ジナコさんinカルデア 作:クリシュナ実装はよ
人間というものは、他人から過度に期待されると逃げ出したくなるものだ。期待というものは重責に等しい。その毒はやがて期待される側を蝕んでいく。
とはいえ、他人から失望されるのも恐ろしい。下手に実績を重ねていれば、その分喪失を恐れるようになるだろう。なぜならその喪失を軽減する方法を知らない。その喪失を補う方法も知らない。というかそもそも、その喪失が取り返しのつくものだと気づけない。
人の悩みは古今東西だが、その悩みを愚かしいものだと切って捨てるのは、余りにも非情に過ぎるだろう。そんなことが出来るのは、本当にただの一度も失敗をしないと確信している者くらいだ。或いは、その失敗を失敗だと認識出来ないか。
ここにもそんな悩みを抱える者が一人いた。
「何でこんなことに……」
ジナコはマイルームの隅で頭を抱えて踞る。その様子は人が見れば憐れに思っただろう。勿論、室内にはジナコしかいない。
ことの起こりは立香の発言だった。
『ジナコの好きな英雄の話、皆の前でしてもらえないかな?』
何でも、立香がマシュにジナコの好きな英雄が『マハーバーラタ』に登場する、とうっかり話してしまったらしい。それを聞いたマシュがそれを知りたいと言い出した。ここまでは良い。二人に話すくらいなら特に被害はないだろう。問題はその後だった。
『安珍様とマシュさんとジナコさんが三人で密会?』
どこをどう勘違いしたのか。というか今までジナコと立香がマイルームで友好を深めていたのをスルーしておきながら、何故反応したのかは分からないが、清姫の暴走が始まった。立香がジナコと約束している、という部分に反応したとジナコは見ているが、そもそも清姫が立香とマシュの会話を盗み聞きしていたというのが頭が痛い。
まあ、それで清姫が
『ジナコちゃんとマスターの好きな男の子の話? 私も知りたいなぁ』
清姫の言葉に何かを勘違いしたブーディカが乗った。乗ってしまった。清姫は嘘を吐いたら焼き殺す系女子なので、勿論発言の撤回は認められない。ブーディカはまんまと清姫の策(?)に乗せられた。これを恋バナの罠と呼ぶ。
まあ、このメンバーならまだマシだったろう。
『ん? 女子会だって? 勿論覗きに行くよ!』
愉快犯その一。これをダビデ王の悪乗りと呼ぶ。本気だったのか真偽は不明だが、現場には焦げた衣服が残っていたらしい。
ここでとうとう箍が外れた。おお、神よ。
『宴会? 勿論乗った!』
クー・フーリンの答えに迷いはなかった。というかダビデが巻き込もうと曲解した誘いをかけていたため、クー・フーリンはただの被害者だ。女子会はとうとう宴会へと変化した。
『ぼっち、ぼっちは止めてー!!』
ソロマニが宴会を聞き付け、参加することになった。その事を知ったスタッフ二十名も参加したがったため、ソロマニたちは飲酒禁止、特異点の観測を持ち回りすることで参加資格を得た。因みにソロマニとは
『こんな面白そうなこと、ほっとけないね!』
愉快犯その二。ジナコがここまで追い詰められることになった最大の原因である。なぜなら彼はこうのたまった。
『酒の肴はジナコにやってもらおう。そう、憧れの英雄について語る、とかね』
勿論皆が大賛成。ダビデなど今日までジナコにチラチラと視線を向けてきた。まるで自分のことを語ってもらえると確信しているかのようだ。勿論ジナコは何があろうとダビデのことなど語るつもりはない。旧約聖書を参照してもらいたいものだ。
そうしてお祭り騒ぎの中、アーチャーはこう告げた。
『私の真名が分かったのですか?』
ジナコは食堂の椅子でアーチャーを殴るという凶行に及んだ。アーチャーだけはまともなサーヴァントだと確信していただけはあって、ショックは大きかった。
因みにアーチャーはジナコの攻撃をさらりと避け、自信ありげな表情をしたので、ジナコは本気で令呪を使うことを考えた。命と引き換えにしてもその金ぴか的態度は正してみせる。
「どんな羞恥プレイっすか……もうSGとか散々なんだから……」
しかし立香に約束してしまった手前、断るのは気が引ける。ただでさえ第三特異点攻略後、泣かせてしまったことに引け目を感じているのだ。楽しみにしている立香をがっかりさせたくはない。
