月の薄い光が注いでいましたが、暗い街の中です。レオパルドがマルチェロの目となり、ハワード邸に向かいました。もう足がすくんだりはしませんでしたが、まだ少し緊張が残っているのでしょう、引き綱を通してマルチェロに伝わっていました。
「大丈夫か……レオ。辛かったら言え。私が何とかする。だから暴れたりするなよ」
「アイサー」
夜のハワード邸はひっそりとし、人の気配はありませんでした。
「灯はついてますね……」
ドルマゲスは門の外から中を伺いました。ためしに押してみると、門は開きます。一行は静かに門の中へ。
レオパルドがある方向を向いて言いました。
「あれは……俺がいた檻だ」
見ると黒い鉄格子でできた大きな檻がありました。かつて自分のすみかだった場所。あの前でレオパルドはチェルスを手にかけたのです。
「お前、いい暮らししてたんだな……」
ドルマゲスは大きな檻と屋敷とを交互に眺めながら呟きました。マルチェロも、あの檻はマイエラ修道院の宿舎より広いな、と思いました。
屋敷の呼び鈴を鳴らすと、すぐに使用人が出てきました。しかし、ハワードは街へ飲みに出ているとのこと。仕方がないので酒場をあたすことにしました。
「兄さん、リブルアーチへは?」
「ああ、騎士団時代に何度か来たことがある。ハワード氏には会ったことはないが、酒場の場所はわかる。着いてこい」
マルチェロは酒場を目指しました。
「お客さん、犬は困ります……」
酒場の店員は、丁寧かつ慇懃にいいました。
「無論、入店するつもりはない。ただ、ハワード氏を探しているだけだ。犬のことで会いたいのだ」
「ハワードさんですか? ちょうどおいでですよ。ちょっとお待ち下さい」
店員はハワードの名を聞くと、そそくさと店の奥へ入って行きました。
さすが、ハワードは有名人なのですね。
「お坊様、どうぞ、お犬さまもご一緒に、お席へご案内致します」
マルチェロの『ハワードに犬攻撃』が決まったようです。一行はついたてで仕切られた広いスペースに案内されました。
ハワードは背の低い、厳めしい顔をした男でした。派手な顔と派手な衣装が互いに主張し、黙っていてもやかましい雰囲気をかもし出しています。
「わしがハワードじゃが、何か…ッ…レオパルドちゃん?」
ハワードはレオパルドを見るなり一目散に駆け寄りました。
「やはり、ハワード殿、あなたの犬の名はレオパルドでしたか」
マルチェロは予想通りと言わんばかりの落ち着きようです。
「あっ、いや、そんなはずは……。失礼した。わしが大呪術師のハワードじゃ」
「私はマルセリーノ。僧侶です。この犬はレオナルド。私の盲導犬です。そしてこの者はドルトムントと言いまして、共に旅をしております」
いつもは本名を名乗るのに、なんとなく偽名を考えてみたマルチェロです。
「旅のお坊様が何か……? 確か、犬のことだと」
マルチェロには見えませんが、ハワードはレオパルドをじっと見つめたままです。
「はい。そのレオパルドのことで少し伺いたい。構いませんか?」
マルチェロの落ち着いた物言いにすっかり信頼を寄せたハワードは、椅子を勧めました。
食事も頼んでくれて、お酒も用意してくれます。太っ腹です。
「レオパルドは、よい犬だった。わしに忠誠を誓ってくれた。強くて優しくて……だがっ……」
ハワードは涙と鼻水を同時に吹き出させ、濃い顔を更に飾ります。
「クゥン(……すいません、ハワードさん……俺が早くに気づいていれば……)」
レオパルドはハワードの手にそっと鼻をつけました。
「本当に貴方の犬はレオパルドに似ておる。勇敢で、頭がよくて……」
ハワードはレオパルドを抱きしめ、おいおい泣き始めてしましました。
酒場にいた他の客たちも心配そうに集まってきます。その中に、ハワードに負けず劣らず頑固っぽいオヤジがいました。
「おい、その犬はレオパルドじゃねえか?」
「ウォン? (ライドンのおっさん?)」
「失礼、私は目が見えないのだが、貴殿はどなたかな? 私の犬はレオナルドというのだが、やはりハワード殿のレオパルドに似ていると?」
ライドンは、おうよと言って、マルチェロたちの席につきました。
「俺はライドン。石工だ。このハワードとは昔馴染みでな。レオパルドのこともよく知っている」
