やはり俺の見る夢はまちがっている   作:拙作製造機

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とあるメッセージを頂きまして、折本が実家住まいの設定を変更しました。その部分を四話にも反映させてあります。彼女はあの店で働くようになった頃には一人暮らし(仕送りアリで)をしています。そういう事を頭の片隅に入れて読んでください。
それと、高校編も四話です。既に全て書き終えていますので、今日から毎日更新となります。時間は……予測してみてください。最終回は八幡の始まりの日です。


奇妙な夢がまた始まる

「同棲?」

「そう。ダメ?」

 

 あの八幡とかおりが二つの意味で結ばれてから既に二週間。あの夢はまた見なくなっていた。原因を二人はこう予想していた。現実と繋がったからではないか、と。それと、もう夢に逃げる必要もないというのがかおりにはあった。

 

 あの日を切っ掛けにかおりは元から持っていた明るさを取り戻しつつあり、当然のように八幡の部屋へ泊まる事も増えていた。そんな日々が日常になり出した頃、かおりが切り出したのはある意味で当然とも言えるものだったと言える。彼女の暮らす部屋も、彼とそこまで大差ないのだ。

 

「いや、別にこっちに嫌がる理由はないが、ただなぁ……」

 

 そこで八幡は自分達のいる場所を軽く見回す。元々一人暮らしを想定しての作りである部屋。そこに大人二人で暮らすのは少々手狭と言えたからだ。かおりもそれは分かっているが、それでも同棲したい理由が彼女にはあった。

 

「ひきがやの言いたい事は分かってる。でもね、実はさ、あたし今の仕事辞めようと思ってるんだ」

「……そうか」

「うん。大事な人、出来たから」

 

 それだけで八幡も理解した。かおりは変化を始めたのだと。そのために今の人に言えない仕事を辞めたい。だが、そうすると今の暮らしは不可能。そこで彼氏となった自分を頼る事にしたのだろう。そこまで考え、彼は内心複雑な想いを抱いた。

 

(変化するのはいいが、どこか人頼みってとこがかおりらしいよなぁ……)

 

 きっと自分が拒否しないと確信しているからだろうと思い、八幡は小さく苦笑してかおりへ優しくキスをした。

 

「……分かった。ただ、荷物は最低限だ。見ての通り、あまり余裕がないんでな」

「ありがと、ひきがや。本当に、ありがとう」

「いいさ。それと、かおりがこっちに来る前にお前の両親へ挨拶しといた方がいいか? その、お互い年齢もあるし」

 

 どこか照れくさそうな彼の言い方にかおりも悟る。八幡が結婚まで考えている事を。

 

「……いいの?」

「むしろ、今の俺の状況と年齢でお前を逃したら一生独身決定だ」

「っ! それある、それあるよ。でも、それはあたしも。ひきがやみたいなイイ男逃したら、あたし一生後悔するし」

「……来月で親御さんの都合のいい日、聞いておいてくれ。そこで休みを取るからな」

「うんっ! ひきがや、大好きっ!」

「っと」

 

 ギシリと軋む音を立てるベッド。三十代半ばとは思えないようで、やはりそれらしい交際。それが今の彼らだった。こうしてかおりは着々と同棲に向けて動き出し、八幡もそれを見据えた動きを始める。

 

 まず、かおりは八幡の部屋近くでの仕事を探し始め、同時に自分の衣服などの整理を始めた。不要な物は安値でもいいから売りに出してお金に換え、アクセサリーなども同様の処理を行う。それは、まさに過去との決別であった。もうネオン煌めく世界に戻るものかと、そういう意思の表れでもある。

 

 八幡は特に大きな動きをする事はなかった。ただ、就活の時に作ったスーツ一式がきつくなっていた事に衝撃を受け、ダイエットか新調かと考えた結果、新調を選ばざるを得ない事に凹んでもいたが。

 

 そんな風に時間を過ごし、八幡がかおりと共に彼女の実家を訪れる日が遂にやってきた。

 

「……緊張してる?」

「しない方がおかしいだろ」

 

 新調したスーツを着て、人生で一番の緊張をしている八幡をかおりは意外そうな表情で見つめていた。彼女からすれば、自分の両親に会うよりもあの元彼絡みの方が余程緊張しそうだと思ったからだ。

