【完結】The elder scrolls V’ skyrim ハウリングソウル 作:cadet
宿屋でカシトの再会の抱擁を受けた健人は、迎えに来たハドバルと一緒に、彼の叔父であるアルヴォアの家へと戻った。
ハドバルが話した事情を聞いたアルヴォアは、健人達を快く迎え入れてくれた。
テーブルの上には蜂蜜酒と、アルヴォアの妻が用意した料理が並べられていた。
焼いたパンに、湯気の立つ鹿肉のスープ、皿の上にはみずみずしい野菜と鹿肉とサケのステーキと、ボリュームも満点。
宿屋で出された食事は簡素なもので量も少なかったことから、健人達には大変ありがたいものだった。
「あらためて、俺はアルヴォア。ハドバルの叔父だ。事情は甥から聞いたよ。ずいぶん世話になったな」
「いえ、俺達の方こそ。ハドバルさんがいなかったら、間違いなくヘルゲンでドラゴンに殺されていました」
「それはハドバルも同じだろう。信じられないような話だが、ハドバルの言うとおり伝説の獣が復活したのなら、生きていられただけで奇蹟だ。奇蹟なのだろうが……」
何か言いたそうな表情で、アルヴォアはテーブルの傍に居る人物に目を向ける。
「いやー、おいらも本当に死ぬかと思ったよ、ハグハグ……」
アルヴォアの視線の先にいたのは、気安い声で皿に盛られたサケのステーキにかぶりつくカシトだった。
彼は宿屋で健人達と再会した後、彼の体にしがみついたまま、このアルヴォアの自宅までついて来てしまっていたのだ。
ちなみに、彼の頭には握りこぶし程の大きさのタンコブが出来ている。
「……なんでこの猫野郎がここにいるんだよ」
「ひどい! おいらだって命からがらこの村にたどり着いたのに!」
勝手についてきたカシトに対して、ドルマが辛辣な言葉を投げかける。
一方、邪魔者扱いされたカシトは悲壮感たっぷりな叫びを上げ、滝のような涙を流している……ドロドロの汚物にまみれたまま。
なんとこの猫獣人、体を洗わないままアルヴォアの家に押しかけ、いの一番にテーブルの上にあった料理に飛びついたのだ。
「いやまあ、カシトのいう事も分かるけどね……」
確かに、必死の思いでこの村にたどり着いたことは分かる。空腹にあえいでいたことも理解できる。健人も彼と再会できたことは内心嬉しかった。
しかし、健人としてはこのカジートに対して、もうちょっとこう空気というか、間というか、遠慮というものがないのだろうかと内心思わずにはいられなかった。
「カシト、せめて体くらい洗ってきなよ。まだドロドロなんだから……」
健人は渡された布で服に付いた汚れを拭きながら、それとなく苦言を述べるが、カシトは相変わらずガツガツとステーキに食いついており、話を聞く様子が全くない。
健人は仕方なく、その手を振り上げ、タンコブができているカシトの脳天目がけて振り下ろす。
「ギャン!」
仕方ないから実力行使。
かつて、彼がアストンの宿屋で丁稚奉公していた時に迷惑をかけられていたためか、健人もカシトに対しては遠慮がない。
「うう……。誰か、おいらに優しさをください……」
さめざめと泣きながら蹲るカシト。その姿に、健人は妙に罪悪感が湧いてくるのを感じていた。
一方、突然押しかけられた側のアルヴォアは溜息を吐くと、スッと親指で家の裏を指さした。
「いいから、さっさと裏の川で体を洗って来い。終わったら飯は食わせてやる」
「イエッサー!」
アルヴォアの言葉に0.1秒で返答し、カシトは風のように飛び出していく。
そんなカシトの姿に、ドルマは厳しい視線を向けている。
そこには明確な蔑視の感情が見て取れた。
「いいのか? カジートのアイツを家に入れて」
カジートはスカイリムにおいて、ノルド達にはあまり歓迎されていない。
もっと言えば、忌避されているといってもいいだろう。
これはノルドの閉鎖的な気質もあるが、カジート側にも原因がある。
カジートはタムリエル南方のエルスウェアと呼ばれる地方に根付いている種族だ。
一面砂漠地帯のエルスウェアでは、タムリエル大陸でも一風変わった産物が多く、カジート達は商人としてその産物を持ちこみ、タムリエル各地を巡って商売をしている。
ただ、種族としてかなり大らかで適当なのか、法というものをあまり遵守しないカジートもいるのだ。
また、カジートは嗜好品として、ムーンシュガーという品を好んで舐めるが、これは人間には強い幻覚作用と依存性があり、危険視されている代物だ。
