ジナコさんinカルデア 作:クリシュナ実装はよ
ボーン、ボーン、と柱時計の鳴る音がする。微睡みの中に優しく響くその音に、ジナコは安心感を覚えた。しかし不思議なのは、どこからこの音が聞こえてくるか、だ。カルデアには柱時計なんていう、旧時代的なものはない。勿論、ジナコもそんなものを持ち込んではいなかった。
「ジナコ? 今動いた?」
「はい、先輩。今、確かに」
立香とマシュの声が聞こえてきた。そんな死体が動いた、みたいな言い方をされると困る。洒落にならないではないか。
ジナコはそう考えて、はた、と全てを思い出した。
「死んでない……」
目を開き、天井を眺めながら最初に出た言葉がそれだった。何だか最近こんな目に遭ってばかりのような気がする。だが、それも諦めることを諦めた者の宿命というやつだろう。あの、予言染みた発言を理解した瞬間に死んでおけば、この困難に立ち向かうことなどなかっただろうから。
「っ! バカ! 死ぬとか言うな!」
「いや、言ってないんすけど……」
「先輩、言ってませんよ」
年下二人に否定されて、立香は頬を膨らませる。こうしてみると、随分気安くなったものだ。アーチャーよりも気安いんじゃないんだろうか。そう思って、未だにアーチャーの真名を聞き出せていないことを思い出した。アーチャーの攻略本はいずこにありや。
「お? 目が覚めたのか? ったく寝坊たぁ情けないな!」
「いや、セイバー、寝坊どころか命の危機だったからね?」
そうしていると、見ない顔が現れた。少女騎士、というにはゴツい鎧の少女と、なよなよしいメガネの青年だ。ダ・ヴィンチが好みそうなメガネだ、とジナコはアホらしいことを思った。
「オレはモードレット。こいつはジキル」
「改めて、僕はヘンリー・ジキル。君はジナコ、であってるかな?」
「あ、合ってるっす」
ジナコはモードレットの姿に動揺を隠せなかった。叛逆の騎士、モードレットがこんなか細い少女だったとは。いや、考えてみれば当然のこと。あのアーサー王が女性だったのなら、モードレットが女性でも何らおかしくない。というか恐らく、モードレットはアーサー王のクローン、というオチ辺りだと思われる。姉との不義なんてアーサー王には不可能なわけだし。
「げに恐るべきは円卓の騎士の頭の中身……それもこれもガウェインのせいっすね……」
『何故にガウェインへの風評被害が!?』
ジナコには分かる。ガウェインが毎日丹精を籠めてマッシュしたものが円卓の騎士たちの頭を汚染し、頭にじゃがいもが詰まったビーム系騎士が生まれていったのだろう。
「モードレットさんは剣を投げてからビームとかしないっすよね?」
「え? 何で知ってんだよ?」
「アンタもかよ!?」
モルガンの子どもだからこんな凶行に及ぶのだろうか。ジナコは円卓の騎士に対して抱いている理想が次々に脆く崩れていくのを自覚した。アーサー王は泣いても良い。
ジナコの無事が確認されたからか、立香たちとモードレットは外へ調査へと向かうことになった。何でも、ヴィクター・フランケンシュタイン博士と連絡がつかなくなったらしい。
霧への耐性のないジナコは留守番だ。それなりに腕の立つ魔術師ならレジスト出来るらしいが、魔術師未満なジナコにそんな芸当はできない。
「折角来てくれたのに碌なおもてなしも出来ないけれど」
「いや、寧ろ食糧もほとんど残ってないだろうに歓迎してもらえて申し訳ないっす」
「子どもなんだからそんなに遠慮することはないよ」
ジキルはそう告げると、ジナコの頭を優しく撫でる。ジナコはもう、このような扱いには慣れてしまった。子どもじゃない、といったところで子どもが背伸びしていると思われるだけだろう。
「それにしても、本物を見れるとは……」
「ああ。僕が小説の登場人物って話かい?」
