『マクベス』第5幕第5場 シェイクスピアより抜粋
「酷い霧だな」
ニャルラトホテプはそう呟くと隣に居るシンを見た。
シンは鳥居の上に座っていた。辺りは霧に包まれ、何一つ見えない状況でも、シンは少しばかり不気味な笑みを浮かべているように見えた。
そして、シンはポツリと思い出しながら『眼にて云ふ』の一節を呟いた。
「『あなたの方から見たら ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのはやっぱりきれいな青ぞらとすきとほった風ばかりです。』」
「透き通った?どこがだ」
ニャルラトホテプは鼻で笑うもシンは気にする様子はない。
「ここに来た時から、妙な既視感を覚えていた。ボルテクス界に似ていると思った。だが、今思えばそれとも違う何かを感じている」
「……」
「…『作られた美しい景色』。そんな、幻覚があるような気がしてならない」
その言葉にニャルラトホテプは声を出して笑った。
「ハハハハ、お前はそういうのが好きではなかったか?」
「残念ながら、意味の無い創られた幻は嫌いなタチだ。ましてや、なんのストーリー性さえないのならな」
シンはそういうと、10mはあるであろう、鳥居の上から飛び降りた。着地の衝撃に地面にヒビが入る。
「時に、お前は人間に戻りたい。そう思ったことはないか?」
「唐突だな。なぜ、そのような質問を?」
シンは霧の中、ついてくるニャルラトホテプを見ながら言った。
「他意はない」ニャルラトホテプは肩を竦めた。
「ある…だが、戻ったとして、俺に何が残る。今、戻ったとして、10年先は自ら死んでるだろうな」
「何故だ?」
「…神への復讐心と自己嫌悪に喰われる。何より、退屈だ」
そう呟くとシンは深い霧の奥に行く。だが、すぐに足を止めた。
「どうした?」
「…分からない。分からないが、最近、妙に痛むんだ。」
「痛む?どこがだ」
「分からん」
「分からん痛みとは何だ?」
ニャルラトホテプは首を傾げた。
「…失った筈のモノが痛む気がする」
「面白い冗談だ。無いものは痛むはずはないだろうに」
ニャルラトホテプはそう答えると先に進んだ。それに続くようにシンも進み始めた。
足立は狭い部屋の中で手紙を書いていた。それが書き終わると、天を見上げた。固く冷たそうなコンクリートの天井を足立が見つめ続けていると、ヌメリと真っ黒な頭をした犬らしき者か頭だけを出してきた。
「ウムム、気ヅイテイタノカ?」
「まぁ、ね。主人にコレを渡してよ」
足立はそういうと、手紙を天に向けた。
「……ワカッタ」
イヌガミはそれを咥えると天井に消えた。
イヌガミはすぐにシンの下へと行くと手紙を出した。シンはそれを受け取ると、開いた。
『面会中は監視されてるから、口頭では伝えられないために、僕を監視してる悪魔にこれを渡すように頼んだ。
君だけに伝えたいことがあって、この手紙を書いている。彼らじゃ、早とちりで、僕のようになりかねない。
君もウスウス気付いていただろうけど、僕と……悠くんのペルソナは対を成すペルソナだった。マガツイザナギとイザナギ。この2つは恐らく同じヤツに与えられた能力だと思う。詳しくは思い出せないけど、この街に来た時に酷く疲れたことを思い出した。』
(正体も、どこのどいつかも掴んだけどな……)
シンは手紙の続きを読む。
『ムカつくけど、僕も踊らされている1人に過ぎないと思うと、何だか酷く冷めているよ。別に僕じゃなくたって良かった。外から来た人間であれば誰でも……
それと、変わらず、世界は美しくなんかないし、クソでしかない。一層のことキミにあの時、殺されていた方が楽だったのかもしれないね。何れにしても、僕は何とかやってる。
もう君は気付いてて、余計なお世話かもしれないけど、僕の代わりに1発やってくれないと、困るからね。』
『PS:何か言ってやろうって思ったけど、君には言うことは無いな。もう片方の悠くんの手紙にボロクソ書いてやったから、特に言うこともないよ。』
シンはそれを読むと手紙を『アギ』で燃やし、塵にした。
「返事ハ、ドウスル?」
「書かない。相手も期待していないからな。引き続き頼む。バレてるのは承知だ。他の人間に感づかれなければいい。」
「ウム、ワカッタ」
そう答えるとイヌガミは天井に消えた。
「お前はこの霧の中の真っ直ぐ歩き続けられるか?」
おどけた様子でニャルラトホテプは自分の真っ黒な影を伸ばすと、『嘲笑顔の直斗』を象って、その線をフラフラと歩く。
「何の意味がある」
「意味などない。お前の言葉を借りるのであれば『暇潰し』だ」
