フォーサイト、魔導国の冒険者になる   作:空想病

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ラストスパート



諸国と螺旋と副盟主

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 ・

 

 

 

 それは起こった。

 

 

 

 ・

 

 

 

 魔導国。

 エ・ランテル。

 

「……ねー、ウレイリカ?」

「なにー? クーデリカ?」

「お姉さまたち、いまどこにいるのかな?」

「今日は帝都でのお仕事って言ってたよ?」

「じゃあ、すぐに帰ってくるよね?」

「ぜったい、すぐに帰ってくるよ?」

「じゃあ大丈夫だねー」

「きっと大丈夫だよー」

 

 お姉さまとお菓子屋めぐりをしようとくすくす笑い合う。しかし、二人は深夜だというのに、何故か同時に身を起こした。寮部屋の外に飛び出し、廊下にある大きな格子窓の外──燦々と輝く月夜を見上げた(四人部屋にも窓はあるが、二人が感じ取った何かを見渡せる方角ではなかった)。眼下には、魔法の街灯で眠ることを忘れた都市の喧騒が、煌々と光を放っている。

 二人は思う。

 姉たちがいない夜には慣れた。

 魔導国に、エ・ランテルの冒険者寮に居を移して、はや数ヶ月が経過している。

 なのに──妙な感じだった。

 今まで体験したことがない、異様な雰囲気。

 胸の奥がざわざわしている──そうとしか言いようがない、未知の感覚。

 

「……ねー、クーデリカ?」

「なにー? ウレイリカ?」

 

 廊下の窓から月夜に浮かぶ都市の光景をひとしきり眺めて、二人は首を傾げる。

 

「あれ、なにかなー?」

「あれってー?」

「ほらあれ」

「あれ~?」

「こーら、二人とも」

 

 窓の外を指さし合う幼女二人の背後から、鋭くも優しい声が。

 

「こんな時間に、こんなところで、何をしているのです?」

「ユリ先生」

「ユリ院長先生」

 

「こんばんは」という声がぴったりと重なった。

 

「はい、こんばんは」

 

 律儀に頷くユリ・アルファは、隣接する孤児院と保育所を統括する立場にある、とても優しいメイドである。

 至高の御方から賜った、新たな役職を忠実に果たすユリは、保育所で幾度も顔を合わせている幼子たちの奇行を訝しみつつ、慈しみに満ちた調子で諭した。

 

「まったく、今夜の巡回当番が私でよかったわね……ほら。早く部屋に戻りなさい。眠れないのであれば、しばらく添い寝してあげてもいいですけど?」

「ねぇ。ユリ先生、あれ!」

「あれって、なにかなー!」

「…………? “あれ”?」

 

 ユリは双子の少女らと共に窓の外を、夜の色に染まっているはずのエ・ランテルを眺めた。

 それは、地平線の彼方──カッツェ平野の方角。

 遠くに見えていた、火のような輝き。

 次第に近づき、明滅を繰り返す紅蓮。

 大地を這う赤い蛇のような、点と線。

 

「っ!?」

 

 ユリは思わずウレイリカとクーデリカ二人を抱えて、その場から飛び退いた。

 それは、瞬きの内にエ・ランテル全域を、円柱状に囲む朱色の光で包みこむ。

 

 漆黒の夜空が、赤い螺旋に覆われていく。

 

 

 

 ・

 

 

 

 バハルス帝国。

 帝都アーウィンタール。

 静謐な夜の帳を、筆頭書記官ロウネ・ヴァミリネンの(うわ)ずった声が転がり破る。

 

「へ、陛下!?」

狼狽(うろた)えるな! 狼狽(うろた)えるんじゃあない! 我らが混乱しては、それが帝都の民にまで広がると思え!」

 

 実に、エ・ランテルと同じ光景……紅蓮一色の大きな螺旋が、帝都の夜闇にも発生していた。

 その光景を皇帝の城で注視するジルクニフは、不寝番を務めていた四騎士や側近たちに檄を飛ばす。

 