「ええいままよ! こうなったら一人芝居でも何でもやってやらぁ!」
「フォウ!」
「……」
室内に沈黙が満ちた。ジナコは恐る恐る足元を見る。そこには見覚えのあるもふもふ。二者の間に緊張感が漂う。
「……聞いてた?」
「
「な、何故か副音声が聞こえてくるような!?」
次の瞬間、ジナコの体に光が満ちた。謎の光がジナコの全身を覆っていく。ジナコは声にならない声を上げた。しかしそれで何かが変わるわけでもない。光が収まった後、ジナコは己の姿を見て言葉を失った。
「……」
「フォーウ!」
「……」
「フォウ!」
波乱の夜が今、始まる──。
食堂では既に宴会の準備が整っていた。古い英霊たちに合わせて、アルコール度数の低い酒。ブーディカ特製のブリタニア料理。ジナコの座る予定になっている、所謂お誕生日席は綺麗に飾り立てられていた。ブーディカの国はメシマズの国とか突っ込んではいけない。かの騎士王も僅か四百年ほどで起こった食料事情の変化には嘆いていることだろう。
立香とマシュを筆頭に、各人が思い思いの席に着く。そうして誰もがそわそわ、わくわくしている中、満を持して主役が登場した。
その姿は妖精のようだった。ふわりと揺れる桃色のバルーンスカートが、少女の幼い容姿にぴったりと合っている。茶色の髪はいつもとは変わって、二つに分けて結ばれていた。
「てぃひひ……」
ジナコの笑い声に立香がすくりと立ち上がった。そしてジナコの手を握ると、にこりと笑う。
「──捕まえた」
「立香ちゃん!?」
ロマニが焦ったように叫ぶ。それもそのはず。ジナコの手を握る立香の表情は、悪魔と呼ぶしかないものだったのだから。ダ・ヴィンチはカメラを構えた。
「えーと、座っても良いっすか?」
「あ、どうぞどうぞ」
特に何かが起こるでもなく、ジナコは空いている席に着く。立香も何事もなかったかのように席に戻った。するとカメラを無駄に構えてしまったダ・ヴィンチが口を開く。
「で、その格好は?」
「ちょっとした失言のせいで、今は魔法少女っす……うう……」
「キュップイ」
フォウがいつもとは趣の違う鳴き声を放ったことが、妙に全員の耳に残った。
若干ハプニングはあったものの、宴会は問題なく開催された。クー・フーリンが度数の高い蒸留酒を飲んで泡を吹きかけたが、その程度で英霊がどうにかなったりはすまい。酒と料理が後僅かになったところで、愉快犯が動いた。
「ところで、ジナコちゃんの好きな英雄について語ってくれるんだよね?」
「……チッ、忘れてると思ったのに」
ジナコは恨みがましい視線でダビデを見る。ダビデは飄々とした態度を崩さず、それどころか非常に楽しげにジナコを見返した。ジナコは諦めたように溜め息を吐く。
「……どんなに長くても一時間しか話しませんよ」
「いよいよ聞けるんだ! ありがとね、ジナコ」
「立香さん……」
立香とマシュがキラキラとした瞳で見つめてくるのに、ジナコは覚悟を決めざるを得なかった。ここで立香たちを悲しませれば、自分は必ず後悔するだろう。ジナコはひとつ深呼吸をすると、徐に口を開いた。
「──ボクの憧れの英雄は、『マハーバーラタ』に出てくるんす」
「インド二大叙事詩の一角か。中々面白いところを突くね」
ダ・ヴィンチは本当に興味深そうに告げる。ジナコとも、ダ・ヴィンチとも縁遠そうな神話だ。意外に思ったのだろう。
「悲劇の英雄──カルナ。それがボクの憧れの英雄っす」
「あれ? 前聞いたジナコの話にいなかったような気がするけど?」
立香が首を傾げる。それはそうだろう。ジナコは意図的に彼のことを話さなかった。彼のことを一度も口にすれば、あらすじなどとても続けられそうになかったからだ。それだけ彼には思い入れが、そして尊敬の念がある。
「そっか……カルナか……」
「『マハーバーラタ』において、倒される側の英雄。呪われた王子、ドゥリーヨダナの親友だね」
「私はてっきり、アルジュナかと……」
ロマニは納得したように頷き、マシュは意外そうな顔をする。ダ・ヴィンチは解説に徹するつもりなのか、カルナについて補足した。それを聞いて立香も首を傾げる。