ニャルラトホテプは10mほどの黒い線を見事に外れることなく歩き切ると、先程よりは見えやすくなった霧の中で手を振る。
「さぁ、来てください!間薙先輩!」
「…その顔で気持ち悪いことを言うな」
シンは呆れ顔でニャルラトホテプを見ると、シンは黒い線を難無く外れることなく渡った。シンは肩を竦めてニャルラトホテプを見ると、ニャルラトホテプも肩を竦めた。
「容易いか」
「何を期待したんだ?」
「1本の直線は真実に短距離で繋がるものだ。しかし、すべてがそうではない。何が真実か分かることなどない。」
ニャルラトホテプはそういうと、黒い線を歪め線の終点を違う位置へと動かした。
「全ては所詮、自己満足と自己解釈でしかない。そんなものに何の価値がある?」
不敵に笑みを浮かべ、ニャルラトホテプは言葉を続ける。
「人間は他人と共有することで普遍的真理を生み出そうとする。他人に理解してもらうことで、安心と愁眉を開こうとする。」
ニャルラトホテプの言葉にシンはため息を吐く。
「同じようなことをクマのシャドウに言われたな。」
シンはそういうと、歩き始めた。
「残念ながら、俺は答えにあまり興味の無いやつだ。ましてや、俺は普遍的真理を必要としない。俺は回答の先にあるものより、それまでの過程を楽しむタイプだ。何よりこの世界では、回答は全て自己満足に過ぎない。他人という完全に理解できない連中と共に暮らさなければならないからだ。他人が社会を作り、人を作り、歴史も思想も全ては他人の産物に過ぎない。」
シンはそういうと、少し顔を顰める。
「……それに、この不確かな己でさえ、他人の産物に過ぎないというのだから、真実も真理も、他人という形容し難いモノに内包された一つの結果でしかない。」
「人間は永遠に人間によって創られ、殺される。始まりが神であったとしても、終わらせるのは紛れもなく人間だろうな。」
シンはそういうと、霧を掴むような仕草をする。無論、そんなことはできない。
シンはひどい皮肉だと思った。自らの普通の世界を終わらせたのは、氷川という人間。そして、可能性の目を摘んだのも、嘗て人間だった悪魔。
終わった世界で殆ど死ぬことのない自分。過ぎるのは無限と思える時間ばかり。
「……俺の死が霞のようになってから、色々なモノの肩の荷が降りた。違う景色も見えてくるし、その分の痛みや苦しみが終わることはない」
ニャルラトホテプはシンを見ると再び肩をすくめた。自分には関係の無い話であるとそういう意味合いだ。シンもそれを察し、口を噤んだ。
「では、彼らが何故、『イザナミ』を追う必要がある。お前は契約のためだと理由を付けられる。だが、彼らは?」
ニャルラトホテプは不敵な笑みを浮かべる。
「…友のためか、あるいは、自己満足」
シンはそう言った自分を心の中で嘲笑した。他人を理解することができないと言ったのは紛れもなく自分だというのに、こうして、推測して物事を言っている。
『理解できない事と、しようともしない事は、全く別のもの』という直斗の言葉を思い出す。
理解しようと彼らはシンの世界に近付いた。自分は……どうだろうか。確固たる信頼は……あるのだろうか
違う。近づきすぎると、愛おしく感じてしまう。だから、避けている。しかし、それと同時に『興味』がある。
あいつらの行先を。自分が選択し得なかった人生を。
「……恐らく、全てにケリをつけたいんだ。俺も含めて、あいつらは」
「その先にあるのは、平凡な日常だというのに」
「……そうでもないかもしれない。平凡な日常かあるいは、その逆のことも、全てはあいつら次第だ」
シンはそういうと、掌を見つめた。そして、ギュッと握り締め歩き始めた。
「どこまで行くんだ?」
「どこまでも行く。自問自答して、また霧は濃くなる」
鳴上はせっせとバレンタイン返しの準備を始めようとしていた。マメな人間なのか、あるいは罪深い一男子なのかは置いておいて、彼はジュネスへと足を運んでいた。無論、手作りのチョコを皆に渡すためだ。
鳴上がジュネスの食品売り場に行くと、花村とシンが居た。鳴上は2人に近付き声を掛けた。
「おはよう。2人とも」
「お、悠!」
シンは鳴上を見ると頷くだけで返事をした。
「何を話してたんだ?」
悠が2人に聞くと花村が先に口を開いた。
「シンがまた1人でテレビの世界に行ってたからさ」
「別に俺の勝手だ」
「そーだけどよ、お前は何しでかすか分かんねぇし」
花村がそういうと、同時に店内に聞きなれた悲鳴が響いた。
「クマか」
「クマだな」