「バジウッド! 全騎士団に、此処と各駐屯地にいる連絡役のエルダーリッチ殿らを通じて〈伝言(メッセージ)〉を!」

「あいよ!」

「ロウネ! 文官と城の使用人たちの方は!」

「す、すでに掌握済みです!」

「レイナース! ナザリックから、アインズ──陛下から、何か連絡は!?」

「いいえ、まだ何も!」

 

 赤い螺旋が夜の天空に渦巻く異様な光景に、焦れる思いを懐きつつ、傍らに侍る愛妾のロクシーに手を握られて、何とか呼吸を整える。

 

「大丈夫です。落ち着いて」

「ああ、わかっている!」

「本当に?」

「────」

 

 正直なところ、ジルクニフでもこれほどの天変地異に見舞われるのは予想の範疇を超えていた。

 

「今からでも遅くはない。おまえだけでも逃げておけ。俺は皇帝としての仕事があるから逃げるわけにはいかんが、おまえの頭脳は、これからも我が帝国には有用だからな。護衛にはレイナースをつけてやる」

 

 いつにない弱気を垣間見せる皇帝に対し、ロクシーは飄然と告げる。

 

「大丈夫です。いざという時は、その“重爆”殿が、あなたを守ってくれるでしょうから」

「……はぁ?」

 

 自分とロクシーの傍らに位置する女騎士の方を振り返ろうとした、

 直後、

 

「ダメだ陛下! なんでか、城にいるエルダーリッチ殿が“立ちぼうけて身動き一つしねぇ”!」

 

 体ごと反対側に振り返って見据えた先にいるアンデッドは、魔導国から、もといナザリック地下大墳墓から派遣された連絡係であり、あのアインズ・ウール・ゴウンが死体から作り出した尖兵のひとりである。

 それが動かない。

 微動だにしない。

 いくら死者の肉体とはいえ、これまでそのような素振りは一切みせなかったアンデッドが、まるで司令塔を失ったように、沈黙。

 

「なるほどな」

 

 そうなると“知らされていた”。

 知らされてはいたが、実際にその通りになると、胃の腑に重い刃が食い込むようなものを感じる。

 

「ここは慣例通り、伝令の馬を走らせろ! 市中のデス・ナイトたちが“停止している”ことを確認するついでに!」

「了解!」

「おい、ニンブルの方は!」

「た、ただいま到着しました!」

 

 赤い空を駆けて現れる、一騎の鷲馬(ヒポグリフ)

 翼をたたんだ獣の背に騎乗する四騎士の若者が連れてきた人物に、ジルクニフは視線を注ぐ。

 

「じい」

 

 フールーダ・パラダイン。

 ジルクニフが最も信を置いていた存在。

 しかし、帝国を売り渡したことで閑職に追いやり──属国化の後に復職させた、稀代の魔法詠唱者。

 

「久しぶりじゃな──ジル──いえ、陛下」

 

 ジルクニフは顔を突き合わせるごとに、裏切り者へ込みあがってくる罵詈雑言を飲み込んで、あくまでも事務的に返す。

 

「各地への〈伝言(メッセージ)〉を任せる。魔導王陛下──いや、ナザリック地下大墳墓との連絡もかねて、だ」

「かしこまりました。謹んで、務めを果たしましょうぞ」

 

 ニッコリと微笑む三重魔法詠唱者(トライアッド)に対し、ジルクニフは鼻を鳴らして応えた。

 

 

 

 ・

 

 

 

 魔導国。

 カルネ村。

 赤毛のメイドは、掌を(ひさし)のようにしながら、夜空だった空間を見上げている。

 

「いんやー、なんすかねー、アレ?」

「え……ルプスレギナさんも、あれ、知らないん、ですか?」

「んー。似たようなのは魔法でもいくつかあるっすけどね、私はほら、神官っすから。死霊系魔法に関しては門外漢もいいとこなんすよねー?」

「そ、そうなんですか」

 

