1
「戦闘終了」
「……被害状況の、報告を」
鷺宮仁は苦渋が滲んだ口調で報告を促す。
「第一艦隊、旗艦小破、随伴艦大破2隻」
「第二艦隊、中破3隻、大破1隻」
被害が甚大であるのは見ればわかったが、詳細を報告されると、提督の眉間の皺は更に深くなった。もう何度目の出撃になるだろうか。今度こそ、次こそはと送り出した連合艦隊は敵の最深部に到達することなく、その度に大打撃を受けた。
その上、数か月に渡って備蓄してきた資源資材は先ほどの出撃で尽きかけていた。
「提督、これでは、もう……」
秘書艦の鳳翔がためらいがちに告げる。
これだけの大失態だ。自分の更迭は免れないだろう。
何故だ。何故こうなった?
艦娘を使役できる術者――『提督』としての資質があると知ったときは天に舞い上がる様な気分だった。
深海棲艦に対抗するために陸軍が作り出した『融機強化兵』が敗走し、絶望する人類に希望をもたらした人類を脅かす怪物・深海棲艦に対抗できる唯一無二の存在。
自分が、自分たちが深海棲艦を駆逐し、人類の希望をもたらすのだ。
そう考えると誇らしさで一杯になった。
だが、現実は非常であった。鷺宮の提督としての資質はあまり高くなかったのだ。
軽空母以上の艦を建造することができない落ちこぼれ。軍学校ではいつもそうからかわれ、見下されてきた。だが、それでも腐らずに研鑽を重ねてきた。
資質がないなら指揮能力で補えばよい。艦種の強さだけで勝敗が決定するはずがない。
大事なのは艦隊を運用する能力の有無、そして柔軟性である。
そう信じて今までやってきたというのに――。
血走った目でモニターを睨んだ。
こんな筈ではなかった。
理想だった自分と現実の自分の落差。
周囲からの嘲弄と非難と僅かな憐憫。そして、振るわない戦果に対する大本営からの圧力。
提督となって沢山の人たちを守りたかった。だが、自分にはそんな力がないことがどうしようもなく情けなかった。沸々と自分の中からどす黒い何かが沸きあがってきたのを感じた。
「進撃だ……ッ」
暗く、地を這うような声色で鷺宮は告げる。
鳳翔は提督の豹変にはっと息をのんだ。彼が強い使命感を持って提督になったことは知っている。そして、理想の自分と現実の自分のギャップに苦しんできたことも。
中には当然のように艦娘を捨て駒にして戦果をあげる不届き者だっている中で彼はいつも人々を守るために、正しくあろうとして力を尽くしてきた。そんな彼だからこそ、支えたいと願い、鳳翔もまた力を尽くしてきた。
「提督、しかし――」
「うるさいッ!」
鳳翔の諫言を鷺宮はピシャリと跳ねのけた。
「鳳翔、お前たちは人類を守るために生まれた存在なのだろう! だったら務めを果たせ! 奴らを皆殺しにしろ!」
鷺宮が喚き、司令部にいた駆逐艦『電』はビクリと竦み上がった。
「殲滅だ! たとえ何隻轟沈しようとも奴らを根絶やしに――!」
その時鷺宮の視界がグニャリと歪んだ。
責任をとれ。
どこまで無能なんだ。
やはり君には荷が重かったな。
非難の言葉が耳元で囁かれているかのように、鷺宮の頭の中で入り交じりジワジワと心を食い荒らしていく。
「はあ、はあ、はあ、はあ……、ああぁああ……」
冷たい汗が頬を伝い、床に落ちる。
動悸がうるさい。息がうまく吸えない。
真っすぐ立っていることが出来なくなり、倒れこむように机にもたれかけた。
「提督、大丈夫ですか? お加減が――」
鳳翔は鷺宮に駆け寄り手を差し伸べた。その瞬間、鷺宮の中で何かが切れた音した。
「うるさい! 触るなあああああッ!」
鷺宮の視界は暗転した。
2
「三番隊、連絡途絶えました!」
「第二分隊、聞こえてないのか! 何故救援に来ない!?」
「五番隊も沈黙! 応答ありません!」
「馬鹿な! あの麒麟児の部隊も壊滅したというのか!?」
「誰か、誰か助けてくれ! 艤装が動かな――グギャ!」
「早く助けてくれ! 死にたくない!!」
「嫌だ……! 離せ、やめろ! やめろ! いやだああああああああああああああああ!!」
血と断末魔で彩られた戦場は地獄と呼ぶに相応しい光景だった。
砲声が上がる度に誰かの命が散っていく。ただの水飛沫ですら鉄板の様に固い。
さっきまで隣で祈りの言葉を呟いていたものの頭部が砕け散り、足をやられた者は群がってきた駆逐級に生きたまま食い殺され、仲間の死に動揺した者も一瞬の隙を突かれて魚雷の餌食となる。
