難しいことは聞かないでよね。
あの頃の私は加賀姉と赤城姉の背中を見ていただけだし、命令が来たから戦っただけだから。
そりゃ、少しは思うところもあったけど。
基本的に『うち』は、上についていけば間違いなかったからさ。
だから、あの時もすぐに動いたよ。
ポツリポツリと、雨が降り始めたのは午後になってから。
それまで快晴だったのが嘘のように振り出した雨は、次第に雨脚を速めて一面の水世界を作り出した。
視界を遮る水の波は、海面によく似ていると思う。手を伸ばせば触れるのに、その中に何を隠しているか解らない、見通しできない不安がそこにあって、足を下げてしまうこともある。
でも今回は、やらないと。決意を持って横を見れば、彼女がいた。
土砂降りの雨の中、彼女は空を見上げていた。光さえ遮る曇天の中から、たくさんの水滴が降ってくるのに、彼女はただ空を見つめていた。
「ん、そろそろだね」
小さく呟いた声に導かれるように、大きな音が周辺に鳴り響き、巨大な鋼鉄の鳥が下りてきた。
「全員、艤装最終確認! 今回はいきなり敵地の可能性が高いですよ!」
吹雪の声に全員から『了解』の返答を入る。
敵地か、と瑞鶴は口の中で言葉を転がす。
「準備はいい、瑞鶴?」
「うん、加賀姉。大丈夫」
心配した言葉ではあったが、相手は特に表情に変化はない。出撃前の何時もの声かけ、もう本人さえ自覚ないほどに、条件反射になってしまった声かけに瑞鶴も何時も通りに返答した。
「予定通りかな」
先ほどと同じく小さく呟いた声が流れ、彼女は歩き出す。
小さな背中、小さな手足。でも彼女が操るのは、空母艦娘の中でも特大の大きさを持った空の指揮者。
空中管制機を操る彼女は、特に気負った様子もなく片手をあげて雨の中を進んでいく。
「がんばろ」
小さく手を挙げた瑞鳳の背中を見つめながら、瑞鶴は少しだけ思い出す。
あの時、珍しく提督代行が、『提督からの指示です』と告げた時のことを。
話の出所が何処だったのかは、吹雪でさえ知らされていなかった。大淀あたりは知っていそうだが、誰も問いかけることなく会議室にて話を聞いている。
「作戦は簡単です。目標海域における新型深海棲艦の撃破。それと、生存者の確認」
提督代行の背後に浮かぶ海域図は、初めて見る場所のものだ。これまで多くの海域を進み、幾多の深海棲艦と交戦してきたのだが、一度も見たことない海域にちょっとだけ不安がこみ上げる。
「敵の性能は不明、艦隊数も把握しきれていません。敵は巧妙なようですよ」
画像は別のもの、海域の一部を拡大した中に黒い影がいくつか。それと周囲に温度差のある反応が複数。生物でもなければ、機械でもない反応から煙か炎かと察することができた。
「これまで尻尾も掴ませずに暴れ回り、多くの艦娘を沈めてきたようです。それも練度が高い者から低い者まで。まるでハイエナですね」
小さく提督代行が苦笑する。馬鹿にしているような声ではなく、見事な作戦だと褒めているように感じられた。
「味方の損害を少なくし、敵の損害を多くする。戦術の基本を抑えています、今まで行き当たりばったり、あるいは敵がいるからと襲ってきた深海棲艦の戦い方から考えると、『新種』と判断したのはまさに正しいということでしょうね」
拡大された影の一つが解析され、予想画像へと切り替わる。
姿形は、レ級そのもの。姫や鬼級ではないのだが、彼女の手が動き、指示に従うように周辺の鬼や姫が動き出していた。
「上位種ともいえるかもしれません。この僅か十二秒の映像の後は」
提督代行が言葉を切り、画像が切り替わると影も形も映っていなかった。
「速やかに海中に姿を消して、こちらに情報を与えていません。外見の特徴から恐らく姫が二、鬼が三はいると推察できますが」