「まあ、今更かもしれないっすけど」
しかし作者ならともかく、当人にその小説の内容について聞き出すわけにもいかない。
ヘンリー・ジキルは、己の中の善悪を分けた末に、もうひとつの人格を生み出してしまった。それが悪の人格、エドワード・ハイドだ。彼は殺人鬼として、夜な夜な町を徘徊するような性質の持ち主である。ジキルが今どの段階かは不明だが、藪をつついて蛇を出すつもりはない。
今の人格がハイドでないだけマシだろう。小説の中でハイドは、いかにも悪人らしい人相で、猫背で、手は毛むくじゃらだと書かれていたはずだ。今目の前にいる彼はジキルらしい好青年である。ならば今のところは安心して良い。
ジキル博士のモデルはウィリアム・ブロディー組合長だという話があるが、それもジキルを名乗ったことからしてデマだったようだ。文学者が知れば舞い踊る事実である。
「それにしてもジナコ、君は変わったアーチャーを連れてるんだね」
「そうっすか? 寧ろアーチャーは珍しくスタンダードなアーチャーっすよ」
弓を使う貴重なアーチャーの一人である。アタランテは弓使いだったが、ダビデは投石器だ。かなり微妙なラインのアーチャーといえるだろう。ランチャーの様に、クラスに沿わないサーヴァントはクラスを新しく作った方が良いんじゃないだろうか。
「いやいや、そういう意味じゃなくてね」
「私に何か?」
自分のことが話題に上ったからか、アーチャーが警戒したようにジキルを睨む。それをジナコは手で制した。ジキルはそんなアーチャーを気にすることなく続ける。
「君のアーチャーは奇妙だ。僕とはベクトルが違うけど、天然で無理矢理やってのけている」
「へ?」
「一体どんな生き方をすればこんなことになるか、不思議でならない」
「──黙れ」
アーチャーの放った一声に、ジナコは息が止まるような心地がした。ジキルも呆気に取られたのか、何も口にしない。ジナコの知る公明正大なアーチャーはそこにはいなかった。他人を威圧するようなその態度は、ジナコには恐ろしいものにしか見えない。
「……すみません、マスター」
「アーチャー、ボク……」
何を言えば良いのか分からなかった。何故ならジナコは知らない。アーチャーの名も、生き方も、何を思い、何を考え、何を求めてジナコのサーヴァントとなっているのかも。ならば何を言ったところで、アーチャーには響かないだろう。
「外の様子を見てきます。マスターはここで待っていてください」
「……」
アーチャーはそう告げると、逃げるように外に出る。身を縮こませるジナコの頭を、ジキルがぽんと撫でた。
「やっぱりアーチャーは君に何も言ってなかったんだね。少しでも切っ掛けになれば、と思ったんだけど」
「あの、アーチャーは……」
「ごめん。それは自分で訊いてくれ。僕が教えたところで、それは何の意味も持たないよ」
ジキルはそう告げて苦笑した。ジナコはそれに口を噤む。自分で知らなければ意味がない。しかし、それを訊ねるのはジナコにとって、酷く難しいものに思えた。
調査から帰った立香たちは、フランケンシュタインの怪物を連れ帰っていた。予想できていたことだったが、彼女はサーヴァントではないらしい。それよりも、ジナコは彼女が女性型だったことに驚かされた。フランケンシュタインの怪物といえばもっと醜いイメージだったのだが。
何にせよ、気まずい空気の中に新しい人間が増えてくれるのは良いことだ。ジナコが嬉しそうにしているのを見てか、立香たちも心なしか微笑ましげにジナコを見る。
しかし、そんなほのぼのとした空気は長くは続かなかった。立香たちは魔本の調査へと再び出掛けていく。
何も出来ないのは口惜しいが、少なくともジナコがここにいることで、拠点の安全は保障されるだろう。兵站と司令部を落とすのは戦略の基本。帰る場所があることは重要だ。そう信じて、ジナコは立香たちの帰りを待つのだった。
