『ログ・ホライズン』 幻獣記   作:Kaisu

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書いていたときの5話開始。6話構成。
キリいいところで切れなかった結果、全体として異様に長い。


夜と朝と

 泰山仙境に王燁(おうよう)たちが到達して、その夜遅く。

 

 本当なら皆で仙境散策でもして夜は瑞袞(ずいこん)さんとご飯でも食べようという話だった。

 とりあえずの仮宿として南向きの斜面にあった社に荷物を広げ、一服して自由時間と解散したところ、夕方の集合時刻になっても索峰(さくほう)さんが現れなかった。

 

 様子を見に行けば索峰さんはブラッシングしようとしていたらしい自分の尻尾を枕に、〈天使のブラシ〉を片手に握ったまま潰れたように眠りに落ちていた。

 それなりに起こす努力はしたもののどうもにもこうにも起きる気配がなく、息はあるのでそのうち起きるだろうと諦め索峰さん抜きで仙境散策になった。

 

 郭貂麟(かくてんりん)さんも崔花翠(さいかすい)さんも、それぞれ「緊張の糸が弾けた」「電池切れ」と理解を示していた。

 どうやら我慢と気力の上限を山門の戦闘で振り切ったらしい。

 

 

 聞けば王燁と出会う前から精力的に動き負担もかかっていたらしく、蓄積疲労で今の今まで破綻しなかったことの方が不思議とは崔花翠さんの評価。

 1回HPを尽きさせていることも影響しているかもしれないと言っていたし、このフリーズ寝落ちではいつ起きるかわからないとも。

 

 頭か体かどちらが原因かはわからないが、王燁や玲玲(れいれい)も索峰さんに相当余計な気を使わせていただろうとは想像できる。

 対冒険者には物理的距離で、対モンスターには環境で隔絶したこの場所は、社会からも離れた安全地帯。

 雲の上、浮き世の仙境である。

 

 身を休めるという点で今この地域はこれ以上ないほどに静かで平穏。封禅の儀を行う祭壇があるのでそのうち騒ぎが起きそうだがこのあとすぐにというわけでもない。

 冒険者狩りに遭って救われた身としても、冒険者からの襲撃に当面怯えないで済む事実だけでもそれなりに安心する。

 

 索峰さんの電源が落ちるのも当然なのかもしれない。安心と平穏を担保するものがここにはとても多い。

 なるべく早く再起動してくれるといいなあとは思うけれど。

 即物的には、索峰さんが食料の大部分を持ち歩いていて手元には今晩を含めて2食分しかないということもあり。

 

 物事を進めようとすると索峰さんがいないことには手間が増すばかり。

 崔花翠さんが物事を推し進めるのも〈翠壁不倒〉というギルドの色のひとつではあるのだろうが、変容した『エルダー・テイル』世界の現在のパーティで実権を握り屋台骨も担っているのは間違いなく索峰さん。

 

 

 崔花翠さんもお飾り団長というわけではなく、行き先を決めるリーダーではある。

 でも戦闘以外の実務ではどうなんだろうと思う。

 段取りを裏で動かしたり、なにかの検証をしたり、といったことには不向きに見えるのだ。

 先頭を突っ走る側とでもいうのか。

 

 

 郭貂麟さんは立場がふわっとしている。

 王燁ほど大事に配慮をされているわけではないが、発言権を持ちつつもどこか守護されている立場は変わらない。

 あまり意見を表明することはなく、王燁以上に、パーティ内で最も空気に流されているといえる人。

 大人2人が決めることに対して反発もせず、長旅にも文句を言わず、かといって戦闘を苦手にはしておらず。

 騒乱の種を持ち込んだ王燁と玲玲にトゲのある対応をすることもない。この状況を面白がっている雰囲気すらある。

 不思議といえば、不思議な人だ。

 

 

「王燁ちゃん、ちょっといい? もう寝てるかな?」

「まだ起きてるよ」

 引き戸をノックして現れたのはその郭貂麟さんだった。

 一瞬警戒して耳を立てた玲玲も一瞥しただけですぐに警戒を解いた。

 

「ごめんね夜中に」

「いえ、まだ眠くないです」

「ひまわりの種食べる? もう歯磨いたかな」

「まだです。貰います」

 魔法の鞄から引っ張り出された袋はひと抱えもあった。

 

