襖越しに射し込む光が朝を告げていた。
意識が覚醒し始めた大和は、自分以外の気配を感じる。
「…おはよう大和、朝だよ」
京はその寝顔を見守るように座っていた。
「おはよう京」
眠い目を擦りながら、大和はゆっくりと体を起こす。
「今日は大事な日でしょ?制服出しておいたから、早く仕度してね」
「ああ、ありがとう…ところであいつは?」
「…何時もどおりで」
「そっか、まだ続いてんだな」
「うん、そろそろだと思うから私は行くね」
「ああ、俺も着替えたらすぐに行くよ」
大和は部屋を出て行く京を見送って大きく伸びをする。
季節は春、部屋には暖かな日が射し込み、膝に掛かったままの布団が二度寝へと誘惑してくる。
「駄目だ駄目だ!」
大和は両手で頬をぴしゃりと叩き、気合を入れて布団から抜け出して支度を始める。
先に大和の部屋を出た京が向かった先は玄関。
何時も通りの時間に玄関の扉が開き、全身汗だくになってよろよろと倒れこむように男が入ってくる。
荒い息のまま倒れこんでいる男を京は覗き込む。
「おはよう武」
「ぜぇぜぇぜぇ、お、ぜぇぜぇぜぇ、おは、はぁはぁはぁ、よう、み、京、はぁはぁはぁ」
「今日もたっぷり絞られたみたいだね」
「はぁはぁはぁ…ワン子の、奴、はぁはぁはぁ、手加減ってゲホッゲホッ、はぁ、ものを、しらねぇ、はぁはぁ」
武が目覚めてから三ヶ月、最初の一ヶ月は病院でのリハビリをこなし、退院すると一子が考えていた川神院特性スペシャルリハビリメニューが待ち構えていた。
「私が事故に遭う前よりも丈夫な体にしてあげるわ!!」
と、気合入りまくっている一子に、迷惑をかけた分はしょうがないと思ったのが武の過ちで、川神院で毎日の様に一子がこなしているメニューに近いものを強制させられていた。
おかげで、実際一子の宣言通りに事故に遭う前よりも体は絶好調にはなっているが、武に平穏な朝が訪れるのは随分と先の事となる。
「…今日は遅刻出来ないから、早くシャワー浴びてきたら」
「はぁはぁはぁ…ふぅ~、お?そうかそうか、今日はモモ先輩の卒業式だったな」
武は足の反動で勢い良く起き上がる
「…タオル、洗面所に用意しておいたから」
「さんきゅ~…の、覗きに来ても良いんだぞ?」
「…はいはい、先にご飯食べてるからね」
「あいよ~」
お風呂場に入っていく武を見送って、京は少しだけため息をつく。
あの日から、色々な事が有耶無耶になってしまって既に半年が経つ。
武がリハビリや休んでいた分の補習などで忙しかったのもあるが、その事について一切触れてこないことに京は不安を感じていた。
しかし、自分から切り出すことが怖くて出来ないでいる。
「あ、そうそう京、モモ先輩の卒業式が終わった後に話があるんだけど…良いか?」
そんな京の不安を見透かしたように、武は顔だけ覗かせて照れた笑顔を向けてくる。
「…ぁ……うん」
「…おっと、急がねぇとな!」
少しだけ驚いて照れた京に、武は一瞬見惚れて慌てて顔を引っ込める。
そんなやり取りの後、京はもう一度ため息をついて自分に呟く。
「…しょうもない」
京はあの事故から、もしかして武は武では無くなってしまったのかと、不安にかられてそんな馬鹿な事を考えていた。
しかし、武は何時もの武であった。
そんな当たり前の事が嬉しくて、自然と口許が緩む。
「…しょうもない」
京はもう一度、嬉しそうに呟いた。
☆ ☆ ☆
「うーっす!珍しく全員揃ってるじゃねぇか」
島津寮を出ると、何時ものポーズで岳人が現れた。
「うっす、珍しくって言ったってキャップがいるだけだろ?」
「おはようガクト…キャップが朝から居るなんて、十分珍しいと思う」
「おはよう。確かにな、自分も今まで数回しかみたことないぞ」
「おはようございますガクトさん。正確にはこの一年で二十六回です」
『おっとまゆっち、その発言はストーカーチックだからオイラが撤回してお詫びしておくぜ』
「ありがとうございます松風」
「相変わらずだなまゆっちは…で?寝ぼけて大和に引きずられているキャップは良いとして、俺様に挨拶しない二条さんちに武君はどう言うつもりなんだ?」
岳人の言葉に気づいて、武は優しい眼差しを向ける。
