東京レイヴンズ~Another~   作:陰陽師もどき

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第二話

大連寺鈴鹿はあまりの出来事に目を大きく見開いた。

彼女は今、自分が見ている光景が信じられなかった。

それもそのはずだ。自分の操る式神である阿修羅―――それも鈴鹿が若干のカスタマイズをした―――を土御門家とはいえ、分家でしかないはずの雑魚が殴り飛ばしているのだ。

 

しかもその一撃は凄まじかったのか、式神自身がラグを起こしている。

ラグとは式神がまるで電波妨害にあったかのように、その姿がぶれる現象である。

式神は物理的衝撃に弱い。それでもそれなりの耐久力を阿修羅には持たせていた。

普通の一般人や、ただの術者が素手で殴りとしてラグが起こるなど考えられなかった。

 

さらに驚愕はそれだけではない。三対六本の腕のうち一つをまるで鋭利な刃物にでも切られたかのように、地面に転げ落ちていた。

春虎の攻撃はこれだけにはとどまらない。ラグっている隙に、追撃とばかりにその胴体に蹴りをお見舞いしてやる。

 

もちろん風を纏わせての一撃であり、衝撃は計り知れない。阿修羅の体はくの字に曲がり、後方へと弾き飛ばされる。

生身の人間が、それも十二神将が操る式神を倒した。

 

阿修羅は鈴鹿のオリジナルではなく、陰陽庁が作った量産型の人造式であり、いかにカスタマイズされていようが、その力はたかが知れている。

しかしそれでも、並みの陰陽師が単独で、それもあっさりと倒せるような代物では決してない。

阿修羅を蹴り飛ばした春虎は、そのまま地面に降りると、鈴鹿に向き直る。

 

「ご自慢の式神が台無しだぜ」

 

ニヤリと笑う春虎に、鈴鹿は忌々しそうな表情を浮かべる。

 

「はっ! 調子にのるんじゃねーよ。その程度の式神倒して満足なわけ?」

「別に満足してねぇけど、これでお前は丸裸だぜ? それともまだ切り札でもあんのか?」

 

お互いに挑発し合っているが、どちらも油断はない。

春虎はこれが師匠以外の初めての実戦になる。しかも相手は国内最高峰の十二神将。これで終わるはずがない。

対する鈴鹿も同じだ。研究職とはいえ、その能力は折り紙つき。阿修羅を倒した春虎を、ただの雑魚と侮れるはずはなかった。

 

(こいつ、腐っても土御門ってわけね)

(十二神将ってのはこんなもんか? いや、違うだろ。テレビでも見たけど、あんな霊災を一撃でつぶせるような陰陽師が十二神将なんだ。こいつだって、これで終わりなはずがない)

 

心のうちで、油断と慢心を捨てる。

 

「まあでもやるじゃない。腐っても土御門の分家ってわけね? 阿修羅を殴り倒すなんて」

「そりゃどうも。あと降参するなら今のうちだぜ?」

「はっ! 粋がってんじゃねぇよ。言っとくけど、阿修羅なんて量産型のしょっぼい式神なのよ? それ倒したぐらいで良い気になるなっての。いいわ、見せてあげる。このあたしの、十二神将オリジナルの式神をね!」

 

バッと隠し持っていた文庫サイズの本を両手に取る。血のような赤い表紙の本。まるで聖書のようだった。

本が開く。光があふれ、紙がひとりでにペラペラと音を立ててめくれ、さらに一枚一枚が宙を舞う。

宙を舞う紙はそれぞれに集まり、重なり形を変えていく。

獅子に、蛇に、鷹に、豹。それらは紙でできているとは思えない精巧さと、何よりも本物同様躍動していた。

それらは式神だった。

 

「やれ!」

 

十二神将オリジナルの式神。それが四体。並みの陰陽師ならひとたまりもなく、仮に先ほどの呪捜官達でも、瞬く間に敗北するであろう力を秘めていた。

対する春虎は表情を引き締め、同時に両手を握り風を集める。

先ほど阿修羅を殴り飛ばしたのと同じように、式神を迎え撃とうとする。

 

「そんなものであたしの式神が倒せると思ってんの!?」

 

浅はかな選択だと鈴鹿は笑う。そのままやられてしまえと声を発する。

 

「なら……これでどうだ!?」

 

