直斗がメールを送ったのは千枝だった。
マジックだとて種がある。
しかし種のない仕掛けがあるとしたら、それはかつて自身が体験した超常現象としか言いようがない。
非科学的なものではあるが実際に自分の目で、耳で、身体で確かめたことがあるのだから否定は出来なかった。
「……世界が盗まれた……いや、新たな世界が生み出されようとしている?」
直斗は顎先に片手を添えると、肌をトントンと叩いて眉根を寄せる。
そのすぐ傍へ長身の影が近寄った。
「世界が消される、というのも考えられないか?」
「貴方は……」
「警視正の真田だ」
短髪の精悍な男性に軽く頭を下げられて直斗も会釈を返す。
「SSRIの白鐘です。失礼ですが、世界が消されるというのは」
挨拶もそこそこに話は元に戻った。
天井に貼りついたままのタロットカードは小刻みに震えていて、胎動しているようにも見える。
事は一刻を争うのだと告げているようにも感じられ、直斗の眉間に皺を刻ませた。
「本来あるべき世界が盗まれたとして、その目的はいったい何なのか」
明彦は手を伸ばし天井に貼りつくカードを取ろうと試す。
だが一枚も剥がれようとはしない。
ふぅ、と両手を上げて降参ポーズを見せると直斗は少しだけ空気を和らげ表情を崩した。
「何者かが自分の都合のいい世界を生み出そうとしている、と考えるのが妥当では」
「勿論それも可能性のひとつとしてあると思うが、俺の考える可能性はまた別のものだ。理想と現実の狭間で虚無を感じた何者かが、何もかもを”いらない”、”不要なもの”、として消そうとしてるんじゃないか?」
まるでゴミ箱にゴミでも捨てるように、と。
告げる明彦に頷きながら直斗は夢子のいた椅子に腰を下ろした。
「……興味深いですね。もともと集団昏倒につけられた名称は”無気力症”です。退却神経症とも似たその症状は何もかもに嫌気がさして何もする気が起きなくなるというものです」
ララがハラハラと心配そうに二人のやり取りを見守っている。
椅子に座った直斗の身には何も起こらなかった。
「つまりは誰かがこの世界を消そうとして動いている」
シン、と店内を静寂が包む。
外の喧騒は相変わらずでまるであちらとこちらで別世界のようだ。
「誰か……いや、ちょっと待ってください。そんなことが出来るモノを貴方は知っているのですか?」
「君も世界が危機に陥る、そんな体験をしたことがあるようだな」
「君も、ということは……まさか」
「ああ、互いの手のうちは早いうちに見せたほうがよさそうだ」
明彦はカウンターから椅子を手にすると直斗の座る前に置き、ドスンと腰を下ろした。
* * * *
一方で武見医院では発生した不可思議な現象を見て千枝が頭を抱え込んでいる。
「ショウチョウ、ってナニ!?やめてよ、考えるの苦手なんだよあたしは!」
「千枝、逃げたほうがいいっ……」
「逃げろったって、放っておけないでしょ!?」
額にカードが貼りついた三人は身動きが出来ない様子で唇だけが動いた。
そんな緊迫した状況で千枝の大好きなカンフー映画のテーマ曲が流れ出す。
同時に携帯が震えだして千枝はメールが届いたことを知った。
「ッ、こんな時にメールって……ええと、なに、タロットカードはその持ち主か宿主を探している……?何よこれ」
送り主は直斗だったが、急いで書いたのか結論だけが表示されていて千枝にはさっぱりわからない。
鳴上くん、分かる?とメールを見せようとするが、その間に夢子が立ちふさがった。
「ショウチョウ……アルカナ……21のセカイ……リンネとテンセイ、そのリングはメビウス……」
完全に光を失った瞳でぶつぶつと何かを繰り返している。
「こっわ!!なに、この子!!怖いよ!?」
せっかく近づいた悠から千枝は距離を取ってしまった。
夢子は二人の間で垂直に立ったままカチカチと歯を鳴らす。
威嚇だろうか。
完全に委縮した千枝の視界の先で、暁が少しずつ腕に力を込めて吹っ飛ばされた武見を抱き寄せようともがく。
「……っ、武見、先生っ……!」
「大丈夫、それより、その子足が腫れてるのに……!」
