21
ヘッケランは思い出す。
あの怒濤のような第一階層を突破し、第二階層へと挑戦する資格を手にした時のことを。
晴れて魔導国のミスリル級冒険者としての証を授与され、この地下神殿に足を踏み入れた時のことを。
(あの時は、ガチで死ぬかと思った)
激闘の後に現れたのは、物語や伝承でしか聞いたことのない伝説の存在。
第一階層で相対した骸骨や死体の群れなどよりも厄介極まるアンデッド。
(エルダーリッチの補助役さんがいなかったら、一瞬で全滅してたかもな)
そう思って当然の難行であった。フォーサイト史上最強にして最悪の難敵と言えた。
実際、第一戦目は何もできず敗退した。それから何度も挑戦してはリタイアを余儀なくされ、有効な攻略法を習得するまでに三十回は再挑戦を重ねた。
影から影へと跳梁跋扈する死の刃。形なきモンスターを倒す上で、ヘッケランのような存在──物理攻撃主体の攻撃しかできない戦士は、単独だと何の手の打ちようがないモノ。
それが、“
しかし。
「“光源を増やすぞ”!」
武技〈肉体向上〉を発動したヘッケランは石畳の床を踏みしめ、武器を握ったまま器用に支給品の背負い袋を開いた。
袋から一本の大瓶を取り出す。その中にあるのは、調理時などに使われるだろう大量の油。
さらに、イミーナが自分の袋から魔法の
さらにリーダーの指示が続く。
「ロバーとアルシェは魔法で奴の足止め!」
「「了解!」」
「イミーナ、火矢を!」
「わかってる!」
イミーナは大量の矢の先端をヘッケランの用意した油で一挙に濡らし、その先端を炎で炙った。放たれる数本の火矢が、闇の奥に光を届ける。ロバーの〈浄化〉やアルシェの〈魔法の矢〉に牽制される切り裂き魔は、まだこちらに近づいてこれない。ヘッケランは焚火の薪を継ぎ足しつつ、さらに光源となるものを作り続ける。
先ほど蒼の薔薇のひとり──イビルアイが言った対処方法とは、まったくの逆であった。
あの対処方法……すべての光を失った状態にして、星幽界の切り裂き魔という絶対脅威をやり過ごし逃げ隠れに徹するというのは、はっきり言えば正しい。暗黒の中では影は生じず、影絵のアンデッドが活動する領域を失わせれば、暗黒より迫る刃は現れない──だが、それではダメなのだ。
確かに直近の死や危険は回避できても、暗黒の空間で普通の人間が活動することは困難を極める。〈
しかし、それでは次の階層への扉は開かない。
ここで挑戦者たちがなすべきことは、ここにいる伝説のアンデッドを打ち倒すこと。
逃げて隠れても意味がない。目の前の脅威を、過ぎ去る嵐としてやり過ごすのではなく、討伐できる敵として処理できる能力を示さなければ話にならない。少なくとも、アインズ・ウール・ゴウン魔導王その人にとって、「あの程度のモンスターは掃いて捨てるほどの雑魚」に過ぎない。何より、世界を冒険する中で、回避不能な敵との邂逅というシチュエーションというのもありえる事態だ。国へ戻る帰還の途上で、そういった絶対的障害を乗り越えねばならない時に、力が及ばなかったばかりに死んでしまいましたでは、あまりにもお粗末だ。
困難に敢然と立ち向かうこと。
それが、これから魔導国の冒険者に求められる力──困難を自らの手で打倒し、あらゆる恐怖の伝説や流布される風聞に屈することなく、果敢に挑み続ける勇者たちこそが、これからの彼ら・真の冒険者のあるべき姿なのだ。
そうでなければ、とても未知を既知に変える道のりを、生きて帰ることはできない。
「サポート頼む!」
ヘッケランは
柱の影にひそむアンデッドは、ヘッケランの動きを悟ったのか、攻勢に討って出る。