「買っていた時も言ってたけど、好きなんですよね、ひまわりの種」

「うん、なかなかやめられないの。親にはあんまりいい顔されなかったけど。ここには誰も文句言う人もいないし、見つけた時は嬉しかったな。つい沢山買ってもらっちゃった」

 郭貂麟さんは慣れた手つきで簡単にピッピッと殻を剥いて口に運んでいる。

 

 王燁も食べたことがあるのでなんということもないが、郭貂麟さんほど殻剥きは早くない。

 しばらく、黙々と2人でひまわりの種を食べ続けた。

 

 

「えっと、なんで郭貂麟さんは王燁の部屋に来たんですか?」

「ああごめんね、つい夢中になってた」

 ころころと郭貂麟さんは笑う。

 

「えーとね、山門で〈挿翅虎〉と戦ったでしょ。あの時、角端(かくたん)、玲玲に任せきりじゃなくて王燁ちゃんも武器で接近戦したでしょ。大丈夫だったのかなって」

「大丈夫……?」

「怖くなかったのかな、って。翠姐(すいねえ)さん、実は接近戦できるまで結構時間かかったから」

 

 ちょっと意外な話だった。崔花翠さんには真っ先に突撃していく印象しかなかったから。

 

「怖さ、は、ある、かな。ただ、思っていたよりは怖くなかった、です」

 仙境入口での戦闘も、意識を振り向けられ過ぎて崔花翠さんが攻撃チャンスを逃していたのではないかと感じるぐらいには過保護な注意と支援をもらっていたとは思う。

 

「強いね」

「玲玲が強い防御力強化かけてくれてたし、移動中の、背中に乗っていた時の、勝手に攻撃を仕掛けにいく時よりは、心の準備できましたし、あれで接近戦の雰囲気に慣れた、というのも、あるかも、です」

「あれは辛かったと思う。うん」

 

 2人で玲玲に視線を向ける。

 我関さず、と玲玲は板張りの床に座っているだけだ。

 

「でも、人間相手、だと、どうなるかわかりません。王燁は、そっちの方が、今は怖いです」

「私も戦いたくない」

 

 この世界での最初の戦闘で遭遇したPK(プレイヤーキラー)行為。

 あまり思い出したくはないが、王燁の記憶にしっかり残ってしまっている。

 助けられて、なおかつ勝ったので、嫌な思い出ではあっても人を見て恐怖を覚えるまでになることはなかった。

 

「玲玲が頑張ってくれただけで、王燁はなにもできませんでした。逃げようとしたんですけど、追いかけられて、逃げきれなくて、追ってくる人はみんな顔が怖かったのに、笑ってて」

「ひっどい」

 

 ニヤニヤではない。怖さのある笑顔だった。

 明らかに王燁を下に見ていて、蟻でも潰すような感じが伝わってきた。

 それがあったからなのか玲玲の怒りっぷりもかなりのものだった。

 しばらく一緒に過ごして、あの時は相当な憤激だったと、ようやくわかったのだ。

 

「怖いのもそうですけど、なにも考えられなかったんです。もし、ちゃんと考えて動けていたら、って思ってしまって」

 悪いものに当たったということは自覚している。それでも後悔は残る。

 

「んー、無理。それはさすがに。無理なことを考えても仕方ないと思う」

 バッサリと切り落とされた。

 

「な、んで?」

「1人でいるところを複数プレイヤーに襲われたらまず逃げられないし。1対4とか5なら、翠姐さんや索峰さんでも相当キツイか、無理だよ。

 私もゲーム時代何回もPKに遭ったけど、襲ってくる側は『これなら勝てる』って見込みがあって襲ってくるから。襲われたその時点でだいぶ不利だから。

 もしちゃんと考えられたとしても、こちらが繰り出せるコマンド数と時間が足りないの。もしそんな人数差で返り討ちにできるなら、それはただの化け物か、襲う側が戦力を見誤っただけ。

 敗因をあとから考えたところでやっぱりどうにもならなかったってのがほとんど。1人と相討ち取れたらいいぐらいだと思う。女の子襲う男の集団ってのは腹立つけど」

 