 

「大丈夫だって。十年前ならともかく、もう両親揃って早く嫁にって思ってたから」

「……それでも、だろ。どんな男だって親父さんは絶対思って」

 

 その時、リビングへ人の気配が近付き、八幡が反射的に立ち上がる。すると、そこに嬉しそうなかおりの母と、若干複雑そうな顔のかおりの父が現れた。

 

「ど、どうもはじめまして。お嬢さんとお付き合いさせて頂いてます、ひ、比企谷八幡と申します」

「……ああ、話は家内と娘から聞いているよ。まぁ、座ってくれ」

「は、はい。失礼します」

「比企谷さん、どうぞ。粗茶ですが」

「あ、ありがとうございます」

 

 出されたお茶を手にして、一口だけ飲む八幡だがまったく味が分からない事にそこで気付く。人生で初めての経験に何とか動揺しないよう心掛ける彼を、かおりとその母は微笑ましく見つめ、彼女の父だけが表情を動かさずお茶を飲んでいた。

 

「それで、かおりの事で大事な話があると聞いたが?」

「っ……は、はい。その、お嬢さんが自分と同棲したいと言ってくれまして」

「……それで?」

「申し出は嬉しかったですが自分にも妹がいたので、すぐそちらの心境を考えました。もう自分もお嬢さんも勢いや感情だけで動いていい時期は終わっています。同棲する前に、まずどんな男かを知ってもらい、ご両親の不安を減らさないといけないと、そう思いました」

「ひきがや……」

「そうか。それで挨拶に?」

「それだけではありません。その、一番は自分の気持ちと決意を伝えるべきかと思いまして」

「気持ちと決意?」

 

 かおりの父が問い返した瞬間、八幡はその場で立ち上がり最敬礼をした。

 

「お嬢さんを、必ず妻にしたいと思っています。ですので、どうか一緒に暮らす事を許して頂けないでしょうか」

 

 間違いなく、その場の空気が変わった。かおりは分かってはいても言葉にされた事で瞳を潤ませ、両親はそんな彼女の様子に何かを悟り一瞬だけ視線を交わす。深く頷く妻に夫も何かを受け入れたかのように目を閉じて小さく笑って頷いた。

 

「比企谷君と言ったな。君は、かおりの事をどれだけ知っているんだね?」

「……大学時代の事を発端とするあれこれは教えてもらいました」

「お父さん、ひきがやは街中で偶然あたしを見かけて、昔と全然違ったから心配して追い駆けてくれたんだ」

「あらあら、そこまでしてまでかおりを思ってたのねぇ。しかも、たしか中学の同級生で高校は別だったんでしょ? ……それなのにねぇ。アナタ?」

「分かっている。そこまでかおりを思っていて、しかも過去の事も知った上で妻に欲しいと言うのなら私はもう止めん。その、至らぬ娘だがよろしく頼む」

「っ!? こ、こちらこそよろしくお願いしますっ!」

 

 床にこすり付けたいとばかりに頭を下げる八幡だが、当然柔軟性のない中年の彼がそんな事をすれば待っているのは痛みである。それに反射的に声と頭をあげてしまい、その言動にかおりが笑い、少し遅れて彼女の母と父も笑い声を上げた。その笑い声を気まずそうに聞きながら、八幡もやがて恥ずかしそうに笑みを浮かべるのであった。

 

 その次の日から、八幡の部屋の玄関に女物の靴が二足増えた。一つはあの白いサンダル、もう一つは黒のフラット・シューズ。どちらもシンプルであり、そこからかおりがもう夜の仕事を辞めている事が窺えた。

 

「とりあえず、このボックスを衣装ケースにしてくれ」

「うん、分かった」

 

 一部屋しかない八幡の住まい。寝る場所は同棲を見越してシングルからセミダブルへと変わり、大人二人が眠るにはやや狭い。それが、かおりには丁度良かった。何せ、最愛の彼氏と密着したい時の理由に出来るのだから。

 色々と物が少なかった寝室に、少しではあるが物が増える。それが否応なく今後の暮らしと将来の事を八幡へ意識させ、自然彼の成長を促す。

 

