フォーサイト、魔導国の冒険者になる   作:空想病

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今回のイメージは「アニメ二期EDのラナー」


余談 ~HYDRA~

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 ・

 

 

 

 王国。王都。

 王宮内で、クライムを護衛につけながらラナーが向かったのは、王が眠るはずの寝室。

 夜も更け切った頃だというのに足を運んだのは、もちろん理由がある。何しろ王国の二つの都で邪神を奉る教団が民衆を扇動し、ほぼ同時に反旗を翻したのだ。ラナーたちはその事後処理を行っている真っ最中といえる。王の寝室を守る近衛兵とクライムをさがらせ、室内の奥に安置された王の寝台へ──月明かりに照らされた空間は冴え冴えとしており、まるで凍り付いたかのように冷たい印象を与えるだけ。ラナーは構わず進み続け、部屋の主に──王国の君主たる父に呼びかける。

 

「お父様。──お父様」

 

 寝台の上で、黙然と項垂れる父の姿を、第三王女は心配げな瞳と励ますような声音で包み込んだ。

 王直轄のメイドや執事が姫の来訪を報せるが、王の反応はあまりにも鈍い。ラナーは王の世話役たちもさがらせた。これは親子の他愛のない会話だ。盗み聞きを働くものはいない。いてはならない状況をラナーは作り上げた。

 

「お父様、ラナーです」

 

 かすかに視線を上げた王は、実の娘へ送るには重く歪み切った眼差しを向ける。

 

「……………………何のようだ」

 

 その声は、この世のすべてに絶望しきった色が纏わりついているようだった。

 心優しい王の姿からは乖離し過ぎているが……無理もない。

 ラナーは微かに臆したような演技をしつつ、毅然とした態度で、王宮を預かる王族の一人として、奏上する。

 

「リ・ロベルとエ・アセナルで起こった二つの内乱の件、つつがなく取り計らいました」

 

 ラナーは残務処理に追われている第二王子(ザナック)に代わり、王へ顛末を報告すべく足を運んだのだ。

 本来であれば、使い走りの兵で済ませればよいところだが、何しろ、今回の件で世話になった国との関係──都合がある。下手に兵たちに知らせてよい案件ではなかったがために、こうして王女自らが報告に参じる次第となった。

 

「此度の騒乱において、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下のお力添えを賜りはしましたが、陛下はわたくしたちの要望に快く応え、アンデッド兵力を貸」

「“そんなことなど、どうでもよい”」

 

 ラナーは面を上げた。疑念するほどのことではなかったが、父を思う利発な娘としては、首を振っておくのがそれらしい対応だ。

 

「どうでもよいなどと、そんなおっしゃりようは──あんまりでございます、お父様」

「…………ああ、すまない。悪かった。私らしくも、ない」

 

 枯れ木を思わせるようだった父は、いまや病に侵された老木そのもの。

 王の身体自体には、そこまで重篤な病の影はない。

 問題は精神(ココロ)であった。

 

「だが、本当に……もう、どうでもよいのだ……なにもかもが」

 

 若き日には、不眠不休で国務に当たることもあったランポッサ三世。その治世は彼の非才と性格ゆえ、平凡かつ凡庸に過ぎ、際立った成果というものは何一つとして成し遂げられなかったが、王は王なりに、自分の力の限りに国の安寧と平穏を守ってきた。

 だが、今の彼は、完全に壊れていた。

 かつての面影は、失われつつあった。

 

「私は……失敗した……国を治めることに。民を守ることに。何もかもに。

 何故、失敗した……何を、失敗した……失敗した、失敗した失敗した。

 どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてドウシテッ!」

 

 庶民に慕われた優しき王は、夢遊病者のような様態に陥り、自分の思い通りにならぬことに癇癪を起こすなど、その人格は破綻する一歩手前であった。

 過日のこと。

 戦争終結直後、蘇生魔法の使い手である最高位のアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”のリーダーに、王の願いで二人の人間を蘇らせようと頼んだ時、「できない」と明言された。彼女の扱う復活の魔法では、どうしようもない事情があった。そんなラキュースに対し、罵詈雑言の限りを尽くした姿は、本当に痛ましすぎた。

 

(無理もないかしら)

 

