【完結】The elder scrolls V’ skyrim ハウリングソウル   作:cadet

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このお話で、当小説最後のオリキャラが出ます。


第十話 奇妙なドラゴン

 サルモール大使館から脱出する際に健人と逸れたデルフィンは、リータ達との合流地点である祠へと移動していた。

 祠はソリチュードとドラゴンブリッジをつなぐ街道を北側に向かった先にある。

 祠の上には羽の生えた女性を象った像が置かれているが、祠全体は雪に覆われ、すっかり寂れた雰囲気を醸し出している。

 そんな祠の傍で、デルフィンは悩ましげに頭を掻いていた。

 

「参ったわね。完全に逸れたわ……」

 

 元々、サルモール大使館の潜入が終わった後は、この祠の前でリータ達と合流する予定だった。

 しかし、デルフィンがこの合流地点に来てから半日あまり経ったものの、健人がやって来る気配はなかった。

 そんな中、健人よりも先に、リータ達が祠に到着した。

 

「おい」

 

「ああ、来たのね」

 

 鋼鉄の鎧に身を包んだドルマが、デルフィンに声をかける。

 後ろには、健人の家族である少女や、彼女の従者であるリディアの姿もある。

 デルフィンから見ても、ドルマもリディアも、ドラゴン退治の旅路の中で成長している様子が感じ取れた。

 

「それにしても、随分と変わったわね、ドラゴンボーン」

 

 だが、デルフィンの目を一番引いたのは、ドラゴンボーンたるリータの姿だった。

 全身を覆う、漆黒の重装鎧。黒檀製の全身鎧を身にまとった彼女の姿は、端から見ても豪奢で目を引くものだろう。

 背中には黒檀の弓、従者にも黒檀の斧を背負わせており、腰の剣も黒檀の剣に変わっている。 

 ファルクリースのシドゲイル首長が、ドラゴン退治の報酬として用意した一品だった。

 だが、デルフィンが何よりも今までの彼女と違うと感じたのは、その身に纏う覇気。

 まるで、ドラゴンと間近で対峙した時のような強烈な威圧感だった。

 完全なる竜殺しとなったリータを前に、デルフィンは自分の口元が自然と吊り上がるのを感じた。

 

「……ケントはどこ?」

 

 リータの視線が、義弟を探してあちこちを彷徨う。

 顔の前面を負う兜のせいで、リータの表情はデルフィンには見えず、声色も淡々としたもののように聞こえるが、デルフィンはその抑揚のない言葉の裏に、ドラゴンボーンの焦燥を感じ取っていた。

 

「最後の最後でミスってサルモールの追撃部隊に追われたの。大使館からここに来るまでの森で逸れたわ」

 

「であるのなら、貴方はなぜこんな所にいるのですか?」

 

「仕方ないじゃない。私も馬車を失くして、おまけに吹雪に見舞われたのよ。視界はほとんど無いし、自分の身を守るだけで精一杯だわ」

 

 リータの後ろに控えていたリディアがデルフィンに食って掛かるが、デルフィンは彼女の抗議を、肩をすくめて受け流す。

 

「ケントを探しに行く」

 

 一方、リータは睨みあう二人を放置し、健人を探そうと、彼が行方不明になった森を目指して歩き始める。

 

「そういえばドラゴンボーン、気を付けて。最近ソリチュードの北で、見たことのないドラゴンが目撃されている。くすんだ金色のドラゴンらしいけど……」

 

「なら狩る。ケントも必ず見つける」

 

「そう、分かったわ。ケントと逸れた位置と時間を考えれば、捕まったとしてもフラーグスタート砦までは行っていないでしょう。今から急げば間に合うと思うわ。殺されていなければね」

 

 フラーグスタート砦はソリチュードの北側。混沌の海に面する海岸に建てられた砦であり、今ではサルモールの拠点となっており、サルモールがタロス狩りで捕えた囚人たちを収容している場所でもある。

 その中では、異端狩りの為に、日夜囚人に対して苛烈な拷問が行われている。

 