魔法の薪を着火しつつ準備を整えるヘッケランの首元を、一瞬で掻き切らんばかりに殺到する影色の刃。
しかし、
「させない!」
アルシェの〈
こうして、フォーサイトはわずか数分の内に、地下神殿の内部を火の光明で照らし尽くした。
それは、影絵のアンデッドを取り囲む炎の包囲網となり、切り裂き魔の活動範囲を制限していくものである。
「包囲完了! 次は本体を炙り出す!」
リーダーの号令により、フォーサイトは連携を深めていく。
よく見れば、ロバーデイクの唱えた神聖属性付与の強化魔法が、軽装戦士の双剣を光の輝きに染め上げていた。ただの剣も、魔法の強化によって非実体の敵を捉えることがどうにか可能。さらに、〈
一人では惨殺されて当然の
しかし、相手は手ごわい。
影絵のアンデッドは厄介なことに、隙を見てヘッケランたちに生じる影へもぐりこみ、その支配権を奪略し、影の持ち主を封じるという技巧まで示し始めた。これを打ち払うのにはロバーデイクの神聖属性魔法が必要不可欠。影は浄化の光に照らされた瞬間に悲鳴をあげて逃げ果せ、再びメンバーの影にもぐりこむ機会を窺いつつ、とんでもないスキルを披露する。
ラキュースが警告するように叫んだ。
「か、影が!」
立体を得ていく。
ヘッケランやイミーナ、ロバーデイクにアルシェ──フォーサイトの四人分の影が、足元で繋がる影の本体たる冒険者たちを襲う。影は武装の形状まで同一なため、フォーサイトは鏡合わせの自分と戦うような形となる。ラキュースが気を付けてと警告を飛ばして当然の事態。
だが、
「しゃらくせぇ!」
ヘッケランは黒一色の自分を蹴り飛ばす。
影はそこまでの強さではなかった。
それでも、難敵には違いない──何故なら。
「ヘッケラン、熱くならないでよ!」
「自分の“影”を傷つけすぎると、私たち自身も些少の傷を負いますからね!」
おまけに、影をどうにか打倒しても、影は切り裂き魔の能力で再び作り上げられるのだ。
ヘッケランは〈剛腕剛撃〉を発動しつつ、注意深く自分の影の双剣を払い除ける。
「わぁってる、よッ! ──アルシェ!」
「〈
魔法の閃光の束が、一斉に影絵の集団を消し去った。
これまで数々の死地を戦い、さらにはこの魔導国で鍛え上げられ練り上げられたフォーサイトの能力は、帝国ワーカー時代のそれを遥かに上回るもの。群体でありながらも一個の生物のごとく戦闘行動を可能にする業前は、確かにオリハルコン級冒険者としての域に達していた。
「〈
「〈
仲間を癒す=アンデッドに攻撃力を示す治癒魔法や、影を弾きとばす大光量によっても、影絵のアンデッドは確実に追い詰められていく。
もちろん、四方から追い立てるフォーサイトも完全に無傷というわけにはいかなかったが、多少の傷を負っても魔導国産のポーションやロバーデイクの治癒ですぐに回復できる。致命傷に用心しつつ、確実に敵本体の炙り出しを進めていった。
柱の一本一本に対し、〈飛行〉するアルシェの背負い袋の中に用意された
「これでラスト!」
光の包囲網に最後の影が照らされ、
切り裂き魔は神聖属性を付与されたヘッケランの〈双剣斬撃〉を真正面から受け、金属のこすれあうような断末魔をあげながら、ついに打ち倒された。
「──お見事、ですね」
勝敗を見届けた蒼の薔薇──ラキュースが感心しきったように幾度も頷く。
ガガーランたちも、フォーサイトの敢闘に各々の方法と声で讃辞を示した。
「さすがは、モモンさんの肝入りのチームです!」
イビルアイは同意を得ようと傍に立つ英雄の上背を見上げる。
しかし、
「まだです」
モモンが呟いた──フォーサイトたちも警戒に余念がなかった。
瞬間だった。
