無謀って言葉、何度も味わったわよ。
そりゃ誰だってできないって思うじゃない。でも、それをできないって言い訳なんてしないで、やりとげたからこその『我らの総旗艦』でしょ?
あの背中を見たら、言えるわけないのよ。
できないから、やりませんでした、なんてね。
昔、とても理不尽なことを言われたことがある。
貴方には二つの腕がある、相手にも二つの腕がある。貴方には二つの足がある、相手にも二つの足がある。指も十本あるし、頭だって同じく一つだ。
なら、どうしてあの子に出来て貴方にできないの、と。
理由を教えて欲しいと問いかけてくるあの人に、当時はかなり理不尽なことを言われているなと思いながらも、反論できない自分が情けなかった。
要するにあの人は、『相手も人間なら貴方も人間、やればできるからやりなさい』と言いたかったのだろう。
けれど、だ。その理屈が通るならば誰だってアインシュタインになれるし、誰だって戦国無双ができるってことにならないだろうか。
本当に、どうしょうもなく明らかに理不尽で、言われた時は不条理を噛みしめたものだが。
「確かに、その通りですね」
不知火は小さくため息をついた。
海面に倒れている叢雲は、先ほどまで威勢良く叫んでいたのだが、たった数分の訓練で体力が尽きてしまうなんて。
あの優しい、時に仲間のためなら心を鬼にして、的確にアドバイスをくれる初期艦殿が『問題外』と一蹴したらしいが、本当にその通りだ。
動きが拙い、体の使い方が全くなってない。練度は確かに高いのだろうが、砲撃と魚雷を『使える』だけで、人の形をしている意味をまったく生かしていない。
右手で真っ直ぐに砲を構える、あるいは艤装で支えて砲撃するにしても、ただ構えて撃てばいいというものではない。アームで支えたり、腕で支えたりする違いはあるが、左右と上にだけ砲を向けていた艦とは違い、下であったり斜めであったりと、様々な角度で砲撃できるはずなのに、馬鹿の一つ覚えのように真っ直ぐと撃つなんて。
魚雷もそうだ。吹雪型なのに叢雲は、魚雷発射管が足に固定されていない。左腕に固定されているのだから、魚雷もただ真っ直ぐに放たなくてもいいのに、どうして真っ直ぐ前にのみ撃とうとするのか。
航行しながら左手を下に向けて少しだけ傾けて発射すれば、相手からは見えなように狙えるのに。
そこで不知火は考えるのを止めた。ひょっとして昔の自分は、今の叢雲のように無様な戦い方をしていたのか、それを周りは『仕方ないな』と笑いながら教えてくれていたのか。
良かった、本当に良かったと心から安堵してしまう。もしそうだとしたら、『問題外』なんて放り出されなくて、本当に良かったと感じる。
「終わりですか?」
昔の幸運よりも、今は教導だ。まだ海面から動けずにいる叢雲に声をかけると、彼女は顔を少しだけ挙げて睨むように見てくる。
「結構、気合は十分ですね。けれど、それだけでは『何もしてない』のと同じです」
反論はない、声を出せないくらいに消耗しているのか、まさかあんな程度の艦隊軌道で疲れ果てるなんて。
本当にどうしよう、これを八丈島鎮守府レベルまで鍛える。それも、一度は問題外と言い放った初期艦殿が納得できるレベルまで。
無理ではないだろうか。
半ば不可能なだと思いながらも、不知火は空を見上げた。
何処までも青い空、高い天の向こう側は穏やかであるはずだ。穏やかであってほしい、心の底から願う。
『無様ですね』
時々、無線にとても冷たい声が入るから、本当に穏やかな世界であって欲しいと願ってしまう。
『貴方の主砲は飾りですか? 当てられて当然、撃てて当たり前。戦艦である誇りがあるなら、やりなさい』
轟音が海面を揺らしたり、爆風に飛ばされた艦娘らしい影が飛んで行ったり、そんな風景が横目に入ってくることがあるから、せめて穏やかな世界があればいいなと現実逃避してしまう。
