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「ヤルダバオトが、討伐された!?」
ラキュースがその報せを受けたのは、懇意にしている第三王女との会合の時だ。
紅茶で満たされたティーカップを、ガチャンと盛大に響かせてしまう。それほどの驚愕を露わにする貴族の娘に、王女たる友人は毅然とした態度で頷くだけ。
「はい。間違いありません」
気安い口調は完全に鳴りを潜めている。今は友同士の語らいではなく、あくまで王女と冒険者──依頼契約で結ばれる関係こそが、比重としては大きい。
ラキュースは、ラナーの言葉を疑う理由はない。
それは吉報に違いなかった。朗報と呼んでよい大ニュースのはず。
だが、ラキュースには、手放しに喜ぶことはできなかった。あまりにも唐突過ぎた。
「信じられない。その、話が本当だとしたら……」
「はい。ヤルダバオト討伐には、聖王国を救うべく赴いた魔導王、アインズ・ウール・ゴウン陛下の功があったとのことで」
第三王女・ラナーは簡潔に、聖王国で起こったことを説明してくれるが、ラキュースもとある事情で、その半分は知悉している。
魔皇ヤルダバオト。
このリ・エスティーゼ王国の王都で幾百にもなる悪魔を従え、王国民数万人規模を拉致殺害し、そうして行方を暗ませた極悪の徒。ラキュースをリーダーとするチーム「蒼の薔薇」のアダマンタイト級冒険者二人を即殺し、唯一抵抗できたイビルアイをして「化け物」「魔神の王」と呼んで最警戒を強いられた、超絶的な大悪魔。聖王国の騎士たちが語った内容だと、アベリオン丘陵地帯の亜人連合を率い、人類国家に対して、聖王国の姫に対して、暴悪の限りを尽くしたとも。
そして、そんな魔皇を、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が、討滅した、と。
「噂には聞いていたけど、──魔導王陛下は、それほどの力を持っているというわけ?」
あの、カッツェ平野での戦い。
王女と親しい関係で懇意にしているクライムから伝え聞いたイビルアイが「信じがたいが、
だが、さすがに例のヤルダバオトまでをも撃ち滅ぼすほどだとは、ラキュースの想像の埒外であった。
「信じられないわ……むしろ、ヤルダバオトと手を組んで、悪魔が討滅されたように偽装したと言われた方が、まだ納得できるわ」
本気でそう確信しているわけではない。
だが、そうとでも思わなければ、とても納得がいかないというべきか。
自慢するわけではないが、ラキュースはアダマンタイト級冒険者として勇名を馳せた女。
無論、真の英雄級とも言うべき存在を数多く知っている以上、自分たち以上の存在など、この世界に数多く存在することは判り切っている。
かつて、仲間たち全員と協力して打倒できたイビルアイも、その一人であり、そのイビルアイが仲間に加入するよう計らってくれた老婆……今は惜しまれつつも引退したリグリットもまた、あの御伽噺に謳われる“十三英雄”──その内のひとりに数えられる、真の女傑なのだから。
さらにはラキュースの伯父のいる“朱の雫”や、“漆黒”のモモンなどを知れば、さらなる高みがあると嫌でも教えられるというもの。
それでも、だ。
王国のアダマンタイト級を冠するラキュースの仲間を、“ほんの一撃”で“二人同時”に殺し、殺され蘇生された二人は生命力の回復の儀“れべるあっぷ”を強いられた。しかも、リグリットと協力して打倒したイビルアイという超常の実力者が、まるで赤子の手をひねられるかのごとく相手にされなかったというのだ。蒼の薔薇をこれほどの状態に追い落とした悪魔が、建国から数ヶ月程度の王の力で撃破できるなど、誰が予想できるものだろう。
故に、ラキュースの疑念は、少し穿ちすぎてこそいたが、まったくありえないというほどではなかった。
悪魔とアンデッドが手を取り合う姿など、御伽噺でもよくありそうな光景である。
むしろ敵対したことの方が意外ではないだろうか。
「やもしれませんね」
ラナーは薄い微笑を浮かべ、だが、ラキュースの懸念を正面から否定する。
「ですが、聖王国から届けられる報告は、間違いなく、ヤルダバオトとその郎党の潰滅を裏付けております。聖王国軍を炎上させていた大悪魔。その死骸は都の城門にさらされ、奪取された各地方都市の奪還にも成功。今や聖王国は王兄殿下の指導のもと、戦後復興の道に乗り出し、件の王が統べる魔導国……および、アインズ・ウール・ゴウン陛下の指揮下にくだった亜人連合との国交が正式に樹立されたと」
これで、属国となったバハルス帝国、交易を結んだドワーフの国、そして、聖王国。
この三ヵ国が、アインズ・ウール・ゴウン魔導国と盟で結ばれた。
「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は、エ・ランテルの人間だけでなく、周辺地域に住まう亜人たちも支配下に組み込み、その上で善政を布いているとか」