(もしかしたら、俺達が大ケンカする事もあるかもしれない。だけど、可能な限りかおりと一緒に生きていきたい。……別れる事になるとしても、あの頃のような間違いは、もうしたくないしな……)

 

 それが、中学時代の事を指しているのか、あるいは高校時代の事なのかは分からない。だが、どちらにせよ、もう八幡は愛する女性へ、自分の想いを伝えない事は止めようと考えるようになっていた。そんな彼の背中に女性特有の柔らかさが押し付けられる。

 

「……何だよ?」

「ん? ひきがやがカッコイイ顔してたから、どうしてかなって」

「は?」

「……今、すっごくキリってしてた。あたし、キュンってきたよ」

「あ、ああ、そうか。えっと……」

 

 そこで素直にお前の事を考えていたと言えないところが彼らしさか。それでも、言いよどんだ事と表情でかおりも何か悟ったのだろう。嬉しそうに笑みを見せると、そのまま更に体を押し付ける。

 

「あはっ、ひきがやってホント変わんないね。あたし、そういうとこ好き」

「……そうか。なら良かった」

「あ、そうだ。あのさ、あたしがこれから家事やるから」

「マジか? パート決まったんだろ?」

「うん、でもフルじゃないからね。それに、大学卒業してからの家事手伝いってホントにしてたんだ。花嫁修業みたいなもんかな。ま、あそこに行き出してからはあまりやってなかったけどさ」

「……じゃ、頼んでいいか? その分、俺も頑張って働くわ。ただ、休みの日ぐらいは洗濯なんか手伝うから。て言っても、コインランドリーへ持ってくだけだが」

「それでも助かるって。じゃ、その時はお願いするね。普段は任せておいて。ちゃんとお店辞めてから今までで、復習はしてきたんだから」

 

 笑顔を見せ合う二人。年齢はもう若者と言えないが、気持ちはむしろ学生の延長と言えた。あの奇妙な夢のおかげである。だから本来ならば色々と思うだろう今の年齢での同棲も、彼らにはワクワクの方が強かった。かおりは近所のコンビニで働く事になり、時間は朝九時から午後二時までの五時間勤務。貯えを作る事と家事をやるための両立にはそれが限度であったのだ。

 

 こうして二人の同棲生活はスタートする。1DKの狭い部屋で同棲という、まるで昭和歌謡の世界ではあるが、それ故に彼らには良かったのだろう。何よりも、それまで一人でいたのだ。おかえりとただいまを言える事が出来、たまにそれが返ってくるのであれば言う事はない。

 

「もし結婚出来たら比企谷かおり、かぁ。いつしてくれるんだろ?」

「……結婚式出来なくてもいいなら早いかもしれんぞ」

 

 同棲という表現も、意外と早く終わるかもしれない。そんな風に互いが思い出したある日の夜、二人は揃ってあの奇妙な夢を見る事になる。

 

「あー、何か久々だね~」

「……ああ」

 

 やはりというか、時間は進んでいなかった。何故今更と八幡が困惑する中、かおりだけはむしろ嬉しそうにしていた。何せ現実では日々に追われてデートなど出来ていないからだ。故に彼女は上機嫌であった。が、八幡はどこか難しい顔をしていたのである。それがかおりには気になった。

 

「どうしたの? 久しぶりのこの夢じゃん。デートも出来るし楽しもうよ」

「…………今更夢を見る事が引っかかるんだ。何でだ? もうかおりも俺も現実逃避する必要ないはずだろ」

「あ~……もしかして、あたしのせい?」

「どういう事だ?」

「ほら、前この夢見なくなった時ってあたしがひきがやに嫌われるって思った時じゃん。で、ひきがやがあたしに会いに来てくれて、夢を見てもいいって思ったらまた見れた」

「……それと今回の夢の関係性は?」

「実はさ、あたし、同棲始めてからひきがやと学生生活やり直したいって思ってたんだ。ほら、現実だと中々気軽にデートにも行けないじゃん。マジウケないけど、それが現実だし」

 

 そこで八幡もかおりの言いたい事を理解した。つまり、この夢に大きく影響しているのは気持ちであり、彼女が強く望んだから再び見始めたのではないかというのだ。それが、どこかでこれが夢ではなく別の時間軸なのではと考え出していた八幡に、再度夢であるとの認識を持たせた。

