【完結】The elder scrolls V’ skyrim ハウリングソウル 作:cadet
レイロフの犠牲によって、健人たちは何とか砦の中に逃げ込むことができた。
彼らが逃げ込んだのは宿直室なのか、石造りの大きめの部屋の中に、ベッドがいくつも並んでいる。
重厚な扉の外からはいまだに轟音が響いてきているところを見ると、漆黒の竜による殺戮はまだ続いているようだった。
健人は荒い息を吐きながらも、震える足をなんとか落ち着かせようとする。
それでもガクガクと震える脚は、なかなか落ち着いてくれない。
「ケント、大丈夫か?」
ハドバルが心配そうな声をかける。
さすが兵士として実戦を経験している彼は違うのか、その佇まいに健人のような震えは見受けられない。
健人は一度、二度と、深呼吸を繰り返す。
心臓は未だにバクバクと激しく鼓動を打っていたが、足の震えは徐々になくなってきた。
「落ち着いてきたようだな」
「は、はい、何とか……」
幾分か落ち着きを取り戻した健人は、傍らにいる少女に目を移す。
両親が目の前で殺されたリータは、色を失った瞳で天井を見上げている。
「リータ。大丈夫……?」
「……」
声をかけるが、全く反応がない。
健人は肩をゆすって名を呼ぶが、やはり彼女は反応を返してこない。
まるで、人形を見ているようだった。
「っ!」
突然、パン!という音が宿直室に響いた。ハドバルがリータの頬を叩いたのだ。
ハドバルの行動に、健人は思わず目を見開く。
「ハドバルさん、何を……」
「…………」
叩かれたリータは呆然としたまま、赤くなった自分の頬を抑えながら、ぼんやりとした表情でハドバルを見上げている。
「いつまで呆けているつもりだリータ。せっかくアストンさんが身を挺して救い上げた命を無駄にするつもりか?」
呆然としたままのリータに対し、ハドバルはさらに言葉を重ねる。
その言葉は、今しがた両親を目の前で殺された少女に対する言葉とは思えないほど厳しい。
案の定、空虚だったリータの瞳が、強い激情の色を帯びてくる。
込み上げてくる悲しみを押し殺すためだろうか。口元は強く噛みしめられ、瞳には涙を一杯に貯めている。
空から降り注ぐ流星雨から逃れられたとはいっても、一時的なものでしかない。すぐにこの場から逃げなければならないことは、健人も理解できる。その為には、リータにはしっかりしてもらわなければならない事も。
だがそれでも、大声をあげて泣く事すらできない彼女の姿が、健人にはとても痛々しく見えた。
「ドルマ、そこの棚に武器があるから、適当に持っていけ」
「わかりました。リータ、ほら」
ドルマは武器がかけられた棚から木製の弓と矢、そして鉄製の片手剣を取るとリータに手渡す。
ドルマ本人は手近にあった両手剣を取り、背負った。
兵が常駐しているだけあり、武器がすぐ手にできる位置に配置してあるようだ。
武器を渡されたリータも鼻をすすりながら、無言で渡された武器を身に着けていく。
こうしたすぐに行動に移れる強さが彼女の持ち味なのか、それともこの厳しい土地に住む人達特有のものなのか、健人には判断がつかなかった。
「それとハドバルさん、治癒薬も見つけました」
「よし、それも持っていこう」
宿直室には武器だけではなく、治癒薬も複数あったらしい。
これはその名のとおり、怪我などをした際に治癒を促進する薬で、主に錬金術師の店で売られているものだ。
錬金術師自体の数が少ないため、流通量こそ少ないが、帝国軍の拠点にはそれなりの数が常備されている。
「よそ者、お前もだ」
「え?」
ドルマが、健人に声をかけると手にした片手剣を無造作に渡してくる。
健人はとっさに渡された片手剣を受け取るが、まさかドルマが自分に武器を渡してくるとは思ってはいなったため、一瞬固まってしまった。
「勘違いするなよ。お前を信じるんじゃない。お前の身の安全なんて気にしてられないから、自分でどうにかしろって言っているんだ」
「え、えっと……」
「ケント、持っていくんだ。今この砦の中には、ストームクロークの捕虜たちも逃げ込んでいるだろう。戦わずに済めばいいが、刃を交えることになるかもしれない」
「…………」
