盾の少女の憂鬱   作:T.K

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先輩を求めて

 たくさんの。たくさんの夢を見た。

 それは先輩との思い出。2年かけて築き上げた、結晶。

 確かに辛いこともあった。でもそれと同じくらい、もしくは以上に楽しいことがいっぱいあった。どれも輝いていて、眩しかった。

 

 そしてその記憶の城はもう、これ以上高く、輝くことは永遠に叶わなくなった。

 

 ◆

 

 虫の息とはまさにこのこと。

 酸素を求めて焼きつくような肺に空気を送る。その度に全身を想像を絶する苦痛が遅い、生死を一瞬彷徨う。

 

「ふ、ア……」

 

 指一本動かせない。

 さすがは対サーヴァント弾。マシュの身体はボロボロだ。どのスタッフの死体よりも激しく損傷している。

 先輩が死に、連れていかれた。あれからどれくらいの時が経ったのだろう。

 動かなければ。

 何かをしなければ。

 でも動けない。

 

 動け……動け……動け!!

 

「ぐっ! うああああぁぁぁぁーー……」

 

 今にも死にそうな獣の虚しい雄叫び。

 ふるふると震える腕に渾身の力を入れて数センチほど上半身が床から離れたが、力尽き、血の池に沈む。

 正直に言うともう無理だ。どう見ても先輩よりも酷い怪我。まだ生きている方が奇跡だと褒めてほしいほどだ。だがそんなことをしてくれる人は誰ひとりいない。なぜならば全員死んだから。

 死臭が漂っている。鼻がひん曲がるほどの酷さだ。カルデア内全てがこれで充満している。

 立たなければ。傷を癒さなければ。

 でもやはり動かない。

 先輩は冷たくなっていた。マシュの身体は燃えるように熱いのに、あの冷たさだけは両腕にしっかりと記憶している。

 ああああああ思い出したくない。

 先輩が連れ去られたであろう方向を虚ろな瞳で見据え、死体に囲まれて小さく泣く。

 

「先輩……」

 

 言いよる者は誰もいない。

 カルデアは、死んだ。救ったはずの人類に殺された。

 先輩に会いたい。死んだなんて信じられない。だからこれはきっと悪い夢なのだ。

 目が覚めて、そしたら先輩が隣で寝ていて「どうしたの?」とつぶらな瞳がこちらを覗き込んでくる。そのはずなのだ。

 だから夢から浮上するために目をそっと閉じる。そしたからきっと先輩が……。先輩、が……。

 

 ゆっくりと目を開ける。

 しかしそこには群がる死体しかいなかった。

 

「ぁ、あ、あああああああああああああ…………!!!!」

 

 これは紛れもない現実。全ては何も間違えていない。正しく歴史は刻まれたのだ。先輩は死んだ、と。

 否定だ。否定だ。

 拒絶する。それは間違っていると。

 だってこんなことはあってはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、先輩がいた。

 

「ぁ……」

 

 確かにそこに立っていた。

 マシュを無言で見下ろし、背を向けると通路を歩いていく。

 

「ま、待っで……!」

 

 もう死に至る痛みなどどうでもいい。壁に身体を殴りつけ、暗明する世界の中、彼女の光だけを頼りに、でたらめな歩きでついて行く。

 急な運動のせいで血を吐く。それが連動して呼吸もままならなくなり、乱暴な、貪るような呼吸になる。

 

「どまっ、てぇ……」

 

 その声は届かず、ついに先輩は管制室の自動ドアを開け、中に入っていった。

 マシュも次に続こうとしたが、それより先に身体の限界を迎え、電源を切られたロボットのようにその場に崩れ落ちる。

 本当に限界だった。もともと動かない身体に撃鉄を起こして強引に走ったのだ。

 今度こそ死ぬ。本当に死ぬ。

 次第に細くなる息。先輩はあの時、いったいどんな気持ちだったのだろう。

 心臓の鼓動が波が引くように静かになっていく。

 するとどういうわけか、先輩が再び管制室から飛び出してきた。心配そうにマシュの様子を伺う。

 何かを言っているが、マシュには聞こえない。

 

「せ、んぱ……ぃ。せんぱぃ……」

 

 ドッと涙が溢れる。

 先輩は死んでないていないのだ。だってここにいるのだから。これは現実なのだから。先輩に抱きしめられる。

 この温もり、匂い、気持ちは間違いなく本物だ。

 この事実は誰にも否定させない。

 これならもう、死んでもいい。先輩が生きているのなら、それでいい。

 

 マシュは先輩に溺れた。

 

 ◆

 

 マシュが次に目覚めたのは部屋だった。

 傷は相変わらず深い。だがどうやらまだ死んでいないようだ。

 咄嗟に周りを見るが、先輩の姿はない。この部屋は……どこだ?