「あなたは……」

 

 デルフィンの不躾な言葉に、リディアが再び気色ばむ。

 そんな時、はるか遠くにある山の稜線から、空に向かって飛び去る何かの影が、リータ達の目に映った。

 

「あれは」

 

「ドラゴン、だな。それに咥えているのは……」

 

 飛び去って行くのは、くすんだ金色の体躯を持つドラゴン。おそらく、デルフィンが噂で聞いたドラゴンで間違いない。

 ドラゴンボーンとして覚醒したリータの視力が、ドラゴンが咥えたものに注がれる。

 それは、力なく項垂れている、健人の姿。

 まるで死んでいるように動かない健人の姿を目の当たりにし、リータの黒檀の小手がミシリと音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピチョン、ピチョン。

 水が滴る音に、闇に飲まれていた健人の意識が徐々に戻ってくる。

 

(俺は、一体……。死んだのか?)

 

 ピチョン、ピチョン。

 闇に包まれた視界、全身を覆う寒気と倦怠感は、健人に己の死を感じさせる。

 脳裏によみがえるのは、まだ自分が地球にいたころの光景。

 学校に行き、学び、バイトをして家に帰り、家事をする。そんなルーティンワークのような、しかし、もう送る事が出来なくなった日本での日常。

 友達は、学校でもバイト先でも多くはなかった。

 同級生のガラの悪い者たちに絡まれたこともある。

 灰色の青春といえばそうだが、それでも母親を早くに亡くした健人にとって父親が生きていてくれる事は何より嬉しかった。

 

“え、お前が料理をしたのか? 凄いじゃないか!”

 

 初めて料理を作った時、普段は物静かな父親が、満面の笑みを浮かべて喜んでくれたこと、初めて作った豚の生姜焼きは焼きすぎてかなり苦かったこと。

 二人だけの食卓の中で、母が死んでからようやく笑顔になれたこと。

 

(今わの際になって、走馬燈を見ているのか?)

 

 次々と思い起こされる、日本での日々。

 脳裏に蘇る懐かしい光景が、寂寥と望郷を湧き立たせる。

 

“目が覚めたか”

 

 だが、懐かしい情景の中に、健人の知らない他者の声が響いた。

 死に際の走馬燈を見ていたと思っていた健人は、驚きとともに、ようやく自分がまだ生きていることに気が付いた。

 

(俺はまだ、生きている?)

 

 背中に感じる硬い感触と冷たさ。おそらく仰向けに寝かされている。

 ゆっくりと瞳を開けると、穴の開いたすり鉢を逆さまにしたような岩の天井が目に飛び込んでくる。

 天井の穴から見える空は未だにドス暗い雲に包まれ、横殴りの吹雪が舞っていた。

 

「ぐっ……」

 

 寒さで感覚の鈍った両手に力を籠め、健人はなんとか身を起こす。

 そこで健人は、ようやく自分に語り掛けてきた存在に目を向け、そして驚きに言葉を失った。

 そこにいたのは、色褪せた金色の鱗を纏ったドラゴンだった。

 

「ドラゴン!?」

 

 自分に話しかけてきた相手の正体に驚き、咄嗟に腰に手を延ばす。

 だが、伸ばした手は空を切った。腰には鞘だけが差さっており、肝心の剣はなかった。

 先のエルフ追撃部隊との戦いの場に落としてきたのだ。

 武器を失ったことに健人は口元をゆがめながらも、油断なく相手のドラゴンを見据える。

 

“我が名はヌエヴギルドラール。この洞窟に永く住む、老いたドラゴンだ。ようやく会えたな、異邦人よ”

 

「異邦人って……」

 

“その言葉の通り、この世界の外からきた人間という意味だ”

 

 ヌエヴギルドラールと名乗ったドラゴンの言葉に、健人は警戒を忘れ、驚きのあまり目を見開いて固まってしまう。

 このタムリエルに流れ着いてから、健人は自分が異世界出身であることは誰にも言っていないし、声にも出したこともない。知る者など、誰一人いないはずである。

 にもかかわらず、このドラゴンは健人のこの世界の人間ではないことを看破していた。

 