「そんなもの、なんですか」

「こっちで私が直接PKに遭ったわけじゃないから、説得力に欠けるかもしれない。でも、そんなもの。

 理不尽なものと考えて、PKにそもそも狙われないようにどうするかを考える方がよっぽどいい。

 結果論だけど、あのPKで王燁ちゃんがちゃんと戦いに関して考えられる状態だったとしても、王燁ちゃんたちのHPがちょっと多く残った状態で私たちが助けに入るだけで、結果は変わらない。私たちが助けに入らなかった場合も結局キルされると思う」

 

「女の子は夜道を1人で歩くな、ってこと? こっちの世界でも」

「そういうこと。男も例外じゃなくなったけれど。殺しても罰則がなくて、殺されても完全には死ねないという違いはあるから現実より更にバイオレンスかもね。1人歩きが危ないのは夜道に限らないし」

 

 王燁は玲玲に目をくれた。

 王燁が戦闘可能エリアに出たのは玲玲に連れ出されたせいだ。

 その意図はまだわからないが、浅い判断だったのかもしれない。

 

「あと、あくまでゲーム準拠だから男女に生物としての力の差がないことは救いかもね」

「えっと、どういうこと、です?」

「ゲームじゃなければ、不意打ちで1人は倒したが屈強な男3人対、女の子2人に若い女性1人に大人の男1人と痛めつけられた大型犬。向こうは殺しも辞さないやる気。どっちが有利か、なんて明らかだもん」

 言われてみれば、現実であれば助けが入ってもなかなか難しい状況だったかもしれない。

 

「ところがこっちの世界では、あくまでレベルと装備と職業と個人の技量のみが強さ。そこに男女差はなくて究極的にはステータス次第。そこに、PKにおける明確な有利不利を提示できたから、消耗戦を嫌って相手が逃げたでしょ」

 

 襲ってきた4人組のうち、残っていたのは盗剣士(スワッシュバックラー)侠客(きょうかく)道士(タオマンサー)だった。

 対するこちらは、ボロボロになった召喚術師(サモナー)と召喚生物に盗剣士、無傷の吟遊詩人(バード)森呪遣い(ドルイド)

 レベルによる差はほぼなかった。そして吟遊詩人と森呪遣いは一般的に支援職とされ攻撃能力は大変低いと見られがち。

 

「こっちには回復職がいるけど、相手もアイテムを使ってHPを回復して速攻でボロボロの2人を倒せば勝ち目がないわけじゃない。

 でもPKの基本である『楽して大きく稼ぎたい』という多くの場合の前提には反する。

 更にこっちが消耗戦が可能な構えを見せた。消耗戦になったら長期的なHPMP回復のできる森呪遣いと吟遊詩人に勝てる組み合わせはそうない。

 そして、PK仕掛けて削り合いの消耗戦になったらなんのためにプレイヤーを襲っているのかわからなくなる。損得勘定ができるならあれ以上はまず戦わないよね。面白いよね基準の差って」

 

「いろいろ、考えてる」

「趣味だったゲームがライフワークになっちゃったから、ちょっと真面目に考察したの。私は強くはないけど、いつまでも翠姐さんや索峰さんに戦闘を頼りきりにできない。

 だけど現実だったら、奇襲で1人倒した時点で相手が仲間の治療優先するかもしれないし、誰か逃げれば通報もできる。細かく対比させる意味はあまりないかもしれない」

 

「それもそうかもです」

 人に襲われた、という経験は、ちょっと得難いものかもしれないと思えてきた。

 嫌な記憶なので積極的に思い出そうという気はないが、ちょっとは楽に向き合えそうな気もする。

 

「それに、こっちの世界に来てから目指すべき森呪遣いの方向も定まったし、そのためにもっと戦闘慣れしないといけなくなったから」

 不思議な人だなと思っていたが、アグレッシブな面も持っているようだ。

 

 

「元の世界に戻りたいとは、思わないの?」

「すぐには戻らなくていいかなって思ってる。ご飯のこととかトイレのこととか不満はあるけど、あんまり居心地のいい家じゃなかったし。ゲームやってないで勉強しろってうるさく言われないし」

「宿題やらなくていいもんね」

 

 ひとしきり2人で笑った。

 

「王燁ちゃんは、帰りたいんだよね?」

「はい」

 

