提督の攻撃は怖いというけれど、身近にいると感じる本当に怖い人は提督代行よ。
普段は優しいけれど、怖さで言えば提督よりも上ね。
知っているのならいいけれど、知らずに触れたら後悔しかないわ。
本当に知っているの?
パチンパチンと音が鳴る。
木製の盤上に踊るのは、同じく木製の駒。
差し向かい合った二人の間にある戦場の中で、お互いの配下といえる駒は相手を仕留めるために動きまわる。
「将棋っていうのはな、相手の駒を自分の配下に出来る。だから面白いって言うんだけどな」
「ええ、そうですね。捕虜、というべきでしょうか」
相沢・宗吾の声に、ホシノ・ルリは小さく答えつつ駒を動かす。
「日本が何か言ってきたのか?」
「特には。先日の演習がいい意味で効いているようです。『独自に作戦を遂行し日本の領海の安全と確保を行え』、だそうです」
「そりゃまた」
小さく宗吾は笑う。あの権謀術策渦巻くような伏魔殿が、よくそこまで譲歩したものだ、と。
「海軍だけだろう?」
だが、しかしだ。抑えつけられたのは海軍だけだろう。陸軍や政府は、もっと狡猾な連中ばかりだから、恐らくはこの後に何か言って来るのではないか。
宗吾はそう思って駒を弄りながら告げたのだが。
「他のところも特には」
「へぇ」
少しだけ彼は意外そうにつぶやいた。
まさか、あの利権にうるさい連中が黙るとは。
「何かしたのか?」
「特別なことは何も。ただ、武装した兵士に侵入させようとしていたので、『銃弾をお返しした』だけです」
「おい、嬢ちゃん」
初めて聞くような話に、宗吾は鋭くルリを見た。
日本海軍が接触してきたこと、会談を持ったことは知っていたが、まさか襲撃があったとは。警報さえ聞いていない、避難しろとも言われていないのに。
「大丈夫ですよ。鎮守府の敷地内で終わりです。居住区画には入られませんし」
宗吾の一手に対して、ルリは別の一手を持って封殺した。
「私たちが、『サイレント騎士団』が主が護ると決めた人たちに手を出される、なんてことを許すとでも?」
下げていた視線を上げた彼女の顔は、冷たく笑っていた。
瞬間、宗吾は背筋を何か冷たいものが流れ落ちるのを感じた。相当に修羅場を潜ってきた自分なのに、これだけの『恐怖』を感じさせるとは。
「そうかよ。信じてるぜ、嬢ちゃん」
平静を装いながら宗吾は答え、再び盤上に視線を落とす。
「ええ、どうぞ。皆さまは何も心配せず、平穏を過ごしてください」
ルリも顔を盤上に戻し、表情を戻す。
「で、だ。鎮守府のこれからを聞いてもいいかい?」
「ええ。それを話そうと思ってきました。次ですが、ちょっと大胆に行こうかなっと」
「大胆にかい?」
「はい、そうですね、例えば・・・・・」
ルリは小さく口を動かし、続いて駒を動かした。
「『王手』とか」
王将にて、王将を取る一手を示しながら、ルリは微笑した。
作戦は簡単です。
説明を始めた提督代行に対して、誰もが異論を挟まなかった。
チマチマと近海を攻めていたのでは、一進一退を繰り返すだけ。広大な海域を保持できるほど、今の日本海軍の戦力は優秀ではありません。
艦娘達の技量も疑問が残ります。
言葉を区切ってルリは会議室にいる全員を見回した。
相手側、深海棲艦の戦略目標も不透明。ただ海域を封鎖して人類を閉じ込めたいのならば、今までの戦術や軍事行動には不可解な点が多い。
海上を封鎖すればいい、というわけではない。大陸内部での物資の生産もあるのだから、海上だけを封じていれば人類が追い詰められることはない。
また海上を封鎖しているはずなのに、輸送船が見逃された場面も僅かであるが報告されている。
「なので、ちょっとつついてみることにしました」
地図の一点をルリは示す。
目標地点は『北方海域』。数ある海域の中でも、特に大きい反応を示した場所。
「海軍によればここにいるのは、北方棲姫と港湾棲姫の二種。他の海域がだいたいボスだけなのに対して、ここには二つの反応が常に一緒にいます。何かしら重要な拠点がある、と推察できます」
ルリは説明を続けながら、全員の顔を見回す。誰もが『無理』なんて顔はしていなくて、『目標はそれか』と納得した顔をしている。
「我が鎮守府が日本海軍に所属して、初めての作戦行動です。他の鎮守府に『示す』ためにも、丁度いい標的でしょうね」