 

「成程な。だからあの続きか」

「かも。でも、正直受験とかあるのが嫌だなぁ。あたしじゃ総武は厳し過ぎるし。マジウケない」

「……頑張るだけ頑張ってみるか?」

「ん~……止めとく。それよりも、こっちでも料理の腕磨きたいかな。少しでも美味しい料理、ひきがやに食べさせてあげたいから」

 

 夢でやった事がある程度現実に反映される事をかおりももう知っていた。それを踏まえての発言に、八幡はやや照れくさそうに頬を掻く。今、彼が部屋へ帰る一番の楽しみはかおりの料理なのだ。

 

「そうか。ま、かおりが決めた事ならいいさ。とりあえず、今日は小町に紹介するな」

「お願い」

「それにしても、妙な感じではあるな。現実より先に夢で紹介する事になるとか」

「ね。あたしも現実より先に小町ちゃんに会えるとは思わなかった。可愛いんだっけ、小町ちゃん」

「ああ、自慢の妹だ。こっちだと更に輪をかけて自慢の妹になりそうだ」

 

 そう、今彼らが向かっているのは八幡の家。いつものように学校で授業を受け、その後彼の家でお部屋デートをする事になったのだが、今回はそういう事をするためではないので小町を外出させないからだ。

 

「そうなんだ。あたし、一人っ子だから妹とか弟に憧れあるんだぁ。仲良くなれるかな?」

「……あいつもお姉ちゃんを欲しがってたから上手くいくだろうな。あっちでも早めに紹介する」

「よろしく。で、どうする?」

「どうするって……」

 

 かおりの言葉に視線を動かした八幡が見たのは、制服の胸元を少しだけ開ける彼女の姿。健康的な肌色と少しだけ顔を覗かせる膨らみがある。

 

「……小町がいるんだぞ」

「ふふっ、そうだったね。ならさ……」

 

 何とか誘惑を振り切った八幡だったが、そんな彼にかおりはそっと体を寄せるやこう耳打ちするのだ。

 

「お口?」

 

 直後、無言でのデコピンがかおりを襲ったのは言うまでもない。

 

 そうして家に着いた八幡は小町へかおりを彼女として紹介。その明るい性格と雰囲気から、小町は彼女こそ八幡を変えた原因と誤解。それを含めて仲良くしたいオーラを全開で接する事となる。

 

「じゃ、俺達は部屋にいるから」

「うん、分かった。小町はここでカー君と遊んでる」

「小町ちゃん、また後でね」

 

 小町をリビングに残して部屋へと向かった八幡とかおりだったが、入室と同時に彼女が鍵を閉めるやキスをした。そこからの流れで八幡は元風俗嬢は伊達ではない事をしっかり理解させられる。来る前の誘いを実行されてしまったのだ。そして痛感させられた。中学生で風俗嬢のテクニック持ちとは恐ろしいと。

 

(今のかおりがあの世界へ行ったら、マジな話天下取れるんじゃないか?)

 

 先程までの事を思い出して八幡はベッドに横になりながらぼんやりとそんな事を考える。かおりは彼の胸に頭を乗せて嬉しそうに笑っていた。

 

「高校生活もここで送れるならデートとか色々出来るね」

「かもな」

「それなら、現実のデートはなくてもいいかも」

「……そっちも出来るだけ頑張るわ。その、どっちも大事な彼女との時間だ」

「…………ひきがやって、そーゆーとこイケメンだよね。ホント、昔のあたしって見る目なかったな」

「いや、あの頃の俺はこうじゃない。だから、見る目は間違ってなかったぞ。人の成長度や変化なんて予測出来る方が怖いし」

 

 今の自分があるのは、中学時代のトラウマと高校時代の日々、そしてこの夢での時間と現実での再会だ。そう思うからこその言葉に、かおりは若干面食らったのか意外そうな顔をしていた。だが、それもすぐに苦笑に変わる。

 

「でも、そういう風になれるのは、ひきがやだからでしょ? あいつはあたしの意見を聞いてくれなかった。思い返してみると、自分勝手だったんだよね。高校行ったらさ、あたしと違う高校だからってすぐに浮気してバイバイだった」

