京は寮の武の部屋に来ていた。
正確には武の部屋だった場所、そこはただの空き部屋で何一つとして置かれていない。
―なぁ京―
机があった場所に残る、武の笑顔の残像。
病室で聞いた全員の話しは一致して、武の記憶と思い出は一切無いと言う事だった。
京の話を元に、翔一が描いた似顔絵にも見覚えは無く、川神学園関係の人間にも大和が連絡をいれて確認したが、武を覚えている者は一人も居なかった。
「ここに居たのか京」
「…クリス」
クリスは部屋に入ると辺りを見回す。
「武の部屋か…」
「…うん」
「京、自分は武になんて呼ばれていたんだ?」
「クリ吉って」
京は少しだけ微笑む。
「クリ吉!?…武と言うのは結構ふざけた奴だったんだな」
「うん、良くクリスの事をからかってたよ」
「そうか、覚えてはいないがからかわれたと言う京の証言がある以上、自分も武に説教せねばな」
「…うん……クリス、本当は」
言いかけた京にクリスは首を振る。
「武は居る…今の京を見て確信したぞ自分は」
「…今の、私?」
「ああ、京が武と言った時の顔、そんな表情を見せて居たのは大和にだけだった」
京は自分の顔にそっと触れる。
「それだけ京が想っている男が居ないはずが無いだろう?」
「クリス…」
「必ず居る、お前が誰よりもそれを信じているのだろ?だったら自信をもて、自分達はお前を、お前が信じている武を信じる」
「…うん……うん」
京はそっとクリスの胸で涙をこぼす。
クリスは母の様に、優しく京を抱き締めた。
☆ ☆ ☆
「俺はこれから沖縄に行ってくる!」
川神大戦の影響で出席生徒が少ないため、川神学園は短縮授業を行うことを決定した週末、翔一は突然の宣言をする。
「沖縄ってもしかして」
大和の予想は、翔一の不敵な笑みが当たっていると物語っていた。
「おう!その帰りに箱根にも寄ってくる」
「…キャップ…それって」
「色々考えたがどんなに考えても思い出す方法が分からねぇ、だったら考えるのは止めて武と行った場所に全部行って見る事にしたぜ!」
「さすが、キャップらしいと言うかなんと言うか」
「暫く戻らねぇから大和、俺が居ない間は任せるぞ」
「わかった。あ、携帯は常に出れるようにしておいてくれよ?」
「おう!京、何かあったらすぐ連絡するからな」
「…うん…ありがとうキャップ」
「礼を言うのはまだ早いぜ、んじゃな!!」
翔一は文字通り風のように教室を後にした。
「それじゃあ俺も行くかな」
「…大和は何処に行くの?」
「ああ、俺はモロとガクトと図書館だ」
「…図書館?」
「ああ、京から聞いた話に武の両親の事があったろ?もしかしてその事が新聞に載っているんじゃないかと思って、近い年代から確認してるんだよ」
「…確認って、どれだけの量が―」
「キャップはさ」
大和は京の言葉を遮る。
「キャップらしく行動第一だろ?行動派の姉さんとワン子も聞き込みをしている。だから俺は軍師らしく頭を使って手懸かりをしらみ潰しにしていくだけさ」
「…大和」
「俺も、思い出したいんだよ…京にそんな表情させる武をさ…だから、京も自分に出来ることをしろよ」
「…自分に…出来る事?」
「ああ、何せ武を覚えているのはお前だけだからな、あいつが居そうな場所とかあるだろ?」
「…うん」
「何か分かったら連絡するから、京も何かあったら連絡しろよ。あと、無理だけはするなよ?」
「分かった」
「じゃあ集会でな」
「…うん」
大和が教室を出ていくのを見送って、京も行動を開始する。
向かう先はチャイルドパレス、京が事故に遭った場所であり、武と最後に会った場所。
☆ ☆ ☆
京は横断歩道から少し離れた場所で、足が竦んで歩みを止めた。
あの時の映像がフラッシュバックして、地面に広がる鮮烈な赤色が吐き気を誘う。
「…武」
京は自分を奮い立たせるように、目を閉じて武の名を呼び、目覚めた時に残っていた涙を拭う武の手の温もりを思い出す。
