あの時の話ですか?
すみません、当時の私は最初はまったく関わっていなかったので、具体的な話はできません。
でも言えることはあります。
善意は何時も正しいことではない、を実感させてくれた貴重な体験でした。
小さく誰かの声が聞こえた。
誰のと疑問を感じることはなく、ただ暗い闇のような海を見下ろし続ける。
体中が震えているのが解る。
もう後戻りなんてできない。
進むことなんてできない。
どうしてこうなってしまったのかを、誰もが口にしかけて止めている。
納得したはずだった。安全なはずだった。何の保証もないまま、決めつけて海を進んだ結果が、これだ。
あの人達は辿りつけただろうか。
最後に、『すまない』と言っていた軍人の顔を浮かべて、彼女は小さく笑った。正しいことができた、人を護ることができた、艦娘に生まれてきっと立派なことができた。
そう、彼女は『思い込むことで』周囲に浮かんでいる『亡骸』から目を背けて、必死に自分を護っていた。
「私は、立派に、正しいことができたよ」
「ミィーツケタ」
そんな彼女の呟きは、轟音にかき消された。
八丈島鎮守府には時刻を知らせる鐘がある。周辺が海のため大音響で、鳴り響く鐘の音色は、水平線の向こう側まで届くような気がするほど、大きな音で叫ぶ。
まるで砲撃の音のように、鎮守府内を歩いていると思わずビクッと震えるくらいに、盛大に鐘が響き渡る。
しかし、この音色は居住区には届かない。バッタ達の細かい配慮の結果、防御用のフィールド作用に遮断シールドも備えているため、一般人には『あ、鳴っているな』程度にしか聞こえない。
艦娘達の寮でも、鎮守府の建物の中でも、『あ、鳴っている』程度の音しか聞こえないそれは、海の周辺に『八丈島鎮守府の位置』を知らせる重要な役割を持っている。
味方にも、敵にも知らせるような音に、テラやルリに恨みがある人物たちからは『深海棲艦に襲われて死んでしまえ』と、音を聞くたびに願われているようだが、当人たちは至って平然とその音色を続けさせている。
『敵が来るなら迎撃しやすい』、『咄嗟の轟音に冷静に対処できるようになる』、『殲滅できるなら続けようぜ』とか、二人がそんなことを言っているのを知っているのは、秘書艦の大淀だけだが。
その日も無謀にも、音を聞いた深海棲艦が向かってきた。
「敵確認、戦艦が・・」
偵察機を上げていた瑞鳳は、報告の途中で言葉を止めた。
「あ~~速いよね、本当にあれってまだ調整中なのかな?」
「調整中なんでしょうか?」
隣で同じように偵察機を動かしていた大鳳は、送られてきた画像を見つめながら呆れてしまう。
「調整中ですね。体の動きに艤装の推力があっていません」
二人の前、赤城も画像を見ながら、そっと弓を下ろす。
敵艦隊は、戦艦六、空母二、巡洋艦と駆逐艦多数の少なくとも三十隻以上の艦隊だったはずなのに。
運悪くか、あるいは当人が狙っていたのか解らないが、敵艦隊はよりにもよってある艤装を調整中の艦娘の演習場に突っ込んでしまった。
「あ、長門と大和が戻ってきたよ」
瑞鳳が操作した偵察機は、肩を落として戻ってくる戦艦二人を捕らえる。完全に『よしやるか』で出撃、砲撃開始寸前で敵艦隊壊滅を知って、背中がすすけるほどに落ち込んでいる。
「最近、二人は命中率と威力を競っているから、これは落ち込むね」
「長門さんのほうが高い、と聞いていますけど」
うろ覚えを思い出すように大鳳が告げると、赤城がちょっとおかしそうに笑った。
「ええ、二割ほど高くなったので、大和が焦っていると聞いています。移動中の命中率が九割を超えてから焦ってほしいのですけど」
「あ~~~まだ二人は七割から六割で低迷していたんだよね?」
新型砲と機関に交換してから、二人が命中率が上がらないと嘆いていたことを、瑞鳳は思い出す。
「ええ、本当に何をしているのやら」
呆れる赤城の脳裏に、『砲塔』ごとに主砲身が違っていても、一斉射撃で98パーセント以上を叩きだす戦艦がよぎる。