 異変に気付いて起き上がってきた村人やルーン工房のドワーフたちと共に、護衛のゴブリンに周囲を護られたエンリ──カルネ村の長を務める少女は、赤毛のメイドと視線の先を揃えて、そこにある紅蓮の螺旋を見上げている。眠気眼をこするネムまで外のざわめきを聞きつけて、ゴブリンたちに付き添われながら、エンリの膝に縋り寄ってくるほどの、これは異常事態であった。

 

「それに、ナザリックから届く報告だと、エ・ランテルやカッツェ平野でも、同時多発的に起こってるみたいっすねー。──これだけ大規模かつ広範囲を覆う魔法というのは、私に与えられた知識だと記憶にない──この世界独自のもの、というアインズ様のご推測が正しい、ということかしら?」

 

 宝石のように丸かった瞳に、肉食獣めいた鋭い眼光を閃かせながら、メイドは物思いにふける。

 ちなみに、ルプスレギナがこの村を訪れたのは、ンフィーレアが量産体制を確立したポーションをナザリックに運搬する務めのためだったらしく、納品を終えたポーション職人の二人は、深い眠りに落ちていた。あれだけ仕事で頑張った後に叩き起こしてしまっては可哀そうだと思い、家に残してきたが──いや、さすがに、これほどの天変地異では、起こして逃げる準備したほうがいいのではあるまいか。だが、ルプスレギナは「たぶん大丈夫っすよ」っと、いつもの調子でエンリに付き添ってくれる。

 それにしても──

 

「あれ? でも、なんで、ルプスレギナさんは、あれが“しりょうけい”魔法だってわかるんです?」

「んあー、そこは、あれっす。“獣の勘”ってヤツっす」

「? 獣の? んん?」

 

 エンリは首を傾げつつ、怯え震える妹の頭を撫でながら、赤い螺旋を見上げることしかできない。

 そんな彼女たちの村にいる死の騎士(デス・ナイト)たちは、警邏のために歩くことはおろか、盾を構えることもなく、呆然と突っ立っているだけなのが、気がかりと言えば気がかりだった。

 ルプスレギナは赤く染まった月夜に、牙をむいて微笑む。

 

「──いざという時は、ちゃんとお仕事しないとね」

 

 

 

 ・

 

 

 

 アゼルリシア山脈。

 ドワーフの国。

 

「こりゃあ……なんじゃ?」

 

 魔導王の訪問から端を発した諸問題の解決により、今やアゼルリシア山脈の全域は、ドワーフの所有地と言っても過言ではなくなった。

 敵対種族であった土堀獣人──クアゴアとの和解と共存。

 そして、最大の厄種であった霜の竜(フロスト・ドラゴン)霜の巨人(フロスト・ジャイアント)が、魔導王の手によって懐柔と隷従を余儀なくされたことで、勢力図は一変。

 ドワーフにとって危険極まりない存在が駆逐され、魔導国という絶対者の旗の下に収められた今現在、彼らはドワーフたちと友好な関係を築くしかないのだ。

 なかでも、クアゴアたちが何故か数を激減され、魔導王陛下に忠誠を誓うようになって以降、彼らは良い鉱山夫として、ドワーフたちに良質な鉱石を届けてくれる。ドワーフでは生き埋めや雪白(アラバスター)病に遭いかねない危険な鉱脈も、彼ら亜人の特性を駆使すれば、生還することは容易。ドワーフの穴掘りたちは比較的危険の少ない場所で、貴金属の抽出や鍛冶仕事、宝石の削り出しや加工などに集中できる。そして、クアゴアたちは労働に見合った給金と食料を受け取る。互いが互いに補い合う共生関係を築き上げることができたのだ。

 おかげで、開発と掘削が止まった南のフェオ・ライゾなどにもドワーフたちは都市を再建し、良質な金属や宝石を生産することに成功。それを、主な貿易先として魔導国に卸して久しい時が流れている。輸送手段についても、魔導王陛下に忠実な奴隷と化した霜の竜(フロスト・ドラゴン)であれば、吹雪の山脈だろうと荷物を抱えて飛んでいけるのである。