振り返って、映像を戻して見つめる提督代行は少しだけ眼を細めた。何かに気づいた様子だったが、こちらを見た時には表情に変化はなかった。
「正確な敵戦力は把握できず、と言ったところです」
話が終わり、映像が消えると、提督代行は小さく手を叩いた。
「はい、質問どうぞ」
「はい!」
真っ先に手を上げたのは、長門だ。彼女は手を挙げて許可をもらうと、手元の端末を操作して映像を戻した。
最初から最後まで映像を流しながら、口を開く。
「この画像の撮影日時を教えてください」
「今から三日前、衛星軌道上からの天候監視用カメラに映っていたものです。時刻は午前十一時三十二分」
「この後の進路は予想あるいは把握していますか?」
「いいえ。以後、全衛星にて調査していますが、姿をとらえていません」
目標の現在位置不明。ではどうやって目標の位置を特定するのか、疑問を誰もが感じていると、答えは提督代行自身から出された。
「ただし、衛星がとらえていないだけです」
「他の方法で察知していると?」
「はい。現在、イオナ、アリアが監視体制に入っています」
どうりで最近は鎮守府内で見かけないはずだ。しかし、だ。あの二隻が監視していて、撃破していないのは何故なのだろうか。
疑問が浮かびかけて、馬鹿なことをと振り払う。彼女達に任せて、自分達が動かないなんてありえない。敵は深海棲艦、それを打倒するのは艦娘の役目だ。彼女達のような存在に任せっきりにしていいはずがない。
「では、撃破を?」
「軍令部からはそのように話が来ています。しかし」
提督代行は、そこで不自然に言葉を切った。
長門も先を促すことなく、相手が話し出すのを待つ。
「捕捉した目標に違和感があります。具体的に言えないのですが、何か違っているような」
「提督代行がそう考えるのならば、私達はそれを信じます」
迷いなく答える長門に、彼女はちょっとだけ眉を潜めた。
「時に上官を疑うことも必要ですよ」
「私達は提督と代行と艦娘ですから。貴方達を全面的に信頼しなければ、海にて十全に戦えません」
「はぁ、まったく貴方達は。この話はまた今度にしましょう、それに貴方達の最近の行動を見ていると、盲信しているわけではなさそうなので」
「自分で考える頭はあります」
「結構。では全員、提督からの指示です。艤装を確認、済み次第出撃します」
「解りました」
「今回の敵は行動範囲がかなり広く、速度もあります。海から接近したのでは取り逃がすこともありえるので」
提督代行の手が端末を動かし、一つの画像が浮かび上がった。
「大型輸送機による空中からの強襲を行います。全員、『自由落下』の訓練はしてありますね?」
「もちろんです」
「では準備を」
提督代行はそう会議を締めくくり、誰もが立ち上がりかけた中、手を上げた艦娘が一人。
「吹雪、どうしました?」
「一つだけ確認させてください。提督はどちらですか?」
真っ直ぐに見詰める彼女に、艦娘の多くは動きを止めた。何時も会議室にいる彼の姿がない。どんな時も出撃には同行するか、見送るかをしてくれた彼がいないことを、誰もが『疑問を感じなかった』。
何故だ、と長門は固まってしまう。あれほど信頼していた提督の姿がないことを、疑問に感じずにいたなどとは。
軽くショックを受けて顔色を変えた長門を、提督代行はチラリと見てから小さくため息をついた。
「貴方はもう、『そこまで』ですか?」
「すみません。精神系の魔法なら弾く自信があります」
きっぱりと答える吹雪に、頼もしいやら、対応が難しくなったやらで、提督代行は余計な手間暇が増えたように感じた。
同時に、彼女の成長を嬉しく思う自分もいるので、複雑な気持ちだ。