見知った者であっても、新しく補充されてきた者にも等しく絶望と死が降りかかった。
「隊長、司令部からの撤退命令はまだですか!? 」
副長を務める羽鳥梟護(はとりきょうご)大尉は声を荒げた。
「やっている! だが先程から『戦線を維持せよ』の一点張りだ!」
「司令部は一体何を考えている……ッ」
苦々しい口調で毒づきながら、向かってくる敵・深海棲艦をひたすら斬り続けていった。
融機強化兵部隊。
彼らは近代兵器による攻撃を一切受け付けない深海棲艦に対抗するため陸軍が作り出したいわばサイボーグ集団である。体の5割以上を義体化した彼らは軍刀や槍といった原始的な武器を携えて砲撃を掻い潜り、近接戦闘に持ち込むことで多大な犠牲を払いながらも、どうにか陸上に侵攻してきた深海棲艦を撃退することに成功した。
これで人類に一先ずの安寧が訪れるはずだった。
しかし、更なる手柄を欲した政治家たち、そしてその意を受けた大本営はすぐさま生き残った融機強化兵部隊の海上への投入を決定。制海権の奪還を試みた。
陸戦に特化した融機強化兵を海戦に出撃させる。本来の運用法から著しく外れたこの無謀な作戦は実働部隊から猛反対をうけたが、そういった指揮官たちは皆更迭され、作戦は強行された。
彼らは研究段階で実用レベルではない艤装――海上移動の為のデバイス――を与えられ、この海戦に挑んだ。その結果――既に部隊の損耗率は4割以上に達しようとしていた。事実上の全滅である。
この大反抗作戦の失敗は誰の目にも明らかであった。
羽鳥は怒りを覚えた。未だに用兵を違えたバカな作戦を良手と妄信してか、ここから打開出来るかもしれない幸運に縋っているのか、本部からの撤退命令はまだ来ない。
撤退命令を出し渋る上層部はこの惨状を見て、未だに「なんとかなる」という幻想にとりつかれているのだろうか。それとも――ここで自分たちを使い潰すつもりか。
兵士は時として死ぬことが仕事である場面もあるだろう。だが、そんなただの足踏みで消耗されてしまっては死んでいった者たちが報われないではないか。
『敗北を認めるには勇気がいる。だが、その決断が出来るからこそ、前に進めるんだよ』
かつて父が言っていた言葉を思い出し噛みしめていた。
せめてここが地上だったなら。艤装を装備しているとはいえ、踏み込みの効かない海上では力を十全に発揮できない。
言っても詮無きことだが、そう思わずにいられない。
左から迫ってくる駆逐艦ロ級、右からは軽巡ヘ級。
艤装を滑らせて駆逐艦ロ級に突っ込んだ。羽鳥を喰らおうとロ級が大口を開けた瞬間――狙いを澄まして反転。下顎から一刀両断して蹴り飛ばす。右から迫ってくる敵にぶつけて、一気に串刺しにした。
黒い血糊がべったりと張り付いた刀を海水で濯ぎ後方へ下がった。
「大尉! 下がって全体の状況を把握しろ。リンクを使って部隊に情報を共有させる!」
「はい!」
羽鳥の眼に仕込まれたデバイスは本人の意思とは無関係にフレーミングした対象の挙動を分析し、未来予知にも似た高精度な事象予測を可能としている。この部隊で、いや融機強化兵の中でも羽鳥にしか適合しなかったシステムである。その機能をフルに使って戦況を読み取っていく。
「状況解析――敵艦座標及びベクトル掌握。戦術データ・リンク。パターン分析。ライブラリより有効な戦術データ参照……1秒後の行動予測データ構築自動更新システム添付…………システム更新完了。やれます!」
「やれ!」
部隊全体に蓄積した戦闘データを送る。すかさず隊長の指示が飛んだ。
「爆撃を避ける為に接近して叩く! 損傷の激しい者は後方に下がれ! 敵に対しては4人1組で草攻陣を組め。死番は覚悟を決めろよ! 砲撃に対しては羽鳥大尉から送られてくるデータを元に各自対応!」
上空を覆う無数の艦上攻撃機と爆撃機。無慈悲に落とされる雷撃。蹂躙されていく仲間たち。
それでも何とかやれているのは隊長の指揮の賜物であろう。
問題はあの航空機。空母さえ潰せれば、僅かに勝機が――
次の瞬間、眼を瞠った。敵艦載機の中に異物が混じっている。
「偵察機……!」
あの蝙蝠のようなフォルム。間違いない。
敵の狙いは弾着観測射撃……! 何処に!?