「誰もが扶桑さんのようには行きませんね」
微塵も揺るぐことなく海上に立つ、八丈島鎮守府の『勝利の女神』の名を、赤城は無意識に口に出した。
彼女はどんな状況でも、艤装を新しくしたとしても、命中率を落としたことがない。知っている限り、最低の命中率は89パーセント。最大戦速での旋回中に、撃った時に波に足を取られたため、とのことだ。
あの時の結果を聞いた扶桑の表情を、赤城は忘れられそうにない。
普段の穏やかな扶桑ではない、鬼のような形相でひたすら訓練する彼女に、『あ、系譜かな』と思ったのは内緒のことだ。
赤城達のような合流組ではなく、テラ提督とルリ提督代行が建造した艦娘達は、『鬼の系譜』とか陰で呼ばれているとか、いないとか。
「鬼神とは、言い得て妙でしょうね」
ふと思い出した赤城は、無意識にそんなことを呟いた。
その瞬間、彼女と目が合ってしまって、閃光のような勢いで土下座した一航戦の赤い方がいたという。
幾多の武装を、多量の光学兵器を、それらを十分に動かすことができる電力を、推進機にすべて回るとどうなるか。
答え、水上航行にて音速突破可能。
波の抵抗が、水があるから無理なんて言葉はバッタ達には通用しない。妖精達も染まってきた技術班は、彼女の艤装を見事に仕上げた。
艤装は、主砲が二つ。四連装魚雷発射管二つ、対空機銃と爆雷を備えた、どちらかといえば彼女の初期装備に似ているものになっているが、威力は段違い。
両手に持った主砲は十二センチ連装砲。砲弾を研究に研究を重ねた主砲は、口径のサイズに威力が比例せず、一撃で戦艦の装甲を貫通。
魚雷も推進機から見直され、音速魚雷の名に相応しい速度と、一撃必殺が甘く見えるほどの威力を持ちながら、酸素魚雷以上に視認し難くなっている。
背中の艤装に備えつけた魚雷は、ソナー付きの追尾爆雷。爆雷となっているが魚雷のように潜水艦を狙う。
そして、以前と同じ弾薬庫には主砲、魚雷、爆雷と対空機銃の弾薬しか入っていないため、残弾数は以前とは桁が違ってきた。
継戦能力を増大させた彼女の艤装は、彼女自身の技量と、何よりも鋭く強くなった彼女の『剣』の威力も合わさって、その総合戦力を格上げしていく。
「うん、まだまだかなぁ」
自分が描いた航跡を眺め、小さくため息をついた。
見事な艤装なのに、扱いきれない自分の未熟さを憂う。もっと強く、もっと速く動けるはずなのに、体がついていかないのは努力が足りないから。
せっかく、両手の主砲は瞬時に回転して楯としても使えるようになっているのに、まだ主砲を使うか、剣を使っての接近戦かで悩んでしまう。
後一秒、もう半秒。反応速度を上げられるのに、迷うことで敵の撃破が遅くなっている。
これでは提督の初期艦として、周囲に申し訳がない。まだまだ強くなれるのに、辿り着くための努力を怠っては、自分の背中を追い掛けてくる艦娘達に、いつか追い抜かれてしまうのではないか。
小さな恐怖に、彼女は自然と右手を握りしめ、唇をかみしめる。
まだ届かない、まだ届かせない。誰にも自分の前を進ませないし、追い抜かせるなんてことはさせない。
だって、自分の前にいていいのは、『自分より強いと認めているのは』、あの人だけだから。
ギュッと握った拳を開き、彼女は顔をあげて水平線を睨んだ。
残りが来るか。鐘の音に引き寄せられるように、水平線に影が見えた。
『あの、吹雪さん』
通信に、動きだしかけた彼女は足を止めた。
「なに、赤城?」
思わず冷たく返してしまう。戦闘の余韻を引きずったままで、戦闘の思考のままでいたなんて、と吹雪は自分の精神の甘さを痛感した。
『あの敵はこちらに任せていただけませんか? 長門と大和も、経験値を積ませたいので』
「うん、そうだね」
ちょっとずつ、意識を戻す。普段と同じように、穏やかに優しく後輩を育てる先輩に。
無理だよね、と戦闘ではなく日常的な意識に戻った吹雪は、そこで思わず膝を抱えて座り込みそうになった。