そして、ゆっくりと京は歩き出す。
事故現場である横断歩道には何の痕跡もなく、事故に遭った本人にしかここで事故が起こったことは分からない。
「……」
京は無理矢理自分の記憶を呼び戻し、現在に繋がる何かがないかを探る。
響く武の声、暗転する視界、青一色の空と赤一色の地面。
横たわる武、吐き出される血、京の涙を拭う手、武の穏やかな顔。
「……」
京は違和感に気づきかける。
それは霞を掴むようあやふやで見えてこない。
しかし、違和感を感じるのは間違いない。
京は込み上げる吐き気と涙を堪えながら、もう一度事故に遭った時の事を思い出す。
響く武の声、暗転する視界、青一色の空と赤一色の地面。
横たわる武、吐き出される血、京の涙を拭う手、武の穏やかな顔。
頭のすみに引っ掛かる違和感を感じる。
「…なに?…なにが…」
京は違和感の正体がわからず、自分の額に強く手を当てて考え込む。
「……っ!?」
京はそこで手に触れた物で違和感に気づく。
「…髪留め」
京が最後に見た武は髪留めをしていなかった。
武の声が聞こえて視界が暗転する前に、微かに見えた武は髪留めをしていたのにそれがない。
京は弾かれるように辺りを探し始める。
車が来た方向と最後に武が横たわっていた場所から、髪留めがとんだ方向を予想して、道路脇の茂みから探し始める。
「武……何処?…」
京はまるで武本人を探すように、地面に這いつくばりながら目を凝らす。
手や膝は土にまみれ、枝で擦り傷が出来るが、今の京はそんな事、気にもとめない。
髪留めがある確証は何処にもないが、藁にもすがる想いで必死に探す。
「京っ!?」
探し始めて一時間が経とうとしている時に、ふいに声をかけられた。
「…ワン子、モモ先輩」
「そんな汚れてどうしたのっ!?大丈夫!?」
一子に言われて始めて自分の姿の酷さに気づく。
手足は土まみれ、体のあちらこちらに擦り傷、服も枝で何ヵ所か破けている。
「傷だらけじゃないか」
百代は持っていた水でタオルを濡らし、優しく京の顔についた土を落とす。
「何があった?平気か?」
「…髪留め」
「髪留め?」
「…事故に遭った時に、武がしていた髪留めが無くなっていたの…だから、もしかしてまだここにあるんじゃないかって…」
「京…それで、こんなに傷だらけになるまで…馬鹿だな」
「…自分でも馬鹿だと思う…でも、一つでも武の物があれば…信じられるって…」
泣きそうな京の頭を百代は優しく撫でる。
「違うぞ京、私が馬鹿だと言ったのは、一人で探している事にだ。何故私達を呼ばない」
「…えっ?」
「京~髪留めって京が何時もしてたやつ?」
見れば、既に一子が茂みに入って探し始めて居る。
「言ったろ?私達はお前を信じると…で?ワン子の質問だが?」
にっこり笑う一子と百代に京は涙を拭う。
「うん、私が何時もしていたやつ。車の方向から考えても、横断歩道よりそっちの茂み側だと思う」
「了解!探し物ならあたし得意何だから!」
「この鬱陶しい雑草どもは焼き払うか?」
「…髪留めも消し炭になると思う」
「そんな恐い顔するなよ京」
「ぶるぶるぶる」
三人は微笑みあって髪留めを探し始める。
☆ ☆ ☆
「さっすが九鬼家専用ジェット機、沖縄まであっという間だな」
翔一は大きく伸びをして、ジェット機の持ち主に向き直る。
「感謝するぜ九鬼英雄!」
「椎名の件で迷惑をかけたからな、それに偶然行く方向が同じだっただけの事、感謝される程のことではないわ」
「ワン子に助けて貰ったこと伝えておくぜ!」
「一子殿に!?…いや、それは遠慮しておこう。先程も言ったが、椎名の件で迷惑をかけたのはこちらの方だからな」
「わかった」
「ではさらばだ!!」
翔一が離れると、轟音と共に再びジェット機は加速を始め、大空に飛び立っていった。
「おしっ!」
気合いをいれて、翔一は九鬼専用飛行場から程近い場所にある、夏に遊んだ砂浜を目指して駆けていく。
