【完結】The elder scrolls V’ skyrim ハウリングソウル 作:cadet
アルバの企みの証拠となる日記を手に、健人は首長の家を訪れ、モーサルの首長であるイドグロッド・レイブンクローンに謁見していた。
健人から渡されたアルバの日記を読み、イドグロッド首長は大きく溜息を吐く。
イドグロッド首長は歳を召した老婆であるが、その眼光は鋭く、首長の地位を背負うだけの意志の強さが垣間見える女性だった。
「アルバが犯人だったとはねえ。それで、フロガーはどうしたんだい?」
「アルバの家にはいませんでした。おそらくアルバと一緒に逃げたか、それとも殺されたか……」
しばしの間、玉座にて瞑目し、沈黙していた首長だが、やがて意を決したように健人に視線を向けた。
「ねえ、もう一つ頼みを聞いてくれるかい?」
「頼み、ですか?」
「モーサルはまだ危険な状態だ。モヴァルスは前世期に死んだとされているが、どうやら生きていたらしいねえ」
イドグロッド首長によれば、モヴァルスは二百年以上前から生きている吸血鬼で“不死の血”と呼ばれる昔の書物に出てくるほどの危険な化け物らしい。
「それで、腕の立つ戦士を集めてモヴァルスの隠れ家を一掃させる。それについて行って、力を貸してほしいのさ」
「しかし、俺はそれほど腕は立ちませんよ?」
「そんな事はないだろう? こんな狭い街だ。アンタが街のはずれですさまじく強い剣士を相手に、信じられないほど辛い鍛練をしていることは、知っているさ」
モーサルは閉鎖的な街だ。
さすがに、よそ者の話は広まるのが早い。
それにしても、一介の街人だけでなく、ホールドの首長まで知っているのは、流石田舎という事だろうか。
娯楽や話題の乏しいこの街では、異邦人である健人は、話の種にもってこいだったのかもしれない。
「何のためにそれほど辛い鍛練をしていのかは分からないが、力になってくれないか? むろん、できる限りの報酬は約束しよう」
「……分かりました」
悲壮な瞳で頼み込んでくるイドグロッド首長に、健人はしばらく考え込んだ後、小さく頷いた。
話が大きくなってきたが、これからしばらくはモーサルに留まる身なのだ。
滞在中に吸血鬼に襲われるなど、ご免である。
何より、健人の脳裏に、ヘルギの最後の言葉が過っていた。
寂しさと安堵を醸しながらも、ようやく眠ることができた女の子。その安息ぐらい、守ってやりたいと思ったのだ。
「ヴァルディマー」
「はい首長」
首長に呼ばれ、一人の屈強なノルドの男性が現れた。
蓄えた髭と禿げ上がった頭が特徴的で、毛皮と鋼鉄の鎧に身を包んでいる。
腰にはメイス背中には盾を背負っており、力強い眼光を放つ瞳が、この男性もまた一角の戦士であることを窺わせる。
「彼はヴァルディマー。モーサルでも腕の立つ戦士の一人だよ。ヴァルディマー、この青年と協力して、吸血鬼モヴァルスを討伐しなさい」
「了解しました、首長。異邦の戦士よ、よろしく頼む」
「戦士……というには未熟者ですけど、こちらこそよろしく」
ヴァルディマーが差し出してきた手を、健人は握り返す。
その時、玄関の扉が開かれ、ソンニールが入ってきた。
彼は木の伐採で使っていたと思われる斧を持っている。
「ラレッテは死んだ。妻の為に敵を討ちたい! ラレッテの復讐を!」
「首長」