 王が蘇生させようとしたのは無論、戦士長(ガゼフ)第一王子(バルブロ)の二人。

 ランポッサ三世の精神的支柱であった腹心の部下と、戦地から遠ざけたはずの実の息子……あの日、王が喪ったものは、あまりにも重すぎた。

 呼び出され、二人の蘇生を依頼され、挙句、理不尽に叱責されるラキュース本人が、そんな王の状態を、息子と臣下を永遠に喪った王の心情をよく理解してくれていた。アダマンタイト級ならば復活も可能なはずだと期待を寄せていただけに、ランポッサの悲嘆と狼狽は深かった。蘇生できないという神官の乙女の主張に、王は激昂と暴力を抑えきれなかったのだ。すぐに謝罪をこぼす王に対し、ラキュースは粛然と応じ許したことで、この一件は落着となった。

 そして。

 それからというもの、王は抜け殻のように変わり果てた。

 

「……私は、もう……疲れた……つかれてしまったよ、ラナー……」

 

 帝国をはじめとする近隣諸国との軋轢(あつれき)(いくさ)

 相も変わらず続く王派閥と貴族派閥の政争。

 大虐殺で心折られたレエブン候の協力拒否。

 最も王からの信篤かった戦士長(ガゼフ)は蘇生不能。

 愚かながらも愛していた我が子……第一王子(バルブロ)は行方知れず。

 死体がなければ、低位の蘇生魔法など効果を発揮できない。

 そして今回の騒乱──邪神教団の台頭を許したという事実。

 

 これからリ・エスティーゼ王国に待つもの……内乱に参加し、国家転覆を目指した者への厳罰と処刑。魔法で洗脳され、戦いに参加させられた民への救済措置。破壊された市邑やインフラの再建事業。……それを、国の主導のもとで、内戦で疲弊した“民”が行わねばならないわけだ。傷病人を癒すことも、焼かれた農地を再生させるのも、壊れた建物を修復するのも、罪人を牢に閉じ込めるのにすら、人間の働き手は不可欠である。

 しかし、ただでさえ少なくなった労働人口を、今回の騒乱でさらに減らされ、国家生産力の減衰は歯止めを失うだろう。魔導国との戦争後、地道に回復に勤めていただけに、ここで内乱が勃発するのは──文字通り致命的な打撃でしかない。

 そして、今回の首謀者は邪神教団──ズーラーノーンという強大な組織を後ろ盾とする宗教団体というのが、事態をさらに重くしている。下手を打てば、諸国が震え上がって当然の戦力を保有する異常者たちの制裁と報復が待っているのだ。さりとて、首謀者たちの処刑は絶対。無罪放免とばかりに国外退去させるだけでは、今回の騒ぎで犠牲となった国民たちの感情が収まるはずがない。国が断罪を躊躇し、法の順守を軽視すれば、国民は王国への反感と疑心を抱えることになり、その中の一部が武力蜂起・国家転覆・クーデターを目指して──という、よくある泥沼な負のサイクルに陥るだろう。

 もはや、滅亡まで秒読みという段階と言ってよい。

 何しろ国のトップである国王が、

 

「つかれた……もう、つかれた……私のことは、もう、放っておいてくれ」

 

 このありさまである。

 譫言(うわごと)を繰り返すがごとく、泣いているような声色で、黒く濁った瞳の色で、無力な自分の掌を眺めている。

 ベッドの上で冠を外した寝間着姿のランポッサ王は、国務も政務も、その手から何もかも投げ出してしまって久しい。せいぜい外交の場で、それなりの威勢と権勢を示す役割を務める程度が限界。実際の国政は、正式な次期国王に内定したザナックが務め、ラナーがその補佐を務める形である。

 王はこうして日がな一日自室に籠りきりだ。

 我が子や臣を喪ったショックで、眠れぬ日々を送る目は血走り、(くま)も酷い。

 食は日を追うごとに細くなり、枯れた手指は火にくべればよく燃えそうなほど乾ききった、薪枝(まきえだ)の様相を呈していた。

 神官に()せても快方に向かうことはない。

 身体の病ではなく、精神の病に対する完璧な手段を、彼らは持ち合わせていないのだ。

 鬱々とした王の心は、完全に国を離れてしまった。

 今や彼は、王であることを放棄した、玉座に腰掛ける重責と艱難に倦み疲れた、ただの老人に過ぎない。

 それでも、ザナックの地盤固めが、王国の政情が最低限均衡を取り戻すまでの間は、どうしても王の席を空白にはできなかった。第一王子亡き後、ザナックが最も王位を継ぐべきとはいえ、貴族派閥が横槍を入れないという保証もなし。第二王子に敵対的な貴族などは、必ずと言ってよいほど反旗を翻すだろう。貴族の中には王の娘──ザナックやラナーの姉らと婚姻を結んだ貴族がいる。そういった手合いが王位簒奪に走らぬよう、根回しは十分にしておかねばならないほどに、王国の玉座は安定性に欠け続けていた。

