ビルドリビルド 仮面ライダービルド at once A and B 作:鉄槻緋色/竜胆藍
そこは薄暗い地下施設だった。
照明はある。立ち並ぶ機材のインジケータも無数に点滅している。
それでも、どこか昏い淀みが蔓延している。
正直この地下施設を拠点とする組織の長だとしても、そうそう慣れることのできるものではない。
この施設の目的と実験内容の都合上、様々な薬剤
の臭いはもとより、苦悶、悲鳴、怨嗟などありとあらゆる絶叫と、その絶叫をあげる者の吐瀉物、体液、糞便と、遺体とその管理をする薬液などおよそ白日を避けるべき不快な要素に満たされている。
いや、満たさせている。
命じて、満たさせているのだ。
今も、防疫防護服に身を包んだ研究員が、粗末な患者衣を着せられた男を数人ががりで押さえつけ、実験用カプセルに押し込んでいる。
一段高い位置の、施設に不釣り合いな豪奢なソファに腰かけた異形の装甲服姿の人影が、それら数々の人体実験を見下ろしながら、顔面のコウモリ型のバイザーの下、人間であれば鼻の下辺りを親指で横に撫でた。
それはDテクターとも異なる形状の装甲服。無数のチューブが複雑に絡み合った装甲に包まれている。
この装甲服には有害な空気を遮断する空調機構も備えられている。ゆえにコウモリのマスクの下の生身の嗅覚にはそれらの異臭は届かない。
はずなのだが、それは頭痛を抑えるようにこめかみに手を遣った。
『煮え切らないやつだなあ。今さら被害者ぶるなよ。みっともねえ』
そこに、固い足音と共にひどく嘲笑の色を帯びた合成音声が響いてきた。
無数の鉄パイプをまたぐキャットウォークを鳴らして歩いて来たのは、血のように赤い装甲服姿だった。
それもまたDテクターとも異なる形状の装甲服。
無数のチューブが絡まったような装甲は共通しているが、不快さを催す色調のグリーンのバイザーと胸郭の形状が、絡みついたチューブと相まってどこか蛇を思わせる。
両足を気怠げに投げ出して歩くその様と言い、全身で嘲りを表現する振る舞いと言い、装甲の形状と相まってその全てが見る者の神経を逆撫で嫌悪を抱かせる。
その禍々しい赤い人影を、コウモリのマスクがゆっくりと振り返った。
『……ブラッドスターク。何の用だ?』
『おおいおい⁉︎ ご挨拶だなナイトローグ! そろそろ検体の数が足りなくなってるんじゃないかって思って心配して来てやったのによお?』
赤い装甲服・ブラッドスタークはハリウッド俳優もかくやというオーバーリアクションで両腕を振って大仰に宣う。
『いや、イィーい検体候補を見つけたんだよ同志! きっといい実験が期待できるぞ?』
『なんでそんなことがわかる』
憮然としてナイトローグが問い返す。
ブラッドスタークは手を打ってナイトローグを指差すパフォーマンスをしてまで、嬉々として答えた。
『壁付近でのうのうと生活しているアホがいたんだよ。もしもネビュラガスにちょっとでも適応してるなら、普通の人間とは違った結果が出るんじゃないか?』
『……どうやって見つけた』
『たまたまさ。いやあびっくりしたぜ! こりゃあ是非ともお前に教えてやんなきゃと思ってなあ!』
ソファの隣まで来たブラッドスタークが、気安い調子でナイトローグの背に腕を回し、抱き込むようにして肩を叩いた。
だがナイトローグはうるさげにその赤い腕を振り払う。
振り払われたブラッドスタークは頓着せずに、肩を竦めるリアクションすらして一歩離れた。
『……わかってる。我ら「ファウスト」の掲げる理想のため、手段は選ばん。そいつの居場所を教えろ』
重そうに腰を上げたナイトローグだが、それでも立ち上がってからは迅速にソファを回り込んで歩き出した。
例えどんなに甚大な災害が起きようと、人々は幸福な生活を求めて何度でも復興し立ち上がってきた。
「スカイウォールの惨劇」からしばらくは、数年経っても娯楽場や喫茶店など憩いの施設が白眼視されていた時期もあったが、それでも、あるべき人々の憩いの場を追い求める酔狂者がいる。
路地の奥にある、暖色系の外装に彩られた喫茶店「nascita(ナシタ)」もそのひとつ……と思われていたが、立地のせいか、いまいちひと気が無い。
その無人の路地に今、戦兎がどたばたと駆け込んできた。
白衣ではなく、どこかダブつきのあるファッションである。
地を擦り削って急停止し、ドアノブに飛びつくと、けたたましく引き開けた。
「じゃーん!」
ドアベルが派手に鳴るドアを、後ろを向いてそっと閉め、そのままブリッジするかのように上体を仰け反らせた。
「ただいまっしょー!」
逆さまの喜色満面の笑顔で叫ぶ。
