フォーサイト、魔導国の冒険者になる   作:空想病

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アンデッド・クレマンティーヌの幸福

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 †

 

 

 

 クレマンティーヌは走り続けた。

 疾風のごとく街路を走破し、俊敏な肉食獣のように、塀を、馬車を、家々の屋根を跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していく。疲労しない肉体を駆使し、非人間の身体能力で、夕闇に染まる都を一直線に逃げ続ける。

 しかし、

 

「チッ!」

 

 追跡の気配を背後から感じる。

 転移魔法でも使ったのだろう移動距離の飛躍ぶりまで察知できた。

 ……何故なのか、連中の気配がどう動いているのかも、なんとなくだが、判る。

 モモンという影武者から感じていたものよりも薄く弱い──しかし、けっして油断できない強さを持っていると、クレマンティーヌは確信できた。

 

「しつこイ!」

 

 無視してくれればいいものを。試しに店主不在だった露店の骨組みにぶつかり破砕して、大量の商品や木材を蹴り上げた。散らばるそれらを、飛礫(つぶて)のごとく連中にぶちまけてみせる。正確無比な弾道は、普通の人間に直撃すれば命の危険が伴う暴威の群れだ。

 もちろん、あのメイドたちには通じない。屋根の洗濯物や備品などでも試したが結果は同じ。

 追跡者たち六人は「止まりなさい」と停止命令を投げてきた。当然のごとくクレマンティーヌは止まらない。いよいよ業を煮やしたのか、彼女たちは帝都の人間には被害を出さない範囲で、本格的に「追撃を開始する」と宣告する。

 

「クソガッ!」

 

 走っても走っても、追い縋る者達を振り払えない。

 ついに、顔の識別が容易な範囲にまで接近される。

 

「どちらへ行かれるのです?」

 

 眼鏡をかけたメイドが拳を振るって飛び込んでくる。クレマンティーヌはそれを(かわ)すが、棘付き手甲の一撃で空き家の壁が盛大に凹んだ。というか、爆ぜた。メイドはこともなげに「あ。いけない。もっと手加減しないと」などと呟き、余裕を見せる。

 

「ッ、ナメルナ!」

 

 余裕な態度が癪に障る。

 一回の跳躍で距離を取り、帝都で数ヶ月生活してきた中で、武器商店からくすねていたスティレット……魔法などを込められない、普通の刺突武器を投げつける。狙った先は両目。視界を封じれば追跡と攻撃など行えなくなる道理だ。

 しかし、(あやま)つことなく投げ放った武器は、女の眼鏡を貫く前に、数発の発砲音で粉々に砕かれ地に落ちた。見上げれば、謎の武器を携行した赤金色(ストロベリーブロンド)のメイドの姿が。

 

「な、なにッ!」

「逃がさないっすよ、っと!」

 

 赤毛のメイドが聖印を象った殴打武器を振り下ろしつつ飛び掛かってきた。

 豪風を伴う連鎖攻撃は、ただの人間のメイドが繰り出してよい次元の威力ではないと容易に推察させるもの。クレマンティーヌは今の自分と同格の戦闘力を前にして、ただ後退するのにも苦労する。空き家の敷地から裏路地に転がり出た。

 歯を剥いて嗤うメイドが突っ込んでくる。

 

「ちっ、カジット!」

 

 マントを払い除ける。鞄の中に詰め込んでいた同伴者をすばやく取り出す。

 クレマンティーヌの訴えに呼応すべく、炭化した頭蓋骨が口を開け魔法を唱えた。

酸の投げ槍(アシッド・ジャベリン)〉よりも高位の〈強酸の槍(グレーター・アシッド・ランス)〉を。

 アンデッド化の影響で、カジットの魔法の能力も飛躍的な増強を受けていた。

 勇躍する赤毛のメイドは、もろに強酸を浴びて反転、停止──

 だが。

 

「おおっと! ちょっとビックリしたっす!」

 

