インフルで死んでました……読者の皆様をお待たせして申し訳ありません。こういうことは今後なるべく起こらないよう気をつけます。
涼の部屋は小綺麗な、というよりも殺風景なアパートの一室だった。
家具も必要最低限のものしか揃っておらず、バイクに関連した雑誌などが数少ない娯楽なのだろう。
置きっ放しになっていたバイクを取りに行った時も念入りに点検していたし、言葉はなくともバイクが好きだということは瑠美にもはっきりと感じ取れた。
「バイク、好きなんですね」
涼は答えない。愛想が悪いというよりも、元々口数が少ないのだ。
否定しないということは肯定であると瑠美は勝手に受け取った、
「手、大丈夫ですか」
「もう慣れっこだ」
急激な老化が進んでいた自身の手を握ったりして確かめている涼からは、悲壮感といった感情がそれほど感じ取れない。
だがその言葉通り、その状態に慣れてしまっているのだとすればそれこそ悲しいことではある。自分自身に対する諦めに近いと瑠美には思えてしまうからだ。
「それで、あんたはこれからどうするつもりだ。悪いが、金目の品ならここには無いぞ」
「まさかそんな! 別に見返りが欲しかったわけじゃありませんけど、できれば葦原さんの変身について教えてもらえれば……」
「無理だな」
そう言う涼はどこか自嘲気味だ。
空きが目立つ冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出し、コップに注いで瑠美の前のテーブルに置いた。
「気付いたらこんな身体になってた。きっかけだってわからないし、戦うたびにこんな調子になる。怪物が出たら感覚がして、それに従ってぶっ潰してきただけだ。これ以上は何も知らん」
「そう、ですか……」
戦ってる相手の目的や、自身の変身の秘密といったことには涼は何一つとして心当たりがないようだ。
瑠美の中に落胆が無いと言えば嘘になるし、これまで瑠美が訪れた世界のライダー達は皆何らかの事情は知っていたのだから尚更だ。
これでは大地の手助けになりそうな情報は得られないかもしれない。
瑠美は思わず溜息を吐きそうになって、わざわざ説明してもらった涼に失礼過ぎると慌てて息を飲み込んだ。
そして暫しの間、沈黙が場を支配し、流石に居心地が悪くなりかけたところへ思い出したかのように涼が口を開く。
「そういえば、あの赤い鎧武者は何なんだ? あんたと面識があるようだったが」
「鎧武者……ああ、あれはドウマって言う悪い人らしいです」
「変態ストーカー野郎だ」
レイキバットが付け足した。そんなに重要な事柄なのだろうか、と思ったが黙っていることにした。
「
涼は一人で話を纏めて終わらせようとしている。
それでは駄目だ。何の成果もないまま帰ったら、今までの足手まといになっていた自分と何ら変わりない。
ほら、と涼から差し出されたヘルメットを押し退けた瑠美は強い口調で言い放つ。
「帰れません……借りがあるのなら、葦原さんの、
「ーーー何だと?」
その時、涼が目を丸くして驚いた原因は瑠美の頑固さが予想以上だったからなどではない。
瑠美が放った言葉にーーー正確には瑠美が「ギルス」という言葉を放ったことに驚愕していたのだ。
涼の変身した姿、その名称は確かに仮面ライダーギルスであるのだが、「仮面ライダー」という単語が存在していないこの世界では涼がそれを知る術は無かった。
しかしたった一度だけ、涼は「ギルス」という言葉を耳にしたことがある。
それは忘れもしない、初めて自分の意思で変身して戦った後のこと。
変身の後遺症に倒れ、意識を失った涼が目を覚ました時、目の前には自身を看病する黒衣の青年がいた。
彼は不思議な能力で涼の後遺症を治し、また、変身した涼の姿に驚きもせずこう言った。
『アギト……いや、ギルスか。珍しいな』
アギト。ギルス。それらが意味することを涼はこれまで知らなかったし、聞いたこともなかった。