ルリ自身も気負いことなく、ただ『ちょっと散歩でも行きましょうか』という雰囲気で話をしている。
「全員の完熟訓練も大詰めなので、ここで実戦を挟みましょう。吹雪」
「はい!」
名を呼ばれてすぐに彼女は立ち上がり、直立不動になる。
「今回は提督が留守番となります。貴方が『支柱』になりなさい」
「解りました」
全員の不安や怯えをすべて拭うために全力を尽くせ。口外の意味を受け取りながら重圧につぶされることなく、彼女は真っ直ぐにルリを見つめた。
「よろしい。各員、吹雪に甘えることなく、私と提督に頼ることなく海域を突破、二つの姫を打ち取ってきなさい」
「了解しました!」
「装備の選択は自由。周りの鎮守府への情報漏洩とか、周囲がどうのこうのなんて余計なことは考えないように」
「はい!」
全員の真っ直ぐな返答にルリは大きく頷き、続いて『サイレント騎士団』流の号令を下す。
「我ら血の十字架を掲げる者なれば、主の前を塞ぐすべてを『沈黙』させる。解散、準備に入れ」
「御意!」
バッと会議室からドックへ向かう艦娘達を見送り、ルリは小さく呟く。
「テラさん、出撃したいんじゃないですか?」
会議室にいながら、一言も口にしなかった彼に目線を向け、彼女は意外ですと口外に告げる。
「ん、出撃したいことはしたいけど、何時までも俺がいたんじゃね」
「彼女達が成長しない、ですか?」
「まあ、それもあるけど。そろそろ、吹雪達の試練の時かなぁってね」
確かに、とルリは口の中で言葉を転がす。
吹雪、暁、響、雷、電の五人は鎮守府での最古参。技量もかなりのレベルを誇っているし、大抵の深海棲艦ならば単艦であっても負けることはない。
相手が艦隊であっても、一人で軽く撃破できるだろう。
しかし、だ。技量はあっても、精神的な強さはというと、まだまだ未知数な部分が多い。
特に今までの艦隊行動は後ろに常にテラがいたから、もし万が一の時は何とかしてくれると目線で訴えていた。
本人達は無意識だろうが。
頼りにするのはいい、だが依存は許さない。テラがいるから大丈夫、後ろを気にせずに前に行ける、そんな甘い考えでこれから先に戦えるわけがない。
何より、だ。テラ・エーテルの配下にいながら、そんな甘い考えでいるのはルリが許せない。
『神帝』テラ・エーテルの配下にいる以上は、例え百隻の艦隊に囲まれたとしても、一人だけであったとしても、薄く笑みを浮かべて殲滅できるくらいの気概がなければ。
「あの子たちの精神的な弱さが鍛えられるといいですね」
「ん、やってみないとね。で?」
テラは小さく背伸びしながら、ルリに作戦の『裏側』を訪ねた。
「はい。念のため吹雪達の頭上、衛星軌道上に『第一打撃艦隊』を配置してあります。もし万が一の場合は砲撃殲滅、あるいは『マクロス』級十五隻による大気圏外からの強襲揚陸可能です」
「解った。俺は鎮守府から動かないからね」
「その方がいいですね。出撃して迎えに行くと、『ピンチの時は提督が駆け付ける』なんて、思い違いをしそうなので」
「本末転倒だなぁ」
「そうならないように、吹雪達を鍛えているのに、テラさんが出て行ったら余計に依存しますからね」
じゃ、動かないように頑張るよ。テラはそう笑って席を立った。
ルリはその背中を追いながら、大丈夫じゃないですかと頭の中で思う。
きっと吹雪達は、立派にやり遂げるだろうから。
作戦に不測の事態は付きもの。入念に準備して情報を洗い出して、徹底的に考え抜いたとしても、予想外の事態はあるもの。
だから油断しない。
吹雪は装備を再度、確認する。魚雷よし、主砲よし、推進機問題なし。燃料も満タン。探査機器も不調なし。最後に、と彼女は後ろ腰の剣を撫でる。
もう使い慣れた、握り慣れた柄を掴んでゆっくりと深呼吸した。
今回の目標海域は遠い。途中での遭遇戦をいかに効率よく、かつ迅速に行えるかが作戦の成功率を上げる。
大丈夫、訓練は何度も行った。何度も地獄は味わった、強くなるためにどんなことでもやれた。
苦しかったことは多かった。でも、同時に『強くなった自分』が嬉しかった。提督と提督代行に近づいてようで、あの背中を追い掛けている充実感が日々にあった。
知らず知らずの内に柄を強く握っていた。
ダメだ。こんなのじゃまだまだ届かない。あの二人が何を狙ったのか、表面的な言葉に惑わされることはない。