「む。立香さん、カルナさんはそんな悪いやつじゃないんすよ」
「そうなの?」
「善人かはともかく、彼の境遇は結構悲惨と言えるだろうね。なんせ、生まれてすぐに川に流されてしまったんだから」
血縁からすれば、カルナはパーンダヴァ側の人間だ。しかし、彼の母親、クンティーは若年の内にカルナを生んだために彼を川に流してしまう。そこで御者の男、アディラタに拾われ、彼は命を繋いだのだ。
「そんな……酷い……」
「本当は王子様なのに、彼は御者の息子という低い身分になってしまう。当時のインド社会は身分に厳しい。所謂、カースト制度ってやつさ。マヌ法典ってのに記載されていてね。ヒンドゥー教徒なら必ず守らないといけない」
「あ、世界史で聞いたことあるなぁ。バラモンとかクシャトリヤとか」
「バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、スードラですね」
物覚えの良いマシュが立香に教える。それを聞きながらジナコはヒヤリとした。ダ・ヴィンチも余り身分は高くなかったはずだ。ラテン語の教育を受けられていなかったことで相当頭にきていたという話だったと思うのだが。ダ・ヴィンチが何も言わないので、ジナコはほっと息を吐く。
「その身分が原因で、弓術大会に出場出来なかったり、お嫁さんがもらえなかったり、折角覚えたマントラが肝心な時に使えなくなったりするんだ。嫌な話だね」
「その言い方はちょっと片寄りがあるかと。先輩、マントラの件は元々彼の身分の偽証が原因です。因果応報、と言えば良いでしょうか」
「どっちにしろ身分ってめんどくさいね……」
立香は顔を顰める。サーヴァントは大抵は身分制度のしっかりとした時代の人間だ。彼らにとって身分は常識。サーヴァントにとっては特段気にするようなことではないが、現代人には思うところもある。実際、カルナの人気は時代が進むのと比例しているという話だ。
「でも、その身分も直ぐに与えられるんす。彼の親友、ドゥリーヨダナによって」
「百人もいる王子様の長男、だよね」
「そうそう。ドゥリーヨダナはカルナさんを一国の王に仕立て上げるんすよ。剛毅っすよね」
「まあ、あのアルジュナに対抗できる人材は確保しときたかったんだろうね」
アルジュナとカルナは弓術の師、ドローナに師事していた頃からのライバルだ。その弓術の腕はアルジュナに勝っていたという説もある。そんな人材を味方につければ、幾分か戦いは楽になるだろう。それに、カルナとパーンダヴァが敵対する要素はいくつもあった。
尤も彼を知るジナコからすれば、ドゥリーヨダナが早かっただけなのだろうと思ってしまうが。
「そのアルジュナって人、よく聞くね」
「まあ、主人公みたいなもんすしね。そして、カルナさんのライバルでもあるっす。なんせ、カルナさんを…………」
「まあまあ、いきなり結論から話しても面白くないだろう? 話を戻そう。彼にはまだ悲劇的な要素がある。それが彼に課せられた二つの呪いだ」
「戦車の輪が土の中に沈み込む呪いと、肝心なときにマントラが使えなくなる呪い、ですね」
その最期を言いあぐねるジナコに、ダ・ヴィンチは助け船を出す。とはいえ、また悲劇的な内容であることに違いはない。なんせ、彼の死因のひとつなのだから。
「特に前者は酷いもんさ。馬と見間違えて射た牛が死んでしまって、謝ったのに問答無用で呪いを掛けられた。牛っていうのがまずかったね。彼らは牛を神聖視している」
ヒンドゥー教徒にとって、牛は神聖な生き物だ。なんせ三神一体と言われる神の一柱、破壊神シヴァの乗り物なのだから。殺すことは勿論、食すことなどもっての他である。
「イスラム教が豚を食べられない、みたいな?」
「いえ、先輩、あちらは不浄のものとして扱っているためです」
「そうそう。僕もユダヤ教だから、豚は食べられない」
ジナコもユダヤ教に関しては多少知っている。確か旧約聖書において、神に不浄のものだから食べるな、と言われたことが書いてあったはすだ。ダビデも元々羊飼いだから、豚より羊だろう。
「後もうひとつ、有名な悲劇と言えば、カルナの鎧だろうね」
「え、呪いの鎧とか?」