あんな超常的な存在しか知りようもない単語であったとすれば、それもしっかりくる。
だが、涼より少し年下か同じくらいの女がそれを知っているのがどうにも解せない。
「……今、ギルスと言ったな。何故その言葉を知っている? あんたは何者なんだ!?」
「私はーーーな、内緒です」
馬鹿正直に答えそうになった瑠美はレイキバットからの視線と、それに含まれた制止の意味合いに気付き、慌てて口を噤んだ。
訝しむ涼にボロを出さないよう平静を保ち、そんな彼の態度からレイキバットの言わんとしていることを瑠美は理解した。
「私は葦原さんのことを知りたい。葦原さんは私のことを知りたい。これってwin-winの関係と言えませんか?」
「自分のことを教える代わりに、俺につきまとわせろ……そう言いたいのか」
「そうです」
「迷惑だ」
「それでもです」
またもや沈黙。最終的に折れたのは、少ない経験からこういう時の女性に自分は敵わないと知っている涼の方だった。
それに借りがあると言ってしまった手前、はっきり拒絶するのも躊躇われる。
「ありがとうございます。なるべくご迷惑をおかけしないよう、頑張りますね!」
「すでに迷惑なんだがな……」
満面の笑みを向けられても、涼には頭痛しかしてこない。
なるべく早く終わらせられればいいのだが。
*
肉が焼ける音、飛び交う声、舞い上がる炎と煙。
そこはまさしく戦場だ。大地が初めて足を踏み入れた未踏の地だ。
「さ、遠慮は要らないわ。じゃんじゃん食べなさい!」
「いただきます!」
焼肉屋と言う名の。
氷川に連絡を取った大地はとある場所にまで来て欲しいと言われ、伝えられた住所にやって来てみれば、そこは昼間から大繁盛している高そうな焼肉屋。
三度ほど住所が間違っていないか確認し、恐る恐る入るとちょうど端っこの席から氷川が手招きしていた。
そしてその席には氷川の他にもう一人、キリッとした眼の女性が座っており、空いている席に座るよう促してきた。
「堅苦しい挨拶は後にして、まずは昼食にしましょう。焼肉はお好きかしら?」
「その……焼肉は初めてで。多分」
「そ、そう……まあ平気よ。貴方、焼肉を好きになりそうな顔してるわ」
「ほら、いつまでも立っていないで、座ってください! 何を飲みますか?」
「は、はぁ……」
その女性ーーー名を小沢澄子というーーーによって状況を飲み込めないままに着席させられてしまったが、周囲から漂う芳しくも暴力的な肉の香りには抗えない。大地の意識も次第にテーブルに並ぶ肉の皿に向いていく。
今まで大地が食べてきた料理はどれも食べた記憶は無いが、知識として知っていた、もしくは初めて食べるものだった。中でも焼肉はかなり興味があった方だ。調査の途中、何度看板のネオンに目を吸い寄せられたことか。
「んぐっ、んぐっ……ッ!? お、美味しい!」
タン塩、カルビ、サガリなど肉の部位によって皿が分かれていたが、どれも違った味わいがあり、噛むたびに幸福をもたらしてくれる。
肉の質が良いというのもそうだが、目の前で焼くということがこんなにも食欲を湧かせるとは思いもよらなかった。
「凄い食べっぷりね……初めてなら無理もないか。ここは私の奢りだから遠慮せずじゃんじゃん食べなさい」
「はい!」
普段の大地なら首を振って遠慮していただろうに、考えるより先に御礼を言ってしまっていた。
後ろめたさが微かに首をもたげても、焼き上がったホルモンの香りの前にあっさりと消し飛び、嬉々として伸ばした大地の箸が氷川の箸とぶつかる。
「「あっ」」
刹那の硬直から素早く回復した氷川は瞬時に別の皿からキムチを掴んだ。まるで「最初からキムチを取るつもりであった」と言いたげであるが、さすがに苦しい気がする。
氷川はこほん、と咳払いして追加の肉を注文した。
「大地さんはお気になさらず、ここは命を助けてもらった僕が払いますから。こんなことで貴方の立派な行いに報いれるとは思えませんが」
「え、私が払うって言ってるじゃない。部下に奢らせてどうするのよ。あ、生おかわり!」