九月とは言え、沖縄はまだ夏真っ盛りで観光客の姿も結構見える。
流れる汗をそのままに、走っていく翔一はある人物を見つけて足を止めた。
向こうも翔一に気付いたのか、穏やかな笑顔で歩み寄ってくる。
「爺さん…確か箱根のバス停で占ってくれた」
「ほっほっほ、珍しいところでお会いしますな」
そう言って占い師の老人は翔一の顔を食い入るように見る。
「お友達のお嬢ちゃん達は息災ですかな?」
「ああ、一人ちょっと事故に遭ったが無傷で全員元気にしてるぜ」
老人は翔一の言葉にほっとしたような表情を浮かべた。
「どうやら運命の矢は外れ、占いはこの老いぼれの戯言に終わったようですな」
「占い……っ!?そうだ爺さん!あの時なんて言ってたんだ!?」
翔一は慌てたように老人に詰め寄る。
「九人から一人欠けると、決して一人にしてはいけないと」
「九人…確かに九人だったか!?十人じゃなかったか!?」
「…どうやら何かあったようですな」
老人は翔一をなだめると、腰を下ろして何があったかを真剣な眼差しで聞き入る。
「…なるほど」
「事故のショックと言われればそれまでかもしれねぇ…でも、あいつの目は真剣だった」
「…死の運命から逃れると言うのは、並大抵の事ではない、ある種の奇跡が必要です」
「奇跡?」
「そう、ただ、それは小さなものから大きなものまで様々な形をしておる…例えば、そなた達が今まで離れずに来たのもまた奇跡と言えよう」
占い師はそう言うとカードをめくる。
「運命は別の道に進み、戻ることはない」
「じゃあ…やっぱり俺達は」
「ただ、もし人の運命から既に外れていた者が居たとしたら、わしには見ることは出来ん」
「運命から外れる?…あ~俺には何の事だかさっぱりだ!」
翔一は頭を掻きむしって項垂れる。
「お若いの、その者を見付けたいのであれば、運命から外れる前に遡ってお探しなさい」
「遡るって……やっぱあいつとの思い出を辿るしかねぇか!さんきゅう爺さん!」
翔一は飛び上がるように立ち上がると、老人に礼を言って再び駆け出した。
「…挫けんようにな」
翔一の背中に老人は悲しそうに呟いた。
☆ ☆ ☆
「ちっ、もうすぐ日が暮れるな」
百代は額に流れる汗を拭いながら太陽を見る。
辺りは既に茜色に染まっていた。
「この茂みは探し尽くしたけど、排水溝とかに落ちちゃったのかな?」
「あるいは飛んだ方向が違うのか、何れにしろ今日はタイムアップだな京」
「…うん、ありがとうね百代先輩、ワン子」
「ほら、水分補給しろ」
百代はペットボトルを京と一子に投げる。
「わーい♪もう喉カラカラ」
「…ありがとう」
それは本当に偶然だったのか、それとも誰かに導かれていたのか、京は飲もうとしたペットボトルを落とす。
「京?」
百代が声をかけると、京は震える手で街路樹を指差した。
「…ぁ…ぅ」
絶句している京が指差した場所を百代が見ると、沈みかけた太陽の光に照らされて、何かがキラキラと光を放っていた。
「っ!?」
百代は一瞬で気づいて、軽々と飛び上がるとその枝を切り落とした。
それを、下で構えていた一子が受けとる。
「京っ!!」
一子がそれを確認すると、京は震える手で枝に引っ掛かっていた髪留めを手にする。
それは、あれだけの事故に遭ったにも関わらず、傷一つ無く武の笑顔と共にあった時の輝きを放っていた。
「…ぅ……ぅ……」
京の瞳から涙がこぼれる。
今までの悲しみの涙ではなく、それは歓喜の涙であった。
「京…」
百代と一子は優しく見守る。
「…うぅ…たけ、る……たける……」
髪留めを胸に抱いて咽び泣く京の姿を。
ご無沙汰しております。
更新に一週間以上かかってしまいました。
年内もう一話更新できれば良いのですが、年末は忙しくて血を吐きそうなので、予定は未定でお願いします。
あと三話くらいで終わるはずなので、終わりましたらアフターを書かせていただこうかと思っております。
ではまた次回で。