 ここは少なくともカルデア内にある部屋だ。サーヴァント専用の個室だ。飾っている黒い聖杯のレプリカがそこら中にあり、おそらくアンリ・マユの個室であることが推測できる。

 それと同時に大質量の禍々しい魔力を感じる。……下からだ。

 カルデアが襲われたせいで一部機能が壊れ、よくないことが起こっているらしい。

 床を手探りで触っていると、上手に床に溶け込んだ取手を発見する。

 マシュはそれを立ち上げ、上に引っ張る。

 

「うっ……」

 

 そこにあったのは吐き気を催すほどの聖杯の山。しかもそのどれもが贋作だ。つまりは失敗作。使えば悲惨なことしか起こらない。案の定、見つかったスペースの端に自転車ほどの大きさの機械が設置されていて、壊れている。

 アンリ・マユの生み出す聖杯は核廃棄物と同等だ。趣味でポンポン作り出す彼に先輩が禁止を言い渡していたはずだが……こそこそと続けていたそうだ。

 ……ざっと50はあるか。

 

 ここでマシュはひとつの悪魔的提案を思いついてしまう。

 贋作とはいえ聖杯は聖杯。魔力は本物に劣るものの潤沢にある。マシュに今すぐ必要なのは治療だ。治療のための魔力だ。魔力がなければ何を施しても効果はない。

 そして今、その魔力の代わりになるものが目の前に、そしてこれほどにもある。汚れている魔力だが、そんなことに構っていられる余裕はない。

 先輩はいた。

 その何よりの奇跡にマシュは喜んだ。さっきまでは死んでもいい、と考えてすらいたが、次はもう一度会いたいという願いに変わった。

 ならば生きなければ。あと数分でマシュ・キリエライトの命は尽きる。今から本物の聖杯の保管庫にとても行けない。

 

 死を避けるために、この汚れた聖杯を使うのだ。

 

 きっとこれはケイオスタイドに似たようなものだろう。霊基を犯す泥。これを浴びればどうなるかなどあの牛若丸を見たから知っている。

 もうそんなことで駄々をこねる暇はない。

 

 ーー人類の敵に堕ちようとも、必ず生き延びてみせる。

 

 迷わずマシュは手を伸ばし、汚れた聖杯をひとつ手に掴む。

 すると反応を示した聖杯から泥が一気に溢れてくる。それはマシュの身体を舐めとるように腕を伝い、全身に広がる。

 もう声も出ない。抵抗など一切できない状態で泥を静かに受け入れる。

 

「…………ッッ!!」

 

 皮膚に容易く浸透し、内臓を、心臓を、霊核を犯す。

 身体の内側から自分ではないものに弄られるという魔術世界に生きていてもそう体験することのない壮絶な感覚に、マシュは床を這いずり回り悶絶する。

 ここで負けてはいけないのだ。負ければ人類の敵として霊基を再定義されてしまう。それは違うのだ。マシュはマシュとして先輩に会いたいのだ。

 だから耐えてみせるのだ。

 人類を滅ぼす光帯を受けきってみせたことだってある。なら今度も。

 死の時間は続く。

 マシュとマシュのせめぎ合い。己の主導権をかけた耐久勝負。

 目を瞑り、波のように押し寄せるケイオスタイドの攻撃を必死に耐える。

 受け入れ、そして勝つ。

 牛若丸は勝てなかったからああなった。マシュは必ず、勝つ。勝たなければならない。

 傷が逆再生のように塞がっている。同時に痛みが引いていくが、そこを強く侵食

 され、その蝕みに苦しむ。

 

「ぐア、あ゛アア゛あア゛あア゛ア゛アアアあああ゛ァァぁ…………!!」

 

 身体を喰らう泥を包み込む。

 それを爆発、四散させてエネルギーを完全に消費させる。弱くなったところを、逆にマシュが制圧する。

 身体が熱い。

 燃えそうだ。いや、燃えている。メラメラと幻視の黒い炎が燃え上がり、ゆっくりとその勢いは殺される。

 収まったところで、マシュはまた血の池に沈んだ。

 その瞬間、血が一瞬で蒸発し、ぶわり! と身体から湯気が生じる。

 吸う、吐くを繰り返し、ようやく落ち着いたところでよろよろとマシュは立ち上がった。

 傷は塞がった。痛みはない。だが身体が溶けてしまいそうだ。

 目の前に広がる光景が血のように赤い。

 

「動ける。これ、なら先輩のところへ……」

 

 先輩は一度管制室へと消えた。

 とりあえずそこに行くことにする。通路に出て、行く手を遮る骸を蹴り退けて、壁に手を這わせながら進む。

 元来た道を戻り、ついに管制室にたどり着く。自動ドアがぎこちなくギゴゴゴ、と開く。

 まず目に入ったのは、赤だった。

 視界が赤いのは承知済みだが、それでも判別できるほどの赤だった。

 それは血だった。そこら中に血が流れ、随分と時間が経っているせいで固まりかけている。

 あまりに酷い有様だった。

 銃を乱射した跡がある。壁が銃弾で深く抉られ、カルデアスにも何発か命中しているようだ。何か不具合を起こしていなければいいが……。

 