ビールのおかわりをしつつ、すかさず小沢が目くじらを立てた。
大地は上ミノというホルモンのコリコリ感を楽しんでいた。
「しかし小沢さん。僕は彼に御礼を申し上げる場を相談しただけで、直接関係はないでしょう。ここは彼に助けられた僕が奢るべきなんです!」
「別に誰が奢ったって肉とビールの味は変わんないわよ。男ならつべこべ言わずに『ゴチになります!』くらい言っとけばいいの。生おかわり!」
徐々にヒートアップしていく氷川と小沢、というかほぼ氷川。
大地は気にせず、カルビを乗っけてタレの染み込んだ大盛りライスに舌鼓をうっている。
それからまあ長いこと言い争っていたが、結局小沢が根負けしていた。
こういう時に二人を鎮める立場の人は大変だろう、といるかどうかもわからない人間に想いを馳せながら、大地は若干焦げた肉を纏めて口に放り込む。
もう肉が残った皿も無く、テーブルの上は粗方片付いた。
氷川も顔を引き締め直したことだし、ついに本題に入るのだろうと大地は勘付いたが、時折しゃっくりを上げる小沢がどうにも心配でもある。ビールの飲み過ぎでないといいのだが……。
「改めて自己紹介させてもらうわ。私は小沢澄子。氷川くんの元上司よ」
「僕は警視庁捜査一課所属警部補、氷川誠です。昨日は本当にありがとうございました!」
「い、いえ! 僕も人として当然のことをしたまでです。それに僕がもっと早く到着していれば他の刑事さん達も助けられたのに、申し訳ありません!」
ここまで畏まった挨拶をされると、大地の態度も自然と硬くなる。
つい敬礼まで真似してしまい、それがあまりにも不恰好であったためか、小沢がちょっと吹き出している。
顔を赤らめて烏龍茶のストローに口をつけるが、その間も氷川は直立不動のまま。真面目を通り越して、とんでもない堅物なのではないか。
「あの、氷川さん。そろそろ座っても……」
「あ! どうも失礼しました! 命の恩人たる貴方に気を使わせてしまい……」
「いや、もういいですから! 僕も聞きたいことありますし」
「そうね。そろそろ本題に入りましょう。大地くん、貴方が昨日のアンノウンを倒した者の正体ってことで間違いないのよね?」
「は、はい。一体だけ倒しました。黄色い奴です。このダークディケイドライバーで変身しました」
相手側との食い違いがあっては困るので、一応正確に伝える。
変な誤解を生む展開はもう御免被りたい。
念のためダークディケイドライバーとライドブッカーも取り出した。
「変身……?」
「こう、ベルト巻いて、カード入れると身体が変わります」
「凄い技術力ね……拝見してもいいかしら?」
一瞬鬼塚の事が大地の脳裏をよぎったが、この場限りなら問題ないだろうと了承する。
小沢と氷川は大変興味深い様子で変身道具を観察しており、小沢はベルトを、氷川はライドブッカーのカードを眺めている。
「そのカードに描かれてるのが別の世界のライダーです。この世界のライダーに該当するカードもあると思うんですが……」
「……えぇ!? べ、別の世界!? そんな馬鹿な……あ、すいません。大地さんのことを疑っているわけでないんですが…その、やはりどうにも信じがたいというか」
「あらそう? むしろその方が納得ね。瞬時に戦闘服を着るなんて技術、別の世界から来たぐらいしか考えられないわよ」
「そうなんですか?」
小沢の言った事が心底意外だという風に返す大地。
これまで訪れた世界ではむしろそれがデフォルトなので、当然といえば当然なのだが。
「それで? ライダーってのはなんなの?」
「仮面ライダー。世界ごとに存在する怪人と戦う、正義の戦士です。僕の目的はその世界のライダーを記録することなんです。この世界のライダーは……多分あの銀色のライダーなのかもしれません」
「なるほど……でもこの世界のライダーは違うわね。アレは……というよりもアイツはそんな立派なもんじゃないわよ」
カードを一枚見るごとに取り出していたため、持ちきれなくなった束が氷川の手からばらけて落ちた。