カジートにはただの嗜好品でも、人間には危険物に間違いないため、取り締まられるが、一方のカジートは生来の気質から気にせず都市内にムーンシュガーを持ち込んで食べる。
さらにムーンシュガーを精製するとスクーマと呼ばれる強力な麻薬が生成できるが、カジートの中にはこのスクーマも都市内に持ち込もうとする者がいるため、閉鎖的なノルドと衝突することは必定だった。
健人もヘルゲンのアストンの宿で働いていた時に、カジートに対するノルドの意見というのは耳にしている。
何とも言えない居心地の悪さを感じながら、健人は頬を掻いた。
「まあ、カシトも俺たちも、生き延びられたのは奇跡なんだし、今回は別にいいさ……」
ドルマが漏らした苦言に答えたのはハドバルだった。
彼はアルヴォアと視線を交わすと、苦笑を浮かべながら肩をすくませる。
実際、健人達がこうして生きのびることができたのは、まさに奇跡と言えた。
軍事や兵法などは無知の健人だが、漆黒のドラゴンを迎撃した時の帝国兵の動きは整然としており、組まれた隊列も一糸乱れぬものだった。
歩兵だけでなく、弓兵や魔法兵の練度も高く、上空を飛翔するドラゴンにも、的確に攻撃を当てていた。
だが、それでもかのドラゴンにはかすり傷一つつけられなかった。
ドラゴンは人間の抵抗など毛ほども気に留めず、天から絨毯爆撃のような隕石群を召喚してヘルゲンを文字通り灰にしてしまった。
「おじさん、俺は帝国軍に戻らなければいけない。そのためにもソリチュードに行く。この事態を収められるとしたら、それはテュリウス将軍だけだろうから」
帝国兵であるハドバルとしては、自軍と合流しようとすることは当然の行動である。
アルヴォアもハドバルの言葉を聞いて、納得したように頷く。
「そうか、君たちはどうするんだ?」
アルヴォアが次に目を向けたのは、身寄りがなくなった健人達だった。
ヘルゲンで家を焼かれた彼らにはいく場所がないのだ。
実際、健人達3人は困り果てたようにうつむいている。
「……分かりません。これからどうしたらいいのか」
その様子を見て、アルヴォアは沈痛な表情を浮かべた。
「まいったな……。俺たちもあまり余裕はないしな」
彼らをリバーウッドで受け入れようにも、冬の間に蓄えていた食料をはじめとした消耗品はほぼ底をついている。
今でこそ林業の村としてそれなりの生活をしているが、この村とて元々余裕があったわけではないのだ。
それに、帝国軍の拠点であるヘルゲンが落ちたのなら、その近くにあるこの村とて、今は安全とは言い難い。この村には駐留している兵がほとんどいないからだ。
とはいえ、このまま健人達に何も解決手段を提示しないまま放り出す気はアルヴォアにはなく、代替案は考えていた。
「身の安全を考えるなら、ホワイトランへ行くべきだろう。あそこはスカイリムで有数の大都市だし、ヘルゲンよりも守りはずっと強固だ。それに大きな町だから、人の集まる宿に行けば、日雇いの仕事もあるだろう」
ホワイトランはスカイリムの中でも最大級の都市であり、極めて重要な交通の要衝だ。
スカイリムのほぼ中心にあり、街道がスカイリムの各ホールドへと延びている。
さらに周囲にはこの寒冷な土地にしては肥沃な穀倉地帯もあり、気候の厳しいスカイリムの中において、季節を問わず人が行き交っている。
人が行き交えばそこには仕事が生まれ、経済は潤い、さらに人が集まるという循環が生まれる。
そんな土地ならば、確かに日雇いの仕事くらいは何とかなりそうだった。
アルヴォアの意見に、ハドバルが頷く。
「そうだな、それに、俺もホワイトランには寄るつもりだ。ソリチュードまで行くには準備が必要だし、ホワイトランのバルグルーフ首長にもドラゴンの復活については伝えないといけない」
「ハドバル、すまないが、その時に首長に兵をこの村に寄越してくれるよう頼めるか?」
「もちろん。話はしておくよ」
「ありがとう」
「すみませんハドバルさん。またお世話になります」
「いいさ、気にすることはない」
ドルマがハドバルに礼を言うが、ハドバルは気にするなというように手を振った。
順調に進んでいく話し合いだが、何か懸念があるように、唐突にアルヴォアの表情が曇った。