カチカチと鳴る夢子の歯の音はまるで時限爆弾のようにも聞こえた。
しかしその音がピタリ、と止められる。
夢子の頭がガクンと落ちて武見医院の小さな入口を振り返った。
おかげでその場にいた全員が同じように入口に視線を向ける。
そこには可愛らしいポニーテールの溌剌な女性が顔を覗かせていた。
「あのー、深夜に失礼しまーす」
「っ!?誰!?」
叫んだのは千枝だったが、その場にいた全員が同じ疑問を抱えている。
そんな注目を浴びた彼女は照れくさそうに後頭部を撫でながらおずおずと武見医院に入ってきた。
「え、えと、汐見琴音って言いまして……」
そこではっとして千枝が彼女の行動を咎める。
「だめよ、今入ってきたら……!」
三人に貼りついたままのタロットカードが何をするか分からない。
そもそもこの夢子の状態も不安定だ。
普通の女の子が太刀打ちできる現状ではない、そう、誰しもが思った時。
「えっ!?……ほんとだ、テオドアの言った通り、アルカナが暴走してる……!」
「君は……」
片手で口を押えて驚いた表情の琴音を悠が凝視した。
見た目は高校生のようにも見える。
ポニーテールの横の部分にはXXIIとも見えるようなピンがはめてあった。
華奢なその体が完全に武見医院に足を踏み入れると、もう誰も入れない、と言わんばかりに扉の鍵が自動的に閉められる。
夢子の仕業だろうか、二人のワイルドが歯ぎしりをすると、琴音は胸の前で両手で長方形を作り出した。
そしてそれを勢いよくくるりと回転させる。
「よくわかんないけど、世界をひっくり返せばいいみたいですよ!」
「世界を、ひっくり返す?」
僅かに汗ばんだ手をどうすることも出来ず白衣を掴んだまま、武見は言葉を繰り返した。
夢子は静かに琴音を睨み付けている。
「テオドアが言うには今世界を盗んだ犯人は、タロットの大アルカナを宿せる人間を抹消することでその意味を失わせるそうです」
「失わせてどうする」
「大アルカナは愚者の旅、人の心が成長していく物語です。その結末を滅却し人の心からやる気を奪い、無気力にさせ、破滅を望ませる」
暁の質問に琴音は朗らかだった表情から苦しそうな表情へと変わった。
破滅とは人が望むからこそ生まれる結末であり、世界の終末、Worldの逆位置を意味する。
「今が破滅を望んだ世界にすり替えられているのならば、一度愚者に戻してしまえばいい。世界をひっくり返して、アルカナの旅を逆戻りさせるんです!」
「そんなことが、出来るのか!?」
「んー、わからないけれど、やるしかないならやりますよ!」
頑張ります、と両手を握り締める琴音の姿はまるで希望の光にも見えた。
「テオドアの話では、その身に死の象徴を受け入れたワイルド、未来への希望を持ち続けたワイルド、絆の力で大逆転を成功させたワイルド、三つの力が虚無を払う鍵になるって言ってました」
「じゃあ、君もワイルドなのか!?」
「そうみたいですね、追加の参加枠っていうんでしょうか、まぁおまけみたいなものではありますが……」
琴音はガンホルダーから小さな銃を取りだす。
一瞬室内に緊張が走ったが、千枝にはそれが偽物だということが分かったし、暁も本物ではないことを見抜いた。
「私は世界を越えたIFの権現。XXII(22)のアルカナを背負うもの。……なーんて、恰好良すぎて恥ずかしいんですけど!」
えへへ、と笑って見せる彼女からは世界を背負っているような気負いは見えない。
きっとこの明るさが仲間を助けてきてのだろうと、暁と悠には感じられた。
そして彼女は銃の先端を己の額へと押し当てる。
「奪われたワールドカードの代わりに私が輪廻の懸け橋になって、世界をもう一度愚者のアルカナ、0に戻します」
夢子の口が、ヤメロ、と呟いたように見えた。
その瞬間、妙は床に散らばった計測器の一つが、彼女の身体から微弱の放射線が放たれていると示していることに気が付いた。
それはまるで無気力症を引き起こしたあの実験時の数値にも似ていて。
その妙が視線を琴音に向け直した矢先、額に当てられた銃の引き金が引かれた。
「……ペルソナッ!!」
(つづく)