『ログ・ホライズン』 幻獣記   作:Kaisu

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現況確認

 郭貂麟(かくてんりん)厚底靴(ブーツ)索峰(さくほう)が猛烈に渋い顔をしながら購入し、3人で靴屋を出た頃には日が暮れかかっていた。

 

 黄砂もスモッグもかかっておらず高層ビルの類もなく、城壁に沈んでいく太陽を見て崔花翠(さいかすい)はなんとなくテンションが下がった。

 索峰は夜に向かう時刻でもこの世界の戦闘を試したいようだったが女性陣2人による「夜は危ない」「もう疲れた」「お腹空いた」「初日から野宿は嫌だ」などの反発にたじろぎ、消え入るような声で反論していた。

 それでも女心がわかっていないと責め立てると降伏した。男といえど1人で夜の戦闘区域に出る勇気は奮い起こせなかったようだ。

 

 

 郭貂麟の新しい厚底靴の慣らしも兼ねて、シャワーの使える宿屋を探し歩いた。

 その途中、屋台で饅頭汁を買い求めたが、お湯に味のない月餅といった感じで不味いの一言ではあったが、温かい汁物という点で飲み込みやすく少し気分は和らいだ気がした。

 出店準備中の大地人の飲み物屋台を索峰が見つけ、西瓜ジュースを売るとのことだったので索峰が粘って加工前の西瓜を2玉購入し、体は冷えたが味のある食べ物にもありつくことができた。

 

 

 索峰の尊い犠牲により与えられた〈紅蜥蜴厚底鞋(あかとかげブーツ)〉を履いた郭貂麟の調子は良好で、まだ時々よろけることはあったが、装備している方がかなり楽に歩けると話し索峰を慰めた。

 もっとも、私が見つけたグレード上の下程度と思われる宿屋《燕青大飯店》3部屋分の宿泊料金の支払いを押し付けたので、またすぐ渋い顔になって恨めしそうに目線をくれたが無視した。

 

 そこそこ値が張るだけあって、設備やアメニティは思ったよりも満足できるもの。

 とりあえず一度眠って続きは明日にしよう、と提案したところ、索峰も反対はせず夜は自由行動になった。ただ、燕都(イェンドン)の街の外には勝手に出ないように、とだけ釘は刺した。

 

 それでも索峰は燕都市街を散策して買い物すると言って出て行ったが。

 郭貂麟は部屋で過ごすと言っていて、あたしはそれに賛成。よくわからない場所で女だけで出歩く危険を犯す必要はない。

 宿屋は時間制ゾーン貸し出し扱いなので安全地帯になる。ベッドと布団の質も悪くなく、寝付けない事態にはならなさそうだった。

 

 

 あたしは郭貂麟を自室に誘った。

 あたしは女同士1部屋にするつもりだったが、部屋も余っていて、なによりほぼ初対面の人間と一緒の部屋で寝るのは落ち着かないだろうと、索峰が値段増と葛藤しながら1人1部屋に分けていた。

 

(てん)ちゃん、靴、どうだった?」

 女2人、共に部屋に備え付けの寝間着にサンダルだった。

 郭貂麟にはクッション付きの丸木の椅子を勧めて私はベットに腰掛けた。

 

「おかげさまで。数日もあれば、段差に引っかかることもなくなると思います」

「手や腕は大丈夫だったの?」

「違和感はありますが、あまり問題はなさそうです。咄嗟の時にどうなるかはわかりませんけど」

 

 咄嗟の時にどうなるかがわからないのは、崔花翠というキャラクターも同じだ。

 郭貂麟ほど劇的ではないがいくつか数値をサバ読んで設定していたので、わずかではあったが齟齬はあったのだ。

 

「なんでこうなっちゃったんだろうね。運営はなんとも言わないし」

「ベッドで寝たら現実世界に戻っていた、ってことだと良いんですが」

「最初の夜だから期待はしちゃうわね。でも、白昼夢にしては作り込まれ過ぎてる。来れたからには、帰る方法はあるんだろう、と思う。でも私馬鹿だから。なんにも思いつかない」

 

 見慣れたメニュー画面は指先ひとつで立ち上がる。

 しかしログアウトのボタンがあった場所は空白で、イベント事がアナウンスされるタブは無言を貫き続けている。

 

 

翠姐(すいねえ)さんがいたことは、ホッとしましたよ、私」

「なんかわかるわね。あたしも索峰が一緒に巻き込まれてたのを確認して、思わず念話したもの。声聞いて涙出たもん。気が動転してたから、怒られたけど」

「知り合いが近くにいて良かったのでしょうね。私は靴の件もありますが」

「不運の中で小さな幸運だったかしらね。3人同じ都市でスタートできたんだから。

 別れてたら、もっと悲惨なことになっていたでしょうね。あたしの知り合いも結構巻き込まれてるけど、ここぞで頼れる相手ってそうそういないもの」

 