 ラナーは沈鬱な表情の仮面で、父に対し慰めの言葉と涙を落とした。「挽回する機会は必ず巡ってくる」だの「いつまでもお支えします」だの、心にもないことを言い繕って、とりあえず父親を思う娘という体裁を整えた。王は愛娘(まなむすめ)の親身な姿に感じ入るだけ。

 そうして、常套句な就寝の挨拶を交わして、ラナーは自室に戻る。

 

「ありがとう、クライム。送ってくれて」

「──いえ。これが自分の務めです──その」

 

 いつものように部屋へ戻ろうとする護衛の専属騎士。

 だが姫の顔に涙の痕があることに気づいて、何やら離れがたいものを感じてくれているようだった。

 そんな純粋さが、とてもたまらない。

 心臓がバカみたいに高鳴ってしまう。

 

「大丈夫です。ただ、お父様の様子が、あまりにも……つらすぎて」

「そんな。ラナー様のせいではございません! どうか、──どうか!」

「……はい。ありがとう、クライム」

 

 今すぐ抱き着いて、胸と胸とを重ね、この鼓動を共有したい衝動に駆られる。

 そんなことをしたら彼がどれほど慌てふためくか、本気の本気で見てみたい。

 けれど、

 

「ねぇ、クライム。──()いてもいいかしら?」

「はい」

「どうして、お父様から──貴族に叙する命を受けたのに──その」

 

 歯切れの悪い調子で質問してみせると、クライムは察してくれた。

 

「名誉極まる御話ではございますが、今は時期が時期です。自分だけが叙勲される理由はなく、貴族の(くらい)を戴いても、満足な働きができるとは思えません」

「でも」

「それに、ここで私が貴族になっても、今までと変わりなく、ラナー様を守る位置にいられなければ、意味がありません」

「ええ──そうかもしれませんね」

「ですが」

「?」

「自分は、ラナー様のためにある者……それが、自分の一生涯を懸けた、永遠不変の誓いなのです」

 

 

 微笑む男の瞳に、ラナーは体の中心が熱く疼くのを感じた。

 今すぐにでも腕を捕らえ、寝所に連れていきたい衝動を抑え込む。

 かすかに怪訝(けげん)そうにする騎士へ、姫はいつも通りに満面の笑みを返した。 

 

「ありがとう──クライム。おやすみなさい」

「はい。では、おやすみなさいませ」

 

 自室の扉を閉める。

 急いで窓辺に向かい、彼が渡り廊下を去っていく背中を黙って眺める。

 

「ラナー様」

 

 扉を開けて入ってきたのは、隣室に控えていたメイド。

 本来、魔法のハンドベルで呼び出さなければ、姫の部屋に入ることは禁じられるべき行為──だが、王女たるラナーは笑顔の仮面ではない表情で、両手で頬をいじることなく、自然に応対してみせる。

 理由は明快。

 ラナーの前にいるメイドは、クライムに反感を懐いているクズ──に完璧に化けた、ナザリックのシモベだから。

 

「就寝前のお世話に伺いました」

「ご苦労様です──アルベド様とチャックモール様から伝言を賜っております。“皆さん”あてに」

 

 言って、姫はいくつかの封筒を手渡した。メイドの表情が目に見えて色づいたように見える。

 

「ありがとうございます。確かに、お預かりいたしました。では早速湯浴みを」

「ええ。遅くなってしまってごめんなさい。お願いしますね」

「はい。かしこまりました、ラナー様」

 

 天真爛漫で愚かな姫の演技をする必要なく、ラナーは就寝の用意を整え終えた。人間でない存在──“暗闇の調べ”様の配下というメイドに世話をされるのも慣れたもの。演技をしなくていいだけで、これほど心穏やかに過ごせるとは。

