最初に会ったとき、とても奇妙だったっぽい?
あの人は私を知っているのに、私はあの人を知らない。
そんな人だったっぽいよ?
浮かぶ、沈む、体は何処までも浮かんで行くのに、心は何処までも沈んでいくような曖昧な海の底。
ゆっくりと瞳を開けば、遠くに光が見えて。
手を伸ばそうにも、自分の手が自分のものだって理解できなくて。
理解して、答えてと伸ばした手は、ゆっくりと泡沫に溶けて行って。
そして不意に、空が見えた。
駆逐艦『夕立』ドロップ。
その時、珍しく大淀とルリが執務室を留守にしていた。
不意になった通信機を手に取ったテラは、何気なく答えた。
「は~い、こちら八丈島鎮守府」
『あ、すみません、ちょっとお願いがあるんですけど』
相手は近隣に艦隊を出したものの、ちょっと強敵がいて退避できない鎮守府の提督だった。
『どうか救助をお願いできませんか?』
普通ならこんな通信は軍令部を通すのに。鎮守府同士の連携が取れていないわけではなく、こういった横の繋がりを増やしてしまうと、いざ軍令部からの命令を出した時、各鎮守府の艦娘が出撃できないって事態にならないよう、各鎮守府の戦力を正確に軍令部が把握したいから、こういったことは基本的に禁止としている。
ただ、どうしても危ない時には事後報告でもいいと暗黙の了解にはなっているが。
「うん、いいよ。誰が出ても恨まないなら」
『ありがとうございます。お礼に資源はこちらで』
「いいっていいって。俺も久しぶりに暴れたいし」
気楽に答えたテラ提督に、相手の提督は『へ?』と返したのだが、時はすでに遅かった。
テラの個人端末で吹雪に連絡。相手は数秒で出た。
「吹雪、暇?」
『はい!』
元気に答える吹雪の後ろが海だったような気がするが、テラは暇ならいいかなと思いつつスケジュールを確認。
「実地訓練中なら、他の誰かとか」
『ふぇ?』
泣きそうな顔の吹雪が全面に映し出され、テラは言葉を止めた。
うん、これは他の誰かを選んだら、しばらくは吹雪が落ち込むだろう。彼女が落ち込んだら、他の艦娘への教導や訓練が地獄にならないか。
待った、いい考えがある。彼は閃いた。
「吹雪、今さ、誰と一緒に訓練中?」
つまり吹雪の訓練相手を巻き込んで、出撃してしまえばいい、と。
『はい! 暁と荒潮、それに川内と艦隊突撃についての考察しています』
「ナイスタイミング。他には?」
『遠くで不知火が叢雲の教導していますね』
これで五隻。念のためにもう少し欲しいなとテラは頭の中で考え、スケジュールを次々に表示させていく。
『空母ですか? 戦艦ですか?』
「火力かなぁ。いや、赤城や加賀がいればいいんだけど」
『瑞鶴と大鳳が航空機訓練していますね』
そっか、その二人がいるか。なかなか、面白い編成になりそうだ。
『後、扶桑が金剛の教導訓練を始めるところです』
これで九隻。中々、いい数字ではないか。
「よっし、じゃあ全員、『実弾装備』で待機。ちょっと救助要請に出撃」
『解りました』
何故か、吹雪の声が少し落ちた。気分でも悪いのかとテラは思ったが、確認することなく通信を閉じる。
続いて明石へ連絡を、と工廠へと通信を入れると、何故か出たのは夕張だった。
『提督、どうしました?』
「ちょっと出撃するから俺の艤装、準備よろしく」
『解りました』
何故とかどうしてって疑問を返すことなく、夕張は答えて作業に入ってくれた。さすがに反論や拒否はないか。あまりにすんなりいきすぎて、ちょっとつまらないが。
テラはそんなことを思いながらも、通信機へと声を向けた。
「で、座標は?」
楽しくなってきた、そんなことを思いながら。
通信を閉じた吹雪が振り返る。
「暁! 荒潮! 川内! 不知火! 叢雲! 瑞鶴! 大鳳! 扶桑! 金剛! 全員へ提督より出撃命令を受けた! 速やかに艤装を実弾装備にして待機!」
瞬間、空気が変わった。叢雲と金剛が僅かに遅れたが、それでも訓練では見たことないほどの顔つきになる。
よし、と吹雪は全員を見回した後、とても重要な内容を付け加える。
「今回の出撃、私達は『提督の随伴艦』です。いいですね?」
その意味を理解していない艦娘は、この場にはいなかった。
普段は出撃しない提督の、随伴艦を承った。昔はよく出撃していたが、八丈島になってからは、一度も動いていない提督の艦隊への編成。
