東方短編集   作:ptagoon

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世界を救う油揚げ

 油揚げは世界を救う。八雲藍は、この言葉を気に入っていた。油揚げを溺愛し、一日に何度も食べている藍としては、その言葉に嘘はない。それほどまでに油揚げが好きだった。それこそ、計算高い妖怪であるはずなのに、油揚げを無くしただけで狼狽えてしまうほどには。

 

「いったい、どこで落としたのだろうか」

 

 人里の店で買ったのはつい先だ。もしかして、落としたのだろうか。そう思い引き返そうとするが、主である紫様に呼び出されていることを思い出した。流石に油揚げを探していたので遅れました、なんて言い訳は許してもらえないだろう。

 

「楽しみにしてたんだがな」

 

 肩を落とし、名残惜しそうに後ろを振り返るが、なにも落ちていない。紫様から頼まれた仕事が終わった後、おやつにと買ったものだった。いつもより上等で、値の張るものだ。それを無くしてしまった藍は、目端に涙を浮かべて、「楽しみだったのに」ともう一度呟いた。何かと忙しい藍にとっての楽しみは、自分の式である橙の面倒を見ることと、一日一つの油揚げだった。それを無くしたとなると、失望も大きい。とぼとぼと人里の道を進む藍の大きな九本の尻尾は、くたりとへこたれ、地面につきそうだった。

 

「ああ、本当についてないなあ」

 

 

 

 

「ああ、本当についてないなあ」

 

 依神紫苑は誰に言うでもなく、小さく呟いた。その声は人里に吹く秋特有の冷たい風が押し流していく。

 

 憑依異変が終わり、幻想郷の有力者たちがお互いに憑りつき合っていたなんて妙なことはもう起きていなかった。そうなると、貧乏神である紫苑の「自分も含めて不幸にする程度の能力」を有効に活用することなんて、もうできない。せめてこの能力を制御できればいいのだが、そんなこと、できるはずもなかった。

 

 その結果、残ったのは幻想郷の誰からも嫌われ、避けられるという悲劇だけだった。

 

「ああ、お腹空いたなあ」

 

 昨日食べたものを思い出そうとし、そこで初めて昨日は何も食べていないことに気がついた。空腹すぎて、何も考えることができない。

 

 ふと、前を見ると、甘味屋のおばちゃんが、小さく切られたどら焼きをお盆に載せて、道行く人々に声をかけているのが見えた。どうやら試食を配っているらしい。意識する間もなく、自然とそちらに足が進んでいた。こけないようにしっかりと、ゆっくりと進む。すると、近くでばさりと翼の羽ばたく音がした。嫌な予感がする。

 

「きゃあ!」

 

 目の前のおばちゃんが悲鳴をあげた。その顔辺りには黒い何かが纏わり付くようにして張り付いている。そのまま後ろに倒れ込んだおばちゃんは、手に持っていたお盆をひっくり返してしまっていた。よく見ると、その黒いものは烏だということが分かった。それも、三匹もいる。そいつらが地面に転がったどら焼きを速攻で啄み、そのまま飛びさってしまった。地面にはパンくず一つ残っていない。

 

「まったく、ついてないわねぇ」

 

 朗らかにそう笑い、店へと引っ込んでいったおばちゃんに向かい、心の中で頭を下げる。私のせいで、また一人不幸にしてしまった。

 

「ついてないなぁ。本当に」

 

 もはや、烏を恨むことすら出来ない。ゆらゆらと身体をふらつかせながら歩いていると、頭に何か生暖かいものを感じた。急いで手を伸ばす。粘り気のある、気持ちの悪い感触が襲った。もう、見なくともわかる。鳥のフンだ。空を見上げると、さっきの烏が馬鹿にするようにカアーとないていた。泣きたいのはこっちだというのに。

 

 その後も、食べ物を求めて人里を彷徨ったものの、当然のように収穫はなかった。強いて言うならば、右足が泥まみれになり、服はびしょぬれで、全身に掠り傷ができたが、気にするほどでもない。これも、いつものことだからだ。

 

「もう、今日は寝ようかな」

 

 そう思い、後ろを振り返ると、地面に何かが落ちていた。どうせ馬糞か何かだろうな、と思いつつも、近づいていく。そして、自分の目を疑った。それは馬糞なんかではなかった。綺麗な髪袋に包まれたそれは、長方形の形をしている。その紙袋にはでかでかと、“油揚げ”と書かれていた。封を閉じているにもかかわらず、香ばしい匂いがした気がした。