立香の発想は安直だ。しかしインド神話はそんな手緩いことはしてくれない。
「カルナさんは生まれたときに、クンティーの頼みで父親の太陽神スーリヤから無敵の鎧と耳輪をもらってるんす」
「体の成長と共に大きくなる何て言うとんでもない鎧でね。正に神話さ」
「けれど沐浴中のカルナに、一人のバラモン僧が声をかけてきます」
ダ・ヴィンチとマシュが話を続けているのを聞きながら、ジナコは唇を噛む。この先は出来ることなら、余り聞きたくない。しかし、ジナコは話すと決めた。決めたのだ。
「沐浴中、バラモン僧からの頼みは断らないとカルナは決めていました。そこでバラモン僧はひとつ頼みごとをします」
「貴方の鎧をいただけませんか、とね。しかしそれはとんでもない罠だ。だってこのバラモン僧の正体はかのインドラ。宿敵、アルジュナの父親だ」
インドラは我が子可愛さに彼の戦力を削ることを目論んだのだ。やっていることは狡いが、息子のためを思う父親としての気持ちがそうさせたのだろう。その気持ちを否定することはジナコには出来なかった。
「誓い……ね……」
クー・フーリンが話を聞きながら、不機嫌そうに声を漏らす。クー・フーリンにはその顛末が見えていたのだろう。何せ、クー・フーリンと彼には意外にも、共通点が多い。
ジナコは藪をつつくつもりはなく、そのまま話を続ける。
「カルナさんはその正体を見抜いていたものの、鎧をインドラに渡したっす。そしてその御礼に、ひとつの槍を受け取った」
「それこそがかのシャクティ。神殺しさえなし得る最高の槍さ。但し、その槍が使えるのはたったの一度だけ」
「おお! 燃えてくる展開だね!」
立香は興奮した様子で目を輝かせる。ジナコもよく知るその槍は確かに、その強力さを否応に感じさせるものだった。あれほどの美しい槍はあらゆる時代を遡れど、そうはないだろう。そうであるからこそ、その槍を存分に振るえなかった事実がよりジナコの心を痛めた。
「マスター……」
アーチャーが突然ジナコのことを呼んだ。その表情はぼやけていてよく見えないが、驚いているように見える。マシュたちを見てみれば、彼女たちも何故か絶句していた。
「ジナコ、大丈夫?」
「うぇ……?」
「だって──泣いてるよ」
立香がジナコの顔を服で拭う。ジナコは信じられなかった。何故自分が泣いているのか、理由が分からない。
「……そっか。そうだよね。自分の好きな英雄が良いようにされたなんて話、言いたくなかったよね」
「り、立香さん?」
「ごめんね、ジナコ」
立香はそう言うと、ジナコの頭を優しく撫でた。ジナコの涙は余計に止まらなくなる。痛くなるほど歯を噛み締めたが、止まる気配はない。
立香の言葉はなるほど、的はずれではないだろう。しかしジナコが泣いてしまった本当の理由は違った。
ジナコは彼が良いようにされてしまったのが嫌なのではない。彼のその奉仕体質に深い敬意を抱いているからこそ、それに甘えてしまった自分が申し訳ないのだ。
神話を通して、ジナコは己の内面を省みた。本当に、なんて自分には勿体ないサーヴァントだったのだろう。今のジナコには、届かない感謝を心の奥で叫ぶしかできない。
「あぅ……」
「ジナコさん……」
マシュもジナコの好きな英雄について聞きたいと言ってしまったことを引け目に思っているのか、申し訳なさそうに目を伏せる。
「ここまで、だな。これ以上話しても何にもならないだろ。オレは帰る」
「わたくしも帰ります。あなた様、お許しくださいませ」
クー・フーリンや清姫を筆頭に、ジナコを気遣ったのか宴会のメンバーが次々に退室していく。マシュと立香も、もう遅い時間になったからか、片付けの途中でスタッフが帰らせた。
そうして残ったのはロマニとダ・ヴィンチとアーチャーだけだった。
「ダ・ヴィンチちゃん、ドクター、アーチャー、心配かけてごめん」
「いや、謝ることじゃない。君にとってそれだけカルナは思い入れのある英雄なんだろう。恥じることはないよ」
ジナコの謝罪をダ・ヴィンチははね除ける。ジナコにはダ・ヴィンチのその言葉はありがたかった。ジナコにとって、カルナはただの相棒というほど安い相手ではない。ならば現状は当然、あり得ることだった。
