磨り潰されていくのをジナコは幻視した。
「グ…………」
正面から迫り来るものこそアーチャーが薙ぎ払ったが、ジナコの体には無数の杭が突き立てられていた。神様がジナコを救ってくれることなどありはしない。まごうことなきバッドエンド、ゲームオーバーだ。体のどこかしこも痛くて痛くてしょうがない。だというのに、ジナコはショックで気絶することも出来なかった。
口の中に血がせり上がってくる。それを堪えることもできず、ジナコはそれを吐き出した。命が流れ出ていく感触に、ジナコは果てしない恐怖を感じる。もう止めてくれ、とジナコは思った。ここにいることを止めたいとすら考える。何度覚悟をしても、惰弱な精神は直ぐに折れてしまう。
それでも、戦わなくてはと思った。終わりを迎えることだけは、ジナコの全てが拒否する。
妄念であり、妄執と言われても何も文句が言えないだろう。どれだけ諦めようと思っても、いくら心が折れても、磨り減ったものが最後にその終わりを否定する。心を殺しても、理性を放棄しても楽になれるはずなのに、それをジナコ=カリギリは許さなかった。
「ガ……ァ……」
幸いなことに、ヴラド三世がそれを疎んだのか、頭だけはほぼ無傷だ。それならばジナコは、最後にマスターとしての役割を果たすことができる。喉の奥から絞り出すように、ジナコは声を出した。
「令呪を以て、命ず──」
ジナコの左手にある紋様が赤く瞬いた。魔力が令呪を通してアーチャーへと流れ込んでいく感触に、ジナコは確かな安堵を覚える。
「令呪など使わせるか!」
ヴラド三世はジナコの様子に気づき、ジナコの腕を切り落とそうとする。そんな焦りがもたらした行動は、当然の如くアーチャーに防がれる。アーチャーはヴラド三世に、宝具を発動させる隙など与えなかった。弓の一撃がヴラド三世の体を蹂躙し、その動きを怯ませる。そうまでお膳立てされれば、ジナコに留まる理由などなかった。
「──アーチャー、その宝具でヴラド三世を倒して!」
そう告げた途端、魔力が弾けたような感覚がした。アーチャーの手に持つ弓から、美しい炎が溢れ出す。弓が赤い炎を纏った光景に、ジナコはとても尊いものを見たように感じた。その神々しい炎は主を決して傷付けることはなく、優しくその頬を照らす。
「怪物に堕ちることを選ばなかった気高き者よ。この弓の前に倒れること、誇りに思いなさい」
その声は一際静かな響きを以て、ジナコの耳へと届く。
ヴラド三世といえば、アイルランドの作家、ブラム・ストーカーによって吸血鬼としての性質を与えられた者だ。竜公子ドラキュラから悪魔の子ドラキュラに成り代わった逸話の具現としての宝具を持っていたとしても、何もおかしくはない。
それでも怪物に身を堕とさないその精神は、正しく英雄そのものだろう。その高潔さにこそ、メフメト二世は恐れを抱いたのかもしれない。
「炎の神よ──」
アーチャーの宝具の魔力が高まるのに合わせて、ジナコの僅かな魔力も奪い去られていく。ジナコの意識もとうとう薄れ始めた。たとえ精神が強固であったとしても、体が持たない。血が足りないのに加え、魔力も削られてはどうしようもなかった。
「我が妻を──した女に、また滅ぼ──るとは……」
途切れ行く意識の中、そんな苦渋に満ちた声を聞いた気がした。
「──あ、目が覚めたみたい。おはよう、ジナコ」
「ぁ……あれ? 立香さん、ボクは……」
目を開いた途端に視界に入った赤毛に、ジナコは目を瞬かせる。ここ最近見慣れるようになった赤毛は、安心したように微笑みを溢した。
「大丈夫? 私のこと、分かる?」
「もち。……おはようっす、立香さん」
とそこまでジナコは口にして、何か忘れているような気がした。そもそも自分の部屋に立香がいることからして珍しいが、それ以上に違和感がある。ジナコは記憶を遡ろうとして、そして心臓が止まるような心地がした。