「はいはい。おかえり」
それに対し、カウンターの向こうでグラスを磨いていた中年の男が苦笑顔で応えた。
「おまえさ。もうちょっと普通に入ってきてもいいんだぜ? おれぁドアの蝶番が心配だよぉ」
粋に歪めた苦笑顔で言う男に、戦兎も笑顔のまますたすたとカウンターまでやって来ると。
「言えた義理か、あほマスター!」
いきなり飛び上がって、カウンターの上に貼ってあった巨大な横断幕をむしり取った。
そこには「地球征服」とデカデカと書かれてあった。
「商売する気あんのかこの宇宙人! お客さんドン引きだろこんなの書いてあったら!」
「いーじゃん。おれの趣味なんだし」
戦兎の剣幕にも男・店のマスターの苦笑顔は小揺るぎもしないし悪びれもしない。
「それに忘れたのか? ここは、おれの店だ。つまり、おれが何をしようと自由!」
両腕を広げて高らかに宣うマスターに対し、戦兎は衝撃を受けたように後退った。
「……くっ、宇宙には医者も警察もいないのか……」
そこで戦兎は傍を振り向いた。
店の奥のテーブルに腰掛けている少女に向かい。
「美空! 美空からも何か言ってやれ!」
「知らないし」
ところが少女・美空の返事はにべもない。
ボサボサの髪を頭頂で適当に括り、ヨレヨレのクソダサいジャージにスリッパ、瓶底眼鏡でノートパソコンに齧り付き、せかせかとキーを叩いてばかりでこちらを見ようともしない。
無表情で冷淡に吐き捨てる。
「編集作業で忙しいし。話しかけないでほしいし。お父さんも戦兎も四散して消えて欲しいし」
「そんなに⁉︎ 」
戦慄した戦兎がわずかに後退った。
その戦兎の肩を、いつカウンターから回り込んできたのかマスターががっしと抱きしめる。
「オイオイ、今をときめくネットアイドル・みーたん様の邪魔すんじゃねえよ戦兎。ところでその垂れ幕貸せ」
「あ」
戦兎の手から呆気なく抜き取った巨大な布を、マスターは手品でもするように両手で握ってしわくちゃに揉み合わせた。
「さあて御覧じろ。これならいいだろ?」
言ってマスターはカウンターの上に布を投げ上げる。
するとなぜか布は勝手に広がり、元の位置にしわひとつ無く貼り付いた。
そこには、なぜか修正跡ひとつ付けずに別の言葉が書かれていた。
【地球はひとつ! 割れたらふたつ!】
「ざっけんなッ!」
額に青筋を浮かべて絶叫した戦兎が、取り出した黄色い小瓶をひと振りしてキャップをひねると、小瓶を握った指先を横断幕に向けて一閃した。
その途端、横断幕の文字が蠢き、別の言葉へと変形してゆく。
【宇宙一くそマズいコーヒーの店!】
「せめてこれくらい謙虚になれってんだ!」
おおー、とマスターは心底感心したようにぺたぺたと拍手した。
「さっすが天才科学者・桐生戦兎!」
いやいやいや……と照れた戦兎が頭を掻いて小瓶を持った手を振り。
はっ、と正気を取り戻す。
「って、そうじゃねえ! さらっと無視してんじゃねえよちゃんと読め!」
さらに戦兎が言い募ろうとしたその時。
マスターと戦兎の頭にそれぞれノートパソコンと瓶底眼鏡がもの凄い勢いで激突して跳ね飛んだ。
飛び散るキートップ。砕け散る眼鏡のレンズ。
衝撃に朦朧とした頭を振って顔を上げた二人の男は、物が飛んできた方向から嫌な冷気を感じて振り向いた。
そこでは、美空が立ち上がり、眼鏡の下の可憐な素顔に底冷えのするイイ笑顔を浮かべて握り合わせた拳の骨を鳴らしていた。
「……そんなに覚えの悪い頭だったら、もういらないよね……首の断面を見せろ!」
言うや、ひっ摑んだテーブルを丸ノコギリの勢いで水平に投げつけてきた。
絶叫が、喧騒が店の外まで響くが、路地の外にまでは届かない。
「いやー死ぬかと思った」
「何日かにいっぺんは死にかけてる気がするよ」
マスターと戦兎がぼやきながら店内を片付けている。
なお、美空はそこのロッカーに頭から突き刺さって動かなくなっていた。何がどうしてそうなったのかは覚えていない。
「んで、今日も行くのか? 「正義の味方チャンネル」は」
ひしゃげた美空のノートパソコンを両手で撫で回すマスターに、戦兎がうんざり顔を上げて応える。
「ビ、ル、ド、チャンネルな。言い間違いの方が長いじゃねえか」
砕けた瓶底眼鏡の欠片を全て拾い集めると、戦兎はそれをマスターに突き出した。
なぜか欠け傷ひとつ無い新品に復元されたノートパソコンをカウンターにそっと置くと、マスターは続いて戦兎の手のガラス片を受け取り、両手で揉み合わせ始めた。
そして両掌をゆっくり広げると、そこには綺麗に復元された瓶底眼鏡が現れた。
「んじゃ、行ってきます! ……ああ」