「うん。それにカルナを尊敬してるって聞いて、ちょっと納得したところもあるんだ。やっぱりって感じだよ」
「はぁ……」
「ジナコちゃんはカルナに倣って生きてきたんだろうなって、そんな感じがする」
そう言ってロマニは優しく笑う。どうやら見抜かれていたらしい。少し恥ずかしくて、頬が赤く染まる。そんなジナコの頭をロマニは不器用そうに撫でた。
「それじゃ、ジナコちゃんもそろそろ寝ないとね。アーチャー、ジナコを部屋まで送ってもらえるかな?」
「勿論です」
アーチャーはそう答えると、ジナコをいつも通り持ち上げた。突然のことにジナコは呻き声を漏らす。こういうところで女子力のなさが露呈してしまうのをジナコは恥ずかしく思った。
ジナコはアーチャーから降りようとしたが、そのままロマニたちに見送られてしまう。そうしてとうとうマイルームの中にまで送り届けられてしまった。まるで荷物のような扱いである。
それから直ぐに帰るのかと思えば、アーチャーはジナコをベッドの上に乗せた後、この部屋から出ようとしない。ジナコは帰るよう無言の思念を送ったが、アーチャーは察してくれないので大人しく口を開いた。
「アーチャー?」
「……マスター、聞いても良いですか?」
「手短に」
ジナコは素っ気ない返事を返す。泣いたのもあって、そこそこ眠気がやって来ていた。早く帰って欲しい。
「あなたはカルナを、善人だと思っているのですか?」
「それは、ドゥリーヨダナの親友だったから? ボク、前も言ったけど、マハーバーラタって善悪が単純じゃないと思ってるんすよ」
ジナコはその言葉で察して欲しいと思ったが、アーチャーが帰ろうとしないので渋々言葉を続ける。
「カルナさんに最初に誘いをかけたのがアルジュナだったら、多分カルナさんはアルジュナに付いてた。カルナさんには善悪とか関係ない。誰もが価値ある者だって信じてる。それが私の知ってるカルナさんだよ」
「……そうですか」
言葉には出さなかったが、アーチャーは怒っていた。ジナコの寝惚け眼が勘違いをさせたのかもしれないが、その答える声音に怒りが混じっているような気がしたのだ。
ジナコはその怒りを、正当なものだと感じた。何故ならアーチャーは義理によって動くのではなく、正しさによって動く人間だ。全く違うルールで生きているのだから、それは怒りを感じるだろう。
しかしそこまで考えるのがジナコの限界だった。とうとう瞼が降りてくる。ジナコはそれに大人しく従い、微睡みへと沈んだ。
第四特異点へのレイシフト直前のミーティング。それによると、次の特異点は十九世紀らしい。冬木を除けば、これまでの特異点で最も現代に近い特異点だろう。場所までしっかりと特定されており、その目的地は大英帝国の首都、ロンドン。産業革命が起こった時代というのを鑑みても、順当な特異点だ。
シャーロック・ホームズに会いたいといっていたロマニに、マシュがホームズは架空の人物だと言っていたが、ジナコからしてみれば何を今更な気はする。アーサー王伝説なんて本来はモロ架空の物語だ。アーサー王も当時沢山いたブリテンの王の一人に過ぎないというのが定説だのに、ガウェイン卿の召喚まで可能なのである。ホームズだっているだろう。
なお、それとは関係なくシャーロック・ホームズはほぼ二十世紀の人物である。十九世紀末にレイシフトしない限り、どちらにしろ生身のシャーロック・ホームズには出会えないのであった。勿論ポアロなんてもっと後の時代なので会えるはずもない。夢見がちで駄目な大人の姿を存分に晒してしまったロマニであった。
「それで、第三特異点ではジナコちゃんと立香ちゃんがはぐれちゃった上に通信機が壊れちゃったけど、今回はその可能性は少ないと思う」
「そうなの? ほんとに?」
「立香ちゃんにまで疑われるなんて……」
真面目な話に戻った途端に疑われ、ロマニはあからさまに落ち込む。そういうあざとい態度が良くないのではないかとジナコは思うが、人のことを言えないジナコは口を噤まざるを得ない。そんなジナコにダ・ヴィンチが声をかけた。
「ジナコ、実のところ君には原因が分かってるんじゃないかい?」
