やはり俺の見る夢はまちがっている   作:拙作製造機

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以前書いた俺ガイルは八幡達が社会人になりたてで描きましたが、ここではもっと年齢が上。原作の静ちゃんよりも年上になった八幡が主役の話。枯れているような、そうでないような彼がある意味自分やあの頃の周囲と向き合う、そんな話に出来たらいいなと思います。


奇妙な夢の始まり

「……こんな生活を後どれぐらい繰り返したら終わるんだろうか?」

 

 男は疲れ切った声でそう呟いた。その格好は白いシャツにストライプ柄のトランクスというもの。これから就寝しようとしていたのである。時刻は午前一時を過ぎた辺り。彼は、つい一時間前にこの部屋へ帰宅し、コンビニで温めてもらった弁当を食べ、歯磨きをしシャワーを浴びて着替えて今に至る。

 

「もう、俺も今年で三十五、か……。歳、取ったなぁ」

 

 誰もいない部屋に男の独り言が響く。彼が見ているのはカレンダー。その目は八月八日の日付を見つめている。それが今日なのだ。そして、この日は彼の誕生日である。前髪に特徴的なクセ毛があり、目付きは日々の疲れからより一層酷くなっていて、高校時代に腐り目と評されたものが凄い事になっていた。

 その彼の名は、比企谷八幡。結局青春時代に間違えた彼は、大学でも間違い続けて今日まできた。彼女など出来た事もなく、風俗などに行く勇気も度胸もないので未だ女性関係は不得手で苦手のまま。下手をすれば、学生時代よりも酷くなっているかもしれない程だ。

 

「…………やっぱり、あの頃の捻くれが今に繋がるんだろうな」

 

 そう言って彼が思い出すのは、今なら断言出来る人生のモテ期でありまた絶頂だった高校時代。奉仕部と呼ばれる部活へ強制的に入れられた事を発端とする、青春時代の思い出だ。三十も過ぎ、四十さえ見え始めた今なら彼も言える。あの頃の自分は斜に構えていただけの青二才だったと。さも人生の苦渋を知ったかのように思っていただけの、何も知らないに近い若者だ。そう、今の彼は断言する。

 

(雪ノ下も由比ヶ浜も、間違いなく俺に好意を寄せてくれていた。俺は、それを知りながら見ない振りや気付かぬ振りをしてしまった。あの二人の友情を壊したくなくて……って、これはただの言い訳だな。本当は、怖かったんだ。どちらかと上手くいこうといくまいと、それまでの三人の関係性が壊れる事が)

 

 小さく彼は笑う。それは自嘲の笑い。有りもしない本物を求めていた頃の、青い思い出。だけど、大切な思い出。あの時間があったからこそ、彼は今も何とか生きているのだ。例え、もうあの頃の関係がなくなっていようとも。そう、今や彼は雪ノ下とも由比ヶ浜とも連絡が取れなくなっていた。理由はいくつかあるが、一番の理由は彼女達それぞれに家庭を持ったからである。家事や育児、それらが本格化した後、彼らは自然と会う事や話す事が減っていった。

 特に、元々自発的に他人と関る事が苦手な彼は。仕事などの義務的な要素があれば違うのだろうが、それがない以上、彼に二人の人妻となった女性達とのコミュニケーションなどは無理に近かったのだ。

 

 だけど、もしあの頃に自分が踏み出す決断を下していたら。そんな考えがぼんやりと浮かぶ。だが……

 

「過去に戻りたいなどと思わん。仮に俺がどちらかと上手くいけば、今のあいつらの幸せはどうなる? 馬鹿な話だ」

 

 そう彼は、自分の中で何度か首をもたげるもしもへ告げてベッドへと寝転がった。妹である小町さえも既に結婚し二児の母である。姪と甥を可愛がっている彼からすれば、小町と義弟の幸せがあの二人に重なって見えるのだ。故に望まない。望めるはずもない。現状は自分が手放し、自分が選んだ結果であるのだから。

 

(もしやり直すのなら、今よりもマシな仕事に就けるよう進路希望変更するな。専業主夫と言ってた俺に言ってやりたいよ。そもそも女性相手に口説きも出来ない奴がどうやってそうなるつもりなんだってな)

 

 思い返せば返す程、中学時代とは違った意味で頭を抱えたくなる。そう判断し、彼はもう寝る事にした。明日は休みなので昼過ぎまで寝ていたいと、そう思いながら……。

 