「行かせておやり。このままでは彼も収まりがつかないだろうからね。ただ、もう一人、討伐に参加してもらう。ファリオンを連れて行きなさい」
「ファリオンを、ですか?」
「ああ、彼は優秀な魔術師だ。吸血鬼のことにつても詳しい。力になるだろう」
話によると、このファリオンというのが、錬金術師のラミの言っていた怪しい魔術師らしい。
しかし、イドグロットはこの魔術師に信頼を置いている様子だった。
健人としても、腕の立つ魔術師の協力は必要であるし、何よりも人手が欲しい。
夜中に首長の家に呼び出されたファリオンは不満そうだったが、事の次第を聞いてすぐに吸血鬼退治を了承した。
そして健人とヴァルディマー、ソンニールとファリオンの四人は、吸血鬼退治のために、闇夜の中、モーサルを後にした。
健人、ヴァルディマー、ファリオン、ソンニールの4人はモーサルの湿原を超え、モヴァルスの隠れ家と思われる洞窟までやってきていた。
夜はまだ明けていないが、東の空がうっすらと明るくなり始めている。
「そろそろ夜明けだ。吸血鬼共にとっては、鬼門の時間だ」
健人達に同行したファリオンが呟く。
彼はスカイリムでは珍しい、レッドガードの魔術師だ。
南方出身の種族らしく、浅黒い肌が特徴的な男性だ。
驚くことに、健人がお世話になっている宿屋ムーアサイドの女店主、ジョナと姉弟らしい。
召喚魔法を身に着けているらしく、少しでも力になればと、首長が協力するよう要請したのだ。
「分かりました。皆さん、これを」
健人は取り出した薬を、ヴァルディマー達に渡す。
「これは?」
「体力とスタミナを向上させてくれる薬です。相手は吸血鬼ですから、念のため……」
渡したのは、健人がラミの店で錬成した薬だ。
これから戦いに行くのだから、できるだけの備えは必要と思い、持ってきたものだ。
ヴァルディマーとソンニールは納得し、健人の薬を手に取って嚥下する。
ファリオンはしばらくの間、しげしげと健人の作った薬を眺めていたが、やがて頷くと、小瓶の蓋を開けて一気に飲み干した。
「ほう、悪くない薬だな」
「ありがとうございます。それじゃあ、行きましょう」
健人が先頭になって、洞窟の入り口をくぐる。
洞窟は入るとすぐに大きな縦穴になっていて、木製の階段が縦穴の底まで続いている。
暗い底を覗き込んでみると、健人の目に縦穴の底で動く影が映った。
「あれは、クモか」
「フロストバイト・スパイダーだな。強力な毒を持っていて、噛まれると凍傷になったような激しい痛みに襲われるぞ」
フロストバイト・スパイダーは、スカイリムの森で時折見かける巨大蜘蛛だ。
普段はこうした洞窟に巣を作り、籠っているが、時折餌を求めて外を徘徊し、旅人などが鉢合わせることがある。
肉食性の蜘蛛で性格は獰猛。スカイリムでも危険な動物の一種に数えられている。
幸い、縦穴の底にいるのは一体だけ。
健人とヴァルディマーは背負った弓を取出し、矢を番えた。
上から大蜘蛛の頭に狙いをつけて、矢を放つ。
二人が放った矢は大蜘蛛の頭に直撃。ギイイイ! と耳障りな悲鳴を上げ、絶命した。
「よし、先へ行きましょう……」
縦穴を降り、先へ進もうとするヴァルディマー達。
しかし、健人が自分が仕留めた大蜘蛛の前で立ち止った。
「ケント殿、どうしました?」
「これは毒を持っているって言いましたよね。どこにあるんですか?」
