【完結】The elder scrolls V’ skyrim ハウリングソウル   作:cadet

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ハルメアス・モラ戦後編です。


第十九話 ハウリングソウル

「ぐっ、が……」

 

 崩れ落ちたミラークの塔の瓦礫の中から、健人が這い出して来る。

 上空から放たれた衝撃波と塔の残骸にもみくちゃにされながら落下した健人だが、体に纏ったドラゴンアスペクトの光鱗がその被害を最小限に収めてくれた。

 しかし、当然ながら、全くの無傷というわけではない。

 落下した衝撃と体のあちこちを瓦礫にぶつけた影響で、全身が油の切れたブリキ人形のようにギシギシと軋んでいた。

 体全体に、まるで鉛の塊を背負ったような倦怠感が覆っており、体を起こすことさえも一苦労する様子だった。

 

「ミラーク、無事か!?」

 

 健人は何とか体を起こし、隣で戦っていた戦友を探そうと周囲を見渡すが、周りには瓦礫が散乱しているだけで、ミラークの姿はない。

 

「う、うう……」

 

 だがその時、積みあがった瓦礫の一角から、ミラークの呻き声が聞こえてきた。

 健人が慌てて瓦礫を退かし始める。

 ドラゴンアスペクトの効果はまだ続いている。本来なら重機を使わなければ動かせないような瓦礫も、今の健人なら動かすことができた。

 崩れた建材の隙間から、ミラークが被っている特徴的な仮面が見えてくる。

 

「いた! 大丈夫……か」

 

 大急ぎでミラークの体に圧し掛かっている瓦礫を退かす健人だが、目に飛び込んできた光景に思わず言葉を失った。

 

「ガハッ! ここに来て、このザマとはな……」

 

 鋭利な瓦礫が、ミラークの腹を貫いている。しかも複数。

 ミラークの体の下には流れ出した血が広がり、大きな血溜を作っていく。

 幸いまだ息はあったが、明らかに致命傷と思える傷だった。

 

「喋るな! 今、回復魔法を……発動、しない?」

 

 健人が重傷を負ったミラークに向かって手をかざし、回復魔法を唱えようとするが、魔法が発動する様子は微塵も無かった。

 健人の表情が驚愕と焦燥に染まる。

 だがミラークは何故健人の魔法が発動しなかったのか、既に理解している様子だった。

 

「無駄だ。ハルメアス・モラが私やお前を含め、この白日夢の領域全ての魔力を吸い上げてしまった。もう魔法は使えん……」

 

「そんな……っ!?」

 

 この世界の魔法とは、エセリウスから降り注ぐ魔力を肉体が貯め込み、それを消費して発動する。

 術者本人の魔力が尽きても、しばらくすれば体が徐々に周囲の魔力を取り込んで回復していくが、そもそも取り込むべき魔力が周囲になければ、回復しようがない。

 健人は空を見上げ、全天を覆う巨大な魔法陣に目を向ける。

 ミラークの言う通り、自分達だけでなく、白日夢全体の魔力が喪失したというのなら、原因はあの魔法陣しかありえなかった。

 

「あの魔法陣は一体……」

 

「あれ程、の、魔法陣。おそらく、魔術神の知識……の一端……ガハッ!」

 

「マズい、回復魔法は使えなくても、今はとにかく止血を……」

 

 ハルメアス・モラが展開した魔法陣についてミラークが言を吐こうとするが、口から出たのは生々しい鮮血だった。

 健人が慌ててミラークの腹を抑えて止血しようとするが、そんな行動をハルメアス・モラが許すはずもなかった。

 

「ミラークにかまけている暇はないぞ、我が勇者……」

 

 突如として空中に出現した穴から、鋭い触手が飛び出して健人を襲う。

 健人は咄嗟に手に持っていた黒檀のブレイズソードで触手を切り払うが、空中に空いた穴は瞬く間に数十に及び、穴から飛び出してきた無数の触手が健人に襲い掛かってきていた。

 

「くそ、ティード、クロ゛、ウル゛! スゥ、ガハ、デューーーン!」

 

