俺があの戦闘機に乗ってから早4週間、あれから色々あった。
上司から2週間の有給休暇を取らされたとか。
久しぶりにアパートに帰ったら、ポストに免許更新のハガキが大量に来てたとか。
色々な免許を更新していたら、折角貰った報酬の大半が消えたとか。
その中でも一番の変化は、職場が変わったことだ。
成子坂製作所という所にヘッドハントされ、アクトレスの隊長として採用されることになったのだが、今スーツを着込んでいる時でさえその実感がわかない。
どう考えてもこれ、霞が絡んでいるよなぁ。
休暇中に俺の頭越しに行われた人事なので、更に怪しさ満点である。
まぁ、仕える相手が変わってもやることは変わらない。
愛車のオート三輪に乗って仕事場に行き、アクトレスがヴァイスを倒すお手伝いをする。
変わったのは、座る場所が戦闘機のコックピットから会社の作戦指揮所に移ったことだけだが、新しい環境だし後方からの指揮というのは不慣れだ。
そんなに上手くいくだろうか…。
初出勤へと向かう車の中でも、不安が付きまとってくる。
こんな一抹の不安を解消するためのツールは、あの戦闘機しかない。
「あぁ、またあの戦闘機に乗りたい…」
そんなわけで、俺はさっきからこの言葉をボソボソと呟いている。
成子坂製作所に出勤するために新宿区へと愛車を走らせながら。
壊れたレコードの様に何度も、何度も。
部隊では愛機すら持っていなかったのに、俺はいつまでも未練タラタラだった。
以前、物を捨てきれないとき人間はその物に所有されている、なーんて言葉を聞いたことがあるが、今の俺は戦闘機にがっつり所有されてしまっている。
そんな戦闘機に心奪われた俺が、人目を引く大型トレーラーの存在に気が付かず通り過ぎてしまったのは、ある意味当然だったのかもしれない。
○○○
「ここが…仕事場か」
家からちょうど30分、俺は新たな勤務地である成子坂製作所に到着した。
古ぼけた中小企業の工場の様な見た目だ。
人通りの少ない直線道路を挟んで大きな倉庫があるが、ここの所有物なのだろうか?
まだ誰もいないのか、施設全体は暗い。
オフィスに入って電源スイッチを入れると、事務机の上にある『隊長』というネームプレートが目に入る。
朝6時半という早い時間なので、まだ誰も来ていないらしい。
本当なら最初に所長に挨拶すべきなのだが、今日は所用で居ないという連絡を受けている。
今までメール連絡のみで、所長の面を見ていないのも不安の一つだった。
『君に全面的に任せる。好きなようにやってくれ』と言われてもなぁ…。
ピシっとしたスーツで席に座ると、デスクワークであると否応なくわかってしまう。
今からは大空や宇宙を飛ぶことすら出来ない。
朝から感じていた不安もあり、余計に俺は凹んだ。
えぇい、前線に出るのは彼女達なのに隊長の俺が不安になってどうする!
