とりあえず、嫁さんと子供を守ろうとする父さんは強いんだ。そういう話です。
その日、八幡は大きく肩を落として歩いていた。夜勤の疲れからだけではない。それには、ある悲しい通達が関係していた。
(……夜勤、減るのか……)
将来のために少しでもと、そう思って増やしてもらっていた夜勤。それが、来シフトから以前よりも減る事になってしまったのである。理由は簡単。彼と同じように稼ぎたい者がいて、会社としても八幡だけを特別扱いには出来ないためだ。一応またしばらくしたら戻せるかもしれないと言われたが、そのしばらくが八幡にとっては大きいのだ。特に、かおりがパートを出来なくなった今は。
「これ、かおりに言わなきゃいけないのか……」
家計簿をつけて頑張って節約に乗り出している妻の事を思い出し、八幡はより暗い顔で歩く。帰宅すると、リビングから大きなお腹をしたかおりが顔を出した。
「おかえり。お疲れ様」
「ああ……」
たったそれだけのやり取りでかおりは八幡の異変に気付く。明らかに仕事の疲れだけではない。そう思った彼女は、小さく息を吐くと彼を自分の近くへ抱き寄せる。
「お、おい……」
「何があったの? ほら、言ってみて」
「……夜勤、減らされる事になった。前と同じじゃなく、それよりも」
「そっか。じゃ、一緒に寝れる日が増えるんだね。良かった」
「その、いいのか?」
「収入面では困るけど、生活面では嬉しいもん。あたし、こんな体になったし、やっぱり夜一人だと不安だよ。実家で世話になりながら産む事も考えたけどさ。やっぱり、ここがあたし達の家だから」
そう言って微笑む姿は紛れもなく妻の顔だった。そのかおりを八幡は心から感謝するように優しく抱き締めて、小さく愛を囁く。ありがとう、愛してる。それだけで良かった。かおりも嬉しそうに頷いて彼の体を抱き締める。そんなある日の朝の風景だった。
それから半年が経過し、八幡は思わぬ連絡を受けていた。
「ほ、本当か?」
『ええ、本当よ。もし貴方さえ良ければ口利きをするけど?』
「頼む。あきらのためにも派遣じゃなくなるのは大きいんだ。何とか、よろしく頼む」
八幡は噛み締めるような声でそう言って頭を下げた。電話越しに小さく息を吐く声が消える。雪乃のものだ。その彼の反応に若い頃との明確な違いを感じたのだろう。
あの夢を見なくなって既に一年以上が経過し、八幡はかおりの支えや折本家や比企谷家の手助けもあって、何とか家族三人の暮らしを守っていた。
だが、それも少しずつ厳しくはなっている。やはり派遣では色々と安定しないためだ。更に子供に必要な金額は年々増えていく。
そこへ舞い込んできた思わぬ話。それは、雪ノ下建設の守衛の話だった。一人が高齢で病気をしたために辞める事になったのだが、その後任を八幡へやる気はないかと雪乃が持ちかけたのである。
『分かったわ。じゃあ、履歴書と職務経歴書を用意しておきなさい。面接の日時が決まったら連絡を入れるわ』
「分かった。恩に着る、葉山夫人」
『……名前にさん付けでいいわよ?』
「それは……まだ気恥ずかしいんだ。由比ヶ浜でさえ意識しないとそう呼んじまうんだよ」
『ふぅ、そういうところは相変わらずかしら。とにかく、本番で失態を犯さないようにね』
「ああ」
通話を終え、八幡は天井を見上げた。派遣は時間帯も変われば、いつ首を切られてもおかしくないが、正社員となれば簡単には切られない。しかも、今回の話は前任者の事を聞けば定年まで確実に雇ってもらえるはず。そこまで考え、八幡はすぐさま動き出した。
「かおり、ちょっと出かけてくる」
「どうしたの? コンビニ?」
今年生まれた愛娘であるあきらを背負って、キッチンで料理中だったかおりが不思議そうに問いかけた。既に時刻は午後六時を過ぎており、もう少ししたら夕食という事もあって、外出するには少々不自然と言えたからだ。