黒い影が──壁の引っ掻き傷や床の石畳の溝に生じる小さな影から──刃を伸ばした。
のたうつ茨の影……黒い刃の群れなす様……その速度と規模は尋常ではない。まさに一瞬の出来事であり、チームで
誰も悲鳴をあげるほどの余裕すらなかった。だが──
「え?」
黒い繭がほつれ始める。
その奥にはとても清らかで神聖な輝きが見て取れた。
中にいた者の生存の証──ロバーデイクの再展開した〈
そして、星幽界の切り裂き魔は、今度こそ確実に消え果てた。
「あそこで油断して、警戒と防御を疎かにしてしまった場合、
言ってモモンが振り返ると、蒼の薔薇の補助役に徹していたエルダーリッチ──Kが宣告する。
『これで、第二階層はクリアとなる。おめでとう、挑戦者諸君』
聖域の中で
ヘッケランがロバーデイクと腕を組み合わせ、イミーナはアルシェを背中から抱き寄せる。
ラキュースは戦闘結果に笑みをこぼし、率直な感想を漏らした。
「確かに、これは……上で消耗した今の私たちだと、厳しかったかもしれませんね」
ラキュースだけでなく、ガガーランたちもほぼ賛同していた。ただ、イビルアイひとりだけは余裕な態度であったが、チーム単位で考えると何も言えないらしい。
伝説のアンデッドを打倒し、その労苦の結実に気が緩んだところを狙いすまして殺到する、アンデッドの逆襲劇。
たとえ事前に分かっていても、フォーサイトと同じ行動をしっかり取れるものかどうか、蒼の薔薇でも不安が残るところだ。
戦いを終えたヘッケランたちが、ラキュースたちの傍へ歩み寄る。
「いやいや。俺らもここまでやれるようになるのに、かなり苦労しましたから。魔導王陛下から受けた、冒険者への給金や支給品で、いいマジックアイテムや試作のルーン武器も揃えられたのもありますし」
「なるほど────ルーン、武器?」
「ええ。魔導国に招致されたドワーフの職人がやってる工房で、そういうのが出回り始めてるんです」
見る者がよく見れば、ヘッケランの装備はかなり充実していると分かる。剣も鎧も装身具も、ただの衣服やブーツに至るまですべてが、以前までの彼のそれを上回っていた。ルーン武器と呼ばれるものを、ラキュースたちは興味津々に眺め見る。
もはや手慣れた訓練をこなしたように、ヘッケランたちは談笑し始める。
「ラキュースさんたち──蒼の薔薇なら、一ヶ月もしないでこれぐらいイケると思いますよ?」
「確かに。上の第一階層を一発でクリアされたのですから、我々とは地力が違うところかと」
「うん。絶対に断言できる。私たちはここまでくるのに、ざっと数ヶ月はかかってますし」
「だな……なんなら、今から魔導国の冒険者に転向してみるというのは……どうです?」
口々に提言するフォーサイト。
しかしながら、蒼の薔薇──ラキュースはその可能性を否定する。
「とても魅力的なお話ではありますが。……残念ながら、私たちは王国のアダマンタイト級冒険者です。蒼の薔薇が魔導国の冒険者になるには、その、いろいろと……」
「そう、ですか──」
ヘッケランは苦笑しつつ納得の首肯を落とす。イミーナやロバーデイク、アルシェも存外に無念そうな心地で頷きを返した。
チームの柱たるラキュース──はにかむ戦乙女の貴族としての出自は勿論の事、今の王国の疲弊ぶりを考えれば、これ以上アダマンタイト級冒険者が国を抜けるわけにはいかないという政治的な側面も影響している。いかにヤルダバオトの脅威が去ったとはいえ、王国内外にはまだ問題が多い。周辺諸国との関係。混迷を深める派閥問題。新たに台頭しつつある裏組織ズーラーノーンの存在……これを放り棄てるという選択肢は、少なくともラキュースには存在しないようだった。ガガーランたちも、リーダーを置いて他の国に渡るつもりはなさそうに肩をすくめる。
