「アインズによろしく」回こと
第八話『一握りの希望』放送日です
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数か月が過ぎた。
ワーカーとしては実りの少ない依頼をこなす日々を、ヘッケランたち“フォーサイト”は過ごしていたが、ヘッケランの忠告で危険な依頼を回避したグリンガムたちに大きな貸しを作ることができた。当面の資金難からは解放される程度の金を無利子無期限で借りられた上、場合によってはヘッケランやロバーデイクが出張する形でヘビーマッシャーと共に依頼をこなすことも多くなった。おかげで大人数が必要な、その分、報酬もがっぽり稼げるタイプの依頼に参加することもできた。グリンガムは「いっそのこと、おまえたち全員ウチで雇ってもいいが?」とありがたい提案をしてくれたが、そこはヘッケランが固辞した。ワーカーチームは大所帯になるほど、各個人でもらえる報酬が減るもの。ヘッケランは自分たちの報酬が低くなることよりも、グリンガムのチーム全体に迷惑をかけかねない選択を良しとはしなかった。
「すいません、アルシェさん」
「いいえ、院長さん。このくらいならいくらでも」
アルシェが行使した魔法は、
「はい、これで全員分です」
「じゃあ配膳にいきますね、院長先生。ほら手伝って、ヘッケラン」
「おう、任せろ」
大量のシチュー皿を乗せた盆はかなりの重量だが、ワーカーの腕っぷしならば一息で運べる。
こういう男手が不足していた孤児院では、時折ロバーデイクが担当していた力仕事らしい。
(思えば。俺らって割とドライな関係だったな)
ヘッケランは笑う。
しかし、それがワーカーとしてのマナーであり基本ルールなのだ。いくらチームメイトでも、あまり個々人の事情には深入りしないし、干渉もしなければ干渉もされない。
しかし、今は違う。
互いが互いの事情をよく理解し、どうにかこうにか寄りかかり合っている。
厨房から長い廊下を通り、食堂で騒がしくしている孤児たちのガキどもへ食事を運ぶ。少し前のフォーサイトでは考えられない変わりっぷりだ。
「飯だぞー! あー、コラ待て! 順番ていうか席つけ! ロバー! どうにかしろ!」
「はいはい。皆さん、食事の前には、座って祈りを捧げないとですよ?」
ちっさい子供たちに囲まれながら大人用の席で本を読み聞かせしていた神官が孤児たちを見渡す。
我先にと食事にありつこうとする無法者たちが「はーい!」という快活な音色を響かせる。孤児院の最大寄付者である“あしながおじさん”の言うことはよく聞く悪童ども。両手のふさがるヘッケランの脇をつついてはしゃぐアホ共だが、これもヘッケランたちが受け入れられた証なのであった。
ほどなくして、人数分の固いパンや葉野菜オンリーのサラダを持ってきたイミーナやアルシェ、院長先生や他の先生たちが食堂に料理を並べていく。早く早くとせかすように、手を祈る形にして待つ子供たち。
全員分の配膳が終わり、神官ロバーデイクが代表するように、聖なる言葉を──食前の祈りを紡ぐ。
そして、
「はい。それでは、皆さん」
「「「「「「 いただきます! 」」」」」」
全員が──フォーサイト含む大人たちも、その協和の音律に微笑んだ。
イモばかりたっぷりのシチューが温かいだけで、子供たちのパンを千切る音色は勢いが違う。孤児院とは決して実りの良い職場ではない。ひどい月は薪代すら捻出できず、子供達には冷えた食事で我慢させることもある孤児院生活において、フォーサイトの手助けは何とも心強いと、院長先生は喜んでいる。
「なんだったら、全員ここで働いていてほしい」とさえ言われたヘッケランたちであったが、いろいろと気がかりの多いチームなので、ここはあくまで「仮宿」と定めている。ワーカーという危険な仕事を請け負う身分だし、何よりアルシェはウレイリカとクーデリカという妹たちを養わねばならない状況で、ただ孤児院の生活を補佐する程度の業務では、とても釣り合いなど取れていないのだ。
それに、アルシェの実家……フルト家の状況も気にかかる。アルシェの両親が「娘たちを返せ」などと笑止千万な文句を垂れてきても、一応は本物の親である以上、元貴族様の言い分こそが正当な主張なのは変わっていない。
そう。
あれから数か月は経つが、特に音沙汰のようなものはなかった。いっそ不気味なほど、アルシェの両親の気配は、この孤児院に迫ることはなかった。
(まぁ、元が貴族で、平民蔑視の強いご当主様の軽い頭じゃ、俺らの居場所までは探りようがないってこと、か?)