 

 

「おい、比企谷。起きなさい。授業中だぞ」

「……は?」

 

 頭上から聞こえる男の声に目を開けて顔を動かす八幡。そんな彼が見たのは、四十代半ばだろう中年男性だった。しかも、どこかで見覚えのある顔の。

 

「まったく、いくら成績が悪い数学だからと言って寝る奴があるか。そういう奴こそ授業態度で印象を良くするもんだ」

 

 男性の言葉で八幡は思い出した。目の前の相手は中学時代の数学担任だった教師だと。そこで彼はハッとして自分を見た。格好が中学時代の制服になっているのである。が、そこで彼は理解した。これは夢だと。

 

(たしか明晰夢って言うんだよな? 初めての経験だが、こんな感じか)

 

 自分へくどくどと説教をする教師を見つめ、八幡は黙ってそれを聴き入っていた。あの頃はまったく耳に残らなかった言葉であったが、大人となり社会人となった後で聞くと色々と耳に痛い事が含まれていたのだ。特に、一番心に刺さったのが次の言葉であった。

 

「そうやって嫌な事から逃げていると、後々後悔するぞ」

 

 まさしくそれを実体験した身に、その定番セリフは堪えた。八幡は心底反省するように返事を返し謝罪するのが精一杯であったのだ。そんな彼の態度を殊勝と取ったのか、教師は満足そうに頷いて授業へと戻る。そうしてやがて授業は終わりを迎え、休み時間となった教室は騒がしくなった。

 

「……こうやって見ると、中学の頃の数学はまだ出来るな」

 

 彼は手元の教科書を捲りながら眺めていると、かつては理解出来なかったり解けなかった部分がそうではなくなっている事に気付く。それがあの奉仕部での才女のおかげであると思い出し、ならばと彼は自主的に予習復習を始めた。

 

「…………腐っても鯛って奴か? いや、昔取った杵柄か」

 

 高校最後の年は、密かに雪ノ下と同じ大学も視野に入れて苦手分野へも努力してみた甲斐もあってか、確実にかつての中学時代よりも数学の理解が高いと実感出来たのだ。そして次の授業が始まり、八幡は思う。学生とは、何と楽なのだろうと。授業を受けているだけで時間が過ぎ、それが仕事となるのだ。無論、彼も学生時代から社会人の方が大変だろうと分かってはいた。だが、それを頭だけで考えるのと、経験も含めて考えるのでは大きく違う。

 

(やっぱいいもんだ。勉強だけで一日が終わるってのは……)

 

 職場での人間関係を否応なく考えるはめになり、そのやり取りで疲弊する中で仕事をしなければならない。更に顧客の中にいる厄介な者達が色々な面倒事を起こしたり持って来たりする。それがないだけで今の八幡からは天国であった。

 

「そして、残業もないしな。基本的には」

 

 放課後になり、一人掃除をしながら呟く八幡。当然であるが、本来掃除は一人でやる訳ではない。残りの者達は仕事を放棄して帰ったのだ。それもかつての記憶と一致し、八幡に微かな笑みを浮かばせる。こんなところまで再現するのかと。

 

「……こんなもんか」

「あれ? 何、一人なの?」

 

 全てを終え、後はゴミ捨てのみとなった時、彼の背後から可愛らしい声が聞こえてくる。その声に、八幡は瞬時に記憶を呼び覚ました。

 

「……折本、か」

「えっと、そっちは……ひき、たに?」

「比企谷だ」

「そうそう、ひきがやだ。で、何で一人で掃除してんの? マジウケる」

「残りの連中はこれぐらいの仕事も出来んぐらい忙しいそうだ。更にそれを担任へ言うだけの暇もなければ、自分達の無責任さを認める勇気もないときてる。だから俺が後始末をした。いや、させられただな。それだけだ」

「……ひきがやってそんな奴なんだ。何か意外」

 

 夢だからと思い、三十過ぎ男の日々溜まったストレスを愚痴や嫌味へふんだんに乗せて喋る八幡に折本は何度か目を瞬かせた。どこか学生らしくないと思えたからだろう。何せ、彼女が同じ状況なら迷わず一緒にさぼっているからだ。

 

「まあな。何せ、真面目な奴は馬鹿を見る事もあるが、不真面目な奴は確実馬鹿を見る。だから俺は、人が馬鹿を見るのを眺めるより自分が馬鹿を見る方がマシって考えなだけだ」