今度も立香たちは、現地のサーヴァントを連れてきた。これが立香流の人理修復ということなのだろう。人との縁を結ぶ。月の聖杯戦争では出来ないやり方だ。
「アンデルセン……」
「何だ? 愛読者か? ご名答! 俺はハンス・クリスチャン・アンデルセン。最弱のサーヴァントだ。お見知り置きを」
ジナコが思わず放ってしまったアンデルセン、という名前は、特に疑問に思われなかったらしい。いや、それどころか、アンデルセンはジナコのことを知らないように見える。
あの月での出来事はアンデルセンの記録からも抹消されているのだろうか。それとも、再現データに過ぎないはずの記録を保持している冬木のサーヴァントがおかしかったのか。
「あはは。びっくりするよね」
「ふん。この汎用型主人公よりは扱き下ろしがいのあるマスターもいるようで何より」
「酷くない? ジナコ、騙されちゃ駄目だよ!」
残念なことに、ジナコは既に騙された後である。立香はジナコを守らん、とばかりにジナコを抱き締め頭を撫でる。最近スキンシップがどんどん増えているように感じるのは勘違いではないだろう。
「はっ! 語るしか能のない作家の言葉に惑わされないよう忠告するなど、全く愚かしいな! これだから女というやつは面倒なんだ!」
『うわぁ。ほんと、うわぁって感じだなぁ』
ロマニがひきつった笑みを浮かべる。ジナコも思わずそれに頷いてしまいそうだ。
かくしてアンデルセンがロンドン攻略パーティの一員になったのであった。
それから、立香たちはジャック・ザ・リッパーの調査に出た。スコットランドヤードが被害に遭ったということらしい。その忌々しい事実に何も出来ないことはジナコにとって苦痛だが、足手まといになるつもりはない。暗示をかけたまま、ジキルの家の一室で静かに待機する。
そうしている間も結局アーチャーに何も訊くことも出来ず、刻々と時間が過ぎていった。そのまま何事も起こらないまま終わってしまうかと思っていた時間は、突然のノックの音によって阻まれる。
入室を促すと、小柄な人影が入ってきた。青い髪に派手な青みがかった服を着た少年、ハンス・クリスチャン・アンデルセンその人である。
「ふん。何だ、その顔は? お前に毒にも薬にもならないことを語ってやろうと来てみたが、いきなり作家のやる気をなくさせるような顔をするな」
「別に……」
「おおかたあのアーチャーのことだろう? 奴のマスターとなれば、相当苦労していると見える。何せ、面倒くささで言えばあのモードレットとそう変わらない!」
さらりとアーチャーのこともモードレットのことも貶めていく辺り、彼が間違いなくアンデルセンだと思い知らされる。確かにジナコの悩みはアーチャーのことだが、その事を突つかれて喜ぶような趣味はしていない。
「それはそれとしてジナコ、お前も中々面白いことになっている。アーチャーのことを扱き下ろすのと、自分のことを扱き下ろされるの、どちらがお好みかね?」
「へ? ボクがっすか? 虚言癖とかならもう……」
「馬鹿め! そんな二番煎じに甘んじて堪るか! 何、お前のお前らしくないことについて、だ」
アンデルセンは目を細めると、随分と意味深長なことを言う。ジナコは思い当たることがなく、ただ首を捻った。
「臆病者にして小心者。三度の飯より怠惰を愛する女であるお前が持つ異常性。本当に思い当たるところがないのか?」
「虐め? 虐めっすか? もっと優しく言ってほしいっす」
「たわけ! 俺の毒舌を誰が止められるものか! 良いか、ジナコ。お前はなぜマイルームに引きこもらなかった?」
相変わらず言うだけ言って反省する気のないアンデルセンだが、その言葉が全く何の意味もないわけではあるまい。腹に据えかねるものを感じながらも、ジナコはアンデルセンの問いに答えた。