「口の中にある牙、その根元に毒腺があるが……」
「少し待ってください。毒を持って行きます」
ファリオンが指摘すると、健人は短剣を取り出してフロストバイト・スパイダーの牙の根元に、短剣を突き立てた。
外殻に沿って短剣を入れ、支えとなる筋肉を切断すると、牙は思ったよりも簡単に取れた。
取れた牙の根元には、袋状の器官がついている。
健人はその袋を短剣で慎重に牙から取り外し、毒液を先ほど中身を飲んで空いていた小瓶に詰めた。
「よし、ヴァルディマーさん、矢を」
そして、ヴァルディマーと自分が持っている矢の矢尻に、今採取したばかりの毒液を塗りたくる。
フロストバイト・スパイダーの毒がどのような分類に属し、どの位の毒性があるのかは健人には分からないが、蜘蛛は基本的に、自分よりも小さな生物を狩り、餌とする。
その為に使われる毒なら、フロストバイト・スパイダーと同じ、やや小さい人間にも有効だろうと考えたのだ。
しばらく先に進むと、炎が揺らめく明かりとともに、見張りをしていると思われる人影が姿を現した。
見張りは武装しており、革製の鎧と片手剣を腰からぶら下げている。
「あれは、吸血鬼ですか?」
「いや、おそらくは吸血鬼に仕える従徒だ。奴隷として飼われた人間だよ」
吸血鬼は人にとっては恐ろしい化け物ではあるが、同時にその強大な力に魅せられる人間もまた存在する。
そんな人間は自らを吸血鬼にしてもらうために、吸血鬼の奴隷となり、仕えるのだそうだ。
ヴァルディマーが無言で弓を構え、矢を放つ。
「ぐあ!」
放たれた矢が喉に突き刺さり、矢じりに塗られていた毒が従徒の体を侵す。
吸血鬼の従徒はゴプリと血を吐き、蹲ってビクビクと痙攣し始めた。
まだ生きているようだが、喉を毒に犯された所為で声を出すことが出来なくなっている。
ヴァルディマーが痙攣している吸血鬼の従徒の元に歩み寄り、メイスで頭を潰してとどめを刺す。
「吸血鬼の従徒は、身も心も吸血鬼に魅入られている。殺した方が後腐れはない」
割り切ったようなファリオンの言葉が、健人の耳に響く。
しばらく先に進むと、今度は広間に出た。
広間の中央には穴が掘られ、中には人間と思われる無数の死体が放り込まれている。
「この死体の山……」
「吸血鬼の犠牲者だな」
どうやらここは、吸血鬼のゴミ捨て場らしい。
穴の中の遺体は皆、恐怖と苦悶に満ちた表情で血の気の失った死に顔を晒している。
しかも、穴の中にいる死体は女性が多く、着ている服装などからも、戦士や盗賊でない一般人だと推察できた。
健人の胸に、言いようのない憤りが蘇る。
「これ以上犠牲を出さないためにも、先を急ぎましょう」
健人はモヴァルスを知らない。
イドグロッド首長の言っていた書籍“不死の血”に書かれている内容は、本を首長から見せてもらって一通り頭に入れたが、あくまで二百年も前のものだ。
吸血鬼が化け物である実感が薄い日本人であっても、これだけの数の死体を目の当たりにすれば、ここにいる吸血鬼を放置した場合、モーサルがどんな運命を迎えてしまうのかは容易に想像がついた。
健人は表情を引き締め、先に続く通路を進む。
通路はやがて、二又のY字路に突き当たった。
「道が分かれているな」
左側の道は狭く、右側は広い。おそらく右側の道が最奥への道と思われるが、左側の道の先からは明かりが漏れており、人がいる痕跡が確認できる。