「実はな、雪ノ下建設の守衛さんが年齢とかで辞めるらしいんだ。で、俺にその後任をする気はないかとな」
「え? それって」
「ああ、正社員だ。しかも、今と違って夜勤はない」
「やったじゃん! あっ、履歴書?」
「それもあるが職務経歴書もいるからな。それを買いに行ってくる。コンビニじゃなくちゃんとしたとこだ。なんで、悪いが飯は少し待っててくれ」
「分かった。じゃ、ゆっくり作ってる。慌てて事故とか遭わないようにね?」
「おう」
かおりに見送られ八幡は家を出る。そこは、雪乃の紹介で借りている2LDKのマンションだ。そこでの暮らしは以前に比べれば楽と言えた。互いの実家が近いので、いざとなった時に手を借りれるし貸しにも行けるためだ。
(これで少しはマシになるとはいえ、やはりもう少し収入面をどうにかしたい。色々と難しいが、今から何か資格を取る事も視野に入れないとな……)
父となった八幡は、かつての自分の父と同じ道を歩き出そうとしていた。子供のために己が身を粉にして働くという道を。彼は、もう一人ではない。愛する妻と子を持った以上、その背中には常にその二人がいる。それは、彼が動き続ける理由となり、原動力となった。
誰かに理由を与えられなければ動けなかった事を悔やみ成長した彼へ、それが与え続けられるのは皮肉なのだろうか。それとも、必然だったのだろうか。とにかく、こうして八幡は少しではあるがその環境を向上させる事となる。それも、あの夢がもたらした一つの結果であった。
閑静な住宅街の一角にある葉山邸。そこに雪乃と結衣、そしてかおりの姿があった。八幡を通じて関わり、共に子を持つ親となった事もあってか、三人は時折こうして集まるようになっていた。
「あきらちゃんもそれなりに大きくなったね」
「おかげさまでね。結衣ちゃんにはあきらの事で本気で助けてもらってるし」
「うちもつい最近まで雪花で復習してたからね。それに、残り物を押し付けるみたいで気が引けたんだけど……」
「そんな事ないって。あれもマジ助かったんだからさ」
結衣の娘である雪花はもう三歳を越え、おむつが不要となっていた。その残りをかおりへ譲渡したのである。さすがに今は使えないが、いずれ使えるようになるのならと喜んで引き取ったのだ。
「やはりまだ暮らしは厳しいの?」
「あー、二人の感覚で言えばね。正社員になって少しは安定したし、何より帰宅時間が一定になったのも助かるから、あたし的にはマジ嬉しいんだけど……」
「ヒッキー的にはまだまだ?」
「みたい」
「仕方ないわ。自分は三十後半で生まれた子が成人するにはまだお金がかかる。小町さんも彼もご両親のご苦労や有難みが身に染みているはずよ。私も、そうだったから」
どこか噛み締めるような声でそう告げ、雪乃は視線を動かす。そこでは、彼女の娘である優実が結衣の娘である広美と一緒になって雪花やあきらの面倒を見ていた。その姿に小さく笑みを浮かべ、雪乃は言葉を続ける。
「親心、子知らずとは言うけれど、本当なのよね。私もこうなってやっとあの頃の母の気持ちが少し分かったの。あれは、母なりの愛情だったのだと。子に幸せになって欲しい。その一つの形だったのだと、そう思えた」
「愛情は難しいよね。あの人も言ってた。親のエゴを押し付けそうになるって」
「こうなって欲しいってやつだよね? あたしも旦那君と気を付けてる。後は、あまり広美にお姉ちゃんでしょって注意をするのも」
「……本当に手探りで、常に不安が尽きないのが子育てよね。かおりさんは働いているから余計に大変でしょう?」
その問いかけにかおりは苦笑して頬を掻いた。何故なら彼女はそこに関して実家の協力を得ているためだ。