 そして、そんなドワーフやクアゴアたちをサポートするのが、魔導国より派遣されたアンデッドの骸骨(スケルトン)死の騎士(デス・ナイト)たち……なのだが、

 

「この、地面に奔る、赤い、光は?」

「溶岩、なわきゃないわな。まったく熱くないし?」

「第一、ラッパスレア山と繋がっとった転移門は、魔導国がいい感じに閉鎖してくれたじゃろ?」

「これは、なんかの魔法か、アイテムか? それにしても、なんで、魔導王のスケルトンたちは動かないんじゃ?」

 

 地下都市のドワーフたちは首を傾げ続ける。

 地中に住まう彼らは、夜空を覆う真紅の螺旋を見ることはない。

 

 外にいる山岳警備兵たちのみが、その異常事態を把握しつつ、そのどうしようもなさに圧倒され、何もできないでいた。

 

 

 

 ・

 

 

 聖王国。

 都市カリンシャ。

 

「こ、これは、──この赤い光は、いったい?」

 

 ネイア・バラハは、亜人連合と、それを率いる魔皇ヤルダバオトによって破壊された聖王国の復興に尽力すると共に、聖王国の解放に尽くしてくれた最大の功労者──アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下への感謝と賛辞を世に広める活動にかかりきりであった。

 本音を言えば、魔導王陛下の膝元たるエ・ランテルに居を移したいほどに崇拝しているが、彼が聖王国の復興と、良好な関係を結びたいという思いを受け取り、一日も早く聖王国を再建し、かの王に恥じることない姿を取り戻す日まで、この国で出来る限りのことをしようと、試み続けてきた。

 そんな折に、とても嬉しい再会を果たしたのが、つい昨日のこと。

 

「…………私にはわからない」

 

 シズ先輩だ。

 魔導王陛下から派遣されてくる、復興のための人員──骸骨(スケルトン)などアンデッドの労働者兵団を率いて、メイド悪魔でありながらも魔導王陛下に忠烈を誓うネイアの先輩が、足を運んできてくれたのだ。

 本人は「…………遊びに来た」と言っていたが、その言葉の裏には、国の復興に力を尽くすネイアへの思いが見え隠れしているようだった。

 シズは魔導王陛下からの手紙──親書を、正式に即位したカスポンド聖王──ネイアの最大の支援者へ届ける使節の一員として派遣されたらしい。その際、アインズ・ウール・ゴウンその人から「友人に会ってきなさい」とも言われたという。

 その話を聞いたネイアは天にも昇る気持ちであった。

 二人の心遣いが身にしみるのを実感した。

 慣れないながらもシズの道案内を務め、飲食には興味を示さないシズのために、かわいい雑貨などが売られている商店に連れて行きもした。「…………おみやげにする」と木彫りの人形を数個ほど選んでいた姿が、とても印象に残っている。無論、代金はすべてネイアが払った。シズ先輩にも、はかり知れない恩義がある。

 直後シズ先輩は「…………ネイアも、いつかナザリックに来たら、お土産あげる」といっていたが……魔導国ではなくナザリックという単語が、少々解せなかった。

 そして、

 今。

 

「と、とにかく、シズ先輩だけでも、安全なところに!」

 

 転移の魔法などを使えば、シズの住まいとなった魔導国に、一発で到達できるはず。

 しかし、ネイアよりも年下に見える華奢で美麗なメイドは、その首を横に振るだけ。

 

「…………私は大丈夫。それよりも、ネイアに何かあるのは、だめ」

「しかし!」

「…………『友達は大事にしなさい』って、アインズ様が言ってた」

 

 ネイアは感激に打ち震えつつも、異様な天変地異のごとき朱色を、螺旋を描く夜空を、睨み据えることしかできない。

 

「…………あと、デミウルゴス様に頼まれてた“おつかい”も終わってるし。たぶん大丈夫」

 

 

 

 ・

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国。

 王都。

 

「! ──なんだ?」

 