「そりゃ、人理修復のためっすよ」
「お綺麗なことを言っても騙されんぞ? お前は人理のために動くような人間では断じてない。お前は虎穴に安易に入り込もうとするが、虎の子に手を出せずにひたすら隠れ潜むのが精々だろうさ」
「……まあ、否定はしないっす」
アンデルセンの言ったことは正に、前世のジナコの行動そのままだ。安易に賭けに出ようとする癖して、最後のところで臆病風に吹かれてしまう。戦えばもしかしたら勝ち抜けたかもしれないのに、戦うことすら諦めてしまった。彼がいなければ、ジナコは無価値に死んでいただろう。
「答えは簡単だ。お前の心が折れていないから。それ以外にありはしない」
「はい? それは、そうかもしれないっすけど……」
「よく考えてみろ。お前はこういったとき、簡単に諦め、泣きわめき、逃げ出していた。それはお前の心が折れやすいからだ」
アンデルセンは痛いところをついてくる。ジナコは確かに、心が強いとは言えない。今だって、暗示を必要としているくらいなのだ。
「それ自体は悪いことでも何でもない。生への絶望を抱けば、それは折れやすくなるだろうさ。お前は特に、夢見がちな性格をしているしな」
「見てきたように言うんすね」
「お前は分かりやすいからな! で、だ。今お前の中にはそれを支える芯がある。お前が折れてしまわないよう守る、最後の砦だな。」
突然アンデルセンの言葉が飛躍する。比喩的な意味だろうか。例えば、両親が心の支えになっている、とか。
「考えていることは大体分かるが、それは的外れだ。俺は言葉通りのことしか言っていない」
「は?」
「ここまで言えば分かると思ったが……良いか、ジナコ。お前はこれから、どんな絶望を感じようと狂うことは出来ず、どんな喪失を覚えようが壊れることが出来ず、どんな孤独を覚えようと堕落することは出来ない。お前の中にあるものが、それを許さない」
アンデルセンの蒼い瞳が、ジナコをじっと見据える。それにジナコはまるで、射抜かれたような感覚を覚えた。
「こんなおぞましい話はそうはなかろうよ! お前の場合、既に体験済みかもしれんがな。誰から貰ったのかは知らんが、それを精々大事にしてやることだ!」
「……もしかして」
ジナコは己の胸に手を当てた。そうだ。思い当たることがたったひとつだけある。大切な人からの貰い物。とうの昔に機能停止したと思っていたはずのそれが今も、ジナコの中に息づいているというのか。
それならば、ジナコがここまでやってこれたのは当然だ。彼の鎧は堅く、ジナコをあらゆるものから守ってくれた。インドラが態々彼から取り外させたほどの不死の鎧。そんな彼の鎧が、彼の施しの精神が今も、ジナコのことを守ってくれているのだから。
そう思うと、胸の辺りがじんわりと温かく感じた。彼との繋がりがまだジナコの中にあるというのなら、ジナコは孤独ではない。彼に恥じない自分であろうと思える。それが、この鎧を受け取った責任というものだ。
アンデルセンはそんなジナコを横目に、淡々と語りを続ける。
「そのちぐはぐな中身もそれが原因だろう。最早それはお前の魂にこびりついている。故に、その精神は削れることはない」
「……気づいてたんすか」
「だから分かりやすいと言っただろう? それはあらゆる精神干渉をも阻む鉄壁の精神防御だ。不幸だったなジナコ=カリギリ」
と、そこまで言われ、アンデルセンの言葉に気になる言葉が混じっていたのに気づいた。あらゆる精神干渉を阻む。それはジナコのある行動の無意味さを示していた。
「もしかして、暗示って……」
「効くと思ったのか? 自己暗示など思い込み程度の効果しかもたらしていなかっただろうよ!」
「ええ……」