 健人は時間減速と激しき力のシャウトを唱えて己の肉体時間と剣速を加速させ、迫りくる無数の触手群を斬り払う。

 たとえ魔力がない空間だろうと、魂の力を直接具現するシャウトであるならば行使できる。

 ハルメアス・モラが叩き付けてくる触手の群れは、まるで剣の結界を思わせる双刀の乱舞よって阻まれるが、彼の表情に浮かぶ焦りの色は徐々に濃くなっていっていた。

 一見、健人はハルメアス・モラの攻勢を防ぎ切れているように見えるが、触手の数は徐々に増えてきている。

 健人の脳裏にさらに数を増した触手に押し切られる光景が浮かぶが、それでも彼はかまわず、触手による多重攻撃を迎撃し続ける。

 だが、必死の抵抗を続ける健人を嘲笑うように、ハルメアスモラはおもむろに己の本体の触手を、健人めがけて振り下ろした。

 

「受け止め切れるか? 避ければ後ろのミラークが死ぬぞ」

 

「ぐっ……おおおおおおおお!」

 

 家ほどの太さを持つ巨大な触手が、健人に襲い掛かる。

 健人は双刀を掲げて叩きつけられた触手を正面から受け止めた。

 強烈な負荷が健人の全身に襲い掛かり、掲げた黒檀のブレイズソードが、ミシリと軋む。

 あまりの圧力に健人は思わず膝を崩してしまうが、それでも咆哮を響かせながら全身の筋肉に鞭を打ち、ハルメアス・モラ本体の触手を弾き返す。

 

「ふむ、さすがは我が勇者、存外に粘る。だが、無駄だ“吹き飛べ”」

 

「なっ!? がっ!?」

 

 だが、ハルメアス・モラがたった一言“吹き飛べ”と呟いただけで、健人の足元から強烈な衝撃波が吹き上げ、彼の体を空中に吹き飛ばした。

 突然打ち上げられた衝撃に苦悶の声を漏らしながらも、健人は空中で体勢を立て直して着地し、反撃とばかりに“揺ぎ無き力”のシャウトを唱える。

 

「ぐっ……ファス、ロゥ、ダーーー!」

 

 放たれた不可視の衝撃波が、健人の周囲を取り囲む触手群を弾き飛ばしながら、一直線にハルメアス・モラ本体向かって疾走する。

 

「“かき消えよ”」

 

 しかし、健人が放った“揺ぎ無き力”も、ハルメアス・モラが再び一言呟いただけで霧散した。

 揺ぎ無き力程度のシャウトでは、通用しないと察した健人は、己の中で最大規模のシャウトの一つを唱える。

 

「ちぃ、ストレイン、ヴァハ、クォ!」

 

 唱えたのはストームコール。

 健人の叫びに呼応した空がスカイリムの嵐を再び具現し、無数の雷が上空で漂うハルメアス・モラ本体に向かって牙を向く。

 

「“散れ”」

 

 だが三度ハルメアス・モラが呟くと、全天を覆う魔法陣が怪しい光を放ち、次の瞬間、ストームコールによって作られた大嵐を、向かってくる雷もろとも霧散させた。

 

「嘘だろ……」

 

「魔術神マグナスの知識の一端、お前達のシャウトとは違い、魂の力ではなく精霊力で世界を直に操る理だ。

 この英知を、我が術式でアポクリファ全域に適用させた以上、人間ごときの力の言葉など通用しない……」

 

 己の持つ最大規模のシャウトを難なく四散させられ、健人の口から唖然とした声が漏れる。

 ハルメアス・モラが持ち出した魔法陣は、かつてニルンを創造する上で、魔術神マグナスが持ち出した術の一欠片だった。

 

“マグナスの紙片”

 

 創造された世界の法則を、魔術神マグナス自身が調整するための術式であり、全天を覆う魔法陣は、マグナスの術式をアポクリファ中に適用させるために、ハルメアス・モラが構築したものである。

 

「アカトシュの妨害があるタムリエルならとかく、このアポクリファは我が領域。

 故に、アポクリファに存在するものはこの魔法陣で全て私の自由となる。“眷属よ、甦れ”」

 

 ハルメアス・モラがつぶやくだけで、健人とミラークが全力を賭けて屠ってきた万を超えるルーカーとシーカー達の死体が息を吹き返す。

 粉砕され、焼き尽くされ、原形を失い、塵ほども残らず消滅させられた者達でさえ、まるで逆再生の動画を見ているかのように甦っていった。

 

「終わり……だな」

 