「私はフレンドほぼ全滅です。交友関係のある人はみんな燕都にはいませんでしたから。頼れる人なんて翠姐さんと、ギリギリ索峰さんだけです。1人でどこかに取り残されていたら、とは考えたくないですね」

「神様がいるなら、幸運に感謝すべきか、この転生を呪うべきか、悩ましいわ」

「食事の味だけで、私は恨み言を言いたくなりますね」

「あれは本当にね……」

 

 果物は食べられる。それだけだ。

 どうやら火を通した時点で味は無くなるようだった。あまり食べないが、生野菜も味はするかもしれない。

 いざ味がしないと思うと、途端に肉料理や揚げ物の味を思い出してしまう。

 中華料理は火と油の芸術だ。それを取り上げられては成り立たない。

 

 

「外と、現実世界と連絡がつけばいいのですが」

「メールも電話も通じず、課金用ページにも繋がらず。現実世界と隔絶されたことは確かと言えるのが悲しいわ」

「現実の私、生きているのかな。家族もどうしているんでしょう。最後になんて話したっけ……」

「あたしは母親に夕食のワンパターンに文句言ったのが最後。父親も仕事第一主義者で夜遅い帰りだし。あんな親でも、離れてみれば心細く感じてるのが、ちょっと予想外だった」

 

 

 22歳のあたしと15歳の郭貂麟。

 冒険心よりも不安の感情が色濃いことは隠さなかった。

 夜でも煌々と照明が灯っていた現実の北京に比べ、ゲームの燕都は明るさで言えば4割がいいところ。

 最初の夜から街を出歩けるほどの勇気は、ない。

 

 ゲーム時代なら攻撃行為は牢屋に強制転移か衛兵が飛んできて粛清していたが、その機構が現在も働いているのかも、わからない。

 いきなり出歩いている索峰は元々日本から中国に単身赴任してきてるような奴だから、メンタリティは例外に属する人間のはずだ。

 それなりに危機察知能力も持ち合わせている。おそらく。

 

 

 爆竹と思われる連続した破裂音が窓から聞こえてきた。距離はそう遠いものではなさそうだった。

 安全地帯とはわかっていてもあくまでシステムを信用したからに過ぎず、どこまでゲーム時代のことを信用していいのか。

 新年の祝いや春節には嫌というほど聞く音も、今はいたずらに警戒心を煽るだけの音だった。郭貂麟は破裂音に対してピクリと肩を震わせている。

 

「私、もう部屋に戻って寝ますね」

「うん、ごめんね、付き合わせちゃって」

「いえ、必要なことだったと思います」

 立ち上がった郭貂麟は、転ばないよう慎重に歩いて出て行った。

 

「あたしも寝ようかな」

 誰に言ったわけでもない。意識してちょっとした暗示をかけないと、眠れないかもしれないと思ったのだ。

 こんなに明日へ不安を感じながら眠ろうとするのは、いつ以来だろう。

 ランプの火を消し毛布に包まったが、やはり頭が冴えてすぐには眠れそうになかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 疲れていつの間にか眠って、郭貂麟(かくてんりん)はなんとなく目が醒めた。もう陽はかなり高く昇っていた。

 寝ぼけた頭で学校が!と飛び起きて、ベッドから降りたところで体のサイズの差異で盛大に転んだ。

 それで、あの悪夢のような現実がまだ続いていることを認識した。

 

 今は何時だろうと時計を探して部屋を見渡している間に、入り口の扉の下から紙が差し込まれていることに気がついた。

 

【下の食事スペースで朝食しています 索峰(さくほう)

【食事スペースにいます 二度寝するなら念話ちょうだい 崔花翠(さいかすい)

 

 眠気はまだあったが、二度寝するにしても一応顔を見せておくのが礼儀だと思い、手水鉢で顔を洗って髪を撫でつけ、体裁だけ整えて部屋備え付けの上着を着て、食事スペースへ降りていった。

 

 

 大地人(NPC)と思われる客が数名、そして端の方に金色がかった茶色の毛並みを見つけた。

(てん)ちゃんおはよー、ちゃんと眠れた?」

「おはよう、ライチとマンゴーあるよ。味さえ気にしなければお粥もあるけど」

 索峰さんは顔だけこちらに向けたが手はライチの皮剥きに忙しそうだった。既に結構な量の種と皮が横の皿に積まれている。

 翠姐さんは巨大なマンゴーを木匙で掬って食べている。

 

