「土山舞知です。今日からマネージャーとして頑張ります。よろしくお願いします」
自己紹介のあとペコリとお辞儀をすれば、純真潔白な男共は嬉しそうに力強い拍手で私を歓迎してくれた。
ふふふっ、こんなにはしゃいじゃって。あんたらみたいな田舎のジャガイモ小僧には微塵も興味ないっての。せいぜい私の学校生活を楽しませる香り付けとして頑張って。
私の素がバレてしまったら全てが終わりそうだけど、どす黒い思考も表面に出さなければ気付かれない。そう、私は無敵なのだ。
これまで自信満々に生きてきたのに、あの先輩。あの先輩の眼だけは私の心を見透かしているようで恐ろしい。思考を読まれて腹が立つなんて考えは幼稚だ。私の悪い思考が全部お見通しとでも言うようなあの冷たい眼に見つめられたらもう畏怖の感情しか芽生えない。
今だって先輩は私に向かって一人だけ真顔で拍手している。っていうかなんであんな尖った目つきなの!? 私、この学校来てからあの先輩しか印象無いんだけど!! 先輩は私のこと意識していないわけ?
はっ! 私の本性を分かっていて悪さしないか警戒しているんだわ! きっとそうだ! どうしよう、恐ろしすぎて暗躍も何も出来ないじゃない! 私のハーレム計画が陰ってきたわ。
「マネージャーの仕事についてはそうだな……。一人でいいから……」
顧問の先生が無駄に偉そうに部員達を見回す。
マネージャーの仕事って言ってもあれでしょ? お茶出しとかボール洗いでしょ? ヨユーじゃん。そのまま仲良くなっちゃえば更に私の計画がスムーズに進むし。
男子共は私と2人っきりになれる絶好のチャンスと全員がバッと一斉に手を挙げた。……先輩を除いて。
「オカピ。お前毎日やっているだろ。ちゃんと教えろよ」
"オカピ"と多分あだ名だろう、その名前を先生が口にすると他の人は皆が皆、何故か悔しそうに不機嫌になる。
それはそうとオカピって誰だ? 馬面っぽい人? というか私の知っている先輩、あの先輩と龍ちゃん先輩しか知らないのだけれど。
私がうんうん考えていると視界はこの学校の運動着の色である青色で埋め尽くされていた。
「ふ、ぇッッッッ!?」
気の抜けた私の声は頑張って極限まで抑え込む。
び、びっくりした……。いつの間に私の前に居たの? よく見たら他の部員は雑にに整列してランニング始めちゃっているし。私ってば最近油断してない?
「…………」
「……えっと、先輩?」
「くれぐれも怪我はしないように。痛いからな」
「へ? あっ、はい!」
ムスッと明らかに不機嫌な先輩に終始ビビりながら歩き出した先輩を追ってトコトコ付いていく。後ろから見た先輩の歩き方はなんというか綺麗で、こう、なんというか猫みたい? そうっ! 猫らしい歩き方をしていた。私、緊張で思考がおかしくなってるな……。
部室らしいボロ小屋のナンバーキーをカチャカチャ開け、立て付けの悪そうな引き戸を動かす。
長年の雨風に晒された木造の壁は黒くくすみ、歪んだトタンの屋根は今にも落ちてきそうだ。入っているときに崩れてきたら死んじゃうかも。
「おい、入ってこい」
先に入った先輩に呼ばれ、思考を巡らせていた私は慌てて入る。
中に一歩踏み込むとむあっとした、汗と泥と革の臭いが鼻に襲いかかってきた。ちょっとカビ臭いし、掃除どころか道具の管理出来てないんじゃない?
