ジナコさんinカルデア 作:クリシュナ実装はよ
第一特異点におけるジナコの負傷は重症だった。表面こそ繋いでいるものの、その中身は未だ繋ぎきれていない。下手すればいつ死んでもおかしくない、というのがロマニの見立てだ。であるというのに、ジナコの耳にはそんな事実は知らされていなかった。ロマニが下手に気を回し、ダ・ヴィンチ以外にそのことを言わなかったからだ。
そのためジナコはほぼ寝たきり、移動するには車椅子でアーチャーに運んでもらう、といった状態で、カルデアでの療養生活を送ることになった。治癒に関するサーヴァントが召喚されていないのも痛い。ロマニとクー・フーリンの魔術によって、どうにか治癒速度を速めているのが現状だった。
ジナコがほぼ寝たきりになったためか、毎日のように立香やマシュがジナコのマイルームへと訪問するようになった。そのため、ジナコは寝たきり状態でも退屈するような日はない。
立香は寝ているジナコに、よく故郷である日本の話をしてくれた。ジナコの母親やあの人の故郷のことというのもあり、ジナコにも興味がある。充分に楽しんで聞くことができた。ジナコの生きていた時代には崩壊していた国家の話を聞けるなんて、何だか新鮮だ。
マシュはそう言った話題は不得意なのか、話すことと言えば立香とのことばかりだ。しかし小さな思い出一つ一つを楽しそうに話すので、ジナコはとても微笑ましい気持ちになれた。
そうして日々が過ぎていったある日のこと、立香はジナコの部屋にある机に視線を向け、ふとジナコに訊ねた。
「ジナコの机にあるあそこの本って何?」
「ん? あ、『マハーバーラタ』のことっすか?」
「まはーばー、らた?」
立香のその声音はさも初めて聞きました、とばかりだった。ジナコはそれに苦笑いすると、立香に『マハーバーラタ』のことについて教えることにする。いずれ役に立つ日が来ないとも限らない。話して損はないだろう。
「ま、簡単に言うとヒンドゥー教が重視するインド神話のひとつっすね。インドではドラマ化とかもされてて、結構人気な話なんすよ」
「へー、そうなんだ」
「ま、日本じゃヒンドゥー教はメジャーじゃないみたいっすし、知らなくてもおかしくはないっすよ」
立香は分かったのか分かっていないのか頷くと、机から『マハーバーラタ』のうちの一冊を手に取り、ジナコの元へと戻ってくる。そして読もうとしたのか本を開いてみたが、その目論みは失敗に終わった。
簡単なことだが、ジナコの母国語はドイツ語である。その『マハーバーラタ』も、ドイツ語訳のものであった。ジナコも流石に原典のサンスクリット語まで網羅は出来ていない。どちらにせよ、言語を翻訳するための護符は文字にまで通用していないようだが。
「ふむふむ。よし! ジナコ、あらすじ!」
「うん。まあそうなるっすよね」
しかし『マハーバーラタ』は聖書なら四倍の長さ、『イリアス』と『オデュッセイア』を足したものなら八倍の長さという大長編の神話である。世界三大叙事詩の二つを合わせてもその一つの長さに届かないなんて、いっそ恐ろしい。話すならば、詳細を省いて纏めて話すしかない。ジナコは少し頭を捻ると、ポツポツと語り始めた。
「キリストが生まれるよりもずっと昔、パーンダヴァ五王子とカウラヴァ百王子っていうのがいましてね。それぞれ代々クルクシェートラってところを治めていた王様の家系の人間なんす」
それ以前の時代の話やドローナ辺りの話は省いていく。パーンダヴァとカウラヴァの王位継承に関わる話以外は然程重要ではないだろう。
「パーンダヴァの方は当時の王の息子たち。カウラヴァの方は王兄の息子たち。そんな関係もあってか、カウラヴァ百王子たち、特に長兄ドゥリーヨダナは優秀なパーンダヴァ五王子に嫉妬心を抱くようになるんす。そのために五王子を焼き殺そうとして、そこから泥沼の争いが始まった」
「百!? どんだけ!?」