「私とソンニールで左を行く。そちらの二人は右へ行け」
「大丈夫ですか? 相手が強力な吸血鬼であることを考えたら、戦力の分散は悪手じゃ……」
ファリオンがここで二手に分かれることを提案してくる。
健人がファリオンの提案に、難しい表情を浮かべた。戦力の低下を懸念してのことだ。
「心配するな。私は召喚術師だ。手足となる眷属は自分で呼べる。
何より、探索に穴を空けて、モヴァルスに逃げられる事こそ避けたい。
それに、ヴァルディマーも魔術師だ。イザという時は、派手な音が出る魔法を使えば直ぐに分かる」
「……分かりました。気を付けてください」
モヴァルスは二百年以上生きているが、それは彼が強力な吸血鬼であると同時に、狡猾で用心深いという事でもある。
自分の存在が露呈した今、反撃ではなく逃走を選ぶ可能性もある。
健人もファリオンの懸念を理解し、ここで二手に分かれることにした。
ファリオン達と別れてからしばらく先に進むと、ひときわ大きな広間に行きついた。
漂ってくる鉄臭さに、健人は鼻を抑えた。
中央には大きな長テーブルが置かれ、テーブルの上には食事を並べる大皿が並び、さながら貴族のダイニングルームのような印象を抱かせる。
しかし、皿の上の食事は、おおよそまともな人間が食するようなものではなかった。
血の滴る腕や足、内臓や肋骨などが盛り付けられていたのだ。
そんな凄惨な卓上の奥、ひときわ大きな椅子に腰かける大柄な人影があった。
「あれを……。誰かいますね」
「モヴァルスですか?」
「おそらく……。それに、隣にいるのはアルバで間違いないようですね」
黒と紅を基調とした服を身に纏ったモヴァルスと思われる人物。
その隣には、モーサルで暗躍していたアルバの姿もある。
「アルバ、失態だな」
「申し訳ありません、モヴァルス様」
モヴァルスは頭を下げて許しを請うアルバに視線すら返さない。
トントンと椅子の肘を指で叩いていることから、かなり苛立っている様子が見える。
「予定が変わった。手勢を作れなかった以上、このアジトは引き払う。準備はしておけ。お前がモーサルから連れて来た男はどうした?」
「縛り上げて監禁しています」
「殺せ。足手まといだ」
「はい」
淀みなく返答を返したアルバが、部屋から出ていく。
おそらくはモーサルから連れてきた男、フロガーを始末しに行くのだろう。
モヴァルスはアルバの背中を見送ると、テーブルの上に置かれた杯の中身を煽り、溜息を吐き、洞窟の天井を見上げた。
その様子を見ていた健人とヴァルディマーは互いに頷き、そっと広間に侵入して左右に分かれ、それぞれ手近にあった岩の陰に隠れた。
今、この洞窟の広間にいるのはモヴァルス一人。人の気配はほとんどない。
先のアルバとの会話や日記の内容から察するに、ラレッテを使ってモーサルの衛兵を吸血鬼に変え、ここに呼ぶつもりだったのだろうが、まだ手勢を作れてはいない様子だった。
なら、ここでモヴァルスを倒せば、この事件は解決する。
しかし、奇襲をするには位置が悪い。
健人たちが隠れている岩陰は、モルヴァスのちょうど正面に位置しているからだ。
健人とヴァルディマーは暗い岩陰に身をひそめながら、機会を窺う。
そしてその機会は、思った以上に早く訪れた。
ガシャン!