慌てて集める氷川の横から、小沢がひょいと一枚選び抜いて大地に見せる。
それは色が失われた「仮面ライダーG3」のカード。
「この世界のライダーはG3。そこにいる氷川君ってことよ」
「えっ!? 氷川さんが!?」
さらっと驚愕の事実を告げられた。
大地は思わず氷川を二度見するが、アセアセとカードを拾い集めている不器用な人にしか見えない。
しかし、重度のマヨラーとかよりはよっぽどマシかもしれない。
大地が知らないだけで名護や剛もだいぶおかしな人物だったのだが、この場では関係のない話だ。
「でも残念だったわね。あと2ヶ月くらい前に来てれば貴方の目的とやらもすんなり達成できたのに」
「へ? どういうことですか?」
「もうG3はお役御免になったのよ。貴方も見たんだろうけど、あの銀色の『V2システム』に取って代わられたの。氷川くんも今じゃ捜査一課の刑事よ」
「それが悪いとは言い切れないんだけどね」と小沢は付け足しているが、言ってることと表情が全く違う。明らかに不愉快そうだ。
当事者の氷川はというと、口を引き締めて申し訳なさそうに項垂れている。
「僕が力不足なばかりに、小沢さん達のG3を使いこなせず、不甲斐ない結果に終わらせてしまいました。なんとお詫びすればいいか……」
「貴方のせいじゃないわ。未確認生命体ならともかく、アンノウンを相手にするにはG3の性能は低かった。それが紛れも無い事実よ。にも関わらず貴方はよくやってくれたわ」
「そんな! 僕が倒せたアンノウンなんてたったの数体でしかない。それに引き換え、V2は多くのアンノウンを撃破しています。僕が装着員になってしまったから、G3は表舞台から消えたのではないかと思うと……」
詳しい経緯はよくわからないものの、彼らの会話から察するに仮面ライダーG3は期待されていたような結果を残せなかったのだろう。
今ではあのV2というものに役割を譲る形となり、氷川にはそれが悔しくて堪らないのかもしれない。
もし自分が氷川の立場だったならG3の立場が奪われても、V2が人々を守っているならそこまで気に病むこともないだろうに、と大地は思う。
「ほら、いつまでもくよくよしない! もう終わったことをぐちぐち言ってもしょうがないわ。それより大地くん、もしG3に興味があるなら見に来ない? もしかしたらその目的とやらも達成できるかもしれないし、貴方がどんな経歴を辿ってきたのかも気になるのよね」
「是非! ……でも良いんですか? G3って警察のものなんじゃ」
「作った本人が良いって言ったら良いの。さ、行きましょ」
店を出た三人は警視庁に着くまでの合間に様々な会話を交わした。
よくあの焼肉屋に来ていたことや、G3は小沢が開発したものであるとか、一度は氷川以外の人間も装着し、その男が現在のV2装着員であるだとか。
特にそのV2装着員の話になると小沢がとても憎々しげに話すのが大地には印象に残った。
(どんな人なのかな、その北條透って人は)
*
大地達が焼肉を食べていたのと時を同じくして、瑠美達もとある洋食屋に来ていた。
涼はかなり渋っていたが、瑠美が強引に連れて来たのだ。
近くの席に座っている家族の幼稚園児くらいの幼子が涼の不良っぽい見た目に若干怯えてしまっているが、涼にはどうしようもない。
「どんな時も食事は欠かしちゃいけないんですよ。涼さんみたいに戦う人なら尚更です……って言っても、これはガイドさんの受け売りなんですけどね」
「別に食うだけならこんな店に来る必要はないだろ。パンとかで十分だ」
涼の言い分にはレイキバットも一理あった。少なくともこんな立派な内観の店を選ぶ必要性は感じられない。
メニューに記されている値段や、そこから窺える料理の質、店員の振る舞いからしてランチの場としては少々敷居が高そうだ。
瑠美がガイドから経費としてもらっている額なら問題はないだろうが、なるべく浪費は抑えるべきではないだろうか?