「提督はちょっと原因を『滅ぼし』に」
「十分です、ありがとうございます」
軽やかに吹雪は立ち上がり、一礼した後に振り返る。
「じゃあ、みんな、がんばろ!」
軽やかに涼やかに、可愛く微笑んで片手をあげてみた。
「え~~~~」
「え、え? なんで?」
落胆のような返答を前に、吹雪は困惑して周りをきょろきょろと見てしまう。
「あのね、吹雪、こういうときって、そうじゃないでしょうが」
思わず暁が言葉を挟む。何時もの気合いの入った掛け声は何処にいったのか、なんでそんな見た目相応な可愛い女の子の掛け声なのか、色々と疑問を感じた彼女は片手で額を抑えた。
その仕草が、凄く絵になって深窓の令嬢と誰もが思ってしまうほどだ。
「そ、そうかな。でも、私はね、思ったの」
「何をよ?」
「周りを怖がらせないように、ちょっと可愛く行こうかなぁって」
はにかんで笑う彼女に、暁を始めとした姉妹たちは『ああ、もう馬鹿な初期艦は』と呆れた顔で。
「吹雪さんが壊れたぁぁぁぁぁ?!」
他の艦娘達は一斉に恐慌状態になったのでした。
「え、あれ?」
「吹雪、貴方の可愛さはよく解りました。でも、戦闘の前にやるとこうなりますよ。いい教訓ですね」
提督代行は、特大の溜息交じりに初期艦に訓示をしたのでした。
昔は剣一本あれば、何処にでも行けた。
南極、北極、南国、ジャングルの奥地、敵陣の真っ只中。宇宙の深淵の中でも、剣の一本を片手に突撃したものだ。
強くなりたいから。強さを求めたから、誰にも負けない自信が欲しいから。そんな言葉で語れるほどのものじゃなく。なんでと質問されても、上手く答えられずに困ったこともあった。
幼馴染であり、妻となった彼女には、呆れられたことは毎回のこと。なんでそこまで馬鹿なのかと一日中、問い詰められたこともあった。
結局、どうしてなのか今も彼は答えを出せずにいる。敵を滅ぼす、味方を助ける、誰かを救いたい、誰かに勝ちたい。
言葉にしてみれば、それだけのこと。でも、言葉にしてしまうと違うと思える自分がいるから。
つまり何なのかと問いかけて、答えは一つしかない。
テラ・エーテルにとって、それは『テラ・エーテルであるから』としか答えられない。強くありたい、家族を守りたい、妻達に幸せでいてほしい、国民が困らない国でありたい。
色々なものを含めて、すべて合わせてようやく自分であり、テラ・エーテルなのだから。
だから、これは感情のままに動いた結果。
許せないから。絶対に見逃せないから。相手が何者でも変わりない、勝ち目があるとか勝てる自信があるからじゃない。
衝撃が体を突き抜ける。思わず後ろに跳んでしまった先、地面だと思っていたものが崩れる感覚に、再び飛び上がった。
「無様だよなぁ。本当にバカなんじゃないの?」
ケラケラと笑う少年の姿を見据え、右手に持った剣を振り抜く。
剣身だけで二メートル以上の巨剣―『光滅』が分割、連結刃となって周辺を埋め尽くす。刃に触れたものは、光が消えるように滅ぼすと言われた剣は、迫ってきた光弾や『天使』を消していった。
「その武器は見事だよ、人間が作ったにしては見事すぎて笑えてくる」
「どうも」
「けどな、俺に、『神である俺』に楯つくなんだ、人間として終わってんだよ、おまえは!」
地面が揺れた。視界が定まらない、上か下かもわからない空間に放り出され、テラは剣に戻した『光滅』を振るう。刃に触れた術式が崩壊し、空間が正常に戻る。
同時に重力の渦が襲ってきた。
「ほらほら、どうした? 俺を殺すんだろ、やってみろよ、人間風情が」
なぶるように遊ぶように力を使ってくる神を視界に収め、見えないはずの重力の渦を避けながら、テラはふと思う。
そういえば、最初に聞いておかなかったな、と。