「だがハドバル、大丈夫なのか? お前は帝国兵だ。バルグルーフ首長は帝国に完全に恭順したわけじゃないが……」
今現在、スカイリムは帝国軍とストームクロークによる内乱状態だが、ホワイトランは中立という立場をとり、そのどちらにつくか、明確な答えを出していない。それは同時にどちらの勢力からの介入も防がなければならないということだ。
そんな地に一介の帝国兵が行き、その地の統治者に会うなどといえば、どのようなことになるか想像に難くない。
最悪の場合、有無を言わさず殺される可能性すらある。
だが、ハドバルは心配ないというように笑みを浮かべた。
「大丈夫だろう。バルグルーフ首長は聡明な方だ。街の統治は行き届いているし、大事の前に小事を気にする方じゃない。そうでなければ、帝国軍とストームクロークの間で中立を保ち続けるなんて不可能さ」
中立を選択するということは、一見楽そうな立場をとっているように見えるが、実はとんでもなく困難な選択なのだ。
中立ということは対立している二勢力のどちらかが攻め入ってきた場合、自力のみで対処しなければならないということ。
特に、対立する二勢力より力が劣っている場合は最悪だ。そしてホワイトランの総力は到底帝国軍、ストームクロークに及ばない。
攻められて敗北すればすべてを奪われるし、もう一方の勢力に助力を求めれば、今まで中立という立場を標榜しただけに信用されづらく、何を要請するにしても足元を見られるのは確実である。
それでも中立を保ち続けることができるのは、ホワイトランという土地の重要性だけでなく、統治者の能力も優れていることの証左だ。そうでなければ、とっくに帝国軍かストームクローク、どちらかの勢力下に置かれていただろう。
アルヴォアもハドバルの言葉に納得したのか、再び笑みを浮かべて立ち上がった。
「じゃあ決まりだな。必要なものはあるか? こう見えてもこの村唯一の鍛冶屋だからな。必要なものは持って行っていいし、色々と道具は揃っているから好きに使ってくれ。必要があるなら、外の鍛冶場で俺が作ってやってもいい」
「い、いいんですか?」
リータが驚いた声を漏らすが、アルヴォアは口元の笑みを深めながら、テーブルの上の蜂蜜酒を呷った。ノルドらしい豪快さだ。
「いいに決まっているだろ。さっきも言ったが、甥の恩人なんだ。遠慮はいらないぜ。まず初めは、そこの黒髪の兄ちゃんからかな」
アルヴォアに指差された健人が、驚きの声を上げる。
「え、俺ですか?」
「ああ、一番時間がかかりそうだから、俺が手ずから揃えてやるよ。ついてきな」
そういいながら、アルヴォアは家の外にある火事場へと向かっていく。
「え、ええっと……」
「ケント、遠慮する必要はない。見繕ってもらえ」
「は、はい!」
一方、健人はどうしたらいいのか迷っている様子だったが、ハドバルに促され、アルヴォアの後を追って行った。
アルヴォアは鍛冶屋であるだけに、仕事場は自宅のすぐ隣に建てられている。
鍛造を行うための大きな火床が作業場の中央に設けられ、火床には空気を送るための送風機も取り付けられている。
火床のそばには金床、テーブル、砥石、皮のなめし台が置かれ、テーブルの上には金槌などの道具、なめした皮やインゴットなどの原材料だけでなく、鉄製の農具や装具等も置かれている。
「さて、必要なのは体を守る鎧とか外套とかだが……兄ちゃんの体つきから見るに、鋼鉄とかの重装鎧は向かないな。だとしたら革の軽装鎧だな」
ハドバルは既に出来ている革製の鎧を手に取ると、健人の体に合わせて大まかな採寸を行い、余った布地の部分を手早くナイフで革を裁断していく。
裁断した革の軽装鎧は切った部分を素早く針と糸で縫い合わせ、さらに肩や胸部などの重要な部分には革を重ね、その隙間に金属の板を入れていく。
鎧の構造としては、主材を革として、一部に金属を使った軽装鎧になりそうだ。
その手には迷いは一切なく、それだけで彼が熟練の鍛冶師であると同時に、一流の仕立て屋であることを窺わせた。
「どうして革と革の間に金属板を?」
「兄ちゃんは戦いの経験は無いし、ノルドじゃないだろ? 少しでも守りは堅い方がいいし、ノルドじゃないやつにこの土地の寒さは堪える。冷えた金属は体温を奪うから、皮で包んで板が冷えづらいようにしているのさ」
形の合わない金属板は火床で熱し、金槌や砥石を使用して手早く形を整えていく。