「まあ、神話の世界のことは深く考えちゃダメっすよ。あらゆる謎現象が罷り通る時代なんすから」
まさか生まれたのが肉塊で、それを百──正確には百一──に分割したなど誰が信じられるだろう。神秘の濃かった時代のことだ。その辺りは追及しない方が後々気が楽になるだろう。ジナコのそんな思惑は伝わらなかったのか、立香は目をひたすらパチクリさせる。ジナコは気にせず続きを話すことにした。
「そんで、パーンダヴァの三男、アルジュナが弓の競技大会で優勝して、奥さんをゲットするんすけど……」
「けど?」
「母親のアドバイスによって五王子の共有財産になるんす」
「訳が分からないよ!?」
アルジュナの母、クンティーはどうやら、何か食べ物を托鉢して来たのだと思っていたらしい。それを受け入れてしまう五王子たちも五王子たちだ。ジナコはその愚直さに、自分の相棒もこの神話の中なら霞むのだろうと理解してしまった。
「ま、それから何だかんだあってパーンダヴァは国の半分をゲット。けどカウラヴァ関係でまた追放されて、領地の返還を求めたけどカウラヴァの長兄、ドゥリーヨダナに拒否されるんす。そこからいよいよ戦争の始まりっすね」
「むむむ。ドゥリーヨダナって割りと考えなし?」
「ドゥリーヨダナはカリっすからね。悪の化身ってことっすよ」
とはいえ、ドゥリーヨダナのやっていることはただの嫉妬心によるもののようにジナコには見える。要するに、小物臭いということだ。それに、ビーマセーナの方だって戦争でルール違反をしている。
あの彼の親友であることを踏まえても、ジナコには案外好ましい人物だったのではないかと思えた。勿論、そんなことを立香には言えないが。
「ま、何だかんだあってパーンダヴァが戦争に勝利するんすけど、その途中で五王子たちの親友、クリシュナが命を落とすんす。自らの罪や友を失った事実に苛まれ、生きる気力を失った五王子たちは山登りをするんすけど……」
「ここで登山!? 神話って……神話って……」
立香もとうとうインド神話のおかしさに染められつつあるらしい。ジナコも初めて知ったときはそんなことを思っていたな、と懐かしく思った。
それでもジナコは立香のことは特に気にせず更に畳み掛ける。
「で、長兄のユディシュティラだけが山頂に辿り着いて、天国に行けたと思ったらそこにはカウラヴァ百王子が」
「地獄だ!」
「実は皆天国行きだったよー、皆あの世で幸せになったよー、みたいなオチっす」
とてつもなく雑な纏めだったが、概ねそんな話である。見方によってはハッピーエンドと言えなくもないし、綺麗に纏められた話だろう。この程度の説明では教訓なども全く感じ取れないだろうが、興味ぐらいは持ってもらえたはずだ。
ジナコは一人頷くと、立香の表情を窺う。
「うん、インドおかしい」
「悟りを開いたっすね」
きちんと解脱出来るかは兎も角として、立香とジナコの心は今限りなく通じ合った。現代人の一般的な感性の持ち主であるジナコと立香にはインド神話の世界は余りにも奇妙に過ぎる。
「うーん、でも神話ってこういうものなのかも。日本の神話も結構変なことしてるし」
「『コジキ』、で合ってるっすか?」
「そうそう。あれも神様がちょっと何かしただけで色々生まれたりするし、酷い神様もいるし」
立香は日本人らしい例を出す。ジナコは母親が日本人だが、『古事記』には然程詳しくない。立香はそれを知ると、『古事記』について語ってくれた。ジナコにとって日本の神話は新鮮で、興味深い。立香がときどき突っ込みを入れながら語るのも、上手く話に引き込まされた。
「神話の神様ってやっぱ碌でなしっすね……」
「きっと良い神様だっているよ、うん」
遠い目をするジナコに立香は苦笑しながら答える。立香はその辺り、結構寛容なのかもしれない。この状況を思えば良いことだろう。宗教的な問題でサーヴァントに殺された、とあっては目も当てられない。
「ふぅ。結構話し込んじゃったね」
「あ、時間取らせちゃったっすね」