何かが割れる音とともに、アルバが出て行った先から、怒号と喧騒が聞こえてきた。
おそらく、二手に分かれていたファリオン達が、アルバと交戦状態になったのだろう。
「なんだ!」
騒音を聞きつけたモヴァルスの意識が、通路の穴に向けられる。
次の瞬間、健人とヴァルディマーは動いた。
「今!」
健人が素早く身を乗り出し、矢を放つ。
ヴァルディマーはアイススパイクの魔法を詠唱。左手に氷柱を作り出し、モヴァルス向けて撃ち出した。
矢と氷柱は正確にモヴァルスを捉えていた。一直線に目標に向かい着弾する。
だが次の瞬間、矢はモヴァルスの手につかみ取られ、氷柱は半透明の膜に阻まれて砕け散った。
続いて、紫電が舞い散った氷片の霧を切り裂き、ヴァルディマーへ向けて疾走してきた。
「うわ!」
「ぐっ!」
ヴァルディマーは盾を掲げ、紫電を受け止める。
雷が走ってきた先には、掴み取った矢をへし折るモヴァルスの姿があった。
「ち、障壁か!」
「バカめ! 貴様らの不意打ちなど、とうに察していたわ」
吸血鬼は暗闇に生きる種族。そんなモヴァルスにとって、暗がりに身を隠した健人たちを見つけることなど造作もなかった。
モヴァルスの紫電は途切れることなく、ヴァルディマーに叩きつけられ続ける。
吸血鬼であるモヴァルスの魔法は、ヴァルディマーと比べても強力だった。
モヴァルスが、雷の魔法にさらなる魔力を注ぎ込む。
紫電が勢いを増し、ヴァルディマーの盾を食い破ろうとしてくる。
ヴァルディマーは障壁魔法である“魔力の盾”を展開。盾と障壁魔法を併用して、モヴァルスの紫電を何とか受け止めていた。
しかし、モヴァルスの魔法に押され、ヴァルディマーの障壁が徐々に軋み始める。
このままでは押し切られる。
マジ力を必死に引き出すヴァルディマーの脳裏に、そんな予感が走る。
だが、モヴァルスの雷がヴァルディマーを盾ごと貫く前に、モヴァルスの横から突っ込む影がいた。
「ケント殿!?」
「はああああっ!」
モヴァルスの側面に回り込んだのは健人だった。
体勢を低くしたま、魔法の鍔迫り合いを続けるモヴァルスの元に飛び込んだ健人は、腰だめにしたブレイズソードをモヴァルスに向かって斬り上げる。
「ふん、ぬるいな!」
モヴァルスが右手で腰の片手剣を引き抜き、健人の斬撃を容易く弾き返す。
相手は二百年以上の時を生きた吸血鬼。見習い剣士である健人の太刀筋を見極めることなど造作もなかった。
お返しとばかりに、モヴァルスが健人の腹を蹴りつける。
「ぐっ!」
健人は咄嗟に盾でモヴァルスの蹴りを受け止めたが、あまりの力に吹き飛ばされてしまい、広間のテーブルに激突。
悪趣味な食事をぶち撒ながら、地面に転がった。
しかし、健人が斬りかかったことで、モヴァルスの魔法は中断された。
その隙に、今度はヴァルディマーがメイスで殴りかかるが、今度は左手でもう一本、片手剣を引き抜き、ヴァルディマーの打撃を弾き返した。
「双剣使い……」
「ええ、しかも相当な使い手です」
左右の手に同じ長さの片手剣を構えるモヴァルス。
その様は、魔法を使っていた時よりも様になっていて、なおかつ、冷や汗が出るほどの威圧感を醸し出していた。
「当然だ。私は本来“こっち”の方がはるかに得意だ」
間髪入れずに、モヴァルスが健人に斬りかかってくる。
その速度は、目視では到底追いつかないほど速い。
「ぐううう!」
袈裟懸けに振るわれた右手の剣を、健人は本能的に盾を使って受け流そうとした。
強烈な負荷が健人の左手にかかるが、体ごと回転させることで何とか逸らす。
しかし、モヴァルスの攻撃が一度で終わるはずもなく、二度、三度と立て続けに斬撃が繰り出されてきた。
「ケント殿!」
押し込まれる健人を助けようと、ヴァルディマーが加勢に入ろうとする。
しかし、モヴァルスは左手に剣を持ったまま詠唱をこなし、再びヴァルディマーに雷撃を浴びせた。
加勢に入ろうとしたヴァルディマーの足が止まる。
「来い、犬ども!」
モヴァルスが叫ぶと、広間の奥から、真っ黒な四足の獣が飛び出してきた。
ぱっと見た外見は犬そのもの。だが、その頭部についた口は犬とは思えないほど巨大で、まるでナイフのような歯列がむき出しになっている。
「なっ!?」
「デスハウンドか!」
デスハウンド。
吸血鬼によって生み出され、調教された犬であり、その名にふさわしい獰猛さと凶悪さを持つ怪物だ。
「デスハウンド。そこのノルドを足止めしろ!」
飛び出してきたデスハウンドは全部で三体。
そのすべてが、モヴァルスの命令に忠実に従い、ヴァルディマーへと襲い掛かった。
「くそ! この犬っころが、邪魔をするな!」
「ヴァルディマーさん!」
「人の心配をしている余裕があるのか?」
「くっ……」
デスハウンドによってヴァルディマーが足止めされた結果、健人はモヴァルスと一対一になってしまった。
モヴァルスの鋭い斬撃が、立て続けに健人に襲い掛かる。
健人は咄嗟に、すり足で後ろに下がりながらモヴァルスの剣を受けるが、それは薄氷上を全力疾走するような行為だった。
いなしながら受けたとしても、盾を構える腕がしびれるほどの衝撃が襲い、ミシリと金属が悲鳴を上げる音が聞こえてくる。
(エルフの盾とはいえ、このまま受け続けたら潰される。このままじゃジリ貧だ!)