「……それだから危ない目に遭わずに済んだと思えばどうだ? 俺は、正直そう思ってる。あいつ、かおりが普通に別れ話を切り出してたらどう動いたか」

「DV?」

「ないとは言えん。俺が告白しただけであんな事を始める奴だ。それに、告白しないでも、近付いていただけであれだったし」

 

 即答された事でかおりは理解した。八幡がどうして自衛手段で直接的な反撃を考えなかったか。相手が好戦的な部分を持つ事を察していたのだ。下手に逆らうと余計頭に血を上らせるかもしれない。それもあっての無抵抗策だったと。

 

「……うん、やっぱ昔のあたし見る目ないよ。あいつのそーゆーとこ、全然分からなかった」

「無理もないだろ。あいつも、付き合う前はそうじゃなかったと思う。だけど、彼女を持って初めて出てきた顔なんだろうさ。今はどうか知らないが、あの時は彼女を自分のもんだって思う野郎だったんだ」

「ひきがやは、彼女が出来て何か変わった?」

「俺は……正直初彼女が三十五だからな。今更変わらねーよ」

「嘘だぁ。だって、エロい物を処分したって言ってたじゃん」

「あれはかおりが嫌がると思ってだな……」

 

 それを契機にベッドの上でイチャイチャしながらじゃれ合う二人。それが現実でも彼らのスタイルであった。何しろ八幡は長らく女性と縁が無かった。いや、正確には縁が有ったが結ぶ事なく時が過ぎてきた。そこへきての、思い出の女性との再会に男女の仲である。長らく飢えていた彼の男がどうなるかは言うまでもない。更に、かおりはそういう技術や知識に明るくなっている上、客に出来た事が愛する彼氏に出来ないはずもなく、それもあってより一層八幡は求め合う事に貪欲となっていたのだ。

 

 そして、彼らは今中学三年生。体は言うなれば繁殖適齢期である。そうなれば、どうなるかは言うまでもない。じゃれ合いだったものが再び熱を帯び始め、キスをするようになり、それが舌を絡め始めた辺りで八幡が何とかブレーキを掛ける。

 

「……これ以上は無理だ」

「ふふっ、声、出せないようにしてくれればイケるよ?」

 

 訂正しよう。ブレーキではなくギアをパーキングに入れただけだったようだ。かおりの言葉で中学生男子の八幡がギアをドライブへ入れ直す。既にそういう時用の必需品は彼の部屋にあったのだ。前回かおりがコンビニで購入した物の残りである。ベッドが微かに軋む音を立てる頃、その下のリビングでは小町が愛猫のカマクラと戯れていた。

 

「……おにーちゃん、かおりさんとどこまでいったのかな? やっぱキス? それとも手を繋ぐが精一杯かなぁ。どっちだろうね、カー君」

 

 知らんとばかりに鳴くカマクラと戯れながら小町は一人笑う。彼女は知らない。とっくにそんな事は済ませてしまっているなどと。こうして再び夢を見始めた彼らは、現実と夢でその関係を深めていく。若い体でしか出来ない事や思い出を、現実ではそれを糧に仕事や家事へ打ち込み、たまに夢も現実も同じ事をして目覚めるという事を繰り返しながら。

 

 そして、ようやくその時が訪れる。

 

「親父、母ちゃん、紹介する。俺の彼女の折本だ」

「折本かおりと言います。ひ……八幡とは中学時代の同級生で、結婚を前提に同棲中です」

「おい、それは別に言わなくてもいいだろ」

「あれ? 何か間違ってた?」

「同棲中じゃなくて交際中でいい」

「あっ、そっか」

 

 遂に八幡の両親へかおりを紹介する事となり、その時に彼女が天然を発揮。そこからの二人のやり取りで両親も理解したのだ。既に夫婦染みている事を。なのでむしろ息子をよろしくと二人して告げ、かおりが満面の笑みで返事を返す一幕も。

 

 そして、両親が終われば当然次は彼女達の番である。

 

「かおりさん、かぁ。やっと小町にもお義姉ちゃんが出来るんだねぇ」

 

 小町は感慨深そうにうんうんと頷き、隣で彼女の夫は苦笑していた。ちなみに二人の可愛い娘と息子はかおりと遊んでもらっている。それを見て、八幡はかおりの母親としての適性を知る事が出来、内心で喜んでいたが。

