「なんか、こうして普通に七浜に来るの久しぶりだな」
ラグナタワーを見上げて、武は大きく伸びをする。
「普通じゃないことなんてあったっけ?」
「いや、京が普通と認識しているなら、俺は最早なにも言わない」
「…賢明な判断だね」
「ところで京」
そう言った、ワン子との激しいトレーニングと言う名のリハビリを終えてから、何も食べていない武のお腹がくぅと可愛らしく鳴った。
「と言うわけなんだが」
「うん、まずは朝食だね」
武は差し出された手を、今度は照れながらではあるがしっかりと握って歩き出す。
「最近、駅の近くにできたパンケーキの美味しい店がこっちに……」
「……いや、すげぇな」
店の近くで二人は言葉を無くす。
まだ、店が見える道を曲がる前に、店員らしき人が「最後尾 只今の待ち時間二時間」と書かれたプラカードを持って立っているのが見える。
「…こんなに人気があるとは予想外」
「なんてお店だ?」
「CSBCって言うNYで人気のお店」
「あ~それ熊ちゃんも美味しいって言ってたよ。ただ、一~二時間は並ぶって」
「そうなんだ…ごめんね」
最初から計画が狂ってしまった京は、申し訳なさそうにしゅんとしてしまう。
「よーし!じゃあ朝飯は俺に任せろ!」
落ち込む京の手を強引に引いて、武は満面の笑みを浮かべて歩き出す。
「た、武?」
「良いから良いから、確かこっちにだって言ってたよなぁ…おっ!?あったあった!」
そこは、駅から程近い場所にあり、店内もさほど混んでいなかった。
「…武…ここって」
「今朝ワン子と走ってる時に、たまたま会った釈迦堂さんから教えてもらった、三日前に開店したばかりの梅屋七浜店だ」
「…梅屋…初デートの最初に入るお店が?」
「おう!今なら開店記念で全品半額なんだぜ?」
「……」
「京?…あれ?俺なんか変なこと言ったか?」
黙り混む京に、武は自分が何か失敗したのかと焦るが、その不安はすぐに京の笑い声で解消される。
「…ぷっ…ふふっ……武らしいね。あーあ、何か私だけ慣れない事して馬鹿みたい」
「京?」
「何でもない。入ろう、お腹空いたでしょ?」
「おう!」
☆ ☆ ☆
「満足!」
梅屋からでると、武はお腹をポンッと叩いて満足そうに頷く。
「何気に初めて入ったけど中々」
「確かに、真っ赤になっていく豚丼を見ていた店員の顔は中々だったな」
「…いじわる。武だって真っ赤にしてたじゃない」
「きっと、激辛カップルって店員のあいだで話題になってるぜ?」
「良いよ、間違ってないし」
「ま、まぁそうだな」
お互いの顔を見つめあいながらはにかむ。
「さてお姫様、この後のご予定は?」
「まずは武のプレゼントを買いに、色々なお店が入ってるショッピングモールへ」
「了解。まぁ色々見ながら決めさせてもらうよ」
「…うん」
どちらかでもなく、二人は自然に手を繋いで歩き出す。
「そう言えば、武は将来の夢とかあるの?」
「あん?…夢か…そう言えば考えた事も無かったな。ちなみに京は?」
「私?…私は、今までの夢だった大和のお嫁さんが、武のお嫁さんに変わっただけだから」
少しだけそっぽを向いて言う京の言葉に、武の顔は真っ赤になっていた。
「そ、そそ、それは絶対に叶えてやらないとな!その為にも何か将来を考えないと…」
「何かやりたい事とかないの?」
「そうだなぁ…何せ今まで自分の事なんてあんまり考えてこなかったからなぁ」
「武は何時もファミリーが優先で自分は二の次だったもんね」
「うっ…否定できない痛いところ」
「…責めてないよ?そう言うところも好きなんだから」
武は自分の頬を全力でつねる。
「夢じゃないから、いちいち恥ずかしいことしないの」