俺はすくっと立ち上がり、施設見学がてら気分転換をすることにした。
だが…発奮に見せかけた現実逃避にしか過ぎないのは言うまでもない。
○○○
「さーてと、ここが俺の仕事場か…」
いくつかの部屋を見た俺は、ここの要である作戦指示所に入室した。
今日からこの席とコンソールが俺の友であり相棒になる。
トモダチの一人になる暗いモニターを見つめていると、なんだか悲しくなってきた。
…全く、これじゃ隊長というよりオペレーターだぜ。
現実を突きつけられると、改めて肩を落とさざるを得なかった。
今日何度目だよ。
だが前線での指揮に慣れているからといって、元の職場である東京AEGISに戦闘機を譲ってくれと要請するのは論外だし、今の戦闘機は偵察程度しかできない。
精々遠くで見守る程度で、それではコンソール君と向き合っているのと変わらない。
かといって、霞にあの戦闘機をくれと頼むのは恥ずかしすぎる。
…しかも、アイツへの頼み事はロクでもないオプションで返ってくる。
「すいません、隊長っスか?」
「なんだ」
記憶を頼りにオフィスへと戻る途中で、鈴木有人(すずき あると)という青年に呼び止められた。
整備部に所属する彼の年齢は俺と同年代か少し下のようだが、語尾の~っスがいやに耳に付く男だ。
どうやら、彼の上司が配達員と揉めているらしい。
彼の焦りようが尋常ではなかったので、ついていくことにした。
…はぁ、隊長としての初仕事は揉め事の解決か。
ガレージの様なメンテナンスエリアで、四、五十代の眼鏡を掛けたオッサンと若そうな配達員がやりあっている。
どうやら、後ろの荷物で揉めている様だ。
オッサン…もとい磐田宗一郎(いわた そういちろう)整備長は青筋を浮かべているので、猶予はない上に慎重な対応が求められる。
「何事ですか?」
「おう、来たな隊長。…で、これはどういうことだ?」
「ふぇっ?」
突然の質問に、俺は間の抜けた声を上げた。
これ以上磐田整備長を刺激するのはまずいので、どういうことだと言われても困ると言いたい所をぐっと堪える。
どうやら彼は奥の箱を指差している様だ。
箪笥を二つ並べたぐらいの大きさを持つそれは、見覚えはあるが何故ここにあるのかは分からない。
取り合えずシートを取ってみるしかないな。
シートを外してみると、予想通りフライトシミュレーターだった。
安いコストと設置のしやすさを引き換えに、機体の動きに合わせて傾く機能を無くした簡易型だが、何故こんなところにあるんだ…?
「そっちじゃねぇ、外にある奴だ!」
え、外にある奴?
彼に言われるがままシャッターの隙間から外に出てみる…が、そこにあったものを見て俺は思わず再び間の抜けた声を上げてしまった。
大型トレーラーの上に全長20mはある物体が鎮座していたのだから。
確かに、こんなものが何の連絡もなしに届けられたら誰でも怒るだろう。
…何だこれはと言いつつ、カバーに書かれたヤシマ重工株式会社の文字と物体のシルエットから俺はある結論を導き出した。
戦闘機だ…しかも霞の作ったやつだ…。
「っ!あいつ、なんてものを!」
俺は配達員が止める間もなくカバーを引っぺがす。
鶯色のベールの下から現れたのは、漆黒に染められた機体だった。
大きさは大体22mといったところか。
胴体と主翼が溶け込むように一体化した滑らかなブレンディットウィングボディ。
幅が15mもある主翼は菱形という珍しい形。
尾翼は方向舵と昇降舵を兼ねたラダベータとなっているV字翼だが、VというよりWに見えるくらい外側に傾いている。
ほぼ全員が文字通り絶句していた。
「………」
「………」
「では、ここにサインをお願いします」
「お、おう…」
「今後ともご贔屓に」
…一人を除いて。
皆が呆気にとられる中、配達員だけは平気そうな顔をしていた。
恐らくかなり以前から霞の悪ふざけというか悪だくみに付き合ってきたのだろう。
伝票を受け取ると一礼してトレーラーで帰ってしまった。
…残された戦闘機を前に、メンバーに再び訪れる沈黙。
この静寂を破ったのは、俺の携帯から鳴るワルキューレの騎行だった。
着信相手は、今から掛けようと思っていた人物。
『やぁ、今ちょっと大丈夫かな?』
騒動の種をぶち込んだ張本人の第一声がこれである。
相変わらずのヘラヘラとした態度にイラッときた。
だが、湧き上がる怒りをグッと抑えつつ返答する。
「何の用だ、こっちは今忙しい」
『いやーそろそろ僕のプレゼントが届く頃かなぁーって思って』
「プレゼントぉ!?」
『そう。その子の名前はFVgs-01ag鍾馗、アリスギア搭載型全領域戦闘機だよ』
「は…戦闘機?じゃあこの前の奴は?」
『あぁ、火竜?アレは…ただのオ・モ・チャ。その子は純粋なウォープレーン』
「で、なんで送ってきた?」
『君への入隊祝いとね…。僕の実験序でにヴァイスを退治してくれると助かる。人造の魔除けの神様を駆ってね』
珍しく本音をぶっちゃけやがったなコイツ。
しかし、プレゼントと言われてもな…。
このマッドエンジニアのプレゼントは、大体相場の四割の金が掛かる。
が、俺に数億円もする戦闘機を買うお金なんぞない。
しかもアリスギアを弄るスキルもない。そもそもこれを入れる場所は?