「な、なんだよ気持ちわりぃな」
「いやなに、改めて日常って良いもんだなぁって思ってさ」
「武…」
「だからさ……京の前に立つなって何時も言ってんだろうが脳筋ゴリラッ!!」
武の拳と同時に岳人も反射的に拳を出していて、お互いの顔をとらえる。
「上等だ武!少しでも心配した俺様が馬鹿だったぜ!今日と言う今日は泣くまで許さねぇ!!」
「上等だ岳人!お前が馬鹿なのは認めてやる!泣いて謝ってから十発は蹴るから覚悟しろ!!」
今朝も始まる武と岳人の喧嘩。
その様子を呆れたように見守るクリスと由紀江。
「まったく、毎朝毎朝良く飽きないな」
「でも、何だかこれを見ると一日が始まるって感じるようになりました」
『ありふれた日常って奴だな』
「ふふっ、それもそうだな」
二人は笑いあって歩き出す。
武が帰ってきて戻ってきた、何時もの朝を満喫するように。
☆ ☆ ☆
「おっはよー!」
何時も通り河原で一子、百代、卓也と合流する。
「あれ?珍しくキャップがいる…寝ているみたいだけど」
「ああ、今日は姉さんの晴れ舞台だからって、明け方に帰ってきたみたいだ。って言うかモロも肩貸してくれ」
「まったくしょうがないリーダーだね」
卓也は苦笑いしながら、寝ているキャップを担ぐのを手伝う。
そんな大和達をよそに、百代は体を解し始める。
「さ~て武、今日が最後だ」
百代はそう言うと、岳人の後ろにこっそり隠れている武に声を掛ける。
「えっ!?…い、いやぁ今日はモモ先輩の卒業式ですし、今日くらいは…」
「却下だ!」
武は百代が病院で宣言した通り、毎朝通学途中で鍛えるために組み手を、と言っても一方的に武がやられているのだが、行っていた。
しかし、百代は今日川神学園を卒業する。
一緒に通学出来るのは今日が最後なのだ。
「安心しろ、今日は一撃だけだ」
百代は一子に鞄を渡すと静かに構えた。
それは、全員が何度も見たことのある構えで、百代のシンプルにして最強の技。
「受け取ってくれるか?」
百代の問いに、武はやれやれと頭を掻いて鞄を京に預ける。
百代なりの好意を武が無碍にするはずが無い。
「喜んで受け取らせてもらいますよ」
言って武は百代の正面に立って腰を落とす。
「感謝するぞ武」
百代の体から立ち込める赤い闘気に全員が息を飲む。
百代は一度目を閉じてから、万感の思いを胸に全力で放つ。
「川神流奥義!無双正拳突きっ!!!」
稲妻の如き百代の正拳突きに、今まで何百回と見て受けてきた武の体が反応した。
腕をクロスさせて踏ん張る足の力を抜いて、その拳を受けると、武の体は十数メートル地面を足で削りながら吹き飛んでから砂埃を上げて止まる。
「お、お姉様…今のって」
「ああ、本気で打った…ははっ、大したもんだよ武は、こっちの世界に来ないのが勿体無いないくらいだ」
砂煙が晴れると、武が腕をクロスさせて立ったまま動かなくなっていた。
京が武に歩み寄って、掌を顔の前で振る。
「…おーい武?…うん、気絶しているね」
「前言撤回だな、根性無しめ」
「いや、モモ先輩の全力の拳を受けて気絶だけで済んでるんだから根性あるでしょ!」
「ナイス突っ込みだモロ~むにゃむにゃ」
「寝言で誉められても嬉しくないんですけど!」
「まったくしょうがない奴だな」
そう言いながら百代は武の襟首を掴んで、肩に鞄でも下げるように持ち上げて学校へ向かう。
武が帰ってきて戻ってきた何時もの登校時間を楽しむように。
☆ ☆ ☆
「卒業生挨拶!卒業生代表、川神百代!」
鉄心の声が響いて百代が壇上に上がる。
その姿を見ただけで、多くの生徒から嗚咽が漏れる。
そして百代はあの言葉を紡ぐ。
「光る灯る街に背を向け、我が歩むは果て無き荒野。奇跡も無く、標も無く、ただ闇が続くのみ。揺るぎない意思を糧として、闇のたびを進んでいく。 選別だ受け取れ!!川神流、星殺し!!!」
突き上げられた百代の掌から放たれた光が、体育館の天井を突き破って空へと伸びていく。
瞬間、体育館を震わせるほどの拍手と歓声が沸き起こる。
後にこの卒業式は、これから永く続く川神学園の歴史の中で伝説の一つとなった。
「…終わったね」