戸惑う健人に対して、ハドバルがフォローをする。
ドラゴンの襲撃によって、ストームクロークの処刑は中断され、逃げた捕虜達がこの砦に逃げ込んでいる可能性は十分ある。
「もちろん、お前達のことは私が守る。だが、もしもの時は、その剣を使うことも覚悟してくれ」
「わ、分かり……ました」
声を震わせながらも、健人は頷く。
しかし、その様子からも戦う覚悟などできていないのは明らかだった。
「それから、盾も持っておけ。剣が使えなくても、盾があれば身を守ることは出来る」
そう言って、ハドバルは盾も健人に持たせる。
手渡された盾は円形で、木製の芯材を鉄製の枠で固定し、中心部も半球形の鉄材で補強している。
大きさは直径60センチほど。健人の上半身を隠す程度だ。
「あ、ありがとうございます」
盾の背部に取り付けられた持ち手で保持するようだが、健人には少々重かった。
仕方なく健人は、引きつけるようにして盾を保持する。
ハドバルもまた、健人と同じように、棚にかけてある盾を手に取った。
健人が持っている円形の盾とは違い、鋼鉄製の菱形で、盾の中央には帝国軍を象徴するドラゴンの紋章が描かれている。
盾の大きさも、ハドバルの上半身を隠すほど大きい。
「ドルマも、その……。あ、ありがとう」
「ふん。言っておくが、俺はハドバルさんとは違って、お前の面倒は見ないぞ。足手まといになるなら、容赦なく置いていく」
冷たい言葉を返すドルマは、それ以上話すことはないと健人から視線を離すと、ハドバルに向き直る。
「ハドバルさん、どうやって逃げるんですか?」
「この砦の地下には外に続く地下道がある。崩れていなければ、そこから逃げられるだろう」
その時、轟音と共に、石作りの天井が崩れた。
「うわ!」
「くっ! みんな壁に寄れ!」
数秒の振動と共に崩れた瓦礫は、幸い健人達に直撃はしなかったが、彼らが入ってきた入り口を完全にふさいでしまう。
「急ぐぞ。ここも長くはもたない」
ハドバルに促され、健人達は神妙な表情で頷く。
壁に掛けてあった松明を手にし、健人達は脱出口を目指して歩き出した。
砦の通路を通り、地下へと向かう健人達。
調理場を通り過ぎ、しばらく進むと、長い地下への階段へとたどり着いた。
ハドバルを先頭に、健人達はさらに地下へと向かっていく。
階段の先は尋問室。いや、拷問室と呼んだほうがいいだろう。
すでに誰もいないようだが、室内に置かれた牢の中には、ボロを着た男性の死体がある。
死体には無数の傷がついており、手の指はあらぬ方向に曲がっていた。
「う……」
この部屋で行われた尋問が、どんなものだったのか容易く想像できた。
健人は牢の中の死体をみて、思わず目を背ける。
一方、リータ達は特に気にしている様子はない。
足早に先へと進んでいく。
牢屋を抜け、さらに奥へと進むと、石造りの通路が途切れ、洞窟へと繋がっていた。
流れ出る地下水が小さな川を作り、あぜ道を作りながら奥へと続いている。
その時、洞窟の奥から誰かの声が聞こえてきた。
「これからどうする? もう外には出られないんだろ?」
ハドバルが無言で手を掲げ、健人達に止まるように指示する。
しばし気配を探っていたハドバルは腰を低くし、音を立てないようにゆっくりと先へ進む。
そして通路の突き当りの角で止まり、先の様子を窺うと、健人達に向かって手招きをした。
健人達はハドバルと同じように腰を屈め、音をたてないようにハドバルの傍まで忍び寄る。
通路の先からは明かりが漏れており、複数の人間の気配がした。
覗いてみると、4人ほどのストームクローク兵が、松明をもって話をしていた。
「はあ、はあ……。首長はどうした?」
「ゲホゲホ! 分からん。脱出の途中で逸れた。物見塔までは一緒だったんだが……」
どうやら彼らも、健人たちと同じようにドラゴンの襲撃から逃れ、この地下道に行き着いたらしい。
青いキュライスを煤で汚し、息を荒げている。
憔悴している様子からも、彼らも相当追い詰められている様子が見て取れた。
彼らは帝国軍とは敵対するストームクロークの兵士。さらに、ヘルゲンは彼らの敵地であることも考えれば、精神的な負荷は健人達よりも大きいだろう。
