「やはり、納得いきませぬ!」
一人の少女が勢いよく立ち上がり、机を強く手で叩いた。ぱん、という乾いた音と共に湯呑がグラグラと揺れ、中身が幾らか零れてしまう。
「布都、気持ちは分かるが落ち着けよ。お茶が勿体ない」
「だが、屠自古よ! こんな暴虐が許されていいはずが無いだろう!」
後ろに括られている銀色の髪をぶんぶんと振りまわしながら、布都は屠自古の襟を持ち大きく揺さぶっている。屠自古は、それを面倒そうに手で引き離そうとしているが、中々上手くいかないようで、肩をすくめて私に助けを求めた。
「太子様。こいつを何とかして下さい」
「分かってるよ。布都、少し落ち着いてくれ。騒いで解決することは屠自古の寝坊癖ぐらいだ」
「そ、そうですな太子様。いやはや屠自古も困ったもんじゃのう」
「おい布都、お前は何年寝てたと思ってる。1200年だぞ。人のこと言えないじゃんよ」
「ふむ、屠自古。つまり私も寝坊したということになるのか?」
「あ、いえ。太子様は別です」
「何じゃと!?」
二人の同胞が乳繰り合っているのを眺めているのは、案外に楽しいものだ。だが、それよりも解決しなければならない問題もある。
「命蓮寺が爆発炎上。幸いすぐに鎮火されたものの、建物が一部損壊、か。それで向こうは布都に謝罪を要求しているってことだね」
「まあ、要するにこいつが謝りに行けばいいだけの話ですけど」
「待ってくれ屠自古!」
勘弁ならない、といった様子で立ち上がった布都は、目の端に涙を浮かべながら、両手を子供の様に振った。いつも幼い仕草をしている彼女にしても、それはいささか幼稚すぎる。
「今回に限って我はやっておらぬ。冤罪じゃ!」
「そんなこと言われてもな」
緑の綺麗な髪をがしがしと掻いた屠自古は私に向かい肩をすくめた。纏わりつく布都を鬱陶しそうに剥がしながらも、その頬は緩んでいる。怨霊とされた憎き相手に対して、どうやってそこまで打ち解けだのかは分からないが、従者の仲がいいのは良いことだ。
「毎日のように真昼間から放火しに行ってるやつの言葉には、説得力がない。しかもお前“放火に来たぞ!”だなんていつも叫びやがって。私が恥ずかしいわ」
「なんじゃと!」
「しかもお前。最近夜は酒屋に入り浸ってるそうじゃないか。金もたくさん使ったらしいじゃないか。守屋の巫女から聞いたぞ。昼は放火で夜は酒浸りだなんて、信用されるわけないだろ」
「そんな殺生なぁ」
縋るような目でこちらを見てくる布都には悪いが、今回は屠自古の言い分が完全に正しい。
「布都。事の真偽がどうであれ、疑われるだけの土壌を作ってしまった事態に責任がある。日々の行いが大切なのだ。その人の信頼に関わる」
「そうだぞ布都。常日頃から自分の行動を省みないから、こういうことになるんだ。真面目な太子様は、いつも聡明な行動をとっているから、そう思われているんだ。お前はその逆だ。いつも馬鹿っぽいことをしているから馬鹿だと思われる」
「我だって、一応計算して毎日の行動を決めておるぞ」
「ああ悪かった。お前は馬鹿っぽいじゃなくて馬鹿だったな」
ぎゃあぎゃあと騒がしくなってきた二人をどうしようかと考えていると、こんこんと扉を叩く音がした。一瞬、青娥かと思ったが、彼女は律儀に扉から我が家に入ってきたことなどない。ということは、彼女では無いだろう。
どうやら騒がしかった二人も来客に気がついたようで、面倒そうに顔を顰めていた。ふよふよと空中を漂った屠自古が、私の前を通り、扉へと向かっていく。私もその後についていった。
結論から言えば、その来客は予想できたものだった。予想できるものだったと言ったものの、決して予想できていたわけではない。もし予想していたならば、決して扉を開かなかっただろう。後悔が頭をよぎる。目の前にいる三人組は、今一番会いたくない連中だった。
「ごきげんよう神子さん」
屠自古が扉を開いた瞬間、そいつは屈託のない笑顔で私を見上げてきた。相変わらず何を考えているか分からない笑みだ。
「布都さんと、お話がしたいんですが、いいですよね?」
命蓮寺の住職。聖白蓮の言葉に私は黙って頷くことしかできなかった。