 王燁は、帰りたい。勉強は嫌だが、帰りたいと思う。

 友達とも遊びたいし、誕生日も近かったし、母様も父様も大好きだし、『エルダー・テイル』以外にも楽しみはいっぱいあった。

 

「帰る方法の発見は飛ばされてきた人間全員にとっての宿題だよね。帰りたくないって人もいると思うけど」

「王燁は勉強の成績良かったです。でも、これは……」

「成績ってレベルの問題じゃないからね……。物語としての結末なら帰る手段の発見は物語のシメだけど、MMO型のネットゲームに、ゲームクリア、結末はあるのかってね。

 ずっとサービスを続ける必要があるんだからストーリーの終わりは創られていない」

 

 魔王を倒せば世界は解放されるなんてわかりやすい目標があるゲームではない。その程度の大ボスはあちこちの場所にいる。

 メインストーリーは存在しない。どのクエストを達成すれば元の世界に戻れるのか予想もできない。ゲームの時点で星の数ほどクエストとミニストーリーが存在した。

 そもそもクエストクリアで元の世界に戻る道を辿れる保証もない。全く違うアプローチが必要かもしれないのだ。

 

「運営出てこーい、って言いたいけど、運営がいる気配もなく」

「探せば、社員がいる、かも?」

「いるとは思うけど、社員プレイヤーだってバレたら、どんな目に遭うか。正体明かしても得がないでしょ。解決策知らなかったら、なおのことね」

 

「公式プレイヤーなら、どう?」

 

 対外PR用に職業『エルダー・テイル』プレイヤーも結構いると聞いている。

 直接運営には関わっていないが繋がりはある、はず。

 

「もし巻き込まれてたら社員より悲惨な目に遭ってるんじゃない? 怒りを向ける先としてちょうどいいし。格好の的すぎるぐらい。

 事情を知っていても地獄知らなくても地獄。私なら吊るし上げられる前に全力で逃げる」

 

 郭貂麟さんはひまわりの種をつまむ手を止め、頭を掻いた。

 

「それに、もし巻き込まれた社員や公式プレイヤーがいて原因を知ってたらもう情報が拡がってるんじゃない? 仙境に来る前どころか王燁ちゃんと出会う前に」

「どうして?」

「誰でも知りたいでしょ、どうしてこうなったか」

「それは、確かに」

 

 1番大きな可能性は大型アップデートの《ノアウスフィアの開墾》だが、どうすればゲームの中に送り込まれることになるのか。

 

 一際大きな風が建物を揺らし、ピクリと玲玲が反応したがそれだけでなにもしない。

 山の上だからか時折強風が吹く。ちょっと怖い。

 

「こうなった原因と解決法、どちらか片方でも今1番大事な情報で、運営側で事情を知っててそれで巻き込まれてるなら、隠す理由はないんじゃない。

 公式プレイヤーなんて自分が1番危ない立場。暴力的に聞き出そうとする人もいるでしょ、この状態じゃ。

 念話は生きてるし、仮に明確な原因がわかったら人づてに一瞬で広まると思うよ。でも燕都を出た時点で有力な噂はなにもなかった。

 燕都だって大きなホームタウンだったし、そういう運営側の人が巻き込まれてたら最初に飛ばされた時に混じってたはず。

 特に公式プレイヤーが巻き込まれていれば必ずどこかで目撃されたはず。公式プレイヤーだって社員アカウントの1人2人は知ってると思う」

 

 息継ぎついでに郭貂麟さんは水筒の水を飲んだ。ほのかにレモングラスの匂いがした。

 

「解決法がわかっていて、それのために人数が必要なら、難易度が高くても協力者はいくらでも出てくる。そうなると隠してなんかいられない。

 巻き込まれながらわざと隠しているなら、相当根深い問題でかつ相当な勇気。こんなご飯で我慢しなきゃいけないんだから。これじゃ我慢だってそんなには続かないよ」

 王燁は殻を剥いたひまわりの種をひとつまみ口に入れた。

 味はするがずっとこれでいいとはとても思えない。刑務所だってもうちょっとマシなご飯が出るだろう。

 熱々で濃い味付けの料理がもう恋しくなっている。

 