それはつまり、提督直轄艦隊。名実ともに第一艦隊、実力がどうとか、艤装の性能や経験値が、なんてことが『言い訳』に聞こえるくらいの勅書をもらったような栄誉だ。
「無様な動きをしたら、私が『沈め』ます。いいですね?」
「はい!」
「では各員、準備に怠りがないように。何度もいいますが、提督との出撃です。普段の私たちの訓練は、この為にあるようなものです。ここで実力以上のものが出せないなら」
吹雪はそこで言葉を止めて、フッと微笑んだ。
無言の圧力、言葉など出さなくても誰の心にも届いた一言。
『そんな無様な艦娘は、存在を許さない』と。
ゴクリと誰かが唾を飲み込み、生み出された何かを無理やりに飲み込む。心の中を侵食してくるような何か、それが『恐怖』であったのかどうかは解らないが、なんであれ無理に飲み込んで忘れる。
「では準備に入れ」
動きだしたのは誰が速かったか。一斉にその場で旋回、速やかに発進ドックへと戻って行く。
「・・・・・・・吹雪、ちょっと気負い過ぎじゃない?」
その途中、最後尾を進んでいた暁は、隣を進む吹雪に声をかけた。
「ごめんなさい」
「あのね、久し振りの提督と
「うん、うん、そうなんだよね。久しぶりに提督と
青い顔で項垂れている吹雪に、暁は小さく首を振った。
「だから、『鬼神』とか、『恐怖の初期艦』とか言われるのよ」
「ええ?! 待って待って! そんなに怖いかな私?!」
半ば涙目になって叫ぶ吹雪を見た暁は、そのまま視線を空へと向けた。
「まあ、そうね」
事実を言うべきか、あるいは真実を伝えた方が彼女のためか。訓練の時の怖さが皆に生き残ってほしいから、そんな不器用な優しさなのは誰もが知っているけど、理解と納得は別物だから。
怖いものは怖い、だから吹雪は怖い。そんな結論が出ているが、誰もが表だって言わないのは訓練以外は何処にでもいる、普通の女の子。ちょっと頼りになる年下に見えるけど、確実に年上の女の子だからだろうか。
「試しにちょっと可愛く言ってみたら?」
暁は答えを伝えることを止めた。
自分達は吹雪が怖いと思っていないし、川内達もそうだ。ただ、不知火あたりが微妙なので答えを出せなかったかもしれない。
「そっか。じゃあ皆、頑張ろうね!」
笑顔一閃。元気よく可愛く、普通の女の子って顔で片手をあげて伝えると、前を進んでいた艦娘達が一斉に振り返り。
「必死にやります!」
と、蒼白な顔で告げたのでした。
「結論は?」
呆れた顔の暁の質問に、吹雪は泣きそうな顔をしたのでした。
そして、テラを出迎えた艦娘達は全員が悲壮な決意をしていたりする。
「え? いや普通に戦って普通に戻るだけだからさ」
なんだろう、とテラは思う。この重苦しい雰囲気は。誰が決死隊を願ったのか、それとも決死隊になるような海域だったのか。
「提督」
「あ、うん、解った」
泣きそうな吹雪の顔で、全てを察した。
これは気合を入れた吹雪の気合に、全員が緊張感に包まれてしまい、止められなくなって決死隊の雰囲気になったのか。
「で、さ、夕張、何をしてんの?」
「え? 私も」
一方で、全員の艤装を実弾装備に変更した明石と夕張だったが、最後の吹雪の艤装が完了した直後、夕張も艤装を用意し始めたので、テラは思わずツッコミを入れた。
「いや、夕張は残って明石と艤装の開発とかあるんじゃないか?」
「そんなの何時でもできますから!」
必死に言い張る彼女に、何があったのかとテラは疑問に思う。
いったい、何が夕張にあったのか。ここまで必死な彼女も珍しい、いや最初の訓練の時もこんな感じだったか。それとも最近は出撃から外されているから、ストレスがたまっていたとか、あるいは技量が落ちていないか不安になってきたか。
「提督!」
グッと迫る夕張に、テラは頭をなでながら思う。
まあ、いいか、と。
「よっし、行くか」
笑顔で離れていく夕張を見送った後、テラは艤装に話しかける。
ビシっと敬礼をしてくる妖精たちは、とても凄味のある顔をしていた。あれ、他の艤装の妖精と風貌が明らかに違う、これは某世紀末に出てきても違和感ないほどの表情をしているのだが、どうしたことだろう。
鍛え過ぎたか。いや鍛えないと自分の艤装では、『鈍く過ぎて扱い辛い』から、これは仕方ないことか。