普段は優しいのに、どうしてあんな凄味のある笑みを浮かべて、容赦なく砲撃を叩きこんでいるのか。ひょっとして、あの扶桑とは元々が鬼のように容赦ない砲撃をする艦娘なのか。
不知火はそんなことを考え、無意識に座り込んだ。その瞬間、先ほどまで不知火の頭があった場所を、何かが通り抜けた。
『あ、ごめんなさい、不知火。ちょっと殺気を感じてしまって、条件反射よ』
「いいえ」
危なかった、さすが戦艦のトップ、鎮守府の上位十名に入る実力者だ。あんな遠距離の内心の小さな呟きを、殺気として捕らえるなんて。
『本当にごめんなさいね。そうだ、後で間宮で何か御馳走させて。ね』
映像つきの通信が入り、穏やかに微笑む何時も通りの扶桑が映っていて。
「訓練中なら仕方ないことです。おかげで、いい訓練になりましたので」
『遠慮しないで。私も久しぶりに不知火とお茶をしたいから。ダメかしら?』
「そんなことありません、是非と答えます」
ポワポワイメージの近所のお姉さん、そんな雰囲気がぴったりと当てはまる扶桑の姿に、不知火は自然と頬が緩んでしまう。
だが、その背後、炎と衝撃が踊る場所を見てしまい、頬が引きつってしまった。
『それじゃ、訓練後にまた。金剛、貴方は本当に戦艦なの?』
通信が閉じる寸前、とても冷たい横顔をした彼女に、先ほどまでと同一人物とはとても思えなかったが。
「叢雲、そろそろ追撃しましょうか?」
不知火はそう告げながら、確信してしまう。きっと、あのように『死線を潜らせなければ強くなれない』のだろう、と。
ならば、ここは轟沈寸前まで追い込んで、追い詰めて、死ぬと思わせるほどの訓練をするのが定石か。
「ま、待って」
「それで敵が待ってくれるといいですね。では」
魚雷、ゼロ距離起爆。
海面を走らせるでもなく、放出するのでもなく、引き抜いた魚雷を真っ直ぐに叩きつけ、不知火は叢雲に轟沈判定を下したのでした。
デッド・ラインを越えてこそ、うちの鎮守府の艦娘ではないですか。
そんなバカな話をした不知火に、提督代行は頭痛がしてきた。
叢雲、轟沈判定。入渠中。
金剛、大破判定。現在、大破状態で訓練続行、砲撃訓練ではなく航行訓練を『科した』。
こっちも異常じゃないか。いや、あの初期の頃の訓練を思えばまだ常識的な訓練だろうか。吹雪がやっていた訓練と比べたら、まだまだ叢雲と金剛の訓練は常識の範囲内。
まだ取り返せる、まだ引き返せる。そう、常識的だ。
「なんて、言うと思いますか?」
「思いません」
直立不動で立つ不知火と扶桑に、小さくため息をついた。
まったく考えなしではないか、技量と練度は高いのに体の使い方や艤装の使い方が、根本的に艦のままだから、それを矯正したいと考えて、あえてきつい訓練をしていたのだろう。
きっと、そうなんだと思いたい。八当たりとか、そんなことする二人じゃないと信じているから、きっとそうだ。
「二人の教導艦は私と不知火です、訓練内容は一任してもらえると考えていました」
「確かに、二人の教導は任せました。でも、それは常識の範囲内で、です」
「常識の範囲内です」
間髪入れずに答える扶桑に、何処がといい掛けて、提督代行は言葉を飲み込んだ。
確かに、常識の範囲内だ。あの吹雪が受けた訓練を考えれば、まだ一対一の訓練、お互いの艤装の数は同じだけ。別の艤装があったり、ミサイルが降り注いだり、空間を埋め尽くす砲弾が降ってきたりしないだけ、常識的な訓練ではないだろうか。
眷獣が暴れ回ったわけでもなく、宝具の雨を進ませたわけでもないのだから、まだ艦娘として常識的な訓練だろう。
「た、確かに」
誠に遺憾ではあるが、提督代行はそう答えるしかなかった。考えてみれば、最初の頃に吹雪に対してしてしまった訓練が、それを標準にしないように最高レベルとして何とか言いくるめた、それが今になって自分の発言を縛るようになるなんて。
当時の自分がいたら、真っ先に言って説得して辞めさせる。絶対に、と提督代行が意味のないことを考えている間も、二人は立ったまま待っていた。