「……要するに、不真面目よりも真面目でいたいって事?」

「ああ、それでいい。じゃ、俺はこれ捨ててくるから」

「あ、手伝うよ」

 

 その彼女の申し出が彼の中の記憶を呼び戻す。それは、かつての彼が彼女を意識した時に酷似していたからだ。故に迷う。夢とはいえ、妙に現実味があるからだ。だから、今の自分として動く事に彼は決めた。

 

「…………いい。俺だけで運ぶ」

「え~? 別に何かお礼を期待するとかないって」

「かもしれんが、俺の親父の教えがあってな」

「お父さんの?」

「ああ。その、美人は信用するなってやつだ」

 

 どうせ夢ならこんな事言ってもいいだろうと、そんな感じの言い方であった。この頃は口が裂けても言えなかった事である。もし、あの頃に今のような開き直りが出来ていればと、そんな気持ちで彼はそう言い放って両手でゴミ袋を持って歩き出す。その背中を折本が驚きの表情で見送っていた。

 

「……今のって、口説かれたのかな? いや、ないよね。でも……」

 

 どこか嬉しそうに笑みを浮かべながら彼女は廊下へと移動する。もう遠くなった八幡の背中に彼女は小さく呟く。

 

「可愛い、じゃなくて美人、かぁ。そんなの、あいつでも言わないのに。しかも、お父さんの教えって……マジウケる」

 

 その褒め言葉の言い方が中学生らしくないと感じて、折本は少しだけ興味が湧いていた。比企谷八幡という、それまで特に気にも留めなかったクラスメイトに。

 

 その後八幡はゴミを捨て終わるや教室へと戻り、鞄を手にして帰宅した。そして正月以来となる実家へ入り、もう肉眼で見る事はないと思っていた中学に上がったばかりの小町の面倒を懐かしく思いながらこなし、更に両親のための夕食の支度もした。それらは、否応なく彼に懐かしさと両親の大変さを突き付けるもの。

 

(俺は一人だったから待っている人も、守る存在もいなかった。だからどれだけ遅くなろうが平気だった。だけど、親父達は中学生の子供二人を遅くまで家で留守番させているんだ。きっと、その心境は複雑だったろうな……)

 

 親心、子知らずとはよく言うが、似たような年齢となったからこそ八幡にも分かる事や思う事があった。あの頃は思いもしなかった両親の心労。その一端へ想いを馳せながら彼は料理を作っていく。それを小町が小首を傾げながら見つめていた。

 

「おにーちゃん、どしたの? 何か、今日は静かだね?」

「……そうか?」

「うん。いつもなら、ったく親父め、とかぁ、かーちゃんがたまにはやれよな、とかブツブツ言ってるのに」

「あー、たまにはそうじゃない時だってあるって事だ。ほら、小町だってあるだろ? 大好きなお菓子だからって、いつも食べたい訳じゃないって時」

「あー、うんうん。それなら分かる」

「そういう感じだ。今日は愚痴る気分じゃないってこった」

 

 片手で小町の頭をそっと撫で、八幡は小さく笑みを浮かべる。それに小町が嬉しそうに笑顔を返した。こうして二人だけの夕食を終え、八幡はどうせならとあの頃はやらなかった復習を行う。すると、楽しいのだ。三十も過ぎた人間では覚えられそうにない事も、すらすらと覚えていけるし理解も早いために。

 

「……勉強の楽しさって、歳とらないと分からない奴多いよな」

 

 きっとそれが早い内から分かる者が大成するのだろうと、そう思いながら彼は入浴も忘れて教科書を読み漁った。国語、数学、理科、社会、英語。それだけでは飽き足らず、美術や音楽なども読み返したのだ。あの頃は興味も抱かなかった事が、今になって読み返すと楽しい事に気付いたために。

 

 こうして彼の復習と言う名の読書は日付が変わる頃まで続き、さすがに寝るかと思って彼が着替えて眠ったのはギリギリ午前一時を過ぎる前であった。

 

「……変な夢だったな」

 

 希望通り昼過ぎに目覚めた八幡は、顔を洗い終わってぼんやりとそう呟く。夢と自覚した後も割と長い間というかその夢の中で眠るまで見続けたのだ。普通はもっと早く目覚めていたはずだろう。それと、夢にしてはそれらしいところは少なかったとも感じていた。