 再び健人とミラークを囲んだデイドラの軍勢。

 そして、上空から得意気な瞳で睥睨してくるハルメアス・モラを前に、ミラークが諦めの言葉を漏らした。

 完全に消耗しきった健人と、重傷を負い、魔法を封じられて回復不可能となったミラーク。

 対するハルメアス・モラは、人が扱える領域を遥かに超えた万能かつ強大な力を見せつけながら、瞬く間に失った己の眷属を復活させた。

 状況はもはや絶望的だった。

 

「まだ、だ。まだ、終わってない……」

 

 ストームコールと、ドラゴンアスペクト、そしてハウリングソウルの消耗で息も絶え絶えになってきた健人が“それでも”と刀を構え、戦意を見せる。

 だが、既にその肉体は限界が近いのか、掲げた刃の切っ先は不自然に揺れていた。

 

「いや、終わりだ。異界のドラゴンボーンよ。ミラークを助けずにその魂を食らっていれば、このような事にはならなかっただろうがな」

 

 喜悦を含んだ声を漏らしながら、ハルメアス・モラは健人の健気な抵抗の意思をあざ笑う。

 ハルメアス・モラとしては、健人がミラークに勝った時点で、彼をミラークの後継者として、自分に仕えさせるつもりだった。

 その為に服従のシャウトの契約を迫り、ドラゴンアスペクトの言葉を授け、スコールの呪術師を殺して、後に退けなくさせた。

 後は彼にミラークの力を吸収させて従属心を植え付けるだけだったのだが、予想以上に健人の反骨心が強くなりすぎたために、敵だったはずのミラークを助けるという行動まで起こしてしまった。

 

「今からでも遅くはないぞ? ミラークを殺し、その魂と力を吸収して我に仕えよ。忠義に励めば、それに相応しい報酬も約束しよう……」

 

 だからこそ、ハルメアス・モラはここで再び健人を己に仕えさせようと、契約を持ちかける。

 ミラークを殺してその力と魂を奪い、後継者として己に仕えろと。

 

「……お断りだ」

 

 だが、ハルメアス・モラの提案を、健人は即座に拒絶した。

 彼の意思は、とっくに決まっていた。

 例え力で押さえつけようが、蠱惑的な誘惑で唆そうが、彼は既に、命を賭して己のすべき事を定めてしまっていたのだ。

 

「言ったはずだ。俺は、俺自身のケジメを付けるためにここに来た。たとえ四肢を砕かれても、絶対にお前の思い通りになんてなってやらない!」

 

“ソルスセイムを、ハルメアス・モラから解放しろ!”

 

 それが、今の健人が魂を震わせる原動力。

 故に、ハルメアス・モラに対する答えは否。

 たとえ絶望的な力の差を突き付けられようと、健人は胸の奥で震え続ける魂のままに、己の答えを高々と咆える。

 

「ならば、スコールの呪術師のように、お前をアポクリファに閉じ込めた上で殺し、その魂を抜き出すとしよう。

 まずはその邪魔な人格を壊し、異界の知識も一滴残らず絞り出す。

 その上で、残りカスもアポクリファの深奥に納めて眺める事としよう」

 

 改めて健人の答えを耳にして、ハルメアス・モラはついに彼を殺すことを決める。

 再び襲い掛かる無数の触手群。

 さらに復活したシーカーとルーカーが健人を取り囲み、一斉に襲い掛かってきた。

 全方向から叩き付けられる無数の触手と爪、そして魔法。

 ハルメアス・モラから魔力を供給されているのか、精霊力が完全に枯渇したアポクリファ内でも、シーカー達は問題なく魔法を展開していた。

 

「おおおおおおおおお!」

 

 健人は咆哮を上げながら、触手を切り裂き、振り下ろされる爪を腕ごと両断し、叩き付けられる魔法を消し飛ばすが、ハルメアス・モラだけでなく復活したデイドラ勢まで攻勢に加わったこの状況では、儚い抵抗に過ぎなかった。

 無数の触手の内の一本が健人の体を捕らえ、強かに打ち据えながら吹き飛ばす。

 周囲のルーカーとシーカーを巻き込みながら倒れた彼にさらに複数のルーカーが覆いかぶさる。

 

「“潰れろ”」

 

「どけ! ウルド!」

 