 

「……まだそうなった訳じゃないけどな」

「でも、そうするつもりなんでしょ?」

 

 照れくさそうに無言で頷く八幡に小町も義弟も嬉しそうに微笑んだ。

 

「八にーさん、おめでとうございます。かおりさん、綺麗な方ですね」

 

 義弟は小町と結婚する際、八幡からお義兄さんと呼ぶなと言われたため、以来一貫して八幡義兄さんを崩した八にーさんと呼んでいる。そこからも分かる通り、義弟はいい奴であり、八幡も内心では自慢の義弟と思っている程である。

 

「だろ?」

「でも、小町ちゃんの方が可愛いんで」

「……若干だがかおりの方が上だ」

「いえ、小町ちゃんの方が上っす」

「いやかおりが」

「いえ小町ちゃんが」

「そ~こ~ま~で! もうっ! お兄ちゃんは惚気るのも程々に。で、アナタは張り合うのも程々に。小町としては、かおりさんと仲良く義姉妹としてやっていきたいの」

「「はい……」」

 

 母となった小町は、今や比企谷家最強の存在となっていた。ちなみに次が兄妹の母で、三位が姪と甥である。最下層は男達三人による悲しいどんぐりの背比べであった。

 

「ねぇねぇ、かおりおねーちゃんは、いつはーちゃんのお嫁さんになるの?」

「なるの~?」

「そうだねぇ……」

 

 愛らしい二人の子供に懐かれ、かおりは心からの笑みを浮かべて視線を動かす。そこには、小町から小言を言われやや苦い顔をしている八幡と義弟の姿があった。

 

「……そんなに先じゃないかな? 多分だけど」

「じゃ明日?」

「あはっ、明日は早すぎるかな。マジウケるね、ゆいこちゃん」

「じゃあ~……あさって!」

「あははっ、それもちょっと早すぎるね。だいくんもマジウケる」

「「かおりおねーちゃんもまじうける~」」

 

 無邪気な子供達にかおりは心から笑顔を見せて、その小さな体を抱き締める。そして思うのだ。自分も早く母になりたいと。八幡との子を授かって、自分の両親に孫を見せてやりたいと。

 

 そんな事があって、二人が比企谷家から彼らが暮らす部屋へ戻ってくると、時刻は既に夕方近くとなっていた。なので早速とばかりにかおりがエプロンを着け出す。八幡はそれを見て何か手伝おうとするのだが、それを彼女がやんわりと遠慮したのだ。

 

「ひきがやは休みなんだからあたしに任せて」

「いいのか?」

「うん。だって、そっちの仕事があたし達の生命線だしね。それに、今日はそっちの家族へ紹介してもらったし」

「なら、疲れてるのはかおりの方だろ?」

「大丈夫。それに、もう料理は出かける前に作ってあったんだ。だから、後はお味噌汁作って、温め直すだけ」

 

 その言葉通り、やがて二人の部屋からは味噌汁の匂いと、醤油や出汁を使った煮物の匂いが漂い始める。その匂いに八幡は空腹感が増していくのを感じて既に白米を茶碗へよそい始めていて、そんな彼に小さく微笑みながら、かおりは深めの大皿へ煮物を移した。

 

「はい、召し上がれ」

「おお……」

 

 テーブルの上に置かれた鶏肉と野菜の煮物を見て、八幡は一気に胃袋が動くのを感じていた。どうしても一人暮らし、しかも不規則な勤務体系では時間がかかる料理は中々作れない。特にこういう煮物は男一人ではあまり作ろうと思えないのだ。

 

 自分の作った料理に目を輝かせる八幡を見て、かおりは嬉しそうに笑みを浮かべながら大根と豆腐の味噌汁が入ったお椀を彼の傍へ置いた。そして自身も向かいの椅子へ座る。同棲するにあたって、新しく部屋に増えた物の一つであった。

 

「ひきがや、感動してくれるのは嬉しいけどさ、早く食べよ?」

「あ、そ、そうだな。じゃあ……」

「「いただきます」」

 

 手を合わせて揃って告げる言葉。だが、何故か二人して箸を取ろうとしなかった。その視線は目の前の相手へ向けられている。

 