“我はドラゴン。時の竜神、アカトシュの子。故に、この世界の時の流れには敏感だ。お主の“時”は、この世界に生きる者達とは明らかに異なっている”

 

 どうやらこのドラゴンは、健人に流れる“時”を読むことで、彼が異世界の人間であることに気づいたらしい。

 時の流れなど、健人には到底理解できない感覚での話。

 健人が困惑している中、ドラゴンは未だに敵意なく、どこかキラキラとした、興味深そうな瞳を健人に向けている。

 

「……どうして、俺を助けたんですか」

 

“我は長い時を、この洞窟で過ごしてきた。もう、季節がどれほど廻ったのか分からぬくらい。先も言ったが、お主はこの世界とは違う“時”の存在。故に、話をしてみたいと思ったのだ“

 

「ドラゴンと話なんて……!」

 

“不思議か? ドラゴンが対話を望むのは?”

 

 ヌエヴギルドラールの言葉に、健人は黙り込む。

 目の前のドラゴンの言う通り、健人は今までドラゴンが交渉できるような存在とは思ってもみなかった。

 健人はこの世界におけるドラゴンと人間との確執について、デルフィンから聞いている。

 太古の昔に人を含む生物を支配してきたドラゴン、そのドラゴンに反抗し、殺しつくした人間。到底、話し合いができる間柄とは思えない。

 

“人間には理解できないかもしれないが、我々は元々話好きだ。我々のスゥームは本来自らの意思を具現し、種族の関わりなく相手に意思を伝えるためのもの。ただその力はあまりに強く、人間やエルフと違い、戦いと口論が乖離していないだけ“

 

 ヌエギヴルドラール曰く、スゥームは一種の“真言”であるらしい。

 真言とはその名の通り、真理や摂理そのものを表し、世界に直接干渉する言葉。

 エルフ由来の魔法のように、マジ力を必要としないにもかかわらず、超常の現象を具現できるのは、スゥームが“真言”であることの証とのこと。

 

(だからグレイビアードの人達は、シャウトで悟りを開こうとしているのか……)

 

 健人は改めて、この世界において、シャウトが持つ意味の大きさを感じ取っていた。

 時の龍神であるアカトシュ。その子供たちであるドラゴンが、最も尊ぶ力にして言葉。

 

“さて、我らの事を話したのだ。そちらも話をしてはくれまいか?”

 

 健人が改めてシャウトの異質さを実感している中、ヌエヴギルドラールは待ちきれないといった様子で、健人に話を促してきた。

 

「話って、なにを……」

 

“産まれた時の事、異世界での話、この世界に来てからの事、何でも構わぬ。こうして出会えたからには、ティンバーク……世間話を楽しもうではないか”

 

 健人は自分がいるドーム状の洞窟を見渡す。

 洞窟の外壁には、目の前のドラゴンが通れるくらいの大きな穴と、人が一人やっと通れるくらいの横穴がある。

 小さな横穴を通れば外に出ることができるかもしれないが、天井の穴から見える吹雪を見る限り、出ても下手すれば遭難してしまうだろう。

 吹雪が止むまでは出られないのなら、少しぐらいなら話をしてもいいかもしれない。

 

「そう、だな……」

 

 健人はそれから、ヌエヴギルドラールに地球について話をした。

 自分が以前いた地球がどんな星なのか、日本という国でどのような生活をしてきたのか。

 そんな話の一つ一つに、ヌエヴギルドラールは大きな興味を示していた。

 特に興味を示したのは、宇宙産業や航空技術についてだった。

 

“ほほう、人が空どころか、星の海まで旅立つか……。なんとも、摩訶不思議なものだ。それで、どのようにして定命の者は空を飛ぶのだ?”