初期艦の誇りはある、自分が誰よりも強くなりたい、誰よりも強いという自覚はあるのだが、どうしても日常的なところだと重圧を感じて落ち込みそうになる。
駆逐艦なのに、戦艦や空母の艦娘から『さん付け』で呼ばれるなんて。初期艦で、提督たちにとって最も頼りになる艦娘であろうとしても、吹雪の性格だと『ついてこい』なんて言えない。
誰か私の前に出ないかな、とか思ってしまうのだが、いざ戦闘になると『私についてこい、いいから私の前に出るな』なんて平然と思えてしまう。
二重人格ではないが、どうしてこんな性格になったのだろうと、吹雪自身が悩んでしまうこともあるくらいだ。
『それと、私たちも艦載機の訓練がしたいので、お願いできますか?』
「はい、解りました。じゃ、吹雪は戻りますね」
『ありがとうございます』
赤城の声が、少しだけ柔らかくなった。
戦闘時の吹雪の性格を知っている赤城としては、初期艦の行動を阻害するのは、ちょっとどころではなく怖いものである、らしい。
そんなことないよ、と吹雪は否定したいのだが、『いや、あり得る』と思ってしまう自分も自覚していた。
「優しい近所のお姉さんとか、頑張ってみようかな」
『え?』
「はい、吹雪、頑張ります!」
『あの! 吹雪さん! 私はそんなに怖いとか思ってないので!!』
「解ってますよ、赤城」
笑顔でにっこり、音符がつきそうな返答をしたというのに。その後、吹雪が戻って赤城の前に立つまで、彼女は必死に謝罪と信頼の言葉を重ねたのでした。
軍令部にその話が回ってきたのは、事件が起きてから数週間も経ってからだった。
「なんだと?!」
東堂は思わず報告を持ってきた部下を怒鳴りつけてしまった。
「申し訳ありません」
「申し訳ないで済むと思っているのか?! すでに百隻以上の艦娘が行方不明などと!」
怒気ではなく殺気さえ浮かんでそうな目線で部下を睨みつけた後、東堂は渡された資料に目線を落とす。
事件の始まりは、とある鎮守府の艦隊が未帰還だったこと。目的海域は比較的、深海棲艦の脅威が低く、練度を上げるために艦隊を出した。
練度の低い二隻と、ある程度の練度がある四隻で固めた、東堂から見ても堅実な編成をした艦隊だった。
出撃した艦隊は五日で戻る予定が、一週間たっても戻らず、二週間たっても戻らなかったため、その鎮守府の提督は不安になって軍令部へ報告を出しながら、自分の艦隊からも捜索隊を出した。
結果は、艦隊を発見できず、残骸もなかった。もしかして、他の鎮守府にお世話になっているのでは、と考えた提督は他の鎮守府へ連絡を行った。
軍令部もその可能性を考慮に入れて、通信を行って確認したのだが、何処からも来ていると報告はなく。
そして、『こっちの艦隊がお邪魔していないか』と各地の鎮守府から通信を受けたという。
不審に感じた提督たちは、速やかに自分達の第一艦隊を揃えて、各地の海域の調査へと差し向けた。
調査は提督たちの間で情報をやり取りして、精密かつ慎重に進められていった。何処の海域を調査したとか、何処で深海棲艦と戦闘になった。
何処の鎮守府の提督も、情報の出し惜しみなく、普段は派閥やら主義主張で対立する提督達も、この時は珍しく情報に虚偽や出し惜しみなどは混ぜず、正確な情報のみを共有していった。
しかし、だ。提督たちはただ一つ、正確には二つの場所に情報を送らなかった。
一つは当たり前のように八丈島。あんなところに情報を送れるかと、あそこならこちらよりも正確に情報を掴んでいるから、といった悪意と善意の両極端の理由から、送られなかった。
もしも、知っているなら調査を開始しているだろう、という妙な信頼感は全提督が思ったことらしい。
もう一つは、軍令部。何人かの提督から報告を上げたので、動いているだろうと指示が出るまで報告を上げなかった。
これは軍人としての弊害が招いたミスだ。軍人とは縦社会であり、命令は常に上から下りてくる。提督たちの上には軍令部があるため、報告を上げたからあっちから何か命令が来るだろうと、勝手に思い込んで指示を仰ぐことがなかった。