「くっ、ストームクロークの脱走兵か。まいったな……」
ハドバルが、舌打ちをする。
ハドバルは帝国軍の兵士。彼らとは敵対しているし、つい先ほどまでハドバルは彼らを処刑しようとしていたのだ。
リータ達も、ストームクローク兵と直接的に敵対してはいないが、帝国軍の支配域の住民だ。彼らから見れば、帝国軍に尻尾を振っている裏切り者とみられるかもしれない。
見つかれば最悪、戦闘になってしまう可能性もある。
だが、もう後にも戻れない。
ここで戻れば、ドラゴンに殺されるだけだからだ。
「俺が話す。リータ達は後ろで控えているんだ。ドルマ、もし戦闘になったら、後ろを頼む」
「わかりました。おいよそ者、お前は岩の陰で大人しくして、絶対に出てくるんじゃねえぞ。前に出られたら足手まといにしかならないんだ」
健人を睨みつけながら、ドルマが釘を刺す。
戦場において、一番の敵は強大な敵ではなく、無能な味方だからだ。
ハドバルが一歩前に出て、ストームクローク兵たちに声をかける。
「すまない。少しいいか」
「っ! 帝国軍!」
「まずい、見つかった!」
帝国軍の鎧を着たハドバルの姿を認めたストームクローク兵達が武器を抜き、緊張感が一気に高まる。
「待ってくれ、戦う気はないんだ。ドラゴンのこともある。話を聞いて……」
「うるさい! ノルドでありながら帝国に尾を振る裏切者め!」
話をしようとできるだけ穏やかな口調で話しかけるハドバルだが、ストームクローク兵たちは構わず、剣を引き抜いてハドバルに襲い掛かってくる。
「殺せ! スカイリムのために!」
「くっ! 話をすることすらできないか!」
ハドバルは腰の剣を引き抜き、盾を構えて振り下ろされた剣を受け止める。
だが、すぐに他のストームクローク兵3名が、右から2人、左に1人に分かれ、ハドバルの側面に回り込もうとしてきた。
4人がかりでハドバルめがけて剣を振り下ろす。
ハドバルは飛び退いて振るわれた剣を避けるが、さすがに多勢に無勢。このままでは斬り捨てられるのは時間の問題である。
「ハドバルさん、加勢します!」
そこに、ドルマが割り込んできた。
右から回り込んできた敵兵2人の剣を大剣で受け止め、はじき返す。その得物に恥じない剛力だ。
だが、未だに相手の数は倍である。
当然ながら、ストームクローク兵達はドルマに対しても数の利を利用して包囲戦を開始。
2対1の状況に持ち込み、押し込もうとする。
だがその陣を、一本の矢が切り裂いた。
「ぐあ!」
ドルマに斬りかかろうとしていた敵兵の肩に矢が突き刺さる。
矢を放ったのは、後ろに控えていたリータだった。
「リ、リータ!?」
「っ……」
その光景に、健人は驚く。
先ほどまで、リータは自分で歩くことがやっとだった。
そんな彼女が、人に向けて矢を放った。明確な戦意を乗せて。
普通に考えれば、両親を殺されて意思が弱っている人間が、そんな事が出来るわけがない。
だが、健人が当惑している間にも、ストームクローク兵達は矢を当ててきたリータを脅威と認識し、排除しにかかる。
「ちい、邪魔するか、裏切り者共!」
「まず後ろにいる弓を持った女から始末しろ!」
ストームクローク兵はハドバルとドルマを一人ずつで抑え込み、残りの2人でリータに襲い掛かってきた。
殺意を隠そうともせず、向かってくる敵兵たち。
“怖い怖い怖い、殺される殺される殺される……”
暴風のように叩き付けられる本物の殺意を前にして、健人の全身は凍り付いたように硬直してしまった。
手に持っているはずの剣と盾の存在すら忘れ、恐怖に顔をゆがめる。
だが、そんな彼の耳に、震えるように小さな声が響いた。
「大丈夫、私が守るから。健人を、家族を、私がちゃんと守るから……」
振り返った彼女は、明らかに動揺していた。
両親の死と、戦場の空気。立て続けにぶつけられる殺意と理不尽な殺戮。必死に崩れそうになる表情を何とか取り繕おうとし、そして失敗していた。
まだアストン達を失ったショックから立ち直っておらず、全身がブルブルと震えている。
それでも彼女はしっかりと両足で立ち、弓を構えて矢を放つ。
「当たらねえよ!」
「くっ!」
だが、動揺を押し殺すことが出来ていないため、リータの矢は見当違いの方向へとそれてしまった。