瞬間、春虎の拳が赤く燃え上がる。それは炎だった。轟々と燃え盛る炎が、春虎の拳に宿る。

 

「なっ!?」

「おらあっ!」

 

炎を纏った拳を向かってくるまずは鷹と豹の式神に正面から叩き込む。拳は式神を構成する紙を貫き、同時に焼き尽くす。

風を纏った攻撃だけなら、紙は吹き飛ぶがすぐに元通りに再構築されただろう。しかし今の春虎の攻撃は吹き飛ばすと同紙に紙を燃やし尽くした。

いかに優れた式神でも、その構成する大部分を破壊されては、再構築もできない。

 

そもそも鈴鹿にしてみても、このように簡単に破壊されるほど軟な作りをした式神をつくってはいなかった。

なのに春虎は式神を一撃で破壊した。だが式神はまだ二体残っている。蛇を獅子はその後方から春虎に向かい迫る。

だが春虎はそれが『視』えていた。

 

精霊魔術。

 

それが春虎の扱う術の名称。

この世界を構築するとされる、炎、風、水、地。四大系統とされる精霊を友とし、その力を借り受ける術者。

本来ならば精霊術師一人につき、一系統の精霊魔術しか使えない。

それゆえ、炎ならば炎術師。水ならば水術師、風ならば風術師、地ならば地術師と呼ばれる。

 

しかし春虎は例外中の例外。異常であり、非常識な術者であった。

なぜなら、彼は四大すべての精霊の声を聴くことができたのだ。

本来ならば一つの系統の精霊の声しか聴くことができないはずの精霊術師が、春虎に至っては四つの系統の声を聴くことができ、その力を行使することができたのだ。

ゆえに彼は風の精霊と同調して、周囲の様子を精霊を通して『視』ることができる。

 

さらに炎の精霊に助力を乞い炎を扱い、風と同時に扱うことでその攻撃力を上げることができる。

また風を纏い、機動力をも上げることができる。

普通の術者が聞けば、反則だと言うだろう。

 

だが同時に、それは制御が本来よりも何倍、何十倍も難しい事を意味していた。

普通なら、一つの系統しかない分、それだけを徹底的に磨けばいい。しかし四つ同時になると、その難易度は格段に上がる。

平均的に鍛えるか、どれか一つを、もしくは二つを重点的に鍛えるか。

 

他系統の精霊を同時に操ることは、右手と左手でまったく異なる別々の操作をするようなものだった。

簡単に言えば、両手にペンを持ち片方では英文を、片方では日本分を同時に書いていくようなものである。

春虎はそれをこの数年間でやり遂げた。まだまだ甘く、とても一流とは言えないが、それでもそれなりの使い手と呼べるようになった。

その中で一番得意なのが炎、次に風である。

 

同時に迫る蛇と獅子に春虎は掌を広げ構える。拳に集まっていた炎が風にあおられ、渦を巻き二体の式神に襲い掛かった。

何とか回避しようと動く式神だが、風が炎の軌道を変え、避けようとする二体に容赦なく襲い掛かった。

耐火性能はもちろん持たせていた。ある程度の炎ならば防げるだろう。それこそ火炎放射器ほどの威力がなければ。

 

だが春虎の炎はすでに火炎放射器の炎を超えていた。制御の問題もあるため、最大火力はまだまだ安定しないが、呪符を燃やす程度問題はない。

炎に包まれる式神。その光景に鈴鹿はあり得ないと動揺する。

自分は十二神将。国内でも有数の使い手。霊力においても、呪力においても、知識も技術も、そのあたりの陰陽師には負けない、隔絶した差があるのだ。

 

春虎はそれらの隔絶した差を覆した。覆すことができた。

なぜか。それは術者としてのレベルの差ではない。陰陽術と精霊魔術の性質の差である。

陰陽師には知識、技術、呪力など、それらの総合力で能力の上下が決まる。

十二神将である鈴鹿はそのすべてにおいてトップクラスであり、国内におけるほとんどの陰陽師は、彼女にそのいずれか、あるいはすべてにおいて大幅に劣っている。

したがって、彼女と伍しようと思えば、同じ陰陽師ならば十二神将クラスでしか太刀打ちできないのは道理。

 