「どうせなら美味しいもの食べたいとは思いませんか? それにここは私が払いますから心配には及びません」
だがレイキバットは瑠美ならそう言うだろうとも思っていた。
それなりに一緒の時間を過ごしてきて、なんとなくこの女が人に尽くしたがる性格を理解しつつもあったからだ。
そんな彼女に呆れたのか、涼ももう何も言わずに溜息を吐いた。
「ご注文は決まりましたか?」
そして頃合いを見た店員が注文を取りに来る。
「私はもう決まりましたけど……」
「一番安いやつでいい」
「もう、そんなこと言わないで。店員さん、オススメはありますか?」
「そうだなぁ〜。ウチのメニューはどれもオススメだけど、特にオススメなのはこのスペシャルハンバーグセット! サラダと付け合わせの野菜にはいつもその日に採れた本当に新鮮なものを使ってるから、素材本来の甘みが出ててーーー」
「わかった! わかったから、それでいい」
涼が止めなければランチタイムが終わるまで喋り倒す勢いだった。
我に帰った店員は照れたように頭を掻いて朗らかに笑っており、反省の態度は見られない。これで客がクレーマーだったなら面倒なことになっていたのは想像に難くない。
変な奴がいるもんだな、とテーブルの裏に止まっていたレイキバットは感想をこぼしたが、その目の前にあった瑠美の足が突然動いた。
「あっ!? あなた、今朝コンビニで会った人!」
「えっ……あぁ! あの新聞ばっかり買ってた人ですか! いやあ、凄い偶然ですね〜! こちらは彼氏さんですか!?」
「違う」
どうやら瑠美はこの店員とすでに面識があったようだ。
確かに中々無い偶然なのは同感だが、それ以上に何かあるとはこの男からは思えない。
その時、涼の無愛想な態度が恐怖の限界値に達してしまったのか、近くに座っていた幼子が少し愚図り出してしまった。
こうして見ると無理矢理連れて来られた店で怖がられる涼がかなり気の毒に映り、同じく無愛想な態度をとりがちなレイキバットにはシンパシーを感じてしまう。
幼子の両親もあやそうと手を尽くしているものの、このままでは店に迷惑をかけてしまうのは時間の問題かもしれない。
そこで素早く動いたのは例の店員であった。
その手には新聞紙で包んだコップがあり、鼻歌で子供の気を引いている。
目線もその子供に合わせており、こういう対応には慣れているのかもしれない。
「フンフンフンフンフン〜。はい、タネも仕掛けもありません」
店員の見せたコップはテーブルに伏せられ、新聞紙越しでしかその存在を認識できなくなった。
子供の微かな興味が向いたことを確認し、店員はコップがある位置を勢いよく叩く。普通ならコップを叩く音が響くだけのはずだが、なんとコップの形になっていた新聞紙ごとグシャリと潰れてしまった。
「はい、コップが無くなっちゃいました〜!」
「わっ!? すごーい!」
(なるほど、手品か)
レイキバットの位置からだと店員の膝にコップが落ちてきた瞬間が見えていた。
仕組みがわかってしまえば簡単な手品なのだろうが、少なくとも子供のご機嫌をとることには成功している。
なんとも微笑ましい光景だと瑠美も笑っているのはいいが、目的を見失ってやいないかと翼の先っちょで彼女の膝をつついておく。
「……あっ、その、葦原さんはこの後どうするつもりなんですか? パトロールとか?」
「あいにくそんな殊勝な心がけはしてない。この手帳に載っている人に会いに行く」
涼が差し出したのはボロボロになった一冊の黒い手帳。
中身の紙は色褪せ、相当に使い込まれた形跡が見られる。
記されているのは十数人分の名前と住所、ただそれだけ。何の繋がりがあるのか、それすら書いていない。