 彼女たちが変身している人間──ラナー付きのメイド──クライムをバカにしていた連中がどうなったのかは、言うまでもない。

 メイドと別れたラナーは一人、月光の注ぐ窓辺に佇む。

 クライムがいる遠く離れた兵士寮に、自然と瞳が動く。

 

(「……近日中に、クライムを正式に貴族として認め、おまえの婿にしようと思う」)

 

 あの、魔導国との戦争で。クライムとブレインが戦場から王を逃がす際に、ひとつの約束を交わしていた。

 無論、その話を知った時は天にも昇らん気持ちではあったが、意外だったのは、クライム本人が貴族になることに消極的過ぎたこと。

 王女ラナーと結ばれることを忌避して──ということはありえない。

 クライム曰く、

 

(「今は、国政や世情が安定に欠けております。この状況で、自分のような貧民が、王より叙勲され、貴族位を得ることに反発する声は、きっとあるはず」)

 

 正論であった。

 本来であれば貧民──それも、スラムで行き倒れていた、親が誰かも判らぬ元・浮浪児が貴族になるなど、御伽噺にしかありえない。貴族派閥は勿論、王派閥内でも伝統と格式、血を尊ぶものたちは不平不満を露わにするはず。それがきっかけとなり、ただでさえ混沌化している王国内に、さらに不和と不穏を呼び込むことになればどうなるか。それが巡り巡って、彼の大切に思う女性に害となることになれば、クライムは耐えられないだろう。

 さらに言えば、あの虐殺の処刑場で、王の命を助けるべく奔走した功績はあるが──それを言うならば、他にも多くの将兵が王の助命救命に奔走した。クライムだけを特別扱いするには、あの時の口約束だけで足りる道理などない。

 だが、この国難の時──政治的バランスが崩壊した状況だからこそ、どこの馬の骨とも知れぬ男──姫のお気に入りの騎士が、正式な(くらい)に就くにはうってつけともいえた。むしろ、この機に乗じなければ、貴族としてのしあがることは難しいとも言える。しかし、クライムは固辞した。口約束の張本人たるブレインですら、その頑固さに閉口してしまった。王のために──ひいては姫のために、クライムはこれまでと変わらない、そのままの地位に留まった。「そのお話は、王国が安定を取り戻した折に、再検討していただければ」と──

 時期を待ち、然るべき功績を積み重ねていくことが、クライムが正当な貴族として認められる唯一の手段だと考えて。

 その話をその場で共に聞いていたラナーは、別段かなしくはなかった。

 クライムが変わらず自分の専属騎士として傍近く侍ることに不満のあろうはずもなかったし、個人的な事情と思惑で、クライムには下手な地位に就いてほしくなかったというのもある。

 何故ならば、あの戦争で──大虐殺によって、王国の命運は“決したから”。

 

(いまや、未来の失われたこの国で、王族や貴族でいることの価値は、限りなく“低い”)

 

 王威は失われたも同然。

 貴族の権力や血統など、あの方々の前では無力極まる。

 この王国を、偉大なる御方に明け渡す日は、着実に確実に近づいている。

 

(でも“まだ”ね)

 

 いと尊き御身──ナザリック地下大墳墓に君臨する御方の計画において、王国にはまだ役割が残っている。

 宰相たるアルベド──彼女と内通するラナーは、その時まで準備を整えていくだけ。

 不治の猛毒を一滴一滴、丹精こめて垂らし続けるのみ。

 

(ああ、たのしみだわ……クライムが永遠に、私だけのものになる……)

 

 父も国も、何もかも知ったことではない。どうなってもいい。

 死ぬのであれば死に、滅びるのであれば滅ぶだけ。

 かつて父や国のために知恵を貸して働いていたのも、自分たち二人が、共に暮らせる場所を作るために必要があったから。

 だが、それももはや何の意味もない。

 何よりも重要なことは、自分とクライムが共に生き続けることだけ。

 そのために必要であるならば、王を捨て、国を売り、何もかもを裏切り騙すことなど、あまりにも容易(たやす)いこと。 

 

(ああ、はやく“箱”を開けてしまいたい)

 