また軍令部で報告を受けた軍人も、追加で各鎮守府が動いていることを聞き、報告が上がってきて纏めてから総長へ報告したほうがいいだろう、と考えてしまい、報告を止めていた。
結果、軍令部のトップ、総長の東堂がこの一件を知るまで数週間のタイムラグが空いてしまって、最悪の状況へと陥ってしまっていた。
善意や悪意ではなく、組織としての固定観念、あるいは『こうだろう』といった思考が、事態を重くさせてしまっていた。
「被害は鎮守府ごとに違っている、また行方不明の海域も日本の領海に点在している」
「日時もバラバラでして。各地を調査した艦隊も、戻ってきた艦隊もあれば、戻らなかった艦隊もあるようです」
言葉をとぎれとぎれに報告する参謀に、東堂は今度は立ち上がって怒鳴りつけた。
「馬鹿ものが! 二次被害が出ているではないか?! 報告は正確なものを、といえど緊急時は一報を入れるべきではないか!」
「も、申し訳ありません。今回の一件においては、未知の深海棲艦の可能性も捨てきれず、悪戯に騒いで各地の鎮守府に緊張を強いては、と考えてしまいまして」
「それこそ馬鹿な話ではないか!! 緊張をなどと言っている場合ではないだろう! 艦娘を一人育てるのにどれだけの労力と資材が必要か?! 百隻の艦娘が行方不明となったら日本の国防にどれだけの穴ができるか! 貴様らは参謀のくせに考えなかったのか!?」
烈火のごとく怒り狂う東堂を前に、参謀はただ頭を下げるだけで打開策や次善策は口にしない。
普段であるならば、次々に策を口にする男の、あまりにも不甲斐ない態度に東堂は次に口にする言葉を飲み込んだ。
彼も、予想外だったのだろう。次善策を考えていなかったわけではないが、それが通じるような状況でもないと判断して、ただ謝罪を口にしているのではないか。
「もう、いい。それで追加の・・・・」
東堂が意識を切り替え、情報を求めようとした時、部屋のドアが乱暴に開かれた。
「馬鹿もの!」
一括の怒声は参謀のもの、しかし彼も怒鳴った顔と口のまま固まってしまう。
「お願いがあります!」
入ってきた男は、とある鎮守府の提督。普段ならば涼やかな顔で、丁寧な口調で語る男は、張りつめた表情のまま髪を乱して叫んでいた。
身だしなみには人一倍、気を使う男だった。海軍軍人たるもの、紳士であれと自身を律していた男だったのに。
今は破れかけた軍服と、赤く染まった『右腕のない袖』が、事態の深刻さを物語る。
「どうか! どうか私の艦娘達を助けてください!」
「な、何があった?!」
「新型です! 新種の深海棲艦がいます!」
提督の必死な叫びは、軍令部中に木霊して、誰もが今回の一件の原因を知ることになったのだった。
テラ・エーテルは、港に腰掛けて海を見ていた。
「ん~~~・・・・へぇ、そっか」
彼は海を見つめながら、小さく呟いて立ち上がる。
「ルリちゃん」
『はい、何ですか?』
呼びかけに応え、通信に彼女が顔を見えた。
「ちょっと厄介事みたいだよ」
『なるほど。では、全員に艤装の準備をさせますね』
「お願い」
通信が閉じて、再びテラは海を見つめる。
何時も変わらぬ穏やかな海の先、黒い雲が立ち込めていた。
「・・・・・本当、おまえらは厄介なことをしてくれるよな。神様転生だかなんだか知らないけど、そうやって誰かで遊ぼうなんて考える奴はさ」
テラは小さく口にして、薄く笑った。
「おまえらも誰かに遊ばれるって考えないんだろうな。いいぜ、俺がおまえら全員、滅ぼしてやるよ」
見るものを震え上がらせるような、そんな冷笑をうかべて彼は右手を握り締めた。
当時のことは、私もよく知りません。
ただ、提督から珍しく全員に出撃待機の連絡が来たくらいです。
提督代行からでしたけど、私達はあの人の艦娘ですから。
誰からの命令かは、すぐに解りましたよ。
ですから、全員がね、『殲滅してやる』って思ったんです。
当然でしょう。