「……何か、何度言っても妙な感じだな」

「それあるー。でも、何か同棲してるって感じしない?」

「そうだな。マジウケる」

「あっ! それあたしのセリフっ!」

 

 共に笑みを見せ合いながらの食事風景。それぞれに疲れてはいるが、作る方は食べる男の笑顔と感想で、食べる方は作る女の笑顔と反応で、それぞれ癒されていた。その雰囲気は、どこか夫婦のそれである。ここも、やはり年齢によるものなのだろう。

 

「ひきがや」

「ん?」

「はい、あーん」

「……あー」

「ふふっ、どう? 美味しい?」

「……おう、すんげぇ美味い。いい感じに味が染みてるな、人参」

「ふふん、だから冷ましたんだ。しんとーあつの関係で味が染み込むんだって」

「母親から教えてもらったのか?」

「そ、お母さんの教えの一つ。で、お母さんが言うには、料理は愛情、仕事は愛嬌なんだってさ」

「成程、一理ある」

 

 会話を弾ませながら食事は進む。食べ終わった後の洗い物は基本八幡の仕事。理由は一つ。かおりの手が水仕事で荒れないようにとの配慮である。

 エプロンを着けて流しで洗い物をする八幡の背中を微笑みながら見つめるかおり。そんな事に気付かず、次々と食器を洗っていく八幡。何でもないような幸せがそこにあった。

 

「ね、ひきがや」

「ん?」

「子供、難しいかな?」

 

 その問いかけに八幡は思わず手を止める。彼らはもう三十五であり、子供を望むのであればすぐにでも作らないといけない。だが、それだけの余裕がないのが実情である。八幡の稼ぎとかおりの稼ぎを合わせて考えれば何とかなるかもしれないが、妊娠すればかおりの稼ぎは当然なくなるか減る。そうなると本当に厳しい状況となるのだ。

 しかし、それをかおりも分かってて聞いていると八幡も理解している。だからだろうか。彼は一旦水を止め、かおりの方へ向き直った。

 

「難しいのは難しいが、諦めなきゃいけない訳じゃない」

「ホント?」

「ああ。まずはちゃんと籍を入れる事だな。で、結婚式は無理だ」

「別にいいよ。ただ、ドレスぐらいは着てみたい」

「分かってる。写真ぐらいは撮っておこう。それと引っ越しも考えないといけないな」

「……もう少し広いとこ?」

「それだけじゃダメだ。子供の事も考えると、学校や保育園か幼稚園も近くにないと」

「そっか。何て言うか、思ってた以上に考える事多いんだね」

「それが子供を持つって事の重さだ。昔なら隣近所で助け合えたかもしれんが、今は互いの実家でさえ難しいかもしれん」

 

 そこで揃ってため息を吐く。やはりここで困るのは収入の低さである。八幡は一応派遣とはいえ社員であるが、かおりは完全なるパートであり今後も社員などにはなれない可能性が極めて高い。

 そうなるとやはり共働きが必要なのだが、子育てがある以上かおりの方は難しい事は想像に難くない。更に必要な金額も子供の成長と共に増していき……と、考えれば考えるだけ今の二人には色々と難しい問題なのだ。

 

「……お母さんなら、面倒見てくれると思う」

「毎日って訳にもいかないだろ?」

「そうだけど……あたしがパート出ない時ぐらいは自分で見れるし」

「ああ、そうか」

「そうなると、引っ越し先はあたしの家の近くがいいかな?」

「となると、俺の実家にもある程度近いか。場所としても悪くないだろうが……調べてみるか」

 

 こうしてパソコンを使ってかおりの実家近くで住まいを探してみる二人。ちなみにそのパソコンは、八幡がショップで購入した自力での組み立て品であり、その分通常の物より値段が安く抑えられている。

 

「……2LDKで家賃は……」

「八万越え? さすがに高くない?」

「いや、ここだってこれで家賃四万五千だ。これに一部屋とリビングが付いてと考えれば妥当だろう。それに、ここよりも周囲の環境がいいしな」

「……そう聞くと納得」

「ただ、俺の稼ぎの半分弱が家賃で消えるとなると、子供にかかる金だけで精一杯かもしれない。蓄えを作るのは少し難しいか……」

 

