第一艦隊、抜錨せよ   作:黒助2号

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第1話

1

 

曇天の空から降り落ちる雨は地を、木を、屋根を不規則に叩いていた。静櫃であるが、静寂ではない。

静かにテンポよく歌っているかのような雨音は彼女の心をひどく安らげた。

雨が止んだ。

雲の切れ間からは太陽が顔を出し、光の乱反射が虹を作り出す。

 

少女はその風景にしばし心を奪われていたが、やがて安息の時に別れを告げるように憂いを帯びた笑みをひとつ浮かべた。そして、自身が着任する鎮守俯の敷地内へと入っていった。

 

2

 

いつかの時代。遠い彼方の地にて……。

10年ほど前。人類は海より現れた天敵を前に存亡の危機に立たされた。

天敵の名は『深海棲艦』

その怪物は唐突に現れ、殺し、喰らい、増えて人類を蹂躙していった。彼らに言葉は通じず、幾度としてコンタクトを図るもすべて徒労に終わった。

 

神霊。怨霊。物の怪。

その者たちの正体は未だ憶測が飛び交っているが、真実は定かではない。

撃退しても標本となる躯すら残さず消滅する深海棲艦を研究するのは困難を極めたのだ。

 

ただ、はっきりしていたのは明確な害意を以って人類に敵対していることだけ。

 

奴らに抗う術はただ一つ――徹底抗戦。だが、彼我の戦力差は圧倒的であった。

近代兵器によるダメージを受け付けない怪物どもは次々と制海権を奪い、揚陸して蹂躙の限りを尽くしていく。

凄地となった地は人間だけではなく、ありとあらゆる生命の死骸で溢れかえることとなった。

 

数多の犠牲を払い。禁忌を犯し。海を血に染めて。

 

少しずつ。だが確実に人類は滅びへの道を辿っていた。

 

だが、ある時転機が訪れる。

 

かつて海底へと沈んだ昔日の軍艦。

その付喪神にして、人類の守護者と定義付けられた存在――『艦娘』。

深海棲艦に唯一対抗できる存在である彼女たち登場で戦局は劇的に好転した。

あの大規模反抗作戦における大敗後、凋落の一途を辿っていた融機強化兵に変わる戦力を求めていた大本営はこの科学とオカルトが入り混じった得体の知れない存在を迎合した。その後、艦娘達は制海権の一部を奪還。その上劣勢に陥った戦局を五分に押し返すといった快挙を成し遂げて、本日に至る。

 

そして、このクレ鎮守府は数多ある深海棲艦に対抗する拠点の一つである。

 

鎮守府の執務室に通された時雨は唖然とした。

山の様に積まれた段ボール箱。書類で埋もれた執務机。脱ぎ散らかされた服。

台風でもきたのだろうか。少女のその部屋の惨状について考えるのをやめた。

その部屋の主は無精ひげを蓄えて寝ぐせのついた頭を掻きむしりながら時雨に向き合った。

 

「呉鎮守俯へようこそ。俺がここの提督を勤める鷹津光一。貴艦の着任を歓迎する」

「僕は白露型二番艦『時雨』。これからよろしくね」

 

時雨の敬礼に対して鷹津は軍帽を被り直して敬礼を返す。

 

「音に聞こえた幸運艦。我が艦隊に迎えられて光栄だ」

「力になれるかどうかはわからないけどね」

 

握手をかわそうとする。しかし、両者はドタドタドタと、隠す気のない足跡と共に近づいてくる何かの気配を感じ取りぴたりと動きを止めた。

 

「ぽーい!」

 

リボンで結われた亜麻色のアンシンメトリーな髪をはためかせ一人の少女が時雨にじゃれついた。初対面の女の子に好意を前面に押し出され時雨は酷く戸惑ったが、同時に酷く懐かしい郷愁に駆られた。

 

ぼくはこの子を知っている。

 

直感で悟ると、自然と彼女の名前が脳裏に浮かんできた。

 

「君は、……もしかして夕立? 君もこの艦隊に?」

「ぽ~い♪」

 

白露型駆逐艦の4番艦――つまり時雨の妹にあたる『夕立』である。

記憶こそ曖昧であるが、夕立の存在は時雨に大きな安心感を与えた。

或いはこの感情は艦娘として『白露型』への帰属意識の為だろうか。

定かではないが、時雨はこの再会を素直に嬉しく思った。

 

「また君に会えて嬉しいよ」

「夕立もまた会えて嬉しいっぽい」

 

そのやり取りに割ってはいる様に鷹津はパン、と手を鳴らした。

 

「さて、姉妹同士積もる話もあるだろう。だが、まずは大切なことを確認させてくれ」

 