「ううん。ジナコの好きなものの話が聞けて良かった」
「……」
ジナコは立香にそう告げられ、自分が『マハーバーラタ』という神話を好きだということをふと自覚した。好きだとか嫌いだとかいう気持ちで持っていた訳ではないが、言われてみればなるほど、持ち歩く程度には気に入っているらしい。
「また、『マハーバーラタ』のこと、話してくれる?」
「うん。今度はボクの一番好きな英雄の話をするっすよ」
「えへへ。楽しみにしてるね!」
立香はそう告げると、ジナコの部屋を去っていった。ジナコは『マハーバーラタ』を掌で撫でながら、ふと目を閉じる。
立香の持ってきた巻は、偶々彼の最後の戦いの話だった。英雄に呪いは付き物だが、彼の場合、それが死因へと直結してしまう。車輪が土に沈む呪いと、肝心な時に奥義のマントラが使えなくなる呪い。それらがなければ、彼は命を落とすことはなかったのだろうか。
「カルナ……」
いや、彼ならばそんなことは望まないだろう。彼はそんな苦境すら何も言わず受け入れ、ただ戦い続けるのだ。そんな彼だからこそ、彼は英雄足り得るのだろう。
そんな彼に変わらない感謝を抱きながら、ジナコは今日も彼が幸福であるよう、祈り続けるのだった。
あれから数日後、第二特異点が見つかった、という報告があり、ジナコはアーチャーに車椅子で運ばれながら、管制室に集合した。しかし、そこで受けた指示は、ジナコにとって嬉しくないものだった。
「ボクも着いていくっす」
「それは絶対に駄目」
ロマニとジナコは睨み合う。それにマシュが慌てたように二人を交互に見回した。このままいけば、二人は永遠にお互いを譲る気はないだろう。ダ・ヴィンチはやれやれ、と肩を竦めた。
「いーやーだー!」
「良いかい、ジナコちゃんの体はまだボロボロなんだ。何なら今すぐ凍結したって良いくらいだよ」
クー・フーリンや魔術師たちの協力もあり、ジナコの治療は自然治癒の何倍ものスピードで進んでいる。それでもしかし、見た目以上に中身はぐちゃぐちゃだ。ロマニはきちんと説明していなかったことを後悔した。
食事の内容も制限しているし、基本は点滴頼り。マイルームのベッドには尿道カテーテルまで設置してあるような状況で、特異点での野宿など出来ようはずもない。
「だから、今回の特異点はお留守番だよ」
「気合いで治すっす」
「ほんと、気合いで治ったら良いのにね……」
ロマニは溜め息を吐く。第一特異点攻略後、新たなサーヴァントの召喚をしたものの、治癒能力の高いサーヴァントは召喚出来ていない。そんな都合の良いサーヴァントがいれば特異点に行くことも出来たかもしれないが、それはただの夢物語だ。現実がそうでない以上、無茶をするのは得策とは言えない。
「ジナコ、無理は禁物だよ」
「でも……」
ジナコは立香にそう告げられてもなお渋る。ジナコにとって、それはエゴだった。かつてただ逃げることしか出来なかった自分のことを思うと、どうしても戦いたいと思ってしまうのだ。たとえ自分が戦力になんて到底なれないとわかっていても。
そんなジナコを見かねてか、ダ・ヴィンチが口を挟む。
「厳しいことを言うとね、ジナコ、君は足手まといにしかならない」
「アーチャーがいれば──」
「アーチャーも、君という荷物を抱えたままでは碌に戦えやしないよ」
ジナコは自分の目の端に涙が溜まっていることを自覚した。ただでさえ魔術師として優れているわけではないジナコだ。今の状態では、アーチャーもその全力の一端も出すことが出来ないだろう。ジナコは拳を固く握り締める。
「マスターがどうであれ、私は守りきるつもりですが」
「アーチャー、ジナコに同情してるなら、それは余計なことだよ。ジナコは今はたった二人しかいないマスターの一人なんだ」
「マスター……」
ダ・ヴィンチにそう指摘されたアーチャーは、決まり悪そうにジナコへと視線を向ける。アーチャーなりにジナコの味方につこうとしたのだろうが、ジナコの命には代えられない。ジナコはどんなに反論しても、これ以上は無駄だと理解した。