「隊長、狙われています! 離脱を!」
『応! と、言いてえところだがな! お客さんの相手で手一杯だ!』
見ると隊長の方に駆逐艦級の群れが殺到していた。あれでは背中を向けた瞬間に食い殺されてしまう。
ならば――!
羽鳥は敵艦爆機からもたらされる爆撃を避けながら、腰に備えていた手槍を手に取った。
近づいてくる敵を石突きで殴りつけ、眼を凝らし戦場を見渡していく。
デバイスから警告のアラートが鳴る。10時方向の敵艦が此方に狙いをつけている。
しかし、羽鳥はその警告を敢えて無視した。
構わない。例え自分が破壊されようとも、今ここで彼を失うわけにはいかない。
「ハッ――!」
手槍を投げると同時に羽鳥の左腕が弾け飛んだ。
「グァ……ッ! ―――、ァガアアッ!」
激痛のあまり意識が飛びかけた。左腕の神経・動力をカットし、ダメージコントロールを済ませる。
「副長、ご無事ですか!?」
「左腕が飛んだだけだ。大事ない……ッ!」
部下から送られてくる通信に返事をしながら血走った眼でターゲットを見据える。
羽鳥の投げた槍は寸分の狂いなくル級に命中し、その胸部には大きな風穴が開いていた。深海棲艦の急所は生物と違わない。間違いなく致命傷だ。左腕を潰した甲斐があったというものだ。
だが、
ル級は崩れ落ちる前に最期の足掻きと言わんばかりに主砲の狙いをつける。
「隊長、逃げ――!」
鉄を鉄で締め付けるかの如き砲声――。同時にル級は自壊した。
直後、隊長の体は彼に群がっていた深海棲艦ごと四散した。
「隊長ッ!!!!」
直撃。確認するまでもなく即死だろう。
いくら深海棲艦と戦うため作り出された融機強化兵であろうと、徹甲弾が直撃してはひとたまりもない。
「クッ――――!!」
『隊長がぁッ!』
『くそったれ! 隊長の仇を――』
『助けてくれ! 戦線がもう――うあああああっ!』
『隊長! 指示を! 隊長!!』
隊長という精神的な支柱を失ったことで部隊は恐慌状態に陥っている。
食いしばった歯が軋む。覚悟はしていても仲間の死は慣れるものではない。
だが、今成すべきことは深海棲艦に怒りをぶつけることではない……!