鷹津の真剣な顔つきに時雨は姿勢をただした。

 

「時雨、君のパンツは何色だ?」

「………………………………、え?」

 

キミノパンツハナニイロダ

 

質問の意味が全く理解できない。

それどころか言葉の意図するところが読めない。何かの暗号だろうか。

グルグルと思考を回していた次の瞬間、執務室の扉が勢いよく開け放たれ――ボン!――という砲声と共に鷹津の体は宙を舞った。

 

「て、敵襲!?」

「心配ないっぽい」

 

反射的に身構えるが、隣にいる夕立は平然としている。

 

「Hey、提督ゥ! Sexual HarassmentはNo! って前にも言ったはずだヨー!」

 

登場したのは現代風に改造した巫女服に身を包んだ女性ボロ雑巾になった提督に笑いかけた。

 

「えっと……、提督、死んじゃったんじゃないかな?」

「大丈夫。いつものことっぽい!」

 

夕立の言う通りミディアムレアになっていた提督は勢いよく起き上がってきた。

 

「金剛……! 痛いじゃないか。俺が死んだらお前は未亡人になってしまうんだぞ!」

 

金剛と呼ばれた女性は両サイドでお団子状に結った長い髪を靡かせながらクルっとターンしたと思えば鷹津の顔を覗き込み笑った。頭に一本立っているアホ毛が犬の尻尾の様にピコピコと左右に揺れているような気がする。

 

「No problem! メイドイン工厰班の安全な弾ネ♪」

 

女性は時雨に視線を移したかと思えば、すぐさま微笑みながら手を差し出した。

 

「HEY! New face! ワタシは英国生まれの帰国子女戦艦『金剛』デース! ナイストゥミートゥ!」

 

テンションの高い口調も相まって美しさの中に可愛らしさを感じさせる金剛に戸惑いつつも時雨は差し出された手を握る。

 

「よ、よろしく。ぼくは駆逐艦『時雨』」

「Oh! 噂になってた呉のラッキーシップ! テートクも喜んでたネ。ヨロシクオネガイシマース」

 

人なつっこい笑顔を崩さないまま手渡された物騒な代物を見て時雨は酷く驚いた。

 

「……えっと…………これ、なに?」

 

金剛から手渡されたのは薬莢が赤くペイントしてある小口径用の弾薬。

装填を担当する疑似生命体――妖精ははりきって敬礼した。

 

「提督さんへのお仕置き用の弾っぽい。夕立も持ってるよ」

「提督のセクハラにミーツしたら眉間にStrike! するんだヨー」

「ええ……?」

「まったくお前達は上官への敬意が足りん! 榛名を見習ってもっと慎ましくだな――」

「ワタシのバストにタッチしながらじゃ説得力nothingデース」

「目の前に素晴らしいおっぱいがあれば揉まないのは寧ろ失礼――」

 

ガシャン!と金剛の機銃の装填音が鷹津の戯れ言を遮った。

 

「ダーリン、お仕置きダッチャ」

 

金剛は天使のような微笑みを浮かべながら鷹津に銃口を押し当てる。

 

「こ、金剛待ってくれ!ゼロ距離は流石に――」

「fireッ!」

 

艤装から放たれる機銃の一斉掃射。

モロに喰らった鷹津はたまらずのたうち回るが金剛の追撃の手は収まらない。

 

「ユウダチ、シグレを案内してあげてヨ」

「ぽーい!」

「痛い痛い痛い! 夕立、時雨ヘルプミー!」

 

助けを求める鷹津に時雨は助けるべきか、困惑する。そんな彼女の考えをぶったぎるように夕立は時雨の背中を押して執務室から退出した。

 

「ほ、本当に大丈夫なのかい、あれ!?

「大丈夫。死にはしないっぽい」

 

夕立は無情にそう告げるとドアを閉める。ドア越しに鷹津の悲痛な叫びが響き渡った。

 

2

 

「まったく、テートクは変態デース」

「な、何を今更」

 

その返答が気に入らなかった金剛はぷんすか、と頬を膨らましながらそっぽを向いた。可愛い。

金剛は基本おおらかだ。鷹津が金剛の他に恋人を作る――俗にいう浮気も――許容している。

曰く「テートクはカッコイイから他の娘のLOVEも大事にしてあげないとネー」ということらしい。天使か。

ただし、ルールは設けている。他の艦娘が自分に好意を持った場合はそれを受け入れてもいいが、鷹津から恋人としている艦娘以外に手を出すことは禁止している。

もし、そのルールを破った場合、先程のような砲撃&銃撃をお見舞いされる。

その弾――『お仕置き君3号(特許出願中)』の匙加減は絶妙で、見た目派手に吹っ飛ぶが、大怪我どころか気絶しない程度の痛みを与えるという特別製。

工廠勤務の明石と夕張の自信作だそうな。

 