「あ、じゃあ果物貰います。私の分、お代払いましょうか?」

「いらないいらない。たくさんあるから好きに食べなよ」

「お言葉に甘えます。今は何時ぐらいです?」

「んー、お昼過ぎ、13時ぐらいかしら? 機械式の時計がどこにもないのよね」

 ゾッとした。どうやら相当しっかり寝てしまっていたらしい。

 

「えっと、寝坊してごめんなさい……」

「気にしなくていいよ、翠姐(すいねえ)もまともに起きたの1時間前ぐらいだし。

 翠姐にモーニングコールで念話したら気疲れしてるんだ寝させろって怒鳴られて切られた。諦めて貂ちゃんも起きるまでそのまま寝かせておこうと。

 調べたいことはあるけど、昨日の今日でそこまで急ぎの用があるわけじゃないし、果物を確保する余裕も取れたからね」

 

 

「食品市場って、生の食材は売り切れてませんでしたか?」

 昨日の夜、宿に入るまでに、明らかに市場から物が消えていた。

 特に果物類は買いの集中放火を浴びていた。昨晩のスイカも、加工して売りに出る前のものを大地人から買い取るいわば裏技的手法だった。

 

「これもNPC、大地人産だよ。ただ、夜中到着で早朝販売開始予定だった果物。燕都(イェンドン)に売りに来るか出荷する近くの農家は結構いるみたい。まあ、昼前には争奪戦になったからこれは今回限りかもしれない。だから買えるだけ買っておいたけど」

 惰眠を貪っていた間に、また事態は動いていたのだ。

 味のする食料の入手を頭のどこにも考えていなかったことを、郭貂麟は恥じた。

 

 

「それにしても、買う量にも限度があるでしょ?」

「せっかく倉庫の使用期間の余りと使わない金あったんだから使わないと損だろうが」

 なにか、雲行きが怪しい。

 

「えっと、なにかあったんですか?」

「索峰ね、ギルドに貯めてあったお金と手持ちのお金ほとんど全部果物にしたのよ? ライチとマンゴーとスイカ他いろいろ合わせて、倉庫と手持ちすり切りいっぱい」

 

 先日あったイベントで、イベントアイテムを大量に集めることになりそれを貯蔵する必要が出た。

 交換報酬が美味しかったため翠姐さんと索峰さんがやる気を出したせいで交換用以外のアイテムも大量に集まってために個人所有の保管庫では追いつかなくなり、ギルド単位で期間貸しの倉庫を借りてやりくりしていた。

 使用期限はまだ残っていただろうけども。

 

 

「どうしてそんなに買えちゃったんですか」

「城塔登って外の様子見て、隊商や荷馬車を手招きして交渉、門入った直後に丸ごと大人買いした」

「えぇ……」

「向こうも苦労して運んで来た生の果物数日分を全部高速で捌けてニッコリ、こっちは味のするものたっぷり用意できてニッコリ、ついでにまとめ買いで少し安くしてもらってニッコリ、誰も損してないし、街の外にも出ていない」

 

 ギルド資産の管理は、話し合って翠姐さん4に対し索峰さんが6程度の割合になっていたという。

 それを完全に無視して全力で果物購入に使ったらしい。

 

「でね、これ呆れるところなんだけど、あたしが昼に起きる前に、その果物をいろんな商店ギルドに売り歩いたらしくて。もう倉庫の片隅ぶんぐらいしか残ってないのよ」

「なんでまたそんなに極端なことをしたんですか」

「でねでね、これが索峰が使い込むまでに残ってたお金で」

 

 翠姐さんは答えず、代わりにフルーツナイフで巨大なマンゴーの皮に器用に金額を刻んだ。

 決して少なくない額で、郭貂麟がなんとなく覚えている資産額とはそれほど開きはない。

 

「今の資産額、ギルド情報表示ページで確認してみなさい」

 言われるままにその画面を呼び出し、見る。

 翠姐さんが刻んだ資産、金貨8万枚が金貨110万枚ほどに膨れ上がっていた。

 郭貂麟は11万枚の間違いではないかと指で数えていったが、やはり間違いはなかった。

 

「……110万、ですか」

「個人資産も投入したから10倍か11倍かな。まだ投入した分抜いてなくて、もうちょっと日持ちのする果物も自分たちで食べる用に買ったから」

「詐欺よ、これ」

「失礼な、先物取引みたいなもんだ。金貨30万枚ぐらい稼げないかなと思ってたんだが、みんなおっそろしい業突く張りだったから予想以上になっただけ」

「索峰、あなたも相当酷い守銭奴ね」

 