 嘘だろ。

 声もなく現実を否定するクレマンティーヌ。

 酸の魔法を浴びたメイドは──というかメイド服は、“無傷”。殴打武器も健在だ。ありえない。強酸を浴びて無事ということは、高い酸耐性か無効の能力──あれらは何らかのマジックアイテムだ。それも、超高額品・超希少品と見て間違いない。

 帝都の人気(ひとけ)のない裏路地で対峙する者達の異常さに、体温のない肉体が震えだす。

 

「な──なんなんだ、テメェラ!」

「それはこちらの台詞(セリフ)ですわね?」

 

 耳元に迫った気配──背後に忍び寄る、蕩け切った声。

 クレマンティーヌは脊髄反射で身を翻す。鋭く重い肘鉄を浴びせ、相手の顔面を粉砕した……つもりになった。

 

「えッ──」

「ウフフフ」

 

 肘は、確かに顔面を砕いていた。

 しかし、金髪メイドの顔面は、水面のように女戦士の打撃を呑み込んでいるようにしか見えない。形の崩れた鼻梁(びりょう)──逃走者の肘を喰らう唇から愉悦と恍惚の声音が美しく響く。

 驚嘆と恐懼に戦慄した、一瞬の隙。

 

「いッ!」

 

 肩先に突き刺さる短剣の気配。冷徹な暗殺者の嗜み──敵の急所を狙わなかったのは、もちろん失敗ではない。敵を生きたまま確保するための冷徹な判断に他ならない。

 しかし、その結果は金髪のメイドにとって驚愕の事実を教える。

 

「あら? 血が?」

 

 出ない。

 麻痺の毒に濡れた刃からは、人間の血潮は溢れてこない。

 クレマンティーヌはアンデッド。不死者は一部の例外を除き、血を流すような種族ではない。

 

「ッ、離れロ!」

 

 顔面などの肉体への直接攻撃を諦め、実体のあるメイド服を蹴り飛ばす……よりも先に、メイドの握る短剣に防御され、逆にクレマンティーヌの体躯が宙を舞った。無論、受け身を取るなど戦士にとって慣れたもの。

 

「なにッ!」

 

 その受け身を取った場所で、大地に円を描くように貼られた魔法符──爆散符が、起爆。

 それでも、

 

「ええぇ、嘘ぉ?」

 

 能面を付けたようなメイド──符術師がぼやくのも無理はなかった。

 クレマンティーヌは無傷。

 アンデッドに炎属性は致命的だが、彼女の手中にある頭蓋骨・カジットの防御魔法で事なきを得られたのだ。帝国民への被害を考えたのと同時に、相手を拿捕・生け捕りにする目的のため、爆発の規模を小さめに抑えたのが災いしたと言える。

 しかし、だ。

 

「最悪──」

 

 クレマンティーヌは途方に暮れる。

 完全に四方を囲まれた。

 この包囲を突破できるイメージがまったく湧かない。

 四人のメイドの背後から、後方支援役の仲間二人が追いついてきた。

 その中の一人──メイドたちとは明らかに違う、冒険者の装いをした女に、クレマンティーヌは視線を注ぐ。美姫とも評すべき女冒険者は、あの墓地で、エ・ランテルで、確かに顔を合わせた相手であった。

 

「──ん? ──あなた?」

「……その節は、ドウモ?」

 

 精一杯の皮肉をこめて、クレマンティーヌは笑う。

 笑うかどにはなんとやらという言葉があるが──そういう意図ではなく、純粋に、もうどうしようもなさすぎて、笑うしかなくなったというだけのこと。

 そして、美姫ナーベは応える。

 

「──誰?」

 

 クレマンティーヌは前のめりによろけた。

 肩透かしとはこのことだ。

 

「噂通りネ……」

 

 あの騒動から何ヶ月も経っていると言っても、あれだけの規模の事件を起こしてやったのだから、さすがに覚えておいてくれてもいいだろうと思っていたのに。

 左手に握っているカジットも、なんとなく落ち込んだかのように閉口している。

 そんな逃亡者らを尻目に、メイドたちは会話を始めた。

 