「……分かったっす。カルデアに残るっすよ」
「うんうん。よろしい」
ダ・ヴィンチはジナコが我慢したのを褒めるように、ジナコの頭を優しく撫でる。ダ・ヴィンチも子どもを責め立てるのは余り心地良いことではなかったのだろう。その罪悪感につけこんで、ジナコは一つの提案をする。
「ただし、その間に特異点自動観測用のAI、完成させるっすからね」
ダ・ヴィンチと協力して作っていたAIは、いよいよ完成まであと僅かとなっていた。良い機会だ。完成してしまえばスタッフの仕事がぐっと減るだろう。試作として作ったプロメテウスの火の調整AIも上手く働いていると聞く。
「駄目だよ、ジナコちゃんはまだ大人しく寝てて」
「いや、ロマニ。私はジナコに賛成だよ。此方もそれくらいの譲歩はすべきだろう」
ダ・ヴィンチの言葉に、ロマニは渋々、といった様子で頷く。ジナコから見ても、ロマニの顔色は余り良くない。AIを取り入れた方がロマニのためになる、とダ・ヴィンチは判断したらしい。
「よし、それじゃあ話も纏まったし、第二特異点の説明に入るね」
「おう、やっとか」
ダ・ヴィンチの発言に、今までつまらなそうにしていたクー・フーリンが反応する。立香たちも表情をキュッと引き締めた。ジナコもそれに倣い、大人しく説明に耳を傾ける。ジナコはそのまま、静かに説明を聞き続けた。
ミーティングの三日後、立香たちは第二特異点にレイシフトした。第二特異点は一世紀のローマらしい。アイルランドでなかったのは幸運だろう。ケルト神話は碌でもない。
いや、ローマがまともかと言われると別の話になるのだが。何せ、カリギュラ、クラウディウス、ネロという碌でなし皇帝三連発の時代だ。
それはともかくその日から、ジナコは管制室に日参するようになった。というのも、ジナコも特異点の様子が気になったからだ。AIの最終調整をする傍ら、立香たちの様子を盗み聞きする、というのがジナコの日課と化していた。
「それにしても、清姫さんってめちゃめちゃキャラ濃いっすね」
「バーサーカーの宿命じゃないかな」
ダ・ヴィンチはそう乾いた笑いで答える。そもそも清姫は、その召喚の瞬間からぶっ飛んでいた。清姫は第一特異点から帰還後に召喚されたサーヴァントだ。しかし、召喚というのは言葉の綾、彼女はいつの間にかカルデアに現れていた。何でも、システム・フェイトを強引に起動させ、自力でやって来たとか。
清姫は特異点で出会った立香を自分の夫だと認識しているらしく、立香目的でカルデアまでやって来たようだが、この説明も自分で言っていて訳が分からない。流石バーサーカー。ジナコには理解できない地点に到達しているらしい。
「それを制御しきれてる立香さんもハンパないっす」
「コミュ力の塊とでも言うべきか」
「コミュ力……う……頭が……」
引きこもり歴十五年という闇を抱えた十一歳がジナコである。耳が痛くて仕方ない。ジナコの相棒だった彼もその点で頭を抱えそうなところが、より闇の深さを実感させる。マスターとサーヴァントは似る。つまりそういうことだ。ジナコのコミュ力は虚言癖と煽り癖がなくなればほぼ問題ないはずなのだが、それを指摘する者は誰もいなかった。
「ジナコ、友達はいる?」
「べべ別にぼっちじゃないし!」
SG・ひとりぼっちを自覚している分、その指摘はダメージが大きかった。生温い目で見つめてくるダ・ヴィンチに耐えかね、ジナコはこほんと咳払いする。
「そういうダ・ヴィンチちゃんさんはどうなんすか?」
「軍人から芸術家、数学者にまで私の友人は幅広くいたってことくらい、知ってると思ってたんだけどなぁ」
「ミケランジェロとか?」
「なあんだ、知ってるじゃないか」
ミケランジェロがダ・ヴィンチと親交が深いことは有名な話だ。しかし油断は出来ない。何でも、ダ・ヴィンチには同性愛者の疑いがある。恋人は友人とは言えないだろう。そうに違いない。