ただしそれは陰陽師の場合だ。

確かに精霊魔術にも才能や能力は必要である。しかし一流の精霊術師の第一条件は呪力や霊力ではない。ましてや知識や技術でさえない。

それは『意思』である。

現実を否定し、己の望む世界を実現させるほどの強固な意志。

魔術とは『原初の法則』に自分の意思を割り込ませて、新たな法則を便宜的に創り出すことで事象を操る行為である。

 

陰陽術も基本的には同じである。呪力を呪符や印により原初の法則に割り込ませ、法則を書き換える。そこには知識や技術、呪力が介在し、その過多により力が決まる。

精霊魔術は精霊を己の制御化に置き、その顕れたる事象を操作する。その要素は制御下における精霊の数とそれを制御し、事象をこの世界に顕せられる意思。

つまり強大な力を得るために必要な物のベクトルが違うのだ。

 

だからこそ、陰陽師としての才能が劣ろうとも、呪力や知識、技術が劣ろうとも、春虎は鈴鹿と同等に戦うことができた。

制御できる精霊の数。意思。それらはかなりの物であったからだ。

それともう一つは鈴鹿が研究者であったからだ。能力は高くても、実戦経験はほとんどなかった。

春虎は実戦経験こそ少ないものの、師との戦いでそれなりに戦闘を経験していたため、何とか鈴鹿相手にここまで戦えるのだ。

 

もしこれが戦闘経験に優れた十二神将ならば、ここまでの結果を得ることはできなかっただろう。

燃やし尽くされるオリジナルの式神を呆然と眺める鈴鹿。

内心は激しく動揺していた。

 

(何よ、何よこいつ!? なんなのよ!? 土御門家の分家でしょ!? それがなんで十二神将のあたしを相手にここまでできるの!?)

 

これが呪捜官が複数であれば、もしくは何らかの結界などに囚われたならば、ここまで動揺しなかったかもしれない。

もしくは鈴鹿以来の天才謳われる土御門夏目が相手ならば。

だが田舎の没落した土御門の分家の、それも鈴鹿よりも少しばかり年上の少年にオリジナル式神まで簡単に倒されたのでは、動揺するなと言うのが無理であろう。

 

(むかつく。何よこいつ。あたしの邪魔をして。あたしにはやらなきゃならないことがあんのよ!)

 

鈴鹿の脳裏に浮かぶ一人の少年。鈴鹿の目的。自分にとって最愛の、唯一の肉親。自分のすべて。

その人のためなら、この命、惜しくなどない。

 

「邪魔すんな……」

「?」

「………あたしの邪魔すんじゃねぇ!」

 

鈴鹿は残っていた呪符をすべて放出する。質でダメならば数で対抗するまでだ。大小さまざまな式神が周囲に展開する。さらに攻撃用の呪符も展開する。

式神がダメなら、呪術で春虎を追い詰めようとする。

もっとも鈴鹿の切り札は、これ以外にも存在する。しかし今ここにはない。

近くまで運んでいるとは言え、今すぐここに来させることはできない。そもそもこの展開は想定外だった。

 

先ほどと同じように大量の水が、炎が呪符より放たれる。同時に春虎の周囲に飛来した呪符が激しく爆発を起こす。

それが収まるか、収まらないかの瞬間を付き、式神が一斉に攻撃を仕掛ける。さらに追い打ちとばかりに水と炎が春虎を襲う。

十二神将『神童』大連寺鈴鹿の実力は確かだった。その苛烈なる攻撃は一流の陰陽師でさえ一瞬で再起不能になるほどである。

爆炎と粉塵、黒煙が周囲を埋め尽くす。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……バカ。あんたが悪いのよ。あんたが邪魔するから」

 

攻撃を終えた鈴鹿は表情を険しい物にした。そこには自分を邪魔した春虎に対する侮蔑も憎しみもなかった。

どこか悲しそうな、辛そうな顔をする一人の少女の顔だった。

鈴鹿は相手を殺す気などなかった。邪魔するものには容赦する気はなかった。それでも命を奪う気はなかった。

しかしこの攻撃では生きてはいまい。殺した、あたしが……。

その事実を感じ、体を震えさせる。だが止まれない。止まるわけにはいかないのだ。

自分にはやらなければならないことがある。

 

「……待ってて、お兄ちゃん。もうすぐよ。もうすぐ生き返らせてあげるから」

 

手を握り、胸の前で祈るように呟く。

ぶわっ!