「ナーちゃんは人の顔を覚えるの苦手っすからねー」

「あら、ルプー姉さま。お気づきじゃないの?」

「…………そいつ、人間じゃない」

「モチ! 神官なんすから当然、気づいてたっすよ~♪」

「より正確には、──“そいつら”というべきかしら?」

「ユリ姉ぇ。もしかして、あの頭蓋骨もぉ?」

「ええ、エントマ。私には、なんとなく──わかる」

 

 クレマンティーヌは歴戦の女戦士として、さらにアンデッドの冷静な脳髄で、戦況を判断する。

 アンデッドとなった自分の戦闘能力を考慮して──あのうちの何人かと、実力はギリギリで拮抗しているだろう。カジットの魔法支援も込みで考えて。法国の漆黒聖典時代に与えられていたアイテムもあれば、かなり善戦できた可能性もあっただろうか。しかし、ないものねだりに意味はない。

 結論はひとつ。

 現状、あの六人の“チーム”を相手にしては、自分たちが圧倒的に不利だと言わざるを得ない。

 

「もう、なんだっていイ」

 

 自暴自棄も同然に、クレマンティーヌは旅装に隠した武器──魔法蓄積のスティレットを取りだしていく。魔法武器は貴重品故、ここにある二本しか盗めなかった。カジットの頭蓋が〈飛行〉の魔法で宙に浮く。

 クレマンティーヌは戦士として、戦いの空気を纏う。

 こんなわけのわからない状況で、二度目の敗北を喫してたまるものか。

 ──私を敗北させるのは、あの“死”だけで十分。

 もう十分なのだ。

 

「人外の領域に踏みこみ、今じゃあ本物のアンデッド……モンスターにまで成り果てた──この、クレマンティーヌ様が、負けるはずがねぇんだヨ!」

 

 クレマンティーヌはカジットの強化魔法と共に、包囲の突破を試みた。

 

 

 

 一時間後。

 

 

 

「すいませんでしタ」

 

 日も落ちきった宵闇の帝都──

 結局、クレマンティーヌは敗着した。

 漆黒の美姫に雷の魔法で黒焦げにされかけたのを皮切りに──

 眼鏡のメイドにボコボコにされ、赤毛のメイドに爪で引き裂かれ、眼帯のメイドに高火力で焼かれ、金髪のメイドに奇襲され続けて、符術のメイドが放つ蟲に翻弄されまくり──

 こうして、帝都の端の端……空き家の庭先で土下座するしかなくなった。

 

「最初から大人しく言うことを聞いていればよかったのです」

「はい、すいませんでしタ」

 

 ナーベの冷たい声に、クレマンティーヌは恭順の意を示すしかない。

 

「んで。どうするっすか、コレ?」

 

 戦闘メイドたちは考える。

 殴っても刺しても斬っても焼いても潰しても、目の前のアンデッドは驚異的な耐久力でしのいでみせた。

 頭蓋骨……カジットとやらからの回復・負属性魔法の支援もあったとは言え、ただの現地のアンデッドと見做すにはなかなかの性能。

 何より、現地産アンデッドに、ナザリックに属する者の固有のオーラ……アインズの量産するシモベらと似た気配を放つということは、ありえない。

 戦闘メイドたちが全力の本気で消滅させるには惜しい……惜しすぎるほど貴重なサンプルだった。だからこそ、彼女たちは“生け捕り”という行動選択に訴え続けたのだ。

 ナーベを筆頭に、メイドたちは話し合う。

 

「そうね。さすがにこいつらを連れてパ──モモンさんのいる皇城まではいけませんし」

「ナーベ──さんの言うとおりね。とすると、ここはデミウルゴス様に指示を仰ぎましょうか?」

「…………賛成。アインズ様は、いま忙しいはずだし」

「確かにぃ。アンデッドのことをお訊ねするなら、アインズ様が一番だろうけどぉ」

「うん。決まりね。じゃあルプスレギナ。ナザリックに連絡の方、お願いね。……だいじょうぶ?」

「だいじょうぶっす! 任せてくださいっすよ、ユリ姉! ホウレンソーはしっかりとっす!」

 