恋人だろうが友人だろうがぼっちではないことに変わりはないのだが、ジナコはぼっち仲間だと思いたいがためにその目を曇らせた。寧ろ恋人の方が勝ち組な事実にも、当然気づかない。憐れジナコ。
ジナコは下手に現実に気づく前に、話題を変えることにした。
「そういえば、ダ・ヴィンチちゃんさんって、何でダ・ヴィンチちゃんって呼ばれたがるんすか?」
「おや? 唐突だね」
ジナコの疑問も尤もだった。ダ・ヴィンチとはただの出身地を表す記号に過ぎない。姓というほどのものではないはずなのだ。
「そんなに深い意味があるわけじゃないよ。ただ、レオナルド、なんていかにも男性的じゃないか。折角美しい女性になっているのに、レオナルドなんて似合わないだろう? かといって、レオナルデなんて呼ばせたらややこしいしね」
「なるほど、ロールプレイっすか。しかもネカマ」
「そんな風に言っちゃう? 拘りと言ってほしいなぁ」
ジナコの身も蓋もない言い分にダ・ヴィンチは唇を尖らせてみせる。中身がおっさんであることを思うと一気に残念に思えてくる光景だ。
「それに君だって、AIに異様に拘ってるじゃないか。最初はただのプログラムの予定だったのに、仮想の人格と外見まで作っちゃってまぁ……」
「いや、ダ・ヴィンチちゃんさんも外見に関しては大分口出ししてきたじゃないっすか」
当初、ジナコはアンデルセン(バージョン純心)の開発をしていた。現実の残酷さを知って打ちひしがれたジナコは、ならば自分がそれを改造してしまえと企んだからである。しかしダ・ヴィンチがそれを発見し、その外見にいちゃもんをつけ始めた。
何でも、艶やかな黒髪の方が美しい、眼鏡は基本、と注文がつけられていった結果、外見はダ・ヴィンチ好み、内面はジナコ好みのAIが生まれてしまったのだ。
「この天才に任せたおかげで完璧な美少年になっただろう?」
「うーむ、これならアーチャー(バージョンショタ)の方が面白かったかもっすね……」
「確かに、アーチャーはさぞかし美少年だったろうね」
ジナコとダ・ヴィンチはお互いの発言に顔を見合わせると、通じ合ったように握手をする。二人の表情は輝いていた。
「次回作では是非」
「ああ。任せたまえよ」
ここにジナコとダ・ヴィンチによる碌でもない同盟が生まれてしまった。アーチャーは管制室にジナコを運んでからは出払っており、この場にはいない。つまり突っ込み不在の状況で、止める者は誰もいないのだった。
そうしているうちに、立香たちが戦闘に入ったのがモニターに映る。ジナコは思わず、その画面に視線を向けた。フランスでもそうだったが、現地の人々の損耗が大きい。ジナコは思わず渋面を作る。
「……」
また自己暗示をかけ直さねばならないだろう。ジナコはそう思いながら、モニターから必死に目を逸らした。
特異点の攻略も終盤となったその日、ジナコはアーチャーの元を訪れていた。次回作に向けての取材、というわけではない。ジナコが個人的に、アーチャーとの親交を深めようとした結果だった。
フランスにて、宝具を用いたアーチャーだったが、その真名をジナコは聞けずじまいだ。故に、こうして少しでも真名を教えてもらえるチャンスを増やそうとしているのだが、中々教えてくれそうにない。
「うーん、アーラシュ?」
「はい?」
「外れか……」
弓の使い手で大英雄、そして褐色の肌でも違和感はない、という点で可能性は高いと踏んでいたが、アーチャーの反応からして違うらしい。
「そもそもあれは自爆宝具か……」
フランスで宝具を使ったにもかかわらず、生きているというのが良い証拠だろう。全く検討違いのようだ。
「あ、ラーマは?」
「『ラーマーヤナ』のコサラの王の、ですか?」
「奥さんゲットのために弓をどーたらこーたらしてたのを思い出したけど、やっぱり違ったか……」
当然、タイの方ではない。というか、現在まで続いている王室を上げるのは流石のジナコも気が咎めるものだ。