思い込みだったと身も蓋もないことを告げられ、ジナコは頭を抱える。今までの努力が無駄だったなんて虚しいにもほどがあるだろう。
「まあ、つまり、だ。お前のこれまでの成果は、その防壁の力だけではない。お前のその意志の強さによって、そしてお前の努力と成長によってもたらされたものだということだ。まだまだ未熟だが、誇るが良い」
「なんだ、案外優しいところもあるんじゃないすか」
「はん! 見た目に騙されていたお前が言う台詞じゃあないな!」
そんな憎まれ口を叩いても、今のジナコには照れ隠しにしか聞こえない。自己暗示が無意味だったなどショックな事実はあったものの、分かった事実を纏めれば、概ねプラス方向になるだろう。要するにアンデルセンは、ジナコにお節介を焼いたというわけだ。
納得したように頷くジナコに、アンデルセンは皮肉げに鼻を鳴らした。
「ふん。それで、話を戻すぞ。お前のサーヴァント、アーチャーについて、だ。一度しか言わないからよく聞け。なんせ、アーチャーに知られたら殺されかねんからな!」
「ええ……何で命を懸けてくれるのかわかんないっすけど、教えてもらえるのなら聞かせて欲しいっす」
「俺はヒントを出すだけだ。結論には自分の頭を使え。それにお前も、何も勘づいていないわけではあるまい」
ジキルよりも多少ヒントをくれるらしいが、最後にアーチャーに聞かねばならないのは同じらしい。何にせよ、異様に自分のことについて知られるのを拒むアーチャーのことを語ろうというのだ。ジナコは一言一句聞き逃すまい、と耳を澄ませた。
「あのサーヴァントはおおよそ、英雄たる精神性の持ち主ではない」
「それは、反英霊ってことっすか?」
「ことはそう単純でもない。見ての通り、あのアーチャーは正しさの何たるかを解する人間だ。だが、正しいことだけを選べるわけでもない」
それは人間として、当たり前のことではないだろうか。正しきを知り、悪しきを知り、なお悪しきを選んでしまう弱さを持ちうる。それが人の正しき営みというものだ。善悪を知らない人間など、幼い子どもくらいのものだろう。
「人間とは善悪を内包している。しかし、自分の悪性など、誰も認めたくはないものだ」
「あの、それってボクの話をしてる訳じゃないんすよね?」
「耳に痛いかお嬢さん? 何、人間なら誰でも聞きたくない話だろうさ。特に、あのジキルなんぞその代表格だろう」
ジキルの名前を出され、ジナコは納得した。ジキルは自分の善悪を分けた末に、悪を押し留めることに失敗した者だ。悪というのは切り離すものではない。悪を切り離した瞬間、それは抑えを無くして肥大化していくものなのだから。
「まあ、平時なら良いサーヴァントだろう。なんせ、人間らしい。マスターとサーヴァントが分かり合うという点において、あれほど人間らしさを解するサーヴァントは稀だ。サーヴァントは基本、逸脱者だからな」
「虚飾を剥ぎ取り過ぎたり、主を試そうとしたり、アイドルを目指してたりっすね。分かるっす」
「その例はいかがなものかと思わないでもないが……まあ、だがしかし、それはあのアーチャーの真価を問わねばならぬ事態に遭遇しなければ、という話だ」
スイーツとかキャストオフとか妙な思い出がジナコの脳裏を過ったが、アンデルセンの望む例えではなかったらしい。しかし、真価を問わねばならぬ事態、というのがジナコには理解できなかった。サーヴァントの宝具の話だろうか。
「サーヴァントの願いというのは、その人間性に等しい。聖杯戦争に参加すれば、その人間性を問わねばなるまい」
「願い……そうだった、サーヴァントにも願いがあるんだった……でも、これは聖杯戦争って言っても、願いを叶えるための戦いじゃないっすよ?」
「聖杯という商品がある以上、捨て置くわけにもいかない話題だ。何を以てこの戦いに身を投じたのか。それを知らねば背中を預けることなど出来まい」