 

「妙に現実味に溢れてたんだよなぁ……」

 

 思い出すとまだ寝る前の復習内容がそれなりに浮かぶのだ。こんな事もあるのだろうかと、そう思いながら彼は着替えを始めた。面倒ではあるが洗濯物をコインランドリーへ持って行かねばならないためだ。こうして彼は休日を最低限の家事などで使い潰し、日付が変わる前に就寝する。

 

「あれ…………?」

 

 気の抜けた声と共に目を覚ます八幡だったが、そこは見慣れた一人暮らしの部屋ではなかった。いや、ある意味では見慣れた場所ではある。そう、そこは実家の自室だったのだ。もうなくなったはずの自室。何故なら、今や子供部屋となっているからである。

 

「……おいおいあの夢の続きか? マジかよ……」

 

 ぼやいてから大きく伸びをして彼は時計へ目をやる。時刻は七時半よりも少し前。まだこの時間なら両親を送り出せるか。そう判断した八幡は眠い目を擦りながら部屋を出る。そのまま階段を下りると、丁度両親が揃って玄関から出て行こうとしていた。

 

「親父、母ちゃん、行ってらっしゃい。気を付けてな」

「……おう」

「え、ええ。行ってくるわね」

「無理は程々にしてくれよ。倒れたら俺も小町も心配だからさ」

 

 珍しい事をされて面食らっていた両親に内心で無理もないと苦笑しながら、八幡は紛れもない本音を送った。社会人となって誰もいない部屋へ帰るようになった時、痛感した事がある。それは”行ってらっしゃい”や”おかえり”と言ってもらえる有難さだ。それがあるだけで幾分か疲れが取れたり、あるいはやる気が出たりする事を今の彼は知っている。夢だろうと、あの頃言えなかった事を伝えたかったのだ。思うだけは思っていた事を。

 

 どこか困惑しながらも、微かに嬉しそうに出ていく両親を見送り、彼は小さく息を吐く。

 

「さてと、小町を起こすか」

 

 そして内心で思うのだ。この夢、いつ覚めるんだろうと……。

 

 朝食を小町と食べた八幡は、懐かしさを感じながら中学へと向かう。現役の頃は嫌だった登校も、いい中年となった今ではむしろ楽しくさえ思える。何せ、仕事ではないのだ。そこには、必ず相手をしなければならない同僚もいなければ、面倒事を引き起こす顧客もいないのである。クラスメイトや教師がそれになるとしても、彼が必ず相手をしなければならない訳ではない。誰かに任せるか、見て見ぬ振りをしてもいい。それが彼の心を久々に弾ませていた。

 

(もしかして、これは俺の中のストレス発散か? 現実では出来ない事を夢で可能にする事で精神面の安定を図ってると、そういう事だろうか……)

 

 そう考えれば何故あの高校時代でないのかも納得出来る。あの頃は思い出深かったが、その分面倒事も多かった。それでは現実との差が少なすぎる。そう自身が無意識で判断したのだろうと、そう納得して彼は校舎へと入っていく。

 

 教室へ入ると、自分の席へ座りさっそく教科書を取り出して読み始める。かつてならばラノベなどを読んだであろうが、今の彼にとっては教科書の方が面白いと思えた。あの頃は今一つ理解出来なかった事やもの、それらが社会人となった今ならそれなりに分かるようになっていたのだ。横の方で女子が朝の挨拶をしているのを聞きながら、その内容へ意識を向ける。にしても、妙にしつこいな。そう感じながら八幡は文字へ意識を集中していく。

 

「……そういや、総武に入るって決めた時は猛勉強したっけな」

 

 折本に告白し、振られた後起こった凄惨なイジメ。それを切っ掛けに八幡は同じ中学の人間が誰も行かないであろう総武への進学を決意する。この夢ではその原因となる折本への恋慕がないため、総武へ行くという発想が生まれないだろうが、このまま自分が夢を見続ければどちらにしろ行く事にすると思っていた。

 

「え? ひきがやって総武行くの?」

 

 独り言に返ってくる反応。それに八幡は失態を犯したとばかりの顔で横を見た。そこには意外そうな顔で彼を見る折本の姿があった。

 