 クレマンティーヌは震えながら、彼女たちの審判が下されるのを見据えた。

 自分たちはいったいどうなるのだろうか──どうなってしまうのだろうか──耐え難い恐怖に襲われ、しかし自死自殺の不可能なアンデッドでは、死に逃避することも許されない。

 何より、彼女たちが紡ぐ『“ナザリック”』という単語が、クレマンティーヌにとって重く脳髄に響き渡る。

 魔力が尽きて沈黙を余儀なくされたカジットを腕に抱きながら、女アンデッドは震え続けた。

 

 

 

 

 

 

「これは珍しいですね」

 

 デミウルゴスと呼ばれる悪魔──黒髪をオールバックにし、眼鏡をかけた人間のような姿をした悪魔は、クレマンティーヌたちの精査を終えて、宝石の眼を爛々と輝かせていた。周囲にいる部下の悪魔たちに作成させた資料を叩く音まで、愉快痛快な心根を奏で響かせているかのよう。

 

「聴取に応えてくださって感謝いたします。おかげで、事情はよくわかりました。──なるほど、アインズ様がエ・ランテルで打倒されていた罪人たち──しかし、まさか、──こうなることを予見して、あの時は半ば放置を──いえ、素晴らしいことですね。モモンといい、今回の件といい、我等が創造主のまとめ役であられるあの方は、まさに端倪(たんげい)すべからざる御方!」

 

 クレマンティーヌたちが転移魔法で連行された場所は、どうやらどこかの建物の一室であるようだった。窓から見える景色は、再建が進められている都市であり、どうやら、何かひどい戦争から立ち直っている最中なのだと理解できる。

 

「おっと、失礼。君たちの状況確認も込みで、一度話を整理しておこう。傾聴してくれると助かるよ」

 

 立ち尽くしていたクレマンティーヌは、無言でうなずくしかない。

 悪魔の言によれば。

 私たちはアンデッドに転生した折に、アンデッドの中でも最上位に位置するアインズ・ウール・ゴウンなる魔法詠唱者(マジックキャスター)……あの化け物の支配下に半ば組み込まれていたらしいという結論に達した。

 

「無論。支配した君たちのことを放置していたのは、支配下においたアンデッドの行動プロセスや自律能力の確認、および忠誠度や思考と思想の変化などを確認する意味でも有用であった。冒険者モモンを演じておられたあの方であれば、君らのような強力な存在が暴れまわれば、即座に動員されるのは必定。ですが、アインズ様の量産するアンデッドがそうであるように、君たちもアンデッドでありながら人間への危害行為などは控え続けた──アインズ様のアンデッド支配は、あまねくアンデッドに浸潤するという事実を示している」

 

 デミウルゴスがこれだけの重要情報を吐き落とすのは、当然ながら目の前の女を逃がす意思がないという悪魔の決定…………以上に、彼女自身が逃げる意思を完全に失逸していることを見抜いているから。

 クレマンティーヌは悪魔の語ることに、我知らず納得を得ていた。

 生前から人間を享楽的に殺すことを嗜好していたはずの自分が、生命を憎むアンデッドになった後にも関わらず、そういった害意の虜・拷問や虐殺の快楽に(はし)らなかった理由は、冷静無比な状況判断というよりも、あの方の影響があっての事──そうと考えれば、一応の辻褄はあった(無論、アインズ本人にそんな企図があったはずはないが、ここにいる者達には真偽など判別不能である)。

 

「──そして、君たちがナザリックに属する者達の気配を感知し、我々もまた君らを同胞と同じ気配を有していると認識しているのは、まさにアインズ様の支配下に置かれるアンデッドであることの証明──」

 

 目の前のデミウルゴスという悪魔から感じられる、圧倒的な強者の気配。

 生前ではまったく識別不可能であったはずの濃密なオーラは、ナザリックなる組織に属する者達にとっては馴染み抜いているものらしい。「同胞か否か」「敵か味方か」を検証・実感するためのものだと、極大な力を持つ悪魔は、語る。

 

「そして、ここからは個人的な推測であるが。君らが今の今までバハルス帝国より遠方の──都市国家連合などに逃げなかった最大の理由こそ、アインズ様という絶対者の威光に“魅かれていた”からではないかね?」