 このゲームにおいて、個人で5万枚の金貨があれば、結構な資産家と言える。

 実質2人で回していたギルドで金貨8万枚の備蓄というのは、かなり溜め込んでいる域と言えるはずだ。

 ただし翠姐さんは自分の資金をギルド口座に放り込んで自分の財布のように扱っていたので実際の評価額は不定だが。

 

「大地人も損をしない良心的な交渉で仕入れて、必要なところに必要なものを、市場価格ちょい安で大量に個別で売り払う。

 何も悪いことはしていない。悪いのは果物の放出を止めて市場価格を瞬間で大暴騰させた商店側だ」

 

 索峰さんはあっけらかんとしたもので、昨日靴の代金と宿泊費に渋面を作っていた時とは大違いだ。

 

 魔法の鞄(マジックバッグ)から取り出された大きなマンゴーと木皿と木匙を受け取り、翠姐さんのナイフを借りてマンゴーを4つに切り分ける。すると索峰さんが皮に一周切れ込みを入れたライチを一掴み皿に流し込んできた。

 起き抜けの1食目からマンゴーというのも変な気分ではあったが、こってりとした甘みは糖分を欲していた体に案外合致したような気がする。

 

「昼になって大地人の流入が増えて果物もかなり市場に流れたから、まだ高いだろうが朝に比べたら大暴落だろうし、値段が再暴騰することもないでしょ。この出し抜く感じ、最高だな」

 

 目の前で上機嫌でライチを食べ続けている狐尾族は、電光石火の大博打に勝ったのだ。

 郭貂麟にとってもまさかの一言で、転生2日目早朝にしていきなり他人の資金ごと勝手にオールインする発想は、飛躍が過ぎるというもの。

 

「もしかして私たちが寝坊するのも計算してました?」

「いや、それは買いかぶり過ぎ。予想してたら翠姐にモーニングコールなんてやってない。

 朝飯確保しようと思って夜に街を出歩いてた時に大地人と話して、夜移動して来る果物輸送隊がいるって聞いて考えついただけ。ゲーム時以上に踏み込んで大地人と会話できて情報交換できるのは、靴屋の店主が実証してくれたおかげだね。

 それに他のギルドが所属メンバーの状態確認に追われてるところを、ギルド〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉はあっさり合流もできた。

 大所帯になるほどフットワークが重くなる食料の確保や寝る場所の用意も3人だからそこまで苦労もしなくて、さらに貂ちゃんと翠姐は夜は宿から動かないって言ったから、こっちは気にせず好き放題できた。いろいろ重なった結果だよ」

 

「ね、小賢しいのよ、索峰は」

「小賢しいって域じゃないと思いますが……」

 

 これぐらいはやる、という信頼の一端なのだろうか。

 勝手に自らのお金も使い込まれたというのに、呆れた様子を見せているだけだ。

 それともこれだけのことを小賢しいの一言で済ませる翠姐さんは、これが凄まじいことだと気づいていないのか。

 俗っぽく言うなら「頭おかしい」の域に届くだろうに。

 

「そうそう、とりあえずこの宿2日延長してあるから。その気になったらもっと延長できるけど、状況がどうなるかわからないし。お金はさっき言った通り余裕たっぷり」

 

 礼は述べておくべきだと郭貂麟は思った。

 恥ずかしい話ではあるが、悠々寝坊できたのも索峰さんが手続きしておいてくれたからなのだろう。

 この《燕青大飯店》も、郭貂麟の基準から見れば安い宿ではないのだ。1人であれば選択肢にも入れなかっただろう。

 

「ありがとうございます、なにからなにまで」

「寝床と食事は最優先課題だからね。寝るところが定まれば、少しは頭も動くようになるでしょ」

 

「ねえ索峰、ギルド会館のウチの部屋って使えないの?」

「ギルド会館のウチの割り当てスペースは憩いの場ってこともなかったし拡張の必要もなかったから、家具や設備なにもなしのワンルームで狭い物置同然だ。

 男1人ならそれでもいいが、3人で宿にするには無謀過ぎるな。

 拡張する金はあるが1ヶ月ぐらいはこの宿使ってもこっちの方が安くなりそうだ。それにいつまで燕都(イェンドン)にいられるかもわからん」

 ライチの皮剥きに忙しかった索峰さんの手が止まった。声色が真面目になっている。

 

「確認できているだけで、巻き込まれたプレイヤーは、北京、上海、広州、台北(タイペイ)に相当する都市に分散して飛ばされた。

 都市間トランスポートゲートは動いていないので、中規模都市や中継点への移動も無理。よって中国大陸ではこの4都市にプレイヤーが圧縮されている状態。

 数日は、みんな試しや情報交換で時間が潰れるだろう。その後、なにが起きる?」

 これ見よがしに、索峰さんは皮を剥いたライチを口に運んだ。

 