 

「私なんかが、食べていいのかな」

 

 口ではそう言いつつも、勝手に身体は動いていた。吸い寄せられるように油揚げに手が伸び、それを掴もうとしている。

 

 あと少しで手に取れる。そう思った瞬間、後ろから突風が吹き、手元にあった油揚げを吹き飛ばした。急いでもう一度掴もうとするも、足を絡ませ、転んでしまう。飛ぼうにも、そんな元気すら残っていなかった。油揚げはすでに視界からは消えている。いつの間にか、目には涙が浮かんでいた。地面から立ち上がる元気すら残っていない。

 

「本当に、ついてないなあ」

「誰がついてないんだ?」

 

 頭上から声が響いた。まさか返事があるなんて思っていなかったので、驚く。

 

「随分とみすぼらしい格好だね。これが地上のファッションなの?」

「あ、あなたは」

「わたし?」

 

 地面に這いつくばったまま、顔だけを上げると、そこには見たことのない女性がいた。黒色の帽子に青い髪がよく映えている。その女性は、ふんす、と得意げに鼻を鳴らすと、腕を組み、堂々とした面持ちで、叫んだ。

 

「私の名前は比那名居天子よ! あなた達地上の民とは違う、立派な天人なんだから」

 

 彼女の顔は自信が溢れるどころか、体の至るところからそれが滝のように流れ、それが全てを流し尽くすようだった。純粋に、羨ましいと思った。貧乏神であるからか、それとも私の本来の気性からか、自信なんて持てたことがなかった。それを、こうも溢れさせている人がいるのか、と感動するほどだ。

 

「どうしてあなたはそんなに自信満々なの?」

 気がつけば、そんな事を聞いていた。

「私は、自信が持てないのに、どうしてあなたは」

 

 一瞬、きょとんとしていた彼女だったが、すぐにまた、あの、満ち満ちた顔に戻った。いい案が思いついた、と言わんばかりに、両手をぱちんと叩いている。

 

「私がどうして自信満々かなんて、分からないわよ」

「分からない?」

「そういうのは、自分じゃわからないのよね。だから」

 

 こちらを振り返り、ふふんと笑った彼女は、私に向かい手を伸ばした。

 

「だから、その目で確かめるがいいわ!」

 

 なんて傍若無人で、滅茶苦茶なのだろうか。だが、そんな彼女に、憧れてしまっている。いつの間にか、彼女の差し出した手を握っていた。ぐいっと引き寄せられ、そのまま引っ張られる。一体どこに連れていかれるのだろうか。分からない。でも、今までの人生が、劇的に変わるような、そんな予感がした。

 

 もしかすると、今日はついているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 もしかすると、今日はついているのかもしれない。

 射命丸文は、絶望的な気分を少しでも和らげようと、そう自分に言い聞かせた。左手には、いつものように売れ残った新聞が抱えられている。今日、人里で朝から配っていた物の在庫だ。在庫とは言うものの、その数は刷った枚数と一枚も変わらない。つまり、全く捌けていなかった。その現実に、心が折れそうになる。そんな折れそうな心を立て直すために、人気の甘味屋で、大福を買ったのだ。そして、その袋を開けようとしている。

 

「ついているといいですね」

 

 もう一度、天にも祈るような気持ちで呟く。その大福は、もちろん美味しい。ただ、一番の売りはそれだけではなかった。ごくまれに、甘味屋一年無料券がついてくる時があるらしいのだ。らしい、というのは、店がそう公表しているわけでも無く、風の噂で聞いただけであるからだが、実際に当たったという連中に出くわした時もある。もし当たったならば、記事にも出来るし、一石二鳥だ。緊張と高揚感でうるさい動悸を押さえながら、ゆっくりと袋を開く。そこには、当然のようにまん丸な大福があるだけで、券のようなものは見当たらなかった。

 

「まあ、分かっていましたけどね」

 

 そうそう当たりっこないと、知っていたにも関わらず、それでも落胆は隠せない。自慢の黒い翼も、今日に限っては艶もなく、しなびてしまっている。新聞が予想以上に売れ残ってしまった事が、かなり精神的に来ているようだった。渾身の出来だったのに、どうして売れないのか、謎だ。

 