 ハルメアス・モラが押さえ込んだルーカー達ごと、健人を潰そうとしてくる。

 邪神の声をそのまま体現するように空間が歪み、不可視の力が健人を押し潰そうとしてくるが、彼は圧し掛かっていたルーカー達を力づくで押しのけ、旋風の疾走で離脱。

 周囲を取り囲むデイドラ達を一顧だにせず、即座にハルメアス・モラに反撃しようと、空中へと跳躍する。

 宙に浮く無数のシーカー達が衝撃魔法を放ってくるが、健人は鮮やかに身を翻し、逆に宙に浮くシーカー達を足場にしながらハルメアス・モラ本体めがけて跳躍を繰り返す。

 

「“重力の枷よ”」

 

 シーカー達を足場にしながら向かってくる健人を前に、ハルメアス・モラはアポクリファに存在する重力を操り、健人を地面に叩き落とす。

 ハルメアス・モラの重力干渉に巻き込まれた眷属が百体ほど纏めて地面に落ちるが、邪神は眷属が巻き込まれるのも構わず、無数の触手を叩きつける。

 健人もまた迫りくる触手を払おうと、懸命にブレイズソードを振るい続ける。

 だが、刀がハルメアス・モラ本体の触手と幾度か激突した後、突然刀身がバリン! と甲高い音を立てて砕けてしまった。

 

「なっ!?」

 

 ミラークとデイドラの軍勢、そしてハルメアス・モラとの闘いの中で、ついに刀が限界を迎えたのだ。

 愛刀が粉砕された為に、健人の戦闘意識に一瞬空白が紛れ込む。

 そして、その隙をハルメアス・モラが逃すはずもなく、無数の触手が健人を貫かんと切っ先を向けて迫ってきた。

 

「しま……」

 

 思わず隙を晒してしまった健人が、何とか迫りくる触手を躱そうとするが、既にハルメアス・モラの攻撃は回避不能な距離にまで迫っていた。

 だが、ハルメアス・モラの触手が健人を貫くより先に、強烈な“声”がアポクリファに響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ケント……ぐっ!?」

 

 ミラークもまた健人の抵抗し続ける姿を見て、必死に魔力をかき集めて彼を何とか助けようともがく。

だが、ミラークの魔力はすでに完全に枯渇しており、さらに腹を貫いた瓦礫は崩れた他の瓦礫にガッチリと挟み込まれているためか、少し身を揺らすだけで、その場から動く事すらできない有様だった。

 

「もう、爪の先ほどの炎も出せぬか……」

 

「ミラーク……」

 

 その時、ミラークの耳元で不快な囁き声が響いてきた。

 ミラークが失血で朦朧とする視界を横に向けると、気味の悪い単眼が瀕死の彼を覗き見ていた。

 

「ハルメアス……モラ」

 

 突如として言葉を掛けてきたハルメアス・モラにミラークは悪寒を覚える。

 そして、そんな彼の悪寒が的中したのか、ハルメアス・モラは信じられない言葉を彼に掛けてきた。

 

「私との契約は既に絶たれたが、また新たな契約を結んでも良いぞ? もちろん、タムリエルに帰還することも許そう……」

 

「なん、だと……」

 

 死を前にして突如として降って湧いた話に、ミラークは思わず自分の耳を疑った。

 デイドラロードが、裏切った配下を生かしておくはずはない。

 まして、自由を与えるなどあり得ない話だ。

 

「条件はただ一つ。あの異界のドラゴンボーンを殺せ。奴の魂を我に捧げよ。さすれば、お前は自由だ……」

 

 ハルメアス・モラがミラークを自由にする代償として提示してきたのは、ミラークを庇うように戦っている健人だった。

 健人を殺せ。さすればお前は自由だと、ハルメアス・モラは蠱惑的な誘惑をミラークの耳元で囁く。

 

「なるほど……そういう事か。結局、私は誰かを裏切る運命だと、そう言いたいのか……」

 

 裏切りを重ねた自分の人生を思い出しながら、ミラークは自嘲するように天を仰ぐ。

 

「ふざけるなよ……」

 

 だが、次の瞬間に彼の胸中に湧き上がってきた感情は、こんな下らない契約を持ちかけてきたハルメアス・モラに対する怒りだった。

 自らが自由になる為だったら、あらゆるものを踏みつぶして行くと決めていたはずのミラーク自身が驚くほどの激情が、致命傷を負って力を失っていくだけの体の奥底から溢れ出していた。

 

「そうか、ならば、お前の魂も同じように潰してしてやろう。

 どの道、もうお前には抵抗する力は残されていない。その場で異界のドラゴンボーンが死ぬ様を眺めながら、己の人生の無意味さを嘆いているがいい……」

 