胸の奥からこみ上げる焦燥。それを抑え込みながら、健人は全神経をモヴァルスの動きに集中させていた。
右から袈裟懸けに振るわれたモヴァルスの剣を、盾を斜に構えて受け流し、返す刀で切り上げられた左の剣を、健人は左足を引いて躱す。
さらに、頭上から再び襲ってきた右の剣を、今度は右足を引きながら側面から盾をぶつけて逸らし、突き入れた左手の剣を上からブレイズソードを叩きつけつつ横に跳んでいなす。
ほんの僅か、紙一重の誤差やミスが、死に直結する暴風のようなモヴァルスの剣舞。それを健人は反射的な行動で躱し、いなし続けていた。
生死の境を綱渡りするような行為中で、健人の集中力がさらに研ぎ澄まされていく。
「はあ!」
「む!?」
幾合かの激突の後、健人とモヴァルスの戦闘の趨勢に若干の変化が表れ始めてきた。
徐々に健人が、モヴァルスの動きに対応できるようになってきたのだ。
横なぎに払われたモヴァルスの斬撃を、腰を落として避けつつ、盾で相手の足を払おうとする。
さらに、薙いだ盾を一旦下がって躱したモヴァルスに踏み込み、相手の首をブレイズソードで斬り裂こうとしてきた。
それは、つい昨日までの健人なら到底できなかった水準の行動。
デルフィンが健人の体躯に合わせて仕込んだ刀術、反射のレベルでの戦闘行動。それがモヴァルスという明らかな格上との死闘によって、恐ろしい速度で最適化され、昇華され始めていた。
健人の急成長を目の当たりにしたモヴァルスの口元が歪む。
「面白い。少しだが、お前に興味が湧いてきたぞ!」
モヴァルスの剣速が更に上がる。
先ほどが暴風なら、これはもはや竜巻と言っていい速度だった。
何とか受け流していた健人だが、ここに来て明らかにモヴァルスの動きに遅れ始めた。
「くそ……ぐっ!」
左の切り上げを受け流しきれず、健人の上体が浮く。明らかな隙を晒してしまった。
追撃の突きが健人に迫る。
「しまっ……」
全力で跳ね上げられた盾を引き戻し、モヴァルスの隙を受け流そうとする健人。
何とか盾を引き戻すことには成功したものの、完全に受け流すことは到底できなかった。
「がああ!」
更に悪いことに、ここに来てついに盾も限界を迎えた。
モヴァルスの剣が健人の盾を貫き、脇腹を浅く裂く。
幸い串刺しは免れたものの、完全に健人の足は止まってしまっていた。
「捕まえたぞ!」
「ちぃい!」
頭上に振り上げられたモヴァルスの剣を見て、健人は即座に盾を放棄し、後ろに跳ぶ。
致命の唐竹割りは避けられたが、モヴァルスは剣に突き刺さった健人の盾を、剣を振るって放り捨て、追撃してくる。
健人は何とかブレイズソードだけで受け流そうと試みるが、唯でさえ速度の違う相手。圧倒的に手数が足りなかった。
数撃で健人は防御を崩され、その左肩に刃を突き立てられる。
「があああああ!」
「中々面白かったが、私はかつて、シロディールの戦士ギルドで教導役もやっていたのだ。この程度の剣で倒されるものか」
健人の肩を貫いたモヴァルスは、右手の剣を手放し、そのまま彼の首を締めあげながら吊り上げる。
肩と首に走る激痛に、健人の手に携えられていたブレイズソードが、カラン……と音を立てて地面に転がった。
