しかして物語は動き出す
「――くん」
連続して鳴り響く単調にして一定のリズムを刻む造られた鐘の音。それが世界の境界線でふわふわと浮かんでいる俺を現実へと呼び戻す音だった。
忌々しいものだ。この世界では俺はなんだってできる。空を飛ぶことや行きたい場所へのテレポート、それから魔法。なんだってできる。この世界で俺は神にも等しい存在だというのに鐘の音一つでそれらは終わってしまう。
「――てください」
更に、俺がこの世界で活動できる時間は一時間にも満たない。体感時間にして二十分といったところだろうか。
ここがどこなのかは何となくだが理解できた。剣が欲しいと願えば手にあるし魔法を使おうと思えば使える。そんな夢のような世界……というか夢。
「――陸君」
いつもならば鐘だけが俺を呼ぶはずなのに今日はそれに加えて別の音が耳へと届く。
聞きなれない声のはずなのに、その声はスッと耳を通り脳に甘い刺激を与えてくれる。言うなれば、そう、それは――
「近所の子供が呼び掛けてくるような、そんな幼い声だった……」
「誰が幼いんですかっ。陸君! 起きてください! もうとっくにお昼休みですよ!」
寝ぼけ眼の目をこすり鉛のように重いまぶたを開くと、アホ毛をぴこぴこと揺らしながら頬を膨らませる女の子、相沢と目があった。
「……おはよう、相沢。もしかして声に出てた?」
「おはようございます、陸君。ばっちり声に出してましたよ? 中間試験も近いというのにいい御身分ですね?」
「ワハハ、期末こそが本命試験なのだ。中間はしょせんその前座よ」
「もう。赤点出して先生に、お前は開校して以来随一の落第生だー! って怒られても知らないからね?」
「相沢には言われたくないなぁ。さっきの数学の抜き打ち小テスト、俺より低かったの知ってるんだぜ?」
「なっ、なんでそれを知ってるんですかっ!」
水をかけられた猫のように飛び上がり、相沢の頬がみるみる朱に染まっていく。
「なんでもなにも、お互いに答案用紙を交換して答え合わせしたじゃないか。相沢だって俺の点数は知ってるだろ?」
「あうぅ。そう言われれば確かにそうです……失念してました……」
相沢はガックリと腰を折るように前屈みになり頭が垂れる。そのせいか、彼女のアホ毛まで心なしか落ち込んでいるように見えるのはきっと錯覚ではないだろう。
オーバーリアクションのかわいらしいやつめ。
そう心の中で言い、授業開始からずっと机と抱き合っていた身体を起こし、立ち上がる。
「よっし。元気も出たし眠気も吹き飛んだ! それじゃ昼飯にするか!」
「……私は逆に元気がなくなりました。食欲もなくなりました~」
「ワハハ。気にするな気にするな!」
上目遣いで恨めしそうに見てくる彼女から逃げるようにカバンの中にある弁当を取り出す。
元からある身長差に加え、落ち込んでいることでより強く強調される上目遣い。元気が取り柄の幼い女の子かと思ったらこんな表情もできるのか……なんて素直に感心してしまった。
とにかく彼女から逃げるようにそむけた顔を見られるのはまずい。どう考えても真っ赤になっている。こんな顔を見られたら絶対になにか言われ、からかわれる。なんとしても見られるわけにはいかない。
相沢は「なんで慌ててるんですか~?」なんて聞いている方さえも気の抜けるような声で話しかけてくるが、そんなものは無視だ。
「相沢は自分の弁当出さないのか?」
苦し紛れのように出した言葉に、相沢はばつが悪そうに口を開く。
「私、あんまり食欲ないのでいつも持ってきてないんですよ」
アハハハと、まるで感情のこもっていない空笑いに、一瞬、ほんの一瞬だが相沢の目の光が沈んだのが見えてしまった。
なにか言いにくい事情があるんだと感覚的に悟る。聞きたい。そう思った。自分になにができるかわからない。だが彼女が落ち込んだようにしているのを見るのは嫌だと、はっきりそう思えた。
なにか、なにか言わなければ。
言葉を探す。なんでもいい。なにかこの空気を変えられるようなものを――
「……昼飯を食うのにいい場所があるんだ。良かったら一緒にどうだ?」
無意識のように出たものはそんな言葉だった。
しかし、彼女はこちらの意図を察してか暗い雰囲気を吹き飛ばすような笑顔で「行きたいです!」なんて言ってくる。そんな彼女に救われたように胸をなでおろしている自分がいるのに気づくと、少し情けなくなる。
「情けねぇなぁ」
「? どうかしましたか?」
「いやなんでもない。ほら、行こうぜ」
隠し切れない思いから出た言葉を誤魔化し、相沢の手をひくように教室を後にする。なぜかはわからないが、彼女に情けない自分を見られるのもまた嫌だった。……勉強面はどう取り
昇降口を出てから体育会系の部活が占領するグラウンドを抜け、更に少し歩いた先にある庭園。そこが目的地だ。