「と、とにかくです。叢雲と金剛の訓練ですが、やり過ぎて二人を潰さないように。あの二人は、提督自らが誘ったようなものですから」
だから潰すな、そう考えて伝えたのだが、何故か不知火と扶桑から漂う気配が鋭く冷たくなってしまった。
「提督、自らが、ですか?」
不知火の口調がとても冷たい、まるで刃のように鋭い。
「まあ、それはそれは」
扶桑は笑っているのだが、何処か冷たく氷のようだ。
これは地雷を踏み抜いたか、と提督代行は自分の迂闊な発言を後悔したのだが、言ってしまったことは取り消せない。
「二人の教導訓練は内容の報告を義務付けます、いいですね?」
せめて、内容を把握して問題があれば修正しよう、提督代行はそう結論をつけて、不知火と扶桑に告げる。
「解りました」
返答は二人揃って同時に。まったく乱れない動作に、見事と褒めたくなるのだが、ここで褒めたらまた別方向に飛んで行きそうで怖いので、褒めることなく退出を許可した。
「大淀、訓練用艤装は入念のチェックするように妖精とバッタ達に通達しましょう」
「はい、後は回復弾の増産も明石に命じておきますね」
「お願いします。さて、これでどうにか」
なってほしいと切実に願う提督代行は、そのまま他の書類の処理へと入って行ったのだが。
二時間後、訓練場から響いた轟音で『あ、やっぱり無理でしたね』と諦めるしかない現実を知ったのでした。
広い海に、青い空。何処までも続く世界の中、真っ直ぐに見詰めて竿を振る幸せ。
「ん~~~しっかし、いいのかなぁ?」
釣り糸を垂らしながら、テラ・エーテル提督は休暇を満喫していた。
「いいんじゃないの」
彼の隣では、白いワンピース、しかもミニスカなんて世間の色々な人たちを魅了するような、そんな服装を纏った瑞鳳がいて、頭には麦わら帽子をかぶっている。
そして、同じように釣り糸を垂らしていた。
「提督、休んでないって提督代行と大淀が怒っていたよ」
「休暇って言われてもなぁ。俺って元々、休暇って考えたことなかったし」
皇帝になったら、色々な所に行ったり来たりして、休むなんて考えはなかったからな、とテラは口の中で言葉を転がす。
「休みは大切だよ」
口をちょっと尖らせて、瑞鳳はそう告げた。
「休みねぇ、そんなことより動いていた方が好きなんだけどな」
「大切です!」
まったく聞いてくれない提督に、瑞鳳は口調を荒く告げた。
この人は自分が偉いとか、この鎮守府のトップである自覚がない。そもそも敬語が『何それおいしいの』って、どういうことだろうか。敬語で話しかけていたら、『堅苦しい、ダメ、許さない』とか言いだすなんて。
あのまま敬語を使っていたら、ひょっとしたら提督命令とか言いそう。瑞鳳はそんなことを考えて、まさかぁと否定しておく。
「そんなもんかな」
「そんなもんだよ。提督、釣り糸、引いてない?」
「引いてるな。でも、釣りって釣竿を持っていかれてからが勝負じゃないの?」
「何処の世界の釣りの話?」
時々、この提督は意味不明なことを言うな、と思う。常識がまったくないんじゃないかって行動を、当然のように行うことがあるのは、本当に常識を知らないからかもしれない。
人のことを、瑞鳳は言えないのだが、自分のことは棚に上げて提督のことを考えていた。
「だってさ、ほら簡単」
片腕で釣竿を持ち上げると、いとの先、釣り針にかかった魚が宙を舞って、そのまま後ろにあるクーラーボックスに入った。
しかも、だ。落下の瞬間に釣り針を外し、勢いを殺しているから、魚に傷一つない。
「え、提督、嘘、本当にそんなことできるの」
「簡単だって、こうグッて引いて振って引いてな」
「擬音じゃ解らないって」
まったくこの人は。自分が出来ることは他人もできる、そんな考えで生きているのではないだろうか。
出来ることとできないことがある、努力しても無理なものは無理だと瑞鳳は思うのだが、提督はまったく違うらしい。