「実はさ、あたしは働いてる間はお母さんに預かってもらってるんだ。だから引っ越し先を実家近くにした訳で」
「ああ、そうなの。私はてっきり彼が地元へ戻りたがったのかと」
「あー、いいよね。あたしも上の子の時は家近かったからママに助けてもらったよ。向こうも孫と触れ合えるから嬉しいって言ってくれたし」
「そうそう。こっちも同じ事言ってる。あたしは若干擦れた感じになったから、あきらはお淑やかな子にしたいって冗談半分で言ってさ」
「そういう意味では、私は実家とあまりあの子を関わらせなかったわね。姉さんとは結構顔を合わせていたけれど」
女三人寄れば姦しい。少し話し出せばすぐさま会話に花が咲く。雪乃もこれまでの事で高校時代よりも口数が増えており、結衣とかおりの性格もあってその会話は楽しいものとなる。一方、そんな母親達と違い、八幡はと言えば……
「こんなところだが、本当に挑戦するのか?」
「ああ、今のままじゃ少し、いやかなり不安だからな」
葉山弁護士事務所を訪れていた。用件は一つ。彼は、更なる生活向上のための資格取得を目指して、隼人へ色々と聞きに来ていたのである。あの一件以来、彼ら二人の関係性は激変していた。かつては相容れなかった二人だが、年齢や状況もありそれは過去の話となっていたのだ。
「そうか。俺から出来る事は現状何もないが、もし仮に資格が取得出来たら今の仕事はどうする?」
「そこについては問題ない。以前の会社で一緒に警備やってた人へ話をする。あと、この事はそっちの奥さんへは報告済みだ」
「……雪乃が知ってるのならいい。それと、その場合は教えてくれ。仕事上、つてが色々ある。雇ってくれそうなところか、あるいは簡単な仕事を回すよ」
「頼む。正直そこが一番ネックでな」
「まぁ、依頼内容なんかも色々あるから何とも言えないが、損して得取れがいいかもしれない。あまり実入りが少ない依頼でも、数をこなしたりして名前を売っていく事で収入を増やす人もいる。君には、そちらの方がいいかもしれない」
「そうか。その、また相談に乗ってくれると助かる」
「いいさ。君のおかげで俺達夫婦もやっと歩き出せた気がする。二人目を考えたいと言われてね」
「……嫌味か?」
「そうじゃないよ。優実の時は欲しいと言われなかった。だけど、今度は違う。本当に、雪乃も吹っ切れたのさ」
何とも言えない顔で左手の薬指を見つめる隼人に、八幡は返す言葉がなかった。暗に彼らの長女は望まれて生まれた訳ではないと知ったために。そして、それ以降は雪乃が完全に子を望んでいなかった事も。
「その、男の子だといいな」
「この歳で二人目は正直中々恥ずかしいけどね。しかも、もうじき優実も十一歳だ。そろそろ子どものでき方を理解する頃だし」
「ああ、そうだな。ま、そこは頑張れ。多分一番大変なのは奥さんの方だろうが」
「違いない」
揃って苦笑する二人。かつてはそんな事有り得なかった二人だ。そこで彼らも改めて実感した。歳を取ったなと。
「じゃ、邪魔したな。また仕事の忙しくない時を教えてくれ」
「何なら夜に家へ来てくれてもいい。前もって雪乃へ言っておけば夕食ぐらいご馳走するよ」
「……夫婦で行くぞ?」
「いいさ。何なら外食でも構わない。それぐらい稼いでるからな」
「ぐっ、この中堅弁護士め」
「実際はこれでも新米が取れた程度だけどね。気を付けて帰れよ。奥さんによろしく」
「ああ、そっちもな」
高校時代の彼らが見れば信じられないと言ったであろうやり取りだ。こうして八幡は自宅へ帰り、一人勉強を始める。それは、行政書士の勉強。かつて進学校であった総武で文系を選び好成績を収めていた八幡は、その頭脳を再び揺り起こしての一念発起を考えたのだ。
(葉山の話じゃ、頑張れば今の倍の年収も夢じゃないらしい。なら、やってみる価値はあるっ!)