「死んだ父さんが最後に持っていたものだ。そこにある名前は『あかつき号』という船に父さんと乗っていた人物のリストらしい」
「わざわざこんな風に書き留めるなんて、よほど仲良くなったってことでしょうか?」
「さあな。だがその船は大きな海難事故にあった。幸い大きな怪我を負った者はいなかったらしいが、父さんはその船から戻って以来人が変わったようになった。大らかだったあの人が最後は衰弱死……最初は信じられなかった」
父親を亡くした経験は瑠美にもある。
しかし、父親の話をする涼からは悲しみの感情よりも疑念の方が強く感じられる。
「俺は父さんがどうしてそうなったのか、あかつき号で何があったのか。それを調べている」
「それでその人達に会いに行くってことなんですね」
「ああ。もう何人かには当たってみたが、結果は芳しくなかった。だが、そう簡単には諦めきれない」
そう強く言い切る涼は大した男の顔だとは思うが、レイキバットの見立てではこの件が仮面ライダーギルスの謎を紐解くとは思えなかった。
しかし、どうやら瑠美も乗り気のようだし、そもそもついて行くと言い出したのは自分達である手前、仕方ないだろう。
そして会話がひと段落したのを見計らってか、例の店員が二人分のサラダを運んで来た。
「お待たせしました! ランチのサラダになります。それにしてもあかつき号か〜。懐かしいな〜、俺も乗る予定だったんですよ」
「ッ!? それは本当か!?」
かなり重要なことをぽろっと言い出すものだから困る。
目を剥いて今にも摑みかかる勢いの涼にも臆することなく、店員は笑顔で答える。
「ええ、チケットまで買ってあったんですけど、それを入れたバックごと他の人と取り違えになっちゃって。しかもですよ、なんとその俺のバックを間違えて取った人ったら、そのままあかつき号に乗っちゃったんですよ! それで俺は船に乗れなかったんだから、まいっちゃいますよね! 船に乗せてふね(くれ)! ハハハハハハ!」
やたらわかりにくいギャグもそうだし、この店員もおっちょこちょいというか、だがその人物も相当な変わり者だろう。普通なら間違えて取った人のバックに入っていたチケットを使うなんてありえない。
「あ、この人です」と指差した名前は「
「それではごゆっくりどうぞ。ハンバーグもすぐ持ってきますね!」
「あ、ああ」
手掛かりになりそうで、結局ならなかった。
涼もちょっぴり落胆はしたものの、突然過ぎたためか、すぐに持ち直した。
サラダを結構な速度で食べながら、手帳にあるまた別の名前を指差す。
「今日はこの人に会いに行くつもりだ。ここからもそんなに遠くない」
そこには記された名前は「木野 薫」とあった。
*
「小沢さん、本当に良いんですか? いくら大地さんでも格納庫にまで入れるのは……」
「だから良いって言ってるじゃない。別に減るもんでもないし、この子がG3に悪さをするとも思えないわ」
「それは……そうですが」
小沢と氷川が並び立って歩き、その背後を縮こまった大地が付いていく。
いざ警視庁に来てみれば、やはりその外観に圧倒され、明らかに普通の一般人には入れなさそうな場所まで来てしまうとすれ違う時の視線も痛い。
むしろここまで呼び止められなかった方が不思議で仕方ない。
大地はこのまま面倒ごとが起こりませんように、と内心で神に祈ってみたはいいものの、残念ながら神様とやらは名護のように味方してくれないらしい。
氷川達の反対側から二人組の男達が歩いてきた途端、彼等の動きがぴたりと止まった。
おかげで大地は氷川の大きな背中に激突する羽目になってしまったが、頑丈な氷川はビクともしないどころかぶつかったことにも気付いていない。それだけ目の前の男達に緊張しているのだ。
最初に口を開いたのは二人組の内の背の高い方。どことなく嫌な雰囲気の男だ。