 クライムは浅い眠りから目覚め、寝台の上から跳ね起きた。

 じわりと脳の奥に浸透する、奇妙な気配。

 何か得体の知れぬモノが……不吉な感情をもたらすモノが、大量に地を這い、空を蝗害のごとく覆うような、言いようのない掻痒感。

 身支度する間もなく、部屋の窓から外を窺う。月夜の下で同じように異変に気付いた衛兵たちが緊張と不安と恐怖に歪んだ声をあげている──そんな光景も目に飛び込まないほど、異様な景色。

 

「赤い、……光?」

 

 それは、鮮血を浴びたかのごとき光の柱。

 遠方に見える異常事態の出所を、方角的に直感した。

 

「あちらは、リ・ロベルと、エ・アセナルの方角……まさか邪神教団、ズーラーノーンが何か?!」

 

 クライムは眠気の完全に吹き飛んだ眼で、すぐさま鎧や剣など最低限の武装を整える。

 主人からの命令はなくても、判断は一瞬だった。

 なにか、とても嫌なことが、恐ろしいことが起ころうとしている。

 それだけ判れば充分であった。

 

「くそ!」

 

 これまでで最も手早く着替えをすませたクライムは、一目散にラナーの眠っている王女の寝室を目指す。

 ラナーはもうお休みになっているはず。

 それならばいい。

 このような光景を前に、恐れ震える王女の姿を思うだけで、クライムも心臓が凍りそうになる。

 愛する主人が、愛しい女性が、この世の終わりとも見紛う遠景を前にして、どれほどの衝撃と畏怖に苛まれていることか。

 自分がそばにいてやらねばならない。

 階段をのぼり、渡り廊下を走る内に、クライムはさらなる異変に気付く。

 

「あ、あちらは、エ・ランテルの方角…………、か?」

 

 クライムが疑念と畏怖の大きさで足を止めてしまった。

 無理もない。

 彼が見た方角からは、リ・ロベルやエ・アセナルとは比べようもない程に大きな紅蓮の渦が、螺旋の軌道を夜空に立ち昇らせていた。

 

 クライムは直感した。

 あれは……「死」そのもの。

 生命が忌避してやまない何かが、赤い光となって、地上に顕現した姿に相違なかった。

 

 

 

 

 一方で。

 ラナーは、その光景を眺めながら、忠実でかわいらしい仔犬(クライム)が駆け込んでくれる時を、今か今かと愉しみながら、ベッドの上で待っていた。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 数分前。

 

 死の城。中枢の大広間。

 紅蓮に輝く大陸図の上で、大がかりな儀式を進めるローブ姿の魔法使いが、この地に降り立った絶対者たちに対して微笑みまじりに挨拶を交わす。

 

「ようこそ。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、そして英雄モモン殿」

 

 大階段を降りてきた人物らに対し(うやうや)しく、演者のごとく大仰に(こうべ)を垂れるズーラーノーンの副盟主に対し、アインズは静かな歩調と口調で応える。

 

「ふむ。……招待された覚えはないが?」

「はは。確かに。ご招待しようと我等から赴く前に、王陛下自ら御足労をおかけしたことは痛切の極み。どうかご容赦の程を」

「……招待?」

 

 疑問の声をあげたのは、漆黒の全身鎧を身に纏う英雄・モモン……その傍らに侍る、漆黒の美姫だ。

 

「貴様のような秘密結社の盟主ごときが、魔導国の王を招待できるほどの器だと?」

「ナーベ」

 

 主人たるモモンに諫められ、ナーベは(こうべ)を垂れて一歩をさがる。

 

「漆黒の美姫殿──ここにいる私は“副盟主”にすぎません。“盟主”などと、そのようにお間違えることなきよう、お願いいたします」

 

 モモンは不敵な微笑をうかべたままの副盟主に対し、己の疑心を率直に表す。

 

「しかし、ナーベの言うことも確かだ。魔導王はアンデッドの王だが、今や帝国やドワーフの国や聖王国などと友誼を結ぶ国……魔導国の宗主だ。それほどの存在が、たかだか裏組織の秘密結社ごときを相手にすると? 本気で思っているのか?」