 

「基本的には鳥と同じだよ。鉄の翼を作って、それに風を受けて浮力を生んで……楽しいのか?」

 

“うむ! 興奮するぞ。兄弟達とすらほとんど喋らなかった我だが、このティンバークは本当に楽しい! ドヴの本能が歓喜しているぞ!”

 

 少し話してみて健人は分かったが、このドラゴン、非常に感情が動きに出る。

 健人の話を聞き始めてから、ずっと翼がバサバサと小刻みに羽ばたいているのだ。まるで餌をねだる小鳥のように。

 その度にバフバフと風が巻き、砂が舞い上がっている。

 

「そういうお前は、こんなところで何をしているんだ?」

 

“何もしておらんよ。あえて言うなら、“時”を読むくらいだ”

 

「時を読むって?」

 

“たとえるなら、川の流れを読むようなものか。水がどこから湧きだし、どこを流れ、どこで留まり、どこへ行くのか。その流れを鳥のように、天を見るように俯瞰しながら見ているのだ”

 

「???」

 

 健人の脳裏にはてなマークが乱舞する。

 未来を見ていると言われても、人間には理解不能な話である。当然ながら、一般人である健人に分かるはずもない。

 

”ふむ、まあ、人間には理解しがたい感覚かもしれんな。それで話を戻すが、人はどうやって星の海を旅しているのだ?”

 

「あ、ああ。それは……」

 

 再び始まる地球談義。

 基本的な地理や歴史、電化製品やインターネットなどの文明機器。生息している動物や、国の社会構造まで、ヌエヴギルドラールはあらゆる話題を振り、健人はそれに答え続けた。

 

「ふふ……」

 

“どうかしたのか?”

 

「あ、いや、こんな風にドラゴンと普通に話をしているなんて、なんか不思議で……」

 

 ヌエヴギルドラールとの対話の中で、健人は思わず笑みを漏らす。

 ドラゴンとの世間話。

 健人としても、普通に考えて絶対にやらないといえる行動だった。

 ドラゴンは彼の恩人である、アストン夫妻を殺した。

 それがヌエヴギルドラールでないことはとうに分かっていたとしても、ドラゴンという言葉を聞けば、胸の奥に強い憤りを覚える。

 だがこの時、健人は自分でも驚くくらい、ヌエヴギルドラールの“世間話がしたい”という言葉を自然に受け入れていた。

 この世界に迷い込んでから、リータにすら言えなかった自分の秘密。それを知られただけでなく、興味を持って尋ねてきてくれた事で、胸のつかえが取れたからなのかもしれない。

 もしくは、ずっと戦いや鍛錬の日々で凝り固まっていた心が、この短い世間話の中で解けたのか。

 

“であろうな。我は、兄弟たちから見れば変わり者だからな”

 

「変わり者?」

 

“うむ、お主の言うところの“ニート”という奴だろうか? 我の兄弟達はほとんどが力を求め、外に出でブイブイ言わせているのだが、我はどうもそういう気にはならなくてなぁ~“

 

「ブイブイって、いつの言葉だよ。というか、そんな地球の言葉、教えたっけ?」

 

 どうしてこのドラゴンは、そんな死語を知っているのだろうか。

 シャウトとか魔法とか、いい加減この世界の非常識には慣れてきた健人だが、この珍妙なドラゴンの言葉に、力が抜ける思いだった。

 

“とはいえ、外に出て一山当てようとした兄弟は大抵シマがぶつかった挙句、喧嘩になる。人間の街が一つ二つ消えたところで、長兄が出張って、山を一つくらい焼き尽くすほどの折檻をして収まるのが常であったなぁ”

 

「何それ怖い……」

 

 健人は改めて、ドラゴンの常識に眩暈を覚える。

 兄弟喧嘩の仲裁の代償が山一つなんて、なんて酷い世界だろうか。

 

“そんな兄弟たちの戦いに巻き込まれるのが嫌でなぁ。この洞窟に引きこもっていたのだが、一度引きこもってしまうとこう……出る機会を逸するというか”

 

「つまり、出不精になった?」

 

“ン、ンン……そうこうしている内に、外では数千年の時間が過ぎていたらしい。いや、数万年か? とにかく、そんな感じになっていたのだ!”