 

「!?」

 

風が吹いた。突風が境内を駆け抜ける。

 

「まさか!?」

 

鈴鹿は見た。黒煙が風により吹き飛ばされる。目を見開き、信じられないと言う表情を浮かべる。

あり得ない。そんなバカな。心の中で何度も呟く。

なぜなら、鈴鹿あの視線の先には、衣服の一部がボロボロになり、額から若干の血を流しながらも、両の足で立ち続ける春虎の姿があったのだから。

 

(ちくしょう。さすが十二神将。何とかガードしたってのに、何発か食らってちまった)

 

額の血をぬぐいながら、春虎は鈴鹿をさらに警戒する。

完全に防いだと思ったが、爆発の衝撃と追撃の式神と炎と水を完全に防ぎきれなかった。風と炎、さらには水と地の全精霊の力を駆使し、全力で防御を行ったと言うのにだ。

とはいえ、これは春虎がまだまだ未熟と言うこともあるが、鈴鹿の能力も高かったからだ。現に鈴鹿はこの攻撃に大半の呪力をつぎ込んでいた。これで春虎が無傷で余裕ならば、それこそ十二神将の沽券に係わる。

 

どちらもかなり消耗したのに変わりはない。それでも現状では春虎に多少の分があった。鈴鹿が切り札を出さない、出せない現状では。

それにもう一つ、春虎有利な点があった。

いかに十二神将といえども、未だに精神的に鈴鹿は幼かった。突発的な事態に彼女の心理状態はベストの状態ではない。

 

相手が十二神将クラスの陰陽師や、天才と称される相手や複数の呪捜官ならばともかく、春虎のような陰陽師でもない、ましてや名前も聞いたことのない土御門の分家。

しかも使う術が陰陽術ではない、鈴鹿にしてみれば未知の術であった。

大連寺鈴鹿程の陰陽師がそんな無名の相手と互角、いや、押されている。

その事実が鈴鹿の精神を大きく揺さぶり、隙を生み出させた。

春虎は、動きを止めた鈴鹿の隙を見逃さなかった。

風を纏い、一気に距離を詰める。

 

「!?」

「遅せぇ!」

 

春虎の動きを察して、すぐに追撃をしようとするが、大半の呪符を消費し、致命的な隙を生み出した鈴鹿の動きは遅すぎた。

突き出した右腕を捕まえ、同時に残ったもう片方の手を胸元に近づけられる。

 

「動くなよ」

 

見れば掌には風が集まり、野球ボールくらいの大きさに圧縮されていた。目視できるほどに圧縮された風を体に受ければひとたまりもない。

自分が敗北したことを悟り、表情を怒りに歪める。同時に春虎をキッと睨みつける。

 

「悪いけど、このまましばらくこうさせてもらうぜ。あとはさっきの呪捜官達が戻ってくれば終わりだ」

 

春虎は先ほど流されていった呪捜官達が戻ってくるまで、鈴鹿の動きを止めておくつもりだった。

鈴鹿の術で流されたとはいえ、呪捜官もそういつまでも気絶したままではないだろう。

このまま鈴鹿を攻撃して気を失わせてもよかったが、生身の人間相手にこの力を使うのは初めてであり、力の調整が未熟のため春虎はためらっていた。

さらに鈴鹿が自分よりも幼い少女であることもまた、春虎をためらわせる要因の一つであった。

 

「ずいぶんと甘いわね。それ、あたしに使ったら?」

「あいにくと制御が甘いんだよ。使ってもいいけど、大けがしても知らないぜ?」

 

嘲るように言う鈴鹿に、春虎は油断なく答える。

 

「……手、痛いんだけど、離してくれない?」

「暴れないって言うならな」

 

離せばまた何かしてくるとわかっているので、当然離すことはない。

ちっと小さく舌打ちしたが無視をする。

 

「……お前、さっきお兄ちゃんとか、生き返らせるとか言ってたよな?」

 

不意に、春虎はポツリとつぶやいた。それは先ほどの鈴鹿の言葉であった。

 

「……まさか、聞こえてたの?」

 

あんな状況で、小さなつぶやきが聞こえているとは思わなかったのだろう。驚いたような表情を鈴鹿は浮かべた。

 