それでもリータは素早く矢筒から矢を引き抜き、弓に番えようとする。しかし、残っていた震えから、今度は矢を取り落としてしまう。
「あっ!」
リータは取り落とした矢を拾わず、弓を捨てて腰の剣を引き抜こうとするが、敵兵はすでにリータを間合いに捉えていた。
「死ね!」
“しまった”
彼女がそう思ったときは、すでに遅すぎた。
リータの眼前で剣が振り上げられる。
松明の明かりで、鈍く光る鋼の刃が、リータめがけて振り下ろされた。
叩き付けられる殺意の中で、健人は意識を失わないようにすることで精いっぱいだった。
無理もない。
元々彼は、命の危険など感じることがない、現代日本の出身だ。
スカイリムに来てからも、ヘルゲンの町から出たことはなく、命の危険にさらされたのは、この世界に来た時にオオカミに襲われた一回のみ。
それを考えれば、こうして立っているだけでも大したものである。
だが、今彼の目の前では、恩人の命が斬り捨てられそうになっている。
身寄りがなく、文字も言葉も分からなかった自分を受け入れてくれたティグナ家の人達。
この世界での、唯一の家族。
坂上健人は、日本では普通の学生だった。唯一普通の家族と違うのは、血の繋がった家族が父親の一人だけだったということ。
健人の母は彼が幼いころに亡くなっており、長い間父親との二人暮らしだった。
その父も仕事で忙しく、いつも夜遅くに帰ってくる。
遊んでもらった記憶はほとんどない。夜遅くに帰ってきた父親も、疲れ切っていてすぐに眠ってしまう。
父親が働いているのは、自分のためだと分かっていても、昔は精神の幼さから、複雑な感情を抱いていた時期もあった。
だが、父親が働いているのは自分のためであり、数少ない休日では父親はできるだけ家にいて、健人と一緒にいようとしていた。
二人とも何を話したらいいかわからず、会話こそ少なかったが、そこには不器用ながら、確かな父親の愛情が存在していたのだ。
中学を卒業するあたりになって、ようやくそのことに気づき、高校生になってからは、父親とも少しづつ距離が近くなってきた。
だが、そんな時に彼はスカイリムに飛ばされ、肉親に会うことができなくなった。
唐突に陥った孤独という環境。
しかし、彼は本当の意味で、孤独を感じることはなかった。リータたちの一家が健人を受け入れたからだ。
アストン達と暮らした日々は、今までとは全く違っていた。
言葉のおぼつかない自分を精一杯フォローしてくれる彼らに、健人はこの短い間、何度感謝したか分からない。
いつか恩を返せたら……。すべては無理でも、少しでも力になれたら……。そう考えながら、宿の仕事を精一杯手伝ってきた。
日本にいた時とは少し違うが、温かい家族。ぬくもりに包まれた、陽だまりのような場所がそこにはあった。
だが、その家族の形も、あっという間に破壊された。
恩人の夫妻は理不尽に殺され、そして今、最後に残った“家族”が命を奪われそうになっている。
「お……」
認められるか? そんな理不尽。認められるか? そんな現実。
「お、おお……」
否、断じて否だった。
健人の胸の奥から、理不尽な現実に対する怒りがこみ上げる。
家族を奪われてはたまるかという原始的な怒りは、雄たけびとなって腹の奥から爆発し、自由を奪っていた硬直を瞬く間に溶かした。
そして健人に、殺意が交差する戦場の中で最初の“一歩”を踏み出させる。
「おおおおおおおおおおおおお!」
「なっ!?」
盾を構えたまま、剣を振り上げた敵兵めがけて突進する。
虚を突かれた敵兵は目標を健人に切り替えて剣を振り下ろすが、構えた盾と突進の勢いを前に弾かれた。
「あああああああああああああ!」
健人は突進の勢いに任せるまま、敵兵二人をリータから引き離す。
だが、勢いが強すぎた。健人は足をもつれさせてしまい、三人は近くにあった油樽を巻き込みながら倒れこんでしまう。
「くっ、このガキ!」
健人に押し倒されるような形で倒れこんだストームクローク兵だが、素早く反撃に移ってきた。
「ぐあああああ!」
盾の陰にいる健人めがけて、剣を振るった。
