カーテンから差し込む朝日に目が覚めて、体を起こそうとすると全身に小さな痛みが走った。
覚悟していたことだがどうも体に重石が乗ったように動けない。
やっぱり体が馴れるまで動けないかな……。
自分の体の情けない状態に呆れ、ぼんやり天井を見つめては溜め息をつく。
なんでいつもこうなるんだろうな……。
耳元ですーすーと小さく落ち着いた呼吸音が聞こえている。その安心しきった寝息を聴いて俺は更にもう一度深い溜め息を天井に吐き出した。
「うっ、くっ、」
軋み響く関節を無理矢理動かし布団から這い出す。
ベッドから立ち上がり師匠を見ると師匠はお腹を出して寝ていて、そっと布団を掛け直してあげる。
両腕を上げてゆっくりと伸びをすれば筋肉は悲鳴を上げて、瞼はもう一度布団に戻るよう促してくる。それらを全力で無視して俺は台所に歩き出した。
昨晩師匠が作っていた味噌汁の鍋をコンロに乗せ火を付ける。
炊飯器を開ければ熱々の湯気が沸き立ち、ふっくらなご飯が釜の中で光り輝いていた。
「うん、あとはおかずだけだね」
ご飯の炊けた湯気は朝の空きっ腹には少々堪える。実際腹の虫が地響きにも似た唸り声を上げ、早く腹を満たせと俺に訴えてきてる。俺は腹の虫を静める為にも炊飯器の蓋を閉めて台所の角にある冷蔵庫にそそくさ向かった。
卵やら野菜やらあったら楽におかずが作れるんだけど……。さすがにそんなものは用意してないよね。
「……まじかよ」
扉を開けるとなんと中にはバットに乗せられた鮭の切り身があった。取り出してみると塩も振られていて、あとは焼くだけで良いようだ。
昨日は風呂のあとすぐに布団に入ったというのに、師匠の準備の良さにはいつも驚かされるな。
師匠の流石の下準備により組み立て途中だったレシピを破棄し、完全に焼き魚ルートに切り替えた。
俺は油温めていたフライパンに敷いた油が撥ねないよう静かに切り身を乗せていく。
その間に同時進行で師匠の畑出身のサニーレタスの葉を1枚1枚ちぎって盛り付けていく。
ふむ。ここまでは完璧だ。このままパニックにならないで料理を終わらせないと。
1食を作ると言うのは1品を作るのとは違ってマルチタスクで全てを同時に行い、そして全て同じタイミングで完成させなければいけない。しかし俺の脳みそはタスクが2つまでしか開けない。だから……、
―――ゴポポッ!!
「げっ!! 忘れてた!」
手に持っていたレタスをほっぽり出して、味噌汁が蓋の隙間から茶色の泡が吹き出し溢れる寸前で火を止める。
鍋をコンロから下ろせば、今度は香ばしい魚の焼けた匂いが。
「やばいやばいやばい!!!」
慌てて切り身を返し焦げ付きを確認する。2つ焼いた切り身の内1つは黒焦げになってしまったが、もう1つの切り身は奇跡的に黒い焦げはなく、ちょっと焼き過ぎ程度の焼き目が付いていた。師匠が食べる分は綺麗に出来て一安心した俺は裏側にさっと火を通して火を止める。
先に焦げちゃった方を片付けておこっと。
今度こそ落ち着いて焦げ付き鮭をシンクの上の、汚く散らばったレタスの上に……。
「……げ。」―――ぼとり。
慌てて火を消しに行った俺が散らかしたままのレタスは、シンクの上に乱雑に置かれていて当然焼き鮭など置ける状況ではない。
皿に盛り付けられていなかったレタスに気付いたのと、半端な火の通りで脆くなっていた切り身が半分に割れてフライパンに落ちたのは完璧に同じタイミングだった。
* * *
「ふわぁ~。雅、朝ごはん作れなくてごめんね」
「一緒に生活しているんですからそこは気にしないで下さい」
緩く大きめのシャツを身に纏った師匠はふらふらとおぼつかない足取りでリビングに来た。
ふらふら歩く師匠を見ていると倒れてしまわないか不安でしょうがない。
師匠が来たのは丁度盛り付けが終わった時で、テーブルに着いた師匠に朝食を運ぶ。
「あー……。雅の料理スキルは相変わらずだね……」
師匠は俺の目の前に盛り付けられた黒々しい物体を見て苦笑いしてくれた。
まだまだ半目の師匠はまったり焼き鮭をほぐして食べていく。
白く綺麗な手で箸を使う様子はいつ見ても素敵だ。ほぐされた鮭も心なしかキラキラ輝いて見える。ブロックになった鮭を口に運びご飯を頬張る。美味しいということは綻んだ師匠の頬を見れば一目瞭然。もう師匠だけでご飯が食べられるまである。
そうは言っても作ったからには全部食べないと。
見ているだけで食欲が萎える暗黒物質に正直食べきる自信はないが、ここは諦めるしかない。
ポロポロ崩れる身をどうにか掴み覚悟を決めて口に放り込む。
「……ぁむ、ぅぇ」
口に広がる煤けた香りに、ここまで焼けたにも関わらず何故か半生な内部。
外はじゃっくり、中はぐじゅりと言わんばかりの食感。鼻につく焦げの酸味。舌に残る魚独特の臭み。口内が痛む強い塩気。