「お、おう」
「で?」
「そうだな…今、漠然と浮かんでいるのは水羊羹だな」
「水羊羹?」
「ああ、せっかく賞も貰ったし何より好きだから、川神でお店が出来たら良いなぁなんて」
「どうせなら水羊羹だけじゃなくて和菓子屋なんて良いんじゃない?」
「和菓子屋…それ良いな。仲見世通りでお店出して、店の名前は「京」で決まりだな」
「それ本気?」
「よし!今決めた!和菓子屋に俺はなるっ!」
何か変な効果音が聞こえてきそうな宣言をする武に、京は少しの不安も感じることはなかった。
むしろ、二人で働く未来の姿が容易に想像が出来るほど、武の力強い言葉には不思議な魅力があった。
「ほんと武らしいね」
「ん?」
「何でもない」
京が一瞬思い描いた未来自画像は、ほんの少しだけ違う形で、遠くない未来に実現する事になる。
お店で働く二人に、寄り添う小さな影が二つ程増えて。
☆ ☆ ☆
「おっ!?これなんて京の部屋に合いそうじゃないか?」
「…もう」
京は少し呆れたようにため息をつく。
先程から、入る店入る店で武は自分のものより京に合いそうなものばかりに目移りしていた。
「武…これでもう何回目か忘れたけど、今日は私のじゃなくて武のプレゼントを買いに来たんだけど」
「いやぁそれはわかってるんだけど、ついな、ってこれなんてどうだ?」
「言ってるそばから全然わかってない!」
「そう言ってもよぉ」
「まったく…本当に欲しいものが無いんだね」
「…すまん」
シュンとする武に京はやれやれと手を握る。
「もう、私が勝手に選んじゃうからね」
そう言って、京は武の手を引いて先程から少し気になっていたお店に連れ込む。
そこは、店内が全員女性の可愛らしい小物売り場であった。
「新しい髪留めで良い?」
「良いまくり!…あ、あのさ、折角だから、その…お、お揃いにしないか?」
京は照れながら嬉しそうに頷く。
「あいつらにからかわれる材料を渡すのは癪だけどな」
だね、と微笑み合いながら一緒に髪留めを選ぶ姿を、店の店員とお客に微笑ましく見られているのには気づきもしない二人であった。
☆ ☆ ☆
「ど、どどど、どうしてこうなった?」
武はベッドに腰掛けながら混乱していた。
部屋には奥にある風呂場から流れてくるシャワーの音だけが響いていた。
「おおおおお落ち着け俺!冷静に、れ、冷静に」
自分に言い聞かせ、大きく深呼吸する。
「すぅううううはあぁああああぁぁ……よしよし落ち着いてきた」
ゆっくりと現状を把握するために思考を巡らせる。
「た、確か髪留めを買ったあと、昼飯を食べて京に行きたい場所があるから目を瞑っててと…それで手を引かれるまま今ここに…」
だが、その思考はきゅっというシャワーの止まる音で中断された。
今までに無い緊張感全身を駆け巡り、変な汗が背中伝う。
「…武」
「うひゃいっ!?」
変な声で返事をする武に、京はバスルームから顔だけ出して手招きをする。
「一緒に入ろ?」
武は一瞬京の発した言葉の意味が解らず呆然とするが、徐々に浸透していく言葉の意味に耳まで赤く染まっていく。
「な、なななな!?」
「……駄目かな」
付き合う前の武なら京の言葉に、まもなく鼻血
を出して気絶していただろう。
しかし、武はそれを見逃さなかった。
京の壁に触れている手が小さく震えているのを。
「…京」
呟いた武は勢いよく上着を脱ぎはじめた。
「っ!?」
突然のことに、誘った京が恥ずかしくて思わずバスルームに逃げてしまった。
妙な気合いと共に服を脱ぎすてた武が、バスルームに入ってくる。
思わず「それ」を見てしまった京が、今度は茹で蛸のようになるが、武は置いてあった椅子を蹴飛ばし、風呂のへりに躓きながら転ぶように湯船の中に頭から飛び込んだ。