この戦い、負け戦であるという事はもはや動かしようがない。
だが、負けるとしても負け方というものがある。
多くのものを失った。しかし、まだ全てではないのだから。
「総員直ちに撤退!」
憎悪の泥濘に沈みそうな心を必死に沈め、意識を今やるべきことに意識を集中させた。
『副長、しかし大本営からの命令が――』
「命令だ! この撤退命令は一番隊副長、羽鳥梟護の独断であり、隊員には一切の咎がないことを明言しておく! 総員、撤退せよ! 殿は私が務める!」
『りょ、了解』
生き残っていた隊員たちは次々と反転し、命令通り撤退していく。そんな中で何人かの部下が羽鳥の元に集ってきた。
「防御陣形を組め!」
咄嗟に円陣を組んで降り注ぐ弾を弾き、身を守った。
「何をしている! 君たちも撤退しろ!」
島崎少尉。高井曹長。池戸伍長。栗生伍長。皆、生還率48%の最前線を今まで生き残ってきた歴戦の兵だ。彼らはこの絶望的な状況にも関わらず皆、眼に戦意を滾らせていた。
「副長、私たちもお供します」
「…………作戦に参加した時からここが死に場所と決めていた」
「あの化け物どもに我等1番隊の魂を見せつけてやりましょう!」
「我らに敗北は許されないのです! 一緒に戦えとご命令ください、副長!」
隊長が殺されて血気に逸った訳ではない。仲間を蹂躙されたことで怒りに支配されているわけでもない。
自分たちこそが人類を守ってきた存在である、という自負。
この場にいる誰もが英雄であることを誇りに思い、そして英雄であることの重みを誰もが正しく理解していた。
単純な話だ。『英雄』が負ければ、守るべき人々が絶望し、恐怖する。そんなことはわかっている。
だが、たとえどんな非難を浴びようとも、羽鳥はあえて命じなければならない。
「だめだ。君たちも撤退しろ」
「貴方は我等に生き恥を晒せとおっしゃるのですか!?」
島崎の言葉に羽鳥は血が沸騰する程の怒りを覚えた。
「生きることが恥な筈ないだろうッ!」
両親は深海棲艦の侵攻の際に、羽鳥の前で食い殺された。
辛くも生き延びた自分と弟は深海棲艦に対抗する力を得るために実験的に導入された人体多くの仲間を得る度に、多くの仲間を見送ってきた。
そして今日、弟が所属する5番隊は壊滅したという報を聞き、自分はいよいよ独りになってしまった。
もう沢山だ。これ以上は何も失いたくない。
「ここで死んで何が残る。もし今日まで戦ってきたことにほんの少しでも誇りがあるのなら、次の機会を待て。生きてさえいれば私たちはまだ戦える」
「しかし、――ッ!!」
尚も反駁しようとした島崎の喉元に切先を突きつけた。
「命令に従えぬなら今ここで、私が斬る! どちらか選べ!」
島崎は目を真っ赤に充血させ、涙を滲ませて、歯を食いしばった。
「……死なないでください。隊長亡き今、貴方は我々が再び立ち上がるために必要な人です」
「全力を尽くそう。各々方の武運長久を祈る」
「副長こそ、ご武運を!」
死ぬ可能性は低くない。しかし、羽鳥には眼がある。ならば、やってやれないことはない。
「無事に帰投出来たら一杯奢らせてください」
「…………、楽しみにしておく」
「あれ? 副長って、下戸じゃ――痛っ」
余計な一言を言おうとする栗生を高井が小突いて黙らせる。
「…………、野暮な奴め」
普段口を開かない池戸にまで突っ込みを入れられ、栗生は口を尖らせた。
そのやり取りを見て、羽鳥は形容しがたい気持ちになるが、少なくとも不快ではなかった。
3時方向、戦艦タ級を旗艦とした水上打撃部隊が前進しながら砲塔を構えた。その場にいた全員にデバイスが弾き出した行動予測を共有させる。
「ポイントF地点に島があったな。そこで合流しよう」
「了解」
砲声と同時に一斉に散開した。外れた砲弾が着水し、大波を起こす。
羽鳥は波に乗って降下してきた艦爆機をすれ違いざまに幾つか叩き落し、同時に槍を投げた。