 もう新聞を売るのなんて、止めよう。書いてもただ悲しくなるだけなら、書かない方がいい。そう思い、妖怪の山へと戻ろうとしていると、強い風が吹いた。向かい風だ。思わず、足を止め、顔を伏せてしまう。すると、前方で、どさりと鈍い音がした。誰かが風にあおられ倒れたのだろうか。気にはなるが、放っておくことにした。風で人が倒れたことなど、記事にもならないだろう。そんなことを考えている自分に、苦笑いをしてしまう。新聞はもう書かないと言ったくせに、すぐに記事のことを考えてしまっている。その迷いを断ち切るために、早く家に帰って、やけ酒を飲んでふて寝したかった。

 

だが、そうは問屋が卸さなかった。今度は、その風に飛ばされた何かが顔に当たったのだ。そのまま風で押し付けられるようにして、ぺたりと張り付いたそれを、おそるおそる剥がす。最初はゴミがと思ったが、違った。透明な袋に入れられたそれは、高級そうな油揚げだった。反応に困り、苦笑いしてしまう。外を歩いていたら油揚げがぶつかってくるだなんて、予想していなかった。痛かった、と憤るべきか、得したと喜んでみせるべきか、分からない。

 

 そこでふと、甘味屋の無料券について思い出した。もし、新聞のおまけにこの油揚げをつけたら売れるだろうか。それで売れたら苦労しないとは思うものの、どうせ帰っても悲しみに暮れるだけなら、もう少しぐらい頑張ってもいいかな、と思いはじめていた。袋から取り出した大福をほうばる。餡子の甘みといちごの酸味が丁度良く、一気に幸福感に包まれた。そうだ。やはり、何だかんだおまけをつけたところで、元々がよくないと売れないのだ。だとすれば、油あげをつけて売れたとしても、それは新聞が良かったからといえるだろう。

 

「ま、それでも売れないでしょうけどね」

 

 もし、誰か買ってくれる人がいたら、もう少し続けてもいいかな。そんな事を考えながら、道行く人に声をかける。止まってくれる人はいなかった。

 

 

 

 

 

 止まってくれる人はいなかった。

 橙は、自分のどんくささに嫌気がさしていた。自分の主である藍さまのためにと、プレゼントを買いに来てたのだ。そのために貯めたお小遣いを全部持ってきていたのだが、落としてしまった。人混みの中で落としてしまった財布は、道行く人たちに蹴られ、あっという間に見えなくなっていく。止まって下さい、と叫んでも、街の喧騒へとその声は掻き消えていった。

 

「藍さま……」

 

 いつも可愛がってくれている主人を笑顔にしたくて頑張ったというのに、これではむしろ怒られてしまう。途方もなく、悲しくなった。すると、そんな悲しい気分を無視するかのような、無神経な声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。「文文。新聞です!」と威勢のいい声が聞こえてくる。その声に、少し自分が色めき立つのが分かった。射命丸文の新聞は、評判はよくない。内容が突拍子もなく、また、脚色も少なくないからだ。しかし、橙の周りでは、よく好まれていた。絵本と同じようにドラマチックで、大袈裟なそれは、寺子屋の生徒の間では、一種の紙芝居と同じような扱いを受けていたのだ。その新刊を手に入れたのなら、みんな喜ぶだろう。

 

「あの、一枚下さい」

 

 初対面のため、少々緊張したが、大きな声で頼むことができた。少し大きすぎたからか、面食らった顔をしていた射命丸さんだったが、すぐに満面の笑みになり、新聞を渡してくれる。ただ、そこで重大なことに気がついた。

 

「すみません。お金を無くしてしまって、やっぱり買えないです。ごめんなさい」

 

 ただですら財布を無くして傷心していたのに、それに加えて、せっかく買えると思った新聞も買えないとなると、悲しみも倍増した。涙が目のすぐ近くまで集まってきて、そのまま零れ落ちてしまいそうになる。

 

「あややや、泣く程ですか」

「ごめんなさい」

「謝らなくてもいいですよ」

 

 焦っているのか、手をバタバタと振った射命丸さんは、そんなにこの新聞が欲しかったんですか、と少し困り顔で言った。

 

「弱りましたね」

「よわったんですか?」

「本当は。もう新聞をかくのを止めようかと思ったんです」

 

 その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。どうして、と呟いてしまう。

 

「みんな楽しみって言ってます。寺子屋の皆、楽しみにしてます」

 

 なんとかして思いとどまって欲しくて、必死に言葉を探す。面白いです。感動します。この前の蛙と蛇が戦う話が好きです、と繰り返し思いを伝えた。射命丸さんの心が変わるまで言うつもりだった。もう、財布のことなんて頭から消え去っていた。