あっという間に形になっていく鎧を前にして、健人は感嘆の声を漏らしながらも、ジッとアルヴォアの作業を見つめていた。
元々鎧自体の型は出来ていたこともあるが、作業自体は一時間もたたずに完了した。
健人はアルヴォアから手渡された革の軽装鎧を身に着けてみる。
鎧はしっくりと彼の体にフィットし、手足を曲げてみても不自由は感じられなかった。
「すみません。態々用意していただいて……」
「さっきも言ったが、遠慮はいらない。甥が世話になったみたいだしな」
さらにアルヴォアは革製の兜と腕当て、ブーツを取り出し、健人の頭の大きさに合わせていく。
その手さばきもやはり鮮やかで、流れるように次々と兜の形が整えられていく。
「いえ、俺たちの方が、ハドバルさんにはお世話になりっぱなしで、俺は大したことは……」
「そんなことないさ。ハドバルから話は聞いている。ストームクローク兵2人を倒したんだろ? 大したものさ」
「それは、偶然で……」
実際、健人がストームクローク兵を倒せたのは偶然だろう。
偶々突進した兵が倒れ、偶々近くにあった油樽が倒れ、偶々近くにあったカンテラで炎に巻き込めたに過ぎない。
「偶然かもしれんが、初めての戦場で一歩踏み出せる奴はそういない。君が戦ってくれたおかげで、ハドバルに向かうはずだった危険は少なくなったんだ。誇ってもいいと思うぞ」
「…………」
彼と同じ同胞であるノルドを殺したことについて、アルヴォアが気にする様子は見受けられない。
色々と気を使ってくれているアルヴォアだが、その性根はやはりノルドらしい果断で勇猛さを重んじるものだった。
一方、健人は自分が人を殺したという実感を、今更ながら覚えていた。
激情のままにストームクローク兵を押し倒し、焼き殺した時の感覚が蘇る。
舐めるように体にまとわりつく炎と激痛、そして耳に残る悲鳴と、鼻に付く血の通った生肉の焼ける匂い。
気がつけば、健人の手足は自然と震えていた。
「さて、鎧の他は剣と盾だな。まあ使うとしたら、片手剣と盾が妥当なところだが……兄ちゃんの技量から考えて、基本的に自分から相手を倒そうと考えない方がいいな」
「あ、あの……」
「兄ちゃんが何所の生まれで、今までどうやって生きてきたのかなんて知らん。その指を見れば、今まで戦いとは無縁の坊ちゃんだったことは分かる。だが、いい加減覚悟を決めておけ」
「っ……!」
「もう“初めて”は終わらせたんだ。慣れることだ。戦う事に、命を奪う事に、殺し、殺されることに。生きて、あの嬢ちゃんを守りたいならな」
ここは平和な日本ではなく、公然とした力の支配がまかり通るスカイリム。
生きるためには、時にはそれが獣であれ人であれ、自らの手で他の命を奪う必要すらある異世界だ。
アルヴォアの突き放すような言葉に、健人は自然と肩を震わせた。
分かっているはずだった、理解したはずだった、この世界の現実を。
決断したはずだった。“残った家族を守りたい”と。
だが、体に染みついた日本人としての感覚は“戦いと死こそ武勇であり栄誉”というノルドの矜持と、この異世界の現実を簡単には受け入れてくれない。
健人は懊悩を払うように、革の腕当てをギュッと握りしめた。
「それから、これもあげよう」
アルヴォアは手早く他の装具の調整を終わらせると、無言の健人の前に何かを差し出す。
それは、木製の弓と数本の矢が入った矢筒だった。
「弓矢ですか? 実は使ったことがなくて……」
「使い方は連れの女の子から教わるといい。少しでも、生きるための手段は持っておくべきだ」
懊悩する健人を前にして、アルヴォアが示すものは戦う手段のみ。
人を殺したことに対する答えは何も言わない。そのような割り切りは、他者が介入する余地はない。本人が、自分で何とかするしかないと理解しているからだ。
出来ないのなら死ぬだけ。肉体が死ぬか、心が死ぬか。そこにノルドとしていう事はないのだ。
彼としてはノルドとして、初めての戦場で甥と共に戦って武勲を上げた青年を祝い、礼を尽くしているだけだった。
「こんなところだろう。装具の手直しの仕方も教えておくよ。場合によっては鍛冶の道具も必要になるだろうから、その辺りもな」
「……ありがとうございます」
未だ懊悩は消えず。しかし、健人は既に行動してしまっている。生きるため、守るために他者の命を奪ってしまっている。