 

「こ、この竜……」

 

 このドラゴン、よく見ると、体の彼方此方に苔が生えている。

 しかも、先ほどの羽ばたきでも落ちる様子がない。よほど鱗にがっちりと根を張っていると見える。

 

“うむ、五百年くらい洗っておらん。一応地底湖はあるが、面倒くさくてなぁ……”

 

 健人の恩竜は生粋のニートだった。しかも、自分の家でも部屋の移動すらしたくない、プロフェッショナルニートである。

 傲慢で威厳のあるドラゴンのイメージがガラガラと音を立てて崩れ去っていくのを感じた。

 

「……取りあえず、地底湖に行くぞ。体を洗う」

 

“え~、面倒なのだがなぁ……”

 

 綺麗好きな日本人として、このドラゴンの不精はどうにかしないといけない。

 健人は奇妙な使命感に駆られながら、ブーたれるドラゴンの頭を引っ張り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 地底湖に来た健人とヌエヴギルドラールは、とりあえず出不精のドラゴンを地底湖に浸からせると、岸で火を焚き始めた。

 地底湖には発光するキノコがあちこちに生えており、湖全体をほのかな明かりで照らし出している。

 バッシャバッシャと行水を始めるドラゴンを横目に、乾いた苔を着火剤に火をおこし、ついでに手近にある岩を持ち上げ、ガチンコ漁法の要領で、地底湖にいる魚を取ろうと試みる。

 この湖はどこかの川に繋がっているのか、よく見ると魚の影があちこちに見えるのだ。

 灯火の魔法で足元を照らしつつ、浮かんできた魚を回収し、焚火で焼き始める。

 そうこうしている内に、行水を終えたヌエヴギルドラールが戻ってきた。

 しかし、僅かな行水程度で体に生えた苔が落ちるはずもなく、健人は仕方なく、近くにある平たい石でガリガリとコケを削ぎ落す。

 しばらく黙々と苔を削り続けることになったが、おかげでヌエヴギルドラールの体はすっかり綺麗になった。

 

「つ、疲れた……」

 

“うむ、五百年ぶりにスッキリした。感謝するぞケントよ”

 

「そうですか。それはようござんした」

 

 疲労から返事も投げやりになっている。

 その時、健人の腹がグ~~と鳴った。

 チラリと焼いていた魚を見る。

 魚の油がパチパチと跳ね、皮に良い塩梅の焼き色がついている。そろそろ食べごろだろう。

 魚を火から外し、思いっきりかぶりつく。

 ジワッと魚の油が口いっぱいに広がり、ほろりと崩れた肉が臓腑に落ちる。

 空腹というスパイスを加えて、言いようのない旨さが脳天を直撃していた。

 

“グ~~”

 

 また腹の音が耳に響いた。

 相当エネルギーを消費していたのが分かる。

 

“グ~~、グ~~”

 

 立て続けになる腹の音。魚を食べても鳴り止まない音に、健人はいよいよ首をかしげる。

 健人は隣に視線を向けた。

 

“グ~~、グ~~、グ~~”

 

 ニートドラゴンが健人を見ている。

 正確には、健人が持っている焼き魚を見ている。

 先程からなる腹の音は、目の前のドラゴンから聞こえてきていたようだ。

 健人の眼が窄まる。

 

「……おい」

 

“い、いや、気になってなどいないぞ? 初めて見る焼き魚がこんなにも美味そうなのかとか、食べてみたいな~とか、思ってなどいないぞ? うん”

 

 視線を彷徨よわせながら涎を垂らしているニートドラゴンに健人は肩を落とし、仕方ないというように焼いていた魚数匹を目の前に放り投げてやった。

 

”ほむほむ……おおう、これが焼き魚というやつか! この幸福感と充足感! これが“旨い”という感覚なのだな!”