 元々ハルメアス・モラ自身も期待していなかったのだろう。

 ミラークの拒絶を聞いても特に執着する様子もなく、スゥ……と送り込んだ端末をかき消していく。

 ハルメアス・モラとの再契約を拒絶したミラークは再び体を動かそうともがくが、今度は指一つ動かなかった。

 腹部の致命傷から大量の血を失った彼の体は、既に身動き一つできないほど衰弱しきってしまっていた。

 体が衰弱したことで痛覚すら機能を失ったのか、腹部に走っていた激痛もいつの間にか消えていた。

 視界も明滅を繰り返しながら、徐々に薄れてきている。

 

「ここまで、か……」

 

 ミラークは己の死が避けられないと分かり、自嘲にも似た声を漏らす。

 だが、彼は思った以上に、自分の胸の内は晴れやかであることに気がついて、口元に笑みを浮かべた。

 自分の死を前にして、ミラーク自身は後悔とか禍根の念に囚われると思っていたが、胸に浮かぶのは、自分を長年閉じ込めたハルメアス・モラの誘惑を蹴り飛ばしてやった爽快感と、不思議な安堵。

 ミラークは改めて、目の前でハルメアス・モラに抗い続ける健人に目を向ける。

 絶望的な状況に陥ろうが、彼の魂は陰る事無く輝き続け、その震えをさらに増し続けている。

 そんな健人の後姿を眺めながら、ミラークは初めて自分の人生を受け入れることが出来たような気がしていた。

 初めて、自分と対等に言葉を交わした異世界人。

 ひたすらに奪われたものを取り返そうとし、背負わされた運命から逃れようとした人生を思い返しながら、遠く、本来なら到底見えることのないはずの出会いに、ミラークは初めてアカトシュに胸の奥で感謝を捧げた。

 

”名前なら、自分でつければいい……“

 

 ミラークの脳裏に健人の言葉が蘇る。気が付けば、ミラークは自然と彼のスゥームを口にしていた。

 

「モタード……ゼィル゛」

 

 擦れる様な声で発した力の言葉が、ミラークの残っていた命に火を灯し、死に瀕した肉体に最後の息吹を蘇らせる。

 そしてミラークは、最後の言葉を綴り始めた。

 

「“ズゥー、メイ、ディヴ。サーロ ゙、ディヴォン、フォラ ゙ース、クロン。ガーロト、カー、ゼィン。ニヴァーリン、ムズ”」(我は墜ちた翼なきドラゴン、己の弱さ故に力に溺れ、魂を穢し、数多の罪を背負った罪人)

 

 それは、友へと捧げる祝詞。

 弱さ故に力を求め、道を見失い、罪を重ねた自分と共に戦ってくれた者に向ける感謝の言葉。

 

「“セィザーン、クロン。オンド、ディル、セィヴ、コプラーン”」(我が力は既に尽き、もはや死して屍を晒すのみ)

 

 避けようのない死を前にしながらも、ミラークはまだ己に出来る事があると気付いていた。

 今にも消えそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、ミラークは数千年間の人生の中で、最初にして最後の祈りを紡ぎ続ける。

 

「“ヌズ、ズゥー、ゼィル゛、ロ ゙ス、ヘト。ディヴォン、ニス、セィヴ、ソブンガルデ。フェン、ドラール、クリル ゙、ザーン、ラード、ティード……”」(されど、わが魂は未だここにあり、既にソブンガルデに行く事は許されざる身であるものの、今わの際に最後の声を響かせん……)

 

 これが、ミラークが紡ぐことができる最後のスゥーム。

 彼の目の前で、ハルメアス・モラの攻撃を捌こうとした健人のブレイズソードの刀身が砕け散った。

 思わず隙を晒してしまった健人に、ハルメアス・モラの追撃が迫る。

 

「“ナール ゙、スレイク、ド、カーン。ナール ゙、スレイク、ド、ショール。アールク、ナール ゙、スレイク、ド、クルゼィクセウス!”」(カイネの名の下に、ショールの名の下に、そして古き神々の名の下に!)