今回の作戦は、提督代行が語ったこと以外の意味がある。
ドック内には艦娘全員がいる。明石も間宮も、大淀もいる。三人は鎮守府に残るから出撃メンバーに含まれてはいないが。
「吹雪、全員揃っているわよ」
「ん、解った、暁」
小さく息を吐きながら、右手を離す。
「全員、傾注。提督代行の話は、『作戦目標以外は忘れなさい』」
いきなりの暴言に、誰からも否定は上がらなかった。きっと、全員が気づいている。たぶん、全員が思い知ってしまった。
あの二人が考えていることは、全員が痛いほど理解できた。
「今回の作戦は、私達の普段の行動の結果です。確かに強くなりました。訓練もこなしてきました。でも、私達は何処かで『提督と提督代行』に依然していました」
きっと、あの二人が今回の作戦を選んだのは、自分達の精神面を鍛えるため。
話の出だしから、おかしかった。あの提督代行が、今更『深海戦艦の戦略目的』程度が不透明とか言いだすなんて。
相手が何を考え、何を目標にしているかなんて、関係ない。相手が何処を攻撃してくるか、どの程度の戦力を持って向かってくるか。
鎮守府が出来てから、僅か二週間で深海棲艦の勢力マップを作成してみせたバッタ達と、それを使って自分達の訓練海域や侵攻海域を決めてきた提督代行が、今更『不透明』とか言うわけがない。
きっと戦略目的も把握済み、相手がどう向かってくるかも正確に理解しているだろう。
ならば今回の作戦目的は、相手じゃない自分達だ。
「今回の作戦、提督代行の目標は『私たち』です。私達の依存する心、誰かに任せようとする弱い心の撃破、それが今回の作戦目標」
ギュッと、誰もが拳を握った。誰もが薄々と感じていたのだろう。あの提督代行の話が、何処か歪だったことに。
短い付き合いなのかもしれないが、薄い付き合いではなかったから。とても濃い密度の付き合い。血の繋がりのように明確なものを感じる期間を、共に過ごしてきたから。
あの人が考えることが、何となく解る。
「私達はまだ『個体』じゃありません。艦娘という『物体』です。人でも生物でもなければ、兵器でもない。未熟で弱くて、どうしょうもないくらい依存している存在でしかない」
徐々に吹雪の意識が、戦闘時のそれに近づいていく。
「提督と提督代行に心配されて、手を引いてもらわなければ歩けない、赤ん坊でしかない。毎日、技量を磨いていながら、こんな程度のこともできない痴れ者。そんなこと、私は許せない」
吹雪は真っ直ぐに全員を見つめる。誰もが顔を反らすことなく見つめ返す。
気配が立ち上がる。誰もが気合を漲らせ、全身に決心を叩きこむ。
「私たちは今から示す。提督と提督代行に相応しい、絶対に引かない、絶対に沈まない、絶対に仲間を見捨てない、その魂に決意を灯す艦娘であると」
あの背中を見失いたくないから。あの背中を追い掛けるために。
「全員、提督命令を刻み直せ。我らの魂の一遍にさえ消えないように、徹底的に刻んでおけ。そのための一歩だ」
あの背中に相応しい存在であるために、示してみせるしかない。
吹雪は拳を前に突き出す。
「では、全員。『我ら血の十字架を掲げる者なれば』」
「『主の前を塞ぐすべてを『沈黙』させる』」
合言葉はそろい、全員の意思は固まった。
作戦は何時も不備や不測はある。けれど、それがどうしたといえるようになる。万が一でも億が一でも、どのような危機的状況であっても覆す。
そのための艦娘でなければ、あの提督と提督代行の元にいあるべきではない。
誰もが決意を胸に、海域に出撃していった。
後にホシノ・ルリとテラ・エーテルは、当時のことを吹雪から聞いて大笑いしたという。
『いや、そこまで悲壮な決意で出撃しなくても』と。
提督と提督代行の考えを、艦娘達は正確に理解はしていた。理解していたのだが、その方向性はまったく別方向を向いていた。
何処でどういう風に相違したのか、誰もが解らないが。
強くなって良かったと今は喜ぶべきなのかもしれない。
本当に怖い人よ。だって、作戦目標に『心』まで含むのだから。
何処の世界に仲間の精神的鍛練のために、敵側の陣地への強襲と敵の大将首を考える人がいるって言うの。
提督代行はね、それを平然とやれという人よ。
本当に、怖くて冷たくて。
とても私たちに甘い人なんだから。