「味のするものの確保、かしら」

「多分それが第1。何が味を持っているかの調査も含めて、もう始まってるだろうね。しばらくは果物の価格は安定しないんじゃないかな。

 それよりも、中国全土に分散していたプレイヤーを一部とはいえ4都市に押し込めて、その都市の周囲はプレイヤーの胃を支えきれるのだろうか、という疑問がある。

 本来燕都周辺では、肉・穀物の方が入手しやすいはずだったんだ。食物系はある程度現実に沿った素材の割り当てが行われていたから、果物類はもっと南にあったはず。

 台湾や海南島なんか、果物中心だったし。季節感は謎だったけどさ。

 もちろんあのゲンナリする味の謎食品を食べれば生きてはいられると思うけど、我慢できると思う?」

「しばらくは我慢できるかもしれませんが、長くはちょっと厳しいです」

「同意見ね。あれを毎食は頭がおかしくなりそうよ」

 

 水を吸った紙味とでも言うのだろうか。それか豆腐をさらに薄めたような味。

 なんにせよ加工食品は素晴らしい絶望味の均一化を図られており、菜食主義者の真似事でもしなければやっていけない。ただし火も油も使わずに。

 

 

「生肉、生魚、生の根菜、みんな食べられると思う? 自分個人なら、生魚ならものによっては食べられると思うけど」

「無理です」

「ありえない」

 

 生魚も、寿司で食べたことはある。しかしそれも然るべき手段で処理された海の食材であり、ゲーム上の存在であったよくわからない魚を生で食べたいとはとても思えない。

 レンギョを揚げて甘酢餡をかけたものが郭貂麟は好きだったが、それを再現できてもきっとこちらでは味がしないだろう。

 

「しばらくは果物で過ごすとしてだ、なにか革新的な食料事情の改善が行われて、料理に味がつくなら杞憂に終わる話なんだけど、悪い方の想像は話しておくべきだと思う。果物が安定供給されたとしても全員がずっとそれで満足できるとも思えないから」

「その先はなんとなくわかるわ。気持ちが荒むわね、どこかで。喧嘩なんか増えそう。目標があれば我慢する人もいるでしょうけど、その目標をどうやって見つけたらいいのかあたしにはわからない」

 

「短期目標は各々調べたいことを調べればいいけど、規模の大きいギルドは満足に食べさせていくだけでも相当苦労することになると思うよ。

 そもそも都市間の転移ができない以上、合流できるかどうかも怪しい。ギルド合併または空中分解まであるかも。となれば食い詰め者は多く出る。

 逆に、明確な目標を掲げつつメンバーの食事をある程度満足させられることができれば、一大勢力の結成も可能だと思う。

 中小ギルドでメンバーが分散して各都市に配置されていれば、ギルド解散してその都市で有力な勢力の世話になる方がいい場合も多いだろうし、大手でもすぐに支援を行えないならば、抜ける人は出てくるはず。

 物理的距離が生じて転移による高速移動も封じられたから、遠くにいて直接使えないヒラ人員をギルドとして拘束しておく必要もなければ、拘束される方にもメリットがパッと思いつかない。

 しばらくは各都市でのみ人がまとまっていくんじゃないかな。もし都市同士が近ければ合流もあり得ただろうけど、ゲーム時代でも陸路だけで移動するには結構な時間かかる距離だったし」

 

「翠姐さんなら、もし3人別の都市でスタートしていた場合、どうしていました?」

「そうねえ、すぐに合流できなければ、索峰に相談求めながら貂ちゃんと話して指針を決定したかしら。

 しばらくは解散しないと思うけど、すぐに合流できないって分かればそれぞれの引き受け先が見つかった時点でギルド解散はするでしょうね。あんまり先のことは考えられないし、そういうのは索峰の領分だもの」

 

 

 翠姐さんはゲーム時代、良くも悪くも視野が狭かった。

 最低単位の6人パーティならごく一般的なレベルで気配り可能だが、ハーフレイド12人規模の時点で既に怪しく、フルレイド24人以上となると、大局を見極められずなんらかの指示が欲しいという。

 見通しも甘く、パワーレベリングを施してもらう際にもあとあと必要になる素材を途中で捨ててしまって狩り直し、ということは度々あった。

 

 一方で、指示があったり計画を立ててある状態で行なったり局所戦に近い形では集中力が高く、機動力に長けた盗剣士(スワッシュバックラー)の職もあって、非常に独特で捉えにくい動きと火力を両立していた。