ラキュースは言った。
「それに、私の大切な友人が王宮におりますし……ですので、魔導国とは今後、良き関係を築けていければと、願っております」
実に貴族然とした丁寧な言の葉。
フォーサイトも、彼女の祈りにも似た主張が実現する未来を、願わずにはいられない。
「さて。本日のダンジョン見学はここまでとしましょう。皆さん、お疲れさまでした」
沈黙を破ったモモン。彼の鶴の一声により、次に待つ人工ダンジョン・第三階層は翌日に持ち越しとなった。さすがに、長旅の後の第一階層突破を成し遂げた蒼の薔薇の体力を気遣ってのことだと、誰の目にも明らか。
フォーサイトと蒼の薔薇は互いの健闘ぶりを讃え合い、いくつかアドバイスや雑談などを交えながら、漆黒のモモンたちに案内されるまま、地上へと帰還していく。
ヘッケランは前衛同士のガガーランに肩を組まれ、ロバーデイクはラキュースと同じ神官として語り合い、イミーナはティアとティナに潜伏の技で質疑を交わし、アルシェはイビルアイからの魔法講義に笑みを持って応えていた。
意気揚々と神殿の隅の隠し扉に設置された
その影に──
『ご苦労だったな。
『気遣いは無用だ。これが我々の仕事──偉大なる御方より賜りし、重要な務めだ』
死者の大魔法使いの足許で蠢くモノ。
極小の影……手乗りサイズの小人状態にまで転じた星幽界の切り裂き魔は、消滅などしていなかった。
非実体の存在でしかないアンデッドにも、かなり致命的な魔法や攻撃の数々であったが、アインズ・ウール・ゴウンの能力によって強化されているアンデッドたちは、通常のそれよりもステータス面において優秀な性能を誇る。それを死亡・消滅ぎりぎりまで削り切ったフォーサイトの手腕は本物であり、切り裂き魔自身も五割ほど殺すつもりで、冒険者の一行を相手にしていた。
冒険者が道半ばで死亡しても蘇生させることについては、アインズが帝国闘技場で武王を相手に実演し、全力でサポートすると公言しているので、特に問題ではない。むろん、生命力の減衰で灰となる現象を考慮すれば、弱い内は徹底して手加減する──第一階層の雑魚アンデッド部隊は挑戦者を決して殺すことがないように厳命されているが、それなりの強さとなればそういった制約なく戦うことができるわけだ。むしろ、相手に経験に積ませるうえで、“死”の恐怖というのは良い材料のひとつとも言える。
この第二階層でボス役を務めるアンデッドの業務は、こうだ。
ボス役の体力が残りわずかとなった時点で挑戦者側の勝利となり、敗退した中位アンデッドは死んだふり──アンデッドなのでもう死んでいるが──を演じることで、挑戦者たちに戦闘経験を積み重ね続け、そのままレベルアップの援助を担っていくこと。
ゲームでも模擬戦闘や演習試合などで経験値がたまるように、この異世界の現地人も、ある程度はそういった訓練や練習の繰り返しによってレベルを上げていくものと理解されていた。それが実戦に近いほど、経験値の増幅も見込める。その類例……現地人の中でも飛躍的なレベルアップの実例を挙げるなら、カルネ村の
アインズ・ウール・ゴウンが中位アンデッド──自分の手で量産可能なうえ、現地の人々基準だと莫大な経験値量を稼げる難敵──伝説と謳われるほどの
第一階層に戻るエルダーリッチのKとの会話を切り上げ、
そうして、第二階層の扉が再び開く。
新たな挑戦者……魔導国の新たな冒険者を待ち受けるのは、他の伝説のアンデッド──死の騎士の葬列か、アンデッドの魔術師団か、魔法の通じぬ骨の竜か、沈黙都市の「
完結まであと十話くらい?