「おや、これはこれは氷川さんに小沢さん。奇遇ですね。こんなところに何の御用ですか? この先は格納庫ですよ」
「別に大した用じゃないわよ。製作者が自分の発明品を見るのはいけないことかしら?」
「まさか。あんなものでも愛着が湧くのはわかりますよ。僕も装着者としてV2という素晴らしいシステムに愛着を持っていますから。ああ、勿論G3にも少しはありますよ。元装着者として、ね」
「そういえばそうだったわね。あまりにも不甲斐なさ過ぎて忘れてたわ」
男がああ言えば、小沢はこう返す。
放っておけばその身が朽ち果てるまで言い合いを続け、最後には口だけになっても口論を続けそうだ。
小声で氷川に尋ねてみると、あの小沢と舌戦を繰り広げている男こそがV2装着員の北條透だと言う。
「隣にいるのは入山照という方で、生物学の学者です。V2の前身であるV1を設計したメンバーの一人で、今ではV2の戦闘オペレーターとしても活躍していて、よく警視庁にも来ています。なんでもV2の動力源を扱えるのが彼しかいないとかで……」
「ど、どうも。ひ、氷川さん、ご無沙汰しております」
終わる気配を見せない北條達に待ちかねたらしい入山が氷川に挨拶してきた。
北條と違い、この入山という男は氷川達に対して悪印象は抱いていないようだ。
ただやたらオドオドした態度なのが気になったが、そういう人なのだろうとあまり気に留めないことにした。
「ど、どうです、捜査一課の方では? ひ、氷川さんのか、活躍の場を奪ったのは非常に心苦しいのですが、氷川さんならきっと刑事の方が向いていますよ」
「はぁ……どうも……?」
皮肉のようにも聞こえる入山の言葉も、その態度からして恐らく本気で褒めている。
氷川も微妙な反応で返しているが、入山はぎこちなく笑うばかりだ。
当たり前といえばそうなのだが、着実に場違いの空気が自身から漂い始めたのを大地が自覚したところで、北條の矛先がこちらに向かれてしまった。
「それで? 小沢さんに氷川さんときて、あの人ではなく、そこの学生らしき人を連れているのはどういうわけなんです? まさか社会科見学なんて言いませんよね……いや、G3がお役御免になった今の貴女にはお似合いの仕事かもしれませんが」
「まあ似たようなものよ。あんたなんかよりも、未来を背負って立つ若者の相手をする方がよっぽど有意義だもの」
「やれやれ、相変わらず口の減らない人だ。君もこんなお酒臭い人よりも、僕らのようなエリートを見習った方がいい」
酒臭いという部分にだけは同意する。
しかし、ここで北條の味方をするのがどういう結末を招くのか、いくら大地でも察しがつくので、口が裂けても言えない。
「それではここらへんで失礼させてもらいますよ。何せ僕らは貴方達と違って多忙の身なので。まあ、そちらも精々頑張ってください。では行きましょう、入山さん」
「は、はい。それでは氷川さん、また今度」
わざわざ大地の肩をポンポンと叩いて、北條は去って行った。
言葉は無くとも、小沢から凄まじいストレスの念が発せられているが、その気持ちはこの会話だけでもわかった。
(北條さんって……めちゃくちゃ嫌な人なんだなあ)
入山 照
V2システム及びV1システムを開発したメンバーの一人。
氷川に対しては何故か尊敬に近い感情を持っている。
どうやらあかつき号に乗っていたようだが……?
店員
笑顔が似合う優男。
得意なのは手品や親父ギャグ(本人以外には極めて少数の人にしかウケない)。
元々あかつき号に乗る予定があったが、チケットが入ったバックを入山と取り違えてしまい、結局乗れなかった。
店員の本名はアギト本編を見よう! そして感想ではその名前を出さないでね!