一応、帝国の小さな冒険者組合……騎士という専業の兵士が多い帝国では、『モンスター討伐の傭兵』程度の存在など、あまり優遇すべき職種とは言えない……に、グリンガムたち“ヘビーマッシャー”を経由して確認した限りでは、「貴族の双子の令嬢」の捜索依頼などは一件も届いていないという。
(そのうち娘たちが自分で帰ってくると思っているのか? それとも、やっぱり冒険者を雇う金すらないのか?)
ここ最近の帝国の空気は、ヘッケランの勘もあるが、かなりキナ臭い。
ワーカーとしての依頼をこなしながら日銭を稼ぐ身分では気が進まないが、アルシェの実家の様子を探るべきか否か、チームの中心柱は考えあぐねる。
「どしたのよ? 渋い顔して?」
「……なんでもねぇよ」
固いパンをシチューに浸して幾分やわらかくしたものを、豪快に噛み千切る。
「しかし、珍しく全員が、ここで顔を突き合わせることができましたね」
ロバーの言う通り。ヘッケランたちは互いが互いの仕事で昼夜を問わず働いている。モンスター討伐などのチーム戦時は、基本は外で、それもカッツェ平野付近の街道脇でキャンプ食にありつく程度。とても憩いの場という感じで顔を突き合わせてはいられなかったが、グリンガムたちのおかげで金策のめどはついた。
今日のフォーサイトは、金銭面で割と余裕ができたおかげで、珍しく全員が非番となっていたのだ。
なので、ヘッケランたちは、チーム全体で優先すべき問題解決を協議する。
「アルシェ、私が紹介したバイトの方は?」
「ロバーには悪いけれど、辞退したい。あそこの調味料生産のバイトは、私の後輩──実家の元使用人の子がいるから、あまり」
「なるほど、そうでしたか」
アルシェはフルト家と関わりのあるツテを、すべて封じている。何しろ彼女は実の両親と袂を分かち、絶縁した身の上。これでフルト家とゆかりのある人々の前に姿をさらすのは、あまりにも推奨しかねる。アルシェの血筋を知るものがアルシェの居所を知ることになれば、下手をすれば両親や借金取りが職場に押しかけるような事態も想定可能。そんなことになれば、この孤児院にも累が及びかねない。この、奇跡のような状況が破綻しかねないのは、フォーサイトの全員にとって好ましくない。
「やっぱり、帝都を離れて、妹たちをどうにか面倒ができる場所を見つけるしかないと思う」
アルシェとイミーナに挟まれる席で、木製スプーンをもたもたと握り、元気にシチュー皿をかきこんでいる双子たち。真っ白に汚れた天使の口元を拭う姉と、身内にはアホみたいに優しい女の様……それを対面にするヘッケランの目には、有名画家が一幅の宗教画にしてもいいだろうと思えるほどに輝いてみえる。「イミーナお姉ちゃんありがとう!」と微笑むウレイリカに、「どういたしまして」と微笑み返すイミーナは、──まぁ、なんというか、その。
そんな浮かれかけた思想に、現実問題を協議する声がどうしても重く感じられる。
「とりあえずは、やはり、お金ですよね」
「金、金、金……やんなっちゃうわ、ホント」
ロバーとイミーナが苦笑しつつ溜息を零す。
ヘッケランも苦いものを噛んだように笑みを浮かべた。
とりあえず当面の資金難から解放されたフォーサイトであったが、アルシェたちが帝都外へと移動し、そこでまっとうな暮らしを構築するだけの金銭を勘定すると、今のカツカツな状況では、とても賄いきれない出費となる。いっそのこと銀行から金を借りてしまうのも手なのだろうが、そういう正規の金貸しは、当然ながら借り主の返済能力=経済状況や社会的地位などを十分に吟味して金を貸すもの。ワーカーのような所得が安定しない+命の保証のない
「なんとかしてやりてぇところだがなぁ……」
ヘッケランは腹八分には満たないシチューの小皿を、一握りのパンで綺麗に舐めるようにすくって
ここには、帝国内に立ち込める妙な気配は少ない。それが心地よい。
この数か月、帝都には不穏な空気を感じるようになった。それも、目に見えてわかるような空気ではない。ヘッケランたちのような、戦いに身を浸すような稼業に勤しむ者たちが嗅ぎ慣れた、とてつもなくいやな気配。
ことの始まりは、例年通りに行われたはずの、カッツェ平野での戦争。