 

 最後の力を振り絞り、声を張り上げる。

 ミラークの叫びを耳にした健人が振り返り、彼を貫こうとしていたハルメアス・モラの触手の動きが止まる。

 今わの際の言葉を紡ぐミラークの姿を見た健人の瞳は、驚愕で見開かれていた。

 

「“フェン、ドレ、コス、ファードン、セィル゛! アール ゙、フィック、ミル、アーク。オファン、ユヴォン。エヴェナー、ヴロ ゙ム。クロン、ファードン、ホコロン。モタード、ム、スゥーム、ラヴィン!”」(今ここに、我は友の半身とならん! 我が名、ミラークの名に相応しく、全てを捧げ、闇夜を照らし、我が友の障害悉くを塵芥に帰し、共に世界を震わせん!)

 後は頼むぞ、わが主……ジー、ロス、ディデュ!」

 

 そしてミラークは、己自身に魂を捧げるシャウトを掛けた。

 魂簒奪。

 服従のシャウトで無理矢理従えた眷属竜に、その魂を捧げさせたシャウト。

 ミラークはかつて魂を奪うために使ったシャウトを、今度は己の魂を捧げるために使う。

 術者であるミラークの肉体が燃え上がり、祝詞に従い、彼の魂が主と定めたドラゴンボーンに注がれていく。

 己の魂が燃え上がる虹色の炎の中で、ミラークは己の最初にして最後の主に、微笑みかける。

 世界の全てを憎み、否定し続けた一人の男。

 “忠誠”という運命に翻弄された彼は最後に、自らの名と主を定め、魂と意思を託せる友のために、己の全てを捧げきった。

 

 

 

 

 

 

 

「ミラーク!」

 

 全身に注ぎ込まれるミラークの魂と燃え盛る彼の体を前に、健人は思わず戦友の名を叫んでいた。

 ハルメアス・モラもまたミラークの予想外の行動に驚いていたのか、健人を貫こうとしていた触手も動きを止めていた。

 

「退け! ウルド!」

 

 健人は動きの鈍った触手の群れを左手のスタルリムの短刀で弾き飛ばし、旋風の疾走を唱えてミラークに駆け寄る。

 健人はミラークの体に手を伸ばして、彼の体を起こそうとするが、健人の手はまるで霧を掴むように、ミラークの体をすり抜けてしまう。

ミラークの体は既に燃え尽き、残された僅かな魂だけが幻影という形で現世にとどまっているだけだった。

 

「ミラーク、お前、何をやって……」

 

「…………」

 

 覚束ない健人の問いかけに、ミラークは仮面の下で満足そうに笑みを浮かべていた。

 やがて、うっすらと残っていた彼の姿はまるで幻のように消え去り、燃え尽きた肉体と、彼が身に着けていた仮面だけが残されていた。

 

「まさか、ミラークが自分からお前に魂を捧げるとはな。一時の情に絆されるあたり、存外安い男だったようだ……」

 

「っ!?」

 

 ミラークの死を前に呆然としていた健人の耳に、ハルメアス・モラの嘲りの声が響く。

 知識の邪神は長年己に仕えていた眷属の死を悼むこともなく、唯々己の欲求のままに、健人と彼に連なる全てを蹂躙しようとしていた。

 

「さて、それでは、お前をこのアポクリファに幽閉するとしよう。ミラークと同じように悠久の時の中で、その精神と肉体、そして魂も完全に我のものとなるのだ」

 

 全天を覆うハルメアス・モラの魔法陣が、これまで以上に怪しい光を放ちながら、脈動するように明滅を繰り返す。

 ハルメアス・モラはこの白日夢の領域全てを、健人を幽閉するための檻とするつもりなのだ。

 オブリビオンからニルンへ干渉することは難しいが、オブリビオンそのものを閉じることはさほど難しくない。

 さらにハルメアス・モラは、持ち出した“マグナスの紙片”までも利用し、白日夢の領域自体に“ケント・サカガミを閉じ込めるための牢屋”としての機能も付加させ、時間や空間だけでなく、次元そのものまでもが凍り付いた領域へと変えようとしている。

 それは、かつてミラークを幽閉した時とは比較にならないほど強固な牢となるだろう。

 

「……あ、あああ」

 