 

 副盟主は首肯で応じつつも、モモンたちへの礼節を示しながら、

 

「貴殿の相手をするのは、さすがに飽いた……ドラゴン・ゾンビたち」

 

 呻き、喚き、吠え散らす竜の動く死体たちに命じて、漆黒の英雄と美姫を一斉に取り囲んだ。

 ヘッケランたちを潰し留める死竜たちのほかにも伏兵がいたのだ。

 死の大水晶が明滅する端から、さらにもう十体──計十五体──不死者と化した竜共が召喚されていく。これほどの物量を召喚し従属させる魔法詠唱者というのは、英雄の領域を軽く飛び越えている。アルシェの魔眼で正確な位階を把握したいところであるが、今、儀式の大陸図に捕らわれている身の少女に、ハンドサインを送るほどの余力は望めない。

 副盟主は召喚したモンスターたちに命じる。

 

「ここで暴れられるのは迷惑千万──城外の無限の陥穽(かんせい)で、相手をせよ」

 

 召喚主の命令に忠実なドラゴン・ゾンビたちが、モモンとナーベをあっと言う間に追い立てていく。

 あの巨体からは想像もできない敏捷性と精密動作によって、魔導国の最高位冒険者たちは、大広間の大窓を蹴破るように、城の外へと弾き出された。

 無論、副盟主によって悉く拘束されているフォーサイトには、助勢に向かうことは不可能である。

 

「さて」

 

 微笑む男は居住まいをただし、視線の先に魔導王ただ一人──護衛の失せた王を見据えて、述べる。

 

「魔導王陛下。あなた様の御高名をかねてより。何しろ、王国軍の大虐殺から始まり、建国からわずかの間に、同盟者であったはずのバハルス帝国を属国化、ドワーフの国を脅かせし霜の竜(フロスト・ドラゴン)らを即日隷従、さらには聖王国に巣食いし魔皇ヤルダバオトの討滅と、近年稀にみる強大な力の持ち主でございます」

「ふむ。おだてられても何も出せないが──せめて、安らかな死を与えるくらいの慈悲は、かけるとしよう」

 

 魔導王は厳粛な声音で告げる。

 

「我が冒険者たち──そこにいるフォーサイトから得られた情報で、君が我が魔導国を巻き込んで、何か大掛かりな事業を、儀式めいたものを遂行する腹積もりなのは、承知している」

「おおお。それは何より!」

「──しかし、だ。

 我が国と、周辺諸国を巻き込んで、そのような暴挙が執り行われようとしている情報を得た以上、このまま黙って座視を決め込むわけにはいかない」

 

 圧倒的な不死者のオーラを纏いながら、死の宣告者は一歩を踏み出す。

 

「貴様はここで、私自らの手で討ち果たすとしよう」

「ふふふふふ」

 

 アインズ・ウール・ゴウンは歩みを止めない。

 まさに、刻一刻と迫りくる死そのものという風情で。

 そんな超越者と副盟主のやりとりを眺めるヘッケランは、

 

『…、…………?』

「あ?」

 

 奇妙な現象に苛まれる。

 既視感めいた何か──より具体的には、奇妙な“映像”が、己の視界を遮った。

 

『馬鹿な。拘束無効化、〈自由(フリーダム)〉の魔法が効かないだと──これは?』

「……な? え?」

 

 起こったことが何なのか。すぐに理解することは不可能だった。

 ヘッケランが目を凝らす先で歩を進めるアンデッドの王──その姿に、何か奇妙な映像がかぶさってくる。

 

『──麻痺しか使わないのであれば〈不死者の接触(タッチ・オブ・アンデス)〉は少し勿体なかったか?──』

 

 それは、まるで走馬灯のように、見えている「今」が、整合性を失う。

 先ほど、十二高弟(シモーヌ)の手から受けた魔法の影響が残っているというのか。

 ……自分が、自分たちの属する王と、どこかの闘技場で戦っている光景がフラッシュバックする。

 

『──抵抗すると良い──』『──より絶望を──』『──それでは次は誰かな?──』

 

 本当に何だというのだ、これは。

 目が()かれてしまったのか。

 ぐちゃぐちゃに溶け合う時間と世界。

 何故、自分(ヘッケラン)魔導王(アインズ)が争っている?