ラナーが断言できるのは、彼女が魔導国の宰相を務める絶世の美女から、話を聞いていたから。
さすがに、ラキュースも貴族に連なる者故、王族がどこそこの要人と面識を得ているぐらいの話は耳にすることが多い。メイドたちの口に戸は立てられぬ。わけても友人である姫の情報となれば、聞かないわけにはいかないのだ。
「アルベド様だったかしら? 魔導国の宰相閣下──すごい美人だって噂の」
「ええ。私など霞んで見えるほどよ?」
仮にも“黄金”と褒めそやされる姫が言ってよい台詞ではない。ラキュース自身も、自らの風貌について自覚はあるが、荒事の多い冒険者などをやっているため、そこまでの自信はない。
「……とにかく。まとめると、今回の依頼内容は」
「ええ──外交交渉の一環という名目で、我がリ・エスティーゼ王国のアダマンタイト級冒険者たる“蒼の薔薇”に、魔導国に行っていただきたいのです」
「ゴウン陛下の提唱する『新たな冒険者』に関する、か。確かに、こんな調査依頼は、並の冒険者では荷が重すぎるわね」
王国と魔導国は、あの戦争……否、大虐殺の一件もあるにはあったが、一応は使節団を受け入れるなど、一定の友好関係が結ばれて久しい。
だが、実際には、はっきりとした上下関係がある。
それも当然。あの虐殺によって死んだ王国兵は十万を超える。しかも、それがたったひとつの魔法で、たった一人の魔法使いによって成し遂げられたとあっては、力の天秤はどちらに振れるのか、言うまでもなかった。
魔導王の機嫌を害すればどうなるか。
そうなれば王国など、一夜にして滅ぼされると、酒場の与太話みたいな酔狂な話が、いやに現実味を帯びてくる。
「しかも、ウチを名指しなんて……光栄の極みと言うべきかしら?」
ラキュースが渡されたのは、魔導王陛下からの招待状。
王国の冒険者たる“蒼の薔薇”が、如何なる意図があって、ラキュースたちを誘致しようというのか。
「おそらく、ゴウン陛下のもとで働く“漆黒”と交流を持っていることからだと思います」
なるほど。頷ける話だ。
あの王都で暴れてくれたヤルダバオト、奴を完膚なきまでに叩きのめし、王国に勝利をもたらしてくれた英雄は、今は魔導王の国にいる。
「わかったわ、ラナー。この依頼、引き受ける」
戦闘などが予測されるような危険性はなく、ガガーランとティアの回復も順調。友人にして依頼主たるラナーへの信頼。冒険者は国家からの干渉を拒む特権もあるが、相手があの魔導国とあっては、無為にするなどすれば王国の寿命を縮めかねない。とかく、現在の王国内に余裕は乏しい。冬を超え、春を迎えたが、地方は予想通り、労働力の不足で困窮を極めている。それを穴埋めするためにも、魔導国で実用されている“労働力”など、その暮らしぶりを調べる価値は十分にあるはず。
「それに、“あの件”のこともあるしね」
「ええ。王都から八本指は掃討されましたが──まさか代わりに、あのような組織が出てくるなんて」
「最近だと、一年位前? エ・ランテルでアンデッド大量発生の騒動を起こした程度にしか聞いてなかったけど。……それを調べる意味でも、あの都市に行ってみる価値はある、か?」
だが、並の冒険者では、アンデッドの跋扈するといわれる国に赴き、そこで倒れる可能性が危惧される道理だ。魔導王陛下からの招待を受け、尚且つ戦力においても不安がないチームとなれば……もはや“蒼の薔薇”以外、ありえない。
さらには、魔導国が推し進めている「新しい冒険者」というものも、ラキュース自身の好奇心を刺激して止まなかった。
「心配いらないわ、ラナー。この依頼、私たちが責任をもってやり遂げるから」
「ありがとう、ラキュース」
花のように微笑む友人に、ラキュースは微笑みを返しながら考える。
エ・ランテルの──魔導国の今は、どうなっているのか。
そも、アインズ・ウール・ゴウンは、一体どこから現れたというのか。
本当にヤルダバオトを討滅したというのなら、アンデッドの王は人類の守護者なのか。
聞くところによると、エ・ランテル郊外の辺境の村近くにある地下墳墓にいたという風説を聴いているが、詳細などわかりようがない。
(大丈夫。エ・ランテルには、モモン殿たちもいるし──ああ、だとすると、イビルアイが喜ぶだろうなぁ。でも、ちゃんと注意もしておかないと)
そうして、“蒼の薔薇”の正式な依頼として、チームリーダーたる乙女は魔導国行きを受諾した。
会合を終えたラキュースを、女性同士の話と憚って隣室に控えていたクライムが送っていく。
部屋を立ち去るラキュースやクライムには気づけるはずもなかったが。
あどけなく手を振って、友を見送る
偉大なる御方の指示のもとで働く姫の冷笑も、また。
蒼の薔薇一行は、王都で用意されていた馬車に乗って、一路エ・ランテルを、魔導国を目指すことに。