「だな」
卒業式は天井に穴が開いた事を除いて滞りなく終わり、卒業生と在校生が校庭で記念撮影を行っている。
もちろん、その中心にいるのは百代であった。
その様子を武と京は少し離れた場所で見ている。
「…寂しくなるね」
「平穏になるって言う方が正しいんじゃないか?天井に穴開けられる人なんてそうそういねぇからな」
「それ、モモ先輩に後で言っておくね」
「俺の体にも穴開けられそうなんで勘弁してください」
「…しょうもない」
桜の花びらが風に舞っている。
「なぁ京」
「…良いよ」
「お見通しですか?」
「…武の考えている事ならね」
「そりゃ嬉しいねぇ」
そして、二人はそっと学園を抜け出して、あの日、待ち合わせをした場所に向かった。
☆ ☆ ☆
京は川神の街を眺めながら大きく伸びをする。
春の暖かい風が、心地良く京の髪を優しく揺らす。
「良い天気だな」
隣には当たり前のように武が居る。
「…うん、すっかり春だね」
「ああ、春だな」
二人の間に風が吹き抜けていく。
「あの日」
武の言葉に京は鼓動が高鳴るのを感じる。
「お前に伝えたかった事があるんだ」
「……」
京は、あの日に置き忘れてきた想いが胸に溢れて言葉が出てこない。
「俺は―」
武が言いかけた瞬間、突然屋上の扉が開いて風間ファミリーの面々が雪崩れてくる。
「何やってんだガクトっ!」
「モモ先輩が押し過ぎなんですよ!」
「いや~ん重い~どいてぇ~」
「だ、だから自分は反対したんだ!」
「それ、しっかり付いて来て言う台詞じゃないぞ?」
「はわわわわっ、わ、私達は決して怪しい者じゃ」
『落ち着けまゆっち、どう聞いてもそれは不審者の台詞だ』
「だから俺は堂々と覗きに行こうって言ったんだ!」
「いや、堂々としてるのは覗きじゃないからねキャップ」
「……お前等なぁ」
倒れこんでいる全員の前に武が鬼の様な形相で仁王立ちしている。
全員が、武の怒鳴り声が聞こえてくると覚悟した時。
「…しょうもない」
京はため息混じりにそう言って、背中を向けてしまった。
「あう…京…」
情けない顔をして慌てる武に、風間ファミリーの面々はゆっくりと立ち上がって声を掛ける。
「お前なら平気だよ」
「大和…」
大和は笑って肩を竦める。
「あたって砕けよ」
「モモ先輩…」
百代は笑って拳を突き出す。
「武なら大丈夫!」
「ワン子…」
一子は笑ってガッツポーズをする。
「びびってんなよ」
「ガクト…」
岳人は笑って何時ものポーズを見せる。
「武ならたぶん上手くいくよ」
「モロ…」
卓也は笑って頷く。
「自信をもて、男だろ?」
「クリ吉…」
クリスは笑って胸に拳を当てる。
「想いは絶対伝わります」
「まゆ蔵…」
由紀江は笑って祈る様に手を合わせる。
「自分を信じろ!!」
「キャップ…」
翔一は笑って親指を立てる。
武は全員を見回して力強く頷いてから京に向き直ると、一歩前に出て小さく深呼吸する。
そして、あの日に置き忘れてきた言葉を紡ぐ。
「京…好きだ。俺と付き合ってくれ」
今まで幾度も聞いてきた言葉が、新しく生まれ変わって命を宿したかの様に、京の心にとけていく。
静かに振り返った京は、優しい笑顔のままで答える。
「―――――」
京の言葉を春の暖かな風が運んで、あの日から始まった恋の物語が終わる。
そして――
ここから始まる新しい恋の物語。
初めて書いた小説を投稿してからちょうど二ヶ月が経ちました。
改めて最初から読み返すと、本当に未熟な文章で書き直したい衝動に駆られます。
それでも、最後まで書き上げられたのは私の小説を読んでくださった皆様のおかげです。
最終話も、もっとシンプルに普通の日常を表現したかったのですが、自分の腕の無さに嘆くばかりでなかなか納得のいくものが書けませんでした。
今はこれが私の精一杯です。
ひとまず、京と武の話は終わりますが、アフターやもう一つ書きたかった事故に遭った後の話しとか色々あるので、ちょこちょこ更新は続けようと思います。
それに何かリクエストなどがあれば、時間に余裕がある時には答えていきたいです。
最後までお付き合いくださり本当にありがとうございました。
ではまた次回で。