「……いつからそこに?」

「え? 結構前からいたって。てか、ひきがやって酷くない? あたしおはようって言ったのに教科書見てるばっかでさ、全然返してくれないし」

「……その、すまん。俺じゃないと思ってた」

「何それ。チョーウケる。あたしひきがやに声かけてたのに」

「俺に挨拶する奴なんていなかったからな」

「あー、そうなんだ。じゃ、これからは分かり易くていいね」

「は?」

「あたししかいないって事でしょ? なら、これからはちゃんとあたしにおはよって言ってね」

 

 笑顔でそう告げる折本に八幡は目を瞬かせる。何を言ってるんだ、こいつは。そんな声が聞こえてきそうな様子である。が、そこで彼は思い出す。これは夢だと。そこから考え、自分がどこかで夢見ていた展開を再現しているのだと結論付け、内心で苦笑しつつ彼女へ頷き返した。

 

(俺にも未練みたいなもんがあったんだろうな。深層意識ってすげぇ)

 

 八幡が頷いた事に満足し、折本は笑みを返して会話を振ってきた。それは、総武進学に関する事。どうやら彼女も総武へ行きたい気持ちはあるのだが、とてもではないが現状の成績は不可能であるとの事で、それを八幡もそうだろうなと納得しながら聞いていた。実際、かつての彼もイジメからの逃走としての気持ちがなければ進学しようなど考えられなかったところである。故に折本の言葉はある意味で当然と言えた。

 

「にしても、何で総武? ひきがやって頭良かったっけ?」

「……記念受験みたいなもんだ」

「あはっ、記念受験ってマジウケる。落ちたらどうすんの?」

「滑り止めに合格ライン超えてるとこをちゃんと受ける。ま、出来れば総武に受かりたいけどな」

「ふーん、じゃあ頑張れば合格出来るの?」

「……頑張り次第、だな」

 

 そこで会話は終わった。チャイムが鳴ったので折本が自分の席へと戻っていったからだ。その背を見つめつつ、八幡は思う。

 

(夢って、結構アドリブ利くんだな。本当に折本ならこう返しそうと思う感じがするぞ)

 

 と、そこで彼はある事に思い至ってため息を吐いた。それはつまり自分の願望でもあると気付いたのだ。ただし、これが本当に夢ならば、との注釈が付くが。

 

 その後も時折休み時間で折本が彼へ声を掛けてくる事があった。それを教科書へ目をやりながら応対する八幡に、折本は楽しげに笑って会話を楽しんでいた。彼女の周りで本気の表情で教科書を読み耽る者などいなかったからだ。物珍しく映っていたのである。

 

 そして、この日も掃除は彼一人となり、それを八幡は文句も言わずに行っていた。が、今日はそこに折本の姿もあった。

 

「何でお前が?」

「ん? ま、暇潰しかな?」

「……割り当てでもない掃除が暇潰しか。中々イイ趣味してるな、おい」

「そうかな? あたしからしたらひきがやの方が変わってると思うよ。ふつー、あんな熱心に教科書読まないって」

「かもな。でも、それぐらいじゃないと総武には合格出来ん」

「……だね」

 

 どこか微笑ましく言葉を返し、折本は八幡を見た。無言で箒を動かしゴミを集める。それも、最後にちりとりを使うのではなくある程度でゴミを捨てていた。

 

「ね、何で最後にしないの?」

「効率を考えればそれがいいだろうな。だけど、こうやってこまめに捨てれば、不測の事態に困らず済む」

「ふそくのじたい?」

「……誰かが勢いよくドアを開けて入ってくるとか、あるいは窓から強い風がくるとかだ。集め直す方が面倒だからな」

「それあるー! そっか。ひきがやって用心深いんだ」

「かも、しれないな。いや、そうだと思うぞ」

 

 実際彼はその用心深さで青春時代を間違ったのだ。であるからこそ、言い直したのである。しれないではなくそうなのだと。

 

「じゃあさ、何であたしの事美人なんて言ったの?」

「あ?」

「だって、あたし彼氏いるよ? 誤解されたらとか思わなかった?」

「……俺みたいなモテそうにない奴に危機感持つようなら、よっほど自分に自信無い男だな。それとも、嫉妬深いのか? どちらにしろ、男としての余裕が無さ過ぎると思うぞ。まぁ、学生の、しかも中坊じゃ初めての彼女に過保護気味になるのは分からんでもないが」

 