 

「そこまで言って下さるなんて、記者冥利に尽きますね」

「じゃ、じゃあ」

「書きますよ。これからも。みんなの期待に応えるのが記者の役目ですから」

 

 その場で、やったーと飛び跳ねてしまう。恥ずかしさよりも、嬉しさの方が勝っていた。そんな様子を見ていた射命丸さんは、手に抱えた新聞をこちらに差し出し、にこりと微笑んだ。

 

「これ、一部差し上げますよ」

「で、でもお金」

「いりません。もっと大きなものを貰いましたから。これでも足りないくらいです。ああ、そうだ」

 

 呆然と立ち尽くしていると、射命丸さんは、差し出した新聞紙の上に、小さな袋のような物を置いた。そこには、油揚げと書かれていた。

 

「これもおまけであげますよ。せめてもの気持ちです」

「でも」

「いいんですよ。むしろ、貰ってくれたら私が嬉しいんです」

 

そう言われてしまえば、受け取るしかない。ありがとうございます! と大きな声を出し、頭を下げる。ついさっきとは違い、私の心は晴れやかだった。新聞をもらうだけでなく、藍さまのプレゼントも手に入ったからだ。

 

「自分のあるじ様の大好物なんです」

 私の頭をわしゃわしゃと撫でた射命丸さんは、声を出して笑った。

「よく、存じています」

 

 

 

「よく、存じています」

「本当に?」

 正座をしたまま、私は紫さまの顔を見上げていた。胃がきりきりと痛んでいるが、根性でたえる。

「藍。あなたは本当に分かっているのかしら」

「もちろんです」

 

 いつもであれば、いくら主といえど、めったに私を叱ったりしない。では、なぜ私が叱られているのか。理由は簡単だった。私が紫さまが大切にとっておいたまんじゅうを食べてしまったからだ。今でも、どうしてそんなことをしてしまったかは分からない。ただ、無性に食べたくなってしまったのだ。

 

「私があれだけ食べたがってたの、知ってたわよね」

「存じています」

「それでも食べてしまったのね」

 

 紫さまは、表情を変えず、淡々と言葉を投げつけてくる。怒っているのか、それとも悲しんでいるのかも分からない。もしかすると、単純にしゅんとしている私を見て、楽しんでいるのかもしれなかった。

 

「藍にしては、珍しいわね」

「それは、珍しくミスをしたって意味でしょうか」

「違うわよ。珍しく分かりやすい感情表現だと思っただけよ」

 

 そこで、ずっと固く表情を変えなかった紫さまの顔が、ふっと緩んだ。私の九つの尻尾も、それに伴いふわりと緩むのが分かる。どうやら、叱ってはいたものの、怒ってはいなかったらしい。

 

「それに、私は持っているから大丈夫なのよ」

「持っているって、何をですか?」

「これよ」

 

 そう言った紫さまは、スキマを開き、一枚の紙切れを取り出した。甘味屋一年無料券、と書かれたそれは、けばけばしいまでに金色に輝いている。

 

「これがあるから、甘味なんて、何時でも食べられるの」

「別に紫さまでしたら、普通にお金を払ったとしても、好きなだけ食べられるんじゃないんですか?」

「分かってないわね」

 はあ、とため息を吐いた紫さまは、どこか楽しそうだった。

「それだと、遠慮してしまう頭の固い式がいるじゃない。それこそ、甘味をつまみ食いして、構ってほしい、だなんて面倒なことをする式がね」

 

ぎくり、と背筋が伸びた。自分の顔が赤くなっているのが分かる。なんと言い訳をしようか、と頭を回していると、部屋の扉が勢いよく開いた。何事かと振り返ると、橙が勢いよく飛び込んでくる。抱きかかえるようにして、受け止めた。

 

「どうした橙。そんなに急いで」

「あの、これを渡したくて!」

 

 目を輝かせた橙は、懐から何かを取り出した。折りたたまれた新聞の後ろに会ったそれは、見覚えのある、私の大好きなものだった。

 

「この、油揚げあげます!」

 

 声を出すことができず、ただ橙の頭を撫でることしかできないでいると、後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。紫さまの声だ。

 

「油揚げは世界を救うってね」

 

 それなら、甘味屋に行くわよ、と優しく微笑む主に従いついていく。やったー、と大騒ぎしている橙を抱きかかえながら、私は油揚げを固く握りしめた。

 

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