投擲した槍はタ級に当たるが、かすり傷程度しか負わず再び羽鳥に狙いを定めた。
「やはり硬いな。ならば――!」
着水後、低く伏せて敵の砲撃をやり過ごす。好機とばかりにすかさず襲い掛かってきた駆逐艦級を斬り伏せる。だが、直後。飽和攻撃とばかりに艦爆機による爆撃で足を止められてしまった。
挟叉。タ級が狙ってくる。羽鳥は最後の槍を投げた。
至近弾。鉄板のような水飛沫で片目が抉れる。しかし、代償としてタ級の主砲は破壊できた。
息をついている暇はない。生き残った爆撃機が旋回し戻ってくる。
「まだだッ!」
残った右手で刀を構え、そのまま迫りくる敵重巡洋艦級の群れに突撃した。
絶対零の間合い。これならば喰われる危険性は増すが、深海棲艦が盾になり羽鳥が砲撃、爆撃を受ける心配はない。そして、この間合いこそ羽鳥達融機強化兵が真価を発揮する距離だ。
重巡リ級は味方の砲撃を妨害すまいと下がろうとしたところを、羽鳥はぴったりと張り付いて首を刎ねる。そしてすかさず次に移り同じことを繰り返す。
常に深海棲艦の多いところへ動かなければ、次に飽和攻撃を食らえば一溜りもない。眼についた敵は手当たり次第に斬り捨てていった。
――我武者羅にひたすら斬った。
心臓が爆発しそうだ。肺が酸素を求めて暴れ回る。限界を超えた駆動により機動部からの排熱で肉が焼きつきそうだ。
だが、それでも――十分に時間は稼げた。
潮時だ。次に戦うときは必ず八つ裂きにしてやる、と心の中で復讐を誓って包囲網を破る。
一気にトップスピードに乗った。
深海棲艦の艦隊は羽鳥を逃がすまいと砲撃を加えるが、眼の力を最大活用して逃げに徹した羽鳥には当たらない。羽鳥は回避ポイントに素早く回り込んで確実に敵艦隊との距離を広げていった。
既に機銃の射程からは外れた。
追撃してきた駆逐艦級や軽巡級は皆、斬り捨てて合流ポイントへ急ぐ。
そうして、敵艦隊を撒いて単独で航行すること約1時間。
合流ポイントの座標に近づいたその時だった。
彼方で砲声が轟き、合流を指定した座標で巨大な水柱が上がった。
妙な胸騒ぎがした。すぐさま艤装を走らせる。眼の望遠を使い、そこで羽鳥が眼にしたものは――――
「しま、ざき……?」
島崎の首を玩具の様に弄ぶ少女の姿をした異形だった。
島崎だけではない。海上に浮遊する階級章。夥しい程の血液が付着した軍服。艤装の残骸。
視覚からもたらされる情報はどれも撤退したはずの部下に関連するものばかりだ。そして奴から漂ってくる死臭。間違いない。この怪物が――私の部下を……ッ!
「この物の怪がああああああああああああああッ!!!」
灼熱の様な怒りが羽鳥を塗りつぶし、精悍な顔は憎しみで醜く歪んだ。
「オ母サンガ私ヲ殺シテオ父サンガ私ヲ食ベテイル♪」
異形の歌声はセイレーンの様に美しく、精神が汚染されそうな程、おぞましい。
データベースにアクセスしても該当するデータはない。戦艦級の新種。それも上級種とされる人型。その上先の戦闘でラジエイターは焼き付き、駆動系に齟齬が生じている。勝てる見込みなど殆どない。
だが、それがどうしたというのだ。
少女型の深海棲艦もそれに応える様この世のものとは思えないほどの蠱惑的で邪悪な笑みを浮かべた。そして、
「兄弟タチハテーブルノ下デ私ノ骨を拾イ冷タイ大理石ノ下ニ埋メタノ♪」
少女を象った異形に喉が裂けんばかりの咆哮をあげて突撃する。
戦術も戦略も、何もない。砲撃・雷撃は眼が算出した回避ルートに入り避けていたが、それは『見えたから当たらないように動いた』程度のもので戦術的とは言い難い。
憎悪に塗れた理性なき突撃。
「アッハ♪ アハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハ♪」
戦艦級の少女はそれを楽しむかのように狂笑をあげた。