「ああ。まっ、今はな」

 

風の精霊との同調がいつも以上に高くなっていたため、鈴鹿の声も風の精霊を通じて聞こえていたのだ。

 

「さっきお前が言っていた泰山府君の祭って奴で、兄貴を生き返らせられるのか?」

 

感じた疑問を口にする。暗にそんなことできるはずがないと、春虎は言う。それを鈴鹿は鼻で笑った。

 

「できるわよ。だって前例があるんですもの」

「前例?」

「あんた、土御門の癖に何も知らないのね」

 

嘲るように、鈴鹿は笑う。

 

「何がだ?」

「土御門夏目に聞いてみれば? だってそいつが成功例だもの。土御門夜光の儀式の」

「おい、待てよ。お前、何言ってるんだ?」

 

話についていけなかった。あの夏目が成功例? 自分はそんな話、一切聞いていない。

鈴鹿が嘘を言っている? わからない。嘘かもしれない。この場を脱するための嘘。

だが頭の片隅で、その言葉が離れないでいる。

 

「春虎ぁ!」

 

境内に大きな声が響いた。

ハッと春虎は声の方を見る。するとそこには北斗の姿が見える。風の結界を突破してきたのか。

それでもすでに戦闘は終わっているし、鈴鹿の身柄も拘束している。心配することはないのかもしれない。

 

「……ひっく」

 

だがいきなり変な声が聞こえてきた。

 

「ひどい。わ、わたしは、ただお兄ちゃんを、ひっく、生き返らせたいだけなのに」

「えっ? お、おい」

 

視線を鈴鹿に戻すと、なぜか鈴鹿が涙を流していた。嗚咽が聞こえ、思わず春虎は動揺してしまった。

 

「なんで、ひっく、なんで邪魔するのよ。お兄ちゃん、お兄ちゃん……」

 

年相応の子供のように泣く鈴鹿に、春虎は動揺した。だから鈴鹿をつかんでいた手の力も弱まり、集めていた風の精霊も動揺のせいで揺らめきが生じた。

残った手で目元をぬぐい、うつむきながらお兄ちゃんとお兄ちゃんと泣きじゃくる。

あたふたする春虎に泣く鈴鹿。はた目から見れば、悪いのはどう見ても春虎である。

 

「春虎! 何やってるんだ!?」

 

その光景に思わず北斗も叫ぶ。後ろの方で、遅れてくる冬児の姿も見えた。

 

「いや、俺は!」

 

視線だけでなく顔まで北斗に向き直った。春虎は見落とした。涙と言う女の涙を武器に使った鈴鹿の

策略を。春虎の集中力が切れた。動揺を誘い、隙を生み出す。

いかに精霊魔術の扱いが向上していても、強い意志を持っていても、経験が足りなかった。

戦闘の経験、敵と相対する経験、そして女性に関しての経験。

ゆえに春虎は気づかなかった。見抜けなかった。うつむきながらニヤリと口元を歪める鈴鹿に。

 

気が付いた時にはすべて遅かった。

鈴鹿のとった行動は早かった。春虎の手を振りほどくようなことはしかなかった。この場で春虎を突き飛ばしても、大した時間稼ぎにはならないことを鈴鹿は理解していた。

陰陽術の行使も考えたが、いかに隙を見せていても、まだ春虎の手には自分を攻撃しうる力が残っている。

 

よくて相打ち。下手をすれば自分だけがダメージを追う。それに自分はまだここで終わるわけにはいかないのだ。

それに目的の物をまだ手に入れていない。

この戦いで、鈴鹿はかなり消耗した。のちに追撃があるであろう呪捜官の問題もある。さらにはこの男の問題も。

 

これは賭けだ。あまり多くの術式を組み込むことはできない。呪力が強すぎればこの男に、さらには土御門夏目に気付かれる。

だから必要最低限。本当に必要な物を手に入れるために。

春虎がつかんでいた腕を、鈴鹿は同様に同じ手でつかむ。さらに少しだけ、自分の方に引き寄せる。

同時に、自分の体を春虎の方へと移動させ、残った腕で春虎の後頭部を抑えた。

 

「えっ?」

 

背伸びをした鈴鹿。密着、そして接触。

春虎が気が付いた時には、鈴鹿の顔が目の前にあった。何かをする暇もなく、春虎は唇を鈴鹿の唇に奪われた。

 