「だから、運営側の人間が巻き込まれていたとしても私は原因も解決する方法もわかってないことを予想する。希望もなにもないけど」

 ため息が2人揃って出た。

燕都(イェンドン/北京)にいた時に索峰さんが言ってたんだけど、衣食足りて礼節を知る、って日本のことわざがあるんだって」

「どんな意味?」

「もとは中国のことわざらしいけど、日本版だと、食事や衣服が整ってお腹が膨れてちゃんとした服を着て、それからようやく心にゆとりができて、礼儀正しく、節度が生まれるんだって。でも今は衣服はあるけど食事は微妙でしょ。だから節度は生まれなくて、燕都は荒れるって言ってたの」

 

「美味しい料理お腹いっぱい食べて満腹になったら、嬉しいしほっとする。わかる気がします」

「果物でも見た目だけのマズイ謎の物体でもお腹は膨れるけど、物足りないもんね。なるほどなーって思った」

 

 作ろうとして作れる料理のようなものは、せいぜい皮を剥いて切り分けた果物を適当な器に色々入れただけのフルーツ盛りが限界。あまりにも悲しい。

 

 

 衣服はあると郭貂麟さんは言っていたが王燁としては疑問符がつく。

 確かに燕都で下着を含めていろいろ買えたし、今着ているのも寝間着だ。

 ただ質は良くない。現実世界で使っていたものよりも悪い。

 

 服の体裁はどれも保っているが、肌触りは悪くフィット感も薄いし、サイズも若干大きく吸湿性や通気性も良くない。

 服の質だけを優先すると、手持ちの中ではインナー付きの〈赤珊瑚〉シリーズのローブが1番良好という悲しみ。装飾がゴツゴツするので楽な格好とするにはまるで向かないけれど。

 

「さってと、思ったより元気そうだったし、長居しちゃったし、私はそろそろ部屋戻るね」

「はい、おやすみなさい、郭貂麟さん」

「うん、おやすみ王燁ちゃん、玲玲もおやすみ」

 

 食べ散らかしたひまわりの種の殻を手で掃き集め、ひらひらと手を振って玲玲にも就寝の挨拶をして郭貂麟は去っていったが、玲玲はなにも反応しなかった。

 

「もうちょっと愛想よくしたら?」

 王燁は玲玲に話しかけたが、返事は返ってこなかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 明かり取りから差し込む曙光。

 吹き込む湿気を帯びた冷涼な隙間風。

 尻尾と顔の毛を糊付けしたヨダレ。

 軋む腰と背骨。

 握りしめたブラシ。

 筋肉が固まった手。

 なぜか索峰(さくほう)を囲う小さな狐の群れ。

 

「ぬぉ!?」

 飛び起きた。

 

「今何時だ!?」

 突然バキバキグキグキと全身から変な音を出しながらと動いた索峰を見て、蜘蛛の子を散らすようにわたわたと小狐が扉の隙間から逃げていった。

 

 まぶたの目ヤニがぶ厚い。涙の跡もある。

「なんだったんだ」

 小狐が戻ってくる様子はない。

 

 

「いま何時だ……?」

 目を擦りながら窓の雨戸を上げる。

 陽は低く気温も上がっていない。しっとりとした風が索峰の顔を過ぎていった。

 正確な時刻は不明だがそれなりに朝早いようだ。

 体内時計の起床アラームが間違っていないならAM6時過ぎ。

 

「寝落ちてこの時間かよ、マジかよ」

 自由時間で解散し仮宿の(やしろ)に入ったのはまだ夕方にもなっていなかったはず。感覚的には14時ぐらい。

 そこで軽く荷物整理を行い、枯れすすき色の尻尾を1本ブラッシングしたところまで覚えている。

 

「あいつら起こさなかったのか」

 頭を掻く。後頭部から生える狐耳に指が触れる。まだ、慣れない。

 

 〈魔法の鞄(マジックバック)〉から水筒を出して水を飲んだ。ヌルい。美味くもない。

 コーヒーでも紅茶でも烏龍茶でも玉露でも緑茶でも、なんでもいいから切実にカフェイン飲料が欲しい

 

 

 はて寝落ちするほどそんなに疲れていたのだろうかと考える。

「いやまあ、考えるまでもないか」

 すぐに考えを打ち消した。

 