 必死に頭を振って、本当の現実を、目の前の光景を直視する。

 そうすると、浮かび上がってくるのは、階段を降りていく魔導王が歩む先に、魔導王が既に階段を降りている(・・・・・・・・・・)という、奇怪な光景。

 

「な、ん、だ、──これ?」

 

 ここでの戦いにおいて、異様に良くなっていった視力と視界で──像が、影が、目の前で起こっていることが、二重(ダブ)って見える。ヘッケランは、酷い頭痛と眩暈に襲われる。先ほども、これと似たような、しかし、何か違うものを、視た。観た。見ていた。

 十二高弟が発動した魔法──シモーヌの掌──〈不死者の接触(タッチ・オブ・アンデス)〉を差し向けられた時。

 その時に見えたのだ──アインズ・ウール・ゴウンに蹂躙される、自分の光景。

 脳裏を焼き尽くすかのごとき凄烈な光景──にわかにはとても信じ難い、現実。

 過去と未来が混交した、ヘッケランだけが見ることができた──瞳の中の世界。

 

「ま……まずい」

 

 自分が見ているものが何なのか、何故アインズとヘッケランが戦っているのかは不明瞭を極めた。

 だが、これが、この見えている映像が、現実に起こることだけは、容認できない。

 

「だ、め、だ──“それ以上、進むな”!」

 

 階段を降りるアインズ・ウール・ゴウンに懇願の声を送る。

 ヘッケランは、自分を拘束するドラゴン・ゾンビの下で、文字通り足掻いた。

 肺にある空気をすべて費やす勢いで、警告の大音声を吐き飛ばす。

 

「“捕まっちまうぞ、魔導王陛下”!」

「? なに?」

 

 アインズは応えてくれたが──遅かった。

 魔導王のつま先が、紅蓮の大陸図に──儀式の魔法陣に、触れる。

 刹那、

 赤い光が、閃光の糸が、大儀式の紋様が、アインズ・ウール・ゴウンの足許を照らし出す。

 

「な、なんだと?」

 

 着火したような紅蓮の輝き。

 精密に緻密に描かれた魔法陣の捕縛力で、アインズの全身が硬直を余儀なくされた。

 アンデッドの体躯を、装備品を、火で出来たように輝く線が、絡みつき纏わりつき、魔導王の総体が凍り付く。

 同時に、

 

「く、──あ!」

「なに、コレ!」

 

 大陸図のマーキングポイントにいる女冒険者二名にも、魔導王にかけられたのと同色の拘束具が。

 

「っ、アルシェ! イミーナッ!!」

「二人とも! いったい、何が起こって?!」

「テメェ、副盟主! 何をやりやがったぁッ!!」

 

 ヘッケランやロバーデイク、クレマンティーヌの怒号に、儀式の発動者は一切応じる気配がない。

 さらに、アルシェたちのみならず、王国の端のポイントに安置されたラキュースをはじめ、儀式のために気絶され運搬された人間や亜人たちにも、激痛と苦悶を伴う何かが、触手のごとく四肢と胴体を固縛していく。

 それは、まるで、アンデッドである魔導王アインズと、生者である生贄の乙女たちを結ぶ──数条の、鎖。

 死者と生者を結ぶ、赤い鉄線。

 拘束されたアインズは首を傾げることもできない。

 装備しているアイテムで、拘束や封印などとは無縁のはずの魔導王が、指先ひとつ、動かせない。

 それが甚だ解せないようだったのは、アインズ本人だ。

 

「馬鹿な。拘束無効化、〈自由(フリーダム)〉の魔法が効かないだと──これは?」

 

 一言一句、ヘッケランが見た光景と同じ言葉──その事実に慄然とする間もなく、大きな笑い声が広間の中央から轟いた。

 

「ふッはははははハハハハハハ! は、ハーハハハハははははッ!