「マシュ」

 

 先輩だ。

 今にも骨が崩れそうな椅子に座り、マシュを見ていた。目を輝かせながらマシュは先輩に近づく。

 先輩が手を伸ばし、マシュは迷わずそれを握った。

 

「私はもういないよ、マシュ」

 

 可愛い嘘を。

 マシュは首を横に振り、いいえと言う。

 

「先輩はここにいるじゃないですか。それがなによりの証拠」

 

 そうだとも。

 マシュの身体はひどい熱にうなされているが、先輩はそうではない。ここに、生きているのだ。声が聞こえる。

 

「逃げないで、マシュ。私はもう、死んだの」

 

「違う……違う……先輩は死んでなんていません!」

 

「あの時見たでしょう? あんなに大量に血を流して、氷のように冷たくなった私を」

 

 先輩が反対の手でマシュの腕を握る。

 過去の記憶を掘り起こされる。救えなかった先輩の姿が目に焼きつき、一生離れることはない。

 違うのだ。あれは、違う!!

 

「先輩は生きています! そんなこと言わないでくださいっ!! いくら私でも怒りますよ⁉︎」

 

 先輩は生きている。だからマシュは汚れた聖杯を使ってでも生還したのだ。それがまるで無意味だったかのような言い草はこれ以上聞きたくなかった。

 

「なら私は誰? 私は死んだ。連れていかれた。マシュの目の前にいる私は、誰?」

 

「私の先輩です」

 

「否。マシュの『無意識』だよ。だって私は始めからずっと、ずっと一言も喋っていないもん」

 

 自身の『無意識』に無意識を指摘される。

 そして、『無意識』が消えた。

 今のマシュは、大事なおもちゃを取り上げられた子供だ。駄々をこね、泣き散らかし、それを返せと叫ぶ子供だ。

 マシュは『無意識』すらも否定した。

 アンリ・マユの個室で目覚める前に先輩に抱きしめられた時の感触、あれはどう説明する。

 いつも隣にいたからこそわかる、絶対に偽物ではないものだった。

 だからあれは本物だ。つまり先輩は生きている。

 このカルデアではない、どこかに消えた。ならば探しに行くまで。

 コロンブスが言っていた言葉を思い出す。諦めず、前を見て進んでいれば、必ず目的地にたどり着くと。

 特異点での彼への印象はあまりよくなかったが、今となっては心に一番響いた。

 

 コンソールを起動させ、ラプラス、カルデアス、シバ、トリスメギストスの無事を確認する。レイシフトできるか。ダ・ヴィンチたちがいつもやっていたことを脳内再生し、シュミレートする。

 ノイズが走り、診断結果がでるのに2分ほどかかる。

 ラプラスだけ、無事だ。それ以外は何らかの支障をきたしている。レイシフトするだけの電力はギリギリ存在し、往復1回分だけだ。

 咄嗟に聖杯の保管庫にアクセスするが、そこはすでに空だった。おそらく聖杯の奪取もミッションのひとつだったということか。

 つまりレイシフトにおける現在状況をまとめると。

 意味消失の心配などは不要だが、どの時代の、どこにレイシフトするかは不明。そして往復一度きりのため、今後レイシフトをするためには莫大な電力が必要だ。ゆえに、レイシフト先で電力代わりになる魔力を回収しなければならない。

 不幸中の幸いか、魔力を電力に変換する装置は健在だ。

 

「……いける」

 

 これならば先輩を探す旅に出られる。

 先輩の死を否定するための材料を集める旅に出られる。

 正しく歴史を巻き戻し、平和な世界で先輩に会うのだ。

 そのためには膨大な魔力がいる。聖杯ごときでは及ばない、それこそ人類悪ほどの……。

 気の遠くなるほどの長い旅になることは間違いない。しかしやる。やってみせる。マシュ・キリエライトは先輩のサーヴァントだ。

 

 武装する。

 盾を召喚する。

 あの時のように身体が追いつかずに倒れるということはなくなった。たとえ向こうでいくら疲れ果てようとも、たくさんある黒い聖杯を使えば完全回復できる。

 マシュの今後の方針は決まった。あとは実行するのみ。0が1になる瞬間。それが今なのだ。

 レイシフトするための定義完了。遠隔操作コンソールを手にする。通信機は……いらない。

 ここから先は、マシュひとりの戦いだ。

 ポットを開き、マシュは中に入る。

 レイシフトまでのカウントダウンが始まる。

 いつもら先輩が一緒なのに、これからはいない。胸にぽっかりと穴が開いたみたいだ。寂しいという気持ちある。しかし、この旅が終われば先輩に会えるのだ。そう思うとマシュの心は少し軽くなった。

 

「……先輩は死んでいません」

 

 ーーそして、1になった。




無限熱狂闘技場 Re:ローマ
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