ジナコの相棒であった彼に願いはなかった。けれど、アーチャーにも願いがないとは限らない。アーチャーが聖杯を求めているのならば、ジナコはアーチャーに対して、非情な決断を迫られる可能性もあるのだ。
「願いを問えばアーチャーの歪みも知れるだろうよ。あれはな、白と黒しか知らない」
「男心は女心?」
「スタンダールのつもりか? 残念ながら色違いだ、馬鹿め。はっきり言えばな、アーチャーは中庸という言葉を知らない潔癖症だ。きっちりさせねば気が済まない。鬱陶しいことこの上ないな!」
はっきり言うという割りにいまひとつ要領を得ないが、そこは自分で訊け、ということだろう。幸い、アンデルセンは道筋を示してくれた。後はジナコの行動によって結論を見出だすことができる。
「それで、役に立ちそうか、お嬢さん?」
「うん。自信は……ないけど……」
「何、失敗するのならこの俺が滑稽な男だったということだ。そのときは存分に俺を恨め。悲劇に終わるのならそれも悪くない」
「歪んでるって言われないっすか?」
「とうに聞き飽きた文句だな!」
そう言ってアンデルセンはニカリと笑う。ジナコは心が軽くなったような感覚を覚えた。
あとはジナコの覚悟次第。胸が熱くなるような感覚は、そう簡単に収まりそうになかった。
それから立香たちはジャック・ザ・リッパー、ヴァン・ホーエンハイム・パラケルススを倒し、ウィリアム・シェイクスピアを仲間に引き入れた。次々と物事が順調に進んでいる。それから一晩経ち、早朝から行っていた時計塔の調査から帰ってきた立香たちに、アンデルセンが気になる発言をした。英霊召喚の仕組みについてだ。
聖杯戦争と英霊召喚は全く別のもの。そもそも、英霊召喚の仕組みを利用して生み出されたのが聖杯戦争である、という話だった。
「あの冬木のサーヴァントの言葉、その事を示唆していたのかもしれませんね」
「アーチャー、何か知ってるの?」
「マスター、説明していただけますか?」
「あ、うん」
アーチャーに促され、ぎこちなくもジナコは頷く。覚悟が決まらないままいても、時間は過ぎていくのだ。たとえ薄氷の上に成り立っているとしても、アーチャーとの関係をここで壊すわけにはいかない。
「冬木は他の特異点とは違うって現地のサーヴァントが言ってたんすよ」
「もしかしてあのアーチャーか?」
「あれはアーチャーだったんすか……ああ、そういや弓持ってたっけ……」
クー・フーリンが余り気持ち良くなさそうな表情で訊ねた。ジナコは冬木のアーチャーのことを思い出したが、アーチャーは弓を持たないという噂に惑わされていたらしい。弓を持っているのだからアーチャーでもおかしくはないだろう。おかしくない、はず。
『ああ。七騎のサーヴァントっていう人数制限があったってことか』
「つまりあの特異点だけは、全く違うルールの、それこそ本物の聖杯戦争だった」
「そう言えば、ルールがすり替わったってキャスターが言ってたしね」
立香はそう言いながらクー・フーリンに視線を向ける。ルールのすり替えが起こった。それが意味するところは何だろうか。そもそも、冬木の聖杯とは何なのだろう。
「ボク、思ったんすよ。そもそも聖杯って言うのは、記録のために用意された商品。可能性を模索するためのコンピュータ。可能性があるならそれを手繰り寄せることの出来る、そういうもの。なのにどうして参加出来るのがたったの七騎なのか」
「待て、その考えはどこから来た?」
ジナコの言葉にアンデルセンが目敏く反応する。というより、ジナコの的外れな発言を責めているようですらあった。しかしジナコにはその理由が分からない。なぜならそれがジナコの知る聖杯なのだから。
「何か、変なことを言ったっすか?」