なら、やるしかないじゃないかと、健人は胸の奥で何度も何度も繰り返していた。
夜も更けた頃の宿屋スリーピングジャイアント。
人気のないホールの中、店番のオーグナーは灯される暖炉の火を明かりに本を読んでいた。
その時、ギイッと入口の扉が開かれる。
入ってきたのは革の軽装鎧を身にまとい、体を覆う外套で頭まですっぽりと覆った人物。
体格的には女性だろうか。
腰には護身用と思われる片手剣を差し、一見すれば、旅人のように見える。
だが入店してきた人物が持つ片手剣はなだらかな反りがあり、柄もノルドや帝国軍がよく使う片手剣とは違い、両手でもしっかりと保持できるようになっている。
さらに鍔には蛇が絡みついたような特徴的な拵えがあり、一見して普通の剣とは違う雰囲気を醸し出している。
さらにこの来店者が持っているのは、布で包まれた板状のなにか。一見しても、普通の行商が扱うような商品には見えない。
何より、この人物から醸し出されるまるで抜身の刃のような冷たい剣気が、女性をただの旅人とは一層異なるものとさせていた。
夜遅くに訪れた突然の入店者。気難しい店番なら、ここで文句の一つでも言うかと思われる。
しかし、店番のオーグナーは、彼女に対して健人たちに向けた憮然とした視線ではなく、どこか親密さを窺わせる目を向けていた。
「お帰りデルフィン。用事は終わったのか?」
「ただいまオーグナー。ええ、しっかりとね」
デルフィンと呼ばれた女性が、外套を脱ぐ。
外見的には40歳半ばだろうか。小じわの刻まれた白い肌に、結わえた金髪と鋭い瞳が特徴的な女性だった。
デルフィンは持っていた包みを近くのテーブルに置くと、テーブルの上の水差しをとり、中身を煽った。
ゴクゴクと、水を嚥下する音が爆ぜる薪の音にまぎれてホールに響く。
「それで、首尾はどうだったんだ?」
オーグナーの問いかけに、女性は水を飲みながら、問題ないというように手にした包みを掲げる。
「見てのとおりよ。それから、ブリークフォール墓地にいた盗賊がこんなものを持っていたわ。多分、あの雑貨屋のものだから、あなたから返しておいて」
布に包んだものとは別に、女性は懐から何かを取り出してオーグナーの前に置いた。
それは金色の金属でできた、獣の鉤爪のような形状をしていた。
元々この村の雑貨屋に置いてあったものであり、つい最近、盗賊に盗まれたものだった。
「いいけど、お前が行くべきじゃないか? 持ち帰ったのはお前だろ?」
「悪いけど、すぐに出かけることになるわ。オーグナー、またしばらくお店をお願いね」
「ああ、分かった。それから、なんだかドラゴンが復活したとかいう噂が出ているみたいだが、見たか?」
ドラゴン。その言葉を聞いた瞬間、デルフィンの目の端が釣り上がった。
「……ええ、ヘルゲンの方から飛んでいくのが見えたわ」
「そうか……。何だか物騒になりそうだから、気を付けろよ」
「ええ、分かっているわ」
手を振ってオーグナーに答えると、デルフィンはテーブルに置いた包みを無造作に持って宿屋の奥へ進む。
彼女は主寝室を訪れると、部屋に備え付けてある箪笥の奥のスイッチを押す。
すると、箪笥の奥の板が下りて、地下へと続く階段が姿を現した。
デルフィンはそのまま、迷うことなく地下へ通り、秘密の部屋のテーブルに持ってきた品を置くと、ゆっくりと包みを解いた。
包みの中にあったのは、五角形の石版、牙をもつ爬虫類の頭を思わせる意匠が施された、古い品だった。
石板の裏には三本の爪でひっかいたような形の文字が刻まれている。
それはある人物から頼まれていた依頼品。ホワイトランのドラゴン好きな宮廷魔術師に頼まれた古代の遺品だった。
デルフィンは棚から一枚の大きな紙を取り出して遺品に押し当てると、上から炭をこすりつけて、遺品に刻まれた文字を写し取っていく。
(私達にも関係するものだったから依頼を受けたけど、その帰り道でまさか“あの伝説のドラゴン”を目の当たりにするなんてね……)
紙に遺品の文字を写し終わったデルフィンは、古代の遺品の裏に刻まれた文字を指でなぞりながら、飛び去っていった漆黒の竜を思い出す。
甦った伝説の獣。
その存在は、彼女自身が今まで生きてきた意義が、間違いなく正しいものであるということの証明であった。
蝋燭に照らされたその背中には、言いようのない緊張感と戦意が溢れていた。