『ラーマーヤナ』はインド二大叙事詩の片割れだが、ジナコは『マハーバーラタ』ほど興味がなかったので部分的にしか知らない。それでも、誰も引けなかった弓を引くことが出来た、というのは中々のロマンだ。
王子様なところ、弓の名人なところは一致しているが、外見はイメージと違う。
「ヴィシュヌの
「どちらかと言えば斧使いのように思いますが……もしや、狂戦士の如く見えているとでも?」
「……」
きっとここで「うん」と頷けば狂戦士もかくやな姿を見せてくれるのではないだろうか。ジナコは冷や汗をかきながらそんなことを考える。
ここでパラシュラーマの大きなやらかし三つを述べておこう。一つ、破壊神シヴァに傷を付ける。一つ、シヴァの息子ガネーシャの角を折る。一つ、二十一回もクシャトリヤを大虐殺する。
強さに関しては頼もしいだろうが、少しばかり恐ろしい。アーチャーがパラシュラーマでないことを祈るばかりだ。そういえばパラシュラーマはまだ生きているらしいので、サーヴァントにはなっていないのかもしれないが。
「むむむ……」
「マスターはヒンドゥー教徒なのですか?」
「ん?」
ジナコがラーマやパラシュラーマと口にしたからか、アーチャーが訊ねてくる。どちらも『ラーマーヤナ』の登場人物で、パラシュラーマに至ってはカルナの師として『マハーバーラタ』にも登場している。
ジナコはアルジュナの問いに頭を振った。
「いーや、ボクは一応キリスト教徒っすね」
「『マハーバーラタ』を持ち歩いているのに、ですか?」
「あれ? もしかして立香さんに聞いた?」
ジナコの言葉にアーチャーは頷いた。それならその勘違いも理解できる。ジナコは聖書は持ち歩かないが、『マハーバーラタ』は持ち歩いているのだ。キリスト教徒らしくはない。
聖書はホテルの一室に置いてあったりするので、そもそも遠出するときに持っていこうと思わない、というのもあるのだが。
ジナコは洗礼もちゃんと受け、毎週教会に通うキリスト教徒だが、それは両親がキリスト教徒であることが大きい。心情的には前世のこともあり、無宗教と言って良かった。神様なんて人間が罰を与えるために作ったもの、なんて言われれば、どうしても宗教に対して複雑な気分を抱かざるを得ないだろう。そもそも、サーヴァントを認めている時点でお察しではある。
「単純に、『マハーバーラタ』が好き、うん、好きなだけなんすよね。普通に読み物としても面白いし。……まあ、めちゃめちゃ長いのだけが難点っすけど」
「何でしょう……意外ですね」
「どういう意味? どういう意味かな? かな?」
明らかに馬鹿にされた気がしたので、ジナコはアーチャーに詰め寄る。アーチャーはそれに対して黙秘した。ジナコは諦めて吐かせるのを止める。
「確かに、『バガヴァッド・ギーター』は結構ボクには難解だったっすけど」
「そうですか?」
「み、耳に痛いところも結構……」
クリシュナがアルジュナに語って聞かせたという神の詩、『バガヴァッド・ギーター』を読むことはジナコには試練だった。まず、言っていることが難解な上に、カルナが登場しない。これだけで読む気が失せてくる。更に、結局読み終わっても共感出来ない部分も多くあり、そして理解できる部分は耳を塞ぎたくなる。忠言耳に逆らうとはこのことだ。
「もうボクの結論はあれっすね、ヨガしたら痩せるから頑張ろ、みたいな」
「……そ、そうですか」
完全に思考放棄したジナコに、アーチャーは可哀想なものを見るような目で見てくる。親交を深めて真名を知りたいだけなのにこの扱いはいかなるものか。
「こほん。とにかく、『マハーバーラタ』は良い話なんすよ」
「……」
「な、なんすかその目は!?」
アーチャーは尚も疑わしげな目で見つめてくる。良い話なのは確かなのだ。教訓も沢山ある。神話らしいアレな話もかなりあるし、また彼が誤解をされてそうだな、と思う部分も沢山あるが、総合的には良い話なのだ。