 泰山麓の泰山砦に着くだけで数十の戦闘、登って来てから大きな戦闘2度。

 それ以前にも戦闘外で心労も多数。困ったことに思い当たる節が多すぎる。

 蘇生呪文での蘇生ペナルティはおそらくない。

 あれを短時間に蘇生して死んでを繰り返したら体に悪そうだなとは思うが。

 

 顔を洗って、やることもないので朝の散歩と洒落込んだ。涼やかな風がほどほどに眠気を醒ましてくれる。

 それでも眠気がまだ残るあたり疲労は根深いのかもしれない。

 布団も敷かずに自分を寝具に変な寝方をしたからかもしれないが。

 

 歩いているとちょっとした台のような岩を見つけたのでそこで朝食を摂ることにした。

 〈魔法の鞄〉から水筒と2Lペットボトル3本分ほどの大きさのひんやりした(かめ)を取り出す。

 口が広く蓋が固定できるだけのただの陶器の甕だが索峰はこれを重宝していた。

 

「冷えてる冷えてる、と」

 入っているのは皮を切り外して一口大にカットした西瓜と霜を生やした鉄片。

 

 

 鉄片は〈永年凍鉄〉という。燕都(イェンドン)以北で長城沿いに毎冬の定期イベントで襲来するモンスターとの防衛戦で手に入る素材。

 ハイエンド素材のひとつで、日本語であれば「零下を保つ鉄の欠片」なるフレーバーテキストを持つ。武具や矢に使用すると冷気系の属性に相性が良い。

 

 この世界に来てから行ったアイテム整理中にアイテムボックスの片隅に転がっていたのを発見したもの。

 鉄なら危険な成分でもないし、保冷剤として使えるんじゃないかと氷代わりに使ってみたところ期待通りの働きをしてくれている。

 

 難点として、ドライアイスほどではないにせよ保冷能力は零下を結構下回っているらしく、長時間甕の中に放置すると果物を凍らせてしまうのが疵ではある。

 それを避けるために〈永年凍鉄〉を布に包んだり底に敷いて板で上げ底して物理的に距離を取ったりといろいろ試しているが冷え方にムラがあるので満足はいっていない。

 ともあれ便利ではあるので一応他の3人にも渡しているが、体を冷ましたがらない女性の感覚か皆使う気はない様子。

 

 

「あー、まっずぅ」

 前にこの甕に鉄片を仕込んだのが泰山登山に出発する前、時間にして24時間ほど前。

 寝落ちする前に水分補給のつもりで少々つまんでかき混ぜたが、その後は15時間ほど魔法の鞄から出した状態で放置され、朝に社を出るとき戻したばかり。

 

 〈魔法の鞄〉の中では劣化も時間経過の変化もないが、この甕は部屋に出しっぱなしになっていた。

 その結果、分量中ほどから下の西瓜は見事凍りついていた。

 

 凍りついているといっても剥がせないわけではないのだが。

 身体能力の向上はこういう場合でも実感できる。もっともこの場合は凍った西瓜を砕くと言った方が近いが。

 

 パギッ。

 ガツガツと凍った西瓜を掘り下げてつい力が入った。甕にヒビが入った。

 

「おぉう……」

 所詮、陶器の甕。冒険者になる前の元の人間の力でも割れる程度の強度。無理をすれば当然の成り行き。

 同型の空の甕はまだあるが、割ったのはこれが初めて。

 

 手を合わせ、なお力を込めて甕を完全に割り、凍った中身を剥き出した。

 〈永年凍鉄〉を剥がし、凍った西瓜の塊を適当に砕いて別の甕に入れ、甕の破片を片付け、改めて朝食。

 もはやかき氷と化した西瓜。もともと涼を求める果物だけあって物凄い勢いで体が冷え切っていく。失敗だ。

 

「やっぱり食べる前にしばらく漬けてばーっと冷やした方がいいか」

 

 結局完食は諦め、他の甕に凍った西瓜を移し替え、マンゴーで腹を満たす。

 適度に冷えた果物を食べる方法の開拓にはまだ検討すべきことが多そうである。

 魔法系の特技も使えないことはない吟遊詩人(バード)だが、冷却に使えそうな特技はない。

 魔法を使えても今ひとつ融通が利かないものだと思う。

 

 