見回すまでもなく辺り一面に手入れの行き届いた花壇があり、足元には人工ではなく天然の芝。そこに背の高い木が一本。その木には数羽の小鳥がとまり、BGMのようにその歌声を披露してくれている。更に日傘のように立っていることで陽射しも防げ、夏場だろうが過ごしやすいという完璧仕様。この庭園を設計した人はきっと天才に違いない。昼飯はもちろん、暇な時間や気晴らしにはいつもこの場所に来るくらいのお気に入りスポットだ。
こんな良い場所だというのに俺たち以外誰もいない。それは考えるまでもなく、クラスメイト含めて皆が勉強、勉強、勉強とわざわざ外に出て数分かけてここまで来る物好きがいないからだった。
「この学校で一番のオススメのスポットだ。いい所だろう?」
「はいっ! とってもいいです! 私、気に入りました!」
相沢はこの場所がそんなにも気に入ったのか、ぴょんぴょんと跳ねるように駆け出していく。同級生の俺から見ても子供らしく微笑ましいその後ろ姿に「転ぶなよ~」と一声かけ、芝生に腰を下ろす。
持って来た弁当箱を開けると、色とりどりの食材が並んでいてそれはとても健康に気を使ったような弁当である……と思いたい。
再度言うが、この場所で
こんな教育方針も先生も歪みきったような学校になぜこんな美しい場所があるのかはわからないが、恐らく真面目で几帳面な園芸部辺りが整備しているのだろう。俺は会ったことはないが。
そんなとき、ふと横から視線を感じた。この場所にいる人は限られているので自然と誰かはわかる。
「人の弁当をじろじろ見てどうしたんだ相沢」
「……いえ、別になんでもありません」
「そうか」
適当にあしらい、弁当箱の一品を箸で持ち上げる。相沢の視線はそれに釣られるように後を追う。
続いてわざとらしく相沢の前を通し、口の中まで持っていく。相沢の生唾を飲む音が聞こえた。
その姿はまるでかわいらしい犬のようだ。
相沢に対し色々思うことはあった。なぜ弁当を持ってこないのか。身体が弱いと言っていたが、それなら尚更健康的な物を食べたほうがいいのではないかとか。だが、今の俺はそれを聞けるような距離ではない。今日知り合ったばかりだというのにそんなことを聞けるわけがない。
なので、少しばかり、手を考えてみた。
「かぁーっ! うめぇ! このアスパラのベーコン巻き! ベーコンはしっかり火が通っているのにカリカリしすぎないおかげでアスパラの独特の触感を殺さずにアスパラの旨味を引き出している! そしてこのアスパラはなんだ⁉ ただ焼いただけじゃなくてアスパラ自体に味がある……これは焼肉のたれか! そうか、アスパラを焼肉のたれで焼くことでアスパラに味を出し、更にそれを巻いているベーコンにまでマッチした味になっているのか! これを食えるなんて俺はなんて幸せなんだ!」
「一人でそんな美味しそうな食レポしないで下さいっ! ずるいですよ!」
「ワハハ、あまりにもからかいがいのありそうな顔をしてたからついな」
「うぅ……りくくんはいじわるです……」
涙目でジーッと睨む相沢を無視し、本題へと入るために息を整える。
なにも好きで相沢をからかっていたわけではないのだ。
「俺、昼飯はいつも自分で作ってるんだ」
相沢はなにが言いたいのかわからないとでも言いたげに「?」を頭に浮かべながら聞いている。
「だから、さ。良ければなんだけど」
口内が急速に乾き手のひらに汗が溜まっていく。いつの間にかこめかみに汗が浮かんでいるのがわかる。たった二言三言だというのになぜこんなにも心臓がうるさく騒ぎ散らすのだろうか。
「明日から相沢の分の弁当、俺が作ってきてもいいかな? ほんとに良ければでいいんだけど、どう……かな?」
自分の声が酷く裏返っているように聞こえた。
緊張のせいか、相沢の顔を見ることができない。
返事が来るまでの数秒が数分のように感じる。
そんなに近い距離でもないのに彼女が息を吸う音が聞こえる。
断られたらどうしようかとか、そんなどうしようもない考えがグルグルと巡る。
まるで告白する中学生みたいだな、なんて内心で毒づいてしまうが、数ヶ月前まで中学生だったことを思い出してしまうとなんとも言えない気持ちになる。
「……いいんですか?」
恐る恐るとでもいうべきか、俺に負けず劣らず彼女の声も震えていた。
「ああ! 全然構わない! 一人分増えるくらい問題ない! なんなら好きな食べ物を教えてくれればそれに合った弁当にするぞ!」
「それなら、お願いしてもいいかな?」
そう言い微笑む相沢の笑顔は、やはりとても輝いていた。
彼女は笑顔がよく似合う。彼女の笑顔を見ると、なぜかこっちまで笑顔になる。そんな彼女の笑顔が、俺は好きになっていた。
このアスパラのベーコン巻き、妹によく作ってあげるのですがとても好評なんですよね。曰く、僕の料理の中で一番美味しいらしいです
薄めの焼肉のたれがオススメです。というどうでもいい話