 苦い顔の八幡だが、かおりはそれを聞いて何かを考え込む顔をした。そして、ある決意を固めて口を開こうとしたところで……

 

「あの世界に戻すつもりはないからな」

「っ!?」

 

 それを八幡に遮られたのだ。その声には確固たる決意が込められていた。二度とかおりを夜の世界へ行かせたくないと、そういう気持ちがひしひしと感じられる程に。

 

「で、でも……」

「かおり、母親がそういう仕事をしてるって、やっぱり子供は嫌がると思うんだ。俺だけならいい。それなら周りが何て言おうと俺の選んだ女性だって、そう言い切れる。でも、子供は無理だ。子供は、親を選べない」

 

 その最後の言葉の重さにかおりは思わず息を呑む。そんな彼女へ振り向き、八幡は凛々しい表情でこう締め括った。

 

「だからこそ、お前があの世界に戻らなきゃいけないなら、俺は子供はいらない」

「……ひきがや」

「俺にとっては、今いるかおりが大事だ。そりゃ子供は欲しい。だけど、子供が出来る事でかおりを不幸にしなきゃいけないなら、俺は子供を諦める」

 

 優しくも強く告げられる言葉にかおりは涙が溢れてきたのか、両手で顔を覆った。そんな彼女をそっと抱き寄せ、八幡はしばらくそのままでいた。かおりが泣き止むまで、何も言わずただ抱き締めたのだ。

 

 その夜は、久々に燃え上がった。あの夢の中での若さ溢れる求め合いに負けない程、お互いに愛し合った。

 

「ひきがや、あたし、嬉しい。だから、絶対ひきがやの、アナタの子供産みたい」

「かおり……」

「頑張って節約するから。だって、あのお店の頃と違って化粧品とか最低限でいいし、服とかも我慢出来るしさ。だから来年は無理でも、再来年には……ね?」

「……ああ、俺も頑張って夜勤増やしてもらえるよう言ってみるわ。その代わり」

「分かってる。ちょっと夜が寂しいけど、逆に言えばいってらっしゃいって言える回数増えるもん。で、一緒に晩御飯は食べられるしさ。二人で頑張ろうよ」

「二人で、か。そうだな」

 

 狭いベッドで密着しながら話す二人。かおりは実はこの時間が一番好きだった。彼女が初めて男性経験をしたのは中学三年の春休み。あの彼氏との行為だった。だが、当然ながら初めて同士だった事もあり、終わった後の時間はまったくムードもなく、むしろ運動部故の体力もあって執拗に求められたのだ。

 それ以降も男性へ体を許す事はあったものの、それらは彼氏ではなく客であった。そのため、八幡とこうなるまでかおりは愛する異性と求め合う事がなかったのである。

 

「えっと、ちょっといい?」

「どうした?」

 

 年齢から生まれるだけではない優しさを感じつつ、かおりは八幡の顔を見つめた。心なしか、自分とこうなってから柔らかくなり始めた目付きを嬉しく思って。

 

「これからさ、二人きりの時はアナタって呼んでもいい?」

「……マジか?」

「マジで。小町ちゃん達もそうだったけど、やっぱ苗字で呼ぶよりも深い関係って感じするじゃん。将来に備えてみたいな感じでさ」

「予行練習か。でも、何か照れくさいな、それ」

「いいじゃん。実はちょっと憧れだったんだぁ。アナタって、そう男の人呼ぶの」

「……なら、その内それが普通の状態にしないとな」

「あはっ! うん、してして。じゃないと赤ちゃん無理だし」

「なら、内輪だけでも式を挙げよう。今なら安く出来るらしいし」

 

 そこからは結婚式の話となり、その派生で小町の結婚式の話となる。かおりはそれを聞きながら思うのだ。本当に彼は家族が好きなのだと。何故なら、その話をしている間の彼はとても優しい顔をしていたから。その顔がかおりも好きであるので、この手の、家族の話題は今後もよくされる事となる。そんな風に、もう夫婦のような二人であった……。

 

 




まずは現実での大事な話を。もう完全に大人なのでね。しかも年齢もあって色々考えなければいけませんし。

それと、これは原作再構成などではないのでご注意を。
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