倒れた状態から盾越しに打ち込んだために満足に力は入らなかったが、それでもストームクローク兵の剣は健人の肩に食い込み、激痛が彼を襲う。
だが、健人も引かない。健人はストームクローク兵を押し倒したまま、手を伸ばした。
伸ばした手の先にあったのは、放置されていたカンテラ。先ほど油樽を押し倒した時に地面に落ちたものだ。
鉄製の枠の中では、未だに小さな明かりが煌々と灯っている。
「っ、なにを……」
健人はそのまま“油の広がった地面”に向かって、カンテラを叩き付けた。
油は、先ほど健人が押し倒した樽の中に入っていたもの。元々は松明や照明に使用されていた、可燃性の高いものだ。
舞い上がった火が、油面に落ちる。
次の瞬間、3人を炎が包み込んだ。
「ぐあああああああ!」
「ぎぃあああああ!」
ストームクローク兵が絶叫を上げながら、何度か炎から逃れようと抵抗する。
めちゃくちゃに剣を振り回し、もがき続けるストームクローク兵。
だが健人は己の身を焼かれながらも、決して敵兵から離れようとしない。
「ぐ、いいいいいいい!」
歯を食いしばりながら、健人は一心に身を焼く熱と振り下ろされる剣の痛みに耐える。
守るために、壊されないために。
「もういい馬鹿! さっさと離れろ!」
突然、健人はものすごい力で引っ張られた。
引っ張り上げたのは、ドルマだった。
彼が斬り合っていた敵兵は既に倒され、洞窟の端で躯を晒している。
「ドルマ……。リータは……」
「無事だ。それよりお前……」
健人の姿を確かめたドルマが、思わず顔を顰める。
「ケント!」
リータがあわてた様子で駆け寄ってくる。怪我をした様子はない。
健人の胸に安堵が広がった。
「リータ、よかった……」
「馬鹿! あんた何やってんのよ! あんな、無茶……」
リータの涙を浮かべた嗚咽交じりの言葉に、健人は苦笑を返すしかなかった。
健人はここにいたり、ようやく自分の体を確かめた。
そして彼は確かめて思う、ひどい有様だと。
肩を始めとした、剣で斬られたことによる傷跡、全身を炎が舐めたことによる火傷。満身創痍と言うほかない状態だった。
「ケント、傷を見せてみろ……」
「おい、よそ者。使え」
傷を見ようとしてきたハドバルを制し、ドルマが何かを放り投げてくる。
とっさに受け取ったものを確かめてみると、それは回復薬が入った瓶。砦で手に入れたポーションだった。
「早くしろ。急いでヘルゲンから離れなけりゃならないんだ」
「あ、ああ。ドルマ、ありがとう」
「…………」
礼を言う健人に対して、眉を一瞬ひそめると、背を向けて離れていく。
相変わらず変わることがない拒絶の声色と気配。
ドルマにとって、健人は相変わらず、心を許すような存在ではないらしい。
それでも、こうして薬を渡してくれたことが、健人は嬉しかった。
「ほらケント、薬塗ってあげるから、服脱いで」
「あ、ああ、お願い……いっ!?」
焦げた上着を脱ぎ捨て、火傷を負った体を晒す。
炎に包まれたとはいっても、盾とストームクローク兵が、健人の体を守ってくれたおかげで、重症というほどではない。
引きつるような痛みが残っていることが、神経まで焼かれていないことの証左だ。
それでも、リータが薬を塗りつけるたびに、刺すような痛みが健人を襲う。
「イタ! もうちょっと優しくしてくれよ」
「無理、あんな無茶したケントが悪いの」
感情が焦燥から怒りに変わったのか、リータは健人の悲鳴を無視して乱暴に薬を塗りつけていく。
健人は肌に広がるひんやりとした感覚にくすぐったさを感じていた。
ある程度傷にポーションを塗った後、リータは残りを健人に手渡し、彼はそれを飲み干した。
ポーションの効力が瞬く間に傷を癒し、痛みを取り払っていく。
「……ケント、ありがとね」
「家族、だからね……」
「……うん!」
リータと健人、2人の焦燥と疲労の色はいまだに濃い。
それでも、リータは、健人の言葉に束の間の笑顔を浮かべた。
張り詰めるような戦場の中でのわずかな休息。しかし、その時間は、健人の心に小さな種をまいた。
“この残った家族を守りたい”
その種がどのような実を結ぶかはわからない。
だが今この時、スカイリムの中で、坂上健人は小さな、だが確かな一歩を踏み出した。