「ぐっ、がぁ……」
強烈な圧迫感と苦痛、そして息苦しさに健人の視界は狭まり、明滅を繰り返す。
目の前には、深紅の瞳で苦痛に歪む健人を楽しそうにのぞき込むモルヴァスの顔があった。
「さて、せっかくの晩餐が台無しになってしまった。代わりは、お前の血で補うとしよう。ついでに、お前を眷属としようか。なかなか面白そうな素材だ」
モヴァルスが健人の血を吸おうと、真っ赤に染まった口を開いた。
鋭く、醜悪な犬歯が露わになる。
「ケント殿!」
「そこで大人しく見ていろノルド。この小僧を吸血鬼に変えた後は、お前を小僧の餌にしてやる」
健人の危機にヴァルディマーが何とか助けに入ろうとするが、その進路を阻もうと、デスハウンドが跳びかかってくる。
「ええい、邪魔だ!」
跳びかかってきたデスハウンドの頭をメイスで潰し、駆け寄ろうとするヴァルディマーだが、残り二頭に側面から邪魔に入られて近づけない。
必死に助けに入ろうとするヴァルディマーを嘲笑しながら、モヴァルスは健人の血を吸おうと顔を近づける。
健人の手が、ピクリと動いた。
「馬鹿が……」
「なんだ、まだ意識が……ごあ!」
次の瞬間、健人はモヴァルスの口に自分の右拳を叩きこんだ。
虫の息だったはずの健人の予想以上のしぶとさに、モヴァルスの瞳が驚きで見開かれる。
「ぐむうううう!」
「血が飲みたいんだってな。たっぷり飲ませてやるよ!」
そして健人は、モヴァルスの口内に手を突っ込んだまま、その拳に握った“小瓶”を握りつぶした。
そして、モヴァルスの口の中を、名状しがたい痛みが暴れ始める。
「が、があああああ! ごぅううううう!」
まるで口の中に焼けた火箸とウニを同時に突っ込んで咀嚼したような激痛。
モヴァルスは思わず健人の体を離し、後ろに下がってのた打ち回り始めた。
健人が握りつぶしたのは、フロストバイト・スパイダーの毒を詰めた小瓶。この洞窟の入り口で採集したものだ。
フロストバイト・スパイダーの毒は、肌の上からでも焼けるような激痛を伴う。それを口の中でぶちまけられたことを考えれば、このモヴァルスの反応も無理はない。
とはいえ、健人も無傷ではない。
小瓶を潰す過程で毒は健人の手にも付着しているし、砕けた小瓶の破片が手の平に食い込み、傷口から毒が健人の体を犯し始めている。
さらに、痛みのあまりモヴァルスが反射的に口に力を入れたためか、ガラスの破片だけでなくモヴァルスの牙も掌に突き刺さっており、右手は血で真っ赤な状態だった。
当然、モヴァルスが受けた激痛が、健人の右手にも走っている。
デルフィンの寸止めなしの鍛錬がなかったら、耐えられない痛みだ。
それでも、激痛にのた打ち回るモヴァルスの姿に、健人は胸がすく思いだった。
「ぐ……。毒入りの血はどうだよ。このモグラ野郎」
「くそガキがあああああ!」
激高したモヴァルスが、健人に斬りかかってきた。
怒りで瞳をギラつかせながら、自分に傷を負わせた健人をブチ殺そうと、全力で剣を振り下ろす。
健人は痛みで鈍る両手に鞭を打ち、足元に落ちている愛刀を拾い上げて掲げる。
「ケント殿、駄目だ!」