激情のままに突撃し、片っぱしから斬って消して来たから、質問するのを忘れていた。これは失敗だ、相手に対しての礼儀が鳴っていない。
礼儀、必要なのか疑問だが、『礼儀は通すこと』と教えられたから、やらないわけにいかない。
「そう言えばさ」
「なんだ、人間?」
「なんで転生者なんて出したのさ?」
「おまえら下等な人間に、神の崇高な意思を語れと? 馬鹿げているな」
「まあ、俺は確かにバカだけどさ」
周りからそう呼ばれているのを、テラは知っている。馬鹿なことをしている自覚はあるし、それを止めないことも馬鹿と呼ばれる原因なのも理解はしているのだが。
それがなくなったら、自分じゃないから辞めないし、止めないけど。
「ふはははは!! 自分で馬鹿だと自覚しているのか?! 本当に愚かだよおまえら人間は!」
「愚かねぇ。まあ、いいや。それで?」
「決まっているだろう」
テラは足を止めて、神と名乗る少年を見つめた。
「面白いからだ。死んで選ばれたと勘違いして、転生した時の特典に目がくらんで有頂天になった人間を、遊んでいると面白いだろう?」
「・・・あ、うん、解った」
小さくため息をついた。やっぱり、神は人間と同じだ。多種多様で自分の感情を優先する、他者を見下して自分の楽しみのために一人の人生を歪ませてしまっても、罪悪感もない。
「遊びは十分だろう、死ね。人間!」
迫るは神の力、逃げ場のない力場の中で、小さくテラは呟いた。
「ごめん、ルリちゃん」
ホシノ・ルリは輸送機が飛び立っていくのを見送った後、提督代行のイスに座り直す。
打つ手は打った、そのつもりなのだが胸騒ぎが収まらない。見落としがあったような、そんな不安がまだ残っている。
「テラさん?」
不意に、彼女は彼の名を呼ぶ。生まれた時から一緒にいる、自らの主の名を呼んだ後、ハッと気づいた。
「敵は、『一つ』じゃない。私はそんな単純なことにも気づいていなかった?」
映像を確認、確かに指示を出しているのはレ級だけ。しかし、だ。この集団を指示を出しているのがこのレ級でも、『全体の指示を出しているのは』別にいるとしたら。
罠。いや、それはない。イオナとアリアは直属の戦隊ではなく、『直轄艦隊』で動いている。いくら深海棲艦とはいえ、あの大艦隊の探査網を潜り抜けて指示や情報共有ができるはずがない。
もし、こちらが掴んでいない、あるいは認識できない方法で情報のやり取りをしていたら。いや、ないだろう。
敵はこちらに気づいた様子もなし、動きに乱れもない。どれほど統制を完璧にしても、敵の監視の前を動くことはかなりのストレスになる。部下や末端まで知らされていなくとも、それらが気づけば動きに多少の乱れは出てくる。
今のところ、それは確認されていない。
では、何が。
「敵は共闘していない? 共同戦線ではなく、独立戦線?」
目標は一緒でも、行動選択は別の集団が二つ。
ストンとルリの中で何かが落ち着いた。
迂闊と自分を罵りながら、バッタへの指示を出す。
「バッタ師団航空科は強襲偵察発進! 目標地点は日本海周辺及び資材地!」
『ピ! 了解しました』
ただちに航空機がスクランブルに入る中、ルリは別の指示を出す。
「バビロン、『アルカディア』を動かします」
『敵は他の海域じゃないの?』
相手からの返答を受けながら、ルリは海図をなぞる。
「はい、そこへ」
『ルリ!』
鋭い叫び声に、彼女の言葉を止まる。
そして、鎮守府を紅蓮の炎が包んだ。
誰にでも失敗はある。生まれた時の私もそうだったからな。
迷い、戸惑い、何が正しいのか解らないことだってあるものだ。
そうだな。あの時の話だったか?
私たちでさえそうなのだが、提督代行は絶対に間違えないと思っていた。
事実は、あの通りだ。