「──え?」

「君たちは無意識下に、アインズ様の支配下に戻りたいという欲求はあったはずだ。まるで帰巣本能ともいうべき、支配の繋がりに回帰したいという衝動──だが、人間としての感性や感情は、己を打倒した絶対者への恐怖から逃亡することを選んでいた為に、バハルス帝国という中途半端な距離で右往左往していた。どうかな?」

「そ、そんな、ばかな……こと……」

 

 ないと言い切れる材料が、ない。

 少なくとも、クレマンティーヌ自身が、──ぐずぐずと逃亡を避け続けてきた、張本人だ。

 いつだって、クレマンティーヌはあのアンデッドを思っていた──想っていたではないか。

 デミウルゴスは道に迷う信徒を導く神官のような笑みで、新たな同胞に対して導きを施す。

 

「否定する必要などありませんよ。アンデッドの同族であり、その中でも絶対的支配者・オーバーロードとして君臨なさっているアインズ様の御威光──それに、同じアンデッドであるあなた方が、否、万物万象がひれ伏すことは、もはや自然の摂理にして絶対原則とも言える。人間であった頃の常識などに縛られているきらいはありますが、貴女(あなた)もまた、純粋に、ナザリックのシモベの一人として──アンデッドとして、死の支配者(オーバーロード)たるアインズ様に忠愛を捧げたいと望むのは必然の真実」

「…………あ、い?」

 

 愛。

 その単語は、クレマンティーヌには何の意味もない言葉だったはず。

 なのに今は、その言葉だけが、アンデッドの死んで動かぬ心臓を、心地よく駆動させるかのよう。

 

「さぁ、クレマンティーヌ。

 共にアインズ様の(もと)へ参りましょう。新たなナザリックのシモベとして。貴重極まるアンデッド化の成功例として」

 

 生前の人間時代であれば、畏怖と疑心で差し出された手を払いのけていたことだろう。目の前に存在する悪魔の微笑を、悪辣な罠や陵虐への門扉(もんぴ)だと断じて、完全完璧に唾棄したはず。たとえ実力に開きがあろうとも、普通の人間であればそうしたに違いない。

 だが、今のクレマンティーヌは、たったひとりの御方を想い慕うシモベ……

 その事実が、不思議と脳内に、快く浸透する。

 悪魔の導きを、女アンデッドは躊躇いがちにだったが、手に取った。

 

 

 

 

 

 

 そうして、今。

 クレマンティーヌは様々な過程を経て、ナザリック地下大墳墓に招聘(しょうへい)を受けた。

 外の有象無象な現地人としてではなく、アインズ・ウール・ゴウン魔導王のシモベ……新たな配下の可能性……その実証個体として、カジットと共に第一階層の墳墓を降りた。パンドラズ・アクターという影武者役と別れ、デミウルゴスに先導されるまま、ナザリック地下大墳墓を闊歩する。

 クレマンティーヌは未だに震え続けていた。

 ありえない。

 ありえない。

 ありえない。

 ありえない……

 どうして自分は、こんなところに──

 人間だった頃の記憶が、あの“死”に近づくことを忌避している。拒絶している。恐怖している。

 なのに、クレマンティーヌは歩みを止められない。

 今、己を縛る衝動が、たとえ仕込まれたものだとしても、抗い難い。

 この先に待つ御方──絶対者にして超越者──あの日の抱擁──男の声を思い出すたび、体の底が熱く疼く。人間だった頃の、過去の汚辱も恥辱も凌辱も、なにひとつとして想起するには及ばない。

 

(──「同じ“死”だ」──)

 

 ああ、その通りだ。

 彼から与えられた死によって──

 いまや自分は、彼とまったく同じモノに──

 否。彼こそを最頂点とする、“死”の同胞(はらから)となったのだ。

 

 あの夜を思い出す。

 あの夜の儀を思い出して仕方ない。

 

 あの“死”を再び目にしたい。

 あの“死”に再び抱かれたい。

 あの“死”に声をかけられたい。

 