放たれた爆撃機が曇天の空を覆う。逃げ場のない絨毯爆撃に羽鳥は成す術もなく飲み込んでいった。
3
鷹津光一に一報がもたらされたのはある日の夕方のことであった。
「ヘイ、提督ゥ! 素敵なウーマンからテレフォンダヨー! ラヴコールは許さないからネー!」
「馬鹿なこと言っていないで早く回せ」
太陽のような眩しい笑顔を向けてくる恋人の一人――金剛から電話を取り次がれ、鷹津は受話器を取った。
「もしもし、あの……鷹津少将……」
「鳳翔さん?」
電話口の鳳翔の声は酷く動転していた。鷹津には落ち着いた彼女がここまで心を揺さぶられる原因に一つ心当たりがあった。
「先輩――いえ、鷺宮大佐に何かあったのですが?」
鳳翔は震える声で鷺宮の現状を語り始めた。
遠征で本来受け取るはずの資源資材を態と減らされていたこと。
思うように上がらない戦果。大本営からの圧力。
そして、彼がおかしくなる直前の様子も。
『お願いです鷹津少将。あの人は貴方を待っています』
窓の外を見た。強烈な陽光が海上に降り注ぎ、水平線の彼方が陽炎で揺らめいている。
「……わかりました。一週間以内に任務を終わらせてそちらへ向かいます」
受話器を置き、思案する。
鷹津にはあの鷺宮が豹変したことに驚きを隠せなかった。鷺宮は士官学校の先輩だ。
提督としての力は決して強くない。しかし、それを補って余りある程の確かな戦略眼と高潔理想を持つ人だった。かつて愚かにも自身の才に溺れ、傲慢だった自分は人を守るという崇高な精神を、自分はあの人から教わった。
そんなあの人を何がこうなるまで追い詰めたというのだ?
鷹津は思いを巡らせるも、すぐに頭を振って気を取り直した。
「金剛」
「イエース! 繋がってるヨー!」
「流石。いい女だよ、お前は」
互いにサムズアップしてから格納庫に内線の繋がっている受話器を受け取った。
「あー、もしもしもしもし~。こちら執務室提督。第一艦隊旗艦、聞こえるか?」
『どうしたの?』
航空母艦の艦娘。『加賀』。この鎮守府における最高の練度を誇る空母の艦娘であり、彼女もまた、鷹津の恋人の一人でもある。
「出撃前にすまんな。私は至急済ませにゃいかん用事が出来た。ついては1週間以内にこの海域の敵主力を破砕してもらいたい。出来るか?」
「鎧袖一触よ。心配いらないわ」
大本営が指定した期間は2週間。通常の約4倍の時間である。
つまり該当海域の最深部にはそれだけ強力な深海棲艦が巣食っているということだ
当然鷹津も無理な頼みだということは承知している。しかしまるで他愛もない頼みを引き受けるように通信機越しに聞こえる声はいつも通り清ましている。鷹津はそれを彼女らしいと微笑ましい気持ちになった。
『艦隊の頭脳と呼ばれる私がいれば問題ありません』
『気合! 入れて! いきます!』
『はい、榛名は大丈夫です』
加賀に続いて金剛型戦艦・霧島、比叡、榛名も闘志を露わにする。
『慢心してはダメ。索敵と先制は大事にしないと』
前のめりになる彼女たちを窘めるのは金剛に並ぶ最古参にして加賀と双璧を成す空母艦娘・赤城である。鷹津は内線越しでも加賀が赤城と頷き合ったのが分かった。
彼女たちなら大丈夫だと確信する。
「臨める兵、闘う者、皆陣列きて、前に在り……救急如律令!」
鷹津は呪符を取り出して祝詞を唱えた。途端、呪符は発光し『妖精』と呼ばれる疑似生命体に変化して彼女たちに弾避けの加護を与える。
前線に出れない自分が出来ることは、彼女たちの術を用いて彼女たちをバックアップすることぐらいだ。あとは彼女たちの持ち帰ってくる戦果を待つだけ。
人事付尽くして天命を待つ。果報は寝て待て。
先人の教えは偉大であると感じ入った鷹津であった。
「一航戦、出撃します」
最新式の艤装で武装した現代風にアレンジした魔除けの礼装で身を包んだ戦乙女たちは意気揚々と出撃する。そして――――大本営に海域の制圧の一報が齎されたのは、4日後の夕方であった。