ライドンは、運ばれた酒を勝手にカパカパ飲んでいます。肝心のハワードは、まだレオパルドに抱きついて泣いていました。
「……実は、我らはチェルス殿に会いに来ました……」
「何だと?」
チェルス、と聞いて、酒場中がしんとします。しくしく泣き出す女性もいました。
「ライドン殿、実は私たちはリブルアーチへは以前来ているんです。その時、このレオナルドが怪我をしましてね。私はどうにも動けなくて困りました。……そこへ偶然チェルス殿が来て、レオナルドの手当てをしてくれたんです。……今だから言いますが、ハワード殿に内緒で、犬小屋に一泊させてもらったのです。あのときのお礼を是非したいと……もっと早く伺えばよかったのですが……」
「そうだったんですか。チェルスは優しい若者でした」
マルチェロの作り話に、ライドンもコロッと騙されています。女神は、「マルチェロは嘘をついてはいけない」も試練に加えればよかったと後悔しているでしょうね。
そんなマルチェロのウソ話に、他の客も集まって来て、皆でチェルスの思い出話に花を咲かせました。
「ハワードさんたら、あれからめっきり元気なくしちゃって……。また犬と暮らしたらいいのよ」
「そうさ、レオパルドは暗黒神に操られてたんだ。悪くない。悪いのは暗黒神だよ」
「しかし、チェルスはかわいそうだったな……優しくて、あんたにずいぶん気を使ってただろう? あんたもそれを反省したんだ。いつまでもくよくよしてたら、チェルスも浮かばれねえよ。あんたの呪術は俺の作品と同じで、リブルアーチの宝なんだからよ!」
ライドンはハワードの背を豪快に叩きます。
「そうですよ、ハワードさん。また、新しい呪術を会得して、怪我人を治してやって下さいな」
「それより、うちの娘に呪術を教えてやってくれ。ハワード魔法学校を今こそ開校すべきだよ……」
皆に励まされ、ハワードはようやく顔を上げました。
「魔法学校……」
「そうですよ! ハワードさんがいつまでもくすぶってたんじゃ、おうちの釜も宝の持ち腐れになってしまいます」
「わしは、わしのしたことは、チェルスが許してくれるだろうか。あんなに冷たくしてしまって……殺されてしまって……うっ、うっ……」
「何言ってるんだよ、これからあんたがチェルスに報いるために、呪術を広めりゃいいんだよ」
「そう。泣いてたってはじまらなねえ。……さあ、景気よくやろうじゃないか!」
なぜか酒盛りが始まり、一晩中わいわいと盛り上がりました。チェルスが殺されてから、リブルアーチの酒場がこんなに活気に包まれたことはありませんでした。マルチェロのウソ話も、女神は許してくれることでしょう。
宴が終わったのは明け方近く。マルチェロ一行はハワード邸に向かいました。べろんべろんに酔ったハワードをドルマゲスが抱えています。
「……チェルス……わしが悪かった……。レオパルド……かわいそうなことをさせた……あんなことをする犬じゃなかった。すまなかった……」
「クゥン……クゥン……(ハワードさん、謝らないで下さい。俺は大丈夫です)」
ハワード邸の門を入ると、レオパルドはすぐにチェルス殺害現場に向かいました。
「アォーーーン」
「レオ、わかるのか」
レオパルドは鎮魂の祈りを込めて遠吠えします。マルチェロも祈りを捧げました。
そして、女神の秘宝を現場に手向け、5つ目のお使いが終わりました。
「ほう、オークニスに……」
チェルスに女神の秘宝を捧げ、ハワード邸で休ませてもらったマルチェロ一行。二日酔いの冷めやらぬハワードと昼食をとっていました。
マルチェロ一行がこれからオークニスに向かうと聞いて、ハワードはちょっぴりさみしそうです。
「レオパルド……いや、レオナルドは本当にいい犬だ。……お坊様の盲導犬でなければ、譲ってもらいたいくらいだ。……いや、犬は主人と共にあるのが一番の幸せじゃ。どうかレオナルドを大切にして下さい……」
ハワードはレオパルドをなでる手を止め、マルチェロに握手を求めました。
レオパルドはマルチェロの手を鼻で誘導します。
自分の鼻の上で交わされる握手。レオパルドはこの二人に会えてよかったと思いました。そしてチェルスにも……。
次はオークニスへ行きます。