 明滅を繰り返していた全天術式が一際強い光を放ち、次の瞬間、アポクリファの空はまるで凍り付いたように灰色に染まる。

 続いて、健人を取り囲んでいたルーカーとシーカーの軍勢も、毒の海も、まるで時を止めたように固まった。

 ハルメアス・モラが健人を閉じ込める為に展開した全天術式が発動し、その効果を発揮したのだ。

 全てが氷のように凍てついた世界で動けるのは、アポクリファの主であるハルメアス・モラと、この世界では完全な異物である健人のみ。

 マグナスの紙片とハルメアス・モラの全天術式は、あくまで彼に帰属する世界や魂に影響を及ぼすもの。

 アポクリファでは完全な異物である健人に直接干渉することは出来ないが、小さな人間が干渉出来る領域はとうに超えた封印が、白日夢の領域には施されていた。

 

「あああああああああああああああああああああ!」

 

「悲嘆の叫びか。絶望に落ちた人間の叫びは、また甘美なものだ……」

 

 健人の絶叫が、次元の閉じた白日夢の領域に響く。

 既にハルメアス・モラが定めた世界法則は白日夢の領域に適用され、健人は完全に脱出することが不可能となっている。

 いくら異物である彼が“マグナスの紙片”の影響を受けないとはいっても、この白日夢の領域は完全に凍り付いてしまっていた。

 後は、このドラゴンボーンの肉体を滅し、魂を手に入れるのみ。

 そしてそれは、今のハルメアス・モラにとっては造作もない事だった。

 いくらミラークの魂を手に入れたと言えど、“マグナスの紙片”を操るハルメアス・モラへの攻撃は全て無意味なものへと変えられてしまう。

 異世界の知識を持つ、力あるドラゴンボーンの魂を手に入れたことに、ハルメアス・モラは歓喜の声を上げていた。

 

「……むっ?」

 

 だがその時、アポクリファの主人たるハルメアス・モラが、奇妙な違和感を察知した。

 異世界のドラゴンボーンを閉じ込めるために展開した全天術式。

 悠久の時を牢屋として機能させるための、動くはずのない術式の一部分が、僅かに震えていた。

 巨大な魔法陣のごく一部に発生した違和感は、徐々にその震えを増し、魔法陣全体に伝搬し始める。

 それに従い、時間も空間も凍り付いたはずのアポクリファに、ゴゴゴ……と地鳴りのような音が響き始める。

 

「なんだ、これは。アポクリファが、震えている? まさか、ありえない。マグナスの紙片を用いた我が領域内で、我の意図しない現象が起こるはずが……」

 

 動くはずのない世界が、動き始める。

 それは、ハルメアス・モラからすれば絶対にありえない現象だった。

 起こりえない事象を前に、初めてハルメアス・モラの余裕が崩れる。

 その動揺は今までハルメアス・モラが経験したことがないほどのものであり、知識と星読みの王にして運命の王子が、懇願にも似た声を漏らすほどだった。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 ハルメアス・モラの懇願を否定するように、健人の咆哮と共鳴するように震える全天術式。

 ミラークの死を目の当たりにし、そして彼の魂と願いを託された健人の魂は、凍り付いて停滞した世界そのものを砕くのではと思えるほどに猛り狂う。

 

「っ! ミラークの置き土産か、小賢しい! 世界よ!」

 

 予想外の事象を前に、ハルメアス・モラは慌てて“マグナスの紙片”に命じ、白日夢の領域をさらに強固に閉じようと、己の全魔力を捻りだして全天術式に叩き込む。

 だが、いくらハルメアス・モラが魔力を注ごうと、アポクリファ全域に伝搬していく震えは止まらない。

 健人とミラークの共鳴し合う強大な魂は、今までとは比較にならないほどの力を引き出し続ける。

 生み出される力はもはや健人の体に収まり切れなくなったのか、虹色の光の濁流となり、無秩序に荒れ狂う。

 その規模はハルメアス・モラにして、悪寒を覚えるほどのものだった。

 

「モタード、ゼィル゛……」

 

 健人の口が、真言を紡ぐ。

 ハウリングソウル。

 異種の存在同士を震わせるスゥームが、指向性のない無秩序な力に方向性を与えていく。

 だが、ハウリングソウルは未だ二節までしか構築されていないシャウト。

 最大の力を発揮するための三節目は、未だに紡がれたことはない。

 しかし、極限状態の健人の口は、自然と最後の言葉を発しようと動いていた。

 彼が願ったのは、己とミラークの魂の叫びを世界に響かせる事であり、ハウリングソウルの三節目を構築するための言葉は、既にかの戦友によって示されていた。

 そして、ハウリングソウルの最後の言葉が紡がれる。

 

「ラヴィン!」

 