「ああ、言った。誰に吹き込まれたか知らんが、聖杯戦争はそんな複雑なものじゃない。あれはただ薪をくべ、過程を省くもの。願う者に思い付きもしない未来を与えることは出来ないし、可能性の模索なんて無駄な機能はついていない」
「へ?」
何か致命的なところでずれていることに、ジナコは気づいた。混乱しながらも、ジナコは何とか言葉を紡ぐ。
「で、でも、強すぎるサーヴァントは呼べないじゃないっすか。だって、聖杯戦争の勝利が確定してしまう。だから最強のサーヴァント七騎を呼ぶ儀式に準えるなんて、どう考えてもおかしいっすよ。だからもっと沢山召喚出来るようにしないと」
「言葉に繋がりが見えてこんな……良いか、ジナコ。冬木の聖杯は根源への穴を穿つもの。そのためならば勝ち確定なサーヴァントを呼ぶのは当然だ。なぜならそれは、潤沢なエネルギーになり得る」
「おい、ちょっと待て。それは聞き捨てならねぇな」
と、アンデルセンの発言にクー・フーリンが待ったをかけた。アンデルセンはそれに、あからさまな舌打ちをする。
「お前の妙な発言のせいで勘づかれたか。お察しの通り、聖杯なんて碌なもんじゃない」
「そういうことかよ……ああ、最悪じゃねぇか」
「クー・フーリンさん? 一体……」
「キリエライト、別にこの人理修復に関係のある話ではない。だが、この男には重要な話だったのさ」
マシュはアンデルセンに言いくるめられて黙り込む。そうしていよいよジナコは聖杯における認識の違いを自覚し始めていた。つまり、冬木の聖杯は不完全な聖杯。中身のない欠陥品。聖杯戦争という儀式自体が、欺瞞に満ちたものだったのだ。
「…………それは、うん、そっか。そもそも人間の作ったものなら、それもおかしくない、か」
「分かってもらえたようで何より。とまあここまで説明しておいて、結局ここの聖杯とは関係ない話なんだがな!」
「ええ……」
この特異点何度目かの落胆を覚える。この少年の形をした老翁は、ジナコのそんな姿を見て楽しんでいるのではないかと思うほどだ。
「無関係ではあるが、無駄ではないだろうさ。なぁ、アーチャー?」
「……ええ。そうでしょう。無駄ではないのでしょうね」
無駄ではない。その言葉をジナコは素直に受け止められなかった。だが、無駄であろうが聞かなかったことに出来るわけでもない。そのまま話は進んでいく。
それからヘルタースケルターを停止するため、二度目の探索に出た立香たちは、帰ってくることはなかった。
「霧が晴れてく……」
窓の外の景色を見ながら、思わず言葉を漏らす。きっと立香たちが霧の正体に対して勝利をもぎ取ったのだろう。人気こそないが、美しいロンドンの町並みが甦っていく。
「アーチャー」
ジナコがアーチャーを呼ぶと、アーチャーが実体化する。ジナコはアーチャーに向き合うと、声をかけた。
「──外に出よう」
そうして外に出ようと部屋の扉に手をかけた瞬間、アーチャーに肩を掴まれた。
「アーチャー、まだやれることがあるかもしれない。立香さんのところに行かないと」
「……もう特異点の修復は終わっているでしょう」
何か行動できると知って、じっとしていられるほどジナコは良い子ではない。もうそんな選択は止めたのだ。そんなジナコを、アーチャーは苦しげに見つめる。その視線に見覚えがあるような気がして、けれどその感覚に見て見ぬふりをした。
「アーチャー。手を離して。アーチャーが来ないならボク一人でも」
『良かった! こっちは繋がった! ジナコ、今すぐレイシフトさせるよ』
そうして問答しているうちに、ロマニの焦ったような声が入った。ジナコの体は抵抗することも出来ず、光の粒子へと変換される。
ジナコの第四特異点はここで打ち止め。そのことにジナコは心残りを覚えながらも、カルデアへと帰還するのだった。