第一、免許は…?不安しかないんだが。
『代金は戦闘データで支払ってもらうから代金の心配は心配ないよ』
「んなっ、なんでそれを」
『君のみみっちい考えなんてだいたいそうだろう?』
「んくっ。と、というか…免許は!?無免許はさすがに不味いだろ!」
『大丈夫大丈夫、君は自動車免許や航空免許と一緒に更新したはずだよ?』
「は…免許更新をもう受けてる…?」
『君は面倒事になると無念無想の境地で機械的にこなす癖があるだろう?今回はそれを利用させてもらったよ』
「やられた…」
そう、俺はテストとかの面倒事になると何も考えずにこなす癖がある。
自動車、航空機、宇宙船と更新が一気に来たので、今回もこの癖を発動させたのだ。
まさかアクトレス免許まで混ざっていたとは…。
うまく利用されたようだ。
『定期メンテはそっちがやってくれるよ。それほぼ9割は成子坂製作所の部品を使っているからね。倉庫があるからそこに止めればいいし』
「あ、そう」
確か、ヤシマ重工の傘下には叢雲工業という会社があり、そこのアクトレス部門は東京シャード内では業界最大手だったはずだ。
いくら心臓が強いと言っても、そのあたりの事は考えているらしいな。
いや、これはただ単純に鍾馗のメンテをやりやすくして稼働率を上げるためだろう。
マッドエンジニアではあるが、経済性と稼働率の良い製品を作るのも彼女の特徴だ。
『君は何の心配もしなくて良い。それより、言う事があるんじゃないかな?』
「あー…。例を言う、ありがとう」
『どういたしまして。存分に暴れてくれ、ピエロ君』
「お、おう」
投げキッスを電話口にすると、彼女はピッと電話を切った。
…暫しの沈黙。
「すみません、俺の同輩が…」
「すごい…。すげーっスよ、アリスギア・ファイター!?何スかそれ!?」
「うぉー燃えてきたぁー!」
「…え?」
謝ろうとしたら、妙に周りがヒートアップし始めた。
盛り上がっているのは鈴木有人を含めた整備部の若いメンバー。
こういう所はオトコノコってわけか。
ハーァとため息を一つ吐く。
盛り上がるメンバーを見て呆れている磐田整備長も俺と同じの心境なのだろう。
「うちのがすまんな」
「いえ…元々アイツの持ち込んだ案件ですし…。あ、あの倉庫空いてます?」
「おう、要らないものを片付けたらな。手伝ってくれるか?」
「ハイ!」
「よし。お前ら、今から倉庫を片付けるぞ!」
「「おぉーっ!」」
俺は磐田整備長を含めた整備部のメンバーと倉庫を片付け、鍾馗を入れるスペースを作った。
整理とごみ処理の為に数時間かかってしまったが、皆がキラキラした目をして手伝ってくれたし、人生で初めて愛機を得た俺もウキウキとした気分で整理していた。
慣熟訓練は明日からだが、今日のうちにフライトマニュアルを読んでおくことにしよう。
倉庫のライトに照らされて、白く縁取られた骸骨のエンブレムが輝いた。