 

「今まで何を食べてきたんだよ……」

 

“その辺に生えているコケとかだな。元々永遠を生きるドヴにとって、食事とはより大きな力を得るためか、趣味の域を出ない。故に我は普段、その辺の岩に生えている植物なら何でも食べていた”

 

“こうして首を回せばコケが食べられるから便利なんだ~”と、態々首を回して食べる真似をし始める。

 このニートドラゴン、自分の体で自家栽培もやっていたらしい。

 焼き魚すら食べたことがないというこのドラゴンに、健人は思わず「お前生まれてから何やっていた」と問い詰めたくなる。

 しかし、焼いただけの魚とはいえ、旨い旨いと喜びながら頬張るヌエギヴルドラールの姿に、健人はそんな言葉を吐く毒気すらすっかり抜かれていた。

 

「そういえば、さっきの昔話で、長兄がどうとか言っていたな」

 

“ああ、アルドゥインの事か”

 

「アル、ドゥイン……」

 

 アルドゥイン。

 その名前を聞いた瞬間、健人は全身がざわつくような感覚を覚えた。

 恩人を、家族を、そして姉を苦しめる忌竜。

 今の健人達が旅を続けている理由にして元凶だ。

 

「アルドゥインの事、教えてくれないか?」

 

 雰囲気の変わった健人を一瞥したヌエギヴルドラールは、咀嚼していた焼き魚を飲み込むと、ゆっくりと話を始めた。

 

“彼はアカトシュの長子。時の竜神の力を最も色濃く受け継いだ竜王だ。同時に、この世界を滅ぼすことを運命づけられた竜でもある”

 

「特別な竜なのか?」

 

“普通の人間が、アルドゥインに抵抗することは不可能だろう。彼はその役目柄、強力な不変、不滅の力を、その体や鱗に纏っている”

 

「不滅の、肉体……」

 

“たとえ、どれほど強力な武器や魔法であろうと、アルドゥインの鱗は貫けない。あれはその名が示す通り“全てを食らう存在”として生み出されたのだからな”

 

 ヌエヴギルドラールの話が本当なら、誰もアルドゥインに勝つことはできない。

 不滅の鎧を持つということは、たとえリータがどれほどのシャウトを身に着けようと、全く通じないという事だ。

 

“それに、ドヴァーキン……ドラゴンボーンと呼ばれているケントの姉も、アルドゥインやこの世界の運命に大きく関わっている”

 

「何でリータの事を知っている?」

 

“言ったであろう。我はここで“時”を見ていたと。時の流れを読めば、はるか遠くの出来事も手に取るように分かる。アルドゥインの帰還も、ドラゴンボーンの覚醒もな。

 そして今世界の行く末を決める大きな流れの中に、其方の義姉の姿を見たのだ”

 

 そしてヌエヴギルドラールは、リータが“ドヴァーキン”の名が示す通り、竜を狩る子として、彼女が望むと望まざるとに関わらず、ドラゴンと関わる運命にあると告げた。

 

「……今リータは何を?」

 

“数多の同胞を刃で殺し、その魂を取り込んでいる。肉親を殺したドラゴンへの憎しみに身を焼きながら。

 あの様子では、このままでは彼女はアルドゥインを倒すことは諦めない。

 そして、そのままアルドゥインと戦い、死ぬだろう”

 

「リータが死ぬ? 馬鹿な事を言うな!」

 

“ニス、ボヴール、ディズ、ディノク。運命の流れは、未来をそう示した。変えようのない、絶対の流れだ”

 

「そんな、そんな事……」

 

 健人は、改めてドラゴンの出鱈目さを自覚するとともに、アルドゥインの強大さやリータの運命を聞かされ、懊悩する。

 決して傷を負わない、文字通りの無敵のドラゴン。そんな不滅のドラゴンを仇として倒そうとするリータ。

 頭でどれだけ否定しようが、アルドゥインにどんな攻撃も通じない以上、リータに勝ち目はない。無論、健人の助力など無意味だろう。

 だが、たとえどんな理由があろうと、リータがドラゴンと戦うことをやめようとしない事も、健人は分かってしまう。

 両者が戦えば、結果は明らかだ。

 健人の脳裏に、アルドゥインに噛み砕かれるリータの姿が、これ以上ないほど鮮明な未来の光景として映る。

 どうすればいいのだろうか? どうすれば、残った唯一の家族を守ることが出来るのだろうか?