 その動きと強化方針は、本人から「真似しちゃダメよ」と釘を刺されたことがあったほどだ。

 とても真似できるものではなかったのだが。

 

 

「そしてだ、別にどれが良いとは言わない。というかこの状況では言えないんだけど、これから先、ギルド《翠壁不倒》が取るべき道は4択。

 1、このギルドを維持して燕都に残る。2、どこかのギルドに所属して燕都に残る。3、ギルドを維持して燕都を出る。4、ギルド解体して完全自由行動。このどれか。どれも一長一短がある」

「勿体ぶらずに言いなさい」

「決めるのは翠姐個人だからね。貂ちゃんも。3人の意見が違って当然だから、結論は持ち越すから即答はしなくていい。いささか性急だとは思うけど、食べながらでいいから聞くだけ聞いて」

「わかりました」

 

 索峰さんは黒い柔らかそうな革の魔法の鞄(マジックバック)から鉛筆と薄いメモ帳を取り出して書き始めた。郭貂麟は木匙でマンゴーを大きく削り取って口に入れた。

 

「まず、不正確な予想だということを念頭に置いておくように。

 第1案、ギルドを維持したまま燕都に残る場合。当座はお金があるから凌げる。情報もそこそこ早く手に入る。設備は充実している。これらはメリット。

 デメリットとして、食料問題の解決の有無に関わらずこれから治安はある程度悪化すると思われる。また食料確保は独力で行う必要がある。

 少人数ゆえに、これから起きることに対して大きな影響力を持てず、PKの標的にされやすい。なんらかの大きな被害を受けても泣き寝入りになることもあると思う。

 第2案の、ギルド解体の後で燕都に残る場合も概ね同じことが言える。ただし、かなり人数が多く大きなコミュニティで初対面の人と関係を構築することになる。その分PKの心配は減りそうではある。

 また、第2案では味のする食べ物の確保という点において、多少楽はできると思うが、最悪味のする食べ物を手に入れてもギルドに徴収されて自分たちは食べられないということもあるかもしれない。

 あと、第2案でギルド解散になったら100万余の金貨は山分けかな。自分や翠姐の元の資産抜いてしばらくの生活費で多少減るとしても1人30万ぐらいは渡せるだろうし、再スタートの相当大きな助けにはなるはずだ」

 

「あれ、金貨100万枚以上稼いだのって索峰さんですよね、私にも山分けでいいんですか?」

「元本は翠姐だし、あぶく銭だからな。山分けでも元の4倍ぐらいだから翠姐もいいでしょ、いや、いいよな?」

「あたしは文句ないわよ、増えてはいるから」

 

「なら第2案の際は大量の資金がそれぞれの手元に残るということもメリットとして確定。同時に、ギルド解体して完全自由行動にする第4案もこのメリットを享受できる。

 第3案のギルドを維持して燕都外へ、というのは、北京や上海といったスタートエリアの都市から出て、神殿及び銀行設備のある中継都市へ移動することを主な目的にしてあとは現地で考える。食料現地調達、野宿はおそらく確定、プレイヤー間での新しい情報は周回遅れになる。

 加えてどんなリスクがあるかすらわからないし、ある程度準備しては行くけど道中でモンスターとの戦闘は避けられない。行ってしまえば、プレイヤーの少ないある種隔絶した環境にはなると思うし、食料問題は自給できれば多分気にしなくても良くはなる。

 ハイリスクローリターンではあるが、燕都や大都では発想すらされないことがある、かもしれない。『エルダー・テイル』の冒険、というところでは第3案が最も性質が強い」

 

 索峰さんは1枚目の筆記を終えると、台紙から剥がし、中空に指を躍らせる。

 すると紙が2枚に増え、複写もされていた。

 そこまで見て、郭貂麟はようやくそれが〈複写台帳〉という、ゲーム内にもあったアイテムだと気づいた。3人で行動するときに、索峰さんが時々使っていたものだ。

 

「第4案、ギルド解体からの完全自由行動。お金を持った状態で再スタートできるのはさっき言った通り。性質としてギルド解体して燕都に残る第2案とかなり近い。相談する人、信用できる人はそれぞれで探すことになる。それぞれが見つけてから解散ってのもひとつではあるけれど。

 もし4案に決まって、身ひとつでそれぞれ自由に動くことになるなら、自分は中国サーバー域にいる理由がなくなるから、日本に戻るつもりだし」

「あら、索峰帰っちゃうの?」

「そりゃ、背負うものがなくなったらゲーム内でまで単身赴任する必要はないし。かといって、日本でなにかやりたいことがあるってわけじゃないから、ただの帰巣本能ではある。