「武っ!?」
ゴンッと言う鈍い音に京が駆け寄ると、武は頭を押さえながら静かに浮いてきた。
「……痛い」
「…しょうもない」
見れば、武の目は固く閉じられていた。
「怪我したらどうする気?」
「すまん…しかし、今目を開ければ恐らく俺は気絶する」
「相変わらずだね」
京はため息一つ、武の背後から湯船に入る。
「これで目を開けても平気でしょ?」
「ああ、なんと言うか死ぬほど恥ずかしいがな」
「武の背中、意外と大きいね」
「初めて言われた」
「…この傷…あの時の?」
胸から背中に続く武の傷痕に、そっと京の指が触れる。
「ワイルドだろぉ?」
「…馬鹿」
コツンと京は武の背中に額を当てる。
「一生消えないね」
「ああ、俺の生涯で今のところ最高の勲章だ」
「…馬鹿」
「自覚してる」
「しきれてない」
「しかし京さんは大胆ですね」
「話を逸らした」
「気のせいです」
「私と大和とのやり取り見てたでしょ?」
「そのわりには震えてますけど?」
「…気のせいです」
京が触れている部分から、火照った熱が伝わってくるのを感じる。
「…正直、どうして良いのかわからないの」
武の肩に置かれた京の手の震えが少しだけ大きくなる。
「…武に……嫌われたくない」
消え去りそうな声で俯く京に、武は振り向いてその手を包み込む。
「なぁ京、愛してる」
突然の言葉に顔をあげた京に、武は優しく口付けをする。
京は驚いて目を見開いたが、次第に力を抜いて目を閉じて武にその身を預ける。
「…武…愛して」
☆ ☆ ☆
「で?なんの連絡もなく五時間も私達を待たせた理由を聞こうか?」
武と京が秘密基地に着いたのは、まもなく日付が変わろうとする間際であった。
「えっと…つまりそのなんだ…な、なぁ京?」
「…私は皆が待っているから早く帰ろうと言ったのに武に聞き入れてもらえなかった」
「なにその容赦の無い誤報!?」
京の言葉にクリスが武の片腕に亡霊のようにしがみつく。
「つまり武が全て悪いと…自分の卒業まで延びた留学は祝いたくないと?」
「おいおい、誰だよクリ吉にこんなになるまで飲ませたのは!」
「せっかくあたしたちが武の誕生日を祝おうと色々用意したのにあんまりだわぁ」
「お前もかワン子!」
止めどなく涙を流しながら一子も反対の腕に亡霊のようにしがみつく。
「モモ先輩に任せると俺様たちの分がなくなっちまうからな」
「まぁ自業自得だよね」
「安心しろ武、命まではとらん!」
「あくまで俺たち「は」だけどな」
詰め寄る大和、翔一、岳人、卓也の手には様々な拷問道具が握られている。
「まてまてまて!は、話せばわかる!おい京!あなたの愛する人の命に危険が迫ってますよ!?」
「…武…貴方の事は忘れない」
「いやぁあああああああ」
武の悲鳴が上がるなか、百代が京の隣に並ぶ。
「京、どうだった?」
「…その質問はセクハラだと思う」
「今日くらい顔を出さなくても良かったんだぞ?」
「武だよ?」
「納得だ」
「…ねぇモモ先輩」
「なんだ?」
「私の顔、変じゃない?」
「緩みきっているぞ」
「それは困る」
「でも、幸せそうだ」
「…うん」
京は視線の先にいる愛しい人を見つめたまま、優しく微笑む。
この幸せが何時までも続く予感を胸一杯に感じながら。
お久しぶりやさぐれパパです。
色々ありまして三ヶ月も更新が滞りもうしわけないです。
これでアフターは終わりです。
もう一話だけ考えているものがありますので、暫くは連載中のままにさせていただきます。
更新は遅くなると思いますので気長にお待ちいただけたら幸いです。
ではまた次回で。