昔取った杵柄ではないが、あの夢での復習も地味に活きていた。何せ二度に渡る受験勉強を経験したのだ。そこに来ての家族のためという意思。これが八幡の背中を支えていた。しかも、上手く行けば隼人のつてで就職先も斡旋してもらえる上、最終的にはそこからの仕事ももらえるかもしれないのだ。まさしく過去を乗り越えたこその人の縁で、今の彼は現状を変えようとしていた。
仕事が夜勤無しとなった事もあり、八幡はその生活リズムを大きく崩す事なくいられたのも大きい。かおりの作る食事を食べながら可能な限り資格の勉強を続け、時には幼い娘を妻と見て、稀に奉仕部で話す事もあった。
その場所も様々だった。時には八幡達の家でかおり達も一緒に、あるいは葉山家で隼人も交えてと、あの頃とは違いながらも、あの時の空気はどこかに残した時間を過ごしたのだ。
「何か、高校の頃のアナタって今とも中学時代とも別人になってるね」
「まあ、色々あったからな。その、斜に構えてたんだよ。要するに大人になった気でいたってことだ」
この日も雪乃と結衣が子供達を連れて遊びに来た後、かおりが何気なく告げた言葉に八幡はあきらを抱き抱えながら答えた。思い出すと少々恥ずかしさもある高校時代。だけども、彼の間違いなく青春だった時間。
それが彼の声から伝わったのか、かおりはどこか微笑みながら腕を組んでテーブルに乗せる。その眼差しは優しく八幡を見つめていた。
「でも、それがあったから今は大人になれたんでしょ?」
「…………ああ、きっとな。それと」
「それと?」
そこで八幡は視線をあきらからかおりへ向けて笑みを浮かべた。
「かおりと、こうなったからだ」
「……やだ。そういうのさ、ホントズルいって。もう少ししたら四十のおばさんなんだからさ、涙腺弱くなってるんだってば」
「関係ない。俺にとっては、いつまでも愛する嫁で綺麗な女性だ。これからも、よろしくな」
「……うん。あたしこそよろしく」
向け合う笑みには微かに光るものがある。この日、二人はあきらを挟んで眠る事にする。その結果、珍しい事にその夜はあきらが泣く事はなかった。両親の温もりを感じて安心したのかもしれない。そう二人は考え、出来るだけそうするようになった。それは、僅かではあるが夫婦の会話を増やす事に繋がる。
「勉強の方はどう?」
「二度目の総武受験が役立ってる。あれよりは覚える事が少ないと思うしな」
「そっか。あたしも何か資格取ろうかな?」
「その、興味本位なら止めとけ。逆に、どんな資格でも本気で欲しいと思うならやればいいと思う。あと、無理に役立つものを選ばなくていいぞ。かおりの本当にやりたい事をやってくれ」
「……アナタもそうなの?」
「俺は自分の大事なもののためにやってる。それも、言い換えれば俺の本気でやりたい事だ」
「そっか。ありがと、アナタ」
最後に軽くキスをして就寝の挨拶の代わりとする。もう結婚して二年以上経っていたが、未だに気持ちは新婚のようなところが残る二人であった。
その日、かおりの実家への挨拶以来のスーツ姿となった八幡がある場所を訪れていた。そこは葉山弁護士事務所。どこか緊張の面持ちで彼はその中へ足を踏み入れる。
「やあ、待ってたよ」
「遅れて申し訳ない。その、年甲斐もなく緊張してな」
「仕方ないさ。さ、座ってくれ」
「ああ」
案内され隼人のいる部屋へ通された八幡は、促されるままソファへ座る。
「まずは、合格おめでとう。一発で受かるとは正直思ってなかった」
「俺は最初からそのつもりだった。あまり時間の余裕がないからな」
「気持ちは痛い程分かるよ。俺も、父さんに認められるようになったのは優実が生まれてから少し経った後だ」