 少しでも強くなって力になれればとも思った。

 デルフィンに弟子入りし、強力な吸血鬼との死闘を乗り越えた。

 実際、この世界に来たばかりの時と比べれば、健人の実力は飛躍とも言っていいほどの伸びを見せている。

 だが、そんな健人の意志や力は、アルドゥインとリータを絡め取る運命の前には、吹けば飛ぶ程度のものでしかなかったのだ。

 なぜなら、彼はこの世界の運命の流れとは、全く関係のない存在だから。

 健人は無力感に苛まれ、思わずその場に座り込んで肩を落としてしまう。

 

“ケント……”

 

 肩を落とす健人を見て、ヌエヴギルドラールが心配そうな声をかけてくる。

 健人が暗い顔を上げると、ズイッと顔を寄せてきたドラゴンが、口にくわえた何かを手渡してきた。

 

「何だこれ……」

 

 手渡されたのは、綺麗に骨だけになった焼き魚。

 欠片ほどの食べ残しもなく、頭や背骨、小骨だけを綺麗に残している。

 

“お代わりを頼む”

 

 無駄な器用さを発揮したニートドラゴンは、遠慮のない要求をし、シリアスな空気を全部ぶち壊いてきた。

 

「……自分で取ってこい」

 

“しかしなぁ、我はドラゴン特有の欲がない。その代わり、力もない。熊はおろか、カニにも負ける! 故に、採ってきてくれ!”

 

「こ、このニートドラゴン……」

 

 自分からカニにも負けると豪語する辺りが、このドラゴンの性格を物語っている。

 というか、それでいいのか生態系の頂点と、健人は額に手を当てて天を仰いだ。

  

“頼むよケント~~。数万年の竜生で初めて美味いという感情を知ったのだ!”

 

 健人が渋り始めると、ニートドラゴンは頭を下げて、ズリズリと健人に這い寄ってきた。

 数十メートルの厳つい巨体が縋り寄ってくる様は、傍から見れば非常に滑稽な光景だ。

 しかし、本心から懇願しているのは確かなのか、ドラゴンの癖に妙に庇護欲を掻きたてるような瞳をしている。

 健人はなんだか、ホワイトランで別れたお調子者のカジートを思い出した。

 彼も困ったときは、上目づかいで縋り付いてきた。

 

「分かった、分かった! ちょっと行ってくるから、そんなにすり寄るな!」

 

“おお! さすがケント、面倒見の良い。感謝するぞ! 我は広間に戻っているから、よろしくな!”

 

「調子のいいこと言って……」 

 

 溜息を吐いて、健人は再び地底湖に向かう。

 先程まで浮かべていた暗い表情は、少しだけだが和らいでいた。

 ヌエヴギルドラールは魚を採りに向かう健人を見送ると、踵を返して広間に戻っていく。

 だがその表情は、先ほど健人に縋り付いていた時とはまるで違う、どこか達観したような表情を浮かべていた。

 

“ゼイマー……。やはりこの場所に気付いて会いに来るか、兄よ……”

 

 健人に聞こえないほどの小さな声で呟きながら、ヌエヴギルドラールは己の運命を察していた。

 

 




第三章も残り2話か3話くらいです。

以下、登場人物紹介

ヌエヴギルドラール

本小説オリジナルのニートドラゴン。
ドラゴンの癖にドラゴン特有の欲がほとんどない稀有な竜。
パーサーナックスのように欲を抑えているわけではないので、弱体化していないが、元々が弱すぎるために引きこもっている。
健人が異世界出身であることを、初めから察している様子だった。


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