「簡単だって。ほら」
「て、提督」
後ろから抱えるように抱きすくめられ、瑞鳳の頬が一気に温度を上げた。
「釣れた、これで挙げて」
「うん」
「ほら、出来た」
「うん」
「瑞鳳、聞いている?」
「・・・・・提督、私は艦娘だけど、女の子だからね?」
ちょっと恨みを込めて見上げるように、赤い顔で睨む瑞鳳。
一方テラは、ちょっとだけきょとんとした顔の後、フッと笑った。
「知っている」
「お、女の子を後ろから抱き締めるのって、ずるいと思う」
「まあ、そうだな。でも、吹雪なら喜々として顔真っ赤にして喜ぶけど」
「あ~~~」
瑞鳳は、その光景が容易に想像できた。
鬼とか修羅とか、そんなことを言われる吹雪だが、私生活では凄い純情な乙女なのは誰もが知っていること。
もし彼女が提督に抱きしめられたら、ご褒美を貰った犬のように有頂天になって喜ぶだろう。
「それとな、瑞鳳」
「何?」
「女の子だって言うなら、ワンピースのミニスカで海辺に寄るなよ」
「何で?」
「いや、スカートめくれてる」
瞬間、彼女は盛大な叫び声をあげて提督を突き飛ばしたのでした。
潮騒が耳を打つ、波が寄せては返す防波堤を二人が歩く。
「提督の意地悪」
「あんな恰好で来る瑞鳳が悪い。第一、男の前で無防備なんて、世間知らずと言われても文句が言えないぞ」
釣りが終わって戻る途中、瑞鳳は提督の後ろを歩いていた。スカートの裾を握っているのは、決して今更になって恥ずかしくなったとか、防衛本能が刺激されたからではない。
「提督なら、いいかなぁって」
小さく呟く声は、波の音で言った本人さえ聞こえないほどだったのに、提督は振り返って微笑した。
「光栄だね、姫様」
小さくウィンク一つして、提督は再び前を向いた。
瑞鳳は、また体温が上がるのを感じた。まったく本当にずるい人だ、ああやって煽っておくのに、手を出してくれることなんてない。
八丈島鎮守府の艦娘達は、誰もが提督のことを好きなのに、誰かが手を出されたなんて話は聞かない。あの初期艦の吹雪でさえ、もだ。
この人にとって、艦娘はひょっとして人間ではないのだろうか。
他の鎮守府では提督の立場を利用して、艦娘と無理やりにって話はよくあるらしい。艦娘は全員が美人で、そんな艦娘を指揮下に置いている提督は、命令を聞いてくれる艦娘に少しずつ邪な想いを抱いていくらしい。
けど、この鎮守府ではそれがない。
手を握ったり、抱きしめてくれたりしても、提督は何処か異性としてではなく『娘』として接しているような雰囲気がある。
「お~~やってるなぁ」
提督が横を向いていた。その目線を追っていくと、爆風に吹き飛ばされる金剛と、不知火に沈められている叢雲の姿があった。
「まだまだ荒いね、あんなんで艦隊機動が出来るのかな?」
「さてな。でも二人の決意は本物だからさ、まあしばらくは様子見かな」
「提督が二人を説得したんだよね?」
「そうなるかな」
あっさりと認める提督に、瑞鳳の中で嫌な気持ちが膨れ上がる。
「ひょっとして、好みとか?」
思わず口をついて出た言葉に、提督は立ち止まり振り返った。
「さあ、どうだろうな」
ニヤリと笑う彼は、大人っていうよりは悪戯っ子のように見えた。
それっきり、その話題はどちらからも出ずに、二人は鎮守府へと戻ったのでした。
「吹雪さん、聞いてもいい?」
「なんですか?」
「提督に抱きしめられたことってあるの?」
「ふぇ?! ず、瑞鳳、それはトップ・シークレットです。誰かに話したら」
「話したら?」
「沈めます」
「了解」
その時の吹雪は、どんな状況で見た彼女よりも怖かったと、瑞鳳は思ったという。
本当だよ、提督って艦娘のこと、娘みたいに扱うんだから。
私達は当時から、提督にならって思っていたのに。
誰もが本気だったよ、提督になら何されてもいいって思っていたのに。
まったく酷いよね、提督って本当に男なのか、ちょっと疑問だよ。