2人はそういうと、花村を見た。その花村は2人の顔を見るとため息を吐き答えた。
「だよなぁ……ちょっと行ってくる」
花村は品出しを止めると、悲鳴のした方へと急いで行った。鳴上とシンはそれを見送る。
「何をしていたんだ?」
「散歩だ。それよりも、早くチョコの材料を買わなくていいのか?」
シンはそういうと、歩き始めた。鳴上はそれについて行った。
「未だに継続中な訳か」
「…」
シンの言葉に鳴上は答えない。
「まぁ、いい。時にお前はこの町に来て何か得たか?」
「…多すぎて分からない」
シンはその言葉に何かを確信したように小さく頷いた。
「…お前はここに来て、儚い人生の中での一つの答えを見つけたのかもしれない。」
「答え…?」
鳴上は首をかしげた。
「”絆”という1つ不確かな答え。しかしながら、それは脆いと思う。お前が信じることを忘れた時、それは簡単に崩れる」
シンは鳴上を見て言った。
「それはない。俺はずっと仲間を信じていける。これからも、この先も」
鳴上は真っ直ぐとした瞳でシンの真っ黒な瞳を見た。
初めてあった時とは違う、真っ直ぐと。飲み込まれそうな程、黒い瞳を鳴上は見る。
シンはジロっとした目で鳴上に言った。それは睨みつけるというよりは、彼なりの真剣さがうかがえる目であった。
「…最後はお前自身を信じろ。お前の意思に従え。お前が一番何をしたいか、選択するんだ。」
「他人のための人生だというものもいるし、他人に生かされてるのも事実だ。だが、生きているのは紛れもなくお前なのだ。お前の人生で、お前が作るものだ」
「……何故、そんなことを?」
鳴上はシンに問う。それは、何かを始めようとする彼なりの合図なのか、あるいはただの先人からの言葉なのか。多くの人と知り合い、それぞれに何かがあった。だからこそ、鳴上は多くの人の心を良い意味で見抜いてきたし、鳴上自身も人間として飛躍的に成長できている。
だが、未だにこの間薙シンという悪魔が分からない。何故だか、もっともっと深い闇が彼の中にあるような気がしてならなかった。
鳴上は手汗を感じた。嫌な汗だった。それは鳴上が純粋であるが故に忘れていたことを思い出させることとなった。
猜疑心という、確かな心の変化であった。
「……違う」
シンは何かを悟ったように首を横に振って言葉を続けた
「これは俺の考えの押し付けだ…お前はお前の信じるモノのために跳んでみせろ。それでこそ、お前の価値が生まれる」
シンは淡々と鳴上にそう言った。
「……わかった」
鳴上はただ、そう答えることしか出来なかった。
彼の言動が読めない。多くの人と向き合うことで、鳴上は人の感情を言葉や表情からいつの間にか読み取るようになっていた。
それが奢りだと気付かされた。鳴上はシンの底の見えない思考の海に飲み込まれていたことに気付いた。そして、彼が『悪魔』であることを鳴上は再び、思い出したような気がした。鳴上の透明な心に一滴の黒い雫が落ちたようだった。
混沌
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汝 その心を持って深淵を覗く時
常闇の底から常に見ているその瞳に
全身全霊を持って そこから跳べる時
再び 汝の心にこのカードは道を示すであろう
「これは……フフフッ」
混沌のカードを見たイゴールは不敵に笑い声を上げた。
マーガレットは鳴上にカードを見せた。そこには、かつてはグチャグチャに混ぜられた絵の具のような絵が書かれていた、しかし、今は真っ黒に染まっていた。
「ご覧の通り。混沌のカードは真っ黒に染まっております」
「それはあなたの心の疑念です。混沌とは全てを一色に染め上げることはありません。全ては流転し、そして、絶対などないという、象徴でもあります」
「…つまり、あなたの心がこうさせてしまっているのよ」
「…どうすればいい?」
「フフフ…簡単なことでございます。あなたがこの黒いカードに再び絵柄を取り戻せば良いのです。あなたの心次第で全ては変わってゆきます」
「…」
「或いは、こちらがこのカードの本当の姿なのかも知れません」
マーガレットはただその美しい顔に笑みを浮かべた。
光陰矢の如しとはよく言ったもので、更新しよう、更新しようと思い、1ヶ月半が経っていました、ごめんなさい。
そして、いよいよ後数話で終わらせる予定です(あくまでも予定)
グダグダとこのまま続けていても、飽きられていく一方なので、さっとまとめていこうかなと考えてます。
今年中に更新できるかは分かりませんが、皆さん気長にお待ちください(´・ω・`)