「そうか。自分が守らないといけないって、そう思うのはでかいんだな、やっぱり」
「だと思う。さて、じゃあ早速だが……」
見事行政書士の資格試験に合格した八幡は、隼人のつてを使って新しい人生を歩き出そうとしていた。最終的には個人事業主を目指す道を。年齢もあって厳しい道ではあるが、隼人は今の八幡ならば可能だと思っていた。そこには、かつて自分が認めた存在の奮起を信じているという事もあるかもしれない。
八幡と隼人。この二人には、奇妙な友情にも近い何かがあった。だが、きっとそれを本人達は認めないだろうが。それでも、何かの絆のようなものは感じ取っているかもしれない。それも、口に出す事はしないだろう。
「つまり、君は本気で最初の数年は人脈作りに費やすんだな?」
「ああ。地道にこつこつとやっていく方が俺の性に合ってる気がするんだ。目立たぬように、だけどしっかりと成果は出す。あの頃の俺に近いだろ」
「そして、時々大きな事をするのか。いや、それが大きな結果に繋がるのかな。たしかにあの頃のお前らしいよ」
「奉仕部は自立を促すが理念だったからな。俺もそうするさ。個人個人と向き合っていけば、いつか思わぬでかい事が待ってるもんだ。今の、俺達のようにな」
「…………そう、だな」
こうして八幡は新米行政書士として動き出す。その日々は決して順風満帆ではなかったが、依頼者のためにと取り組む姿はゆっくりとではあるが信頼や信用を呼び、三年目を迎える頃には警備員時代の年収を大きく超える事に成功。それでも慢心する事無く初心のまま仕事へ向き合い続ける事で、それはより大きな結果へと繋がっていくのだ。
そして、月日は流れ……
「「マイホーム?」」
「ああ、葉山夫妻が考えてみたらどうだとな」
五十を目前にしての八幡の言葉にかおりとあきらが揃って顔を見合わせる。世の中で言えばもうそんな事は諦める年齢であり、今更な感が否めない話である。だが、それは八幡も分かっているのかこう告げた。
「二世帯住宅って奴だ。あきらがもし結婚しても暮らせるように、な。ほら、俺の家も小町達のためにリフォームしてたろ。ああいうのを最初から見越して作ろうとな」
「そういう事か。でも、あきらはまだ中学生だよ?」
「うんうん。お父さん、気が早くない?」
「だからってお前が旦那を連れてきてからじゃ遅い。俺の仕事は定年がないが、逆に言えばいつ仕事がなくなってもおかしくないんだ。そうならないよう、どんな仕事もきっちりやってはいるけど」
そう言って彼は二人へパンフレットを見せる。二世帯住宅の様々なモデルハウスが載ったものだ。下に雪ノ下建設系列を示す社名が印字されている。
「……あ、これいいよお母さん。一階と二階にそれぞれトイレがあって、キッチンもあるんだ」
「でも、それは本当に結婚してからじゃないと意味なくない?」
「いや、何だったらあきらが一人暮らしの予行練習にも使える。出て行くか行かないかは別にしてだ」
「お父さんあったまいい。一人暮らしってちょっと憧れあるんだよねぇ」
「いいけどあきら? そうなったら家賃とかもらうから」
「え~っ!? 自宅なのに!」
「甘い。一人暮らしって言うのはね、自由と共にお金がかかるの。代わりに、家族割りって事で家賃に光熱費とか水道代とか込みにしてあげるから」
「ぶーぶー!」
母娘のやり取りを眺めながら八幡は苦笑する。まだ建てるかどうかも決めていないのに、既に建てる気でいる二人に。本音を言えば、彼も愛娘であるあきらの結婚などまだ考えたくはない。だが、どこかで早くそういう相手を見つけ、安心させて欲しいとも思うようになっていた。