そのときに宣布された宣戦内容が、物議を醸した。
大雑把に言うと『バハルス帝国皇帝は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の建国に協力する』というもの。
帝国民の誰もが、寝耳に水の話であった。
唐突に登場した、アインズ・ウール・ゴウン、魔導王──魔導国。
そんな名前の土地や国家……王侯などを知る者は、当然のことながら一人もいなかった。どんな史書にも伝説にも、御伽噺の中にすら聞いたことのない魔法詠唱者の名前は、その日はじめて周辺国家の知るところとなった(少なくとも一般認識上は)。
にもかかわらず、帝国皇帝は、誰も知らない・名前すら初めて聞いた程度の人物が、王国と帝国の間の領地──王国領エ・ランテル近郊に国を建てることを“是”とした。それどころか、その土地に本来住まうべき者はアインズ・ウール・ゴウンその人であると規定し、王国は周辺領地を魔導国に返上せよ、と。帝国はかの王の建国のために、騎士団の六軍団を派兵するなど、その本気度は明らかであった。
──正直なところ、わけがわからなかった。皇帝の乱心を疑う智者もいるにはいたが、実際にアインズ・ウール・ゴウンという存在を目にしたことのない国民には、何とも言い難い状況に陥った。
帝国の宣戦布告から二か月後に開戦されたカッツェ平野での戦いは、帝国の完全勝利で幕を閉じた。
精鋭騎士団からなる数万人規模の軍団内に生じた被害は、たったの100人程度。例年の戦争に比べれば、その数は無傷と言ってよいレベルの大勝利であった。
その勝利に貢献した魔導国の戦力……否、たったひとりの
だが、その戦いに参戦した騎士団──無事に故国へと帰参した騎士たちの中に、はっきりとわかるほど精神の不安定化したものが続出していた。
戦争前まで気さくな人柄で知られていた街頭警備の騎士が職を辞し、あるいは家畜の鳴き声を聞いた途端に恐慌し発狂してしまうような騎士まで現れた。眠れぬ夜を過ごしたストレスで、以前のような生活を送れなくなる騎士が散見され、その事態の収集に、当の精鋭騎士団自体が奔走する始末を露呈していた。
町辻に不穏な噂が囁かれ始め、市街をめぐる騎士の姿は、どこか不安と焦燥に駆られた気配を漂わせ始めた。
それが何に起因するものなのか──彼らが、何を見て、何を恐れているのか──それを知る者は少なかった。
そうして、帝国はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の建国に尽力し、見事な形で隣国である敵性国家たる王国の領土を割譲せしめ、戦争に動員された大量の王国民を戦死させ、帝国と魔導国の両国は盟によって結ばれた良好な関係を維持していると、誰もが信じて疑わなかった。そして、それはまさに事実であった。──あくまで体面上は。
「悪く考えない方がいい」
今はとりあえず、アルシェたち姉妹や、フォーサイトが平穏無事であることを良しとしなければ。
金の問題については、折をみてグリンガムたちに相談してみるか。
「じゃあ、アルシェ」
「すいませんが。私たち三人は、この後」
「うん。わかってる。“闘技場”でしょ? 私は、妹たちの面倒を見るから、皆は気兼ねなく行ってきて」
「ウレイ? クーデ? お姉ちゃんたち、ちょっと出かけてくるわね?」
「いってらっしゃい、イミーナお姉ちゃん!」
「いってらっしゃい!」
可愛らしい双子にお姉ちゃんと呼ばれる
こういうところを見ていると、イミーナとの、そういう将来的なことを、ヘッケランは男として、未来の光景を思わずにはいられない。
(……ま。“それ”にも金は必要だけどな)
指輪すら結局、買えずじまいな今の状況。
なんとも
とりあえずヘッケランの頭の中は、これから訪れる場所のことで埋めておく。
(闘技場に入るのは二度とゴメンだけど、今日の出し物だけは──是が非でも実際に見ておきたい)
満員御礼は間違いない。
あの“武王”が。
闘技場の頂点に君臨する王が、謎の挑戦者と戦う大一番を組まれているのだから。
アルシェの使う“皿を温める”生活魔法については、
Web版:後編 学院-4で登場するものを参考にしております。