 もし妖精の輪(フェアリーリング)が生きてたら、日本のどこかに転送されるまで連続転移だな」

 

 元いた国に戻りたいという欲求は、当然抱くものだろうと思う。

 現実世界に戻れるのかは分からないのだから、なるべく索峰さんと民族としての価値観を共有している人の多い場所の方が安心もするはずだ。

 

「おおまかにはこんなところかな。あと、補足情報として、2人が寝てる間に得られた基本的な情報。

 まず、街の衛兵システムは生きてる。運営に通報はできないが懲罰房送りもあるし、衛兵も召喚されて粛清もあるよ。どこに一線があるかはわからないけど。

 また、神殿は正常に作動してる。この身ひとつの命ではないという朗報でもあり、同時に、死んでもゲームエンドは不可能という悲報でもある」

「まさか試したんですか?」

「喧嘩を目撃して、衛兵が召喚されたのを見ただけ。懲罰房送りは伝聞情報。

 死に戻りの方は、夜中に神殿でちょっと張り込んで、出てきた人に果物渡して聞いただけ。夜って怖いな、何人も自分から死にに行ってる人がいた。気分のいいものじゃなかったな。

 デメリットは経験値や所持金なんかが減る。ゲームの時と同じ」

 

 一晩でどれだけ動き回ったのであろうかこの狐尾族は。

 行動量が常軌を逸してはいないだろうか。

 

 

「索峰さん、なんていうか、大丈夫ですか?」

「うーん、大丈夫とは言いにくい。なにか目的を持って頭と体動かしていないと、押し潰されそうな気がしたからな。神経質にはなってる。体調管理面で評価するなら、いい傾向ではないね」

「索峰、あんたちゃんと寝た? 夜中相当動いてるわよね」

「あー、寝てません、いや、眠れませんでした、頭がギンッギンでまんじりともせず」

 

 索峰さんに疲れたような様子は見られない。上がった身体能力のせいかもしれない。

 郭貂麟の体は昨晩ちゃんと疲れていたし、精神面でも弱って泣き疲れてどこかで眠気が来たのだろうとは思う。

 だとすれば、索峰さんなりの異常の発露ではあるのか。

 

「今晩はちゃんと寝るようにする」

「そうしなさい。あと、今日も戦闘体験は無しね。明日に延期。まだ夕方じゃないけど、もう街の外に出るには微妙な時間よ。

 どれだけ時間が必要かわからないから、朝から動いた方がいいでしょうし。これはギルマスとしての決定だから。

 今日のところは、索峰が出した4案をどうするか考えるだけにしましょ。街に出るならそれでもいいけど」

 

 

 〈複写台帳〉から2枚目を剥がすと、索峰さんはまたそのメモを2枚に増やした。

「じゃ、このメモは渡しとく。判断材料にはなるでしょ。今日明日で結論は出す必要ないから。4日から6日ぐらいは余裕あるでしょ、多分」

「それでも6日なんですか」

 あまり引き延ばすのもよくないとは郭貂麟にも理解できるが、今日明日というほど近くはないが、6日は遠くはない。

 

「予測半分、残り勘だけど。小規模なPK狙いが出始めるという意味での余裕かな。小規模な集団が現状を把握して、追い剥ぎする覚悟を完了させられるならそのぐらい、と自分に当て嵌めて考えた」

「うわ、なに考えてるのよ索峰。引くわよ」

「その追い剥ぎが成功するかはまた別の問題だけど。一度成功し出したら倫理のタガは外れるだろうから。PKし続けて罪悪感が生じてなにかを病む、となるのはだいぶ先だろうし。

 大きな集団がPKや略奪やり始めたら恐怖政治が起きる可能性は高い。大規模なPKが起きる前に、逃げられるうちに、身の振り方は決めておきたい」

 

 ちょっと後ろ向きな考えのように聞こえた。それでも、異を唱える材料を郭貂麟は持っていない。

 悲観というほどでもないが索峰さんはそれなりに危機感を持っているのだろう。

 

「考え過ぎじゃない? 夜とは言わず、すぐ寝なさい。寝て一度頭リセットさせた方がいいわ。あたしより頭いいんだし、信頼もしてるけど、力が入り過ぎてるのは見ればわかるから」

「考え過ぎってこともないと思います翠姐さん。私は索峰さんの言ってることはあり得ることだと思います。

 私だってそんなに頭は良くありませんが、索峰さんは色々警戒してるんだと思います。たぶん年上であることと、私達が若い女であるということも含めて」

「………………あー、性別は意識してなかったわ」

 索峰さんも、翠姐さんも、バツの悪そうな表情だった。

 

 