(折本のお義父さんの気持ちが今なら分かる。あとは親父のも。複雑だけど、どうして俺や義弟を認めてくれたのかも……)
大事な存在だが、いつまでも自分達が面倒を見れる訳ではない。それを思えば、自分達が生きている内に支え合える相手を得てくれるのは喜ばしい事なのだ。今の八幡はそう考えていた。あきらももう十三歳になる。早ければ三年後には婚姻可能となり、遅くても七年後には自分の意思で結婚出来る。
あきらが二十歳になる頃、八幡達は六十が見えてきているのだ。なら、このタイミングで自宅を建てるのは悪くない。もし何かあってもあきらに家を残してやれると、そう思って。
「大体お母さんだってお父さんと同棲するまで仕送りもらってたってお祖父ちゃんが言ってたよ!」
「なっ!? もうっ! お父さんめぇ……」
「だったらあたしだっていいじゃん。仕送りいらないから、十八辺りで一人暮らしもどきしたってさ」
「お母さんはね、自分の事があるからあきらに厳しくしてるの」
「お父さ~ん、お母さんが意地悪する~」
「アナタぁ、あきらがワガママ言う~」
「……ホントに似た者母娘だな、お前達」
心底楽しそうに苦笑し、八幡は息を吐いて二人へ軽くデコピンをしていく。それに不満を述べる妻と娘に、彼は呆れつつもそれぞれの言い分の正しさと誤りを指摘するのだ。その姿はまさしく仲裁役といったものであり、彼の成長を感じさせる光景でもあった。
「で、どうするんだ? 建てるべきか建てないべきか」
「「建てるっ!」」
揃って返ってくる声に八幡が小さく頷く。この後、親子はパンフレットを眺めてああでもないこうでもないと意見を出し合うのだ。そしてあきらがトイレへ行った際、こっそりとかおりが八幡へ告げる。
「やっぱあたしの旦那はマジウケるよ。だってさ、こんな幸せ、あの頃はちっとも想像出来なかった」
「俺だって、あの頃はマイホームどころか嫁だって想像出来なかった。今があるのはお前がいてくれたからだ」
「……なら、あの夢が出発点?」
「かも……しれないな」
そう言い合ってそっと肩を寄せ合う夫婦の背中を、トイレから戻ってきた娘が見つけて小さく微笑む。
「ホント、いつまでも仲良くしててね。お父さん、お母さん……」
そんな小さな呟きは誰に聞かれる事なく消える。そして、あきらは両親へ後ろから抱き着くのだ。日々の感謝とこれからの幸せを抱き締めるように。その笑顔を見つめ、八幡は心から思う。
(あの間違いをただの間違いで終わらせないで良かった……)
今に繋がるのは、あの間違いを見つめ直して問い直せたから。あの間違いが良かったとは言えないが、それが無ければ今はない。だからこそ彼はそう思うのだ。青春時代を綺麗な思い出に出来て、あの二人とちゃんと向き合えて良かったと。
「ね、お父さん。そういえば、これってつまりあたしが彼氏作ったら歓迎するって事?」
「んな訳あるか。あきらに相応しくない奴は容赦なく蹴り出してやる」
「何々? あきらってば、中学に好きな子がいるの?」
「そ、そんな事ないよ。ただ、さっきの話を」
「おい、ちょっと待て。あきら、そうなのか?」
不安そうな父、興味津々な母、戸惑う娘。様々な感情が入り混じり家を賑わせる。比企谷家は、今日も幸せです……。
以上です。行政書士の収入に関しては本当にピンキリなので、凄い方は凄いしそうでもない方はそこそこだそうな。
これで後日談は終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。感想、コメント、励みになりました。今後に活かせればと、そう思っています。
拙作製造機の次回作に、過度な期待はしないでください。本当にありがとうございました。