「真面目に言うと、『マハーバーラタ』って、結構考えさせられる話なんすよね」
「そう、ですか?」
「うん。だって、勧善懲悪ってほど単純じゃないっすから」
初めに悪事を成したのは、確かにドゥリーヨダナだったろう。しかしそれだけで、パーンダヴァを正義だとは決めつけられない。パーンダヴァとカウラヴァの全面戦争となった当初、戦争にはルールがあった。しかし、そんなルールは破られていくことになる。正義であるはずのパーンダヴァもその例外ではない。
しかしそうして最後に辿り着くのは皆、天国だった。誰もが等しく天の国に招かれたのだ。
「あなたは」
「ん?」
「あなたは、私が悪に見えますか?」
それがどういう意味を以てなされたのか、ジナコにはわからなかった。けれど、答えならスルリと出てくる。
「そういう風に思う人もいるかもしれない。けど、どんなアーチャーでもボクのサーヴァントには変わりないっすよ」
たとえ悪であれ、どんな人間にも等しく価値がある。それはジナコが彼から受け継いだ、確かな信念だった。
立香たちの特異点攻略後、遂にジナコの作ったAIは問題なく稼働し、技師たちの負担は大いに減ることとなった。その代わり、美少年が画面に映ったりするのを最初は皆奇妙なものを見る面持ちで見ていたが、暫くすれば慣れてしまったらしい。密かにジナコとダ・ヴィンチはガッツポーズをする。
第二特異点の顛末と言えば、レフ・ライノールが魔神柱へと変貌した、というのは中々衝撃的な事件だった。それでも欠員一人出すことはなかったのは良いことだ。あの(音痴的な意味で)エリザベート系なローマ皇帝も、彼女らしい治世を敷いて、強いていくことだろう。
「マスターの傷も、ほとんど治りましたね」
「第三特異点も留守番になることはなさそうで善哉善哉」
ロマニもただ手を拱いていたわけではないらしい。医療スタッフ特製の死ぬほど苦い薬によって、ジナコはクー・フーリンも驚きの回復力を見せていた。良薬口に苦しとは言ったものだ。もう二度と飲みたくはないとジナコは思った。アスクレーピオス辺りが召喚されてくれることを切に願う日々だ。ほとんど治ったとは言え、体の軋みが取れたわけではない。
「アーチャーにも手間をかけさせちゃって、ごめんね」
「マスターを助けるのは、サーヴァントとして当たり前のことです」
アーチャーはさも何でもないように答える。車椅子での移動は、アーチャーにとってさぞかし手間だったろうに。アーチャーは今も、ジナコのことをただの置物としか考えていないのだろうか。ジナコはそれを聞きたいと思う気持ちをぐっと抑え込んだ。ジナコから信頼することが誠実さだろう。
「じゃあ、アーチャー。これからも迷惑かけるかもっすけど、よろしくっす」
「……はい」
まだアーチャーの声からは、堅いものしか感じられない。けれど、此方を見てくれる可能性がないわけではないのだ。ならばジナコはじっくりと付き合っていくしかない。かつて彼がジナコに対して、そうしてくれたように。
そうしていると、視界に見覚えのある橙色が映った。
「あ! ジナコ、アーチャー! 新しいサーヴァントを召喚したから、食堂に来てくれない?」
ジナコを見かけた立香が、嬉しそうに手を振って駆け寄ってくる。ジナコはその手を優しく振り返した。
「了解っす」
「えへん。美人さんが来たから楽しみにしてくれたまえ」
立香は何故か胸を張り、自信があります、と言った風に告げる。そうして「他の人も探してくる」と慌ただしく通り過ぎて行った。ジナコはそんな立香に思わずクスリと笑みを溢す。
「マスター?」
「楽しみっすね、アーチャー」
「え? ……ええ。そうですね」
アーチャーが本当に楽しみに思っているのかは分からないが、そうでなくとも然程問題にはならないだろう。ジナコはずる賢く計算しつつ、再び歩き始める。
ジナコは誰が来たのか想像しながら、食堂へと向かうのだった。