「フランスは!? ぐぁ……う……」
「わっ! ジナコ、急に動いたら駄目だよ!」
立香は起き上がろうとしたジナコの肩を押さえ、ゆっくりと再び横にさせる。ジナコの頭の中は混乱でいっぱいだった。
アーチャーの宝具でヴラド三世を倒すように命じた記憶はあるが、その後どうなったのか全く分からない。それもそのはず、ジナコはそれから一度も目覚めなかったのだから、当然のことだった。
立香は神妙な顔をすると、ジナコに対してゆっくりと語りかける。
「あのね、ジナコ。ジナコはランサーと戦ったときに、ほとんど死にかけってところまで行ったの。だから、そう簡単に元気になったって思い込まれたら、困るよ」
「……」
全身を串刺しにされ、宝具を使って魔力まで消費したのだ。それで何もないなんてことは、人間ではありえない。筋肉痛や徹夜明けよりもずっとおぞましい、体を繋いでいる何かが千切れていくような感覚が絶えずジナコを襲う。痛みで再び眠れないのではないかとすらジナコは感じた。
「ごめん……」
「謝らないで。ジナコがこうなったのは、そもそも私の判断ミスだよ。ジナコを一人にしちゃいけなかった。ジナコはまだ子どもなのに……」
立香は申し訳なさそうに告げる。それはジナコからしてみれば、此方の台詞とでも言うべき言葉だった。立香だって、まだ守るべき子どもだ。このような重荷など、背負うべきではない。
ジナコの負傷は初見殺しの宝具だったとはいえ、相手の能力を見誤ったことが原因だ。
「やっぱボク、弱いっすね」
「ジナコは強いよ。私、あんな風にズタズタになったらって思ったら、怖いもん」
「ボク別にズタズタになるのが怖くないわけじゃないんすけどね……というかやっぱりズタズタだったんすか……」
「うん。ズタズタ」
ズタズタ言い過ぎて、ズタズタという言葉がが崩壊してくるような感覚を覚える。ジナコは想像するのを止めた。流石にズタズタにされる瞬間の痛みまで思い出そうと思うほど馬鹿ではない。
ジナコはふと自分の怪我のことについて気になり、立香に問う。すると、どうやら気を失ったジナコを、現地のサーヴァントが治療してくれたらしい。
しかしそれは表面的なもの程度だったようで、目覚める様子のないジナコは安全な所に匿われ、定礎復元後にカルデアに帰還させられたようだ。その治療してくれたサーヴァントというのが、ジナコにとって驚くべき相手だった。
「マリー・アントワネット?」
「うん」
「デジマ?」
「デジマ」
サーヴァントの何でもありっぷりを強く認識した瞬間だった。近年のフランスの名誉回復活動のこともあり、悪人ではないことはジナコにも予想がついていたが、宝具足り得そうな逸話が思い付かない。
首飾り事件やら基本的に王妃が苦しむタイプの逸話ばかりだ。王妃の方がヴェルサイユ宮殿そのものを宝具にしているというのはありだろうか。そう考えて流石にないかと首を振る。
何はともあれ、命が繋がったのだから良しとすべきだろう。途中でリタイアしたなど情けない話だが、良い勉強になったとでも前向きに考えていくしかない。サーヴァントが強いならマスターを狙うのは当たり前。そんな当然のことを、もう少しよく考えるべきだということに気づけたのだから。
「アーチャーにも、謝らないとな……」
「うん。ジナコのこと、心配してたみたいだよ」
立香の言葉はジナコにとって意外に思えたが、素直に嬉しい。今回はアーチャーも肝を冷やしてしまったことだろう。機嫌を損ねていなければ良いが。
そんな風に話しているうちに、ジナコの体が休息を求めているのか、段々眠気が襲ってきた。うつらうつらし始めているのに気づいたのか、立香が頭を撫でてくれる。ジナコはその心地良さに、直ぐに再び夢の中へと旅立った。