 いやはや綺麗に引っかかってくれたものだな! このマヌケが!」

 

 罠にかかった獲物を打擲する声音を浴びて──しかし、アインズは一歩どころか、一指たりとも動かせない。

 それでも、アンデッドの火の瞳は、己を捕縛した罠の様子を探るように、紅蓮に煌めく大陸図を眺め続けた。

 

「まさか、ワールド・アイテム──いいや、それならば同じアイテムを有する俺には通じないはず──これは、まったく、別の?」

 

 解答を欲している求道者に語りかけるべく、魔導王を捕らえた下手人は誇るように、讃えるように、己の手管を歌い始める。

 

「これは! 我が父の代より受け継がれし秘宝中の秘宝──かのアーグランドの永久評議員や竜帝たちとは“目標(しるべ)を異にした”悪しき竜王たちの遺産──死者を捕らえる『朽ちはてし棺』を起点とする大儀式だ!

 貴様がどれほど強大なアンデッドであろうとも、この術式は完全にとらえ、捕縛する! 否! むしろ、強力なアンデッドであればあるほど、この魔法は強固に頑健に、絶対的に働くのだよ!」

 

 高らかに吠える副盟主に対し、

 

「悪しき竜王……我が父……竜王、だと?」

 

 アインズは慌てることなく、いっそ不気味なほど冷厳な口調で情報を質す。

 

「では。まさか。おまえの正体は」

「ふふはははは! ──ご明察!」

 

 副盟主は、漆黒のローブ……頭を覆いつくしていたフードを脱ぎ払ってみせた。

 黒に、僅か銀色の混ざる前髪の間にある、両の瞳。

 そこに刻まれた造形は、通常人類のそれとは一線を画すもの。

 蛇や蜥蜴のそれに近似した、爬虫類じみた細長い虹彩が、蜘蛛の巣にがんじ絡めにされた蝶か蛾のごとき魔導王の姿を捉える。

 

「私は──否──我は、500年の時を生きる(ドラゴン)──そして、父たち一族から放逐された、最低最悪(できそこない)の落伍者」

 

 告げる間にも、副盟主の人体はローブが脱げ落ち、別の生き物の骨格と形状を構築していく。

 アルシェの父による凶刃──ガラスナイフが通らなかったのも、当然といえば当然という姿。

 

 隆起した鋼の筋肉。

 雄々しく揺れる尻尾。

 全身を覆う漆黒の竜鱗。

 竜の瞳と牙と顎と爪と翼と──(しろがね)の四本角。

 その全長は、成竜のそれとは呼べないほどに小さく幼い──できそこない──だが、溢れ出る魔力と気迫は、数百年の重みを周囲の空間にたぎらせていた。

 

 黒と銀に覆われた竜。

 齢500を超える、幼い竜。

 人に化けていた、小さな竜。

 

 それが、ズーラーノーン副盟主の正体であったのだ。

 広間に描かれた大陸図の中央──魔導国を踏みつけにする黒竜が、吼える。

 

「さぁ──生贄の皿は満たされたぞ!

 我が救い主である盟主──彼女のために(・・・・・・)、ここにすべてを準備した!

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王──貴様の存在──貴様の全兵力──魔導国と周辺諸国の全“魂”──この私が、すべて利用させてもらう!」

 

 黒き幼竜は、鋭い牙の列を剥き出しにしながら、暴悪に過ぎる嗤笑(ししょう)と共に、儀式を発動させた。

 

 

始原の魔法(ワイルド・マジック)────《■■》!!」

 

 

 そうして。

 大陸に、諸国に、魔導国を中心とする一帯に、

 真紅の螺旋と深紅の線点──「生」と「死」を呑みこみ、あらゆる魂を等しく“贄”とする術式が、

 

 

 刻まれた。

 

 

 

 

 

 

 




次回「誤算と脅威」
明日更新予定

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