モヴァルスの剣を受けようとしている健人の姿を見て、ヴァルディマーが悲鳴にも似た声を上げた。
健人とモヴァルス。二人の間にある膂力の差は、どう考えても埋めようのないものだ。
さらに健人は、その腕に浅くない傷を抱えている。
ヴァルディマーの脳裏に、ブレイズソードごと体を両断される健人の未来が映る。
「ぐっ!」
「なっ!」
だが、ヴァルディマーが見た未来は、全く違う形を見せた。
振り下ろされるモルヴァスの剣。それに合わせるように、健人の体が横に流れ始めた。
健人が体を落としながら左足の力を抜き、右足には力を入れたことで体幹の均衡が崩れ、横に滑るように移動し始めたのだ。
(全身を、柔らかく……!)
さらに健人は、痛みで感覚が鈍る両手でブレイズソードの柄を保持しつつ、自分から迎えるように剣の柄を掲げながら、刃を体に沿わせるように斜に構える。
それは、デルフィンが健人との模擬戦で見せてきた受け流しの型。
豪速で振るわれたモヴァルスの剣は刀の側面を流れるように逸れていく。
怒りに染まっていたモヴァルスの表情が、驚愕のものへと変わった。
「ああああああああ!」
ここに来て初めて相手が見せた、明確な隙。それを逃さんと、健人は全力で吠えた。
手首を返し、脇を締め、足首から脳天までの関節すべてを動員して、モヴァルスの首目掛けて刀を振り下ろす。
振り下ろされた刃はモヴァルスの延髄から食い込み、ザンッ! と骨を切断して喉へと抜けた。
鮮やかに切断された首が転がり、頭を失った体が地面に崩れ落ちる。
モヴァルスはその顔を驚きに染めたまま、その意識を永遠の闇へと落としていった。
「はあ、はあ、はあ……うぐ!」
モルヴァスを倒した健人だが、彼の体も限界だった。
ブレイズソードを手放し、その場に座り込んでしまう。
そこに、デスハウンドを片付けたヴァルディマーが歩み寄ってきた。
「見事です、ケント殿」
「ヴァルディマーさんは、大丈夫ですか?」
「はい、お陰様で。それよりも、そちらの治療をしましょう」
「よか……ぐう!」
「ケント殿!」
思い出したように痛みがぶり返してくる。
流れ続ける血の熱と、暗くなる視界。消えていく意識の中で、健人の脳裏に犠牲となった少女の顔が浮かぶ。
“ありがとう、お兄ちゃん”
満足そうな笑みを浮かべた少女の声を感じながら、健人の意識は闇の中へと消えていった。
というわけで、吸血鬼退治までのお話でした。
綱渡りのような戦闘の果てに、何とかモヴァルスを倒した健人君。
次話はモーサルでの最後のお話となります。
以下、登場人物紹介
モヴァルス・ピクイン
モーサルのクエスト“埋葬”の最終ボスであり、作中でも強力な吸血鬼の一人。
元々は戦士ギルドで訓練師を務めるほど優秀な戦士であり、かつてはタムリエル中の吸血鬼を退治して回る吸血鬼ハンターでもあった。
しかし、不意を突かれて吸血鬼に血を吸われ、自身が吸血鬼になってしまう。
アルバを吸血鬼に変え、モーサルを乗っ取ろうとした、今回の事件の黒幕。
靴集めが趣味なのか、数多くの靴を持っており、彼の靴も隠密効果を高めるユニーク防具扱いになっている。