我らが神霊廟の客間は、かなりの大きさがある。それこそ、何十人と入っても何の問題もないだろう。だが、今ここにいるのはたったの六人であるにも関わらず、息ができないほどに圧迫感を感じる。それは、私の隣にいる従者、それどころか、聖の両隣に座っている船幽霊と入道使いですら同じようで、真っ青な顔で俯いていた。
「まずは、急に押しかけてしまったにも関わらず、対応して下さってありがとうございます」
ぺこりと頭を下げた聖に続き、村紗と一輪も同じように首を垂れた。一体彼女たちが何を考えているか分からない。布都に謝罪を求めようとしているのなら、もっと高圧的な態度で来てもおかしくないのだが。
どうやらそう訝しんでいるのは私だけでは無い様で、屠自古も視線を右往左往させていた。それとは対照的に、布都だけは堂々と佇んでいる。むしろ誇らしげですらあった。
「貴重なお時間を頂戴してもらってるわけですし、早速本題に入りましょうか」
小さく、けれどもはきはきとそう言った聖は、懐から何かを取り出した。私はてっきり、魔法の巻物かなんかを取り出して、この神霊廟を同じように燃やし始めると思っていたので、それを止めようと手を伸ばしてしまう。が、実際に出てきたのは巻物ではなく、ただの大きな瓶だった。
「どうしたのですか? 神子さん」
「いや、なんでもないんだ」
誤魔化すように大きく咳ばらいをし、聖に向かい合う。
「それより、その瓶はなんだ。布都の件となんか関係があるのか」
え、ええ。と少し言葉を詰まらせた聖は、両隣の従者の頭をがしりと掴んだ。彼女たちの顔はもはや真っ白になっており、見ているこちらが悲しくなるほどだ。そして、示し合わせたわけでも無いだろうに、彼女たちは同時に言葉を発した。
「申し訳ございませんでした!」
聖を含めた三人が、額を畳に擦り付け始めた。いったい何が起きているのか分からなかった私は、隣にいた屠自古を肘でつついた。が、屠自古もよく分かっていないらしく、しきりに首を振っている。布都にも訊ねようと思ったが、とても楽しそうな笑みを浮かべている彼女に聞くのは、何故か憚られた。
「あの、どうか顔を上げてくれ」
「そういう訳にはいきません。私たちは大きな過ちを犯しました」
「なら、その体勢のままでいいから、その過ちとやらを話してくれ。謝罪される心当たりがないんだ」
私は冗談で言ったのだが、聖は本当に土下座をしたまま口を開き始めた。今更冗談だとも言い出せないので、そのまま話を聞く。
「あの日。命蓮寺が爆発したあの日」
「凄い導入だな」屠自古は意図したわけではないだろうが、鼻にさわるような言い方でそう言った。それでも聖は顔を上げない。
「必死で火を消した私たちは、すぐに原因を追究しようとしました。そして、すぐに思ったのです。あ、ついに神子さんのとこの馬鹿な尸解仙がやらかしたな、って」
「たぶん、私でもそう思うよ」
うんうん、と首を縦に振る私と屠自古に目もくれず、布都は何とも清々しい顔をしていた。いつもの布都とは思えないほどに、表情が変わらない。状況を理解できていないのだろうか。
「でも、違ったんですよ」
「え」
「原因は、これだったんです」
畳の上に置かれた、さっき取り出したばかりの瓶を、聖は献上物を差し出すように私に渡してきた。ゆっくりとそれを手に取る。それはどうやら、酒瓶のようだった。
「この酒瓶がどうかしたのか」
「この酒は、どうやら外の世界のものらしく、相当に強いものらしいんです。たしか名前はスピリタスだったような気がします。まあ、とにかくその強烈な酒は、あまりにも度が強いがために、適切に保存しなければ、火がついて爆発してしまうものだったらしく」
驚きの感情を顔に出さないようにしつつ、瓶に書かれた説明を読む。そこには確かに火気厳禁と書かれていた。それに加え、アルコール度数97%とも書かれている。なるほど、確かにこれは危険だ。
「この馬鹿弟子たちは、戒律を破って酒を飲もうとするだけでなく、こんな危険な酒を私に隠すためという理由のためだけに裏の倉庫に大量に保管して」
「大量に保管? どれくらいあったんだ?」
「ざっと50本ぐらいですかね」
「50!? なんでそんなに持ってんだよ」
たまらずといった様子で屠自古が身を乗り出した。その顔には呆れを通り越し、哀れみすら浮かべている。