「……ん……」

「!?」

「っ!」

 

鈴鹿の行為に一番動揺したのは誰だったのか。キスをした鈴鹿か? キスをされた春虎か? それとも……それを見ていた北斗だったのか。

一瞬とも、数秒とも感じる時間。春虎の唇から、鈴鹿の唇が離れる

ドクンドクンドクンと心臓の鼓動が高鳴る。

春虎か、それとも鈴鹿か。

 

「あっ、あっ……」

 

信じられないと言う表情をする北斗。今まで以上に動揺している。

だが動揺と言うなら、春虎も同じだった。ファーストキスを奪われた。しかも北斗の目の前で……。

 

(俺、今、いや、北斗、これは……)

 

北斗と目があった。これは違う。違うんだと心の中で声を出すが、言葉に出ない。

その動揺を見た鈴鹿は、すかさず春虎の手を振りほどく。

同時に今まで沈黙していた阿修羅が動き出した。

 

「阿修羅! やれ!」

「まだ動けたのか!?」

 

春虎に向かって迫ってくる阿修羅を黙視する。動揺はある。だがまだ風は完全に霧散していない。

 

「ちくしょう!」

 

向かってくる阿修羅に春虎は風を開放する。風は烈風の刃となり、阿修羅を襲う。ボロボロになっていた阿修羅はその攻撃で完全に破壊しつくされた。

だがそれは時間稼ぎにすぎなかった。鈴鹿の目的。それはこの場からの離脱。残っていた呪符を取りに変化させ、その足をつかむとそのまま空へと飛翔する。

春虎が空を飛べることは承知しているが、これも賭けだった。

 

(追ってくるなよ!)

 

忌々しそうに春虎を睨む鈴鹿。もし追ってこられれば、自分は負ける。

悔しいが切り札が無い今、自分はこれ以上何もできない。消耗も激しい。どこかで休まなければならない。

 

(土御門、春虎……)

 

小さくなっていく春虎。不意に、鈴鹿は自分の唇を指でさする。

 

(あたしの、ファーストキス)

 

あんな男に捧げた。仕方がなかったとは言え、何も思わないわけではない。

 

(……違う。もうそんなものどうでもいい)

 

兄を生き返らせるために、鈴鹿は自分の命を賭けるのだ。文字通り、その命を。

だから自分に未来などない。ファーストキスなど、意味などないのだ。

この体も、命も、精神も、魂さえも、すべて兄を生き返らせるために捧げる。

 

「そうよ。全部、お兄ちゃんのために……」

 

大連寺鈴鹿の生きる目的。今の彼女を支える物。しかし思いとは裏腹にその瞳はとても悲しい物だった……。

一方の春虎は、息を荒くし、肩で呼吸をしていた。

鈴鹿を追撃する余裕はなかった。心身とも今の春虎は消耗していた。

いや、肉体的疲労はそこまでではない。ただ、彼の心中は混乱の極みに会った。

それは北斗が見せた涙のせいだった。

ぽろぽろと大粒の涙を流している。

 

「ほ、北斗。なんで、泣いてるんだよ」

 

聞きたいことはお互い沢山あったはずだ。それでも春虎も北斗は何も聞けなかった。

冬児も今の雰囲気で何かを言い出すことができなかった。

ただ春虎に尋ねることができたのは、北斗が涙を流す理由だった。

 

「わかんないの、バカ虎! 悲しいからに決まってるじゃない! だって、だって、キスしたんだよ!」

 

北斗の心からの叫び。続く北斗の言葉はさらに春虎の心を揺さぶった。

 

「“好きな人”がほかの子とキスしたんだよ!」

 

遠くで花火が上がり、空を美しく染める。

だが春虎にはその音も、光も何も届いていなかった。

ただ北斗の言葉だけが耳に残った。何も言えず、何もできない呆然とする春虎をしり目に、北斗は涙のまま走り出した。

後に残ったのは冬児と、そして地面に力なくへたり込む春虎だけだった……。

 

 

 




今回は原作と同じように春虎がキスされました。
ただここの春虎の心境は原作ほど、穏やかではありません。
ここから波乱がさらに増えます。
あと春虎の腹に仕込まれた式神ですが、まあそれもいろいろと考えています。

ではでは続きをお楽しみに
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