「あー。多分、あの特異点が色んな場所同士が無理くり繋がってるような場所だったからじゃないっすかね? 空間同士の繋ぎ目で量子の波が遮断されたら、そりゃ繋がらないっすよ。通信機が壊れたとは言ったものの、機械そのものに異常はなかったし」
カルデアの情報伝達は量子コンピュータと魔術の融合によって行われている。量子コンピュータはその性質上、大変省エネで高速だが、最新の科学技術である以上、魔術との融合に関してはまだ発展途上だ。距離の問題ならともかく、別の空間への干渉には厳しいものがある。
というかジナコの認識する限り、この時代ではまだ量子コンピュータは完成していないはずなのだが。その辺り国連組織というだけのことはある。
「そして、分断に関してはマスター同士にパスが繋がってないからだろうね。とはいえ、二人とも魔術刻印はないし、魔術回路も本数がない。移植によるパスの形成は不可能だ。だから──」
「粘膜接触は絶対しないっすよ!」
ジナコはその先が読めてしまったため、先回りして否定しておく。別に立香が嫌いなわけではないが、ジナコもそうそう簡単にそういうことに及ぶつもりはない。
「ちゅ、ちゅーするくらいならどうかな? かな?」
「安珍様に浮気をせよ、と?」
「ひぃぃ! させません! お許しを!」
浮気どころか立香は誰とも付き合っていないのだが、それを突っ込む者は誰もいない。それどころかジナコはこれまでで最大の感謝を清姫に向けていた。清姫は火を吹きながらロマニを牽制する。ロマニの駄目っぷりには困ったものだ。
「まあ、今回は特異点自体が狭いから、分断されても直ぐに合流できるだろうさ」
「ジナコ、そういうことだからね! 分かった?」
「はーい」
立香は疑わしげに見てくるが、流石に同じ轍を踏むつもりはない。それに、万が一があってもアーチャーがいれば大丈夫だろう。
とはいえ、醜態を見せたあの日からアーチャーとまともに話せていない。あの夜アーチャーと何か話したと思うのだが、それも思い出せなかった。何か変なことをしていなければ良いのだが。
それから幾つか確認事項を聞くと、レイシフトの準備と相成った。人理修復も後半戦に突入しようとしている。ジナコは魔力を籠めると、おまじないのように暗示をかけた。この作業を止められないジナコは、この人理修復には向いていないだろう。それでも、助けたい人がいる。守りたいものがある。ジナコは拳を堅く握ると、コフィンの中へと潜り込んだ。
レイシフトした第四特異点は、霧の都ロンドンの名にふさわしい様相だった。一面を覆う霧は、今までの特異点にもあった、空に浮かぶ環すら見え辛くしている。
しかし、これはどういうことだろうか。ジナコは身体中が痺れ、ヒリヒリとした痛みを発しているのを自覚した。拷問かと思えるほどの痛みを感じながらも、やはりジナコは意識を失うことはない。
「っ……」
ジナコは慌てて口元を服で押さえる。しかしその対応は余りにも遅かった。既に死の霧はジナコの体を蝕み、溶かしつくそうとしている。この霧がおかしいと気づいたジナコは、立香のことを思い出した。そういえば、立香は大丈夫だろうか。周囲に構う余裕すらなかったジナコは、立香の方を見遣る。
「ああ……」
立香は生きていた。それどころか、異常なところは何もないように見える。ジナコはマシュのおかげだろうかと考えた。ジナコを助けてくれた彼のようなやり方はともかく、サーヴァントの能力がマスターにも作用するということがあるのは、ジナコも知っていた。
「良かった……」
ジナコは安堵した途端、体から力が抜けていくのを自覚した。この霧が口を塞いだ程度で効力を失うなんて、そんな都合の良いことがあるはずもない。それは明確にジナコに迫る死の気配だ。それを自覚した瞬間、靄のかかっていた思考がクリアになる。
ここで倒れるなんて駄目だ。ジナコは体を動かそうとしたが、もう指先一本動かない。そんなとき、倒れかけたジナコの体を誰かが支える。きっとアーチャーだろう。
「そんな!」
『ジナコちゃん!? しっかり!』
ジナコが霧に侵されていることに気づいたのだろう。聞き覚えのある声が次々にジナコへと降りかかる。それに礼を言おうとして、突然景色が真っ暗になった。