月城さんの家は代々医学に携わる家系らしい。
日本史に出てくるような時代から医学に関わり、時に蘭学を学び最新の医療を国内に広めてきた。そんな家柄に生まれれば医師にならないという選択はきっとなかっただろう。
けどそもそも月城さんは天才だった。誰かと競うこともなく挫折することもなく外科医になり、さらに天才と称される人になる。
そんな月城さんは、本人いわく天狗になっていた時期があったらしい。俺の知らないところで傲慢で世間知らずな天才は「自分ならどんな患者も救える」と自負していた。
俺がヒーローを見つけたあの時、月城さんが俺に向けてくれた言葉。「失敗しない」というのは俺を激励するためでもなんでもなかった。
その点では僕は徳川君と似ているかもしれないねと、昔話の合間に月城さんが笑う。
俺もそれは否定しない。
俺にとって月城さんはヒーロー以外の何者でもないけど、徳川も誰かのヒーローになれる男だから。
俺が何も知らないガキで月城さんが傲慢な天才だった頃、月城さんは親の薦めで見合い結婚をした。
月城さんの家は代々医学に携わる家系で歴史も古い。あげく月城さんは天才だったから、その血を残すことを強く望まれていた。
結婚した月城さんはしばらく何事もなく過ごしてた。傲慢なままたくさんの人を救い、救った人たちの病後を見守る。
そんな中、とある病気が生まれ静かに広まり始めた。発症したら治らない病。先祖帰りだ呪いだと風評が世界を駆け巡るのはすぐのことだった。
月城さんがいくら天才でも、当時はその病が何なのかすらわからない時代だった。そこで月城さんは初めての挫折を味わう。
天才外科医である月城さんは獣症腫瘍を切ることで治すことができる人だった。しかし当時、とある医師が開腹を試みたところ、執刀に関わった職員全員を感染させる事故が起きた。
今の時代なら腫瘍を傷付けることで腫瘍内のウイルスが飛沫し感染すると理解されている。そのため現在は必要レベルに達しない者の手術は認められていない。
しかしあの当時はそこまで理解が到達していなかった。
そしてだからこそ外科手術は治療法として認められないものになっていた。
何人もの患者の絶望と死を眺めながら、月城さんは苦しい時期を過ごしていた。
そんな中、月城さんは奥さんから離婚の申し出をされる。結婚とはそもそも愛する相手とするものだというのが奥さんの主張だったらしい。
それに納得した月城さんは奥さんの望みを快諾して離婚する。
結婚当初の月城さんは恋だの愛だのには興味がなかった。けど亡くなる人たちとそれに泣く遺族を見続けることで少しずつ意識が変わっていく。
そんな時に長年経過を観察していた少年から告白された。
幼い子供の頃に救った患者は順調に成長して誰かを愛せる人になっていた。その成長を嬉しく思いながら、月城さんは少し残念にも感じた。
その時には既に月城さんは実家から戻るよう言われていたからだ。
そこまで語られた俺は自分の記憶との合致点を見つけた。
「新しい担当医師、若い女性医師でしたよね」
あの時の事を問いかけた俺の目の前で月城さんが笑う。
「君が男の僕に告白する時点で道を踏み外していることを心配した部分はあるんだよ」
だけどと月城さんは言葉を続ける。
「女性に取られてしまうのなら納得するけど、男に取られてしまうのは悔しいからね」
僕は自分の外見が優れていると思っていないから。笑いながらそう言い放つ月城さんに、俺は否定したくてもできない思いに苦笑いを噛み締めた。
そもそも俺は月城さんの見た目に惚れたわけじゃねぇから。
「光秀くん、僕はね」
広いホテルの室内で月城さんはゆったりとソファに座っていた。テーブルの上ではカップの紅茶がとっくに冷めきっている。
月城さんは冷めたカップを手に持ちながら口を開いた。
「獣症という名前が付けられるまで、あのアルベルト先生が世に出るまで闇の中にいたんだよ。救えるはずの患者を見捨てなければならない苦しみの中でもがいていた。だけどそんな僕に光をくれたのは君からの告白だったんだ」
だからね、と言いながら月城さんは冷めた紅茶を飲んだ。
「苦しむ君を救う役目を誰にも譲りたくないんだよ」
「俺は苦しんでるわけではないと……思うのですが」
自信はかなりねぇんだけど、俺は苦しんでない。部下に恵まれてるし、一番の部下も過去の傷を乗り越えられた。だから俺自身の無能さ以外に何の問題もない。
「無力感に押し潰されて死にそうな顔をしていたのにかい?」
「すみません。苦しんでました」
月城さん相手に見栄をはろうとか考えた俺がバカだった。
「これからは君もひとりで抱え込んで苦しんだりしてはいけないよ。可愛い恋人を救えない不甲斐ない男になりたくないからね」
「いや、すみません。月城さんにこう言うのはなんですが……可愛いって言われる年じゃないというか……」
もう俺は35歳で自他ともに認めるオッサンだ。そんな俺を可愛いと表現するのはかなり問題がある。
そう訴えた俺の目の前で月城さんはやっぱり嬉しそうに笑う。
「君は今も昔も可愛い子だよ」
十にも満たないガキの頃に出会ったヒーローは、今も変わらずに俺の上にいてくれる。けどどうやら俺に対する感覚もあの頃とまったく変わってないらしい。
けど考えてみたら昔の月城さんってこんなだったかもしれない。
ヨレヨレの白衣を着てフラフラ歩いていた頃の月城さんはかなりのんきなヒーローだった。
ガキだった俺が心配するほどにのんきで、テレビ番組の話題もついていけないほどだった気がする。
もちろん多忙な月城さんが子供の見るような番組を見るわけがないんだけどさ。
けど院長に上り詰めるまで努力をしてきた人だから、世間一般的な遊びも恋愛もする暇がなかったんだろう。だから結婚も離婚も月城さんの中ですんなり過去のことになってる。
だとしたら恋人だからって意気込むこともないってことか。そう考えると少し気が楽になる気がする。
「ありがとうございます。あー……」
「とりあえず君は今日1日ゆっくり休みなさい。恋人からの命令だよ」
何て返せば良いのかわからない俺を救うように笑った月城さんはからのカップ をテーブルに置いた。さらに立ち上がると念を押すように安静にと繰り返す。
それは恋人というよりも主治医に近い雰囲気で俺は自然と肩の力を抜いていた。