「部活の動きはグラウンド2周ランニングして、円陣を組んでの準備運動。そのあとキャッチボールに入るが、俺らはキャッチボールまでに準備を終わらせる」
「は、はいっ」
部屋に充満した男臭に圧倒されながらも先輩の指示を記憶する。1を聞いて10を知る位の気概が無いと先輩に何度も指摘されそう。今の先輩は怖いし怒られるのは絶対に嫌だ。
「最初に出すのは、このボール。黒いバックにキャッチボール用の比較的新しいボール20個が入っているから数えて足りなければ追加。ボロくなって凹凸が少ないのが青いケースに入っているバッティング用のボール」
素早くそう言うと先輩は青いケース二つを抱えて部室を出て行った。
ええ!? 先輩、文化系の針金みたいに細い腕しているのにあんな3桁位ボールが入ってそうなケースを軽々と……! ちょっとカッコイイかも。
んん? もしかして実は私にいいところ見せようとして無理しているじゃないの? な~んだ、怖い先輩かと思ったけど可愛いとこあるじゃん。
私は先輩を手玉に取るのも楽だなと安心して、さっき先輩が言っていた黒いバックの中のボールが20個あるか数え始める。
「あー……昼休みに数えておいたから、急いで持って行って」
「え!! わ、分かりました!」
もう戻ってきていた先輩が入り口で溜め息を付いていた。なんだろう、この絶望感。先輩に私の悪い印象付いた気がする。
私は本当に急いでグラウンドに向かう。私ってば全然仕事出来てないじゃないの!!
グラウンドに入り、横に二つ並んで置かれていた青いケースの隣に黒いバックを置く。
部員達は今から2周目だろう、最初の位置まで来ていた。
「舞知ちゃん、それは内側に置くんだよ」
「は、はい!」
背後から飛んできたアドバイスに素直に従って言われた場所に置きな直す。
「舞知ちゃん頑張れ!」
「舞知ちゃん、オカピ面倒くさいだろうけど少しの辛抱だから!」
「オカピなんて男の片隅にも置けない奴だから!」
「辛かったら言ってね! すぐ助けるから!」
オカピ先輩より今の何故応援されているか分からない状況の方が辛いんですけど。
どうにかあの先輩の好感度を戻せないものか。
走って部室に戻ろうとしたとき、ふといいことを思いついた。
走って行って、入る時に躓いたフリして胸に飛び込んだら流石の先輩も私を意識するでしょ。ラッキースケベに興奮しない男はいないんよ! 先輩にも可愛いとこあるわけやし! そうすれば先輩は扱いやすくなるってもんよ!
私は走って部室まで来て、敷居を蹴飛ばす。
「わっ!」
部室の敷居は想像よりも遥かに柔らかく、安全な体勢を保ったままダイブする予定が本当に躓いて室内に投げ出された。
部室の床は砂利を敷き詰めただけのもので、奥行きも無い。入ってすぐに棚があるような部屋だ。
こんな所に転がったら頭ぶつけて流血は避けられないどころか何針か縫う事になりそうだ。おでこかな、目? 鼻はやばいな。
死に近付けば近付くほど頭は冷えて冷静になっていく。
憧れの私のお姉ちゃん。結局会いに行けなくてごめんね。新しい人生楽しんで。
―――ボスッ。
「……気を付けろって言っただろうが。どこか痛いところはないか?」
呆れたような声が頭の上から掛かった。
どこかで嗅いだことのあるいい匂いがする服が顔面に押し付けられている。
不思議と落ち着けるその匂いと死ななくて済んだという安心が死への緊張を解き、男の人の前だというのに目から涙が溢れ出した。
「……ごめんなさいっ。ごめんなさいい」
先輩はぽすぽすと私の背中を数回叩くとすぐに引き剥がす。
得体の知れない謎の安心感からそっと解き放たれた私の心は昔、お姉ちゃんの両手で優しく包み込まれた時のような温かさが感じられた。
「泣いている暇は無いぞ。バットはこれをネットの基礎の所に並べる。メットは左端の2個以外をベンチに置く。もう、落ち着いたか?」
「はいっ!」
心の中のお姉ちゃんが私の背中を押してくれたお陰で私は先輩に元気よく返事が出来た。
その声を聞いて私を覗く先輩の目は冷たい針のようだった鋭さは消え、昨日見たあの優しい眼差しへと変わっていた。