 それだけを懸想しながら、連日クレマンティーヌは自らをなぐさめていた。

 

 意識を今に、ナザリック地下大墳墓の中に戻す。

 ガチガチに震える足取りで、心臓が早鐘を打つかのような心地で、神聖の極みであるが如き宮殿──白亜の廊下を抜け、数多(あまた)うごめくモンスター──強大な力を持つ近衛兵らを素通りし、とある執務室の前に。

 デミウルゴスは、その部屋の前に立つとノックする。現れたメイドに声をかける。

 

「アインズ様にお伝えください。お知らせしていた“新しいシモベ”を連れてまいりました、と」

 

 メイドが扉の中に。

 数秒して、扉が開いた。

 

「……ァ」

 

 我知らず甘い声が漏れかけた。

 駆け出したい欲動とは裏腹に、体は壊れた人形のように、ぎこちなく数歩を刻むだけ。

 ナザリックに数多存在する強者の気配の中でも、濃密な死の威光は、(かげ)ることなく輝いている。

 

「来たか」

 

 一歩を踏み出すことを忘れるほどの衝撃。

 膝どころか全身が崩れたかのような錯覚。

 男のたった一声。

 ただそれだけで、クレマンティーヌは一生で一度も感じたことのない、絶頂の(とりこ)となった。

 身体の震え・恐怖による激震は、別の意味の感情によるモノに変わっていた。下着が濡れてしまわないかと心配する余裕すら、ない。両手に抱えていたカジット……畏怖と感嘆に震える同胞(アンデッド)を取り落とさなかったのは、ほぼ奇跡であった。体温の失せた頬が、胸が、体中が、夢にまで見た邂逅によって、紅潮の熱量を帯びていく。眠れぬ身体をなぐさめるたびに思い焦がれていた相貌と双眸が、いま、目の前に──

 

 

 

 ああ、やっと──“戻ッテコレタ”──

 

 

 

「ふむ。久しいな……クレマンティーヌ?」

 

 忘我の境地に陥り、不死者の慈悲深い声に抱かれて、クレマンティーヌはその場で身を伏せる。

 

「ぁ……ぉ……お、お久しぶりでございまス」

 

 純白の女悪魔と真紅の吸血鬼、氷の蟲と闇妖精(ダークエルフ)の双子を侍らせる、至高の御方──

 

「────────アインズ・ウール・ゴウン、さまッ」

 

 死の支配者(オーバーロード)が、女の全身を見つめていた。

 ただそれだけのことが、アンデッドの、クレマンティーヌにとっての至福であった。

 

 

 

「うむ、挨拶もそこそこに終わったことだし。

 ──さっそく、聞かせてもらおうではないか。

 お前たちの持つ、“ズーラーノーン”の情報を」

 

 

 

 支配者からの絶対命令に、クレマンティーヌは柔らかであたたかい微笑みを浮かべた。

 

 ああ、自分にもまだ、こんな感情が残っていたのかと、静かな感動を得る。

 

 人間だった頃は満ち足りることがなかったが、アンデッドになって、何もかも失ったはずなのに、女は“すべて”を得たのだ。

 

 溢れこぼれる歓喜。

 イキ狂わんばかりの昂揚。

 視界が潤んだように歪むほどの──幸福。

 初恋に身も心も踊る少女のような多幸感を覚えながら、クレマンティーヌは深く、深く──さながら死の支配者のつま先に口づけするかの如く、額を床にこすりつける……

 

 そして、すべてを彼に話した。

 

 

 

 

 

 

 

 




アインズ様の内心(……やっべぇ。なに話したらいいんだ……まさかあいつが、クレマンティーヌがアンデッドになっていたとは……ズーラーノーンの情報を直接ご報告させるとかなんとか、デミウルゴスは言ってたけど……だ、大丈夫だよな?)



蒼の薔薇とクレマンティーヌが登場し、役者の揃った第三章、終了。

次章「第四章 ──── 正念場 」

いよいよ魔導国VSズーラーノーン、両者の戦いが幕をあける……のか?……
その時、フォーサイトのなすべき役割とは。
ご期待ください。

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