とはいっても自分もそのルールをわかって、そして近くに金剛がいることも知っていて、あえて時雨にセクハラを働いたのだが。

 

我ながら子供染みているとは思うが、嫉妬されるのは気分がいい。基本自分に対して恋愛感情を隠さず示してくれる金剛ではあるが、やはりそれでも自分が愛されているという実感は欲しいものだ。

 

だが、少し意地悪をし過ぎたかな、と自省する。立ち上がり此方をむこうとしない金剛を強く抱きしめた。

 

「……そんなことしたって誤魔化されないヨ」

「ごめん。色んな表情をみせてくれるのが嬉しくて、ついやり過ぎてしまったんだ」

 

金剛は俯いたまま俯いたまま何も言わない。鷹津は金剛をより一層強く抱き寄せた。

 

「機嫌を直してくれよ。金剛に嫌われたら、俺は生きていけない」

「テートクゥ……」

 

交わる視線。高鳴る鼓動。金剛は鷹津に何かをせがむように眼を閉じて顎を突き出した。

察した鷹津もまた金剛に唇を寄せていく。触れ合う直前――執務室の扉が叩かれた。

 

弾き飛ばされた鷹津は本棚にぶつかり眼を回す。テンパっている金剛はそんなことに気を回す余裕はなく、慌てて「ドウゾー」と返した。

 

入室してきたのは銀髪を緑のリボンでサイドテールに結った少女だった。

彼女の眼光は勝気な性格を如実に表している。

執務室内を見回し、どういう状況だったのか悟った少女は嘲るように鼻で笑った。

 

「昼間っからサカってるじゃないわよこのクズ」

「Hey! カスミン、テートクにそんな言い方――」

「うっさい色ボケ戦艦!」

「What!?」

「まぁまぁまぁ。二人とも落ち着け。喧嘩をするんじゃない」

 

金剛に喧嘩を売った彼女名は朝潮型駆逐艦『霞』。

前提督の頃からの古株であり、駆逐艦では随一の練度を誇る猛者である。

 

「演習の報告書よ」

「あいよ、ご苦労さん。間宮さんの所で特性アイスを頼んであるから皆で食べなさ――」

「結構よ」

 

やや食い気味に切られ、鷹津も思わず言葉に詰まった。

 

「霞ちゃんよ。俺もこの鎮守府に着任してもう2週間になることだし、そろそろ少し腹を割って話をしないかなー、なんて……」

「自分の仕事はするわ。何か不満はあるかしら? それともあんたたち人間に何か期待しろっていうの?」

「前提督が君たちに何をしたかは鳳翔さんや本人から概ね聞いて把握している。しかし、あれには訳があったんだ。頼むよ、話だけでも――」

「失礼します」

 

話をするのも厭わしいと言わんばかりに剣呑な表情を浮かべ、形だけの敬礼をして霞は執務室から退出していった。

鷹津は肩を落とし、金剛は天を仰いだ。

 

「取り付く島nothingデスネ」

「信頼していた上官に『死んでこい』なんて命じられたんだ。裏切られた気持ちでいっぱいだろうよ」

 

時雨の経歴が書かれた書類に目を通し、やれやれとため息をついた。

 

「まだまだ問題が山積みデスネー」

「ああ。けど、めげるわけにはいかない」

 

自分はあの人から任されたのだ。ならばやり遂げる。どんな困難にも立ち向かって見せる。

 

「力を貸してくれるか、金剛――いてっ」

 

不意にデコピンをもらってしまい目を丸くした。割と真剣に言ったのだが、何か彼女の機嫌を損ねるようなことを言っただろうか。

 

「……テートクはまだまだワタシのこと分かってナイネ」

「というと?」

「テートクの思う様にすればいいヨ。ワタシはそれをフルパワーでアシストするだけネ」

「もし俺が間違ったらどうする?」

「その時は二人でカガにsermon されまショ」

「……バカだな、お前は」

「No problem! バカであることを選んだのはワタシだから平気ヨ」

 

暗澹たる気持ちが随分軽くなった気がする。辛いときはいつもこの笑顔が傍にあった。

俺は一体どれだけこの笑顔に救われるのだろうか。彼女にとっては何でもないようなことなのだろうが、それがどうしようもないくらい愛おしい。

ならば、自分は無邪気に慕ってくれる彼女を――彼女たちを裏切ることは絶対にできない。

 

鷹津は改めて自分の心に誓った。

 

 


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