艤装は仕方がない、航空機はどうだ。主砲は。次々に出てくる妖精たちの風貌が、某人斬り集団みたいだったり、あるいは戦国時代の首おいてけだったりしたが、テラは気にしないことにした。
「明石さ、この艤装って誰か使っていた?」
「いえ、提督以外ですと」
「そっか」
「提督代行が、時々は持ち出していたくらいです」
「あ、うん」
納得。そっか、それでか。
「提督だって、三日間耐久訓練とか、単艦敵海域突破とかやったじゃないですか」
もっと納得、いや若気の至りとはこう言うことか。中学生がなる病気が、大人になって精神的ダメージを与えるなんて、嘘だと思っていたが本当のことらしい。
そんな気分に、笑顔を無理やりに浮かべたテラは、片手を上げた。
「艦隊前へ!」
「オー!!!」
鬱陶しい気分は戦場に突撃して晴らすに限る。テラ・エーテル提督は、そんな無茶な理屈で出撃していった。
一方、執務室では。
『ちょっと出撃してきます。夕飯までには帰ります』なんて書かれた、起き手紙を見つけた提督代行がいた。
「大淀、解っていますね?」
「はい提督代行」
二人は起き手紙をゆっくりと提督の執務机に置き、それぞれの席に戻ってイスに座った。
「今のうちに処理できる書類はすべてやりなさい!」
「はい! 私の全力を持って頑張ります!」
「提督がいない今こそ! 今なら書類が無事に終わります!」
「不意に奪われることないってサイコー!」
「ああもう! 私の両手はどうして二つしかないんですか!?」
「もっともっと書類を! もっと処理を速く!」
半狂乱になった二人は、鬼気迫るほどの気配で、書類処理を行ったのでした。
全員がレベル90とか言っている艦隊が、初期海域に突撃したらどうなるでしょう。
レベルって概念を壊している化け物が、三匹ほど混じっていたりするが、気にしてはいけません。
魚雷を叩きつけるなんて甘いことは言わず、魚雷を突き刺したり、主砲を突き刺した後に砲撃して砕くとか、亜音速で海上を突き進むとかしている集団ですが、いたって普通の艦娘ですので。
答え、苦戦していた艦隊の救助に、五分もかからず。
「おっし、終わりか? 終わりだなぁ」
「提督、あっちに敵がいそうですよ。もっと先に行きませんか?」
「いいね、吹雪。でもな、全員が動けるかどうか」
「問題ありません!」
「ほら大丈夫ですから!」
嬉しそうに全員からの返答にのっかる初期艦に、テラはどうするかと悩んだ。すでに救助した艦隊は退避済み、安全海域に入ったことは偵察機が確認した。
一方でこちらは、と言うと。
金剛、海面に突っ伏しています。
叢雲、漂って流されそうなところを不知火が捕まえています。
「いや戻ろうか」
「・・・・」
吹雪、無言で無表情に顔を向ける。
目的はあの二人、まったく情けない姿をさらしている二人を見つめた後、ゆっくりと動き出す。
お説教か、あるいは苦言か。見守るテラの視界の中、吹雪は深呼吸して二人の前に立ち、小さく二人の頭を撫でた。
「不本意で怒っています。でも、あんな短期間の訓練でよく付いてきました。よくできましたね」
ニッコリほほ笑む吹雪に、叢雲と金剛が顔を上げ、小さく頬を染めた。
その瞬間、誰もが思った。
あ、またやった、と。
このギャップがあるから、吹雪は怖がられながらも嫌われないのか。あるいは崇拝されたり、敬愛されたりするのかもしれない。
「じゃあ提督」
「ああ」
戻るか、そうテラが告げようとした瞬間、海面から何かが浮かんできた。
瞬間的に誰もが艤装を構え、狙いをつけようとして、それが何かを知った。
「ぽい?」
艤装をつけて艦娘がそこにいた。
「貴方は」
小さく呟いた言葉は、叢雲のもの。
彼女は信じられないものを見たように、その子を見たまま固まっていた。
「夕、立」
「ぽい?」
恐る恐ると名を呼ぶ叢雲に対して、彼女は小さく首を傾げたのだった。
艦娘は同じ顔、同じ姿で生まれることがあるから。
誰だって覚悟はしていたし、思い知ることもある。同じ鎮守府の所属じゃなければ、別人だって思えるけど。
例えばそれが、同じ鎮守府で同じ艦娘だったら?
そうね、そうなった時は覚悟を決めて向き合うか、別人だって思いこむしかないのよ。
私たち艦娘は、ね。