 そういえば寝落ちの前に尻尾の手入れしようとしていたなと尻尾を見る。

 散々雷撃を受けたからかところどころ毛が縮れていてボサついている。

 

 まだ朝日は低くみんなを起こしに行くほどではない。

 〈天使のブラシ〉を尻尾にあて丹念にブラッシングしていく。この行為にもすっかり慣れてしまった。

 みるみる毛先が整い縮れ毛が直毛になりワックスでもつけたように艶やかになる過程は、何度見ても不思議。

 10回もブラッシングすればピカピカになるとはいえ7本も尻尾があるので、そこそこに時間がかかるのが面倒。

 

 なぜ7本設定にしたのかと過去の自分が恨めしい。

 見た目重視と理由がわかっているだけになお恨めしい。

 気に入っていたのも事実だけに殊更に恨めしい。

 

 

「ん、ん?」

 狐尾7本の仕上がりに満足し顔を上げると、先ほど寝起きに自分を囲んでいた小さな狐が1匹。

 薄いオレンジ、日本風には淡い蜜柑色といった感じの色合いで、尻尾と耳の先が黒い。30cmはないだろう手に乗るサイズの豆狐。

 

 じいーっと、〈天使のブラシ〉を見上げている。

 〈天使のブラシ〉を頭上に翳したりうにょんうにょんと動かしてみると、首がそれを追う。

 

「ふむ」

 座ったまま膝を軽く叩いて膝の上を促してみると素直にぴょこりと乗ってきた。

 〈天使のブラシ〉に興味を示していたので、なんとなくでブラッシング。

 

「みー」

 途端、でろーんと豆狐が弛緩してだらけた声を出した。気持ちいいらしい。

 

「痒いところはございませんかー」

 言葉を理解しているのか偶然か、背を磨き上げたところで豆狐が膝の上で転がり腹を向けた。まるで子犬のようだ。

 腹を見せる行為は服従のポーズというが少々ちょろすぎやしないかと豆狐の顎の下をブラッシングしながら思う。

 仙境だから人馴れしているのか、はたまた索峰が狐尾族だからか。

 

 表示は〈霊芝狐(れいしこ)〉でモンスターに準じたもの。

 非戦闘エリアに出現しているのでおそらく危険はないと思ってはいるのだが、エキノコックス持ってないよな、と少々怖くはある。

 こちらも狐だけに。

 

「みー」

「みー」

「みーみー」

 いつの間にか〈霊芝狐〉が周りに増えていた。揃いも揃って気配がほとんどない。

 

 最初に膝の上にいた〈霊芝狐〉がブラッシングを終えぷるっとひと震えし膝の上を辞した途端、次は俺、いや私と言わんばかりに膝の上を奪い合い猫パンチならぬ狐パンチの応酬になった。

 いるのは最初の〈霊芝狐〉を除いて5匹。

 

「全員磨いてやるから並べお前ら」

 群がる〈霊芝狐〉を摘み上げ1度膝の上を空にしてから改めて1匹誘いこみブラッシングを開始した。

 

 すると最初にブラッシングを終えた〈霊芝狐〉が色のついた小石をくわえて戻ってきて、代金のつもりか索峰のすぐそばに置いて、取り巻きから一周離れたところで石畳に腹をつけてだらりとのびた。

 小石は〈雲鋼玉〉と表示されている。

 

 2匹目は白い〈石英結晶〉を持ってきて、3匹目は〈陽桃種〉、4匹目はその名と同じキノコである〈霊芝〉。

 

 そして5匹目をブラッシングし終えた時には、新たな〈霊芝狐〉が当然のように順番を待っていた。

 たらり、と索峰の背を汗がつたった。








用語解説というか豆知識
霊芝
薬用になるキノコ。別名万年茸。
このキノコ自体は硬く食用に適さないがエキスに薬効。
中国では昔から重用されている。
つーか2000年近く前の世界最古の薬草本にも載ってる。


玉露ってカフェイン量がコーヒーの2.5倍ぐらいあるそうで。
翼を授ける飲料(日本版)比では1.4倍ぐらい。
玉露に含まれるタンニンがカフェインの吸収を緩やかにするそうなので、コーヒーや翼を授ける飲料ほど眠気解消に直撃はしないようですが。
コーヒー嫌いならご一考。基本いい値段しますけども。
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