 意味は“世界”。

 ミラークが最後に示した、震える己の魂を真の意味で外界に解き放つための最後の一節。

 次の瞬間、解放されたハウリングソウルは、不可視の振動波となり、ハルメアス・モラ本体に襲い掛かる。

 ハルメアス・モラが魔力を捻りだして“マグナスの紙片”と“全天術式”に健人と彼のシャウトを抑え込むように命じるが、共鳴のスゥームによって、彼の命じた“停滞”と“絶対”の意味を崩された術式は機能不全に陥り、逆に健人のシャウトによって端から自壊していく。

 

「な、なんだと!? 我が知識の粋を結集した陣が!?」

 

 ハルメアス・モラが驚嘆を露にしている中、健人のハウリングソウルがついにハルメアス・モラ本体を捉えた。

 不可視の振動波がハルメアス・モラの肉体を引き裂き、本体周囲に浮かぶ無数の目を粉砕していく。

 そして端から自壊していた全天術式が完全に崩れ、マグナスの紙片がまるで熟れた果実を潰したように破裂する。

 さらに健人のシャウトはハルメアス・モラ自身が全天術式に注いだ魔力すらも震わせ、超高位の術式が崩壊したことで無秩序に炸裂するマジ力は、共鳴のシャウトと共に邪神の肉体をさらに砕いていく。

 

「が、バカ、な……」

 

 それは、星読みの邪神ですら読めなかった結末。

 アポクリファ全体に響き渡った健人のシャウトは邪神が定めた檻を完全に破壊し、ハルメアス・モラの本体を、白日夢の領域ごと粉微塵に粉砕した。

 次の瞬間、無音の閃光が炸裂し、健人と砕かれたハルメアス・モラ、白日夢の領域を包み込む。

 そして健人の意識は、真っ暗な闇の奥へと消えていった。

 

 

 




やっとここまで書けました!
いや、長かった……
表題の“ハウリングソウル”も含め、これで健人のオリジナルスゥームが完成しました。
ついでに、ソルスセイム編もほぼ完結。後はエピローグで、第5章は終わりとなります。
以下、今話のオリジナル要素の説明


 マグナスの紙片

 ハルメアス・モラが展開した球形型積層魔法陣。本小説オリジナルの術式。
 元々は魔術神マグナスが構築した、膨大な精霊力により世界法則を調整するための術式。
 あくまでも調整を行うための術式であり、完全な無から有を作ることは到底出来ないが、後述の全天術式との併用により、行使者であるハルメアス・モラが所有している魂や、アポクリファ内部に限定すれば、死した眷属を瞬く間に蘇らせ、重力や空間等すらも世界規模で自在に操れる。
 空中に光る球状の魔法陣の内部に、曲線を伴った式が幾重にも重ねられており、その外観はとある大学クエストに出てくるアーティファクトに非常に酷似している。
 ハルメアス・モラが遥か昔に手に入れた最高位術式の一つであり、切り札。



 ハルメアス・モラの全天術式

 これもまた本小説オリジナル。
 アポクリファの空全てを覆い尽くすほどの術式。
 マグナスの紙片の効力をアポクリファ全てに拡大、適用させるための術式であり、同時にマグナスの紙片をハルメアス・モラが制御するための術式でもある。
 外観は黒の書やオグマ・インフィミウムに記載されている魔法陣に酷似しており、幾重もの円形の陣の中に、ハルメアス・モラ特有の、蛭がのたうつ様を思わせる無数の文字が羅列している。


 ハウリングソウル
 “Motaad、sil、Lein”

 共鳴させる対象によって効果の内容も変化し、また共鳴させる対象がどれだけ異質かで効果の規模が変化する健人のオリジナルスゥーム。
 ミラークの魂と祝詞により三節目の“世界”の言葉が加わったことで、完全となった。
 共鳴の効果がさらに増しており、もしもこのムンダスにおいて完全な異物である健人が魂を震わせ、全力で三節目まで唱えて発動させた場合、タムリエルの世界法則すら揺るがしかねない効果を発揮する。
 現に彼の“声”はマグナスとハルメアス・モラという絶対者が組んだ法則すらぶち壊し、半ば自爆に近い形とはいえ邪神の本体を砕き、アポクリファの一領域を塵に返した。
 ドラゴンレンドと違い、ドラゴン、人を問わず唱えることは出来るが、誰も健人程の効果を得ることは出来ないシャウト。


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