仮にも王国の最高位冒険者が、姫の依頼で異国を訪ねるというのだから、割と高級な感じの馬車に乗っていくことに。馬は普通の四頭立てで、御者席には見慣れない赤毛のメイドが座っていた。
「ちわーっす!」
随分と軽い調子だが、話を聞くに、メイドはどうやら魔導国からの使者でもあるようだった。
イビルアイが「……どっかで見たような気がする」と頭をひねっているが、魔導国のメイドを待たせるわけにもいかず、せっせと荷を詰め込んで出発。そうして、一行は順調に、エ・ランテルと街道で結ばれている大都市エ・ペスペルを中継し、馬車が魔導国の領土に差し掛かる。
「さぁ、いよいよ魔導国っすよ、皆さま!」
陽気なメイドの宣告へ丁寧に頷き、ラキュースは馬車に同乗する全員を見渡す。
ガガーランも、ティアも、ティナも、平静を装ってこそいるが、緊張を抑えきれていない。
「ああ、ヤッベェな。柄にもなくブルっちまいそうだわ。
「ガガーランが怯えるとは、──明日は雹か?」
「私らに明日が来ればの話だけどな」
「こらティナ、縁起でもないこと言わない!」
不安になるのは判る。
いくら魔導国の統治が善良であると聞いても、魔導王が聖王国などを救ったと言われても、相手は王国軍を壊乱させたアンデッドだ。
そんな超常かつ不明瞭に過ぎる王侯の招待を受けているとはいえ、安心安全と保障できるものがいるだろうか。
もっとも、チームの中で唯一、アンデッドなど恐るるに足らずと鼻を鳴らす豪の者もいる。
「フン。情けないぞ、貴様ら。少しはアダマンタイトらしく、泰然と構えろ」
呼吸などしていない少女の身体であると同時に、イビルアイはチームの魔力系魔法詠唱者。
魔導王の魔力には遠く及ばないまでも、彼女のおかげで成し遂げられた依頼や功績も多い──信頼に足る存在だ。リグリットという生きる伝説と同じ時代を駆け巡った少女は、魔法だけでなく、様々な知識でもって、チームの生還と勝利に貢献してくれたもの。
「いや~、お嬢さん、すごいっすね! さすがはアダマンタイトって感じっす!」
「ふふ。メイドさん──我々のような者が、アダマンタイトの代表だと思うのは、いささか早計にすぎるぞ?」
「はりゃ? なんでっすか?」
はすっぱな口調が自然体なメイドは、イビルアイの言葉を待つ。
この長い道中、聞かせる観客を得た少女は、誇り高きアダマンタイト級の真の英雄の存在を誇示し続けた。
「何故ならば、そう! 真のアダマンタイト級冒険者たるは! あの“漆黒”の英雄・モモン様をおいて他にないからな!」
「うっひゃーッ! お嬢さんってば、マジお目が高いっす!」
ラキュースたちは軽く──少し苦そうに──微笑むばかり。
こんな調子で、イビルアイが“漆黒”のモモンを賞賛するごとに、何故か赤毛のメイドさんもかなりの割合で同調してくれるのだ。
一応、言っておくが、この遣り取り──実に数十回は続いている。内容は細部に違いこそあるが、おおむね似たり寄ったりで、蒼の薔薇は全員が食傷気味だ。
なので、メイドさんに悪いからと、いい加減控えなさいと、イビルアイを抑えつけようともしたのだが、
「大丈夫っすよ? むしろ、そういう話、大歓迎っす!」
……もしや、このメイドさんも、モモンのファンだったりするのだろうか。
ラキュースたちは止めるのも諦めて、モモン談議に花を咲かせるイビルアイとメイドを半ば放置している。
(一応、イビルアイも“配慮”はできているし、問題ない、かな?)
イビルアイはモモンを敬愛するあまり、彼をエ・ランテルに縛り付けた元凶たる魔導王陛下への不平不満もないではなかったが、さすがに魔導国の王に仕えるメイドの手前、ちゃんと言葉を選んで発言している。いくらモモンを心配しての事とは言え、国の宗主を国民の前でこきおろすなど言語道断だ。ラキュースが今回の魔導国行きに際し、イビルアイへ厳重に注意を促しておいたのが功を奏したのだ。
「お、見えてきましたっすよ!」
蓮っ葉な口調のまま、蒼の薔薇一行を導いてくれたメイドが、手綱を持った手指でさし示した。
ラキュースは窓からその光景を見つめる。
「魔導国……エ・ランテル」
もともとは王国の領土であった。三国に隣接する要所故の、堅牢な城塞都市。
だが、その都市には、以前まではありえなかったものが付属している。
「……巨人? ──
「街道脇にいるの……あれ、どう見ても
「あと──アンデッド? でも、すごく強そうなのもいる」
ガガーランが開けた扉から身を乗り出して吠え、ティアとティナも驚嘆に目を剥く、それは異様。
まるで見せつけるかのような異形の集団。都市の運用をせっせと行うモンスターの数々。
赤毛のメイドは事も無げに言った。
「まだまだぁ! こんなもんじゃないっすよ、アインズ様の国は!」
にっかり微笑む美女の横顔は、まるで獲物を追い詰め捕らえた狼のごとく、矜持と獰猛さを感じさせた。