 『エルダー・テイル』の性質はMMORPGであり性別比では男性の方がかなり多い。この世界への転移でも、その割合は大きく変化しないはず。

 

 女性蔑視と女性差別は世界的と言っていいもので、男女平等はどこでも叫ばれている。

 中国でもそれは当然存在している。ゲーム時代は年齢が関係なくても、この世界に来て女2人それぞれ年相応の顔になり、やや美人に顔が変化した。

 郭貂麟自身は身長もだいぶ小さくなってより幼く見えるはず。

 

 完全に獣人化した索峰さんのような例は、昨日街を歩いた限りでは多くはないようだ。獣耳程度の変化を起こしている人の方が間違いなく多数派。

 そして、女性蔑視や女性差別を止めるものは、この世界では倫理に頼るしかないだろう。ハラスメント警告を出す運営はいないから。

 

 

「そうかあ、そうだよね、そりゃあ意識するわよね、索峰も。まだまだゲーム気分抜けてないわ、やっぱ馬鹿だあたし。昨日女心わかってないって文句言ったけど、私も男心さっぱりわかってなかったわ」

「ギルドの屋台骨である自覚もあったけどね。守りに入ってるのも否定はできないな。歳も食ってるし」

 苦笑した索峰さんには、肩にほんの少し疲れが見えた気がする。

 

「燕都の街中はまだ安全だと思うよ、ナンパや勧誘を気にさえしなければ。そしてそれらも、ゲーム時代の基準でいけば直接的な害を与えられなければ衛兵は動かないし、周りの誰かが下心なしに助けてくれる保証もない」

 諭すような口調に、翠姐さんは何も言えないようだった。

 

「だからあと4日ぐらいなんだ。ある程度の現状把握を終えて、他人に構う余裕が生まれる人が出てくる。若い女2人で街中を歩いてトラブルが起きない時間はもっと短いだろうね。明日でギリギリじゃないかな」

 半ば脅すような予測ではあったが、郭貂麟にとっては信じてもいいと思う予測だった。

 

 

「うー、なにも言えない。理論武装ですぐには勝てる気がしない……」

 翠姐さんは、悔しさなのか唸り声を上げはじめた。

「翠姐、日用品買いに出るなら、今日中に探しに行った方がいいよ。最悪自分を使いっ走りにして買い物もできるだろうけど、女性小物はわからないから。

 日用品が実装されてるのかも微妙なとこだけど、昨日の靴屋見る限り、たぶん特殊能力のついてない小道具はどこかで普通に売ってるはず」

 

「なら貂ちゃん、一緒に買い物行きましょ」

「あ、じゃあ急いで食べます、あと5分で!」

「唐突だな翠姐、おい」

「貂ちゃんは身なりも寝起きのままだから、それ整えてからね。あ、索峰は寝なさい。ついてきちゃダメ」

「翠姐、ちゃんと話聞いてたか」

「聞いてたわよ。索峰の予想ならまだ今日はセーフでしょ。信じて行動するわ」

「いやいや確かにそりゃそうだけど、ゲームとは違うからね、リスクはもうあるから」

「聞ーきーまーせーんー。ギルマス命令でーす。隙を見せた索峰が悪いー」

 

 翠姐さんが一度決定させてしまうと撤回させることが非常に難しいことを知っている索峰さんは、また渋い顔をして悔しそうに腕を組んでいる。

 戦闘中であれば、非常に聞き分けのいいギルマスなのだが。

 

 にわかに2日目の午後が忙しくなった。

 水気の多いマンゴーをあまり噛まずに飲み下しながら、その有無を言わさない決定ぶりに、郭貂麟はゲーム内と変わらぬ意思決定の豪腕を発揮する翠姐さんらしさを見た気がした。

 人の性質や力関係というものは、そうそう揺らぐものではないらしい。




用語解説的な



魔法の鞄(マジックバッグ)
いわゆる持ち運びできるアイテムボックス。
容量はレアリティによって異なるが基本たっぷり入る。


妖精の輪(フェアリーリング)
ワープゲート。
1ヶ月周期1時間単位で固定乱数で行き先が切り替わる。
かなり数があり、エルダー・テイル他運営の国外範囲に移動できるものも。


燕都(イェンドン)
エルダー・テイル中国サーバーにおけるスタートタウン。
現実世界の北京に相当。


レベル
ゲーム時代のMAXは90。
エンドコンテンツに挑むならLv90になってからがスタートラインの節も。
同じLv90でもやり込み度合いによって強さは大きく差がつく。


衛兵
街を守護するNPC武装兵。
運営の代行者でもありプレイヤーキャラでは太刀打ちできないほどのステータスを持つ。
当作品では特に目立つ出番はない。
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