そんな怪現象など見飽きた顔で身を翻しかけた戦兎は、ふと立ち止まると、後ろに仰け反り逆さまの顔でマスターを振り向いた。
「……余計なことはするなよ?」
指先を突きつけて言うが、マスターは鼻で笑って肩を竦めた。
「彼女がいるのにできるかよ。それに」
言ってマスターは、復元した瓶底眼鏡をかけてニヤリと口の端を上げて見せた。
「俺には何もできない。お前は好きに動け」
ちゃお、と片手をヒラヒラさせるマスターに、逆さまの上体を起こした戦兎はそのままドアを押し開けて店から出て行った。
北都エリアからスカイロードを抜けて戻ってきた闇ブローカー「クローズ」のボスは、森を抜けてふもとへ降りると、アジトとは別の方角へと歩き出した。
土が露出した斜面がやがて平坦なアスファルトに変わっても、付近にひと気は一切無い。
スカイウォールから十キロメートルが進入禁止区域となって十年。付近一帯の街はずっと無人のゴーストタウンのままである。
商店も、デパートもビルもなにもかも、砕けた外壁を晒して沈黙している。
そんな墓場のような廃墟を歩くこと小一時間ほど。
進入禁止区域と居住可能区域の境目付近に近づくにつれ、遠くから自動車などの走行音や生活の騒音が聞こえてきた。
政府が定めた進入禁止区域とは言え、物理的に壁や仕切りを立てられるわけでもない。
この辺りは言わば、グラデーションのように有人・無人の家屋が入り混じっている。
スカイウォールに近付けば、ネビュラガスに侵されるがその距離は曖昧であり、繊細な市民は壁から十キロメートルと言わずそれ以上離れる方向へ移住し、閑散とした毒気の薄い区域にはやがて人目を憚る連中が寄り集まって住み着いた。
それは身寄りのないホームレスなどであったり、あるいは裏社会の住人であったり。
「クローズ」のアジトも距離的にはこの辺りになるが、ここはアジトとは完全に別方面の地域。
そんな壁付近よりはひと気があり、市街よりはうらぶれた町を、ボスは迷いのない歩調で進んでいった。
やがて辿り着いたのは、看板も窓も砕け落ちた廃病院だった。
だがボスは頓着せずにひしゃげたドア枠を乗り越えて中へ入ってゆく。
朽ちかけた立入禁止の札をまたいで地下への階段を降りると、外観からは想像もつかない整備された一画が現れた。
見える各部屋の内部には新品同様の医療機材や什器が並び、万全な医療設備が設えられている。
その中の一室に入ると、黒を基調とした重厚な調度が並ぶ部屋。その奥のデスクに一人の老爺が革張りの椅子に腰掛けていた。
「……よう、龍我」
眼帯をかけ白衣を纏った小太りの男は、片手を上げて出迎えた。
呼ばれたボス・龍我は仏頂面のままデスクの前まで来ると、懐から抜き出した分厚い封筒をデスクに放り出した。
落ちた衝撃で中から紙幣が滑り出る。
「お袋の調子は?」
「良くはねぇな。いつも通りだ」
小太りの男は封筒を取り上げると中の紙幣を数え始めた。
「母親の見舞いに手ブラで来るんじゃねぇよ。これで何か買って来いや」
言うと、小太りの男は封筒の内から数枚の紙幣を引き抜いて龍我に突き出した。
龍我は相変わらずの仏頂面のままだったが、やや目を泳がせてからその紙幣を受け取った。
「……なぁ龍我。今の稼業はいったんやめてよ、母親とゆっくり暮らしちゃあどうだ?」
小太りの男が穏やかな顔で語り出した言葉に、龍我は血相を変えて詰め寄った。
「やっぱやべえのかよ!」
「良くはねぇと言った。ただ、若いおめぇと違って、お袋さんはいつまでこのままか分からねぇ。延命のために身体張ってる時間をよ、一緒に穏やかに暮らす時間に変えちゃぁどうだ?ん?」
「ふざけんなよ!」
龍我はデスクに拳を振り下ろして叫んだ。
「テメェ医者だろ? なんとかしろよ!」
凄まじい剣幕で迫られても、老爺の顔は小揺るぎもしなかった。
穏やかな眼差しで、じっと龍我の目を見つめている。
しばし睨み返していた龍我だったが、やがて目を泳がせると俯いて退がった。
「……悪かったよ。無茶言った」
「その歳で聞き分けが良いのはいいこったが、本当はまだ早ぇんだよなぁ」
小太りの男は深々と溜め息を吐いた。
「闇医者だブローカーだって言ったところでよ、曲げらんねえ道理ってなぁあるんだよ。お前には、本当に酷な事だと思う」
心底親身な男の声に、龍我は力無く首を振った。
「まあ、土産買ってきてよ、お袋さんに会ってけよ。……どっかで暮らすってんなら、この金は餞別にくれてやるからよ、良く考えな」
封筒を振りながら言う男に、龍我は目元を赤く腫らせた顔を上げ、
「……ああ」
それだけを絞り出すように言って、部屋から出ていった。