思わず吐きそうになるのを堪えて飲み込む。
苦みを誤魔化すためにご飯を掻き込んで味噌汁で流し込めば吐出感も少しは収まった。
これは、少しずつ食べてもしょうがないな。長期戦に持ち込んでも負けるのは目に見えている。
意を決して黒々としたそれに齧り付き、味わうことをしないように咀嚼し嚥下する。
あとはご飯を掻き込んで、味噌汁を飲み干し、お茶でトドメを刺す。
「うぇ……」
なんとなく1年位寿命が縮まった気がする。
まあ劇薬は処理できたし、残りのご飯はレタスでも合わせればいいでしょ。
もう苦痛を味わうことがないという安心感に内心、涙を流して喜んだ。
「ね、ね、雅」
「え、あっ、はい! どうしました?」
「はい、あーん♡」
「あー……いや、いいです! お情けは要りません! 師匠が全部美味しく食べて下さい!」
自然な流れで開いてしまった口を慌てて閉じて、師匠の分の鮭を断る。
美味しく出来た方は師匠に全部食べて欲しいし、美味しく出来なかった俺が悪いんだし、師匠から貰う訳にはいかないのだ。
頑なに口を開けない俺に師匠は頬を膨らまして怒った様子で睨みつけてくる。
「雅が失敗したからお情けで鮭をあげたい訳じゃないの! 私は、この美味しい焼き鮭を雅にも分けてあげたいだけで、決して"あーん"することで雅とイチャイチャを楽しみたいとは考えていないんだから!!」
「師匠……本音が出てます。……ああ、もうっ! 分かりましたよ! 俺も師匠とイチャイチャしたいです!」
「本当?! 嬉しいな~♪ じゃあHしようか」
「それはしません」
師匠は意気揚々と、とんでもないことを訊いてきたが俺が即答した為すんなりと引き下がってくれた。
でも、案外師匠の本音は前者だったりして……。まあ、どっちにしても師匠は可愛いなぁ。
「それじゃあ雅、はい、あーん♡」
ブロックになった切り身を師匠は箸で俺に差し出す。
当然俺は大きく口を開けて師匠に鮭を入れて貰う。
―――コロン。
口の中に鮭が入ってきたが、唇には師匠の箸が掛かっている。
「あ、あひょ? はひ、はひろって(あ、あの? 箸、箸取って)」
「あー……、細かいのも付いているからさ、そのまま閉じて」
ああ、そういうこと。じゃあ、しょうがないね。
「はむっ」
「ゆっくり抜くからそのまま閉じててね。出来れば吸うようにして」
口を閉じれば声を出せず、俺はコクコクと小さく頷く。
ぬちゅぅぅ……。
無事箸が取れて俺はようやく噛めた。
舌の上に転がっていた鮭を前歯で1噛み。
歯が食い込むとサクサクッと快い歯応えを越えると中はフワフワなのに歯に圧力が返って来るぐらい密度が高い。
食べた瞬間は塩気が濃いかなと思う程塩分たっぷりだったのに、内側は塩気がなくて口の中で丁度いいくらいに混ざり合う。
「美味しい~♪ ……師匠?」
「ん? ふぁに?」
「なんで箸をそんな大事そうに舐めているんです?」
師匠は本当に美味しそうに箸を咥え、チュプチュプと音を立てながら前後に動かしていた。
「おいひいかららお?」
「美味しいからじゃないんですよ! なんで箸を舐めているか訊いているんです! いやっ、待って下さいっ、大体分かりました。話さなくて結構です。喋らないで!」
「分かった。しゃぶってる」
「それもどうかと思うのですが。とにかくしゃぶり箸はやめて下さい」
「OK、いいよ。雅の味しなくなってきてたし、雅がそこまで言うなら辞めたげる」
もう頭が痛くなってきた。
そんなこんなで時折師匠から餌付けをされながら朝食を食べ終わった。
二人でシンクに立ち、話しながら食器を綺麗に洗ってリビングに戻る。
「それじゃぁっ、雅。今日はツイスターゲームをやってみようか!」
「え? なんです? そのついすたーゲーム、っていうのは?」
ふふふ、と自信満々な顔で師匠は1つの箱を取り出した。
その箱に書かれていたのは赤や青の丸にアンバランスな体勢で乗る男女の絵。
「あぁ~、これツイスターゲームって言うんですか」
「知ってる? じゃあ話は早いね。早速やろっか」
「分かりました~。やりま……あ、師匠これでセクハラする気ですね。嫌ですよ、やりませんからね!」
もう師匠の考えなんて見え見えだ。前にも同じように滅茶苦茶にされたし、学習したからね!
「大丈夫大丈夫! 先っちょだけだから!」
「どこの話してます!?」
「どこって……言わせないでよ、雅のえっち♡」
「ツイスターゲームの話をしているのですよね!?」
もう訳が分からないよ……。
昨日からのやりとりで精神的にキていた俺は溜め息混じりに首を縦に振る。
「セクハラしてきたらすぐにやめますからね!」
「はいはい」
肩をすくめてアメリカ人がするような「そんなことするわけないだろう」的なリアクションをとりながら師匠はカラフルな丸が書かれたシートを広げだしていた。