 準備は抜かりなく進んでいる。

 王は玉座を棄て、民は邪教に惑い、権威も信仰も何もかもが低迷し、(ヒドラ)の毒に狂いのたうつだけとなったこの国は、大いなる庇護者を求めるほかない。

 都市を平和に統治し、帝国を無血で属国とし、聖王国の復興に助力し、数多くの人間と亜人と異形を率いる──圧倒的超越者の力を。

 死の超越者(オーバーロード)を。

 

 無論。

 王国の貴族連中は、派閥を問わず反発するだろう。

 しかし、それで方針がひとつにまとまろうはずがない。

 連中、魔導王との戦争で当主を失いながらも──失ったからこそ──いまだに派閥争いに忙しくしている。おまけに近頃は、マヌケの極みがごとき新興勢力まで台頭し始めていた。

 王の名誉と威信を守りたい王派閥。

 王の堕落零落をあげつらう貴族派閥。

 それらに属することなく、あえて言うなら“魔導国”派閥とでも言うべき輩──(いわ)く「王国も魔導国の支配下にくだるべきだ」と主張する売国奴(ばいこくど)の一派が、にわかに勢いをつけつつあった。

「バカで若い後継者どもが、帝国を属国とした魔導国の急成長ぶりに期待を寄せている」という見方が大半だが、分かっている者の立場だと、これが実に巧妙に仕組まれたものだと判る。何しろ、その旗頭たる“大バカ”を選定したのは、ナザリックの麾下に加えられた八本指──魔導国の計略は、もはや万全に地固めを済ませつつあるのだ。アルベドが八本指を通じて行わせた物資輸送、食料の大量購入と先物取引。今回の邪教騒動の遠因は、間違いなく彼らの企図から生じたものにほかならない。

 兄たる第二王子ザナックは、いろいろと感づいているかもしれないが、その魔導国という強国の影に、よく知った者の影がひそんでいるという確信には至れていない。至ったとしても、すべて手遅れであった。彼が気付かなければいけなかった時は、とうの昔に過ぎ去っている。ザナックが正式に王位を継ぐ頃が、すべての終わりにして始まりとなるだろう──そのための布石が、今回の内紛……邪神教団の暴徒鎮圧における、アンデッド兵力の、魔導国の極秘支援であったわけだ。

 

 そして。

 これは後々のことだが。

 

 王国を魔導王の支配下に組み込むべく、次王と魔導国派閥が内応。もちろん、それを是としない派閥との間で内戦が勃発し、魔導王は王となったザナックからの正式な支援要請を受けて、これらを完全に制圧。魔導王を引き入れた売国派閥は、我が物顔で自分の領地を新しき王・魔導王陛下から拝領しようという流れだ。

 しかし、連中の売国は、絶対にうまくいくはずがない。

 何故ならば──

 

(まぁ。売国奴というのであれば、私も他人(ひと)のことは言えないかしら?)

 

 ──“売国はすでに、王女(ラナー)の手によって済んでいる”。

 連中が売ろうとしているものは、とっくの昔に売約済み(・・・・)だ。

 王国トップで他に助かる見込みがあるとすれば、今回の件でアルベドと密約を交わした第二王子(ザナック)と、ラナーが推薦した有能な貴族レエブン候など、ごく少数だろう。

 戦争後の今になって、魔導国とその王にシッポを振って利を得ようとする能無しのグズ共を、あのナザリックの悪魔たち二人が、アルベドとデミウルゴスが生かしておくはずもなし。

 あの二人から早い段階で認められた未来の領域守護者候補たる第三王女は、ひとつのアイテムを取り出す。

 

(もうすぐよ、クライム)

 

 狂おしい月明かりのもと、王女の頬は薔薇色に色づいていた。

 彼女の手中には、アルベドより下賜された“箱”がある。これを開ければ、ラナーの夢が叶うのだ。

 まるで、心から想う仔犬のもの(・・)愛撫(あいぶ)するように、アイテムの表面を指先でなぞり、頬ずりし、甘い吐息をこぼしながら、蕩けそうなほど熱っぽい接吻を落とす。

 精神を病んでいるのではない──精神の異形種たるラナーは、その“箱”を開けるときを待ち続ける。

 月光に濡れ光る瞳で、彼との未来を思う。

 破滅さえ(いと)うことはない。

 すべてはただ、たったひとつの、愛のために。

 

 

 

 

 

(────愛しているわ。私だけの……クライム)

 

 

 

 

 

 

 




今回は「国を売った娘」の話でした。
次回は「父に売られた娘」の話です。

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