 三十過ぎの人間としての感覚で答える八幡だったが、それを聞いた折本の方は呆然としていた。言われた事に納得してしまったのだ。彼女の彼氏はサッカー部の所謂体育会系。容姿はとびきり優れてるとは言わないが、中身というかその応対は年齢相応であり、今八幡が言ったように相手も初めての恋人ともあって時間さえあれば二人きりになろうとしてくるのだ。それを嬉しく思いつつも、時折束縛感を覚えていた事もあり、折本は八幡の分析に感心していた。

 

「……それある。それあるーっ! ひきがや、スゴイね。今のすっごく大人っぽかった」

「そうか」

「うんうん。そういうの、もっと出してきなよ。そしたらモテるかもしれないって」

「そこは嘘でも言い切るとこだろ。何でそこはしっかり濁すんだよ、お前」

 

 折本の言い方に呆れつつ、どこからしいと思って八幡は苦笑する。そんな反応もまた、折本には好印象に映った。先程彼が言った男の余裕。それが感じられたからだろう。それも当然ではある。何しろ彼は中身三十過ぎの中年なのだ。故に折本とその彼氏の事も客観視出来たし、自分に関係ないからこそはっきりと意見を述べていたのだから。

 

 そんな風に掃除も終わり、今度は二人でゴミを捨てに行く事になった。あの時と違い、八幡の側にも昔の出来事は潰したとの考えがあったからだ。

 

「ひきがやってさ、前とは何か雰囲気変わったよね」

「……そうか?」

「うん。前からも時々見る事はあったけど、もっと根暗って感じがした」

「ははっ……間違ってないから否定はせん」

 

 乾いた笑いでそう返す八幡の脳裏には、あの頃もそう思われていたんだという考えが浮かんでおり、それによって若干凹んでもいた。そんな当然の捉え方さえ想像出来なかったあの頃の自分の未熟さと愚かさに。それが折本には自分の表現でなったように見え、慌てて否定する言葉を放つ。

 

「あ、違うんだ。それが嫌とかじゃないって。ただ、どうして変わったんだろうって」

「あー……」

 

 どう答えたものか。そんな風に考え、八幡はどうせ夢だしと深く考える事を止めた。

 

「夢を見てるからだろうな」

「夢?」

「ああ。だから変わった。夢でもなけりゃ、こんな風にはなれねーよ」

「そっか……」

 

 ここで互いの認識違いが生まれた。八幡は眠る時に見る夢として夢を見てると言ったが、当然折本には起きてる時に見る夢を見てるからと受け取ったのである。つまり、彼女の中で八幡は叶えたい夢が見つかったから変わる事にしたと解釈したのだ。

 

「じゃ、ひきがやの夢、叶うといいね」

「は? ……おう」

 

 どういう意味だと思いつつ、やっと夢らしい理解不能なところが出てきたのだと彼は納得した。こうしてこの日も終わりを迎える。が、一つだけある動きがあった。

 

「連絡先?」

「そ。ひきがやの教えてよ」

「……友達として、ってやつか」

「ん」

 

 そこで彼は思い出した。かつての高校時代のクリスマスイベントの出来事を流用しているのだと。夢というのは中々凄いもんだと思いながら、彼は折本と連絡先を交換し合った。それ自体は中学時代でもあった事だが、ここまで自分は落ち着いていなかったと思い、八幡は内心で苦笑うのだ。

 

 その後一人帰宅し、食事を用意して小町と食べ、両親用の分は冷めてからラップをして冷蔵庫へとしまう。あの頃もあった日常を、彼はどこか噛み締めるように行った。そして眠りに就いて目を覚ませばそこは見慣れた一人部屋。

 

「……やっぱり、俺はガキだったんだな。まぁ、それが当たり前っちゃ当たり前なんだが……」

 

 頭をがしがしと掻きながら八幡は呟く。折本とのやり取りで言われた言葉。大人っぽいというそれを思い返し、彼は小さく笑う。

 

「三十も半ばでやっとぽいか。まだなり切れてないって事かよ」

 

 どこか自虐的な笑みを浮かべ、彼はのっそりと動き出す。出勤するためにだ。憂鬱な気持ちではあったが、どこかヤル気のようなものが生まれている。

 

「夢が叶うといいね、か。夢、ねぇ」

 

 とっくに破れて無くしてしまったモノではある。だが、もう一度見てもいいのではないか。そう夢の中で言ってもらえたような気がして、八幡は一度だけ深呼吸をする。

 

「…………風俗、行ってみるか?」

 

 ただ、その夢はとても下世話なものだったが。

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