「どうやら、酒屋に残っていた在庫を譲り受けたらしくて。それでこんなにも」
「馬鹿だなあ」
つい、口から言葉が零れ出た。だが、それも仕方がないだろう。あの命蓮寺の連中とはいえ、そこまで馬鹿なことをするとは思わなかった。
「しかもですね。布都さんは事件のあの日、夜に酒屋にいることをそこの店主に聞きまして」
そこで、なぜ彼女たちがここまでして謝っているかがようやく分かった。命蓮寺の爆発を、一方的に布都の責任にしたものの、実は身内の不躾が原因だっただなんて、赤っ恥もいいところだ。
「よくよく考えれば、布都さんは昼間にしか放火に来ませんでした。しかも宣言付きでしたし」
「そうじゃろそうじゃろ」
「なんで布都はそんなに得意げなんだよ」
もう一度、申し訳ございませんでした、と頭を下げる聖たちを尻目に、私はとあることを思いついた。それは、少し突拍子もないようにも思えたが、あり得なくもないとも思えた。一時気になってしまえば、そうとしか思えなくなってくる。
「まあ、この件の収拾は屠自古に一任するから」
「え、ちょっと」
「じゃあ、あとは四人で話しといてくれ。布都はちょっとついてこい」
ちょっとー、と屠自古の叫び声が聞こえたが、無視して隣の部屋へと移動する。後ろでニコニコと笑いながら着いてくる布都を見ると、こちらまで楽しい気分になってくる。そして、その頬の緩んでいる自分に気がついたとき、一抹の不安が数多に浮かんだ。
「それで? 太子様は我に何の用があったのですか?」
こてんと子供の様に首を傾げた布都は、ふむむと猫のように喉を鳴らした。その仕草はいつものように可愛らしい。
「いえ、いくつか疑問がありまして」
「疑問、ですか」
頭の中で、話したいことを整理する。命蓮寺のこと。外の酒のこと。そして、布都のことだ。
「命蓮寺の爆発の原因は、あの弟子たちが倉庫に保管した外の酒が原因だったらしいな」
「らしいですな。いやはや、馬鹿な奴らじゃ」
「だが、いくら燃料があろうと、火元がなければ爆発しない。そうだろ?」
布都の表情に変化はない。それが逆に真実を語っているようにも思えた。
「もしかすると、布都はあの日、深夜に倉庫に忍び込んだんじゃないか? そして火を放った」
「それはできませぬよ太子様。我はあの日いつも通り酒屋にいたのですから」
「それ。嘘だろ」
私は、半ば確信を持ちながら言った。
「最近、夜な夜な酒屋に言ってたのは、店主と仲良くなるためじゃないか? そして何らかの方法で、信用をえて、そう嘘の証言をしてもらった」
自分で話していくうちに、だんだんと頭が整理されていく。
「もしかして、外の世界の酒をお前が全部買い取ったんじゃないのか。大量に残っていた在庫を全て。それで恩を売った」
「ふむ」
「さらに、その酒を命蓮寺の連中が来たら、さも困ってます、といった感じで出してくれ、とそう頼んだ。違うか?」
「我には太子様が何を言ってるかよく分かりませぬ」
彼女の表情は、とても白を切っているようには見えなかった。本当に困惑しているようにも見える。それでも、私は言葉を続けた。
「布都がいつも真昼間に放火しに行っているのは、叫びながらバレバレの放火を仕掛けているのは今日のためだったんじゃないか?」
「何故そのようなことを」
「そうしたら、夜に放火をするなんて知能はないように思われるだろ」
布都は表情を崩し、純粋な笑みを私に向けた。その銀色の髪も相まって、幻想的にすら思える。そして、私の傍までくると、恭しく首を振った。
「我には太子様が何を言っているか、皆目見当もつきませぬ。ですが」
私に背を向け、屠自古の愛想笑いが聞こえる客間へと足を運ぶ。その後ろ姿は、何時ものようにとてとてとした子供っぽいものではなく、大人びた、優雅なものだった。
「ですが、日々の行いは大切ということを伝えておきます」
そういえば、一応計算して毎日の行動を決めておるとか言っていたな、と思い出した。もしかして布都は、いつも演技をしているのだろうか。私が聡明に思われるように堅実に生きているように、あえて馬鹿だと思われるように子供っぽく振舞っているのだろうか。
「そんな訳ないか」
いずれにせよ、物部の策士は一筋縄ではいかないことは確かだった。